1. プロ入り前
鎌田大地がプロサッカー選手になるまでの成長過程と、アマチュア時代のサッカーキャリアについて解説する。
1.1. ユース時代
鎌田は3歳からサッカーを始め、大学でサッカーを専攻していた父・幹雄から指導を受けた。幼少期から高い技術を身につけ、小学2年生からキッズFC(現・FCゼブラキッズ)の全カテゴリーの試合に出場。小学5年時には一つ上の学年のナショナルトレセンU-12四国に選ばれ、小学6年時にはキャプテンとして愛媛県少年サッカー選手権大会で優勝を経験した。キッズFCでは、ボールを大切にし、ゴールキーパーから繋ぐパスサッカーを標榜するスタイルで、ボールに多く触れる練習を通じて技術と判断力が培われた。飯尾監督は、鎌田を「試合で負けて泣く選手をたくさん見てきたが、涙に見合う努力を積んだと思える数少ない選手」と振り返っている。
中学からは、大阪府岸和田市に住む祖父母宅から通えるガンバ大阪ジュニアユースに進んだ。しかし、主戦場であるトップ下のポジションには井手口陽介ら多くのライバルがおり、中学入学時に約150 cmだった身長が3年間で約175 cmまで急成長したため、「クラムジー」と呼ばれる成長痛に苦しんだ。中学1年時には腕、中学3年時には全国大会直前に腰の骨を骨折するなど、怪我にも悩まされた。これにより思うようなパフォーマンスを発揮できず、中学3年時も途中出場が多く、守備面やハードワークの不足も指摘され、ユースへの昇格は叶わなかった。しかし、中学1年時の2009年にはJOMOカップU-13Jリーグ選抜に選出され、韓国戦に出場している。
1.2. 高校時代
ガンバ大阪ジュニアユースを退団後、技巧派の選手を求める他のJリーグクラブのユースチームへの道もあったが、選手権への憧れと、ハードワークを身につける目的から、東山高校に進学。これは父・幹雄と東山高校の福重良一監督が大阪体育大学時代の先輩後輩であった縁も大きい。1年生ながら出場した第91回全国高校サッカー選手権京都府大会決勝では、後にJリーガーとなる仙頭啓矢、小屋松知哉らを擁する京都橘高校に敗れ、選手権出場はならなかった。
2年生時には、関西の強豪校がひしめくプリンスリーグ関西1部2013で18試合に出場し、22得点18アシストという圧倒的な数字で得点王とアシスト王のダブルタイトルを獲得し、チームを3位に導いた。この活躍が目に留まり、2年生の秋には清水エスパルスの練習に参加し、当時のアフシン・ゴトビ監督に気に入られて清水入団が濃厚と報じられた。しかし、ゴトビ監督の解任により清水への移籍は流れた。
主将を務めた3年生時には、高校年代日本最高峰のプレミアリーグWEST2014でプレー。チームは最下位に終わったが、徹底したマンマークに苦しみながらも、得点ランキング4位となる10得点を記録した。複数の強豪大学から熱心な誘いを受けたが、「大学は必要な道かもしれないが、やはり譲れない思いがある。世界的に見て22歳でプロになるのは遅いと思う。高校卒業後すぐにJリーグで1年目から出ることが理想だし、そうすべきだ。Jリーグの先のこと、世界に出てプレーしたいという夢をずっと持ち続けている。やれる自信は十分にある」という考えのもと、プロ入りを志願した。5つのJクラブが興味を示し、最終的にサガン鳥栖への加入が内定。2014年11月17日、東山高校にてサガン鳥栖との仮契約と入団会見が行われた。
2. クラブ経歴
鎌田大地のプロサッカー選手としてのクラブごとの詳細な経歴を、時系列に沿って記述する。
2.1. サガン鳥栖時代
2015年、サガン鳥栖に入団。当初は背番号24を着用した。シーズン開幕時にはJリーグ・アンダー22選抜に期限付き移籍し、2試合に出場した。
2015シーズン、5月10日のJ1ファーストステージ第11節松本山雅戦で後半27分から途中出場し、J1リーグ戦初出場。この試合で同点ゴールとなる鮮やかなダイレクトボレーでプロ初ゴールを記録した。続く第12節の名古屋グランパス戦では、後半40分から出場し、アディショナルタイムにFWの豊田陽平への決定的なスルーパスで初アシストを記録した。このシーズンの最初の5試合の活躍により、ヤマザキナビスコカップのニューヒーロー賞を受賞した。7月11日の柏レイソル戦では2アシストを記録し、チームの勝利に貢献。7月22日のガンバ大阪戦では自身2点目のゴールを挙げた。シーズン序盤は途中出場が多かったが、中盤以降はMFとしてレギュラーに定着した。シーズン終盤に負傷したものの、公式戦28試合に出場し3得点を記録した。
2016シーズンを前に、鎌田はサガン鳥栖と契約を更新。開幕から7試合連続で先発出場した。4月2日と6日の柏レイソル戦およびベガルタ仙台戦では2アシストを記録。この活躍により、再びヤマザキナビスコカップのニューヒーロー賞を受賞した。しかし、4月20日の横浜F・マリノス戦で肘を負傷し、2週間の離脱を余儀なくされた。5月13日のFC東京戦で復帰し、先発出場。6月18日のガンバ大阪戦では2得点を挙げ、逆転勝利の立役者となりMOMに選出された。このゴールはシーズン初得点であった。負傷からの復帰後は、シーズンを通してレギュラーの座を維持。その後も5得点を追加し、10月22日の柏レイソル戦での2得点を含む活躍を見せた。この柏レイソル戦でのゴールはJリーグ月間ベストゴールにも選出された。シーズン終了までに公式戦34試合に出場し8得点を記録した。
