1. 概要
飯田圭織(いいだ かおり、1981年8月8日生まれ)は、日本の歌手、タレントである。ハロー!プロジェクトに所属し、女性アイドルグループ「モーニング娘。」の創設メンバーとして最もよく知られている。モーニング娘。では2代目リーダーを務め、ハロー!プロジェクト全体の2代目リーダーも兼任した。グループ内ユニットの「タンポポ」での活動や、現在はソロアーティストとしても活動している。モーニング娘。在籍時にはグループ最長身(168 cm)であったことから、「かおりん」や「かおたん」といった愛称で親しまれた。現在は、モーニング娘。のOGメンバーで構成される「ドリームモーニング娘。」の一員としても活動している。
2. 生い立ちと経歴
飯田圭織は北海道室蘭市に生まれ、札幌市手稲区で育った。幼少期から芸能界に興味を持ち、複数のオーディションを経てキャリアをスタートさせた。
2.1. 生い立ちと学歴
1981年8月8日、飯田圭織は北海道室蘭市の同じ産院で、モーニング娘。の同期メンバーである安倍なつみと2日違いで生まれた。二人は同じ新生児室にいたという。学歴については、北海道札幌稲西高等学校を中退し、その後東京都立代々木高等学校定時制も中退している。代々木高校の同級生にはSPEEDの上原多香子がいた。
2.2. キャリアの始まり
飯田圭織は、1997年にテレビ東京系『ASAYAN』内で開催された「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」に参加し、最終候補に選ばれたものの、惜しくも落選した(優勝は平家みちよ)。しかし、このオーディションが彼女のキャリアの転機となる。デビュー前には地元の札幌で乾電池のパッケージモデルを務め、この頃には『森田一義アワー 笑っていいとも!』にも出演経験がある。また、その前年に行われた『ASAYAN』の小室ギャルソンオーディションでも最終候補まで残っており、このオーディションの自己アピールで「小室さんの彼女にして下さい」と発言したエピソードも残っている。
オーディション後、音楽プロデューサーのつんく♂は、飯田を含む最終候補者5人(飯田、中澤裕子、石黒彩、安倍なつみ、福田明日香)に対し、ある条件を提示した。それは、彼女たちの課題曲「愛の種」を5日間で5万枚完売すればメジャーデビューできるというものだった。この挑戦を4日で達成したことで、1997年に「モーニング娘。」が結成され、翌1998年1月28日にシングル「モーニングコーヒー」でメジャーデビューを果たした。当初、飯田はメインボーカルを務める予定だったが、学校の試験のためレコーディング2日目に参加できず、最終的にはハモリを担当することになった(代わってメインボーカルになったのは安倍なつみ)。結成当時、モーニング娘。のリーダーに立候補したが、スタッフの判断により最年長の中澤裕子が初代リーダーに就任した。
3. モーニング娘。およびハロー!プロジェクトでの活動
飯田圭織はモーニング娘。の創設メンバーとして、グループの成長と発展に大きく貢献した。また、ハロー!プロジェクト内の様々なユニットやプロジェクトにも積極的に参加し、その多才な才能を発揮した。
3.1. 結成と初期の活動
モーニング娘。は1997年11月30日、ナゴヤ球場での課題曲「愛の種」5万枚完売を達成し、メジャーデビューへの道を切り開いた。飯田は初期のモーニング娘。において、その長身と独特の存在感で注目を集めた。1998年12月31日には、モーニング娘。として第40回日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得し、『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。また、2000年4月には、4期メンバーの辻希美の教育係を務めた。
3.2. ユニットおよびシャッフルユニットへの参加
