1. 概要
緒方貞子は、日本の国際政治学者、外交官、作家、行政官であり、上智大学名誉教授を務めた。1991年から2000年まで国連難民高等弁務官を、2003年から2012年まで国際協力機構(JICA)理事長を務めるなど、国際社会における人道支援と平和構築に多大な貢献をしたことで広く知られている。特に「人間の安全保障」の概念を提唱し、その実践に尽力した。彼女はまた、1978年から1979年にはユニセフ執行理事会議長も歴任した。幼少期を海外で過ごし、国際的な視野を育み、生涯を通じて難民や紛争の影響を受ける人々の側に立ち、現場主義を貫いた。その功績により、日本国内外で数多くの栄典と賞を受章している。
2. 生い立ちと教育
緒方貞子は1927年9月16日、東京府東京市麻布区(現在の東京都港区麻布)に外交官の中村豊一と恒子夫妻の長女として生まれた。命名は曽祖父である当時の内閣総理大臣、犬養毅による。父の仕事の関係で、幼少期をアメリカ合衆国や中華民国、香港で過ごした。4歳から8歳まではアメリカ(ポートランドのキャトリン・ゲイブル・スクール)で、8歳から10歳までは中国の広州や香港で生活した経験を持つ。
小学校5年生で日本に帰国し、聖心女子学院に転入。その後、聖心女子大学文学部英文科を卒業した。大学では自治会会長やテニス部の初代部長を務め、軽井沢国際トーナメントでミックスダブルス優勝、全日本シングルスベスト8などの好成績を収めた。当時、日本人女性が海外で学ぶことは珍しかったが、父や聖心女子大学学長のブリットの勧めもあり、海外留学を決意する。ジョージタウン大学外交政策大学院で国際関係論の修士号を、1963年にはカリフォルニア大学バークレー校で政治学の博士号を取得した。博士論文は「満州事変と日本の外交政策形成(Defiance in Manchuria: the Making of Japanese Foreign Policy, 1931-1932)」というテーマで、満州国建国を巡る政治的背景を分析し、日中戦争における日本の侵略の原因を探求した。これは、4歳の時に暗殺された曽祖父・犬養毅の死後も日本が無謀な戦争に突入した理由を究明したいという彼女の強い思いからくるものだった。
3. 経歴

緒方貞子の経歴は、その学術的背景と国際機関、そして日本政府における多岐にわたる公職活動によって特徴づけられる。
3.1. 外交・国際機関での活動
緒方貞子は、国際機関や外交の舞台で数々の重要な役割を果たし、特に難民問題と人道支援において世界的なリーダーシップを発揮した。
3.1.1. 国連での初期の活動
1968年、国際基督教大学(ICU)の講師を務めていた緒方は、参議院議員の市川房枝の要請を受け、国際連合総会の日本代表団顧問に加わることになった。市川は「日本人女性を国際連合に送り出し、女性の地位向上に繋げたい」という思いを持っており、緒方の人間性と能力を高く評価していた。1970年の国連総会では日本代表を務め、さらに1978年から1979年には日本の国連常駐代表部特命全権公使として、またユニセフ執行理事会議長として活躍した。1975年の国際婦人年に際し、日本社会党の田中寿美子が女性民間人の大使・公使起用を提言した際、外務大臣の宮澤喜一が緒方を口説き落としたことで、彼女は女性国連公使第1号となった。
3.1.2. 国連難民高等弁務官
1990年、緒方貞子は国連難民高等弁務官に任命された。この役職に就いた初の女性であり、上智大学教授の職を辞して新たな任務に臨んだ。当初の任期は前任者の残り任期である3年とされていたが、その卓越したリーダーシップにより2度再選され(1993年11月と1998年9月)、2001年まで10年以上にわたり弁務官を務めた。
