1. 概要
日本のロボット工学者であり、大阪大学大学院基礎工学研究科の教授、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)石黒浩特別研究所の所長を務める石黒浩は、人間と見分けがつかないほど精巧なアンドロイドやヒューマノイドロボットの研究開発で世界的に知られている。彼の研究は、単なる技術開発に留まらず、「ロボット学は哲学そのものである」という信条のもと、人間存在の本質や意識、心の探求に深く関わっている。自身に酷似した遠隔操作型アンドロイド「ジェミノイド」や、自律対話型アンドロイド「エリカ」などの開発を通じて、人間とテクノロジーの共生する未来社会の可能性を追求し、国内外で多大な影響を与えている。
2. 生涯
石黒浩は、幼少期から芸術に関心を持ち、学術的な道を歩む中でロボット工学の分野で顕著な業績を築き上げた。
2.1. 幼少期と教育
石黒浩は1963年10月23日に滋賀県高島郡安曇川町(現在の高島市)で生まれた。幼少期には油絵を愛し、芸術家になることを志していた。滋賀県立高島高等学校を1982年に卒業後、山梨大学工学部計算機科学科に進学し、1986年に卒業した。その後、大阪大学大学院基礎工学研究科物理系専攻に進み、1991年に博士課程を修了した。
2.2. 初期キャリア
大学院修了後、石黒浩は1991年から1992年まで山梨大学工学部情報工学科の助手を務めた。続いて1992年から1994年まで大阪大学基礎工学部システム工学科の助手を務めた。1994年には京都大学大学院工学研究科情報工学専攻の助教授に就任し、1998年までその職にあった。この期間中、1998年から1999年にかけてはカリフォルニア大学サンディエゴ校の客員研究員としても活動した。1998年から2000年までは京都大学大学院情報学研究科社会情報学専攻の助教授を務め、1999年から2002年までは国際電気通信基礎技術研究所(ATR)知能映像研究所の客員研究員を兼任した。2000年には和歌山大学システム工学部情報通信システム学科の助教授となり、2001年からは同大学の教授を務めた。
3. 主要な活動と業績
石黒浩は、ロボット工学の分野において、人間酷似型ロボットの開発とその哲学的な探求を通じて、数々の中心的貢献と学術的・社会的な活動を展開している。
3.1. ロボット工学の研究開発
石黒浩は、生きた人間に可能な限り似たロボットを開発するという考えに注力している。2005年7月に女性型アンドロイド「リプリーQ1Expo」を発表した際、彼は「これまで多くのロボットを開発してきたが、すぐにその外見の重要性に気づいた。人間のような外見は、ロボットに強い存在感を与える。リプリーQ1Expoは人々と対話でき、触れることに反応する。これは非常に満足のいくものだが、まだ長い道のりがある」と述べた。彼の見解では、短時間の接触であれば人間と区別がつかないアンドロイドを構築することも可能かもしれないという。
自身に酷似したアンドロイド「ジェミノイド」を開発し、大阪大学での講義にこのアンドロイドを使用し、まばたきや「呼吸」、手でそわそわするなどの人間らしい動きをさせて学生を驚かせることがある。ジェミノイドは2008年10月5日にBBC Twoで放送されたジェームズ・メイのドキュメンタリー番組『ジェームズ・メイのビッグ・アイデア』シリーズの一環である『マン・マシーン』でも紹介された。また、遠隔操作型のコミュニケーションロボット「テレノイドR1」も開発している。
2019年には高台寺と共同で仏教アンドロイド「マインダー」を開発し、欧米のメディアで大きな反響を呼んだ。2015年には、将来的にロボットが爆発的に普及する可能性を秘めているとして、中国のロボット研究施設と共同で女性ロボット「ヤンヤン」を開発した。
その他にも、2012年には3代目桂米朝の米寿を記念して、5代目桂米團治を動作モデルとした「米朝アンドロイド」を製作したが、米朝自身は「気色悪い」と感想を述べた。2022年には河野太郎デジタル大臣のアンドロイドも製作している。自律対話型アンドロイド「エリカ」の開発も行っている。


3.2. 学術・研究キャリア
石黒浩は、長年にわたり日本の主要な教育研究機関で指導的な役割を担ってきた。
2002年から2009年まで大阪大学大学院工学研究科知能・機能創成工学専攻の教授を務め、2002年から2011年までは国際電気通信基礎技術研究所(ATR)知能ロボティクス研究所第2研究室の客員室長を兼任した。2009年からは大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻の教授を務め、2017年には大阪大学栄誉教授の称号を授与された。
2010年にはATRフェローとなり、2011年から2013年まではATR石黒浩特別研究室の客員室長を務めた。2013年から2016年までは大阪大学特別教授の職にあった。2014年からは国際電気通信基礎技術研究所石黒浩特別研究所の所長に就任し、現在に至る。