2017シーズン、マッシモ・フィッカデンティ監督体制2年目となる鳥栖での3年目のシーズンでは、背番号を24番から7番に変更し、契約も更新した。このシーズンも中盤のレギュラーとしてプレーし続けた。4月には3得点を挙げ、4月26日のJリーグYBCルヴァンカップセレッソ大阪戦では2得点を記録した。翌5月も2得点を追加し、5月27日の北海道コンサドーレ札幌戦では決勝ゴールを挙げ、自身の結婚を祝う形となった。6月25日の浦和レッドダイヤモンズ戦が鳥栖での最後の試合となり、この試合でも先制点をアシストし、2-1での勝利に貢献した。この最終シーズンでは16試合に出場し3得点を記録した。
鳥栖最終年の2017シーズンには、Jリーグ全選手の中でトップとなる平均走行距離12.8 kmを記録した。サガン鳥栖では公式戦通算80試合に出場し16得点を記録した。
2.2. アイントラハト・フランクフルト時代
2017年6月24日、ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトに完全移籍することが発表された。移籍金は250.00 万 EURと報じられ、2021年までの4年契約を締結した。
2.2.1. 初期
鎌田は2017年8月12日のDFBポカール1回戦エルンテブリュック戦でアイントラハト・フランクフルトでの公式戦デビューを果たし、先発出場して73分間プレーし、チームは3-0で勝利した。8月20日のSCフライブルク戦でリーグ戦デビューを飾り、先発出場して67分間プレーした。しかし、ポジション争いと自身の負傷により、フランクフルトでの出場機会は限られたものとなった。ニコ・コヴァチ監督は彼の成長について、「ダイチはボールテクニックにおいて非常に優れており、相手がコントロールしにくいスペースでの動きが非常に良い。残念ながら、時々押し負けてしまうことがあったため、少し不調だった。彼には時間を与える必要があり、彼ならそれを得るだろう」とコメントした。2017-18シーズン終了までに、公式戦4試合に出場した。
2.2.2. シント=トロイデンVV (期限付き移籍)
2018年8月31日、出場機会を求めてベルギー1部リーグのシント=トロイデンに2018-19シーズン終了までの期限付き移籍が発表された。背番号は15番。
移籍市場閉鎖ギリギリでの移籍だったため、デビューは9月16日の第7節ヘント戦となったが、途中出場から鮮やかに2人をかわし、移籍後初得点を決めて2-1の勝利に貢献した。9月23日の第8節アントワープ戦でも後半30分からの出場で左足で狙い澄ましたシュートを決め、2-0の勝利に貢献した。シント=トロイデンでのデビュー以来、鎌田はミッドフィールダーとストライカーの両ポジションでプレーし、すぐにレギュラーとしての地位を確立した。
2018年10月6日から10月27日にかけての3試合で3連続ゴールを記録した。これにはロイヤル・エクセル・ムスクロン、コルトレイク、クラブ・ブルージュ戦が含まれる。さらに、11月4日から11月25日にかけての3試合で4ゴールを挙げ、11月10日のオイペン戦では2ゴールを記録した。12月5日と12月8日のスタンダール・リエージュおよびKFCマンデル・ユナイテッド戦では2試合連続ゴールを記録し、シーズン2桁得点に到達した。年末までに公式戦17試合に出場し11得点を記録した。
2019年2月3日のオイペン戦では4-1の勝利に貢献するゴールを挙げ、3月10日のロイヤル・エクセル・ムスクロン戦ではシーズン12点目を記録した。リーグプレーオフでは3ゴールを記録し、4月6日のウェステルロー戦では2ゴールを挙げて2-2の引き分けに貢献した。2019年4月20日、プレーオフ2のオイペン戦で15ゴール目を挙げ、日本人選手の主要欧州リーグにおけるシーズン最多得点記録を更新した。このシーズン、ベルギーリーグデビューが遅れたにもかかわらず15得点を記録し、2018-19シーズンベルギー・ジュピラー・プロ・リーグの得点ランキングで5位となった。2018-19シーズン終了までに、公式戦36試合に出場し16得点を記録した。
2.2.3. フランクフルト復帰

シント=トロイデンでの活躍により、ジェノアへの移籍が濃厚と報じられたが、移籍当日、アドルフ・ヒュッター監督とフレディ・ボビッチSDから熱心な慰留を受け、フランクフルト残留を決意した。この残留を受け、期待の高さからプレシーズン中に背番号が40番から15番に変更された。
2.3. SSラツィオ時代