弁務官として、緒方は湾岸戦争後のクルド人難民、ユーゴスラビア紛争、ルワンダ虐殺、冷戦の犠牲者を含むアフガニスタン難民など、世界各地の主要な難民危機に直面し、効果的な戦略を実行して数えきれないほどの難民を絶望から救った。トルコとイラクの国境にいたクルド人難民への対応では、UNHCRの任務を国内避難民の保護にまで拡大するという画期的な判断を下した。彼女は現場主義を貫く実践的なリーダーであり、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中のサラエボ包囲戦では、一部の欧州空軍と協力して空輸作戦を実施するなど、人道支援活動に軍隊を投入する異例の決定も行った。彼女の在任期間中にUNHCRの予算と職員数は2倍以上に増加した。
その手腕と小柄な体格から、「小さな巨人(diminutive giant)」という異名で呼ばれることもあった。国連難民高等弁務官退任後の2001年には、人間の安全保障委員会の共同議長に就任している。
3.1.3. RETインターナショナル
2000年12月、緒方貞子はUNHCRの2期目の任期満了とUNHCR設立50周年を機に、スイスのジュネーヴでRETインターナショナルを立ち上げた。RETの設立は、彼女がUNHCRのトップとして在任中に目の当たりにした、特に青少年向けの教育における大規模なギャップを埋めるという緒方のビジョンに基づいていた。
当初「難民教育基金(Refugee Education Trust)」と名付けられたこの組織は、難民の青少年に対する中等教育に特化することを目的とした。緒方は、青少年が機会を与えられなければ、違法行為、ギャング、児童労働、麻薬密売、性的虐待、人身売買、暴力といった危険に極めて脆弱になると考えていた。そのため、RETは彼らがこれらの脅威に立ち向かい、自立するためのスキルを身につけることを目指した。
当初、RETは教育を手段として難民キャンプでのみ活動していたが、難民の移動パターンが変化し新たな危機が発生するにつれて、世界各地で活動のあり方が変化し、難民キャンプ向けに開発された方法論が、脆弱な環境にいる若者全般にも適応可能であることが証明された。
2025年現在も、同組織はジュネーヴに本部を置き、世界15カ国で活動を続けている。UNHCRを含む多数の国連機関、各国政府、民間財団と長年にわたり直接協力し、脆弱なコミュニティに機会を提供している。
3.1.4. アフガニスタン支援政府特別代表
2001年のアメリカ同時多発テロ事件の後、緒方貞子は日本国政府のアフガニスタン復興支援特別代表に任命された。2002年1月21日から22日にかけて開催されたアフガニスタン復興支援国際会議では共同議長を務めた。
3.2. 国際協力機構 (JICA) 理事長

2003年10月1日、緒方貞子は日本国政府によって国際協力機構(JICA)の理事長に任命された。正式な任命前から、JICAの若手職員が彼女のリーダーシップを強く望んでいると報じられていた。彼女は「現場主義」と「人間の安全保障」の概念を重視し、JICAを率いた。アフガニスタンやミンダナオ島での平和構築プロジェクトを推進し、その貢献は特に注目される。緒方のリーダーシップの下、JICAは2008年には貸付支援を追加することで、世界最大の二国間援助機関へと成長した。彼女は8年以上にわたり理事長を務め、2012年4月に退任し、田中明彦が後任となった。
3.3. その他の公職および活動
2002年初頭、小泉純一郎政権は田中眞紀子外務大臣の後任として緒方を打診したが、彼女は就任を辞退した。緒方自身が公に辞退理由を語ることはなかったが、猪口邦子はニューヨーク・タイムズ紙に対し、緒方が「女性の地位向上のために生涯をかけて闘ってきた人物であり、政治的目的に利用されることを嫌がった」と述べている。
緒方は小泉純一郎首相(当時)の私的諮問機関である「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーの一人として、2004年12月27日から2005年11月24日まで活動した。この会議は、皇位継承問題や皇室典範に関する議論を行うため、2005年1月より17回にわたり会合を開いた。2005年11月24日、有識者会議は女性天皇・女系天皇の容認と長子優先を柱とする報告書を提出した。なお、緒方と上皇后美智子はともに聖心女子大学の出身である。