飯田はモーニング娘。の活動と並行して、様々なユニットにも参加した。1998年10月には、石黒彩、矢口真里と共にグループ内ユニット「タンポポ」を結成し、よりスローで大人っぽい楽曲を歌い上げた。タンポポは4枚のシングルと1枚のアルバムをリリースした。石黒彩が2000年1月にモーニング娘。とタンポポを卒業した後、飯田と矢口はデュエットとして活動を続けた。その後、つんく♂が4期メンバーの加護亜依と石川梨華をタンポポに加入させ、楽曲スタイルもよりアップテンポでポップなものへと変化したが、モーニング娘。よりは落ち着いたスタイルを維持した。この新体制で、タンポポはさらに3枚のシングル、1枚のベストアルバム、1枚のDVDをリリースした。飯田は2002年9月にタンポポを卒業した。
ハロー!プロジェクトのシャッフルユニットにも積極的に参加し、2000年のパンクロックユニット「青色7」、2001年のフォーク調ユニット「10人祭」、2002年の「おどる11」、2003年のスカパンクユニット「11WATER」、2004年の「H.P.オールスターズ」、2005年の「プリプリピンク」に参加した。飯田は、このシャッフルユニットの伝統が始まって以来、毎年全てのシャッフルユニットに参加した唯一のメンバーである。
3.3. リーダーとしての役割
2001年4月15日、初代リーダーの中澤裕子がモーニング娘。を卒業したことに伴い、飯田は第2代モーニング娘。リーダーに就任した。また、ハロー!プロジェクト全体の2代目リーダーも兼任した。彼女はグループの精神的な支柱としてメンバーを牽引し、2003年にモーニング娘。が2つのサブグループに分かれた際には、「モーニング娘。おとめ組」のリーダーも務めた。
3.4. モーニング娘。卒業と最長在籍記録
2005年1月30日、『Hello! Project 2005 Winter オールスターズ大乱舞 ~A HAPPY NEW POWER! 飯田圭織 卒業スペシャル~』の横浜アリーナでのライブを最後に、飯田はモーニング娘。を卒業した。これにより、モーニング娘。の第1期メンバーは全員が卒業となった。飯田はモーニング娘。在籍中、一貫してロングヘアーがトレードマークであったが、卒業を機にショートカットにした。
飯田のモーニング娘。在籍期間は7年以上に及び、これは当時のモーニング娘。メンバーの中で最長記録であった。この記録は、2009年1月に5期メンバーの高橋愛と新垣里沙によって破られるまで保持された。2009年1月時点で、モーニング娘。に7年以上在籍したメンバーは、飯田の他に4期メンバーの吉澤ひとみ(2007年の卒業直前に達成)と、高橋愛、新垣里沙のわずか4名のみであった。現在では生田衣梨奈が最長在籍記録を更新している。
3.5. ハロー!プロジェクト卒業後のユニット活動
2009年3月31日にハロー!プロジェクトを卒業し、翌月より新ファンクラブM-line clubに所属した。
2011年1月28日には、モーニング娘。のOGメンバーである飯田を含む10名で「ドリームモーニング娘。」を結成し、その初期メンバーとして活動を開始した。
また、2007年1月24日には、モーニング娘。結成10周年を記念して結成されたユニット「モーニング娘。誕生10年記念隊」に安倍なつみ、後藤真希、新垣里沙、久住小春と共に選抜メンバーとして参加し、シングル『僕らが生きる MY ASIA』をリリースした。
2010年には、日本コカ・コーラ「ジョージア ご褒美ブレイク」のCMキャラクターとして「アフタヌーン娘δ」に参加した。
2019年2月20日には、北海道の民放5局とNHK札幌放送局による共同キャンペーン『One Hokkaido Project』のキャンペーンソング「私たちの道」に参加した。
4. ソロ活動とディスコグラフィー
モーニング娘。卒業後、飯田圭織はソロアーティストとしてのキャリアを本格的にスタートさせ、多様な音楽性を追求した。
4.1. ソロデビューと音楽性
