1. 概要
魁聖一郎(かいせい いちろう)は、ブラジル・サンパウロ出身の元大相撲力士であり、本名を菅野 リカルドという。日系ブラジル人3世として生まれ、2014年に日本に帰化している。2006年9月に初土俵を踏み、2011年5月場所で最高位の幕内に昇進。最高位は東関脇(2016年7月場所)で、2度の優勝次点を経験し、3つの敢闘賞を受賞した。右四つからの寄りを主戦場とする取り口であったが、持病の腰痛に悩まされ、キャリア晩年には度重なる負傷や番付降下を経験した。2022年8月に現役を引退し、年寄「友綱」を襲名。引退後は大島部屋(旧友綱部屋)の部屋付き親方として後進の指導に当たり、2023年5月からは浅香山部屋に移籍。同年10月には両国国技館で断髪式を執り行った。
2. 幼少期と相撲との出会い
2.1. 幼少期と相撲への道
魁聖一郎は、日系ブラジル人の父とドイツ系イタリア人の母の間に生まれた日系ブラジル人3世である。幼少期はブラジル出身でありながらサッカーに全く興味がなく、試合中継を見ることもなかったという。父親に無理やりサッカーをさせられては、練習後に泣きながら帰宅することもあったと語っている。その代わりに柔道のような組み合うスポーツに興味を持ち、練習していた時期もあった。16歳の時、父親の知人で相撲をしていた人物に「体が大きいから相撲をやってみないか」と誘われたのが、相撲を始める直接のきっかけとなった。この頃、彼は魁皇に憧れて相撲に打ち込み、全ブラジルアマチュア相撲選手権大会の無差別級で優勝する実績を残した。当時のアマチュア相撲は「力だけで勝てた」と感じていたといい、そのことが相撲にのめり込む要因となった。しかし、ブラジルでの相撲の稽古は週に1~2日程度しか行われなかったため、日本へ渡ってからの稽古量の違いには痛感させられたという。
彼はブラジルでは他にキャリアパスが見当たらないと感じており、プロの力士となる夢を抱いていた。その中で、元十両の若東吉信(黒田吉信)と出会い、彼から厳しい指導を受けた。若東は、魁聖がプロ力士を目指していることを知り、厳しく稽古をつけ、「日本では毎日稽古するんだぞ。それでも行きたいか」と問うた。魁聖は「ブラジルにいても、未来がない。大相撲で活躍して親孝行がしたいんだ」と答え、この決意は若東自身の経験とも重なり、彼を日本へ導くことになった。若東の紹介で2006年7月に来日し、友綱部屋に入門した。
2.2. 大相撲入門
友綱部屋には既に別のブラジル人力士、魁心が在籍していた。魁聖には「魁聖一郎」という四股名が与えられた。「魁聖」は友綱部屋の伝統である「魁」に、「キリスト」を意味する「聖」を組み合わせたものであり、下の名前の「一郎」は祖父の名前から取られた。
2006年9月場所で前相撲に出場し、2勝2敗で初土俵を踏んだ。身長194 cmの長身を武器に、序ノ口と序二段をそれぞれ6勝1敗の好成績で1場所で通過し、2007年3月場所で三段目に昇進した。三段目では最初の2場所で好成績を収めたものの、その後3場所連続で負け越し、番付が足踏みした。しかし、2008年1月場所で6勝1敗、続く3月場所でも5勝2敗と立て続けに好成績を挙げ、同年5月場所で幕下への昇進を果たした。
幕下昇進後も当初は2場所連続で勝ち越したが、2008年9月場所から3場所連続で負け越し、2009年3月場所では再び三段目へ陥落した。それでも1場所で幕下へ復帰し、西幕下46枚目で迎えた同年9月場所では7戦全勝を記録し、優勝決定戦に進出した(臥牙丸に敗れて優勝はならず)。西幕下6枚目に昇進した翌11月場所以降も幕下上位で安定して好成績を収め、東幕下2枚目で迎えた2010年5月場所では5勝2敗と勝ち越し、翌7月場所に新十両へ昇進し、関取の地位を獲得した。これは10代友綱が部屋を継承してから育成した力士としては、魁道以来2人目の関取誕生となった。
3. プロ相撲キャリア
3.1. 下位階級での躍進
十両昇進は、龍興定、国東、若東に次ぐ、ブラジル出身力士として4人目であった。彼はその十両で、これまでのブラジル出身力士を上回る活躍を見せた。2010年11月場所では、11勝4敗の好成績を挙げ、4人による優勝決定戦を制して初の十両優勝を果たした。続く2011年1月場所でも東十両筆頭の地位で8勝7敗と勝ち越しを決め、翌5月技量審査場所での新入幕を確実なものとした。