2012年4月17日には、当時の玄葉光一郎外務大臣(野田第1次改造内閣)主催で、東京都内の外務省飯倉会館にて「緒方貞子氏の我が国及び国際社会への貢献に敬意を表すレセプション」が開催された。当時の野田佳彦首相も参加し、「昨年3月に我々が経験した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)において、160を超える国や40を超える国際機関から温かい支援の申し出があったのは、緒方貞子が世界のために最前線に立って汗を流したからこそ、このような世界からの温かいご支援をいただいたのだと思います」と述べ、彼女の国際貢献が日本の災害支援に繋がったと評価した。
緒方はセルジオ・ヴィエイラ・デ・メロ財団の活動にも関与した。
4. 学術活動と著作
緒方貞子は、国際政治学の分野で教鞭をとり、研究活動を行い、数多くの著作を発表した。
彼女は国際基督教大学(ICU)の非常勤講師、後に準教授を務め、1980年からは上智大学で国際政治学の教授として教鞭をとった。上智大学では、国際関係研究所長(1987-1988年)や外国語学部長(1989-1991年)も歴任した。
また、日本における模擬国連活動の創始者の一人であり、組織化された「模擬国連実行委員会」(現在の日本模擬国連)の顧問としてその発足に貢献した。彼女の指導学生には、野林健一橋大学名誉教授や納家政嗣一橋大学名誉教授などがいる。
緒方の主要な著作には以下のものがある。
- Defiance in Manchuria: the Making of Japanese Foreign Policy, 1931-1932, (Greenwood Press, 1964)
- 日本語訳:『満州事変と政策の形成過程』(原書房、1966年)、『満州事変--政策の形成過程』(岩波現代文庫、2011年)
- 『日本における国際組織研究』(総合研究開発機構、1982年)
- Normalization with China: A Comparative Study of U.S. and Japanese Processes, (Institute of East Asian Studies, University of California, 1988)
- 日本語訳:添谷芳秀訳『戦後日中・米中関係』(東京大学出版会、1992年)
- 『難民つくらぬ世界へ』(岩波書店、1996年)
- 『私の仕事--国連難民高等弁務官の十年と平和の構築』(草思社、2002年)
- The Turbulent Decade: Confronting the Refugee Crises of the 1990s(WW Norton, 2005)
- 日本語訳:『紛争と難民--緒方貞子の回想』(集英社、2006年)
- 『共に生きるということ--be humane』(PHP研究所、2013年)
- 共著: At the Global Crossroads : the Sylvia Ostry Foundation Lectures, (McGill-Queen's University Press, 2003)
- 共著: ユニフェム日本『女性と復興支援--アフガニスタンの現場から』(岩波書店, 2004年)
- 共著: 野林健・納家政嗣編 『聞き書 緒方貞子回顧録』(岩波書店、2015年/岩波現代文庫、2020年)
- 共編著: (アンセルモ・マタイス)『世界の難民』(明石書店、1984年)
- 編著: 『転機の海外援助』(日本放送出版協会、2005年)
- 共編著: (半澤朝彦)『グローバル・ガヴァナンスの歴史的変容--国連と国際政治史』(ミネルヴァ書房、2007年)
5. 思想と哲学
緒方貞子の思想は、彼女の多岐にわたる国際経験と学術的探求を通じて形成され、「人間の安全保障」という概念の提唱と実践に結実した。