飯田はソロアーティストとして、ハロー!プロジェクト外で2枚のアルバムをリリースした。これらのアルバムでは、フランス語、ギリシャ語、イタリア語の楽曲を原語でカバーするなど、国際色豊かな音楽性を披露した。また、モーニング娘。卒業前にリリースされた2枚の日本語シングルも、地中海風のスタイルを踏襲していた。多くの欧米のモーニング娘。およびハロー!プロジェクトのファンは、飯田のソロ楽曲のスタイルを「ユーロ演歌」と形容している。モーニング娘。在籍中、飯田は主にハーモニーを担当し、ソロパートは少なかった。グループにおける彼女の代表曲は、ファーストアルバムに収録された「夢の中」である。
2004年12月29日には、ハロー!プロジェクト内で3枚目のアルバムを日本語でリリースした。モーニング娘。卒業後の2005年12月21日には、4枚目のアルバム『プラン・ダムール~愛がいっぱい~』をリリース。このアルバムには日本語の楽曲に加え、多くのヨーロッパのカバー曲が原語で収録された。2016年7月20日には、テイチクエンタテインメントより5枚目のアルバム『ONDAS』がリリースされた。
4.2. ディスコグラフィー
飯田圭織のソロ名義でリリースされた作品は以下の通りである。
4.2.1. スタジオアルバム
No. | アルバム詳細 | リリース日 | オリコン最高順位 |
---|---|---|---|
1 | 『オサヴリオ~愛は待ってくれない~』Osavurio: Ai wa Matte Kurenai日本語 | 2003年4月23日 | 29位 |
2 | 『パラディノメ~恋に身をゆだねて~』Paradinome: Koi ni Mi o Yudanete日本語 | 2003年10月22日 | 64位 |
3 | 『アヴニール~未来~』Avenir: Mirai日本語 | 2004年12月29日 | 105位 |
4 | 『プラン・ダムール~愛がいっぱい~』Plein d'amour: Ai ga Ippai日本語 | 2005年12月21日 | 111位 |
5 | ONDAS | 2016年7月20日 | - |
4.2.2. シングル
# | タイトル | リリース日 | カップリング曲 |
---|---|---|---|
1 | 「エーゲ海に抱かれて」Aegekai ni Dakarete日本語 | 2004年2月4日 | 最後の接吻 |
2 | 「ドアの向こうでBellが鳴ってた」Door no Mukō de Bell ga Natteta日本語 | 2004年7月28日 | 泣かずにいられない私です |
4.2.3. DVD
タイトル | リリース日 | 内容 |
---|---|---|
エーゲ海 相田翔子&飯田圭織DVD | 2004年2月4日 | 相田翔子との共演映像作品 |
ガッツ石松主演 五重塔 | 2007年 | 映画『五重塔』のDVD |
5. その他の活動
飯田圭織は音楽活動のみならず、テレビドラマ、映画、バラエティ、ラジオ、出版物、CM、社会活動など多岐にわたる分野で活躍している。
5.1. テレビドラマと映画
飯田圭織は複数のテレビドラマや映画に出演し、女優としてのキャリアも築いている。
テレビドラマでは、2001年にTBSテレビの『こちら第三社会部』で清水香苗役を演じた。2012年には日本テレビの『数学♥女子学園』に浅草聖子役で、また同年TBSテレビの『ハンチョウ~警視庁安積班~』第6・7話に青木美加役で出演した。
映画では、2000年の『ピンチランナー』で仙道麗子役を、2007年の幸田露伴原作の『五重塔』では主人公のガッツ石松の娘役である片岡有衣役を演じ、ソロ活動後初の映画出演となった。2011年には『恋する弁当男子』で中村友貴子役を務めた。
5.2. テレビバラエティとラジオ
