1. 経歴・人物
薬師丸ひろ子は、幼少期から学生時代にかけての経験や、芸能界でのデビューから現在の活動に至るまでの主要な出来事、そして公私にわたる人間関係や自己認識を通じて、その多面的な人物像を築き上げてきた。彼女のキャリアは、角川映画でのブレイク、相米慎二監督との出会い、そして独立後の女優・歌手活動の変遷によって特徴づけられる。
1.1. 生い立ちと学業
薬師丸ひろ子は1964年6月9日に東京都渋谷区の日本赤十字病院で2人姉妹の次女として誕生し、港区青山で育った。身長は154.5 cm、血液型はA型である。両親は共働きで、幼い頃は祖母に背負われて下校することもあった。青山という土地柄、周囲には芸能界関係者が多く、自身は「都会の田舎育ち」と称するように、華やかな世界への憧れは特になかったという。
幼稚園ではくるくるパーマの園児が多い中で直角おかっぱ頭に劣等感を抱き、人前に出るのが苦手な子供だったが、小学校に入ると目立つ存在に変わっていった。得意科目は体育で、高校3年生までリレーの選手を務めるほど足が速かった。
角川春樹によれば、薬師丸は芸能界に憧れて入ってきたわけではない。写真家・会田我路が『野性の証明』の娘役に合う少女を探しており、港区立青山中学1年だった薬師丸を地元で偶然見かけスカウトした。小さな芸能事務所が送ったスナップ写真の中に薬師丸の写真があり、彼女自身は2次審査通過の通知で初めて自分の写真が送られていたことを知った。薬師丸と母親は最終審査で落選することを望んでいたが、審査員の角川春樹が将来性を見抜き強く推したことで、オーディションに優勝してしまった。角川は審査員であったつかこうへいからピンク・レディーを歌うようにリクエストされた薬師丸が素っ気なく断ったその気の強さも気に入ったという。オーディションの翌日、新聞に自分の名前が大きく掲載されているのを見て、芸能界入りを拒むことは不可能だと悟り、映画出演を決意した。
デビュー作『野性の証明』の撮影で学業に支障が出たため、薬師丸は「学校を欠席する必要のないこと」を仕事の条件として要求した。その結果、2作目の『戦国自衛隊』は祝日のみの撮影となり、それ以降も大学卒業まで、学校の春夏の休暇を利用して映画撮影を行うなど、学業を優先する姿勢を貫いた。薬師丸は撮影現場を「第2の義務教育」と捉え、監督やスタッフを父親のように慕っていた。
高校の恩師は、薬師丸が芸能人だからといって学校を休むことを許さず、「普通の高校生」として生活することを強く促した。校門の前でファンが待ち構えたり、学校の壁一面に落書きがされたりすることもあったが、同級生たちに守られながら普通の高校生活を送ることができた。この「普通の高校生」というイメージは、当時の薬師丸の人気を支える大きな要素となった。
大学受験に関しては、父親からは芸能の仕事を活かすべきだと反対されたが、母親からは大学進学を後押しされた。休業中の1982年12月、玉川大学への推薦入学が公表され、1983年4月に玉川大学英米文学科に入学。彼女の入学により、同大学の志願者数が急増した。大学生活はハードで、昼食を学食で220 JPYのラーメンを食べている姿が写真週刊誌に掲載されることもあった。1年生の時に病気で休学したため、5年間の大学生活を経て1988年3月に卒業した。薬師丸は、女優と学生という二つの顔を明確に使い分けていたとされている。
1.2. デビューと角川映画時代 (1978年 - 1985年)
薬師丸ひろ子の芸能界でのキャリアは、角川映画との出会いから始まり、瞬く間にトップスターへと駆け上がった。この時代は、彼女の演技力と歌手としての才能が開花した時期であり、日本映画界に大きな影響を与えた。
1.2.1. スクリーンデビューからブレイクまで
1978年10月、高倉健との共演映画『野性の証明』でスクリーンデビュー。この映画は角川映画初の邦画年間興行ランキング1位を記録した。薬師丸は引退を考えていたが、角川春樹事務所は彼女を芸能界に留めるため、TBS系の単発ドラマ『装いの街』(1979年)や資生堂のカンヌ国際広告祭金賞受賞CM「色」に出演させた。1982年に劇場公開された『装いの街』は、後に薬師丸自身が石井ふく子の役を演じるきっかけとなる。
1979年、高校受験のため女優業を休止するも、角川文庫キャンペーンポスターや雑誌『バラエティ』でのグラビアが好評を博し、初写真集『薬師丸ひろ子フォトメモワール』は高額ながら10万部を超えるベストセラーとなった。同年、キティ・フィルム代表の多賀英典から相米慎二監督の『翔んだカップル』(1980年)への出演を直接交渉され、当初は固辞したものの高倉健のアドバイスを受けて出演を承諾。この映画で第2回ヨコハマ映画祭主演女優賞と第4回日本アカデミー賞話題賞(俳優部門)を受賞した。
1981年には大林宣彦監督の『ねらわれた学園』と、再び相米慎二監督と組んだ『セーラー服と機関銃』の2本の主演映画が公開され、いずれも大ヒット。特に『セーラー服と機関銃』は1982年度邦画配給収入1位を記録し、薬師丸は一躍日本映画界を代表する青春スターとなった。映画の中で機関銃を乱射するシーンの「カイ・・・カン」というセリフは、台本に書かれていたものだが、撮影中に左頬に割れたビンの破片が当たるアクシデントがありながらも、演技を続けた生々しい映像が採用された。
『セーラー服と機関銃』公開2日目の大阪での舞台挨拶では、約8,000人のファンが殺到し、機動隊が出動する騒ぎとなり、舞台挨拶も上映も中止に追い込まれた。この騒動は新聞の社会面トップ記事になるほどで、薬師丸が大阪を訪問するには長らく警察の許可が必要となった。同月、薬師丸は「翌年の大学受験のため仕事を控える」と休業宣言を行った。
1982年4月には、第2の薬師丸ひろ子を発掘する「角川・東映大型女優一般募集」オーディションが開催され、渡辺典子や原田知世が選ばれ、彼女たちと共に「角川三人娘」と呼ばれるようになった。
休業中の1982年11月、次作『探偵物語』の撮影が薬師丸の受験合否に関わらず行われることが発表された。1983年7月に公開された同作(共演:松田優作)は、薬師丸が出演した角川映画の中で最高の興行収入である51.00 億 JPYを記録した。その後も『里見八犬伝』(1983年)、『メイン・テーマ』(1984年)に主演し、ヒットを続けた。
澤井信一郎監督の『Wの悲劇』(1984年)は、興行的な成功だけでなく、演技面でも高く評価され、薬師丸の代表作の一つとなった。彼女はこの作品で第27回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。受賞式では「この映画で燃え尽きたので、(女優を)やめようと思った。でも、この賞は私に頑張れという励ましの意味でいただけたと思います」とスピーチした。澤井監督は、薬師丸の天性の役のつかみ方や声量、リズム感を絶賛している。
角川映画ブームの中心的存在であった薬師丸は、その時代の邦画界を牽引した。
1.2.2. 相米慎二監督との交流
薬師丸ひろ子にとって、相米慎二監督は演技の厳しさを教え、女優としての基盤を築いた重要な人物である。
『翔んだカップル』(1980年)の撮影では、相米監督は演技経験の少ない薬師丸が納得のいく演技ができるまで時間をかけた。薬師丸は、その時間の長さが監督の愛情だと回顧している。監督に気に入られるため、何度も自転車で壁に突っ込むシーンに挑戦したという。新人の相米監督の苦しい立場を理解しつつも、薬師丸は彼を兄のように慕い、また時には対等に渡り合う気概も持っていた。相米監督は「ゴミ」「クズ」「ガキ」と罵声を浴びせたり、「しごき棒」で叩いたり突いたりすることもあったが、薬師丸はそれを監督から映画に参加する資格を与えられているように感じていた。キャメラマンの仙元誠三は、相米監督と薬師丸の間には互いを理解し合う関係性があったと語っている。
『翔んだカップル』での相米監督との相性が非常に良かったため、次の『ねらわれた学園』(1981年)で大林宣彦監督の現場に慣れるのに時間がかかり、これを薬師丸は「相米病」と表現した。『セーラー服と機関銃』(1981年)が大ヒットした際、普段は感情を表に出さない相米監督が満員御礼の映画館を見て心から喜ぶ姿に、薬師丸も喜びを感じたという。
薬師丸が相米監督に最後に会ったのは、監督が亡くなる前年の2000年12月で、久しぶりに相米組が集まった時であった。薬師丸は後に、『キネマ旬報』の相米慎二追悼特集(2001年)で、相米監督から生身の姿を人前にさらけ出す覚悟や演じることの厳しさ、怖さを教わったと語っている。そして、あの時期があったからこそ女優を続けられているとも述べた。松本隆との対談では、薬師丸は原点である『セーラー服と機関銃』が相米監督の死によって「思い出」になってしまうことが悲しいと語っている。
1.2.3. 角川事務所からの独立
薬師丸ひろ子は主演映画のヒットが続いていたにもかかわらず、女優を辞めたいという気持ちを抱き続けていた。
角川春樹社長の「いつ辞めてもいい。でも、もったいないぞ」という言葉に、7年間その気持ちを抑えていたが、20歳の時、ユーミンの苗場コンサートを訪れた際にスキーで開放感を味わったことをきっかけに、所属事務所を辞める決心をした。1985年3月26日、薬師丸は角川春樹事務所から独立。角川社長は「分かった。でも、もったいないぞ。やりたくなったら、またいつでも始めろよ」と快く送り出したという。独立の報道を受け、自宅に殺到する取材陣に困惑した家族のため、同月、個人事務所オフィス・メルを設立した。
薬師丸は既にブルーリボン賞の授賞式で、多様な作品に挑戦し芸域を広げるためフリーになりたいと宣言していた。独立後、複数の芸能事務所から勧誘があったが、薬師丸は完全なフリーランスの道を選んだ。
『セーラー服と機関銃』の原作者である赤川次郎は、同作と『翔んだカップル』を監督した相米慎二、そして『Wの悲劇』を監督した澤井信一郎の2人が薬師丸の魅力を最大限に引き出したと評価している。相良智弘は、1980年代の邦画を牽引した角川映画ブームの中心的存在が薬師丸であったと解説している。
1.3. 独立後の活動 (1985年 - 現在)
角川事務所からの独立後、薬師丸ひろ子は女優として、また歌手として、着実にその活動の幅を広げていった。特に2000年代以降は、円熟した演技と変わらぬ歌声で多くの作品に出演し、幅広い世代から支持を得ている。
1.3.1. 1980年代後半から1990年代
