1. 生い立ちと教育
1.1. ユース時代と大学
神戸は静岡高校でサッカーを学び、1977年から1979年まで所属した。その後、早稲田大学に進学し、1980年から1983年まで大学サッカー部でプレーした。
2. 選手としての経歴
神戸清雄は、大学卒業後にプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、フットサル日本代表としても国際舞台を経験した。
2.1. クラブでの経歴
早稲田大学を卒業後、1984年に本田技研工業(現・Honda FC)に入団し、1990年までプレーした。本田技研工業では、JSL1部で通算60試合に出場し2得点を記録した。
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | 所属 | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| 1984 | JSL1部 | 本田 | JSL1部 | 6 | 1 | 3 | 1 | - | - | - | - |
| 1985 | JSL1部 | 9 | 0 | - | - | - | - | - | - | ||
| 1986-87 | JSL1部 | 17 | 1 | - | - | - | - | - | - | ||
| 1987-88 | JSL1部 | 12 | 0 | - | - | - | - | - | - | ||
| 1988-89 | JSL1部 | 16 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | - | ||
| 1989-90 | JSL1部 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | - | ||
| 総通算 | 60 | 2 | - | - | - | - | - | - | |||
2.2. フットサルでの経歴
1989年には、フットサル日本代表に選出され、オランダで開催された1989 FIFAフットサル世界選手権にミッドフィールダーとして出場した。
3. 指導者としての経歴
選手引退後、神戸清雄は日本国内のクラブやナショナルチーム、そしてタイのクラブチームで指導者としてのキャリアを築いた。
3.1. 日本での初期指導歴
1990年に選手を引退した後、本田技研工業のサッカースクールコーチに就任し、指導者としての第一歩を踏み出した。
1991年から2001年にかけては、古河電気工業(後のジェフユナイテッド市原)で、育成部コーチ(1991年-1994年)、コーチ(1994年-1996年)、強化部兼監督(1997年-1998年)、コーチ(1998年-2001年)と、様々な年代の指導に携わった。この期間中、2000年2月と2001年12月には監督代行も経験している。
2005年からは名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)でU-18監督(2005年)、ユースアカデミー総監督(2006年-2007年)、トップチームコーチ(2008年)を歴任し、2008年シーズン終了後に退団した。
2010年1月1日には、J2に降格したジェフユナイテッド千葉のテクニカルダイレクターに就任。翌2011年、チームがシーズン後半に失速したことを受け、10月21日に監督のドワイト・ローデヴェーヘスの後任として監督に就任し、初めて正式な監督として指揮を執った。しかし、監督就任後のリーグ戦8試合で4得点と得点力不足を解消できず、最終順位は6位となり、J1昇格を果たすことはできなかった。2012年からは再び千葉のテクニカルダイレクターに復帰している。
3.2. ナショナルチームでの指導歴
2002年からは日本サッカー協会の強化スタッフとして、海外のナショナルチームの監督を歴任した。2002年から2003年にかけてフィリピン代表監督を、2003年から2004年にかけてグアム代表監督を務めた。2009年には、再び日本サッカー協会から北マリアナ諸島代表監督として派遣された。
3.3. タイでの指導歴
2013年、神戸はタイに渡り、当時タイ・ディビジョン1に所属していたナコーンラーチャシーマー・マツダFCの監督に就任した。これは滝雅美に続くタイリーグで2人目の日本人監督となった。2014年シーズンにはリーグ優勝を果たし、チームをタイ・プレミアリーグ昇格に導いた。2016年にナコーンラーチャシーマーの監督を退任した後も、タイでの指導を続け、チエンマイFC(2016年-2017年)、ウボンUMTユナイテッド(2018年)、ノーンブワ・ピッチャヤFC(2019年)、コーンケン・ユナイテッドFC(2020年-2021年)で指揮を執った。コーンケン・ユナイテッドではタイ・リーグ2で昇格争いに加わっていたが、シーズン終盤に未勝利が続き解任された。2021年にはラヨーンFCの監督を務め、2023年から2024年にかけてはスコータイFCの監督を務めた。

4. 指導者としての統計
神戸清雄が監督を務めたクラブおよびナショナルチームでの統計は以下の通りである。
| チーム | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合数 | 勝利 | 引き分け | 敗戦 | 勝率 | |||
| ジェフユナイテッド市原 (代行) | 2000年8月10日 | 2000年10月14日 | 2 | 1 | 0 | 1 | 50.00% |
| ジェフユナイテッド千葉 | 2011年10月21日 | 2011年12月31日 | 10 | 3 | 2 | 5 | 30.00% |
| ナコーンラーチャシーマー | 2013年7月29日 | 2016年5月11日 | 45 | 15 | 11 | 19 | 33.33% |
| ウボンUMTユナイテッド | 2018年4月23日 | 2018年11月30日 | 28 | 7 | 7 | 14 | 25.00% |
| ノーンブワ・ピッチャヤFC | 2019年2月2日 | 2019年6月25日 | 20 | 10 | 3 | 7 | 50.00% |
| コーンケン・ユナイテッドFC | 2019年11月10日 | 2021年3月8日 | 27 | 16 | 6 | 5 | 59.26% |
| ラヨーンFC | 2021年4月18日 | 2021年12月11日 | 20 | 7 | 3 | 10 | 35.00% |
| スコータイFC | 2023年11月25日 | 2024年5月31日 | 25 | 8 | 4 | 13 | 32.00% |
| 合計 | 177 | 67 | 36 | 74 | 37.85% | ||
- 2000年のジェフユナイテッド市原ではコーチとして指揮を執った。
- 2001年のジェフユナイテッド市原では天皇杯のみ指揮を執り、準々決勝に進出した。
- 2011年のジェフユナイテッド千葉ではJ2第32節(31試合目)から指揮を執り、最終順位は6位であった。
5. 指導者としての栄誉
- タイ・ディビジョン1リーグ 優勝: 2014年 (クラブ: ナコーンラーチャシーマー・マツダFC)