1. プロ入り前
関川浩一は、東京都調布市で生まれ育ち、幼少期から野球に打ち込んだ。学生時代にはアマチュア野球で高い評価を受け、プロ入りへと繋がる道を歩んだ。
1.1. 幼少期と学生時代
小学校時代は調布リトル、中学校時代は同シニアに所属し、中学3年の夏には全日本選手権で優勝を経験した。その後、桐蔭学園高校に進学。1年時の夏には、2学年先輩で後に慶應義塾大学のエースとして活躍する志村亮投手らと共に第66回全国高等学校野球選手権大会に出場し、「6番・右翼手」として先発出場した。高校時代は1学年下の小桧山雅仁とバッテリーを組み、2年夏には県大会ベスト4、秋には関東大会ベスト8に進出するなど、強肩強打の捕手として活躍した。1学年下の捕手には大久保秀昭がいた。
高校卒業後は駒澤大学に進学し、大学野球の世界に進んだ。駒澤大学では3学年先輩に田村勤、2学年先輩に野村謙二郎、1学年後輩に竹下潤と若田部健一、2学年後輩に鶴田泰と田口昌徳が在籍していた。
1.2. アマチュア野球経歴
大学では東都大学リーグに所属し、通算50試合に出場、161打数42安打、打率.261、3本塁打、13打点の成績を残した。捕手として大学リーグのベストナインに2度選出されるなど、大学球界でもその実力を発揮した。また、日米大学野球選手権大会にも出場し、国際的な舞台も経験した。
1.3. プロ入りとドラフト指名
1990年、プロ野球ドラフト会議において、阪神タイガースから2位指名を受け入団。背番号は21に決まった。大学の先輩である田村勤も同じ年のドラフトで阪神から4位指名を受けており、共にプロの道を歩むことになった。
2. プロ選手経歴
関川浩一は1991年に阪神タイガースに入団し、2007年に引退するまで17年間、プロ野球選手として活動した。そのキャリアは捕手から外野手への転向、そして複数の球団を渡り歩く中で変化と成長を遂げた。
2.1. 阪神タイガース時代 (1991年-1997年)
阪神タイガースでのプロ1年目、1991年シーズンは中村勝広監督の下、7月31日の読売ジャイアンツ戦でプロ初スタメンを果たし、湯舟敏郎とバッテリーを組んだ。このシーズンは山田勝彦が正捕手として起用されることが多く、関川の先発出場は5試合に留まった。1992年シーズンも山田勝彦が正捕手で、関川の出場機会は伸び悩んだ。
1993年シーズンには出場機会を89試合に増やし、プロ初本塁打を記録。シーズン中盤以降はほぼ正捕手として起用され、打撃も好調で打率.279を記録した。1994年シーズンは103試合に出場し、規定打席には届かなかったものの打率.269と好成績を残したが、捕手としては盗塁阻止率.125とセ・リーグの歴代最低記録を更新してしまった。1995年シーズンは捕手としてチーム最多の94試合(先発マスク86試合)に出場し、自身初の規定打席到達を果たした(阪神の生え抜き捕手としては田淵幸一、木戸克彦に次ぐ3人目の達成)。シーズン途中からは外野手としても出場し、打率.295(セ・リーグ9位)と好調を維持した。この年、自身初のオールスターゲームにも出場した。
1996年シーズンからは藤田平が正式に1軍監督に就任し、開幕スタメン捕手で始まったものの、5月には一塁手、6月以降は右翼手レギュラーとしてほぼシーズンを通して活躍した。規定打席には到達できなかったが、打率.314と初の3割台を記録した。1997年シーズンには吉田義男監督が就任し、前年引退した木戸克彦が付けていた背番号22を継承した。シーズン中盤までは山田勝彦と捕手として出場機会を争ったが、8月以降は左翼手レギュラーとして起用された。打撃は引き続き好調で、打率.306を記録し、5本塁打は自己最高となった。この年のシーズンオフ、久慈照嘉と共に大豊泰昭・矢野燿大との2対2のトレードで中日ドラゴンズへ移籍することになった。
2.2. 中日ドラゴンズ時代 (1998年-2004年)
中日ドラゴンズへの移籍後、関川は広いナゴヤドームに適応できる野手として外野手専任となり、前年不本意なシーズンを送った立浪和義や、投手として伸び悩んでいた井上一樹と共に、1軍外野守備コーチの二宮至による特訓を受けた。当時の監督である星野仙一から重用され、移籍1年目の1998年シーズンからレギュラーに定着。125試合に出場し、3割には届かなかったものの、3年ぶりに規定打席に到達し、打率.285の成績を残した。公式戦では捕手として出場はなかったが、この年のオープン戦では中村武志が怪我で離脱中に捕手として先発マスクを被ることもあった。
1999年シーズンは自身最高の成績となる135試合全試合出場を果たし、打率.330、4本塁打、60打点、20盗塁を記録。チームのリーグ優勝に大きく貢献した。主に1番打者として出場したが、勝負強さを買われて3番で起用されることも多かった。この年のオールスターゲームにも2度目の出場を果たし、セ・リーグのベストナイン(外野手部門)にも選出された。しかし、同年の日本シリーズでは、福岡ソフトバンクホークス(当時福岡ダイエーホークス)の先発工藤公康にバッティングの癖を見抜かれ、徹底的に攻められたことでパニックに陥り、バットを思い切り振れなくなった。当時のダイエーの投手コーチは、工藤の状態が良くなかったにもかかわらず、関川がボール球に手を出したことが大きかったと語っている。日本シリーズ第4戦まで無安打に抑えられ、最終的に21打数2安打、打率.095と不振に陥り、チームもダイエーに1勝4敗で日本シリーズ敗退となった。この年の最優秀選手選考では、野口茂樹、上原浩治に次いで僅差の3位に入った。