3.2. 幕内デビューと上位進出
2011年5月技量審査場所で幕内デビューを果たした魁聖は、初日から6連勝という快挙を達成した。これは高見盛以来の新入幕での記録であった。さらに勢いを増し、佐田の海以来31年ぶりとなる新入幕での初日からの9連勝を記録した。横綱白鵬と並んで優勝争いの首位を走っていたが、10日目に栃ノ心に敗れて連勝はストップした。これにより、1960年に11連勝を達成した大鵬に続くことはできなかった。それでも最終的には10勝5敗という素晴らしい成績を挙げ、自身初となる敢闘賞を受賞した。この場所では優勝した白鵬の優勝パレードで露払いを務める栄誉も得た。
しかし、その後は幕内で4場所連続で負け越しを喫し、2012年3月場所には再び十両へ陥落。だが、その3月場所で10勝5敗の好成績を挙げ、翌5月場所で即座に幕内へ復帰した。同年7月場所では10日目まで1敗を守り、西前頭8枚目ながら急遽大関との対戦が組まれるなど終盤に失速したが、最終的に11勝4敗の好成績を挙げ、2回目の敢闘賞を受賞した。翌9月場所では最高位となる西前頭筆頭に昇進し、三役昇進も視野に入ったが、そこから4場所連続で負け越し、幕内下位まで番付を落とした。
2013年7月場所では初日から5連勝を記録し、10日目まで1敗を守って一時は優勝争いにも加わったが、終盤に失速し、11勝4敗の成績を残しながらも三賞受賞はならなかった。その後も番付の昇降を繰り返しながら、幕内でのキャリアを続けた。2015年5月場所では12日目終了時点で白鵬と並んで優勝争いのトップを走り、10勝5敗と好調を維持したが、この場所も三賞は獲得できなかった。
3.3. 三役昇進と負傷
西前頭7枚目で迎えた2016年3月場所は、11日目に勝ち越しを決め、最終的に11勝4敗の好成績で場所を終えた。そして、翌5月場所で新小結に昇進し、自身初の三役入りを果たした。これは友綱部屋としては、現師匠が1989年5月に部屋を継承して以来、1994年夏場所の魁皇以来2人目の三役昇進であり、ブラジル出身力士としては初の快挙であった。師匠からは「入門当時からすれば、三役に上がるペースは遅い」と苦言を呈されつつも、「まだまだ上を狙える」と激励を受けた。新三役の5月場所では、大関以上の相手には照ノ富士にしか勝てず1勝6敗に終わったが、関脇以下の力士には逸ノ城以外全てに勝利し、千秋楽で勝ち越しを決めて8勝7敗とした。
翌7月場所では東関脇に昇進し、師匠の定年までに関脇昇進を果たす形となった。この場所は2つの不戦勝に恵まれるなど健闘したが、終盤に負けが込み、7勝7敗で迎えた千秋楽で角番大関の照ノ富士に敗れ、7勝8敗と負け越し。小結で迎えた翌9月場所も6勝9敗と負け越した。4場所ぶりの平幕で迎えた翌11月場所では、3日目に白鵬に敗れ、大相撲史上3人目となる白鵬の通算1000勝目を献上することになった。この場所は自身初の初日からの10連敗を喫するなど不調に陥り、最終的に3勝12敗で場所を終えた。
2017年3月場所前、白鵬との稽古中に右膝前十字靱帯断裂および右膝外側半月板損傷という大怪我を負い、自身初となる本場所の休場を余儀なくされた。この休場により、初土俵からの連続出場記録は739で途切れ、当時現役の幕内力士の中で最長記録であった。番付降下を避けるため、6日目から強行出場し、膝に全く踏ん張りが効かない中で苦戦しながらも3勝を挙げ、十両陥落を回避した。しかし、翌5月場所も最終的に7勝8敗と負け越し、31場所連続で務めた幕内からの陥落が決定した。東十両筆頭で迎えた翌7月場所では、初日から8連勝中だった朝乃山に土をつけ、幕内常連力士としての力量を見せつけ、11日目には早々に勝ち越しを確定させ、翌9月場所の幕内復帰を決めた。
3.4. キャリア晩年と課題

2018年3月場所では東前頭6枚目まで番付を戻し、場所前には弟弟子である旭大星らとの充実した稽古で復調を期していた。この場所は初日から8連勝で中日勝ち越しを果たし、翌日も勝利して新入幕の2011年5月技量審査場所以来となる9連勝を記録したが、逸ノ城に敗れて連勝が止まった。しかし翌11日目は貴景勝の休場により不戦勝となり、幸運な形で二桁となる10勝目を記録した。13日目には優勝争いの首位を走っていた横綱鶴竜との対戦が組まれる割崩しを経験したが、敗れて優勝を逃した。最終的には自己最多となる12勝3敗(髙安と並ぶ優勝次点)の好成績で、28場所ぶり3回目の敢闘賞を獲得した。しかし、鶴竜に敗れたことにより、後述の不名誉な記録も樹立してしまった。
