1. 概要
郭泰輝は、大韓民国慶尚北道漆谷郡出身の元プロサッカー選手であり、現在は指導者として活躍しています。彼は幼少期から左目の視力低下や扁平足といった身体的な困難に直面しましたが、絶え間ない努力とリハビリテーションを通じてこれを克服し、プロサッカー選手としてのキャリアを築きました。韓国のKリーグではFCソウル、全南ドラゴンズ、蔚山現代、慶南FCに所属し、また日本のJリーグの京都サンガF.C.、サウジアラビアのサウジ・プロフェッショナルリーグのアル・シャバブとアル・ヒラルでもプレーしました。クラブキャリアではAFCチャンピオンズリーグやKリーグ、韓国FAカップの優勝に貢献し、数々のタイトルを獲得しています。また、韓国代表としても国際Aマッチ58試合に出場し、5得点を記録。2014年のFIFAワールドカップや、2011年・2015年のAFCアジアカップにも出場しました。現役引退後は指導者の道を歩んでいます。
2. 生い立ちと身体的困難の克服
郭泰輝は、サッカー選手として類まれなキャリアを築く中で、個人的な背景と身体的な困難を克服してきました。
2.1. 幼少期と学生時代
郭泰輝は1981年7月8日に慶尚北道漆谷郡で生まれました。幼少期の詳細な記録は少ないものの、彼のサッカー人生は一般的な選手に比べて遅く始まりました。当初、彼はサッカー強豪校ではない人文系の純心高等学校に入学しましたが、サッカーへの情熱を諦めきれず、高校1年生の途中で大邱工業高等学校のサッカー部のテストを受けて転校しました。この転校は、彼が本格的にサッカーの道に進む大きな転機となりました。遅いスタートにもかかわらず、高校2年生になる頃にはすでに身長が180 cmを超え、恵まれた身体条件とたゆまぬ努力により、短期間で頭角を現し、試合に出場できるようになりました。高校卒業後、彼は恩師である元大邱工業高等学校監督の郭炳儒(クァク・ビョンユ)の助言に従い、2000年から2003年まで中央大学校でプレーし、その実力をさらに向上させました。
2.2. 身体的逆境の克服
郭泰輝の学生時代は、サッカーへの情熱と並行して、大きな身体的困難との闘いでもありました。高校時代、練習中に左目にボールが直撃するという不運な事故に見舞われ、左目の視力が大きく低下しました。報道によっては失明に近い状態とされ、本人の父によれば視力は0.2を保っていたとされます。この深刻な怪我により、彼は高校を卒業するまでに通常の3年ではなく4年を要しました。しかし、彼はサッカー選手の夢を諦めることなく、約1年間の過酷なリハビリテーションに取り組み、再びグラウンドに立つことを目指しました。この努力が実を結び、彼は怪我を克服して選手として復帰を果たしました。この左目の負傷が原因で、彼は兵役義務を免除されています。さらに、郭泰輝は先天的に扁平足という、サッカー選手にとっては不利とされる足の形を持っていました。これらの身体的な逆境にもかかわらず、彼は不屈の精神と血のにじむような努力によってこれらを乗り越え、プロサッカー選手としての輝かしいキャリアを歩むことができました。
3. クラブ経歴
郭泰輝のプロサッカークラブ経歴は、韓国国内にとどまらず、日本やサウジアラビアのリーグでも成功を収め、多くの主要タイトル獲得に貢献しました。
3.1. FCソウル (初期)
大学を卒業後、郭泰輝は2005年にFCソウルに加入し、プロ選手としてのキャリアをスタートさせました。初期のFCソウルでの在籍期間は2007年までで、この間にリーグ戦28試合に出場し、1得点を記録しています。彼は2006年のKリーグカップ優勝に貢献し、プロとしての最初のタイトルを獲得しました。
3.2. 全南ドラゴンズ
2007年7月25日の夏の移籍期間に、郭泰輝は金珍圭(キム・ジンギュ)とのトレードで全南ドラゴンズへ移籍しました。全南では2009年までプレーし、リーグ戦33試合に出場して1得点を挙げました。特に印象的だったのは、2007年11月25日に行われたFAカップ決勝第1戦で、チームを逆転勝利に導く決勝ゴールを決めたことです。この活躍により、全南ドラゴンズはFAカップで優勝し、郭泰輝もその重要な一員として貢献しました。2008年には全南ドラゴンズのキャプテンも務めています。また、チームは2008 Kリーグカップで準優勝という成績を収めました。
3.3. 日本および蔚山現代への移籍
2010年、郭泰輝は活躍の場を日本に移し、Jリーグの京都サンガF.C.に完全移籍しました。日本での1年間でJ1リーグ戦24試合に出場し、2得点を挙げました。2011年も京都に選手登録されていましたが、同年2月に韓国のKリーグへと復帰し、蔚山現代に加入しました。
