1. Early Life and Amateur Career
西河翔吾は、プロサッカー選手としてデビューするまでの間、幼少期から学生時代にかけてサッカー選手としての基礎を築き、その才能を開花させた。
1.1. Birth and Childhood
西河翔吾は1983年7月1日、広島県広島市中区で誕生した。中学時代は広島大河フットボールクラブに所属し、この頃からディフェンダーとしてプレーを始めた。
1.2. Youth and University Football
西河は広島市立沼田高等学校に進学し、サッカー部で活動した。高校卒業後、広島修道大学商学部経営学科に進み、大学のサッカー部に所属した。大学在学中、サンフレッチェ広島のホームスタジアムである広島ビッグアーチでボールボーイを務めていた経験もある。
彼のキャリアの転機は2003年、天皇杯広島県予選にあたる全広島サッカー選手権大会での出来事だった。この大会でサンフレッチェ広島ユースと対戦した際、スカウトの足立修の目に留まり、サンフレッチェ広島の練習に参加する機会を得た。練習では監督の小野剛からも高い評価を受け、翌2004年2月には特別指定選手として登録され、公式戦に6試合出場した。
さらに、2004年12月には修道大学の主力選手として全日本大学サッカー選手権大会に出場。予選リーグ初戦で筑波大学と対戦し、当時筑波に所属していた平山相太を効果的に抑え、チームの勝利に貢献した。その後、シーズン終了後には現役大学生のままプロ契約を交わし、正式にJリーガーとなった。同期入団の選手には、前田俊介、佐藤昭大、髙柳一誠、森脇良太、桒田慎一朗、中尾真那、入船和真らがいる。
2. Professional Club Career
西河翔吾は、プロサッカー選手として複数のクラブを渡り歩き、それぞれのチームで重要な役割を担ってきた。
2.1. Sanfrecce Hiroshima (First Stint)
プロ契約を交わした後、西河は2005年シーズン終盤にはサンフレッチェ広島F.Cでレギュラーとして活躍するようになった。しかし、2006年3月に広島修道大学を卒業したが、チームの不振や監督交代が相次ぎ、出場機会が激減した。
2.2. Tokushima Vortis (Loan)
出場機会を求めて、西河は2006年9月に即戦力となるディフェンダーを探していた徳島ヴォルティスへ期限付き移籍した。徳島ではレギュラーの座を獲得し、一時はゲームキャプテンも務めるなど、チームの要として活躍した。期限付き移籍期間中には、レンタル元であるサンフレッチェ広島からゴールを奪う活躍も見せた。
2.3. Return to Sanfrecce Hiroshima and Montedio Yamagata
2009年にサンフレッチェ広島へ復帰したが、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が求める、ディフェンダーにパスワークへの参加や足元の技術を重視するプレースタイルに対応することができず、出場機会を得られなかった。
そのため、復帰から半年後の2009年6月には、主力の怪我人が続出していたモンテディオ山形へ再び期限付き移籍した。山形では加入後すぐに主力に定着し、移籍初戦で1ゴール1アシストを記録し、チームの勝利に貢献した。その後も守備の要としてチームのJ1残留に大きく貢献し、その活躍が認められ、山形への完全移籍を果たすことになった。西河はモンテディオ山形で2015年まで長期間にわたって活躍し、チームに貢献した。
2.4. Yokohama FC
2016年、西河は横浜FCに完全移籍した。横浜FCでも引き続き守備の中心選手としてプレーし、2017年シーズンまでチームに貢献した。
2.5. Final Professional Years (Tochigi SC, FC Ryukyu)
2018年、西河は栃木SCへ期限付き移籍し、このシーズンを栃木で過ごした。同年12月6日、横浜FCは西河の期限付き移籍期間の終了と契約期間の満了を発表した。
2019年、西河はFC琉球へ移籍した。FC琉球で1年間プレーした後、同年12月13日に現役引退とFC琉球のフロントスタッフへの就任が発表された。

3. Post-Professional Career
プロサッカー選手としてのキャリアを終えた後も、西河翔吾はサッカー界との関わりを続けている。
3.1. Transition to FC Ryukyu Front Office
2019年12月のプロ選手引退発表と同時に、西河は所属していたFC琉球のフロントスタッフに就任した。この転身により、彼は選手としてピッチを離れた後も、クラブ運営という形でチームを支える立場となった。
3.2. Amateur Career (FC Seriole)
プロサッカー選手としての現役は引退したものの、西河はサッカーを続ける道を選んだ。2020年からは、FC琉球のフロントスタッフとしての職務と並行して、沖縄県1部リーグに所属するFCセリオーレで選手としてプレーを続けている。
4. Career Statistics and Records
西河翔吾のプロキャリア全体にわたる統計と主要な記録を以下に示す。
4.1. Club Performance Statistics