2018年11月場所では13場所ぶりに小結に返り咲いたが、場所前に稽古中に左腓腹筋を痛め、初日から2日を休場し、14日目には怪我を悪化させ、3勝11敗で再休場した。2019年5月場所では右上腕二頭筋腱を損傷し、7日目から休場。7月場所では右腕の怪我により11日目から休場し、最終的に1勝10敗4休で十両への降格が決まった。2019年11月場所で11勝4敗と好成績を収め、幕内へ復帰した。
2020年6月20日に、約5年間の交際を経て日本国籍を持つ一般人女性と結婚した。新型コロナウイルス感染症の流行により会うことが困難になったため、「一緒に住めば会える」という思いが結婚の動機となったという。
2021年1月場所は、所属する友綱部屋でCOVID-19感染者が確認されたため、濃厚接触の可能性があるとして全休を余儀なくされた。同年11月場所12日目の照強戦で勝利し、幕内通算400勝を達成した際は「知らなかったです。いやーすごいですね」とコメントした。
2022年2月1日、所属していた友綱部屋が、師匠の10代友綱と4代大島(元旭天鵬)との名跡交換により「大島部屋」に改称されたため、魁聖自身も大島部屋所属となった。
2021年7月場所から4場所連続で負け越し、2022年3月場所には十両に陥落。その後も負け越しが続き、東十両11枚目で迎えた同年7月場所も5勝10敗に終わり、9月場所での幕下陥落が確実となった。
4. 引退と引退後の活動
4.1. 引退の決断
2022年7月場所で5勝10敗と負け越したことにより、魁聖は12年以上にわたる関取生活を終え、9月場所での幕下陥落が確実となった。そして、9月場所の番付発表と同日の2022年8月29日に現役を引退し、年寄「友綱」を襲名した。引退会見で、幕下に陥落した状態で引退し、関取復帰を目指さなかった理由を問われると、「十何年も関取をやってきて、下(幕下)ではちょっと...。怪我で落ちたのとは違って、弱くなってから落ちたわけですから」と、自身の状態を踏まえた上での決断であることを語った。現役時代の思い出の一番として、2018年7月場所10日目の大関髙安戦を挙げ、「相撲だけではなくて生活のことも教えたい。強くなるのが一番だけど、ファンに対して感謝の気持ちを伝えることも大事」と、親方としての抱負を述べた。
4.2. 年寄としてのキャリア
魁聖は2014年11月に日本国籍を取得しており、これにより引退時に年寄名跡を取得することが可能となっていた。引退後は年寄「友綱」を襲名。当初は旧友綱部屋(現大島部屋)で指導者としての活動を開始したが、2023年5月27日、大島部屋から浅香山部屋(師匠は元大関魁皇である浅香山親方)への移籍という異例の措置を取った。これは、年寄が引退相撲(断髪式)を前に部屋を移籍するという稀なケースであった。
4.3. 断髪式
2023年10月1日、両国国技館にて魁聖の断髪式が執り行われた。故郷ブラジルから約30時間かけて駆けつけた母のロサナさん、弟のレナトさん、妹のナタリアさんら家族をはじめ、関係者約340人が大銀杏に鋏を入れた。止め鋏は、彼の移籍先の師匠である元大関魁皇の浅香山親方が務めた。整髪後、母から労いの言葉を受けた魁聖は「以前テレビ番組の企画で来日して自分の相撲を見てもらったことがあった。最後の姿を見せることができて親孝行できた」と感慨深げに語った。部屋付き親方としての抱負については、「厳しいだけでなく、(若手の)心のより所になりたい。悩みとかあったら何でも相談してほしい」と、若手力士に対する寄り添う姿勢を示した。
5. 相撲の型と評価
5.1. 相撲の型
魁聖は基本的に、その巨体と体重204 kgという大兵肥満の体格を活かした四つ相撲を得意とした。特に右四つ(相手の廻しに左外から右内での体勢で組む型)や寄り、押しを好んだ。彼の最も一般的な決まり手は、寄り切りと押し出しであった。廻しが取れない場合は、組まずに突き放していく相撲も取ることがあった。