2023年8月3日、セリエAのSSラツィオは鎌田がローマに到着し、フランクフルトとの契約が満了したため、フリー移籍で移籍手続きを完了させると発表した。2年契約と報じられ、翌日には正式に加入が発表された。背番号は6番。
8月20日のUSレッチェ戦でラツィオデビューを果たし、先発出場して54分間プレーしたが、チームは1-2で敗れた。9月2日、SSCナポリとのアウェイ戦で移籍後初ゴールを決め、2-1の勝利に貢献した。これはラツィオとセリエAでの初ゴールでもあった。しかし、マウリツィオ・サッリ監督の下では、鎌田がウィンガーのポジションで起用されたことが効果的でなく、フランクフルト時代のような得点能力を発揮できなかったため、パフォーマンスが低下した。出場機会が減少したため、1月の移籍市場でガラタサライへの移籍が噂されたが、クラブのクラウディオ・ロティート会長が1000.00 万 EURを要求したことと、鎌田自身がラツィオ残留を希望したため、移籍は実現しなかった。
しかし、サッリ監督が辞任し、イゴール・トゥドール監督が新監督に就任すると、鎌田はより多くの出場機会を得るようになった。トゥドール監督は鎌田を「私のサッカーに適している。私の大好きな才能を持っている」と評価し、チームの中心として起用し続けた。5月18日のインテル戦でラツィオでの2点目となるゴールを決め、試合は1-1の引き分けに終わった。2023-24シーズン終了までに、公式戦38試合に出場し2得点を記録した。
2023-24シーズン終了時、ラツィオのクラウディオ・ロティート会長は、鎌田が契約を1年延長するために250.00 万 EURのボーナスを要求したと主張し、「傭兵であることが判明した選手はすべて追い出す」と宣言した。鎌田はその後、金銭的な理由ではなく、クラブとの契約を更新しないことを認めた。ラツィオを退団するにあたり、鎌田は「ラツィオに到着したとき、誰もが私に多くを期待していると感じた。イタリアでは誰もがサッカーに情熱を傾けており、それは美しいことだ。しかし、私にとっては、セリエAで最高のミッドフィールダーであったセルゲイ・ミリンコビッチ=サビッチの後任として彼の場所を引き継がなければならなかったため、とりわけ困難だった。だから、誰もが試合だけでなく、練習中も私に多くを期待していた。私にとって、通常のパフォーマンスでは不十分だと感じた」と語った。
2.4. クリスタル・パレス時代
2024年7月1日、プレミアリーグのクリスタル・パレスFCへフリー移籍で加入することが発表された。2年契約を結び、クラブ史上初の日本人選手となった。この移籍により、フランクフルト時代の恩師であるオリバー・グラスナー監督との再会を果たした。グラスナー監督が鎌田の獲得を熱望したことが、移籍の決め手となった。背番号は18番。
8月18日、ブレントフォードとの開幕戦で先発出場しプレミアリーグデビューを飾った。これにより、鎌田はクリスタル・パレスが1920年にEFLに加盟して以来、クラブで1000人目の出場選手となった。2週間後の8月27日、カラバオカップ2回戦のノリッジ戦で、試合開始早々にゴールを決め、クラブでの公式戦初得点を記録した。さらに後半には、ジャン=フィリップ・マテタのゴールをアシストし、1ゴール1アシストの活躍で4-0の勝利に貢献した。
9月17日、カラバオカップ3回戦のQPR戦で決勝点となるアシストを記録した。10月30日、カラバオカップ4回戦のアストン・ヴィラ戦では、中盤でパスカットからのドリブルで相手DFの股を抜くミドルシュートをゴール隅に決め、決勝ゴールを挙げた。この活躍により、複数のメディアからMOMに選出された。
3. 代表経歴
鎌田大地の各年代別代表およびA代表における国際試合の経歴を記述する。
3.1. 年代別代表
2015年8月、U-22日本代表のトレーニングキャンプに招集され、2試合に出場した。
2016年3月にはU-23日本代表に初招集された。3月25日のメキシコU-23代表戦で後半65分から途中出場し、U-23日本代表デビューを果たした。同年5月にはトゥーロン国際大会にU-23日本代表として招集された。5月25日のギニアU-23代表戦で初先発出場し、64分間プレーし、2-1の勝利に貢献した。トゥーロン国際大会では計4試合に出場した。しかし、同年開催のリオデジャネイロオリンピックでは、19歳で五輪を迎える最終年生まれであることや、監督が古参選手を偏重したこともあり、最終メンバー入りを逃した。
3.2. A代表
2019 AFCアジアカップのメンバー入りは逃したが、2019年3月15日、サッカー日本代表に初招集された。3月22日のコロンビアとの親善試合で、後半79分に南野拓実に代わって出場し、A代表デビューを果たした。10月10日、FIFAワールドカップアジア2次予選のモンゴル戦で、A代表初ゴールを記録し、6-0の勝利に貢献した。
