1. 個人生活
1.1. 生い立ちと家族
趙宏博は黒竜江省ハルビンで生まれ、満洲族の出身である。趙宏博は1973年9月22日にハルビンで誕生した。彼のパートナーであり妻でもある申雪とは、2007年世界選手権後に婚約を発表し、その後まもなく結婚した。二人の間には、2013年9月3日に娘が誕生している。現在、彼らは広東省深圳に居住し、コーチとして活動している。
1.2. 氷上でのプロポーズ
2007年世界フィギュアスケート選手権のフリースケーティング演技終了後、趙宏博は氷上で申雪にプロポーズをするというロマンチックな一幕があった。しかし、この時申雪は彼が結婚を申し込んでいるとは認識しておらず、プロポーズは意図通りには伝わらなかった。結局、趙宏博はその日の深夜、夕食を終えてホテルに戻る途中で改めて申雪に求婚し、申雪もこれを快く受け入れた。
2. 選手としてのキャリア
趙宏博は申雪とのペア結成以降、数々の国際大会で輝かしい成績を収め、中国フィギュアスケート界のパイオニアとして歴史に名を刻んだ。怪我による活動休止や引退発表を乗り越え、オリンピック金メダルという長年の夢を実現した。
2.1. 初期キャリアと申雪とのパートナーシップ
趙宏博はキャリア初期に謝懋懋とペアを組み、1991年世界ジュニアフィギュアスケート選手権で11位に入っている。その後、1992年から現在のパートナーである申雪と共に滑り始めた。彼らは姚濱コーチの指導を受け、めざましい成長を遂げた。
1997年頃から頭角を現し、1998年長野オリンピックに初出場ながら5位という好成績を収めた。翌年の1999年世界フィギュアスケート選手権では、彼らの中国人ペアとしては初めて世界選手権でメダル(銀)を獲得する快挙を達成した。
2.2. 国際大会での成功
申雪と趙宏博のペアは、年々その実力を向上させ、世界トップクラスのチームと評価されるようになった。
2000年世界フィギュアスケート選手権では銀メダル、2001年世界フィギュアスケート選手権では銅メダルを獲得。2002年ソルトレイクシティオリンピックではメダル有力候補と目され、フリースケーティングで4回転スロージャンプに挑戦したが、申雪が着氷直後にブレードが滑って転倒し、成功認定はならなかった。それでも銅メダルを獲得し、中国人ペアとして初めてオリンピックのフィギュアスケート競技でメダルを手にした。
ソルトレイクシティオリンピックの直後に行われた2002年世界フィギュアスケート選手権(長野)では、中国人ペアとして史上初めて世界選手権で優勝を果たした。2003年3月にワシントンD.C.で開催された2003年世界フィギュアスケート選手権では、練習中に申雪が4回転スロージャンプで着氷に失敗し、足首を負傷するアクシデントに見舞われた。しかし、痛み止めを打って演技に臨み、ノーミスの素晴らしいフリースケーティングを披露して観客からスタンディングオベーションを受け、世界選手権2連覇を達成した。
2003-2004シーズンからは、国際スケート連盟(ISU)の採点方式が新採点システム(CoP)に移行した。彼らは2003年スケートカナダで2位となったが、2003年中国杯では優勝した。さらに、2003/2004 ISUグランプリファイナルでは、ショートプログラムで66.00点、フリースケーティングで130.08点を獲得し、合計196.08点で、ライバルのタチアナ・トトミアニナ / マキシム・マリニン組に18.78点の大差をつけて3度目のグランプリファイナル優勝を果たした。この大会で、彼らはフリースケーティングにおいて史上初めて130点を超えるスコアを記録したペアとなった。
2004年の世界選手権では、3連覇を目指したが、ショートプログラムで趙宏博がソロジャンプで転倒し4位となる。フリースケーティングでは前年に引き続きスタンディングオベーションが起こる素晴らしい演技を披露し、フリースケーティングでは1位だったものの、総合ではタチアナ・トトミアニナ / マキシム・マリニン組に次ぐ銀メダルに終わった。この大会は旧採点方式で行われた最後の世界選手権であり、彼らは技術点で2つ、芸術点で10個の6.0点満点を獲得した。
2.3. 怪我と復帰
2004-2005シーズンは、2004年スケートカナダ、2004年エリック・ボンパール杯、2004年中国杯とグランプリシリーズ全てで優勝を飾り、さらに2004/2005 ISUグランプリファイナルでも優勝し、この4大会全てでショートプログラム、フリースケーティングを通じて完全優勝という圧倒的な強さを見せた。グランプリファイナルではショートプログラムで70.52点、フリースケーティングで136.02点、合計206.54点を獲得し、ショートプログラム、フリースケーティング、総合点の全てでISU採点システム下での世界最高得点を記録した。この時、彼らはショートプログラムで初めて70点、総合点で初めて200点を超えたペアとなった。