蔚山現代では2011年から2012年までプレーし、リーグ戦で66試合に出場し12得点と、センターバックとしては異例の得点能力を見せました。彼は2011年シーズンに蔚山をリーグ最少失点チームに導き、さらにプレーオフでは2得点を挙げてチームのリーグ準優勝に大きく貢献しました。その高い得点能力から、「ゴールを決めるディフェンダー」というニックネームで親しまれました。2012年には、AFCチャンピオンズリーグに出場し、蔚山現代の無敗優勝に大きく貢献。決勝戦では先制となるヘディングゴールを決めるなど、攻守にわたる活躍を見せました。この活躍により、彼は2011年と2012年の2年連続でKリーグベストイレブンに選出され、2012年にはKリーグオールスターにも選ばれています。さらに、2012 FIFAクラブワールドカップにも2試合出場しました。
3.4. 中東リーグ (アル・シャバブ、アル・ヒラル)
2013年1月、郭泰輝は新たな挑戦としてサウジアラビアのアル・シャバブへ移籍しました。アル・シャバブでの在籍中、彼はリーグ戦16試合に出場し、2得点を記録しました。チームは2013 King Cupで準優勝しています。
2013年12月27日には、同じくサウジアラビアの強豪クラブであるアル・ヒラルへ移籍。わずか2日後の12月29日にはデビュー戦で移籍後初ゴールを挙げるなど、すぐにチームに適応しました。アル・ヒラルでは2016年までプレーし、リーグ戦42試合に出場し2得点を記録しました。この中東リーグでの活躍は目覚ましく、サウジアラビアではその人気が「芸能人をも凌ぐ」と評されるほどでした。彼は2015 King Cup、2015-16 Saudi Crown Prince Cup、そして2015 Saudi Super Cupの優勝に貢献しました。また、2014 AFCチャンピオンズリーグではチームを準優勝に導き、同年にはAFCチャンピオンズリーグドリームチームにも選出されています。2016年にはAFCチャンピオンズリーグオールスターズスクワッドにも選ばれました。
3.5. FCソウルへの復帰
2016年7月7日、郭泰輝はプロキャリアをスタートさせた古巣であるFCソウルに復帰することを発表し、2018年までの契約を結びました。正式なチーム合流は7月13日でした。復帰後、彼はFCソウルでリーグ戦49試合に出場し、3得点を挙げました。この期間中、彼は2016 Kリーグ1のリーグ優勝に貢献し、再び古巣でのタイトル獲得を経験しました。また、チームは2016 FAカップで準優勝を果たしています。2017年には、再びKリーグオールスターチームに選出されるなど、円熟したプレーでチームを支えました。
3.6. 慶南FCと現役引退
2019年シーズンを前に、郭泰輝は慶南FCに移籍しました。慶南FCではリーグ戦16試合に出場しました。そして、2020年シーズンをもって現役引退を正式に表明し、長きにわたるプロサッカー選手としてのキャリアに幕を下ろしました。彼の引退は、身体的困難を乗り越え、国内外で多くの功績を残した、一人のサッカー選手の物語の終わりを意味しました。
4. 国家代表チーム経歴
郭泰輝は、ユース代表からA代表に至るまで、韓国代表として国際舞台で活躍し、重要な大会に出場しました。


2003年にはユニバーシアードチームに選出されました。2004年にはU-23韓国代表に選ばれましたが、出場機会には恵まれず、オリンピック最終予選まではメンバーに残ったものの、本大会への出場は果たせませんでした。
A代表には、許丁茂(ホ・ジョンム)監督が就任して初めて開催された2008年1月30日のチリとの親善試合でデビューしました。その2試合目となる2008年2月2日の2010 FIFAワールドカップアジア3次予選のトルクメニスタン戦では、ヘディングで国際Aマッチ初ゴールを記録しました。2008年2月17日の2008 東アジアサッカー選手権の中国戦でもゴールを挙げ、韓国は3-2で勝利しました。また、2008年10月15日の2010 FIFAワールドカップアジア最終予選のアラブ首長国連邦戦でも4-1の勝利に貢献する得点を挙げています。
2010年2月10日の2010 東アジアサッカー選手権の中国戦では、自身のミスが失点に繋がり、韓国は中国に対してAマッチで32年ぶりとなる0-3での大敗を喫しました。しかし、2010年3月3日にイングランドロンドンで行われたコートジボワールとの親善試合では、ヘディングゴールを決め、2-0の勝利に貢献しました。
2010 FIFAワールドカップに向けて26人の予備登録メンバーに選ばれましたが、2010年5月30日のベラルーシとの親善試合で膝を負傷し、最終メンバーから外れることとなり、初のワールドカップ出場を断念せざるを得ませんでした。