テレビバラエティ番組では、2000年から2005年まで『ハロー!モーニング。』にレギュラー出演し、コントにも積極的に参加し「アターレ飯田」や工藤静香似の医者など様々な役を演じた。2000年には『アイドルをさがせ!』でりんねと共に司会を務めた。2002年には『美少女教育II』に出演。2010年には『魔女たちの22時』で辻希美と共演し、過去の確執について語り合った。2011年には『いい旅・夢気分』で中澤裕子、保田圭と共演し、2011年から北海道文化放送の『U型テレビ』にも出演した。2023年4月からはHBCの新番組『キタに恋した!』にレギュラー出演している。
ラジオ番組では、2001年4月から2003年3月までニッポン放送の『飯田圭織・今夜も交信中!』でパーソナリティを務めた。2005年4月からはNACK5の『地中海 SOUND STROLL』でDJを担当し、2008年3月まで、そして1年間の休養を挟んで2009年4月から2011年9月まで継続した。
5.3. 出版物
飯田圭織は写真集のほか、絵画やエッセイに関する書籍も出版している。
5.3.1. 写真集
飯田は2冊のソロ写真集をリリースしている。
# | タイトル | リリース日 | ISBN |
---|---|---|---|
1 | 飯田圭織写真集 かおりKaori圭織。Iida Kaori Shashinshū Kaori Kaori Kaori日本語 | 2002年5月2日 | ISBN 4-8470-2708-6 |
2 | エーゲ海 相田翔子&飯田圭織写真集Aegekai Aida Shoko & Iida Kaori Shashinshū日本語 | 2004年1月28日 | ISBN 4-04-894254-9 |
5.3.2. 画集とエッセイ
飯田は絵を描くことを趣味としており、イラストや詩の才能を生かして画集や絵本を出版している。
2001年12月には詩画集『心のスケッチブック。』を近代映画社から出版した。2002年12月には、ノンフィクション作家の鎌田慧との共著で絵本『ライオンのマルジャン』を主婦と生活社から出版し、挿絵を担当した。
また、エッセイ集としては、雑誌「CDでーた」(角川書店)に1999年5月号から2001年6月まで連載された「パラノイアダイアリー」がある。
5.4. CMと社会活動
飯田圭織は複数のテレビCMや広告に出演している。2003年には富久娘酒造の「ふく娘・香りのお酒」と、エフテイ資生堂の「水分ヘアパック・シャンプー」のCMに登場した。特に後者では、マラソンランナーの役で自身のトレードマークであるロングヘアーを活かしてPRに努めた。2010年9月からは日本コカ・コーラ「ジョージア ご褒美ブレイク」のCMにアフタヌーン娘δとして出演。2016年にはリボンナポリンのCMにも出演した。
社会貢献活動としては、2004年に肢体不自由児協会募金用葉書に協力している。
5.5. 舞台・ライブ・MV
飯田圭織は舞台、ライブ、ミュージックビデオにも出演している。
舞台では、2011年8月31日から9月11日までシアター711で上演されたトリマカシproduce「下北箱庭HERATs」に出演した。
ライブ活動としては、モーニング娘。卒業後もソロライブやディナーショーを定期的に開催している。ハロー!プロジェクトのコンサートにも多数出演しており、2005年の『Hello! Project 2005 夏の歌謡ショー ~'05 セレクション! コレクション!~』、2006年の『Hello! Project 2006 Winter ~エルダークラブ~』、2007年の『Hello! Project 2007 Winter ~エルダークラブ The Celebration~』などに参加した。2009年1月には、長男の死後、約1年4ヶ月ぶりにコンサートステージに復帰し、『Hello! Project 2009 Winter エルダークラブ公演 ~Thank you for your LOVE!~』に出演した。2018年には、モーニング娘。初期メンバー5人として『Hello! Project 20th Anniversary!! Hello! Project 2018 WINTER ~FULL SCORE~』や『Hello! Project ひなフェス 2018「Hello! Project 20th Anniversary!! プレミアム」』にサプライズゲスト出演した。