しかし、2005年2月の2005年四大陸フィギュアスケート選手権の練習中に趙宏博が左足のアキレス腱を痛め棄権を余儀なくされた。さらに数週間後には、練習中にアキレス腱を断裂するという重傷を負い、そのシーズンの全ての競技会を欠場した。彼らが再び氷上に戻ることができたのは、2006年トリノオリンピックのわずか数週間前であった。十分な準備期間が取れない中で、彼らはトリノオリンピックに出場。ショートプログラムでは5位(62.32点)、フリースケーティングでは3位(124.59点)となり、総合186.91点で2大会連続となる銅メダルを獲得した。
2.4. バンクーバーオリンピックでの金メダル
2006-2007シーズンは、出場した全ての大会でショートプログラム、フリースケーティングを通じて完全優勝という圧倒的な強さを見せた。2006年中国杯、NHK杯で優勝した後、2006/2007 ISUグランプリファイナルではショートプログラムで68.66点、フリースケーティングで134.53点、合計203.19点で優勝。2007年四大陸フィギュアスケート選手権でもショートプログラムで69.29点、フリースケーティングで133.76点、合計203.05点を獲得し優勝した。さらに、2007年世界フィギュアスケート選手権ではショートプログラムで71.07点、フリースケーティングで132.43点、合計203.50点という高得点で3度目の優勝を飾った。この世界選手権優勝後、彼らは一度競技からの引退を発表した。
しかし、長年の夢であるオリンピック金メダルを目指し、2009-2010シーズンに競技に復帰した。ISUグランプリシリーズでは、2009年中国杯でショートプログラム72.28点(自己最高)、フリースケーティング128.69点を獲得し、合計200.97点で優勝。2009年スケートアメリカでもショートプログラム74.36点(自己最高)、フリースケーティング127.04点を獲得し、合計201.40点で優勝した。これらの優勝により、彼らはグランプリシリーズ7大会を制した初の選手となった。
2009/2010 ISUグランプリファイナルでは、ショートプログラムで75.36点(自己最高)、フリースケーティングで138.89点(自己最高)を記録し、合計214.25点という自身の持つ国際スケート連盟主催大会の最高記録を塗り替えて、史上最多となる6回目の優勝を果たした。この大会で、彼らはフリースケーティングにおいて初めて138点を超えるスコアを記録したペアとなった。

そして、2010年バンクーバーオリンピックでは、ショートプログラムで76.66点という自己最高記録を樹立し首位に立った。続くフリースケーティングでは、自己最高となる139.91点を記録し、合計216.57点という世界最高得点(当時)で金メダルを獲得した。これは、中国フィギュアスケート史上初のオリンピック金メダルであり、フィギュアスケートのペア競技において、1964年のインスブルックオリンピック以来46年間続き、12大会連続で続いていたロシアおよびソビエト連邦の支配を打ち破る歴史的な偉業であった。当時の年齢は申雪31歳、趙宏博36歳であり、フィギュアスケートのオリンピックチャンピオンとしては最も高齢な部類に入る。
2.5. 引退と一時的な復帰
2007年の世界選手権優勝後、趙宏博と申雪は一度競技からの引退を発表し、アイスショーなどの活動に専念した。しかし、長年の夢であったオリンピック金メダルを獲得するため、2009-2010シーズンに競技へ一時的に復帰することを決意した。
2.6. 最終的な引退

2010年バンクーバーオリンピックでの金メダル獲得後、彼らは2010年2月17日に競技からの完全な引退を発表した。彼らは今後、個人的な生活に重点を置き、家庭を築き、フィギュアスケートの普及活動やコーチ業に尽力する意向を示した。2010年8月には、彼らが主催するアイスショー「アーティストリー・オン・アイス」の場で、世界各国のスケーターを招き、正式な結婚式を挙げた。
3. 引退後の活動
競技生活を引退した後も、趙宏博はフィギュアスケート界で多岐にわたる活動を続けている。
3.1. コーチとしての活動