5.1. 思想形成の背景
緒方の世界観は、幼少期に外交官の父の転勤に伴い、アメリカ合衆国や中国、香港などで過ごした経験によって深く形成された。これにより、彼女は早い時期から多様な文化や国際関係の複雑さを肌で感じ取った。
特に彼女の思想に大きな影響を与えたのは、曽祖父である犬養毅の存在である。犬養毅は1932年の五・一五事件で首相在任中に暗殺されたが、その背景には日本の軍国主義への反対があった。この暗殺は、第二次世界大戦後まで日本の軍部に文民統制が及ばなくなる分岐点となった。緒方はこの出来事を4歳の時に経験し、なぜ日本が曽祖父の死後も無謀な侵略戦争へと突き進んでいったのかという問いに対し、学術的な探求を通じて答えを求めた。カリフォルニア大学バークレー校での博士論文では満州事変と日中戦争の原因を分析し、その後の国際政治学者としての研究活動の基盤となった。この経験は、彼女が国家の安全保障だけでなく、個々の人間の安全と尊厳を重視する「人間の安全保障」の思想へと繋がる原点となった。
彼女はカトリック信者であり、その信仰もまた、彼女の人間に対する深い洞察と奉仕の精神に影響を与えたと考えられる。国際政治学者のロバート・スカラピーノが彼女の学術的指導者であったことも、彼女の知的成長に寄与した。
5.2. 主要な思想と人間安全保障
緒方貞子の思想の中心には、「人間の安全保障」の概念がある。これは、国家の安全保障だけでなく、個々人の生命、生活、尊厳を守ることに焦点を当てるものであり、紛争や貧困、病気、環境破壊など、あらゆる脅威から人々を保護し、その能力を強化することを目指す。
彼女は国連難民高等弁務官として、クルド人難民の事例において、UNHCRの任務を国内避難民の保護にまで拡大する画期的な判断を下した。これは、国境を越えた難民だけでなく、国内に留まらざるを得ない人々の安全も確保するという、「人間の安全保障」の実践的な応用であった。
彼女は、難民の苦境や受け入れ国の負担を無視すれば、新たな暴力が激化するという強い危機感を抱いていた。1995年7月4日のフィラデルフィア自由賞受賞スピーチでは、「もし私たちが難民たちの苦境や彼らを受け入れてきた国々の重荷を無視するなら、私は新たな暴力によって多大な代償を払うことになるのではないかと恐れている。難民が自国で平和と寛容の中で生活に戻れるような条件を、緊急に作り出す必要がある」と述べ、難民の帰還支援と平和構築の重要性を訴えた。
JICA理事長時代には、「現場主義」を徹底し、「人間の安全保障」を日本の開発援助プログラムの中核に据えた。アフガニスタンやミンダナオ島での平和構築プロジェクトを推進するなど、個々の人間が直面する脅威に対し、包括的かつ実践的なアプローチで支援を提供することに尽力した。彼女の思想は、国際協力のあり方に大きな影響を与え、多くの国際機関や国家の政策に反映されている。
6. 私生活
6.1. 結婚と家族
1960年、緒方貞子(当時、中村貞子)は緒方四十郎(1927年 - 2014年)と結婚し、氏名を緒方貞子に改めた。緒方四十郎は、日本銀行の職員として長きにわたり活躍し、後に理事を務めた人物である。また、朝日新聞社副社長や自由党総裁、吉田茂政権で副総理を務めた緒方竹虎の三男にあたる。
貞子と四十郎の間には、長男の緒方篤(映画監督)と一女がいる。
7. 晩年と死去
緒方貞子は、2019年10月22日に92歳で逝去した。日本の青山霊園に埋葬されている。その死没日をもって、従三位に叙せられた。
8. 栄典と受賞歴
緒方貞子は、その輝かしい国際的な功績に対し、数多くの国内および国際的な栄誉、賞、勲章を授与された。
- 1993年:Colombe d'Oro per la Paceイタリア金の鳩平和賞イタリア語(イタリア研究機関 Archivio Disarmo)
- 1994年:自由賞(自由主義インターナショナル)、欠乏からの自由賞(4つの自由賞)