西河翔吾のクラブ別の出場記録および得点記録は以下の通りである。
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 通算 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 通算 | |||||||
2004 | 広島 | J1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | |
2005 | 13 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | |||
2006 | 2 | 0 | 3 | 0 | - | 5 | 0 | ||||
徳島 | J2 | 8 | 0 | - | 1 | 0 | 9 | 0 | |||
2007 | 42 | 1 | - | 1 | 0 | 43 | 1 | ||||
2008 | 35 | 2 | - | 1 | 0 | 36 | 2 | ||||
2009 | 広島 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||
山形 | 14 | 1 | - | 2 | 0 | 16 | 1 | ||||
2010 | 18 | 1 | 3 | 0 | 4 | 1 | 25 | 2 | |||
2011 | 11 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | |||
2012 | J2 | 37 | 1 | - | 2 | 1 | 39 | 2 | |||
2013 | 22 | 4 | - | 3 | 0 | 25 | 4 | ||||
2014 | 14 | 0 | - | 0 | 0 | 14 | 0 | ||||
2015 | J1 | 27 | 2 | 5 | 0 | 2 | 0 | 34 | 2 | ||
2016 | 横浜FC | J2 | 42 | 1 | - | 1 | 0 | 43 | 1 | ||
2017 | 35 | 2 | - | 1 | 0 | 36 | 2 | ||||
2018 | 栃木 | 17 | 1 | - | 0 | 0 | 17 | 1 | |||
2019 | 琉球 | 6 | 0 | - | 1 | 0 | 7 | 0 | |||
2020 | セリオーレ | 沖縄県1部 | - | - | |||||||
総通算 | 348 | 16 | 13 | 0 | 21 | 2 | 382 | 18 |
- 2004年は特別指定選手として出場。
4.2. Notable Match Records
西河翔吾のプロキャリアにおける主要な節目となる試合記録は以下の通りである。
- 公式戦初出場:** 2004年4月29日、ナビスコカップ第2節の横浜F・マリノス戦(横浜国際総合競技場)。この試合では先発出場したが、26分と55分に警告を2回受け、退場処分となった。
- Jリーグ初出場:** 2004年9月11日、J1 2ndステージ第4節の清水エスパルス戦(日本平スタジアム)。この試合では42分に髙萩洋次郎と交代し、途中出場を果たした。
- Jリーグ初得点:** 2007年11月25日、J2第51節のザスパ草津戦(ポカリスエットスタジアム)。59分に金尚佑と交代で途中出場し、89分にゴールを決めた。
5. Personal Life and Public Image
西河翔吾は、公に知られている個人的な側面も持ち合わせており、彼のキャリアにはいくつかの注目すべきエピソードがある。
彼は2017年に結婚したことが報じられた。しかし、2019年時点のFC琉球公式ウェブサイトで未婚と記載されていたことから、離婚したとみられている。
また、2010年6月にNDソフトスタジアム山形で行われたモンテディオ山形のファン感謝デーでは、「男前ダービー」という企画で初代王者に輝いた。これは来場者の投票によって選ばれたもので、西河自身は投票者への感謝を示しつつも、優勝者の衣装を着用することには「恥ずかしいです...」とコメントしていた。
6. Controversies and Incidents
西河翔吾の選手キャリア中およびプロ引退後に、いくつかの公的な問題や出来事が報じられている。
6.1. Traffic Accident Incident
2011年11月24日、西河は山形市十日町で人身事故を起こした。この事故を受け、当時所属していたモンテディオ山形を運営する「県スポーツ振興21世紀協会」は、同年11月26日に予定されていた次戦(名古屋戦)への出場禁止処分を命じた。さらに、自動車安全運転講習の受講(期日未定)までの運転禁止も課された。
6.2. Lawsuit Against FC Ryukyu
2022年9月29日、西河は以前所属し、引退後にフロントスタッフを務めていたFC琉球を相手取り、那覇地裁に提訴した。彼は、クラブの元スタッフ2人に対してハラスメントを行ったと一方的に認定され、不当に解雇されたと主張し、地位確認などを求めている。この訴訟は、クラブ側の一方的な認定に対する西河の異議申し立てという形で進行している。