AFCアジアカップ2011ではメンバーに選ばれました。グループリーグ初戦のバーレーン戦で先発出場しましたが、85分にペナルティキックを与えてしまい、一発退場となりました。出場停止明けの第3戦インド戦でも先発しましたが、再びペナルティキックを与えてしまいました。その後は3位決定戦で途中出場するまで、出場機会に恵まれませんでした。韓国はこの大会で3位となりました。
崔康熙(チェ・ガンヒ)監督が韓国代表の指揮を執ってから、彼は2014 FIFAワールドカップアジア3次予選のクウェート戦で初めて韓国代表の主将として試合に出場しました。2012年6月8日、カタールドーハで行われた2014 FIFAワールドカップアジア最終予選のカタール戦では、ヘディングで逆転ゴールを決め、チームの4-1の大勝に貢献しました。
2014 FIFAワールドカップの韓国代表メンバーに選出されましたが、本大会では出場機会はありませんでした。2014年12月22日に発表された2015 AFCアジアカップの最終メンバーにも含まれました。この大会の決勝では、ウリ・シュティーリケ監督の戦術的な判断により、ワントップ攻撃手としてプレーするという異例の役割を担いました。この起用は成功し、彼は孫興民(ソン・フンミン)の同点ゴールをアシストしました。韓国は惜しくも準優勝に終わりましたが、郭泰輝はAFCアジアカップトーナメントベストイレブンに選ばれ、準々決勝のウズベキスタン戦ではマンオブザマッチに選出されるなど、大会を通じて高い評価を受けました。
2008年から2017年にかけての国家代表チームでの通算成績は、58試合出場、5得点でした。
5. 指導者経歴
2020年シーズン末にプロサッカー選手としての現役生活を終えた後、郭泰輝は新たなキャリアとしてサッカー指導者の道に進みました。彼は、徐正源(ソ・ジョンウォン)監督が率いる中国の成都蓉城にコーチとして就任し、第二のサッカー人生をスタートさせました。
6. タイトル・栄誉
郭泰輝は、選手生活の間に多くの個人およびチームタイトルを獲得し、その功績は高く評価されています。
6.1. クラブタイトル
- FCソウル**
- Kリーグ1: 優勝 (2016)
- Kリーグカップ: 優勝 (2006)
- FAカップ: 準優勝 (2016)
- 全南ドラゴンズ**
- FAカップ: 優勝 (2007)
- Kリーグカップ: 準優勝 (2008)
- 蔚山現代**
- AFCチャンピオンズリーグ: 優勝 (2012)
- Kリーグカップ: 優勝 (2011)
- Kリーグ: 準優勝 (2011)
- アル・シャバブ**
- キングカップ: 準優勝 (2013)
- アル・ヒラル**
- キングカップ: 優勝 (2015)
- サウジ・クラウン・プリンス・カップ: 優勝 (2015-16)
- サウジ・スーパーカップ: 優勝 (2015)
- AFCチャンピオンズリーグ: 準優勝 (2014)
- サウジ・プロフェッショナルリーグ: 準優勝 (2015-16)
6.2. 国家代表チームでの栄誉
- AFCアジアカップ: 準優勝 (2015)、3位 (2011)
- EAFF選手権: 優勝 (2008)、準優勝 (2010)
6.3. 個人タイトル
- Kリーグ1 ベストイレブン: 2011、2012
- Kリーグオールスター: 2012、2017
- AFCチャンピオンズリーグ ドリームチーム: 2014
- AFCアジアカップ トーナメントベストイレブン: 2015
- AFCチャンピオンズリーグ オールスターズスクワッド: 2016
- AFCアジアカップ2015 マンオブザマッチ: vs. ウズベキスタン (準々決勝)
7. 私生活
郭泰輝の私生活に関する公に知られている情報としては、結婚歴が挙げられます。彼は2006年12月17日に、2歳年上の姜秀妍(カン・スヨン)さんと慶尚北道亀尾市で結婚式を挙げました。
8. 経歴統計
郭泰輝のプロサッカー選手としての詳細な経歴統計を以下に示します。
8.1. クラブ統計
クラブ | シーズン | リーグ | 国内カップ | リーグカップ | 大陸別大会 | その他 | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
FCソウル | 2005 | Kリーグ | 11 | 1 | 2 | 0 | 8 | 0 | - | - | 21 | 1 | ||
2006 | Kリーグ | 12 | 0 | 1 | 0 | 11 | 1 | - | - | 24 | 1 | |||