ミュージックビデオでは、2014年にサザンオールスターズの「天国オン・ザ・ビーチ」に、2019年にはOne Hokkaido Projectの「私たちの道」に出演している。
6. 私生活
飯田圭織の私生活は、結婚や出産、そして愛称の由来など、公に多くのエピソードが語られている。
6.1. 結婚と子供
2007年7月6日、飯田の所属事務所は彼女が当時妊娠3ヶ月であり、つんく♂がプロデュースしたロックバンド「7HOUSE」(2002年に解散)の元ボーカル・ケンジと結婚することを発表した。翌7月7日に結婚し、飯田は2007年9月1日の『モーニング娘。誕生10年記念隊コンサートツアー2007夏 ~サンキュー My Dearest~』を最後に産休に入った。
2008年2月3日、飯田はファンクラブを通じて、同年1月22日午前10時30分に第1子となる男児を出産したことを発表した。しかし、同年11月8日、彼女は長男が7月27日に腎不全のため生後6ヶ月で亡くなったことを公表した。この悲劇の後、飯田は息子の思い出のためにキャリアを続けると表明し、2009年1月のハロー!プロジェクトのコンサートでステージに復帰した。
2012年12月25日、飯田は自身の公式ブログで第2子を妊娠しており、2013年春に出産予定であることを発表した。2013年5月14日には、前日に第2子となる男児を出産したことをブログで報告した。さらに、2017年5月2日には第3子を妊娠したことを発表し、同年9月19日には女児を出産したことを報告した。
6.2. 人物像と愛称
飯田圭織の一人称は「かおり」もしくは「かお」である。つんく♂は著書『LOVE論』の中で彼女を「怒った顔がかわいい女」と評している。見た目の体格相応に腕力もある。デビュー当時から長い髪がトレードマークであったが、モーニング娘。卒業を機にショートカットにした。現在はロングヘアーに戻っている。
趣味は絵を描くことで、イラストや詩の才能があり、絵本を出版したり個展を開いたりしている。また、空想が好きで、そのためボーッとしていることが多く、メンバーからは「宇宙と交信している」と言われるほどであった。このエピソードは、彼女が担当したラジオ番組のタイトル『飯田圭織・今夜も交信中!』にも反映されている。スポーツが得意で、特に足の速さに自信がある(本人いわく「縄跳びの成績は5」)。2001年3月に行われたハロー!プロジェクト大運動会ではMVPを受賞している。オフの日は料理もするという。ブログにも定期的に料理をアップしており、料理の腕前には自信を持っていると言われる。
メンバー内からよく「スタイルがいい」と言われており、つんく♂は「石川梨華が来るまではダントツでスタイルが良かった」と評している。石橋貴明も「ピンクのピチっとしたズボンみたいなのを履いてて、『うわ、足長えなあ』って思った」と語っている。中澤裕子は飯田のスタイルについて「宇宙人みたいな長さ」とギャグ交じりに話した。
飯田は、松浦亜弥の愛称「あやや」の名付け親であり、他にも藤本美貴の「ミキティ」や、保田圭の「ケメ子」、石川梨華の「梨華、チャーミー」なども彼女が付けたニックネームである。また、演歌歌手の前田有紀をハロー!プロジェクトに引き込んだ人物でもある。
一方で、2000年から2005年まで毎年行われたシャッフルユニットに唯一参加し続けたメンバーである。また、具体的な時期は不明だが、マナーが著しく悪かった時期があり、安倍なつみと同居していた際に共同生活のルールを悉く破り、安倍に嫌がられていたというエピソードも存在する。
彼女の愛称には「かおりん」「かおたん」「ジョンソン」がある。