引退後、趙宏博は姚濱コーチや韓冰コーチと共にハルビンのスケートクラブでコーチとして後進の指導に当たっている。彼の指導する選手には、隋文静 / 韓聰組、彭程 / 張昊組、于小雨 / 金揚組、高鈺夢 / 解衆組といった中国を代表するトップペアが含まれる。2014年には、彼の教え子たちがグランプリシリーズで中国杯の表彰台を独占し、出場した全ての大会でメダルを獲得、3組がグランプリファイナルに進出するなど、その指導者としての手腕を発揮している。
3.2. アイスショーと広報活動
趙宏博と申雪は、現役引退後も世界各地のアイスショーに参加しており、2007年のイタリア・トリノでの「ゴールデン・スケート・アワード」、2008年と2010年のアメリカ合衆国での「スターズ・オン・アイス」、2009年の韓国ソウルでの「アイス・オールスターズ」(金妍兒ら世界的なスケーターと共演)、さらに「オール・ザット・スケート」などに出演している。
また、ナイキ、Visa、ゼネラル・エレクトリック、レノボといった大手ブランドのスポンサーシップを受け、フィギュアスケートの普及活動にも貢献している。
4. 記録と主な成績
趙宏博と申雪は、その長きにわたるキャリアの中で数々の世界記録を樹立し、主要な国際大会で優れた成績を残した。
4.1. 歴代世界最高得点記録
国際スケート連盟(ISU)の採点システム下で、申雪と趙宏博が樹立した歴代世界最高得点記録の変遷は以下の通りである。
総得点記録 | |||
---|---|---|---|
日付 | スコア | イベント | 備考 |
2010年2月15日 | 216.57 | 2010年バンクーバーオリンピック | この記録は、2011年4月28日にアリオナ・サフチェンコ / ロビン・ゾルコーヴィー組によって破られた。 |
2009年12月5日 | 214.25 | 2009/2010 ISUグランプリファイナル | 史上初めて210点を超えたペアとなった。 |
2004年12月18日 | 206.54 | 2004/2005 ISUグランプリファイナル | 史上初めて200点を超えたペアとなった。 |
2003年12月13日 | 196.08 | 2003/2004 ISUグランプリファイナル | |
2003年10月31日 | 191.80 | 2003年スケートカナダ | 史上初めて190点を超えたペアとなった。 |
ショートプログラム記録 | |||
日付 | スコア | イベント | 備考 |
2010年2月14日 | 76.66 | 2010年バンクーバーオリンピック | この記録は、2013年9月26日にタチアナ・ボロソジャル / マキシム・トランコフ組によって破られた。 |
2009年12月3日 | 75.36 | 2009/2010 ISUグランプリファイナル | |
2007年3月20日 | 71.07 | 2007年世界フィギュアスケート選手権 | |
2004年12月17日 | 70.52 | 2004/2005 ISUグランプリファイナル | 史上初めてショートプログラムで70点を超えたペアとなった。 |
2003年10月30日 | 68.76 | 2003年スケートカナダ | |
フリースケーティング記録 | |||
日付 | スコア | イベント | 備考 |
2009年12月5日 | 138.89 | 2009/2010 ISUグランプリファイナル | この記録は、2010年1月20日に川口悠子 / アレクサンドル・スミルノフ組によって破られた。 |
2004年12月18日 | 136.02 | 2004/2005 ISUグランプリファイナル | |
2003年12月13日 | 130.08 | 2003/2004 ISUグランプリファイナル | 史上初めてフリースケーティングで130点を超えたペアとなった。 |
2003年10月31日 | 123.04 | 2003年スケートカナダ | 史上初めてフリースケーティングで120点を超えたペアとなった。 |
4.2. 主要大会での戦績
申雪と趙宏博が主要な国際および国内大会で記録した戦績は以下の通りである。
大会/年 | 92-93 | 93-94 | 94-95 | 95-96 | 96-97 | 97-98 | 98-99 | 99-00 | 00-01 | 01-02 | 02-03 | 03-04 | 04-05 | 05-06 | 06-07 | 07-08 | 08-09 | 09-10 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
冬季オリンピック | 5位 | 3位 | 3位 | 1位 | ||||||||||||||