2000年シーズンは127試合に出場したものの、前年の好打は影を潜め、打率.260に終わった。2001年シーズンは出場試合数が激減し、65試合に留まり打率もさらに下降した。監督が山田久志に代わった2002年シーズンは、福留孝介の外野手転向や英智の台頭により出番が減り、73試合の出場に留まり打率.212と低迷した。この年、当時テレビ東京アナウンサーの家森幸子と結婚した。2003年シーズンは107試合に出場し、規定打席には届かなかったものの、3割を超える好成績を残し復調の兆しを見せた。しかし、2004年シーズンは落合博満が監督に就任し、チームはリーグ優勝を果たしたが、外野陣は福留、アレックス、英智の3人で埋められており、関川に出番が回ってくることはほとんどなく、移籍後最少の12試合出場に留まり、プロ入り後初の無安打に終わった。この年のシーズンオフ、無償トレードで小山伸一郎と共に新規参入球団の東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍することになった。
2.3. 東北楽天ゴールデンイーグルス時代 (2005年-2007年)
2005年シーズン、楽天の創設メンバーとして、3月26日の千葉ロッテマリーンズとの開幕戦(千葉マリンスタジアム)に「1番・左翼手」で先発出場。新球団の歴史において最初の打者となった(初回表先頭打者として相手先発清水直行の初球を左飛に倒れた)。4月6日の北海道日本ハムファイターズ戦で、通算1000本安打を達成。同時にこの1000本目の安打は、球団史上初の猛打賞、及び球団史上初の三塁打となった。中盤以降は他の選手との併用されたため規定打席には届かなかったが、101試合に出場し、打率.287の成績を残した。
2006年シーズンは野村克也が監督に就任。9月5日のオリックス・バファローズ戦(仙台)に2番で先発出場し、1試合犠打4個の日本プロ野球タイ記録(過去6人)を達成した。また、この年の後半戦から野村監督の方針で「藤井彰人とカツノリが負傷した際に捕手を守らせる」という意向で捕手守備の練習にも取り組んだが、実際に試合で守備に就くことはなかった。この年のシーズンは前年とほぼ変わらない打率を残したものの、故障の影響で81試合の出場に終わった。
2007年シーズンは不調に陥ると、その間に若手選手が台頭し、出場機会が激減した。9月24日に同年のシーズン限りでの現役引退を表明。引退試合は10月4日の対ロッテ23回戦で、「1番・中堅手」としてフル出場し、4打数1安打を記録した。現役最後の打席は代名詞となったヘッドスライディングを見せるも一塁ゴロとなった。相手投手は清水直行で、奇しくも楽天初の公式戦で先頭打者として対戦したのと同じ相手だった。試合後の引退セレモニーでは、監督に試合に出してもらえるよう頼んだところ、上記のように「1番・中堅手」で起用されたことに感謝の意を述べ、涙した。プロ17年間の思い出について、「(1999年に)星野監督を胴上げすることができたこと。あの年は星野監督の笑顔を見たくて一生懸命やっていた」と語った。この年の出場数は17試合だった。11月30日に、自由契約選手としてNPBから公示された。
関川は17シーズンにわたりプロ野球でプレーし、通算1,408試合に出場、打率.286、1,129安打、24本塁打、324打点、91盗塁、101犠打を記録した。彼の詳細な成績は、[https://npb.jp/bis/players/01703883.html 日本野球機構(NPB.jp)の公式サイト]で確認できる。
2.4. 選手としての特徴とプレースタイル
関川浩一は、怪我を恐れず、果敢にヘッドスライディングをするなど、闘志あふれるプレースタイルが持ち味だった。シュアで勝負強い打撃を誇り、2桁盗塁を3度記録するなど俊足も兼ね備えていた。
阪神在籍時は捕手として持ち前の強肩を生かせず、盗塁阻止率に苦しんだ時期もあった。そのため、外野手として起用されることも多くなり、中日移籍後からは完全に外野手に専念するようになった。
ファンからは「セキさん」という愛称で親しまれた。中日時代は口元の髭がトレードマークになっていた時期もあった。
3. 指導者経歴
現役引退後、関川浩一は野球指導者として、古巣の東北楽天ゴールデンイーグルス、韓国プロ野球のSKワイバーンズ、阪神タイガース、そして福岡ソフトバンクホークスと、複数の球団で多岐にわたる役割を歴任した。
3.1. 東北楽天ゴールデンイーグルス指導者時代 (2008年-2009年、2011年)
2007年の秋季キャンプから、現役引退直後に東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍打撃コーチ補佐に就任し、指導者としてのキャリアをスタートさせた。しかし、2009年10月25日に解雇された。
2011年には、星野仙一が楽天の監督に就任したことを受け、二軍外野守備・走塁コーチとして同球団に復帰した。同年5月15日には一軍外野守備・走塁コーチへ異動となったが、10月30日に退団が発表された。