「かおりん」は、1998年9月10日のオールナイトニッポンで、飯田自身が「飯田圭織だけど、"飯田かおりん"て呼ばれたい。ホントはりんごが好きだから飯田かおりんごって言いたいんだけど、でも長いじゃん。だからぁ、かおりんと言われたい」と発言したことに由来する。中澤裕子や石川梨華からは「かおたん」とも呼ばれる。
「ジョンソン」は、歌番組『うたばん』(TBS系)にて司会の石橋貴明がデタラメにつけた呼び名に由来する。1999年2月16日の放送で、石橋がモーニング娘。のメンバーをデタラメな名前で列挙した際に、飯田を「ジョンソン」と呼んだことがきっかけである。石橋は当時のグループリーダー中澤裕子から「貴さんはモーニング娘。のことがわかってる」と言われ、メンバー一人一人を「中澤だろ、(石黒彩に)広田、(安倍なつみに)山田、(市井紗耶香に)柴田、(矢口真里に)高田、(保田圭に)張本、(福田明日香に)王、(飯田に)ジョンソン」とデタラメに列挙した(柴田以降は1976年当時の読売ジャイアンツの上位打線を列挙している)。これが大いに受け、以後『うたばん』で飯田はジョンソンと呼ばれるようになった。紺野あさ美もモーニング娘。加入まで飯田を「ジョンソン」と呼んでいた。2002年および2003年のNHK紅白歌合戦でも、石橋と共に『うたばん』の司会をしている中居正広から、飯田はジョンソンと呼ばれた。なお、中居正広はジョンソンを間違ってジェイソンと呼んだこともある。現在もジョンソンと呼び続けているのは、石橋と中居のみである。本人は当初この愛称を嫌がっていたが、最近では自ら「ジョンソンです」「ジョンソンと呼ばれる女、飯田圭織です」と自己紹介することもある。
7. 影響と評価
飯田圭織は、そのキャリアを通じて日本のポップカルチャー、特にアイドル業界に大きな影響を与え、ファンや大衆から様々な評価を受けてきた。
7.1. 文化的影響
飯田圭織は、モーニング娘。の初期メンバーとして、グループの黎明期から黄金期を支え、その人気確立に大きく貢献した。彼女の長身と独特のキャラクターは、当時のアイドル像に新たな一面を加え、多くのファンを魅了した。特に、つんく♂が彼女を「怒った顔がかわいい女」と評したことや、石橋貴明との『うたばん』での掛け合いは、飯田の知名度向上だけでなく、モーニング娘。全体の人気に火をつける一因となった。彼女が「抱いてHOLD ON ME!」で歌った「ねぇ、笑って」のセリフは、石橋貴明によってコミカルに扱われ、飯田の代表的なフレーズとして定着した。これは、アイドルがバラエティ番組で自身のキャラクターを確立し、人気を拡大する先駆けの一つとも言える。
ソロ活動では、ユーロ・演歌という独自の音楽性を追求し、日本の音楽シーンに多様性をもたらした。また、絵画や詩の才能を生かした画集や絵本の出版、個展の開催など、アーティストとしての多角的な活動は、アイドルの枠を超えた表現者の可能性を示した。彼女が多くのメンバーの愛称を名付けたエピソードは、グループ内での彼女の親しみやすい人柄と影響力を示している。
7.2. 大衆からの評価と論争
飯田圭織は、その真面目な性格と独特の感性でファンから愛された。特に、彼女の絵画や詩の才能は高く評価され、アイドルとしての枠を超えた芸術的才能を持つ人物として認識された。また、ハロー!プロジェクト大運動会でのMVP受賞や、シャッフルユニットへの皆勤賞など、努力家で何事にも真摯に取り組む姿勢は、多くの支持を集めた。
一方で、モーニング娘。初期にメインボーカルを安倍なつみに譲った経緯や、辻希美の教育係としてのエピソード、また安倍なつみとの共同生活におけるマナー問題など、一部では批判的な意見や論争も存在した。しかし、これらのエピソードも彼女の人間的な魅力の一部として語られ、ファンの間では親しまれている。特に、長男の死という悲劇を乗り越え、再びステージに立った姿は、多くの人々に感動と勇気を与え、彼女の人間的な強さとプロ意識の高さを示すものとして、大衆から深い共感と尊敬を集めた。