約1年後の2020年10月にも日本代表に招集された。10月14日のカメルーンとの試合で後半71分から途中出場し、約1年ぶりの代表戦出場となった。2021年3月25日の韓国との親善試合では、ゴール隅への追加点を決め、3-0の勝利に貢献し、最高評価を得た。3月30日のFIFAワールドカップアジア2次予選モンゴル戦では1ゴール1アシストを記録。5月28日のミャンマー戦でもゴールを決めた。6月3日には、ジャマイカ戦中止に伴い実現した日本代表対U-24日本代表戦で、巧みなトラップから左足でゴール隅に鮮やかな得点を挙げた。
2022年5月にはキリンカップサッカーに招集された。大会前の6月2日、パラグアイとの親善試合で1ゴール1アシストの活躍を見せ、複数のメディアでMOMに選出された。この大会ではチュニジア戦に1試合出場した。3ヶ月後の9月23日、ドイツデュッセルドルフで行われたアメリカ合衆国戦でトップ下として出場し、ゲームメイクとゴールを記録し、海外の複数のメディアからMOMに選出された。
3.2.1. 主要大会とW杯
2022年11月1日、2022 FIFAワールドカップカタール大会の最終メンバーに選出された。彼はワールドカップデビュー戦となったドイツとの初戦に先発出場し、日本の2-1の勝利に貢献した。この試合ではチーム最長走行距離を記録した。12月1日のスペイン戦では先発出場し、日本の2-1の勝利に貢献し、決勝トーナメント進出に貢献した。グループステージの3試合すべてで、日本代表の最長走行距離、最多スプリント数、最多プレス回数を記録するなど、チームのベスト16進出に大きく貢献した。決勝トーナメント1回戦のクロアチア戦では先発出場し、75分間プレーしたが、試合は1-1でPK戦に突入し、日本はPK戦の末に敗退した。ワールドカップでのプレーを振り返り、攻撃陣で唯一ゴールもアシストもできなかったことに悔しさをにじませた。
ワールドカップ後、2023年3月15日にキリンチャレンジカップの日本代表に招集された。3月24日のウルグアイ戦でワールドカップ以来初の代表戦出場を果たし、試合は1-1の引き分けに終わった。
2023年6月20日のペルー戦では、前半37分に巧みなトラップから三笘薫の先制点をアシストし、後半18分には3点目の起点を作り、複数のメディアでMOMに選ばれた。11月16日、2026年ワールドカップアジア2次予選ミャンマー戦で強烈な左足ミドルシュートでゴールを決めた。
2024年1月1日、2023 AFCアジアカップの日本代表メンバーからは外れた。しかし、5月24日に再び日本代表に招集された。6月6日のミャンマー戦で先発出場し、ロングスルーパスで中村敬斗の先制点をアシストしたほか、自身のシュートがポストに当たり堂安律のゴールにつながるなど、複数のメディアでMOMに選出された。
6月11日のシリア戦では、後半途中からの短い出場時間ながら相馬勇紀へのノールックスルーパスでPKを誘発し、追加点の起点となる活躍を見せた。9月10日の北中米W杯アジア最終予選バーレーン戦ではフル出場し、ハンドを誘って先制点となるPKを獲得したほか、三笘薫へのスルーパスで追加点の起点となるなど、計4得点に絡んだ。10月10日のアウェイでのサウジアラビア戦では先発出場し、クロスのこぼれ球を左足で押し込み決勝点となる先制ゴールを挙げ、複数のメディアでMOMに選出された。これはアウェイのサウジアラビアの地で日本代表が挙げた初めての得点となった。11月15日のインドネシア戦では先発出場し、ゴール前の狭い位置で冷静なクロスを選択して先制点となるオウンゴールを誘発し、ロングスルーパスで追加点の起点となる活躍を見せた。
4. プレースタイル
鎌田大地は、ジネディーヌ・ジダンやカカといったゲームメイクの才能を持つ王道司令塔タイプのトップ下として知られる。長い四肢を活かした繊細なボールタッチで落ち着き払い、しなやかでエレガントなプレーが特徴である。空間認識力が高く、俯瞰的にパスコースを瞬時に見つけ出し、特にスルーパスを得意とする。逆足の左足も遜色なく使いこなし、両足を自在に操る。サガン鳥栖在籍時から技巧派として広く知られ、トラップ、ボールキープ力、ドリブル、パス、シュートなど、ほぼ全てのボールコントロールにおいて技術が卓越していた。Jリーグトップクラスの走行距離からも分かるように運動量も豊富で、ポジションに囚われずピッチを縦横無尽に駆け回るオールラウンダーである。
東山高校の福重良一監督は、鎌田を初めて見た時の印象を「パスの出しどころと視野の広さに心底驚いた。見たことがなかった、教えられないものを持っていた」と語り、「プレーが周りとは全く違った。見ている場所が他の選手と違う、スペースを見つけてそこに入るのがうまかった」と評した。サガン鳥栖の森下仁志監督は、「本当にうまくて、良い選手だと思った。プレーの間合いが良い、そこは指導者が教えられない要素でなかなか居ない」と述べ、「ダイレクトボレーのゴールも凄かったが、30 m近いスルーパスを通したのを見て、これはモノが全く違うと思った。良い選手を沢山見てきた中であのスルーパスは一番の衝撃。試合で使うのが遅かったと後悔した」と鎌田のリーグデビュー戦を振り返った。サガン鳥栖のマッシモ・フィッカデンティ監督は、「テクニックに優れた選手なのに、運動量が豊富で、戦術理解度も高く、チームのために犠牲を払うこともできる」「完成された攻撃的MF。世界トップ3のリーグでも十分にプレーできる」と絶賛した。