- 1995年:フィラデルフィア自由賞(ナショナル・コンスティテューション・センター)
- 1995年:アメリカ哲学協会会員
- 1996年:フェリックス・ウーフェ=ボワニ平和賞(国際連合教育科学文化機関)
- 1997年:マグサイサイ賞平和・国際理解部門(ラモン・マグサイサイ賞財団)
- 1999年:朝日賞特別賞(朝日新聞社、朝日新聞文化財団)
- 2000年:ソウル平和賞(ソウル平和賞文化財団)
- 2001年:文化功労者(日本)
- 2001年:インディラ・ガンディー賞(インディラ・ガンディー記念財団)
- 2001年:ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章
- 2001年:レジオンドヌール勲章コマンドール(フランス)
- 2001年:イタリア共和国功労勲章カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ
- 2001年:北極星勲章コマンデール第1等級(スウェーデン)
- 2001年:友好勲章(ロシア)
- 2002年:フルブライト賞(フルブライト・プログラム)
- 2002年:エレノア・ルーズベルト・ヴァルキル勲章
- 2002年:ブラウン大学名誉人文学博士
- 2003年:文化勲章(日本)
- 2004年:東京都名誉都民
- 2005年:世界市民賞(ガールガイド・ガールスカウト世界連盟)
- 2006年:ラカンドゥラ勲章マリンガル・ラ・ピヌノ(フィリピン)
- 2008年:オラニエ・ナッサウ勲章グラントフィシエ(オランダ)
- 2009年:後藤新平賞(後藤新平の会)
- 2011年:聖マイケル・聖ジョージ勲章デーム・コマンダー(DCMG)(イギリス)
- 2011年:国家友好章(ダネケル章)(キルギス)
- 2012年:地球市民賞(大西洋評議会)
- 2013年:アステカ鷲勲章バンダ(メキシコ)
- 2013年:シカツナ勲章ダトゥ(フィリピン)
- 2017年:マザー・テレサ人道メダル(コソボ)
9. 系譜
緒方貞子の家族は、日本の政治史や外交史において重要な位置を占める名家である。
彼女の曽祖父は、五・一五事件で暗殺された第29代内閣総理大臣の犬養毅である。祖父は外交官で犬養内閣の外務大臣を務めた芳澤謙吉。母の恒子は、外交官で元フィンランド特命全権公使の中村豊一の妻であり、犬養健(大叔父、元法務大臣、作家)の子である犬養道子(評論家)、犬養康彦(元共同通信社社長)、安藤和津(エッセイスト)とは従姉妹の関係にあたる。
夫である緒方四十郎(元日本銀行理事)は、朝日新聞社副社長や自由党総裁、吉田茂政権で副総理を務めた緒方竹虎の三男である。緒方姓は、竹虎の祖父にあたる緒方郁蔵(本姓大戸氏、備中国出身)が緒方洪庵と義兄弟の盟を結び、その姓を名乗らせたことに由来する。長男は映画監督の緒方篤である。
また、外務事務次官や在アメリカ合衆国日本大使を務めた外交官の井口貞夫は義理のおじにあたる。外務事務次官や侍従長を務めた外交官の川島裕、そして慶應義塾大学教授で戦後に米国留学し、日本の女性国連職員の草分けである佐々波楊子(旧姓川島)も従弟にあたる。
10. メディア出演と著作紹介
緒方貞子の生涯や業績は、数多くのドキュメンタリーやテレビ番組で紹介されてきた。
- 日経スペシャル カンブリア宮殿 「世界が日本を待っている! ~団塊世代と国際貢献~」(2006年9月11日、テレビ東京)
- 100年インタビュー(2011年1月27日、NHK BShi)
- NHKスペシャル「緒方貞子 戦争が終わらない この世界で」(2013年8月17日、NHK)
- 映像の世紀 バタフライエフェクト「難民 命を救う闘い」(2022年7月25日、NHK)
- 先人たちの底力 知恵泉「緒方貞子」(2023年9月12日、19日、NHK Eテレ)
- アナザーストーリーズ 運命の分岐点「小さな巨人 緒方貞子~命をつなぐ現場主義~」(2023年10月6日、NHK)