2015年にはIDM Lab Sdn Bhd(Imagineering Institute)のグローバルリサーチフェローを務めた。2017年からはソニーグループ株式会社のビジティング・シニア・サイエンティストも兼任している。2019年には先導的学際研究機構共生知能システム研究センターのセンター長に就任した。
2020年からは科学技術振興機構・ムーンショット型研究開発事業のプロジェクトマネージャー、および2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)のテーマ事業プロデューサーを務めている。2021年にはAVITA株式会社を設立し、代表取締役CEOに就任した。
その他、ヴイストン株式会社特別顧問、次世代ロボット開発ネットワークRooBOアドバイザー、第2回星新一賞最終選考委員なども務めている。
3.3. 受賞歴と栄誉
石黒浩の研究業績は国内外で高く評価され、数々の賞や栄誉を受けている。
2005年には、遠隔操作型アンドロイド「ジェミノイド」と成人女性型アンドロイド「リプリーQ2」が、それぞれ世界記録と実物そっくりなアンドロイドとしてギネス世界記録に記載された。2007年7月にはCNNが彼を「世界を変える8人の天才」の一人に選出し、同年10月には英国のコンサルタント会社が選出した「生きている天才100人」で日本人最高の26位に選出された。
学術分野では、2007年3月に第2回ACM/IEEEヒューマンロボットインタラクション国際会議(HRI 2007)で最優秀論文賞およびポスター賞を受賞し、2009年3月には第4回ACM/IEEEヒューマンロボットインタラクション国際会議(HRI 2009)で最優秀論文賞を受賞した。2006年にはドイツのブレーメンで開催されたロボカップ2006のヒューマノイド部門(キッズサイズ)で最優秀ヒューマノイド賞を受賞している。
国内では、2011年に大阪文化賞を受賞した。2015年には文部科学大臣表彰を受賞し、同年にはシェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム知識賞も受賞した。2011年には『アジアン・サイエンティスト・マガジン』によって「注目すべきアジアの科学者15人」の一人に選ばれている。
4. 著作・出版物
石黒浩は、ロボット工学、人間とロボットの関係、そして未来社会に関する多数の書籍や学術論文を執筆している。
4.1. 書籍
- 『コミュニケーションロボット 人と関わるロボットを開発するための技術 知の科学』(共著:宮下敬宏、神田崇行、編者:人工知能学会)(2005年4月20日、オーム社)
- 『はじめてのロボット工学 製作を通じて学ぶ基礎と応用』(共著:浅田稔、大和信夫、監修:ロボット実技学習企画委員会)(2007年1月20日、オーム社)
- 『はじめてのロボット工学 第2版 製作を通じて学ぶ基礎と応用』(共著:浅田稔、大和信夫)(2019年3月1日、オーム社)
- 『アンドロイドサイエンス 人間を知るためのロボット研究』(2007年9月28日、毎日コミュニケーションズ)
- 『爆笑問題のニッポンの教養 ロボットに人間を感じるとき...知能ロボット学』(共著:太田光、田中裕二)(2007年12月7日、講談社)
- 『GIS NEXT(第23号) 特集 ロボットが見つめる空間』(共著:長井忠 ほか)(2008年4月1日、ネクストパブリッシング)
- 『ロボットとは何か 人の心を映す鏡』(2009年11月20日、講談社現代新書)
- 『ロボットは涙を流すか 映画と現実の狭間』(共著:太田光、田中裕二)(2010年2月3日、PHP研究所 PHPサイエンス・ワールド新書)
- 『生きるってなんやろか? 科学者と哲学者が語る、若者のためのクリティカル「人生」シンキング』(2011年3月1日、毎日新聞社)
- 『どうすれば「人」を創れるか アンドロイドになった私』(2011年4月22日、新潮社)
- 『どうすれば「人」を創れるか アンドロイドになった私』(2014年11月1日、新潮社 新潮文庫)
- 『アンドロイドを造る』(2011年8月12日、オーム社)
- 『人と芸術とアンドロイド 私はなぜロボットを作るのか』(2012年9月5日、日本評論社)
- 『"糞袋"の内と外』(2013年4月19日、朝日新聞出版)
- 『アンドロイドは人間になれるか』(2015年12月18日、文藝春秋 文春新書)
- 『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』(2016年12月1日、講談社)
- 『人はアンドロイドになるために』(共著:飯田一史)(2017年3月25日、筑摩書房)
- 『枠を壊して自分を生きる。 自分の頭で考えて動くためのヒント』(2017年4月1日、三笠書房)
- 『人間とロボットの法則』(2017年7月28日、日刊工業新聞社)
- 『人間?機械? 睡眠・ヒト型ロボット・無人操縦』(共著:柳沢正史、谷口恒、唐津治夢、編者:武田計測先端知財団)(2017年11月1日、丸善出版)
- 『僕がロボットをつくる理由 未来の生き方を日常からデザインする』(2018年3月20日、世界思想社)
- 『人とは何か』(2019年3月1日、NHK出版) - NHKテキスト(2019年4月~6月)