1985年に日本映画解禁後の台湾で『里見八犬伝』(1986年台湾公開)が大ヒットし、薬師丸が宣伝のために台湾を訪れると連日マスコミを賑わせた。当時の台湾では日本語使用に規制があったため、彼女はインタビューや歌の披露に英語を用いた。
薬師丸は2005年のインタビューで、独立後の正月映画『野蛮人のように』(1985年)と『紳士同盟』(1986年)を模索していた時期の作品と振り返っている。『紳士同盟』は興行的には振るわず(配給収入は9.50 億 JPY)、寺脇研は薬師丸のアイドルとしての「神通力」が衰えたと感じたものの、薬師丸はこれを機にアイドルではなく女優として着実に歩むことになった。1988年には山田洋次監督の『ダウンタウン・ヒーローズ』に、1989年には桃井かおりと再共演した『レディ! レディ READY! LADY』に出演している。
1989年には、冷戦終結により外国人が立ち入れるようになったサハリン(樺太)を訪れたドキュメンタリー番組『薬師丸ひろ子が見た!サハリン(樺太)縦断1000キロ』(フジテレビ)に出演し、第7回ATP賞優秀賞ノンフィクション部門を受賞。この番組内で「故郷」を歌唱した経験は、彼女にとって特別なものとなった。1992年には続編も放送されている。
1990年、滝田洋二郎監督の『病院へ行こう』では、共演者にスポットが当たる作品の面白さに引き込まれたと語っている。この作品と、オーストラリアのタスマニア島を舞台にした『タスマニア物語』(1990年)により、第14回日本アカデミー賞話題賞(俳優部門)を受賞した。1992年の映画『きらきらひかる』では、同性愛の夫とアル中の妻、そして夫の恋人の三角関係を描き、大人の女性としての演技が高く評価され、高崎映画祭最優秀主演女優賞を受賞した。
1997年には、『装いの街』(1979年)以来18年ぶりにテレビの連続ドラマ『ミセスシンデレラ』に主演し、ザテレビジョンドラマアカデミー賞主演女優賞を受賞した。映画を中心にキャリアを重ねてきた「銀幕女優」としての彼女は、テレビの早い制作サイクルに戸惑いを感じたが、この出演が彼女の活動の幅を広げるきっかけとなった。同年、NHKドラマ『熱の島で~ヒートアイランド東京~』でも演技が高く評価され、第24回放送文化基金賞女優演技賞を受賞している。ドラマ評論家の樋口尚文は、薬師丸出演のテレビドラマでは、井上由美子脚本の『熱の島で~ヒートアイランド東京~』や山田太一脚本の『香港明星迷』のような、作家性の強い作品に見るべきものが多いとしている。
1.3.2. 2000年代以降の女優業
2000年には、『キネマ旬報』誌上の「映画を愛する74人の著名人が選んだ20世紀の映画スター 女優編」で日本女優第14位、読者が選んだ女優部門では第10位にランクインした。さらに、「映画館をいっぱいにしたマネーメイキング・スター」日本篇では、渥美清、西田敏行に次いで第3位を記録した。2014年刊行の『オールタイム・ベスト映画遺産 日本映画男優・女優100』では、京マチ子、杉村春子、倍賞美津子らと並び日本映画女優の第11位に選ばれている。
2002年には宮藤官九郎脚本のドラマ『木更津キャッツアイ』に浅田美礼(美礼先生)役で出演した。宮藤の朴訥とした人柄を知っていたため、学校にタヌキの置物の爆弾を仕掛けるような奇抜な役を引き受けることができたという。この作品で演技の楽しさを再認識し、その後も宮藤作品(映画版『木更津キャッツアイ』2本、ドラマ『タイガー&ドラゴン』、『うぬぼれ刑事』、『あまちゃん』など)に継続的に出演している。薬師丸は、宮藤作品では母親役のオファーが多い中で、未婚で子供のいない役や殺人者でない役が割り振られることに感謝し、宮藤には全幅の信頼を寄せている。
『ナースコール』(1993年)以後の10年間は、映画出演が少なく、ドラマやミュージカル(『雨に唄えば』、ミュージカル『シュガー』など)での活動が主であった。薬師丸はこの時期を、良い経験や修行の期間、試練であったと振り返っている。
2005年、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』やドラマ『1リットルの涙』での母親役の演技が高く評価され、多数の映画賞やドラマ賞を受賞した。自身に子供がいないため母親役に不安もあったが、街中での人間観察や想像で役を補ったという。この時期の受賞について、薬師丸は自身のキャラクターと役がうまくマッチした結果であると語り、素晴らしい作品に出会えたこと、そして観客が強く感じてくれたことに感謝を示した。彼女は『ALWAYS 三丁目の夕日』の続編2作(『ALWAYS 続・三丁目の夕日』、2007年、『ALWAYS 三丁目の夕日'64』、2012年)でも鈴木トモエ役を演じている。また、2007年には『1リットルの涙』のスペシャルドラマ『1リットルの涙 特別編~追憶~』が放送された。
2006年3月にはシネマヴェーラ渋谷で「女優 薬師丸ひろ子の軌跡」と題する特集上映が開催され、同年10月10日に日本郵便が発行した特殊切手「日本映画II」では、『セーラー服と機関銃』が代表的な日本映画10作品の一つに選ばれた。
2009年9月12日放送の土曜プレミアム『戦場のメロディ~108人の日本人兵士の命を救った奇跡の歌~』では、渡辺はま子の実話を基にした主役を演じ、1か月の歌のレッスンを経て劇中で「ああモンテンルパの夜は更けて」などを歌唱した。この歌唱経験は、映画『今度は愛妻家』(2010年)の公開記念コンサートへと繋がり、同作で第34回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した。
2010年代に入ると、薬師丸は木皿泉脚本の作品に数多く出演するようになった。2012年には、木皿泉作品への出演を熱望していたことから、14年ぶりに舞台『すうねるところ』に主演。木皿作品の魅力を「心臓をぎゅっと掴まれるようなセリフ」「キラキラしたセリフ」と表現し、木皿泉は薬師丸を「SF風の意味不明なセリフでもリアルに言える」「消費されない存在感のある女優」と評している。
2013年4月から9月にかけて放送されたNHK連続テレビ小説『あまちゃん』では、初の朝ドラ出演を果たし、大女優・鈴鹿ひろ美役を演じた。当初はセリフ量や撮影時間の多さに不安を感じていたが、プロデューサーから渡された台本を読み、出演を決意した。鈴鹿ひろ美には「音痴」という設定があったが、ドラマ最終週で本来の歌唱力を披露すると大きな反響を呼んだ。薬師丸は、役作りのために東日本大震災の被災現場を訪れ、「潮騒のメモリー」を犠牲者追悼の賛美歌のようにしたいと考え、メロディーとテンポを変えて歌うことを提案していた。この役は「抜群の存在感」と評価され、彼女の歌う機会が増えたことで、若い世代には歌手として、上の世代には懐かしい歌声として認知されるきっかけとなった。
2003年からナレーションを担当する紀行・料理番組『食彩の王国』(テレビ朝日系)は2013年に10周年を迎え、放送回数も500回を超えている。
薬師丸がナビゲーターを務めた『ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男~』(2013年)はATP賞情報・バラエティー部門最優秀賞と放送文化基金賞テレビエンターテインメント番組優秀賞を、主演し主題歌も担当した『こうのとりのゆりかご~「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来~』(2013年)は文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門優秀賞を受賞している。
2014年3月、シリアスからコメディーまで、主演・助演の両方をこなすベテラン女優としての功績が評価され、放送ウーマン賞2013を受賞。授賞式では、芸能生活35年が「混沌として計画的なものではなかった」と振り返り、「早めの失敗があったから頑張れた」と語った。
薬師丸がナレーションを担当したドラマ『赤めだか』(2015年)は放送文化基金賞テレビドラマ部門最優秀賞を、小泉今日子と共に主演した『富士ファミリー』(2016年)はATP賞テレビグランプリのドラマ部門最優秀賞をそれぞれ受賞した。薬師丸は続編『富士ファミリー2017』(2017年)でも小国鷹子を演じている。
2016年3月、ドキュメンタリー『ガウディの迷宮~サグラダ・ファミリア100年の夢~』では、「生誕のファサード」を完成させた彫刻家、外尾悦郎と共にガウディゆかりの地を訪ねた。同年7月、スウェーデンを舞台にしたドラマ『百合子さんの絵本 ~陸軍武官・小野寺夫婦の戦争~』では小野寺百合子を演じた。
2017年12月には、出演した映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』と『8年越しの花嫁 奇跡の実話』が公開された。『8年越しの花嫁 奇跡の実話』での演技は高く評価され、第41回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞している。2018年にはドラマ『アンナチュラル』と映画『コーヒーが冷めないうちに』に出演。同年12月には長編時代劇コメディー『LIFE!スペシャル 忍べ!右左ヱ門』に参加した。
2019年、『いだてん~東京オリムピック噺~』でNHK大河ドラマに初出演した。
2020年代に入り、2020年には7年ぶり2度目のNHK朝ドラとなる『エール』に出演し、ヒロインの母親・関内光子を演じた。第90回で讃美歌「うるわしの白百合」を、最終回(第120回)では「高原列車は行く」を披露し、大きな反響を呼んだ。同年10月には角川春樹監督の最後の映画となる『みをつくし料理帖』が公開された。
2021年にはTBSテレビ系金曜ドラマ『最愛』で社長の母親役を演じ、2022年には映画『とんび』と、声だけの出演となった『川っぺりムコリッタ』に出演。連続ドラマ『拾われた男 LOST MAN FOUND』では、主人公を拾う芸能事務所の社長・山村ひろ子を演じた。2023年には、テレビ朝日系で2夜連続スペシャルドラマ『キッチン革命』で壮年期の主役・香美綾子を演じている。
2024年、長きにわたって映画ファンを楽しませてきた実績が評価され、第78回毎日映画コンクール 田中絹代賞を受賞した。
1.4. 私生活と人間関係