自身よりも怪力の力士(例:碧山や栃ノ心)や、投げや引き技を得意とするもろ差し力士(例:松鳳山や栃煌山)は不得手としていた。一方で、押し一辺倒の力士(例:玉鷲や豊響)や、まともに受ける相四つの力士(例:勢)は得意としていた。
持病の腰痛が悪化して迎えた場所では、粘りなく土俵を割る相撲が多く見られた。また、小兵力士を不得手としており、小兵力士との対戦では廻しを取ろうとして叩きを食うことも多かったため、対策として押しや突っ張りを活用し、離れて相撲を取る傾向があった。2019年のインタビューでは、投げを打つと膝に負担がかかりすぎるため、相撲において「前に出る以外の余計なことはしなくてよい」と指導されていたことを明かした。立ち合いの際には何も考えないようにしていたと語り、十両に上がったばかりの頃は大勢の観客の前で緊張し、何もできなかったと振り返っている。動きが遅いにもかかわらず、変化に弱い一面もあった。2016年には年間で5回も変化を受けて敗れており、これはその年の幕内力士の中で3番目に多い記録であった。
5.2. 専門家による評価
元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗は2014年11月場所前の座談会で、魁聖が右四つで左上手を取った際の圧力について「ものすごいものがある」と高く評価していた。
一方、元文化放送アナウンサーの坂信一郎は「もっと闘志を前面に出した相撲を取れば」と、精神面の弱点を指摘した。
元日本テレビアナウンサーの原和夫は、魁聖の相撲について「腰が下りないから前に出ても結局覆いかぶさるような体勢になって、逆転技を食いやすくなる」と、彼の腰高な体勢が弱点となっていると分析した。
元関脇益荒雄の12代阿武松は、魁聖が新関脇をつかんだ頃の相撲に関して、「前は懐が深くても足がぐらぐらしていましたが、少し安定してきました」と、以前に比べた進歩を高評価した。
元大関琴欧洲の15代鳴戸は2016年11月場所前の座談会で、「腰の重さはどっしりしていて大関クラスですよ。ただ、動きが遅いので上位陣の左右の動きについていけない」と語った。同席していた元関脇若の里の12代西岩も、「どうも上位陣に勝つイメージが沸かない。相撲もまともだし、横綱、大関にとってはやりやすいと思いますよ」とコメントし、上位陣との対戦における課題を指摘していた。
5.3. 特筆される記録
魁聖のキャリアの中で特に注目される、あるいは不名誉な記録として、横綱戦での通算37戦全敗という記録がある。これは横綱戦未勝利に限れば、闘牙の29戦全敗を抜いて単独ワースト1位の連敗記録である。
また、不戦勝が非常に多いことでも知られており、通算獲得数は12個(十両3個を含む)で、玉鷲(2023年5月時点で14個)に次ぐ歴代2位の記録である。2016年7月場所では、初日に大砂嵐が、7日目に琴奨菊がそれぞれ休場したことにより、2014年1月場所(琴奨菊)以来史上21例目となる「1場所での2不戦勝」を記録した。これに対して彼は、「いつもいい子にしているから運がいい。明日から頑張らないといけない」とコメントしている。さらに、2017年11月場所から2018年3月場所にかけては、3場所連続で不戦勝を獲得するという珍しい記録も樹立した。2018年3月場所で貴景勝の休場により不戦勝を獲得した際には、「昨日で全部パワー使って筋肉痛だったんで」「みんな、オレの時に休んでくれて優しいね」「いつもいい子にしているから、相撲の神様に好かれている」と笑いながらコメントし、ユーモアを交えた発言で知られた。
6. 人物
6.1. 家族と個人的背景
魁聖は2020年6月20日に、約5年間の交際を経て、日本国籍を持つ20代の一般人女性と結婚した。新型コロナウイルス感染症の流行により、同じ都内に住んでいながらなかなか会えない状況が続き、「一緒に住めば会える」という思いが結婚のきっかけとなったと語っている。彼の家族構成は、日系ブラジル人の父とドイツ系イタリア人の母であり、祖父は日本人であった。
6.2. 趣味と嗜好
魁聖はコーラを好物とし、毎日3本飲むと公言していた。焼肉やハンバーガーも好物である。
