1. 概要
菅野博文は1947年に東京で生まれ、幼少期より齋藤秀雄に師事した日本の著名なチェロ奏者である。スイスのピエール・フルニエ、アメリカのヤーノシュ・シュタルケルといった世界的巨匠のもとで研鑽を積み、特にチャイコフスキー国際コンクールでの入賞は、彼の国際的なキャリアの幕開けとなった。教育者としても、アメリカの大学で教鞭を執った後、日本帰国後は昭和音楽大学名誉教授として多くの後進を育成。演奏活動においては、紀尾井シンフォニエッタ東京や紀尾井ホール室内管弦楽団に所属し、またヨーゼフ・グァルネリウス製チェロを愛用するなど、常に第一線で活躍し続けている。
2. 経歴
菅野博文は、その生涯において数々の著名な師に学び、国内外で輝かしいキャリアを築いたチェロ奏者であり教育者である。彼の音楽の旅は、日本の初期教育から始まり、国際的な舞台での成功、そして後進の指導へと展開していった。
2.1. 初期教育
菅野博文は1947年に東京で生まれた。7歳の時に齋藤秀雄にチェロを師事し始め、その後も桐朋学園子供のための音楽教室を経て、桐朋学園大学へと進み、引き続き齋藤秀雄のもとで研鑽を積んだ。1970年に同大学を卒業した。
2.2. 海外留学と主要コンクール
大学卒業後、菅野博文はさらなる高みを目指し海外へと渡り、国際的な舞台でその才能を発揮した。
2.2.1. 留学生活
1970年、菅野博文はスイスへと渡り、世界的なチェロ奏者であるピエール・フルニエに師事した。その2年後の1972年にはアメリカへ移り、インディアナ大学でヤーノシュ・シュタルケルに師事。1975年にはシュタルケルの助手も務めるなど、巨匠たちから直接指導を受ける貴重な経験を積んだ。
2.2.2. 主要コンクールでの受賞
留学中も積極的に演奏活動を行い、国内外の主要な音楽コンクールで数々の賞を受賞した。
- 1969年:第38回日本音楽コンクールチェロ部門で第1位を受賞するとともに、海外派遣コンクールでも第1位に輝いた。
- 1974年:第5回チャイコフスキー国際コンクールのチェロ部門で第3位に入賞し、同時にソ連作曲家課題曲優秀演奏者特別賞も受賞した。
2.3. 教育者・演奏家としての活動
帰国後も菅野博文は、日本を代表するチェロ奏者の一人として、また教育者として多岐にわたる活動を展開し、数多くの音楽家を育成してきた。
2.3.1. 教育機関での活動
1976年には、ケンタッキー大学レキシントン校の助教授を務めた後、フィラデルフィアのテンプル大学で准教授に就任し、アメリカでも教育者としてのキャリアをスタートさせた。その後、日本を拠点に活動するようになってからも、昭和音楽大学で教鞭を執り、現在は同大学の名誉教授を務めている。指導者としてチェリストに留まらず、多くの音楽家を輩出している。
2.3.2. 演奏活動と所属団体
1975年には日本でデビューリサイタルを開催。アメリカ滞在中は、チェスナットヒルズ・レジデントトリオ、ファカルティトリオ、テンプルトリオのメンバーとして、主にアメリカ国内で演奏活動を展開した。1981年からは日本を拠点に活動し、日本を代表するチェリストとして第一線で活躍。また、紀尾井シンフォニエッタ東京および紀尾井ホール室内管弦楽団に所属し、主要な演奏家の一員として活動した。
2.3.3. 使用楽器と共演者
菅野博文は、昭和音楽大学が所蔵する1689年製の銘器ヨーゼフ・グァルネリウスのチェロを使用していた経験がある。近年では、ヴァイオリニストのジェラール・プーレやピアニストの戸室玄といった著名な演奏家たちと頻繁に共演している。
3. 人物
菅野博文は、公衆に知られている個人的な趣味や嗜好として、猫を愛し、マクドナルドを好むといった一面を持っている。
4. ディスコグラフィ
菅野博文が参加した主なアルバムおよび録音作品は以下の通りである。
- 高田三郎:器楽作品集
- 演奏者:高田江里、松田洋子、菅野博文、高田三郎
- 三善晃:ギターのための作品
- 演奏者:芳志戸幹雄、戸田弥生、松野弘明、店村眞積、菅野博文
5. 評価と影響
菅野博文は、その演奏活動と教育者としての功績を通じて、日本の音楽界に大きな影響を与えた。彼のチェロ演奏は、その独特の個性的で際立ったスタイルが高く評価された。また、彼は指導者としても非常に多くの音楽家を育成し、チェロの分野のみならず、日本のクラシック音楽界全体の発展に貢献している。