世界選手権 | 21位 | 15位 | 11位 | 4位 | 2位 | 2位 | 3位 | 1位 | 1位 | 2位 | 棄権 | 1位 | ||||||
四大陸選手権 | 1位 | 2位 | 1位 | 1位 | ||||||||||||||
冬季アジア大会 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | ||||||||||||||
中国選手権 | 1位 | 1位 | 2位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | |||||||||
GPファイナル | 4位 | 1位 | 1位 | 3位 | 3位 | 2位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | ||||||||
GP中国杯 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | ||||||||||||||
GPスケートアメリカ | 2位 | 1位 | ||||||||||||||||
GPNHK杯 | 6位 | 4位 | 1位 | 2位 | 4位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | |||||||||
GPスケートカナダ | 1位 | 2位 | 1位 | |||||||||||||||
GPエリック杯 | 5位 | 3位 | 1位 | |||||||||||||||
GPボフロスト杯 | 3位 | 1位 | 1位 | |||||||||||||||
GPロシア杯 | 2位 | 2位 | 2位 | 1位 | ||||||||||||||
ユニバーシアード | 1位 | |||||||||||||||||
棄権 = Withdrew。申雪と趙宏博は2007-2008シーズンと2008-2009シーズンには出場していない。 |
4.3. 詳細な競技結果
以下に、特定のシーズンにおける申雪と趙宏博のより詳細な競技結果を示す。
2009-2010シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
2010年2月14日-15日 | 2010年バンクーバーオリンピック | 1位 76.66 | 2位 139.91 | 1位 216.57 |
2009年12月2日-6日 | 2009/2010 ISUグランプリファイナル | 1位 75.36 | 1位 138.89 | 1位 214.25 |
2009年11月12日-15日 | 2009年スケートアメリカ | 1位 74.36 | 1位 127.04 | 1位 201.40 |
2009年10月29日-11月1日 | 2009年中国杯 | 1位 72.28 | 1位 128.69 | 1位 200.97 |
2006-2007シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
2007年3月20日-25日 | 2007年世界フィギュアスケート選手権 | 1位 71.07 | 1位 132.43 | 1位 203.50 |
2007年2月7日-10日 | 2007年四大陸フィギュアスケート選手権 | 1位 69.29 | 1位 133.76 | 1位 203.05 |
2007年2月2日-3日 | 2007年アジア冬季競技大会 | 1位 69.49 | 1位 126.06 | 1位 195.55 |
2006年12月14日-17日 | 2006/2007 ISUグランプリファイナル | 1位 68.66 | 1位 134.53 | 1位 203.19 |
2006年11月30日-12月3日 | 2006年NHK杯 | 1位 65.58 | 1位 125.39 | 1位 190.97 |
2006年11月9日-12日 | 2006年中国杯 | 1位 68.90 | 1位 124.69 | 1位 193.59 |
2005-2006シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
2006年2月11日-24日 | 2006年トリノオリンピック | 5位 62.32 | 3位 124.59 | 3位 186.91 |
2004-2005シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2005年3月14日-20日 | 2005年世界フィギュアスケート選手権 | 3位 66.00 | 棄権 | 棄権 |