シント=トロイデンのマルク・ブライス監督は、「ポジショニング良くプレーでき、テクニックの質は高く、両足でドリブルもできる。それは彼を予測不可能な存在にする。彼のテクニックはリーグのレベルを超越している」と語り、エンツォ・シーフォ以上に試合を支配するプレイメーカーと評された。フランクフルトのアドルフ・ヒュッター監督からは「クリエイティブな選手であり、その天賦の才から時折、試合に違いをもたらしてくれる」、「ダイチは天才的なプレーヤー。我々のアナリストたちは彼のことを優れた"ラウムドイター"(スペースを見つけ出す者)という専門用語を使って称している。ライン間の動きがもの凄く上手い」と評価された。フランクフルトのオリバー・グラスナー監督は、「ピッチ上でここまで賢い選手に出会ったことは滅多にない。ダイチは危険なスペースがどこに出来るかを予測する能力が極めて優れている。相手チームにとって弱点のそのスペースを彼が見付け出してくれると信じている」と言及した。ラツィオのイゴール・トゥドール監督は、「鎌田は走力もプレーの質もある完璧な選手。私のサッカーに合う。彼には私の好みにある重要な資質が幾つもある」、「私は鎌田が好きだ。彼には10のメンタリティがある。彼は頭の中にコンピューターがあり、全ての選手がそうなって欲しい。チームに彼が10人居ればと思う、どんな監督も彼を気に入るだろう」、「鎌田は良い意味でマシーンのような選手。ミスをしないし、サッカーの才能と結びついたクレイジーな頭脳を持っている。後ろでも前でもプレーできるし、ボールも奪える。彼をリスペクトしているし、私にとってはすごく大きな発見」、「鎌田は並外れた選手であり、何も間違う事はない。正しいメンタリティを持つ大いな努力家だ」と絶大な信頼を語った。
ドイツを経てベルギーに移籍してプレーする中で、FW(セカンドストライカー)としての得点力が開花した。海外挑戦後は判断力がさらに向上し、プレースピードがより早くなった。ドイツ復帰後はオフザボールのセンスに磨きがかかり、元来得意なトップ下をはじめ、左右のウイングやインサイドハーフ、ベルギー時代に開拓したセカンドストライカー、そして守備力を身につけてドイツ最終年に新たに開拓したボランチなど、中盤ならどこでもこなし、様々なポジションで起用される。
ピッチを幅広く動き、パスを引き出して相手選手をおびき寄せ、少ないタッチで再度味方にボールを預ける。これを繰り返すことで相手のプレスを空回りさせて陣形を崩し、スペースを生み出す。味方がチャンスメイクをしている間に自身は相手ゴール前に入り込み、シュートを狙う。ボランチとセカンドストップが融合したような独特なプレーを見せる。球離れが早く、ボールキープにも長けているため、相手にとってはなかなか捉えづらい選手である。自らボールを持って積極的に仕掛けていくプレーも得意であり、プレスをかけずに引いて構えることが多い格下の相手と対戦する際は、ドリブルやスルーパスで打開可能。積極的にプレスをかけてくる格上の相手に対しては、そのスタイルの本領を発揮して活躍する。
5. 人物
鎌田の父・幹雄は、かつてサッカー選手であり、大阪体育大学のOBとして現役およびユース年代の指導に関わっていた。父の指導のもと、鎌田は努力を重ね、体をうまく使う方法を学び、攻撃的MFと中央MFの間を行き来するプレーや、パスのバリエーションを増やすことができた。サッカー選手である弟の鎌田大夢がいる。
鎌田はオフの時間にはドイツ語を学び、漫画を読んでいると語っている。ドイツでの生活に慣れるにあたり、チームメイトの長谷部誠が彼の助けになったと語っている。長谷部を「友人というより兄のよう」と表現した。
かつては大学進学も検討しており、「大学に行くことは自分にとって必要な道かもしれないが、やはり諦められない思いがある。大学卒業後にプロになればもう22歳だ。しかし、22歳でプロになるのは非常に遅いと思った。私にとって、高校卒業後すぐにJリーグで1年目からスタートすることが理想であり、そうすべきだと思う。そして、Jリーグの先のことも考えている。世界に出てプレーしたいという夢を常に持ち続けている。感謝はしていないが、それをする自信は十分にある」と語った。幼少期からサッカー選手になることを夢見ていたという。
2017年5月25日、長年交際していた女性との結婚を発表した。その1年後の2018年10月には、第一子となる男児が誕生し、父親となった。アイントラハト・フランクフルトに移籍してからは、家族とともにフランクフルト市内に住んでいる。
2023年7月には、自身の初の著書となる「ブレない信念 12人が証言するサッカー日本代表 鎌田大地の成長物語」を刊行した。
6. エピソードと評価