趣味はゲームで、幕内在位中には「幕内一のゲーム好き」を自称するほどであった。2014年4月27日に千葉・幕張メッセで開催されたインターネット動画サイトと連動したイベント「ニコニコ超会議3」の大相撲巡業では、マリオと交流し、「本当に楽しい巡業。ダース・ベイダーやいろいろなキャラクターに会えて夢のような世界。相撲をやっていて良かった」と喜びを語っていた。
先代師匠の影響で喫煙者となった。寒さが苦手で、暖かい季節を好む。
ブラジル出身でありながらサッカーには無関心で、地元開催となった2014 FIFAワールドカップの大会中に母国ブラジルが準決勝に進出した際にも「結果くらいは気になるけど、あまり関心がない」と発言し、話題になった。
彼は霊感を信じる傾向があり、絶不調だった2016年11月場所で10連敗を喫した際には「気持ちには元気あるんだけど体が動かない。体が...たぶん何か憑いてますね」と述べ、祈禱のポーズを見せた。この祈禱を試みて以降、彼は復調し、場所終盤に3勝を挙げた。
現役時代に使用していた化粧回しの一つには、ブラジルの象徴であるコルコバードのキリスト像が描かれていた。
2018年4月17日放送の『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』では、普段の食事量について、最初はセブン-イレブンのコッペパン3個や寿司10皿と控えめに答えたが、肉に関する質問では「ステーキを食べる時は1キロから。焼き肉は30人前食べますね」と答え、共演者を驚かせた。彼はいきなり!ステーキも好んでおり、「お肉を炭で焼く。炭の味が肉につくのが最高。神です。シュラスコと同じなんです」と語っていた。霜降り肉よりも赤身のステーキを好み、「ブラジルではもともと、脂がない肉を食べていたから」とその理由を述べている。
2020年11月場所3日目のABEMAの大相撲中継では、アニメオタクであることが明かされた。
現役中は深夜近くまでゲームをすることが多かったが、2021年1月場所の休場中は、午後10時にはゲームをやめて睡眠をしっかりと取るようにしたという。
6.3. 人柄と発言
魁聖は取材などの場で、質問に対する受け答えの機転が利くことで知られていた。その発言の裏には謙虚さがにじみ出ており、相手へのさりげない配慮も見られた。また、自虐的な談話も多く、メディアからは「受け答えの機転が利く」と評される人柄であった。
2018年3月場所6日目のインタビューでは、「番付が上がれば朝ゆっくりになる。もう一度三役に戻りたい」と語り、時差のある故郷ブラジルで朝早くからテレビで生中継を見て応援している父への気遣いの意味も込めて、復活を夢見るコメントを発していた。
7. 逸話
7.1. 入門前・新弟子時代のエピソード
魁聖の入門の世話をした若東(黒田吉信)によると、若東が魁聖と初めて出会ったのは彼が17歳の頃で、アマチュア相撲の世界大会に挑む若者たちに稽古をつけるためサンパウロ市内の道場を訪れた際、190 cm、160 kgを超える巨体に目を奪われたという。若東は当初相撲を取る予定はなかったが、格の違いを教えようと相撲を取り、何度負かされても「Mais um!ポルトガル語(もう一丁!)」と向かってくる魁聖の精神的な強さを感じた。若東が一度だけ魁聖から本心を聞き出した際、魁聖は「ブラジルにいても、未来がない。大相撲で活躍して親孝行がしたいんだ」と打ち明けた。若東は、中学卒業後に親元を離れブラジルから日本へ渡った自身の姿と魁聖の姿を重ねた。若東はぶつかり稽古で胸を出した際に「日本では毎日やるんだぞ。それでも行きたいか」と厳しく接し、魁聖の若手時代には「兄弟子の魁皇関がいる間に、関取・幕内に上がらないといけないよ」と発破をかけ、「自分の形を持たないと上位には上がれない」と助言を送った。