薬師丸ひろ子の私生活は、公の活動とは一線を画しながらも、結婚や離婚、そして特定の人物との深い関係が、彼女の芸能活動や人間形成に影響を与えてきた。
1.4.1. 結婚と離婚
1991年1月、薬師丸ひろ子は安全地帯の玉置浩二とハワイのマウイ島の教会で挙式した。結婚後1年間は芸能活動を完全に休業し、主婦業に専念した。この結婚により、彼女の戸籍上の氏名は1992年から1998年まで玉置浩子であった。安全地帯のコンサート・ツアーに同行することもあり、1996年12月に玉置が大腸の炎症で入院した際には、看病だけでなく生放送の音楽番組に代理で出演し、謝罪の言葉を述べる一幕もあった。
しかし、結婚生活は7年半で終わりを告げ、1998年6月5日の薬師丸の誕生パーティーの席で玉置との離婚を発表した。薬師丸は、この離婚を「2人が幸せを掴むためのスタートラインに再度立つこと」と表現している。離婚後も、薬師丸は2016年のインタビューで、歌が上手い歌手として玉置の名前を挙げている。
1.4.2. 高倉健との師弟関係
薬師丸ひろ子の女優としての原点には、デビュー作『野性の証明』(1978年)で共演した高倉健との深い師弟関係がある。
映画の製作発表の席で、高倉健は13歳の薬師丸に「これからよろしくお願いします」と大きな手を差し出した。この言葉に感激した薬師丸は、高倉に嫌われないよう、迷惑をかけないよう努力しようと決意した。高倉からは大きなラジカセをプレゼントされ、それを愛用した。
高倉から言われた「チャラチャラするなよ」という言葉は、薬師丸自身の芸能活動における原点となり、彼女はこれを「一番厳しい、怖い言葉」と同時に「ありがたい言葉」として心に刻んできた。薬師丸は、高倉に大学合格を報告すると大変褒めてくれたことや、常に褒められることで頑張るしかなかったというエピソードを語っている。
体調不良で医者に運動を勧められた際、高倉健の勧めで同じジムに入会したが、しばらくして高倉から「ジムに毎日来る奴に、幸せな奴はいないんだ」と言われ、ジム通いをやめたという。
1979年6月には高倉健主演の映画『動乱』(1980年)の撮影現場を訪問し対談している。その後も交流は続き、2011年11月には高倉健の遺作となった映画『あなたへ』(2012年)の撮影現場も訪れている。この訪問で俳優としての高倉健の姿を目に焼き付けられたことが、今後の人生の糧になると語っている。
2014年11月に高倉健の訃報を聞いた際、薬師丸は「体から魂が抜けていった感じがした」とラジオで語った。同12月には高倉健追悼の特別番組でパーソナリティを務め、その年の第65回紅白では「今年色々な出会いや別れがありましたが、紅白という晴れやかな舞台で、目に見えない遠くまで歌が届くといいなと思います」と、高倉健への思いを込めて歌唱した。
1.4.3. 芸能界への姿勢と自己認識
薬師丸ひろ子はデビュー時から、芸能界の華やかさとは一線を画した独自の立ち位置を築いてきた。
20歳の時、映画『Wの悲劇』(1984年)の出演後に俳優を辞める決意をした。自信と映画への情熱を失い、仕事中心の生活からの解放を求め、精神的に追い詰められていたと当時を振り返っている。一時は引退も考えたが、撮影現場で「飽きない、冷めない、慣れない」の三原則を自らに課し、女優として再出発した。この頃、30歳になったら良い母親役ができる女優になりたいと願望を語っていた。
30代半ばに女優を続けるか悩んでいた頃、渡米してカウンセリングを受けた。カウンセラーに「あなた、もう20年以上も俳優を続けてきたのでしょう?そんなに続けられたのに向いてないわけないでしょう。もういいんじゃないの、悩まなくても」と言われたことで目が覚め、「自分は好きだからこの仕事(俳優)をしているんだ」と再確認し、人に望まれる限り女優を続けたいと話している。それ以来、演じたい役や表現したいことに出会った時に、それを体現できるようになることを目標としている。
薬師丸は、自身の学生時代に映画を観ていた同世代の監督やスタッフと、現在映画やテレビの仕事ができることに感謝している。例えば、映画『今度は愛妻家』(2010年)を監督した行定勲は『セーラー服と機関銃』を観て映画に興味を持ったと語っている。また、彼女が初主演したドラマ『ミセスシンデレラ』(1997年)のプロデューサー小岩井宏悦は、映画『Wの悲劇』を業界入りのきっかけに挙げている。
雑誌やコマーシャルのスタイリストをしていた小川久美子は、デビュー直後から角川春樹事務所独立後の『タスマニア物語』(1990年)まで薬師丸の衣装を担当し、薬師丸との出会いが自身の人生の転機となり、映画の衣装デザイナーに転身したと語っている。
ドラマ『あまちゃん』(2013年)で薬師丸演じる鈴鹿ひろ美が天野アキに言ったセリフ「続けていくのも才能よ」「向いてないけど、続けるっていうのも才能よ」は、薬師丸自身を励ます言葉のように感じているという。
2014年3月の放送ウーマン賞2013授賞式で、彼女は芸能生活35年を振り返り「子供の時から地味で社交性がなかった私が、皆さんのおかげで表舞台に立たせていただいて、35年間この仕事を続けることができた」と感謝を述べた。2017年のインタビューでも、彼女の芸能人生は甘くなく順調ではなかったと回顧しつつも、どこかに奇跡が転がっていると付け加えている。
薬師丸は「テレビに進出しない」「銀幕でしか会えない」という角川側の神秘化戦略や、歌手デビューが遅かったこと、学業優先の姿勢、そして彼女自身の資質が「映画スター」としての魅力を生み出したと分析されている。「普通の一般人」に見えることが薬師丸の魅力とされ、歌手デビュー時には古参ファンから「アイドル歌手じゃないんだぞ」と叱られた。2013年時点でも、華やかな芸能界には馴染めないし、馴染まないと語っている。『セーラー服と機関銃』(1981年)の撮影時、業界特有の挨拶ではなく、目上のスタッフや役者に対しても日常的な挨拶を貫いた。また、サインは芸能人らしい崩した書き方ではなく、普通の女の子がテスト用紙に記入するような整った楷書でしている。彼女のファンが多いのは、大人のあやつり人形ではなく自分の言葉で話し、勉学や仕事に対して自らの意志を貫き、大人社会の中で健気に頑張る姿が同性のファンにアピールした結果だと分析されている。
1.4.4. その他のエピソード
薬師丸ひろ子には、彼女の人間性を垣間見せる様々なエピソードがある。
- 自動車の運転**: 映画『里見八犬伝』(1983年)撮影中に、次作『メイン・テーマ』(1984年)のために自動車運転免許が必要となり教習所に通った。同時期に竹内まりやも同じ教習所に通っており、薬師丸が教習所近くの中華料理店でサラリーマンと相席で餃子定食を食べた話を聞き、竹内は薬師丸と友達になれると感じたという。薬師丸は特に車庫入れが得意で、タクシー運転手から褒められたこともある。東京で生まれ育ったため都内の道に詳しく、道に不案内なドライバーの助手席はストレスが溜まると話している。
- 日記と旅行**: 高校時代、自分の存在が皆に知られているように感じて苦しくなり、衝動的に友達と軽井沢へ出かけたことがある。1998年のインタビューで、薬師丸は精神的にバランスを崩している時には現実逃避の旅に出ると語っている。5年連用日記をつけており、毎年同じ時期に旅に出ているか、深く悩んでいるかの周期性に驚かされるという。日記を読み返すことで「人生はこんなものだ」と自分に言い聞かせることができるとも話している。2005年のインタビューでは10年分が一覧できる日記をつけているが、毎年季節の変わり目には感傷的になるという同じパターンを繰り返していると語った。
- 愛犬家**: これまでに3匹の犬を飼っていた。ほとんど鳴かない柴犬が屋外の配電盤からの漏電を吠えて教えてくれたり、ラブラドールが自宅に侵入しようとした自動車泥棒を阻止してくれたりするエピソードがある。2016年現在は犬を飼っていないが、近所の犬を借りて毎朝夕5~6kmの散歩に付き合ってもらっている。一方、猫の毛に対しては極度のアレルギーを持っている。
- 児童劇団受験**: 児童劇団を一度受験し、入所金の支払いも済ませていたが、結局入団せず返金してもらった経験がある。
- スカウト**: TBSラジオが明治神宮外苑で開催していたイベント「東京バザール」でスカウトされたことがある。
- 芸名変更**: 1978年10月公開の映画『野性の証明』より早く、同年5月スタートのテレビドラマ『敵か?味方か?3対3』で演技経験を積んだ。また、『野性の証明』の公開前に本名の薬師丸博子から芸名の薬師丸ひろ子に変更している。
- キャッチコピー**: デビュー時のキャッチコピーは「ひろ子という字何度ノートに書いたっけ」だった。
- 同級生との共演**: 映画『翔んだカップル』や『レイクサイド マーダーケース』で共演した鶴見辰吾は、幼稚園・小学校の同級生である。
- クイーンへのインタビュー**: 1981年に映画『フラッシュ・ゴードン』の宣伝とコンサートのため4度目の来日をしたクイーンにインタビューを行っている。5日間の武道館公演に毎日通ったという。
- オーディション応募者数**: 薬師丸が合格した『野性の証明』のオーディション応募者は1,224人だった。『ねらわれた学園』では18,000人から高柳良一が、『メイン・テーマ』では23,000人から野村宏伸が相手役に選ばれている。
- 角川春樹の評価**: スクリーンデビュー以来、歌手デビューを催促していた角川春樹は、薬師丸をコーラス部特有の歌い方で素養はあるが「個性がない」と評価していた。
- テレフォンサービス**: 1985年には、薬師丸からのメッセージが聞けるテレフォンサービス「HIROKO'S DIARY」をNTTが実施。ピーク時には1日に13万件の電話があり、当時の日本におけるテレフォンサービスの新記録を樹立した。
- 形態模写**: 薬師丸の形態模写を持ちネタとした芸能人には、『オレたちひょうきん族』のあめくみちこや、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』でソフトインワンのCMパロディーを演じた山田邦子がいる。
- 泣きぼくろ**: 写真週刊誌『FLASH』は、薬師丸の泣きボクロが1994年5月から1995年12月の間に消えたと推測している。