2004年12月16日-19日 | 2004/2005 ISUグランプリファイナル | 1位 70.52 | 1位 136.02 | 1位 206.54 |
2004年11月18日-21日 | 2004年エリック・ボンパール杯 | 1位 66.88 | 1位 121.24 | 1位 188.12 |
2004年11月11日-14日 | 2004年中国杯 | 1位 66.38 | 1位 127.16 | 1位 193.54 |
2004年10月28日-31日 | 2004年スケートカナダ | 1位 66.48 | 1位 123.72 | 1位 190.20 |
2003-2004シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
2004年3月22日-28日 | 2004年世界フィギュアスケート選手権 | 4位 | 1位 | 2位 |
2003年12月11日-14日 | 2003/2004 ISUグランプリファイナル | 1位 66.00 | 1位 130.08 | 1位 196.08 |
2003年11月6日-9日 | 2003年中国杯 | 1位 63.46 | 1位 125.82 | 1位 189.28 |
2003年10月30日-11月2日 | 2003年スケートカナダ | 1位 68.76 | 2位 123.04 | 2位 191.80 |
2002-2003シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
2003年3月24日-30日 | 2003年世界フィギュアスケート選手権 | 2位 | 1位 | 1位 |
2003年2月28日-3月2日 | 2002/2003 ISUグランプリファイナル | 2位 | 2位 | 2位 |
2003年2月10日-16日 | 2003年四大陸フィギュアスケート選手権 | 1位 | 1位 | 1位 |
2003年2月1日-8日 | 2003年アジア冬季競技大会 | 1位 | 1位 | 1位 |
2002年11月28日-12月1日 | 2002年NHK杯 | 1位 | 1位 | 1位 |
2002年11月21日-24日 | 2002年ロシア杯 | 1位 | 1位 | 1位 |
2002年11月8日-10日 | 2002年ボフロスト杯 | 1位 | 1位 | 1位 |
2001-2002シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
2002年3月16日-24日 | 2002年世界フィギュアスケート選手権 | 1位 | 1位 | 1位 |
2002年2月9日-21日 | 2002年ソルトレイクシティオリンピック | 3位 | 3位 | 3位 |
2001年12月14日-16日 | 2001/2002 ISUグランプリファイナル | 3位 | 3位 | 3位 |
2001年11月29日-12月2日 | 2001年NHK杯 | 1位 | 1位 | 1位 |
2001年11月9日-10日 | 2001年スパルカッセン杯 | 1位 | 1位 | 1位 |
2000-2001シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
2001年3月17日-25日 | 2001年世界フィギュアスケート選手権 | 2位 | 3位 | 3位 |
2001年2月15日-18日 | 2000/2001 ISUグランプリファイナル | 3位 | 3位 | 3位 |
2001年2月7日-10日 | 2001年四大陸フィギュアスケート選手権 | 2位 | 2位 | 2位 |
2000年11月30日-12月3日 | 2000年NHK杯 | 1位 | 2位 | 1位 |
2000年11月16日-19日 | 2000年ロシア杯 | 2位 | 2位 | 2位 |
2000年10月26日-29日 | 2000年スケートアメリカ | 2位 | 1位 | 2位 |
1999-2000シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
2000年3月26日-4月2日 | 2000年世界フィギュアスケート選手権 | 1位 | 2位 | 2位 |
2000年1月13日-16日 | 1999/2000 ISUグランプリファイナル | 1位 | 1位 | 1位 |
1999年12月2日-5日 | 1999年NHK杯 | 4位 | 4位 | 4位 |