鎌田大地のサッカーキャリアに関連する興味深いエピソードや、彼に対する周囲の人々からの具体的な評価を多角的に紹介する。
6.1. 幼少期からプロ入り前
小学校に入学する頃には、リフティング1000回以上に達し、ヘディングだけでも100回を超えていた。「テレビを見るぐらいならリフティングしなさい」と言われるなど、家庭でも両親から厳しく育てられた。キッズFCの松山市内二拠点に通い、週7日休み無しで練習していた。愛媛県の強豪キッズFCで小学2年生から6年生主体の全カテゴリーの試合に出場していた。小学生の時は体が小さかったが、2学年上までならドリブルで5、6人躱してシュートまで持ち込んでいた。キッズFCは当時から、ボールを大事にしてゴールキーパーから繋ぐパスサッカーを標榜しており、ボールを触る回数を大事にし、ボールになるべく多く触る練習メニューで技術と判断に徹底して拘るスタイルだった。そのトレーニングで技術やサッカー観の礎が培われた。キッズFCの飯尾監督は「試合で負けて泣く選手をたくさん見てきたが、涙に見合う努力を積んだと思える数少ない選手」と全日本少年サッカー県大会で敗退した時の鎌田を振り返った。
小学6年時に夏休みを利用してガンバ大阪ジュニアユースの練習に参加した際、二宮スカウトは「良い選手であることはすぐ分かった。まだ12歳なのでどこまでの選手になるかは分からないが、少なくともプロになれる可能性を感じた。大地のプレーに対してワクワクするような感覚があったことを覚えている。四国にこんな選手がいたのかと驚いた」と評価した。梅津コーチも「見てすぐに合格という感じだった。姿勢が重要で、姿勢や見るところが他の選手とは違う」と述べ、複数のスタッフから認められ入団テストを即突破した。
6.2. 背番号と恩師の言葉
ガンバ大阪のジュニアユースでプレーしていた中学生時代からつける機会が多かった「14番」がいつしかお気に入りの番号になり、東山高校でも3年間14番を背負った。しかし、サガン鳥栖やシント=トロイデンVVには既に14番の選手がいたため、アイントラハト・フランクフルトでは永久欠番だったため、別の番号を着用した。
中学3年時、父・幹雄が鎌田の進路について、大阪体育大学で1学年後輩の三笘薫の叔父である三笘康之(奈良学園登美ヶ丘高校サッカー部監督)に相談したところ、「福ちゃんのところに預けるのが絶対に良い」と同級生の東山福重良一監督を推薦する助言が大きなきっかけとなり、東山高校に進学を決めた。
東山高校の福重良一監督は、「ボクは日の丸をつけるところでやらないといけない選手だと思っている」と当時高校2年生だった鎌田の代表入りを確信した発言を残しており、「大地の技術や努力をみんながリスペクトしていた。大地以上に努力している子を見たら、大地はそれを見習ってそれよりもさらに努力していた」と振り返った。父親の赴任先の兵庫県尼崎市の自宅から京都市の東山高校まで、朝5時に起きて始発に乗り登校し、1時間半の朝練をし、放課後部活の練習後に自主練習して夜の23時に帰宅する生活だった。両手両足に重りをつけて坂を走り、学校の廊下にイスを10個置いてドリブルを繰り返す、後輩を10 m間隔に1人ずつ置いて全員を躱すなど、「漫画みたいな生活」と自身で振り返る高校時代を過ごした。
6.3. フランクフルトでの愛称と親孝行
サガン鳥栖の牛島スカウトは、「大地は見た瞬間にワクワクしてしまった。彼は先がすごく見えていたし、こちらの想像のさらに上をいく、すべてのプレーが予想を覆す」と印象を語り、「自信と確信があって、どうしても僕は彼がほしかった」との考えで、プレミアリーグ東福岡高校戦を永井隆幸強化部長と共に鎌田を視察した際、複数人で対応されながらもパスを通し続けゴールを挙げる活躍を目の当たりにし、「この選手を取らないと勿体無いですよ」と進言し獲得のゴーサインが出た。
サガン鳥栖の森下仁志監督は、「サッカーに取り組む姿勢が他の選手と全く違った。僕は練習をハードにやるタイプだが、シーズン中であっても積極的に一人で黙々とドリブルやシュートの自主練習をしていた。目の前の試合より目線が先に向いていた、そんな選手はごく一部。世界に行ける選手と確信した」と当時の鎌田を振り返った。
ヨーロッパリーグ19-20アーセナル戦で2得点した後にドイツ紙『Bild』から「キング・カマダ」と銘打って一面で報道された。その後、ドイツメディアやフランクフルトサポーターからも鎌田の愛称は「キングカマダ」として呼ばれ続けた。
「自分がサッカーを続けるためにお父さんやお母さんにすごく迷惑をかけているから、親孝行したい。普通の親孝行でない親孝行がしたい。そのためにはサッカーなんだ」との思いで、鳥栖とのプロ契約金の全てを両親は受け取らなかったが渡そうとしたり、プロ1年目の終わりに契約更改した際には両親に感謝の手紙とともにペアの高級腕時計を、プロ入りした弟・大夢には乗用車をプレゼントした。フランクフルト4年目には両親に7LDKの新築の家を贈るなど、とても家族思いである。
6.4. CLレーザーポインター事件