- 能年玲奈との関連**: ドラマ『あまちゃん』の天野アキが鈴鹿ひろ美に憧れていたように、能年玲奈(現在ののん)はデビュー後の演技指導で薬師丸を参考に演技するように言われ、『野性の証明』、『探偵物語』、『Wの悲劇』などを視聴していた。また、『あまちゃん』の出演者オーディションでは「憧れのアイドル」に薬師丸の名前を書いていた。同作品のプロデューサーは、薬師丸が出演したミュージカル『雨に唄えば』を観ていたことが、『あまちゃん』の鈴鹿ひろ美と天野春子の設定を考える上でのオマージュになったと語っている。
2. 音楽活動
薬師丸ひろ子は、女優業と並行して歌手としても長く活躍し、数々のヒット曲を生み出してきた。その歌声と音楽性は、多くの作曲家や評論家から高く評価されている。
2.1. 歌手デビューと初期の成功
薬師丸はデビュー直後や映画『ねらわれた学園』(1981年7月)出演時にも所属事務所から歌手デビューを提案されていたが、学業との両立の難しさや、マスコミへの露出が増えることへの不安から断っていた。そのため、1978年のスクリーンデビューから1981年11月の歌手デビューまでの3年間は、「歌わない(最後の)アイドル」と形容されることもあった。当時、山口百恵の引退後、「ポスト百恵」が騒がれる中で、「薬師丸は歌わないから......」と否定的な見方もあった。
しかし、『セーラー服と機関銃』の宣伝を担当した遠藤茂行によれば、映画ファン限定のスターだった薬師丸が主題歌を歌うことで同世代のアイドルにもなったという。映画『セーラー服と機関銃』と連動して、同名の主題歌「セーラー服と機関銃」で1981年11月に歌手デビューを果たした。この曲は1981年後半にオリコンチャートで1位を獲得し、1982年1月18日までその座を維持した。
角川映画時代にリリースしたシングル「セーラー服と機関銃」(1981年)、「探偵物語」(1983年)、「メイン・テーマ」(1984年)、「Woman "Wの悲劇"より」(1984年)は、すべて主演映画の主題歌である。「メイン・テーマ」が最高位2位だったため、シングル連続首位記録は途切れたが、他の3曲はオリコン1位を獲得している。セカンド・シングル「探偵物語」の両A面である「すこしだけやさしく」(1983年)は、TBS系『わくわく動物ランド』のエンディングテーマにも採用された。
「探偵物語」で作詞家の松本隆や作曲家の大瀧詠一に出会ったことで、薬師丸は歌うことやアルバム作りの楽しさを知り、今後も歌い続けたいと考えるようになった。もし2人に出会っていなければ、女優業一本に絞っていたかもしれないと話している。松本隆は、薬師丸のために書いた楽曲すべてに満足していると語っている。
薬師丸の代表曲の一つである「元気を出して」は、竹内まりやが彼女のために書き下ろした楽曲である。この曲は、約47.7万枚を売り上げたファースト・アルバム『古今集』(1984年)に収録されたが、シングルカットはされていない。その後、1987年に竹内まりやがアルバム『REQUEST』でセルフカバーした際、薬師丸は山下達郎と共にコーラスに参加し、竹内まりやはそのコーラスを絶品と評している。
2.2. 作品リリースとコンサート活動
薬師丸ひろ子の音楽活動は、多数のシングルやアルバムのリリース、そしてコンサート活動によって多岐にわたる。
角川春樹事務所から独立した1985年には、シングル「あなたを・もっと・知りたくて」、「天に星. 地に花.」、「ステキな恋の忘れ方」の3枚と、セカンド・アルバム『夢十話』をリリースした。「あなたを・もっと・知りたくて」は民営化直後のNTTのCMソングとなり、薬師丸自身もCMに出演した。「ささやきのステップ」(1986年)、「瞳で話して」(1986年)、「風に乗って」(1991年)もNTTのCMソングである。「ステキな恋の忘れ方」は映画『野蛮人のように』の主題歌となり、映画関連では他にも「紳士同盟」(1986年、同名映画主題歌)、「時代」(1988年、『ダウンタウン・ヒーローズ』イメージソング)、「Windy Boy」(1989年、映画『レディ! レディ READY! LADY』主題歌)がある。
『古今集』(1984年)以来、1985年『夢十話』、1986年『花図鑑』(松本隆プロデュース&全曲作詞)、1987年『星紀行』と、毎年1枚のオリジナル・アルバムをリリースするルーチンが確立された。
1987年7月から8月にかけては、初のコンサート『星紀行』を開催。翌1988年8月から10月には『SENTENCE』を開催している。1987年10月には玉置浩二作曲のシングル「胸の振子」をリリースし、『ミュージックステーション』に出演。「時代」(1988年)と「語りつぐ愛に」(1989年)でも同番組に出演している。玉置作曲の楽曲には他に「交叉点 ~そう それがそう~」(1997年)がある。
1988年3月のフジテレビ『夜のヒットスタジオDELUXE』ではマンスリーゲストを務め、卒業式前日の3月9日には同番組内でミニ・コンサート(服部克久指揮)を行った。同年7月にリリースしたシングル「時代」は中島みゆきのカバー曲で、薬師丸の愛唱歌であったが、当時中島がコンサートで歌っていなかったため、アルバム『Sincerely Yours』(1988年)に収録された。「時代」はフジテレビ系『なるほど!ザ・ワールド』のエンディングテーマにも採用された。1989年1月のシングル「語りつぐ愛に」は、「セーラー服と機関銃」と同じ来生たかお・来生えつこ姉弟の作品で、競作となっている。「語りつぐ愛に」は日本テレビ系『水曜グランドロマン』の主題歌に採用されたが、薬師丸自身は同ドラマには出演していない。同年3月には6枚目のアルバム『LOVER'S CONCERTO』、10月にはシングル「Windy Boy」をリリースした。別冊宝島の調査によると、1980年代のシングル総売上は、年間ベスト50位以内のものに限っても218.7万枚を記録し、当時の女性アイドル中7位であった。年間シングルオリコンチャート最高位の座は1982年と1983年の2回獲得している。
1990年は、3月に7枚目のアルバム『Heart's Delivery』をリリースし、3月から4月にかけて3回目のコンサート『ハート・デリバリー』を開催、5月にはシングル「手をつないでいて」を発表した。1991年1月の玉置浩二との電撃結婚発表後、同月にシングル「風に乗って」、3月に8枚目のアルバム『PRIMAVERA』をそれぞれリリースした。玉置との結婚中は、玉置のアルバム『カリント工場の煙突の上に』(1993年)収録の「西棟午前六時半」でデュエットしたり、『Act Against AIDS '94』(1994年)に2人で参加している。
1997年6月、「風に乗って」(1991年)から6年ぶりのシングル「交叉点 ~そう それがそう~」、12月には「恋文 ~哀愁篇~」をリリース。1998年2月には『PRIMAVERA』(1991年)から7年ぶりとなる9枚目のオリジナル・アルバム『-恋文-LOVE LETTER』を発表し、同年4月にはシングル「smile スマイル smile」(作詞:薬師丸)をリリースした。
2000年代に入り、2000年2月にはテレビ朝日系主演ドラマ『恋愛中毒』の主題歌「Love holic」(作詞:松本隆)をリリースした。2006年3月にはNHK総合『音楽・夢くらぶ』に出演し、「セーラー服と機関銃」や「探偵物語」などのヒット曲を披露。2008年9月放送のNHK総合『SONGS』にも出演し代表曲を披露しており、同番組には2011年、2013年、2016年3月、2016年12月、2018年、2020年、2021年にも出演している。薬師丸は2000年代の歌手活動の少なさについて、商業的にあまり必要とされていなかったのかもしれないと語っている。
2010年代に入ると、2010年出演映画『今度は愛妻家』の公開記念イベントの一環として、1990年以来20年ぶりとなるコンサートを東京と大阪で開催した。当初、コンサートに人が集まるか不安だったが、合計2000席のチケットは発売開始3分で完売するほどの盛況ぶりを見せた。
2011年3月、主演映画『わさお』が公開され、主題歌「僕の宝物」も自らが担当。主演映画の主題歌を歌うのは22年ぶりとなる。この曲は2013年11月のTBS系のドラマ『こうのとりのゆりかご~「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来~』(主題歌)にも採用された。2011年12月放送の『2011 FNS歌謡祭』では平井堅と「Woman "Wの悲劇"より」をデュエット。2013年にも同番組に出演し、デュエットを含む3曲を披露している。2012年11月にリリースされたケルティック・ウーマンのアルバム『心のクリスマス/ホーム・フォー・クリスマス』のボーナス・トラック曲「ユー・レイズ・ミー・アップ~ 祈りヴァージョンfeat.薬師丸ひろ子」でコラボレーションが実現した。
2013年10月には芸能活動35周年記念コンサートを東京・大阪で開催。1990年以来23年ぶりの単独コンサートとなった。このコンサートでは、急逝した大瀧詠一の前で大瀧作曲の楽曲を披露した。コンサートのパンフレットには、井上陽水、竹内まりや、中島みゆき、松任谷由実(掲載順)からの祝福メッセージが掲載された。このコンサートを観た先輩たちから「もっと歌っていきなさい」と言われたことで、2014年12月のライブ『Premium Acoustic Night 時の扉 ~Look For A Star~』を自ら企画。このライブは2013年12月にリリースした初のカバー・アルバム『時の扉』の曲を中心に構成され、アルバムの編曲を担当した吉俣良がサポートミュージシャンとして参加した。
2015年7月、『THE MUSIC DAY』に出演し、「時代」と「Woman "Wの悲劇"より」を歌唱。同年10月に行われた『薬師丸ひろ子 コンサート2015』では、自身のヒット曲やカバー曲、唱歌に加え、自身が声優として参加した劇場アニメ『シンドバッド 空とぶ姫と秘密の島』(2015年)の劇中歌「わたりどり」も披露された。