1999年11月24日-28日 | 1999年ロシア杯 | 2位 | 1位 | 2位 |
1999年11月11日-14日 | 1999年スパルカッセン杯 | 3位 | 3位 | 3位 |
1998-1999シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
1999年3月21日-28日 | 1999年世界フィギュアスケート選手権 | 2位 | 2位 | 2位 |
1998年3月4日-7日 | 1998/1999 ISUグランプリファイナル | 1位 | 1位 | 1位 |
1999年2月21日-28日 | 1999年四大陸フィギュアスケート選手権 | 1位 | 1位 | 1位 |
1999年1月30日-2月6日 | 1999年アジア冬季競技大会 | 1位 | 1位 | 1位 |
1998年12月2日-6日 | 1998年NHK杯 | 2位 | 3位 | 2位 |
1998年11月25日-29日 | 1998年ロシア杯 | 2位 | 5位 | 2位 |
1998年11月5日-8日 | 1998年スケートカナダ | 1位 | 1位 | 1位 |
1997-1998シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
1998年3月28日-4月5日 | 1998年世界フィギュアスケート選手権 | 4位 | 6位 | 4位 |
1998年2月8日-20日 | 1998年長野オリンピック | 5位 | 8位 | 5位 |
1997年12月19日-21日 | 1997/1998 ISUチャンピオンシリーズファイナル | 4位 | 4位 | 4位 |
1997年11月27日-30日 | 1997年NHK杯 | 1位 | 3位 | 1位 |
1998年11月13日-16日 | 1997年ラリック杯 | 3位 | 3位 | 3位 |
1996-1997シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
1997年3月16日-23日 | 1997年世界フィギュアスケート選手権 | 11位 | 14位 | 11位 |
1995-1996シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
1996年3月17日-24日 | 1996年世界フィギュアスケート選手権 | 15位 | 18位 | 15位 |
1993-1994シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
---|---|---|---|---|
1994年3月20日-27日 | 1994年世界フィギュアスケート選手権 | 21位 | 23位 | 21位 |
5. 使用プログラム
申雪と趙宏博が競技会やエキシビションで使用したプログラムは以下の通りである。
シーズン | ショートプログラム | フリースケーティング | エキシビション |
---|---|---|---|
2009-2010 | リヴ・フォーエヴァー 作曲:クイーン(ブライアン・メイ) 演奏:デイヴィッド・ギャレット 振付:ローリー・ニコル | アルビノーニのアダージョ 作曲:トマゾ・アルビノーニ 演奏:エロイカ・トリオ 振付:ローリー・ニコル | Io Ci Sarò 作曲:デイヴィッド・フォスター、ウォルター・アファナシエフ ボーカル:アンドレア・ボチェッリ 振付:ローリー・ニコル |
2007-2009 | (競技には出場せず) | (競技には出場せず) | フィーリング・グッド ボーカル:マイケル・ブーブレ 振付:韓冰 |
2006-2007 | ロマンツァ 作曲:サルバドール・バカリッセ 振付:ローリー・ニコル | タイスの瞑想曲 歌劇『タイス』より 作曲:ジュール・マスネ 振付:ローリー・ニコル | マイ・ウェイ 演奏:ザ・スリー・テナーズ 振付:ローリー・ニコル |
2005-2006 | ピアノ協奏曲第3番 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ 振付:ローリー・ニコル | ある晴れた日に 歌劇『蝶々夫人』より 作曲:ジャコモ・プッチーニ 振付:リー・アン・ミラー | 見果てぬ夢 ミュージカル『ラ・マンチャの男』より 作曲:ミッチ・リー ボーカル:ルーサー・ヴァンドロス 振付:ローリー・ニコル |