- 『最後の講義 完全版 1000年後のロボットと人間』(2020年2月29日、主婦の友社)
- 『How Human Is Human?: The View from Robotics Researchハウ・ヒューマン・イズ・ヒューマン?: ザ・ビュー・フロム・ロボティクス・リサーチ英語』(訳者:トニー・ゴンザレス)(2020年4月13日、出版文化産業振興財団)
- 『ロボットと人間 人とは何か』(2021年11月22日、岩波書店)
- 『ロボット学者が語る「いのち」と「こころ」』(2021年11月22日、緑書房)
- 『アバターと共生する未来社会』(2023年6月26日、集英社)
4.2. 学術論文
石黒浩は、ロボット工学と人間とのインタラクションに関する多数の学術論文を発表している。代表的なものには、2006年に『サイエンティフィック・アメリカン』誌に掲載された「Android Scienceアンドロイド・サイエンス英語」や、2012年に刊行された『Human-Robot Interaction in Social Roboticsヒューマン・ロボット・インタラクション・イン・ソーシャル・ロボティクス英語』などがある。彼の所属する大阪大学の知能ロボティクス研究室のウェブサイトには、彼の研究成果である多くの論文が掲載されている。
5. 哲学とビジョン
石黒浩は、「ロボット学は哲学そのものである」という信念を抱き、人間存在の根源的な問いをロボット研究を通じて探求している。彼の研究は、単に技術的な進歩を追求するだけでなく、人間とは何か、意識や心はどこに宿るのかといった哲学的な問いに深く切り込んでいる。
彼は、人間とロボットが共生する未来社会において、テクノロジーが人間の本質を理解し、拡張する可能性を信じている。アンドロイドの開発を通じて、人間の外見や動作、さらには感情やコミュニケーションのメカニズムを模倣することで、人間自身の認知や存在のあり方を逆照射し、新たな視点を提供しようとしている。彼の著作『How Human Is Human?: The View from Robotics Researchハウ・ヒューマン・イズ・ヒューマン?: ザ・ビュー・フロム・ロボティクス・リサーチ英語』は、この哲学的な探求を反映している。
6. 影響と評価
石黒浩の研究と活動は、ロボット工学分野に多大な影響を与え、社会や文化の様々な側面に波及している。彼の人間酷似型ロボットは、学術界だけでなく一般社会においても大きな注目を集め、人間とロボットの関係性についての議論を活発化させている。
6.1. メディアでの紹介
石黒浩の研究や彼が開発したロボットは、数多くのドキュメンタリー映画やフィクション映画、その他のメディアで取り上げられている。
彼の仕事は、人間とロボットの相互関係に関する2007年のドキュメンタリー映画『Mechanical Loveメカニカル・ラブ英語』の主要な構成要素となっている。2009年の映画『サロゲート』の冒頭のモンタージュでは、サロゲートの開発過程を示す映像の中に石黒と彼のジェミノイドの映像が登場する。石黒はこの映画について「決して荒唐無稽なSFではない」と述べている。
また、2010年のドキュメンタリー映画『Plug & Prayプラグ・アンド・プレイ英語』、2011年の映画『Samsaraサムサラ英語』、2019年のドキュメンタリー映画『Roboloveロボラブ英語』にも登場している。2018年には人工知能に関するドキュメンタリー映画『Do You Trust This Computer?ドゥー・ユー・トラスト・ディス・コンピューター?英語』で、彼がロボットと対話する様子がインタビューされた。
2011年には『アジアン・サイエンティスト・マガジン』によって「注目すべきアジアの科学者15人」の一人に選出されるなど、国際的なメディアからも高い評価を受けている。
6.2. 主要プロジェクトと共同研究
石黒浩は、多岐にわたる学際的・国際的な共同研究プロジェクトに参画している。
彼が参画する産学協同の「Team OSAKA」は、大阪大学石黒研究室、京都大学ロボ・ガレージ、システクアカザワ社、ヴイストン社、国際電気通信基礎技術研究所などがメンバーである。このチームのロボット「VisiONヴィジオン英語」は、2004年にリスボンで開催された「ロボカップ2004世界大会」のサッカー競技ヒューマノイド・リーグでクラス優勝を果たした。VisiONヴィジオン英語は、自律歩行型で、思考して行動し、人間の指示を必要とせず、二足歩行で転倒しても自立するという特徴を持つ。
2019年には高台寺と共同でアンドロイド菩薩「マインダー」を開発し、欧米のメディアで大きな反響を呼んだ。また、平田オリザが主宰する劇団青年団と協力し、アンドロイド演劇の創作も行っている。
2015年には、中国のロボット研究施設と女性ロボット「ヤンヤン」を共同開発した。彼は、次にロボットが爆発的に流行するとしたら、様々な要因から中国であると考えている。さらに、2012年には3代目桂米朝の米寿を記念して「米朝アンドロイド」を製作し、2022年には河野太郎デジタル大臣のアンドロイドも手掛けるなど、幅広い分野でロボット開発を行っている。