2016年3月、急逝した大瀧詠一を追悼する『SONGS』に出演し、ナレーションと大瀧作曲の「探偵物語」を歌っただけでなく、生前の大瀧のボーカル・トラックと鈴木雅之が共演する「夢で逢えたら」にも参加した。同年7月には前年に引き続き『THE MUSIC DAY』に出演。9月には初の野外コンサート『世界遺産劇場 春日大社 第六十次式年造替奉祝 薬師丸ひろ子コンサート』を実施し、アンコールでカバー・アルバム『Cinema Songs』から「ムーン・リバー」を歌唱した。11月に実施した『Premium Acoustic Night ~シネマソングス~』の追加公演が2017年1月に行われた。12月には3年ぶりに『FNS歌謡祭』に出演した。『SONGSスペシャル 薬師丸ひろ子 ~高倉健さんが教えてくれた映画のすべて~』では、デビュー作『野性の証明』のロケ地である金沢を訪れ、高倉健との思い出を語るとともに、映画音楽や薬師丸主演映画の主題歌を披露した。
2017年4月、『Cinema Songs』収録の「追憶」がドラマ『女の勲章』の主題歌に採用された。6月には井上陽水作詞作曲の新曲「めぐり逢い」を含むライブ・アルバム『Best Songs 1981-2017~Live in 春日大社~』をリリース。7月には3年連続で『THE MUSIC DAY』に出演し「ステキな恋の忘れ方」を歌唱した。8月25日に放送された『The Covers』に出演し、「夢で逢えたら」、「Woman "Wの悲劇"より」、「めぐり逢い」を披露した。
2018年2月に『薬師丸ひろ子 コンサート2018』を行い、同年5月リリースの新アルバムから新曲「ここからの夜明け」も披露した。3月には作詞家・松本隆を特集した音楽番組『うたコン』に初出演し、「Woman "Wの悲劇"より」を歌唱。4月からはNHK『みんなのうた』に楽曲「窓」の歌唱で、NHKラジオ第1・FM『ラジオ深夜便』の「深夜便のうた」には楽曲「こころにすむうた」で参加している。また、同月には2月に開催された『薬師丸ひろ子 コンサート2018』がNHK BSプレミアムで放送された。5月には1998年の『-恋文- LOVE LETTER』以来20年ぶりのオリジナル・アルバム『エトワール』をリリース。同月、音楽番組の『ミュージックフェア』に出演し「セーラー服と機関銃」と「ここからの夜明け」の2曲を披露し、『SONGS』では「日本一星空がきれいな村」長野県阿智村を訪れるロケを行うと共に、「探偵物語」、「Woman "Wの悲劇"より」、「窓」を歌唱した。9月から10月にかけてライブツアー『Premium Acoustic Night ~エトワール~』をビルボードライブ東京・大阪で開催。また、10月に参加した「ビクターロック祭り大阪×MBS音祭2018」が薬師丸にとって初のフェスとなった。12月の『2018 FNS歌謡祭』では松下奈緒のピアノで「Woman "Wの悲劇"より」を披露した。
2019年3月、NHKのコンサート番組『RUN! HOPE! RUN! ~N響×大友良英×いだてんコンサート~』の公開収録で「見上げてごらん夜の星を」を歌唱。9月から10月にかけて『薬師丸ひろ子 コンサート2019』を東京・大阪・宮城・佐賀の4か所5公演を実施し、「潮騒のメモリー」や「守ってあげたい」を披露した。12月、『2019 FNS歌謡祭』に出演し、「時代」と「メイン・テーマ」を歌唱した。
2020年代に入り、2020年1月に出演した『SONGS』では、『薬師丸ひろ子 2019コンサート』のライブ映像や舞台裏の様子が放送された。2月にはBlu-ray&DVD&CD『薬師丸ひろ子 2019コンサート』の宣伝として、東京・西武新宿駅前のユニカビジョンで特集放映を実施。10月、NHK『映画音楽はすばらしい!』に出演し、「セーラー服と機関銃」、「Woman "Wの悲劇"より」、「コール」(主演映画『ナースコール』主題歌、玉置浩二のカバー)の3曲を披露した。
2021年3月の『ミュージックフェア』中島みゆき特集では「時代」を、7月の『2021 FNS歌謡祭 夏』では「元気を出して」を歌唱。11月5日にはYouTubeチャンネルを開設した。11月21日、歌手活動40周年記念オールタイムベストアルバム『Indian Summer』をリリースした。また、東京・キリスト品川教会グローリア・チャペルで行なった無観客のWOWOWオリジナルコンサート『薬師丸ひろ子 40th Anniversary Starting Special Concert』が放送・配信された。11月25日の『SONGS』(コメントゲスト:宮藤官九郎)では、歌手デビュー40周年スペシャルメドレーと、連続テレビ小説『エール』で話題となった讃美歌「うるわしの白百合」を歌唱。さらに、ユーミンが呉田軽穂名義で37年ぶりに薬師丸へ提供した新曲「Come Back To Me ~永遠の横顔」をTV初披露した。12月1日の『2021 FNS歌謡祭』第1夜では「探偵物語」を、12月11日の『ミュージックフェア』では「Come Back To Me ~永遠の横顔」と「Woman "Wの悲劇"より」を披露。12月19日の『The Covers』「歌手デビュー40周年! 薬師丸ひろ子ナイト! - いま届けたい名曲 -」では、「守ってあげたい」、「コール」、「Come Back To Me ~永遠の横顔」の3曲を披露した。12月31日、第72回NHK紅白歌合戦に歌手として出場し、東京フィルハーモニー交響楽団をバックに「Woman "Wの悲劇"より」を歌唱した。ピアノ演奏とオーケストラアレンジは編曲者の松任谷正隆が担当した。
2022年5月25日、Blu-ray/DVD『Live at GLORIA CHAPEL 2021』がリリースされた。これは2021年11月21日に品川教会グローリア・チャペルで披露された初の無観客コンサートの模様を完全パッケージしたものである。9月10日、NHK『ニッポン「今」つないでみたら』に出演し、「アナタノコトバ」を歌唱。10月2日、2019年以来3年ぶりとなる『薬師丸ひろ子40th Anniversary Tour 2022 ~アナタノコトバ~』がスタートした(追加最終公演は11月18日)。10月8日、フジテレビ系列『MUSIC FAIR』「リスペクト! ユーミン」に出演し、「守ってあげたい」を披露した。
2023年、『祝・歌手活動40周年 薬師丸ひろ子 WOWOW特集』として、40周年記念ツアーファイナルや過去のコンサートがWOWOWから放送・配信された。3月19日、テレビ朝日系音楽バラエティ『関ジャム 完全燃SHOW』「歌う女優特集」に出演し、武部聡志のキーボード伴奏のみで「Woman "Wの悲劇"より」を含む2曲を即興歌唱した。3月22日、『薬師丸ひろ子 2022コンサート』Blu-ray/DVD/CDがリリースされた。
2.2.1. 角川時代のプロモーション
角川映画時代、薬師丸ひろ子の音楽活動は、映画の公開前キャンペーンの一環として位置づけられていた。そのため、歌番組には、映画公開前に『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』、『ザ・トップテン』などに1、2回出演する程度で、映画公開後は出演依頼を断ることが圧倒的に多かった。通常、〔所属する歌手の出演を放送局に〕お願いする立場のレコード会社には難しい仕事だったため、歌番組との窓口は映画会社の東映が担当した。
出演辞退の理由としては、主演女優の宣伝は映画公開初日までという映画界の慣習を活用した。当時の東映の宣伝担当だった遠藤茂行は、角川側が映画公開直前以外は薬師丸を世間に露出させず、ファンの飢餓感を煽る戦略を取っていたこと、薬師丸が学業優先としていたこと、そして音楽活動が映画主題歌に限定されていたことを、歌番組への出演を控えた理由として挙げている。例えば、「セーラー服と機関銃」が『ザ・ベストテン』で1位になった際も、薬師丸が番組で歌唱したのは一度きりで、ファンからの強い要望に応えて過去の歌唱映像が再放送されたのみであった。
2.2.2. NHK紅白歌合戦への出場
薬師丸ひろ子は、日本の代表的な年末音楽番組であるNHK紅白歌合戦に歌手として正式に初出場するまで、いくつかの関わりを持ってきた。
映画・主題歌ともに大ヒットとなった「セーラー服と機関銃」が発表された1982年、薬師丸は大学受験のため休業中であったため、『第33回NHK紅白歌合戦』の出場を辞退し、代わりに桜田淳子によって楽曲が披露された。
その後、薬師丸は2005年の『第56回紅白』にゲスト審査員として、2007年の『第58回紅白』に応援ゲストとして出演。そして2013年の『第64回紅白』では、特別出演という形で、ドラマ『あまちゃん』の鈴鹿ひろ美に扮し「潮騒のメモリー」を歌唱した。この出演は大きな話題を呼び、翌2014年の『第65回紅白』では正式出場枠に初選出された。この際、編曲者の松任谷正隆によるピアノ伴奏で「Woman "Wの悲劇"より」を披露した。
2021年には、第72回NHK紅白歌合戦に出演し、東京フィルハーモニー交響楽団をバックに「Woman "Wの悲劇"より」を歌唱した。
2.3. 音楽性とその評価
薬師丸ひろ子の音楽性は、その独特な歌声と、楽曲への真摯な姿勢によって形成されている。
歌唱力に関しては、アイドル風ではなく、合唱団風と揶揄されることもあったが、音楽評論家の富澤一誠は「角川映画の主題歌を歌っていた当時から歌唱力は抜群。歌い方は正統派。基本に忠実な歌い方で、声も透き通る伸びやかな高音が魅力。これまでの人生経験で培われた彼女の人間としての魅力や女優としての経験が加わって歌の表現がより豊かになっている」と高く評価している。久保田泰平は、歌手としてもけうな才能の持ち主であり、清楚で礼儀正しい歌唱が個性的であったと解説。内田正樹は、アイドル時代から定評のある歌唱力、譜面に忠実で歌詞が明瞭に聴き取れる生真面目なファルセットは独特な包容力を持ち、女優特有の細やかなニュアンスの表現力を有していると評価する。朝日新聞の篠崎弘は、薬師丸の魅力は、透明な声とファルセットが中音域から高音まで無理なく伸びることで実現する広い音域であると説明している。
歌声について、竹内まりやは「爽やか」で「けうな」声、武部聡志は「鈴を転がすような声」、松任谷由実は「クリスタル・ボイス、水晶のような硬質な透明感」と表現している。小西康陽は「天使の賛美歌」と称した。早稲田大学の学園祭で、ある学生から透明度の高い歌声は機械で作った音だと誤解される一幕もあったという。薬師丸自身も、特殊な、変わった声を持っていることに感謝していると語っている。