チャンピオンズリーグ22-23スポルティング戦でPKキッカーを務め得点した際に、顔にレーザーポインターを照射された件について、「レーザービームは見えないところとか、普通遠いところからやる。やってる奴がゴール裏の顔が分かる所にいて、そいつに対して何やってんだお前と」、「そいつの方を見て笑っただけ」と語った。
6.5. 移籍を巡る経緯と家族観
フランクフルトで5シーズンを共にした長谷部誠は、「結局は自分が切り拓くしかない道だと思う。アドバイスを求められても、基本的にはあまり言わない。大地もそうです。彼に対してアドバイスをしたことなんてほとんどない。彼は難しい時期もあったけど、自分の力で切り拓いていったと思う。誰かに言われるというよりは、自分で這い上がっていくくらいじゃないと、この世界では通用しない。とにかく藻掻いて、苦しんで、そういうものを積み重ねた先に、大きなものが見えてくる」と鎌田に助言したことはほとんどないと語った。
フランクフルトとの契約が切れてフリーとなる最終年の2023年には、ボルシア・ドルトムント、アトレティコ・マドリード、ベンフィカなど様々な名門クラブへの移籍報道が出たが、本命とされ契約目前だったACミランのパオロ・マルディーニSDが解任されたことで、EU圏外枠選手の獲得方針が変わり土壇場になって一転破談となり、急遽ラツィオ加入となった。
2024年7月14日、YouTubeで自身のチャンネル「鎌田大地ch」を開設した。
6.6. 指導者・スカウト・チームメイトからの評価
ラツィオのイゴール・トゥドール監督は、「鎌田は走力もプレーの質もある完璧な選手。私のサッカーに合う。彼には私の好みにある重要な資質が幾つもある」、「私は鎌田が好きだ。彼には10のメンタリティがある。彼は頭の中にコンピューターがあり、全ての選手がそうなって欲しい。チームに彼が10人居ればと思う、どんな監督も彼を気に入るだろう」、「鎌田は良い意味でマシーンのような選手。ミスをしないし、サッカーの才能と結びついたクレイジーな頭脳を持っている。後ろでも前でもプレーできるし、ボールも奪える。彼をリスペクトしているし、私にとってはすごく大きな発見」、「鎌田は並外れた選手であり、何も間違う事はない。正しいメンタリティを持つ大いな努力家だ」と絶大な信頼を語った。
7. タイトル
鎌田大地が獲得したクラブおよび個人タイトルを一覧形式で記述する。
7.1. クラブ
- アイントラハト・フランクフルト
- DFBポカール:1回(2017-18)
- UEFAヨーロッパリーグ:1回(2021-22)
7.2. 個人
- Jリーグ月間ベストゴール賞:(2016年10月)
- JPFAアワード・ベストイレブン:1回(2022年)
- IFFHSアジア男子年間チーム:2022年、2023年、2024年
- ブンデスリーガ公式歴代フランクフルトベストイレブン:2022年
8. キャリア統計
鎌田大地のプロキャリアにおけるクラブおよび国家代表としての詳細な出場および得点記録を統計表形式で示す。
8.1. クラブ
クラブ | シーズン | 背番号 | リーグ | 国内カップ | リーグカップ | 大陸大会 | その他 | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
サガン鳥栖 | 2015 | 24 | J1リーグ | 21 | 3 | 3 | 0 | 4 | 0 | - | - | 28 | 3 | ||
2016 | 24 | J1リーグ | 28 | 7 | 3 | 1 | 3 | 0 | - | - | 34 | 8 | |||
2017 | 7 | J1リーグ | 16 | 3 | 1 | 0 | 1 | 2 | - | - | 18 | 5 | |||
合計 | 65 | 13 | 7 | 1 | 8 | 2 | - | - | 80 | 16 | |||||
Jリーグ・アンダー22選抜 (loan) | 2015 | ||||||||||||||
J3リーグ | 3 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 3 | 0 | ||||||
アイントラハト・フランクフルト | 2017-18 | 40 | ブンデスリーガ | 3 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | 4 | 0 | |||
2019-20 | 15 | ブンデスリーガ | 28 | 2 | 4 | 2 | - | 16 | 6 | - | 48 | 10 | |||
2020-21 | 15 | ブンデスリーガ | 32 | 5 | 2 | 0 | - | - | - | 34 | 5 | ||||
2021-22 | 15 | ブンデスリーガ | 32 | 4 | 1 | 0 | - | 13 | 5 | - | 46 | 9 | |||