2007 | Kリーグ | 5 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | - | - | 13 | 0 | |||
通算 | 28 | 1 | 4 | 0 | 26 | 1 | - | - | 58 | 2 | ||||
全南ドラゴンズ | 2007 | Kリーグ | 13 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 18 | 2 | |
2008 | Kリーグ | 10 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | - | 13 | 2 | ||
2009 | Kリーグ | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 10 | 0 | |||
通算 | 33 | 1 | 5 | 1 | 3 | 2 | 0 | 0 | - | 41 | 4 | |||
京都サンガF.C. | 2010 | J1リーグ | 24 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | - | 27 | 2 | ||
蔚山現代 | 2011 | Kリーグ | 34 | 9 | 4 | 0 | 7 | 0 | - | - | 45 | 9 | ||
2012 | Kリーグ | 32 | 3 | 3 | 0 | - | 12 | 2 | 2 | 0 | 49 | 5 | ||
通算 | 66 | 12 | 7 | 0 | 7 | 0 | 12 | 2 | 2 | 0 | 94 | 14 | ||
アル・シャバブ | 2012-13 | サウジ・プロフェッショナルリーグ | 6 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | - | 20 | 1 | |
2013-14 | サウジ・プロフェッショナルリーグ | 10 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | - | 11 | 1 | |||
通算 | 16 | 2 | 5 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 | - | 31 | 2 | |||
アル・ヒラル | 2013-14 | サウジ・プロフェッショナルリーグ | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | - | 12 | 1 | |
2014-15 | サウジ・プロフェッショナルリーグ | 21 | 1 | 4 | 1 | 3 | 0 | 12 | 0 | - | 40 | 2 | ||
2015-16 | サウジ・プロフェッショナルリーグ | 19 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 32 | 0 | |
通算 | 42 | 2 | 7 | 1 | 6 | 0 | 28 | 0 | 1 | 0 | 84 | 3 | ||
FCソウル | 2016 | Kリーグ1 | 11 | 0 | 2 | 0 | - | 4 | 0 | - | 17 | 0 | ||
2017 | Kリーグ1 | 24 | 2 | 1 | 0 | - | 2 | 0 | - | 27 | 2 | |||
2018 | Kリーグ1 | 14 | 1 | 2 | 0 | - | - | - | 16 | 1 | ||||
通算 | 49 | 3 | 5 | 0 | - | 6 | 0 | - | 60 | 3 | ||||
慶南FC | 2019 | Kリーグ1 | 16 | 0 | 1 | 1 | - | 1 | 1 | - | 18 | 2 | ||
総キャリア通算 | 274 | 23 | 35 | 3 | 45 | 3 | 56 | 3 | 3 | 0 | 413 | 32 |
8.2. 国家代表チーム統計
国別代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
韓国 | 2008 | 7 | 3 |
2009 | 1 | 0 | |
2010 | 8 | 1 | |
2011 | 5 | 0 | |
2012 | 7 | 1 | |
2013 | 5 | 0 | |
2014 | 4 | 0 | |
2015 | 13 | 0 | |
2016 | 6 | 0 | |
2017 | 2 | 0 | |
通算 | 58 | 5 |