音楽ライターの栗本斉は、薬師丸の歌手としてのキャリアが成功したのは、一流スタッフからもたらされた完成度の高い楽曲の存在が大きいと解説している。その高いレベルに応える歌唱力があったからこそヒットし、評価されているという。音楽評論家のスージー鈴木は、大瀧詠一作曲の「探偵物語」(1983年)と呉田軽穂(松任谷由実)作曲の「Woman "Wの悲劇"より」(1984年)という「神がかった2曲」に出会えたことが、歌手薬師丸にとって最高の幸運であり、それらを完璧に歌いこなしたところに彼女の歌手としての凄みがあると述べている。田家秀樹によれば、薬師丸の同世代の歌手に対する優位性は、1980年代にリリースした5枚のアルバム(『古今集』(1984年)、『夢十話』(1985年)、『花図鑑』(1986年)、『星紀行』(1987年)、『Sincerely Yours』(1988年))の存在によるところが大きいと指摘している。
薬師丸にとってのアイドルはユーミンである。小学生の頃にはピアノで「ひこうき雲」や「翳りゆく部屋」などを弾き語りする真似をしていた。その憧れの人が主題歌(『ねらわれた学園』の「守ってあげたい」)を担当したり、曲(「Woman "Wの悲劇"より」)を提供されたりした。1985年3月の苗場コンサートや2013年1月のユーミン40周年記念イベントにも参加している。2011年4月放送のフジテレビ『僕らの音楽』では松任谷由実と共演し、「Woman "Wの悲劇"より」をデュエットした。2016年現在でも、松任谷由実の前では緊張すると発言している。
音楽雑誌『レコード・コレクターズ』(2014年11月号)の特集「80年代女性アイドル・ソング・ベスト100」では、薬師丸の曲が4曲選出された。5位「セーラー服と機関銃」、13位「探偵物語」、17位「Woman "Wの悲劇"より」、20位「あなたを・もっと・知りたくて」である。評論家の栗原裕一郎は、薬師丸にはアイドルのような人気があったが、アイドルとは別種のスターであったと述べている。
薬師丸のポリシーとして、過去のヒット曲を歌う際には、聴き手の記憶のイメージを損なわないために、原曲のキーで歌い、節回しも変えないというおきてを守っている。若い頃と同じ原曲キーで歌うことは薬師丸自身のモチベーションにもなっている。2016年現在、高音を保つために声楽家のレッスンを受けていると語り、高音をキープすることは、女優として様々な声を出すのにも必要不可欠なことだと答えている。訓練して歌が上手くなることも大事だが、自分らしさを失わないように気を付けている。また、作曲家が書いた音符の一つ一つにこだわりがあることを知っているので、自分流にアレンジして歌うことはせず、楽譜に忠実でありたいと思っている。
2017年のインタビューで、幸せ過ぎても、辛くても歌声に大きな影響があり、自身の心身と向き合うことが必要だと発言している。映画『8年越しの花嫁』で演じた病気の娘を持つ母親役を引きずっていたライブリハーサルでは、悲しさから高い声が出ず、歌うことも楽しく感じられなかったため、一時は「原曲キーで歌います」という宣言を取り消そうかと考えたという。
2021年11月、日本経済新聞のインタビューで、「芝居の役はあくまで役であって私ではないが、歌は違う。伝えたくない言葉は混じっていない。この言葉を伝えたいと心から思って表現できるから、歌うのはとても好き。」と語った。更に往年のヒット曲を歌手デビューから同じキーで40年間歌っている秘訣についても聞かれ、「数年前、米国の演劇畑の方が考えた発声法を教わった。それが芝居だけでなく、歌にも役立っているのかなと思う。昔のヒット曲はもはや私から離れ、多くの方々の思い出に組み込まれている存在だから、限りなく原曲に忠実に歌おうと心がけている。」と語っている。
3. 受賞歴
薬師丸ひろ子がこれまでに受賞した主要な映画、テレビドラマ、音楽に関する賞とその意義を以下にまとめる。
;1981年
- 第2回ヨコハマ映画祭 主演女優賞(『翔んだカップル』)
- 第6回おおさかシネマフェスティバル(現・おおさかシネマフェスティバル) 主演女優賞(『翔んだカップル』)
- 第4回日本アカデミー賞 話題賞(俳優部門)(『翔んだカップル』)
;1982年
- 第5回日本アカデミー賞 話題賞(俳優部門)(『セーラー服と機関銃』)
- 第7回シティロード・メモリアル・ベスト ベスト女優1位
- 第15回日本レコードセールス大賞 女性新人賞
;1983年
- 第1回ゴールデングロス賞 マネーメイキングスター賞
;1985年
- 第8回日本アカデミー賞 話題賞(俳優部門)(『Wの悲劇』)
- 第27回ブルーリボン賞 主演女優賞(『Wの悲劇』)
- 第3回ゴールデングロス賞 マネーメイキングスター賞
- 第10回シティロード・メモリアル・ベスト ベスト女優1位
;1986年
- 第9回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(『Wの悲劇』)
;1991年
- 第14回日本アカデミー賞 話題賞(俳優部門)(『タスマニア物語』、『病院へ行こう』)
;1992年
- 第7回高崎映画祭 最優秀主演女優賞(『きらきらひかる』)
;1997年
- 第13回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『ミセスシンデレラ』)
- 第24回放送文化基金賞 女優演技賞(『熱の島で~ヒートアイランド東京~』)
;2006年
- 第29回日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞(『ALWAYS 三丁目の夕日』)
- 第48回ブルーリボン賞 助演女優賞(『ALWAYS 三丁目の夕日』、『オペレッタ狸御殿』)
- 第79回キネマ旬報ベスト・テン 助演女優賞(『ALWAYS 三丁目の夕日』、『オペレッタ狸御殿』、『レイクサイド マーダーケース』、『鉄人28号』)
- 第30回報知映画賞 助演女優賞(『ALWAYS 三丁目の夕日』)
- 第18回日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞(『ALWAYS 三丁目の夕日』)
- 第27回ヨコハマ映画祭 助演女優賞(『ALWAYS 三丁目の夕日』、『オペレッタ狸御殿』、『レイクサイド マーダーケース』、『鉄人28号』)
- 第9回日刊スポーツ・ドラマグランプリ 助演女優賞(『1リットルの涙』)
- 第2回TVnaviドラマ・オブ・ザ・イヤー2005 助演女優賞(『1リットルの涙』)
;2008年
- 第31回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞(『ALWAYS 続・三丁目の夕日』)
;2010年
- 第19回日本映画批評家大賞 主演女優賞(『今度は愛妻家』)
;2011年
- 第34回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(『今度は愛妻家』)
;2014年
- 放送ウーマン賞2013
;2018年
- 第41回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞(『8年越りの花嫁 奇跡の実話』)
;2024年
- 第78回毎日映画コンクール 田中絹代賞
4. 年表
薬師丸ひろ子の主要な人生の出来事とキャリアを時系列で簡潔にまとめる。
- 1964年6月9日、東京都渋谷区の日本赤十字病院で生まれる。
- 1978年
- 2月、港区立青山中学校1年に在学時、角川映画『野性の証明』のヒロイン・長井頼子役の一般公募オーディションで選ばれる(13歳)。
- 5月、『敵か?味方か?3対3』でドラマ・デビュー(13歳)。
- 10月、映画『野性の証明』でスクリーン・デビュー(14歳)。
- 1980年7月、映画『翔んだカップル』で初主演(16歳)。
- 1981年
- 7月、主演映画『ねらわれた学園』公開。
- 11月、主演映画の主題歌「セーラー服と機関銃」で歌手デビュー(17歳)。
- 12月、主演映画『セーラー服と機関銃』公開。休業宣言(17歳)。
- 1983年
- 4月、玉川大学へ入学(18歳)。
- 7月、主演映画『探偵物語』公開(19歳)。
- 12月、主演映画『里見八犬伝』公開。
- 1984年
- 7月、主演映画『メイン・テーマ』公開。
- 12月、主演映画『Wの悲劇』公開。本作品でブルーリボン賞主演女優賞などを受賞(20歳)。
- 1985年3月、角川春樹事務所から独立(20歳)。
- 1988年3月、玉川大学を卒業(23歳)。
- 1991年1月、玉置浩二とハワイで挙式(26歳)。
- 1997年4月 - 6月、 フジテレビ木曜劇場『ミセスシンデレラ』に主演(32歳)。
- 1998年6月、玉置との離婚を発表(33歳)。
- 2002年1月 - 3月、TBSテレビ『木更津キャッツアイ』に出演(37歳)。
- 2005年
- 10月 - 12月、フジテレビ系ドラマ『1リットルの涙』に出演(41歳)。
- 11月、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』公開。本作品で第29回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞などを受賞(41歳)。
- 2011年3月、歌手活動30周年を記念したアルバム『歌物語』をリリース。
- 2013年
- 6月 - 9月、NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』東京編に出演。
- 10月、『芸能活動35周年記念コンサート』を東京・大阪で開催。
- 2014年
- 3月、放送ウーマン賞2013を受賞。
- 12月、第65回NHK紅白歌合戦に初出場。
- 2016年9月、『世界遺産劇場 春日大社 第六十次式年造替奉祝 薬師丸ひろ子コンサート』を奈良で開催。
- 2019年6月 - 12月、NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第2部田畑政治篇に出演。
5. 出演作品
薬師丸ひろ子が出演した映画およびテレビドラマ作品を一覧化する。
5.1. 映画
年 | タイトル | 役柄 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1978 | 野性の証明 | 長井頼子 | ||