新弟子時代のエピソードとして、ブラジル在住時代より祖母が日本食を振る舞っていたこともあり、入門時には納豆以外ならば部屋のちゃんこを全て問題なく食べることができたという。一方で、敬語や兄弟子への接し方などの礼儀作法については、相当に苦労したと後に語っている。それでも、訪日前に不安だった差別などはなく、「実際は皆優しく接してくれました。日本人は冷たくてあまりしゃべらないと聞いていましたが、それは違うとすぐに気付きました」と振り返っている。新弟子時代にはホームシックになったこともあったが、当時の友綱部屋では携帯電話やスマートフォンを新弟子が持つことは許されず、少ない小遣いでテレホンカードを買い、残りの度数を気にしながらブラジルに連絡していたという。番付表や日本の土産物を実家へ送るだけでも1.00 万 JPYほどかかる上に、送った荷物が現地で盗まれ実家に届かなかったなど、親孝行したいという思いとは裏腹に苦労を経験した。2006年9月場所初土俵の同期生は魁聖の他に2名いたが、いずれも前相撲を欠場したり、初土俵直後に長期休場をしたりしたまま引退したため、実質的には彼1人であった。
7.2. 力士仲間との交流
来日して間もない頃から旭天鵬を尊敬しており、取的時代に「綺麗な力士だ」と思って一緒に写真を撮ってもらって以来、交友を持つようになった。旭天鵬が大島部屋に所属していた時期に2回対戦し、2011年7月場所中日には押し出しで勝ち、2011年9月場所7日目には寄り切りで敗れた。2012年4月25日に2代大島が停年を迎え、大島部屋の力士が友綱部屋に移籍したことによって、同部屋の兄弟弟子となった。その後、2017年5月場所後に師匠10代友綱が停年を迎え、当時引退して4代大島を襲名していた旭天鵬が11代友綱となり友綱部屋を継承したことから、旭天鵬と師弟関係になった。
2016年11月場所3日目、魁聖は横綱白鵬と対戦し敗れた。この一番は白鵬にとって通算1000勝目となり、魁聖は大相撲史上3人目の、横綱の節目となる勝利を献上した力士として歴史に名を残すことになった。引退会見では、2018年7月場所10日目の結びの一番であった当時大関の髙安との取組を思い出の一番に挙げ、「お客さんの雰囲気が全然違かった」と語っている。
7.3. メディア対応とコメント
2016年の夏巡業中、日刊スポーツの絵日記に使う絵として、サラッと東京タワーを描いた。その意図を聞かれると、「早く、東京へ帰りたい。ホームシックです」と苦笑いで答えた。記者が、所属する友綱部屋は墨田区業平にあり、すぐそばに東京スカイツリーがそびえているのに、なぜ東京タワーを描いたのかと突っ込むと、「いや、スカイツリーは毎日見てるんで。東京タワーには上ったことないんですよ。一度、行ってみたいという気持ちもこめて描きました」と返した。
関脇昇進の際の記者会見では、「入門したときはブラジル人の最高は十両。俺もとりあえず十両になることが目標だった。それが幕内の、三役に上がれるとは思わなかった」と語った。さらに大関を期待する声があることに関しては、会見に同席した師匠は番付がここまで上がって既に満足しているようで、「この上は...。もういいです。師匠と(最高位で)肩を並べたくらいで、それ以上になると天狗になる。本人のためにもその方がいい」と語り、居合わせた報道陣の笑いを誘っていた。
故郷ブラジルで行われた2016年リオデジャネイロオリンピックには興味を示していなかった魁聖であったが、ゲーム好きであるため「閉会式の、安倍総理のマリオを生で見たかった...。マリオ良かったですね」と話していた。
白鵬に通算1000勝目を献上した2016年11月場所で自身初となる中日負け越しを喫した際は、「全然駄目ですね。来場所、頑張る。もう冬眠します」と弱気なコメントを残した。
2017年夏巡業の取材では「いきなり!ステーキ」を好んでいる旨を回答。「部屋の近くのお店は、少ないけど座れる場所があるんです。あそこはお肉を炭で焼く。炭の味が肉につくのが最高。神です。シュラスコと同じなんです」とその味を称えていた。
同時期、日刊スポーツの力士が絵日記を書く企画では、大好物のコーラを片手に肉にかぶりつくドラゴンボールの孫悟空を描いた。魁聖はブラジルに住んでいた子供のころからドラゴンボールのアニメが大好きだったという。
7.4. 取組に関するエピソード
前述の通り不調に喘いだ2016年11月場所は3日目に白鵬と対戦して敗れ、白鵬の通算1000勝目を献上した力士として歴史に名を残した。
引退時点で横綱戦は37戦全敗であり、横綱戦未勝利に限定すると闘牙の29戦全敗を抜いて単独ワースト1位の連敗記録である。
2場所の十両暮らしを経て西前頭16枚目で再入幕となった2020年1月場所は、成績自体は千秋楽に8勝7敗の勝ち越しに留まったが、この場所14勝1敗で幕内最高優勝を成し遂げた德勝龍に唯一土を付けたため、「1人だけ勝ったのに(三賞で授与される盾のジェスチャーをしながら)何かなかった?」と三賞をおねだりしていた。