3.2. SKワイバーンズ指導者時代 (2010年)
2010年には、韓国プロ野球チームであるSKワイバーンズ(現SSGランダース)の一軍打撃コーチを務めた。この年、チームは韓国シリーズで優勝を果たし、関川はその優勝に大きく貢献した。この韓国での経験は、彼の指導者キャリアにおける貴重なものとなった。
3.3. 阪神タイガース指導者時代 (2012年-2015年)
2012年からは阪神タイガースの監督に就任した和田豊から招聘され、同球団の一軍外野守備・走塁コーチに就任し、古巣に復帰した。この年8月17日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、マット・マートンの守備でのミスを巡って試合後にマートンと衝突する出来事があった。
2013年からは一軍打撃コーチとなった。阪神の一軍打撃コーチ時代には、NPBが定めたベンチ登録コーチ数の上限との兼ね合いから、ユニフォームを着用せず(登録コーチに数えられない)スコアラーとしてポロシャツ姿でベンチに入っていた。2014年からは打撃部門の責任者を務めた。2015年シーズンは、長く続く打撃低迷が顕著で、関川と高橋光信の両打撃コーチの目を盗んで、打撃コーチ補佐のトーマス・オマリーにアドバイスを求める選手が続出する状況も発生した。和田監督とは近い存在であったが、打順を巡って対立し、一時的にメインの打撃指導から外れることもあった。このシーズン、チーム打率はリーグ4位、総得点がリーグ最下位、総安打数がリーグ5位と低迷し、貧打で敗れ去る試合が目立った。結果として、10月15日に球団から解任された。
3.4. 福岡ソフトバンクホークス指導者時代 (2015年-現在)
2015年11月19日、福岡ソフトバンクホークスの一軍野手総合巡回コーチに就任した。このポストでは、基本として一軍で活動しながら、監督の工藤公康からの指名で二軍・三軍の野手に関する情報収集や指導も担当するとされた。就任会見では「工藤監督の手足となって動けるようにしたい。選手が一番いい状態でいられるよう手助けするのが役割」と抱負を述べていたが、試合中の作戦面や選手の昇格・降格などで試行錯誤を繰り返したと指摘され、この年に11.5ゲーム差を逆転され優勝を逃した。野手総合巡回コーチという役職は一年で廃止され、関川は解任となった。
2018年には三軍監督に就任。同年オフに行われた2018年のアジアウインターベースボールリーグではウエスタン・リーグの監督を務めたが、3勝10敗3分けに終わり、レギュラーシーズン最下位で、5チーム中上位4チームによるプレーオフ進出はできなかった。
2019年は一軍打撃コーチを務めたが、得点はリーグ4位に低迷し、得点力不足に苦しんだ。しかし、チームはこの年、日本シリーズで優勝を果たしている。
2020年からは三軍打撃兼外野守備走塁コーチ、2022年は二軍打撃コーチを務めた。そして2023年からは、一軍から四軍を巡回するコーディネーター(野手)を務めている。
4. 主要な表彰と記録
関川浩一は、プロ選手経歴中に数々の表彰を受け、また多くの節目となる記録を達成した。
4.1. 表彰と栄誉
- ベストナイン:1回(外野手部門:1999年)
- JA全農Go・Go賞:1回(強肩賞:2000年9月)
- 愛知トヨタドラゴンズクラウン賞:1回(1999年)
4.2. 初記録
- 初出場・初先発出場:1991年7月31日、対読売ジャイアンツ17回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手で先発出場
- 初打席・初安打:同上、2回裏に香田勲男から左翼へ二塁打
- 初打点:1992年6月30日、対読売ジャイアンツ16回戦(東京ドーム)、4回表に斎藤雅樹から右前適時打
- 初本塁打:1993年5月11日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、5回表に木戸克彦の代打で出場、桑田真澄からソロ
- 初盗塁:1993年7月16日、対横浜ベイスターズ14回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に二盗(投手:佐々木主浩、捕手:谷繁元信)
4.3. 節目とその他の記録
- 1000試合出場:2001年6月29日、対横浜ベイスターズ14回戦(横浜スタジアム)、4回裏に右翼手として出場 ※史上369人目
- 1000安打:2005年4月5日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(福島県営あづま球場)、8回裏に鎌倉健から右中間へ三塁打 ※史上228人目
- 1試合4犠打:2006年9月5日、対オリックス・バファローズ17回戦(フルキャストスタジアム宮城) ※史上7人目
- 捕手シーズン最高守備率:1.000(1993年)
- オールスターゲーム出場:2回(1995年、1999年)
5. 背番号
関川浩一が選手および指導者として使用した背番号は以下の通りである。
- 21(1991年 - 1996年、阪神タイガース)
- 22(1997年、阪神タイガース)