1979 | G.I. Samurai | 若侍 | ||
1980 | Toward the Terra | ジョミー・マーキス・シン (声) | ||
翔んだカップル | 山葉圭 (主演) | ヨコハマ映画祭主演女優賞受賞 | ||
1981 | ねらわれた学園 | 三田村由香 (主演) | ||
セーラー服と機関銃 | 星泉 (主演) | |||
1982 | 装いの街 | 大館加代子 (主演) | ||
1983 | 探偵物語 | 新井直美 (主演) | ||
里見八犬伝 | 静姫 (主演) | |||
1984 | Main Theme | 小笠原しぶき (主演) | ||
Wの悲劇 | 三田静香 (主演) | ブルーリボン賞主演女優賞受賞 | ||
1985 | 野蛮人のように | 有栖川珠子 (主演) | ||
1986 | Cabaret | ウェイトレス (カメオ出演) | ||
紳士同盟 | 霧野エツ子 (主演) | |||
1988 | ダウンタウン・ヒーローズ | 仲原房子 (主演) | ||
1989 | Ready! Lady | 高橋涼子 (主演) | ||
1990 | 病院へ行こう | 吉川みどり (主演) | ||
タスマニア物語 | 平島直子 | |||
1992 | きらきらひかる | 岸田章子 (主演) | ||
1993 | Nurse Call | 井手五十鈴 (主演) | ||
1997 | Magnitude: Asu e no Kakehashi | 日置陽子 | ||
2003 | 木更津キャッツアイ 日本シリーズ | 浅田美礼 | ||
2004 | レイクサイド マーダーケース | 並木美奈子 | ||
2005 | オペレッタ狸御殿 | おはぎの局 | ||
鉄人28号 | 金田陽子 | |||
ALWAYS 三丁目の夕日 | 鈴木トモエ | 最優秀助演女優賞受賞 | ||
2006 | あおげば尊し | 峰岸マリ | ||
木更津キャッツアイ ワールドシリーズ | 浅田美礼 | |||
ありがとう | 飯田佳子 | |||
2007 | バブルへGO | タイムマシンはドラム式 | 田中真理子 | |
ALWAYS 続・三丁目の夕日 | 鈴木トモエ | |||
Megane | モリシタ | |||
2008 | Utatama | 瀬沼裕子 | ||
2009 | ヘブンズ・ドア | 白石マリ子 | ||
2010 | 今度は愛妻家 | 北見桜 | ||
ハナミズキ | 平沢良子 | |||
2011 | わさお | 菊谷節子 (主演) | ||
2012 | ALWAYS 三丁目の夕日'64 | 鈴木トモエ | ||
2015 | シンドバッド 空とぶ姫と秘密の島 | シンドバッドの母 (声) | ||
2017 | Destiny: The Tale of Kamakura | 静 | ||
8年越しの花嫁 奇跡の実話 | 中原初美 | |||
2018 | コーヒーが冷めないうちに | 賀田かをる | ||
2019 | Black School Rules | バージニア・ウルフ | ||
2020 | みをつくし料理帖 | お百 | ||
2022 | Riverside Mukolitta | (声) | ||
とんび | 泰子 | |||
2024 | Last Mile | 三澄夏代 | ||
ブルーピリオド | 佐伯昌子 |
5.2. テレビドラマ
年 | タイトル | 役柄 | 備考 |
---|---|---|---|
1978 | 敵か?味方か?3対3 | 妻の三女 | |
1979 | 装いの街 | 大館加代子 (主演) | 後に映画公開された |
1997 | ミセスシンデレラ | 香山みずほ (主演) | |
2000 | 恋愛中毒 | 水無月美雨 (主演) | |
Africa Pole Pole | 直子 | ||
2002 | ママの遺伝子 | 藤木七海 (主演) | |
2002 | 香港明星迷 | 工藤里美 (主演) | |
2002 | 木更津キャッツアイ | 浅田美礼 | |
2004 | ブラックジャックによろしく ~涙のがん病棟編~ | 辻本よしえ | |
にんげんだもの~相田みつを物語~ | 相田千恵 (主演) | ||
2005 | タイガー&ドラゴン | 白石勝子 | 第6話ゲスト |
1リットルの涙 | 池内潮香 | ||
Umeko | 川合桃子 | ||
2007 | 白虎隊 | 酒井しげ | |
1 Litre no Namida: Special Edition - Tsuioku | 池内潮香 | ||
パパの涙で子は育つ | 川村史華 | ||
2008 | 愛馬物語 | 野添祥子 | |
ホームレス中学生 | 田村恵子 | ||
千の風になって ドラマスペシャル「なでしこ隊~少女達だけが見た特攻隊・封印された23日間~ | 鳥濱トメ | ||
あるがままの君でいて | 榎本裕香 | ||
2009 | 戦場のメロディ | 渡辺はま子 (主演) | |
2010 | うぬぼれ刑事 | 前原信子 | 第5話ゲスト |
外科医 須磨久善 | 須磨千代子 | ||
Q10 | 柳栗子 | ||
2011 | 全開ガール | 桜川昇子 | |
2012 | 妻が夫をおくるとき | 石井福子 (主演) | |
車イスで僕は空を飛ぶ | 長谷部晴子 | ||
2013 | あまちゃん | 鈴鹿ひろ美 | 朝ドラ |
2016 | 百合子さんの絵本 | 小野寺百合子 | |
2018 | アンナチュラル | 三澄夏代 | 特別出演 |
2019 | いだてん~東京オリムピック噺~ | マリー | 大河ドラマ |
2020 | エール | 関内光子 | 朝ドラ |
2022 | 拾われた男 | 山村 |
6. ディスコグラフィ
薬師丸ひろ子がリリースしたすべての音楽作品(アルバム、シングル、映像作品など)を詳細に一覧化する。
6.1. スタジオアルバム
年 | アルバム詳細 | チャート最高位 | レーベル |
---|---|---|---|
JPN | |||
1982 |
>align="center"| 1 | 日本コロムビア | |
1984 |
>align="center"| 1 | 東芝EMI/East World | |
1985 |
>align="center"| 2 | ||
1986 |
>align="center"| 2 | ||
1987 |
>align="center"| 3 | ||
1988 |
>align="center"| 8 | ||
1989 |
>align="center"| 2 | ||
1990 |
>align="center"| 3 | ||
1991 |
>align="center"| 13 | ||
1998 |
>align="center"| - | BMG Funhouse | |
2018 |
>align="center"| 18 | ビクターエンタテインメント | |
2024 |
>align="center"| 17 | ||
「-」はチャートインしなかったことを示す。 |
6.2. コンピレーションアルバム
年 | アルバム | チャート最高位 (JPN) | レーベル |
---|---|---|---|
1986 | Best Collection | 7 | 東芝EMI/East World |
1988 | SentenceSentence~セ・ン・テ・ン・ス~日本語 | 18 | |
2000 | Love Collection: 1981-2000 | - | BMG Funhouse |
2011 | 歌物語歌物語日本語 | 43 | EMIミュージック・ジャパン |
2021 | Indian Summer | 23 | ビクターエンタテインメント |
「-」はチャートインしなかった、または情報が不明であることを示す。 |
6.3. カバーアルバム
年 | アルバム | チャート最高位 (JPN) | レーベル |
---|---|---|---|
2013 | 時の扉時の扉日本語 | 24 | EMIミュージック・ジャパン |
2016 | Cinema Songs | 28 | ビクターエンタテインメント |
6.4. ライブアルバム
年 | アルバム | チャート最高位 (JPN) | レーベル |
---|---|---|---|
1987 | First Live: Hoshi Kikōファースト・ライヴ 星紀行日本語 | 94 | 東芝EMI/East World |
2017 | Best Songs 1981-2017: Live in 春日大社 | 34 | ビクターエンタテインメント |
2020 | Yakushimaru Hiroko 2019 Concert | 56 | |
2023 | Yakushimaru Hiroko 2022 Concert | - | |
2024 | Yakushimaru Hiroko 2023 Concert | 26 | |
「-」はチャートインしなかった、または情報が不明であることを示す。 |
6.5. インストゥルメンタルアルバム
年 | アルバム | レーベル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1986 |
>rowspan="3" align="center"| 東芝EMI/East World | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1987 |
>- | 1988 |
>} |
年 | アルバム | レーベル |
---|---|---|
2021 | Yakushimaru Hiroko 40th Anniversary Box | ビクターエンタテインメント |
6.7. シングル
年 | アルバム | チャート最高位 (JPN) | レーベル |
---|---|---|---|
1981 | "Sailor-fuku to Kikanjū"セーラー服と機関銃日本語 | 1 | Kitty Records |