2020年3月場所は2019新型コロナウイルス対策として力水は柄杓に口を付けず形だけ行うことになっていたが、12日目には間違って力水を口に入れてしまい、このことは同日に8勝目を挙げて勝ち越しを確定させた直後に明かした。
7.5. 不戦勝に関するエピソード
魁聖は不戦勝が非常に多い力士であった。通算獲得数は12個(十両3個を含む)で、歴代で玉鷲(2023年5月時点で14個)に次ぐ2位の記録を持つ。
2016年7月場所では初日に大砂嵐が、7日目に琴奨菊がそれぞれ休場したことにより、2014年1月場所(琴奨菊)以来史上21例目となる「1場所での2不戦勝」を記録し、「いつもいい子にしているから運がいい。明日から頑張らないといけない」とコメントした。
前述の「2不戦勝」を獲得したにもかかわらず負け越してしまった2016年7月場所の千秋楽後には「不戦勝が2度もあったのにもったいない。取組より、これより三役で緊張した」と述べていた。
2017年11月場所から2018年3月場所までに3場所連続の不戦勝を記録した。
2018年3月場所で貴景勝の休場により不戦勝を獲得した際は、「昨日で全部パワー使って筋肉痛だったんで」「みんな、オレの時に休んでくれて優しいね」「いつもいい子にしているから、相撲の神様に好かれている」と笑いながらコメントした。
8. メディア出演
2011年7月3日にはフジテレビ系列で『ザ・ノンフィクション・魁聖の初心~大相撲へのメッセージ~』という、魁聖を来日から5年間取材して制作されたドキュメンタリー番組が放送された。
2014年6月8日にはテレビ東京系列『日曜ビッグバラエティ・ニッポンだよおっかさん』という番組に出演し、母親と妹がブラジルから来日して魁聖と再会する様子が放送された。番組では魁聖が家族を東京ディズニーランドに案内したり、本場所を観戦したりする場面が流れた。
9. 主な成績と記録
9.1. 通算成績
- 通算成績:590勝592敗37休(94場所)
- 幕内成績:406勝457敗37休(60場所)
9.2. 各段優勝と三賞
- 十両優勝:1回(2010年11月場所)
- 敢闘賞:3回(2011年5月技量審査場所、2012年7月場所、2018年3月場所)
9.3. 対戦成績
9.3.1. 現役横綱・大関との対戦成績
- 大関霧島には2敗。いずれも霧島の大関昇進前の対戦。
- 大関豊昇龍には1勝2敗。いずれも豊昇龍の大関昇進前の対戦。
- 大関琴櫻には3勝3敗。いずれも琴櫻の大関昇進前の対戦。
9.3.2. 引退横綱・大関との対戦成績
- 元横綱白鵬には13戦全敗。
- 元横綱日馬富士には16戦全敗。日馬富士の大関在位中は3敗、横綱昇進後は13敗。
- 元横綱鶴竜には15戦全敗。鶴竜の大関在位中は4敗、横綱昇進後は10敗。
- 元横綱稀勢の里には12戦全敗。11度目までは稀勢の里が大関在位中、12度目は稀勢の里が横綱在位中の対戦。
- 元横綱照ノ富士には3勝8敗。照ノ富士の大関在位中は1勝4敗。照ノ富士の横綱昇進後は対戦なし。
- 元大関髙安には5勝12敗。髙安の大関在位中は1勝4敗。直近の勝利は2018年7月場所で、決まり手は小手投げ。
- 元大関朝乃山には3勝2敗。いずれも朝乃山の大関昇進前の対戦。
- 元大関正代には9勝1敗(うち1敗は不戦敗)。いずれも正代の大関昇進前の対戦。
- 元大関御嶽海には7勝1敗。いずれも御嶽海の大関昇進前の対戦。
- 元大関雅山には2勝3敗。いずれも雅山が大関陥落後の対戦。
- 元大関琴欧洲には1勝2敗(うち不戦勝1)。琴欧洲の大関在位中は1勝1敗(うち不戦勝1)。
- 元大関把瑠都には1勝1敗。
- 元大関琴奨菊には2勝13敗(うち不戦勝1)。琴奨菊が大関在位中は1勝9敗(うち不戦勝1)。
- 元大関豪栄道には5勝15敗。うち豪栄道が大関昇進後は4勝9敗。その他にも2010年9月場所に十両での対戦(豪栄道勝ち)があった。
- 元大関栃ノ心には12勝14敗。栃ノ心の大関在位中は3敗。
- 元大関貴景勝には2勝3敗(うち1勝は不戦勝)。いずれも貴景勝の大関昇進前の対戦。直近の勝利は2018年7月場所で、決まり手は押し出し。