- 23(1998年 - 2007年、中日ドラゴンズ、東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 81(2008年 - 2009年、東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 88(2010年、SKワイバーンズ)
- 75(2011年、東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 78(2012年 - 2014年、阪神タイガース)
- 77(2015年、阪神タイガース)
- 72(2016年、福岡ソフトバンクホークス)
- 88(2018年 - 2022年、福岡ソフトバンクホークス)
- 019(2023年 - 、福岡ソフトバンクホークス)
6. 詳細な成績
関川浩一のプロ野球選手としての年度別打撃成績および守備成績を以下に示す。
6.1. 打撃成績
年度 | 所属 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 2塁打 | 3塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 敬遠 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991 | 阪神 | 10 | 30 | 28 | 3 | 8 | 2 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 11 | 0 | .286 | .333 | .357 | .690 |
1992 | 31 | 46 | 43 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 13 | 1 | .116 | .174 | .140 | .313 | |
1993 | 89 | 262 | 233 | 22 | 65 | 4 | 1 | 1 | 74 | 19 | 2 | 5 | 2 | 0 | 26 | 1 | 1 | 61 | 3 | .279 | .354 | .318 | .671 | |
1994 | 103 | 320 | 283 | 27 | 76 | 8 | 1 | 2 | 92 | 27 | 2 | 4 | 9 | 2 | 26 | 2 | 0 | 37 | 5 | .269 | .328 | .325 | .653 | |
1995 | 124 | 471 | 417 | 62 | 123 | 17 | 5 | 2 | 156 | 30 | 12 | 8 | 7 | 2 | 44 | 1 | 1 | 74 | 2 | .295 | .362 | .374 | .736 | |
1996 | 113 | 382 | 344 | 32 | 108 | 21 | 2 | 2 | 139 | 28 | 5 | 6 | 2 | 4 | 32 | 7 | 0 | 60 | 2 | .314 | .368 | .404 | .772 | |
1997 | 95 | 285 | 245 | 28 | 75 | 12 | 2 | 5 | 106 | 26 | 3 | 4 | 2 | 2 | 34 | 8 | 2 | 39 | 4 | .306 | .392 | .433 | .825 | |
1998 | 中日 | 125 | 449 | 382 | 62 | 109 | 13 | 2 | 1 | 129 | 36 | 15 | 3 | 13 | 3 | 47 | 2 | 4 | 57 | 5 | .285 | .367 | .338 | .705 |
1999 | 135 | 591 | 522 | 74 | 172 | 28 | 6 | 4 | 224 | 60 | 20 | 11 | 11 | 8 | 48 | 2 | 2 | 73 | 6 | .330 | .383 | .429 | .812 | |
2000 | 127 | 485 | 419 | 50 | 109 | 19 | 2 | 3 | 141 | 29 | 8 | 6 | 13 | 4 | 46 | 2 | 3 | 72 | 3 | .260 | .335 | .337 | .671 | |
2001 | 65 | 212 | 180 | 20 | 40 | 4 | 0 | 1 | 47 | 8 | 3 | 3 | 7 | 0 | 24 | 2 | 1 | 34 | 0 | .222 | .317 | .261 | .578 | |
2002 | 73 | 137 | 118 | 13 | 25 | 7 | 1 | 0 | 34 | 13 | 4 | 2 | 9 | 2 | 8 | 1 | 0 | 24 | 1 | .212 | .258 | .288 | .546 | |
2003 | 107 | 282 | 247 | 35 | 78 | 11 | 1 | 2 | 97 | 23 | 3 | 4 | 4 | 2 | 28 | 1 | 1 | 39 | 2 | .316 | .385 | .393 | .778 | |