2022-23 | 15 | ブンデスリーガ | 32 | 9 | 6 | 4 | - | 8 | 3 | 1 | 0 | 47 | 16 | ||
合計 | 127 | 20 | 14 | 6 | - | 37 | 14 | 1 | 0 | 179 | 40 | ||||
シント=トロイデン (loan) | 2018-19 | 15 | ベルギー・プロ・リーグ | 34 | 15 | 2 | 1 | - | - | - | 36 | 16 | |||
SSラツィオ | 2023-24 | 6 | セリエA | 29 | 2 | 2 | 0 | - | 7 | 0 | 0 | 0 | 38 | 2 | |
クリスタル・パレスFC | 2024-25 | 18 | プレミアリーグ | 23 | 0 | 2 | 0 | 4 | 2 | - | - | 29 | 2 | ||
キャリア合計 | 281 | 50 | 27 | 9 | 12 | 4 | 44 | 14 | 1 | 0 | 365 | 76 |
8.2. 国家代表
代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
日本 | 2019 | 4 | 1 |
2020 | 4 | 0 | |
2021 | 8 | 3 | |
2022 | 10 | 2 | |
2023 | 5 | 1 | |
2024 | 5 | 1 | |
合計 | 36 | 8 |
代表ゴール
スコアと結果は日本代表の得点を先に示し、スコア欄は鎌田のゴール後のスコアを示す。
No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2019年10月10日 | 埼玉スタジアム2002、さいたま、日本 | モンゴル | 6-0 | 6-0 | 2022 FIFAワールドカップ予選 |
2 | 2021年3月25日 | 日産スタジアム、横浜、日本 | 韓国 | 2-0 | 3-0 | 親善試合 |
3 | 2021年3月30日 | フクダ電子アリーナ、千葉、日本 | モンゴル | 3-0 | 14-0 | 2022 FIFAワールドカップ予選 |
4 | 2021年5月28日 | ミャンマー | 8-0 | 10-0 | ||
5 | 2022年6月2日 | 札幌ドーム、札幌、日本 | パラグアイ | 2-0 | 4-1 | キリンチャレンジカップ2022 |
6 | 2022年9月23日 | メルクール・シュピール・アレーナ、デュッセルドルフ、ドイツ | アメリカ合衆国 | 1-0 | 2-0 | キリンチャレンジカップ2022 |
7 | 2023年11月16日 | パナソニックスタジアム吹田、吹田、日本 | ミャンマー | 2-0 | 5-0 | 2026 FIFAワールドカップ予選 |
8 | 2024年10月10日 | キング・アブドゥッラー・スポーツシティ、ジッダ、サウジアラビア | サウジアラビア | 1-0 | 2-0 | 2026 FIFAワールドカップ予選 |
9. 外部リンク
- [https://www.cpfc.co.uk/teams/first-team/midfielder/daichi-kamada クリスタル・パレスFC公式サイト内プロフィール]
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=15765 Jリーグ選手データ]
- [https://www.uefa.com/uefachampionsleague/clubs/players/250085816/ UEFA大会記録]
- [https://www.transfermarkt.com/daichi-kamada/profil/spieler/356141 Transfermarkt]
- [https://www.soccerbase.com/players/player.sd?player_id=103730 Soccerbase]
- [https://www.bdfutbol.com/en/j/j20612.html BDFutbol]
- [https://www.worldfootball.net/player_summary/daichi-kamada/ WorldFootball.net]
- [https://www.footballdatabase.eu/en/player/details/264223 FootballDatabase.eu]
- [https://www.national-football-teams.com/player/73954/Daichi_Kamada.html National Football Teams.com]
- [https://int.soccerway.com/players/daichi-kamada/397947/ Soccerway.com]