1983 | "Tantei Monogatari"探偵物語日本語 | 1 | 東芝EMI/East World |
"Main Theme"メイン・テーマ日本語 (1983) | 2 | ||
1984 | "Woman (W no Higeki Yori)"Woman "Wの悲劇"より日本語 | 1 | |
1985 | "Anata o Motto Shiritakute"あなたを・もっと・知りたくて日本語 | 2 | |
"Ten ni Hoshi, Chi ni Hana"天に星.地に花.日本語 (New remix long version) | 12 | ||
"Suteki na Koi no Wasurekata"ステキな恋の忘れ方日本語 | 4 | ||
1986 | "Sasayaki no Step"ささやきのステップ日本語 | 3 | |
"Shinshi Dōmei"紳士同盟日本語 | 2 | ||
1987 | "Mune no Furiko"胸の振子日本語 | 8 | |
1988 | "Shūgakushō"終楽章日本語 | 10 | |
"Jidai"時代日本語 | 9 | ||
1989 | "Kataritsugu Ai ni"語りつぐ愛に日本語 | 6 | |
Windy Boy | 12 | ||
1990 | "Te o Tsunaideite"手をつないでいて日本語 (1990) | 35 | |
1991 | "Kaze ni Notte"風に乗って日本語 | 35 | |
1997 | "Kōsaten (Sō, Sore ga Sō)"交叉点 ~そう それがそう~日本語 | 51 | BMG Funhouse |
"Koibumi (Aishū-hen)"恋文 ~哀愁篇~日本語 | - | ||
1998 | "Smile Smile Smile"smile スマイル smile日本語 | - | |
2000 | Love Holic | - | |
2011 | "Boku no Takaramono"僕の宝物日本語 | 169 | EMIミュージック・ジャパン |
「-」はチャートインしなかったことを示す。 |
6.8. デジタルシングル
年 | シングル | 備考 |
---|---|---|
2016 | Senshi no Kyuushi | |
2021 | Come Back To Me: Eien no Yokogao | |
2023 | Suteki wo Atsumete | |
Toki no Michishirube | ||
2024 | Kimi to Watashi no Uta |
6.9. 映像作品
年 | アルバム | チャート最高位 (JPN) | フォーマット |
---|---|---|---|
1987 | Hoshi Kikō: Futari no Kaeru Basho星紀行 ~二人の帰る場所~日本語 | - | LD, VHS, DVD, BD, CDV |
1988 | Tea Party: Sotsugyo KinenTea Party-卒業記念-日本語 | - | VHS, LD |
1990 | Heart's Delivery | - | VHS, LD, DVD, BD |
2014 | Toki no Tobira: 35th Anniversary Concert時の扉日本語 | - | DVD, BD |
2015 | Premium Acoustic Night Toki no Tobira: Look For A Star時の扉日本語 | - | DVD, BD |
2018 | Yakushima Hiroko Concert 2018薬師丸ひろ子コンサート日本語 | - | DVD, BD |
2020 | Yakushima Hiroko Concert 2019薬師丸ひろ子コンサート日本語 | - | DVD, BD |
2022 | Live at GLORIA CHAPEL 2021 | - | DVD, BD |
2023 | Yakushima Hiroko Concert 2022薬師丸ひろ子コンサート日本語 | - | DVD, BD |
「-」はチャートインしなかったことを示す。 |
7. 書籍・雑誌
7.1. 写真集
『薬師丸ひろ子フォトメモワール』『Part2』『Part3』を合わせた累計発行部数は80万部を超える。
- 『薬師丸ひろ子フォトメモワール』(1979年12月、富士見書房)
- 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part2)』(1980年12月、富士見書房)
- 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part3)』(1982年3月、富士見書房)
- 『フラッシュバックひろ子 : ありのままの輝き 「探偵物語」公開記念・薬師丸ひろ子写真集』(1983年6月、角川書店)
- 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part4)』(1984年6月、富士見書房)
- 『薬師丸ひろ子Visual message 21才の旅立ち』(1985年12月、扶桑社)
- 『「野蛮人のように」写真集』(1986年1月、 集英社)
7.2. インタビュー・対談集
- 『プレイバックひろ子 : 言葉かみしめて 「探偵物語」公開記念・薬師丸ひろ子対談集』(1983年6月、角川書店)
- 鎌田慧『日本人の仕事』(1986年9月、平凡社) - 角川春樹事務所独立後、仕事(女優)についてのインタビュー収録。
- 『「映画愛」 俳優編 武藤起一インタヴュー集』(1993年5月、大栄出版) - 1992年11月17日のインタビュー収録。
- 松本隆対談集『KAZEMACHI CAFE』 (2005年4月、ぴあ) - 2001年9月12日の対談収録。後に『風待茶房 : 松本隆対談集』(2017年1月、リットーミュージック)として改題・加筆。
7.3. 雑誌記事
- 『バラエティ』(1978年 - 1986年、角川書店) - 薬師丸のファン・マガジンの役割を担う。角川春樹事務所の方針で薬師丸はファンクラブを持たなかった。
- 「野性の輝きにみちて・頼子」1978年5月号。初登場。
- 「デュエット・オブ・フィフティーン」1979年12月号。荻野目慶子との対談。
- 「笑顔300万ボルト・青春をあなたに」1980年10月号。杉田かおる・荻野目慶子とのていだん。
- 「薬師丸ひろ子スペシャル」1981年8月臨時増刊号。ミニ写真集、兼、『ねらわれた学園』までの映画・TV・CMのデータブック。
- 「グッドラック! 薬師丸ひろ子」1985年5月号。角川春樹事務所から独立直前のグラビアとインタビュー、ブルーリボン賞授賞式の模様、8年間86冊(通常号84冊と臨時増刊号2冊)の掲載内容リストなど。
- 『週刊朝日』(1979年11月23日号、朝日新聞社)表紙。
- 『週刊ザテレビジョン』(1982年9月22日創刊号、角川書店) - 創刊号を含め表紙登場回数は12回(2002年3月1日号時点)。
- 『キネマ旬報』キネマ旬報社
- 山際淳司「薬師丸ひろ子インタビュー」『キネマ旬報』1981年12月下旬号、52-53頁。
- 内海陽子「ひろ子の軌跡」『キネマ旬報』1983年7月下旬号、49-53頁。
- 野村正昭「アイドル誕生 - 薬師丸ひろ子の場合」『キネマ旬報』1983年8月下旬号、44-46頁。
- 中岡徹尚「薬師丸ひろ子論」『キネマ旬報』1986年2月上旬号、105-107頁。
- 「薬師丸ひろ子の証明」『キネマ旬報』1992年10月下旬号、15-34頁。
- 尾形敏朗「素晴らしき映画女優(7)薬師丸ひろ子 - 映画におかえりなさい!」『キネマ旬報』2005年11月上旬号、121-129頁。
- 薬師丸ひろ子「薬師丸ひろ子 映画のマジック、映画の奇蹟に出会えた2005年」『キネマ旬報』2006年2月下旬号、48-49頁。
- 金澤誠「薬師丸ひろ子インタビュー」『キネマ旬報』2007年11月上旬号、31-33頁。
- 増富竜也「映画スター薬師丸ひろ子を映画館で見るカ・イ・カ・ン」『キネマ旬報』2023年7月上下旬合併号、55頁。
- 『ロードショー』(1985年6月号、集英社) - フィービー・ケイツとの2ショットの表紙と特別対談が掲載された。薬師丸は、洋画専門雑誌『ロードショー』の表紙になった初めての日本人俳優。
- 薬師丸ひろ子「独占インタビュー 五年連用日記で私の心を覗く」『婦人公論』1998年10月7日号、中央公論新社、58-61頁。
- 阿川佐和子「阿川佐和子のこの人に会いたい(610)二十歳のとき、「泣き方は私が決める」と思って、一度辞める決心をしました 女優 薬師丸ひろ子」『週刊文春』2005年12月8日号、文藝春秋、146-150頁。
- 林真理子「マリコのここまで聞いていいのかな(300)ゲスト 薬師丸ひろ子 女優」『週刊朝日』2006年2月3日号、朝日新聞出版、48-52頁。
8. 外部リンク
- [https://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A008188.html 薬師丸ひろ子公式サイト]
- [https://www.universal-music.co.jp/yakushimaru-hiroko/ 薬師丸ひろ子 - UNIVERSAL MUSIC JAPAN]
- [https://www.youtube.com/channel/UCO0Xab0r4X6JFNoSlw_YPuw 薬師丸ひろ子オフィシャルYouTubeチャンネル]
- [https://www.imdb.com/name/nm0945129/ 薬師丸ひろ子 - IMDb]
- [http://www.jmdb.ne.jp/person/per0036573.htm 薬師丸ひろ子 - 日本映画データベース]
- [https://web.archive.org/web/20130208083552/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/meikan/ya/yakusimaruhiroko.html スポニチ プロフィール]