9.3.3. 幕内対戦成績一覧
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
碧山 | 8(1) | 15 | 明瀬山 | 2 | 1 | 天空海 | 1 | 3 | 朝赤龍 | 1 | 3 | |
朝乃山 | 3 | 2 | 東龍 | 2 | 1 | 阿炎 | 2 | 5 | 安美錦 | 7(1) | 9 | |
阿夢露 | 2 | 1 | 荒鷲 | 5 | 2 | 阿覧 | 2 | 4 | 勢 | 16 | 10 | |
石浦 | 4 | 4 | 逸ノ城 | 4 | 10 | 一山本 | 1 | 1 | 宇良 | 1 | 2 | |
遠藤 | 7(1) | 12 | 炎鵬 | 1 | 1 | 阿武咲 | 2 | 3(1) | 王鵬 | 0 | 1 | |
大砂嵐 | 4(1) | 0 | 隠岐の海 | 9 | 8 | 臥牙丸 | 6 | 6 | 鏡桜 | 1 | 1 | |
輝 | 6 | 5 | 鶴竜 | 0 | 15 | 稀勢の里 | 0 | 12 | 北太樹 | 3 | 3 | |
皇風 | 1 | 0 | 木村山 | 2 | 0 | 旭秀鵬 | 1 | 0 | 旭天鵬 | 1 | 1 | |
霧馬山 | 0 | 2 | 豪栄道 | 5 | 15 | 琴恵光 | 3 | 3 | 琴欧洲 | 1(1) | 2 | |
琴奨菊 | 2(1) | 13 | 琴勝峰 | 1 | 1 | 琴ノ若 | 3 | 3 | 琴勇輝 | 4(1) | 5 | |
磋牙司 | 1 | 2 | 佐田の海 | 6 | 9 | 佐田の富士 | 8 | 4 | 常幸龍 | 0 | 2 | |
正代 | 9 | 1(1) | 翔天狼 | 5 | 3 | 松鳳山 | 9 | 9 | 蒼国来 | 2 | 2 | |
大奄美 | 3 | 1 | 大栄翔 | 5 | 2 | 大喜鵬 | 1 | 0 | 大翔丸 | 5 | 2 | |
大道 | 5 | 1 | 貴景勝 | 2(1) | 3 | 貴ノ岩 | 3 | 2 | 隆の勝 | 0 | 1 | |
隆の山 | 1 | 2 | 高見盛 | 1 | 0 | 髙安 | 5 | 12 | 宝富士 | 10 | 12 | |
豪風 | 7 | 7 | 玉飛鳥 | 1 | 0 | 玉鷲 | 10 | 12 | 千代鳳 | 1 | 3 | |
千代翔馬 | 4 | 3 | 千代大龍 | 17 | 4 | 千代ノ皇 | 1 | 1 | 千代の国 | 7 | 5 | |
千代丸 | 5 | 6 | 剣翔 | 3 | 1 | 剣武 | 1 | 0 | 照強 | 5 | 4 | |
照ノ富士 | 3 | 8 | 天鎧鵬 | 2 | 0 | 時天空 | 7 | 4 | 徳勝龍 | 9 | 5 | |
土佐豊 | 0 | 1 | 栃煌山 | 6 | 13 | 栃ノ心 | 12 | 14 | 栃乃洋 | 1 | 0 | |
栃乃若 | 6 | 3 | 翔猿 | 1 | 2 | 友風 | 1 | 0 | 豊ノ島 | 2 | 6 | |
豊響 | 9 | 5 | 錦木 | 3 | 7 | 白鵬 | 0 | 13 | 把瑠都 | 1 | 1 | |
日馬富士 | 0 | 16 | 英乃海 | 2 | 1 | 富士東 | 5 | 3 | 豊昇龍 | 1 | 2 | |
豊真将 | 3 | 2 | 北勝富士 | 2 | 4 | 舛ノ山 | 5(1) | 2 | 御嶽海 | 7 | 1 | |
翠富士 | 1 | 0 | 雅山 | 2 | 3 | 妙義龍 | 7 | 12(1) | 明生 | 2 | 0 | |
矢後 | 2 | 0 | 豊山 | 4 | 5 | 芳東 | 1 | 0 | 嘉風 | 13 | 4 | |
竜電 | 1 | 4 | 若荒雄 | 0 | 3 | 若の里 | 4 | 1 |
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。
10. 改名歴
; 力士
- 魁聖 一郎(かいせい いちろう)2006年9月場所 - 2022年9月場所
; 年寄
- 友綱 一郎(ともづな いちろう)2022年8月29日 -