2004-2005 | 月の光 作曲:クロード・ドビュッシー 振付:リー・アン・ミラー | 映画『宋家の三姉妹』より 作曲:喜多郎、ランディ・ミラー 振付:リー・アン・ミラー | カム・ホワット・メイ 映画『ムーラン・ルージュ』より 作曲:クレイグ・アームストロング ボーカル:ニコール・キッドマン、ユアン・マクレガー 振付:リー・アン・ミラー |
2003-2004 | キスメット 演奏:ボンド 振付:リー・アン・ミラー、ルネ・ロカ、ゴーシャ・シュール | パ・ド・ドゥ バレエ『くるみ割り人形』より 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:リー・アン・ミラー | カム・ホワット・メイ 映画『ムーラン・ルージュ』より ボーカル:ニコール・キッドマン、ユアン・マクレガー 振付:リー・アン・ミラー |
2002-2003 | Beethoven's Last Night 演奏:トランスサイベリアン・オーケストラ 振付:タチアナ・タラソワ | ヴァイオリン・ファンタジー on プッチーニのトゥーランドット 作曲:ジャコモ・プッチーニ 演奏:ヴァネッサ・メイ 振付:リー・アン・ミラー、ルネ・ロカ、ゴーシャ・シュール | ベンソンハースト・ブルース ボーカル:オスカー・ベントン |
2001-2002 | キスメット 演奏:ボンド 振付:リー・アン・ミラー、ルネ・ロカ、ゴーシャ・シュール | ヴァイオリン・ファンタジー on プッチーニのトゥーランドット 作曲:ジャコモ・プッチーニ 演奏:ヴァネッサ・メイ 振付:リー・アン・ミラー、ルネ・ロカ、ゴーシャ・シュール | ピンク・パンサーのテーマ 映画『ピンク・パンサー』より 作曲:ヘンリー・マンシーニ |
2000-2001 | アレグレット パラディオより 作曲:カール・ジェンキンス 振付:ゴーシャ・シュール | スピリット・オブ・スプリング 中国のヴァイオリン音楽 作曲:杜鳴心 振付:サンドラ・ベジック、マイケル・サイバート | Beethoven's Last Night 演奏:トランスサイベリアン・オーケストラ |
1999-2000 | 火の鳥 作曲:イーゴリ・ストラヴィンスキー 振付:サンドラ・ベジック | スピリット・オブ・スプリング 中国のヴァイオリン音楽 作曲:杜鳴心 振付:サンドラ・ベジック、マイケル・サイバート | Crazy 作曲:フリオ・イグレシアス 振付:サンドラ・ベジック |
1998-1999 | ツィゴイネルワイゼン 作曲:パブロ・デ・サラサーテ 振付:姚濱 | ムーランからの選曲 映画『ムーラン』サウンドトラックより 作曲:ジェリー・ゴールドスミス 振付:姚濱 | ある晴れた日に 歌劇『蝶々夫人』より 作曲:ジャコモ・プッチーニ |
1997-1998 | ツィゴイネルワイゼン 作曲:パブロ・デ・サラサーテ 振付:姚濱 | マウント・オリンパス 作曲:マーズ・ラサール 振付:姚濱 | ある晴れた日に 歌劇『蝶々夫人』より 作曲:ジャコモ・プッチーニ |
1996-1997 | Out of Silence 作曲:ヤニー 振付:姚濱 | マウント・オリンパス 作曲:マーズ・ラサール 振付:姚濱 | |
1995-1996 | Out of Silence 作曲:ヤニー 振付:姚濱 | 黄河協奏曲 作曲:冼星海 振付:姚濱 |
6. 評価と影響
申雪と趙宏博のペアは、その卓越した技術と芸術性、そして不屈の精神により、フィギュアスケート界、特に中国のスポーツ界に計り知れない影響を与えた。
彼らは国際スケート連盟(ISU)主催大会で初めてメダルを獲得した中国人ペアであり、1999年の世界選手権で中国人ペアとして初めてメダルを獲得した。2002年には中国人ペアとして初めて世界選手権で優勝するという歴史的快挙を達成し、冬季オリンピックのフィギュアスケート競技でメダルを獲得した初の中国人ペアでもある。
2010年バンクーバーオリンピックでの金メダル獲得は、フィギュアスケートの全種目を通じて中国に初のオリンピック金メダルをもたらしただけでなく、1964年のインスブルックオリンピック以来12大会連続で続いていたロシアおよびソビエト連邦のペア競技における金メダル独占を打ち破るものであり、その歴史的意義は非常に大きい。彼らの功績は、中国のフィギュアスケートを世界のトップレベルに引き上げ、後進の選手たちに大きなインスピレーションを与えた。彼らは引退後もコーチとして中国のペアスケートの発展に貢献しており、その影響は現在も続いている。
彼らのキャリアは、怪我や年齢という困難を乗り越え、長年の努力と情熱が報われることの証明であり、多くの人々に感動と勇気を与えた。