2004 | 12 | 11 | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2005 | 楽天 | 101 | 294 | 258 | 30 | 74 | 16 | 2 | 0 | 94 | 12 | 7 | 6 | 6 | 2 | 26 | 0 | 2 | 53 | 1 | .287 | .354 | .364 | .719 |
2006 | 81 | 233 | 199 | 26 | 57 | 8 | 0 | 1 | 68 | 9 | 7 | 3 | 16 | 0 | 16 | 0 | 2 | 45 | 5 | .286 | .346 | .342 | .687 | |
2007 | 17 | 25 | 24 | 4 | 5 | 2 | 0 | 0 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | .208 | .240 | .292 | .532 | |
通算:17年 | 1408 | 4515 | 3953 | 490 | 1129 | 173 | 25 | 24 | 1424 | 324 | 91 | 65 | 101 | 31 | 410 | 29 | 20 | 702 | 40 | .286 | .353 | .360 | .713 |
- 各年度の太字はリーグ最高
6.2. 守備成績
年度 | 捕手 | 一塁 | 外野 | |||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | 守備率 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | ||||||
1991 | 10 | 55 | 1 | 1 | 1 | 1 | .982 | 7 | 7 | 0 | .000 | - | ||||||||||||||||
1992 | 20 | 57 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 4 | 3 | 1 | .250 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | ||||||||||
1993 | 86 | 486 | 29 | 0 | 6 | 6 | 1.000 | 43 | 30 | 13 | .302 | - | ||||||||||||||||
1994 | 99 | 493 | 26 | 1 | 4 | 4 | .998 | 48 | 42 | 6 | .125 | - | ||||||||||||||||
1995 | 94 | 562 | 51 | 6 | 5 | 5 | .990 | 82 | 57 | 25 | .305 | - | 26 | 47 | 4 | 3 | 1 | .944 | ||||||||||
1996 | 33 | 201 | 18 | 0 | 3 | 5 | 1.000 | 21 | 16 | 5 | .238 | 6 | 48 | 0 | 1 | 3 | .980 | 60 | 113 | 5 | 0 | 1 | 1.000 | |||||
1997 | 60 | 267 | 36 | 5 | 5 | 4 | .984 | 53 | 36 | 17 | .321 | - | 31 | 28 | 1 | 2 | 0 | .935 | ||||||||||
1998 | - | - | 120 | 237 | 6 | 2 | 1 | .992 | ||||||||||||||||||||
1999 | - | - | 135 | 252 | 5 | 3 | 1 | .988 | ||||||||||||||||||||
2000 | - | - | 123 | 209 | 9 | 2 | 0 | .991 | ||||||||||||||||||||
2001 | - | - | 60 | 89 | 4 | 1 | 2 | .989 | ||||||||||||||||||||
2002 | - | - | 51 | 55 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||||||||||||
2003 | - | - | 76 | 95 | 3 | 1 | 0 | 1.000 | ||||||||||||||||||||
2004 | - | - | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||||||||||||
2005 | - | - | 95 | 162 | 3 | 3 | 1 | .982 | ||||||||||||||||||||
2006 | - | - | 68 | 98 | 3 | 2 | 1 | .981 | ||||||||||||||||||||
2007 | - | - | 5 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||||||||||||
通算 | 402 | 2121 | 165 | 13 | 25 | 26 | .994 | 258 | 191 | 67 | .260 | 6 | 48 | 0 | 1 | 3 | .980 | 852 | 1393 | 44 | 19 | 8 | .987 |
