1. 概要
アレクセイ・セルゲーエヴィチ・スピリドノフは、ソビエト連邦およびロシアの著名な陸上競技選手であり、特にハンマー投で国際的に活躍した。1974年にはヨーロッパ選手権で金メダルを獲得し、一時的に世界記録を樹立。そして、1976年モントリオールオリンピックでは銀メダルに輝き、ソビエト連邦のハンマー投における黄金期を築いた主要選手の一人として名を残している。
2. 経歴
アレクセイ・スピリドノフは、現在のロシア連邦に位置するレニングラードで生まれ、ソビエト連邦のスポーツ発展期を代表するハンマー投選手として活躍した。彼のコーチはオレグ・コロディイであった。
2.1. 生い立ちと初期キャリア
スピリドノフは1951年11月20日にレニングラード(現サンクトペテルブルク)で生まれた。彼はソビエト連邦のスポーツクラブであるトルード・レニングラードで訓練を積んだ。若くしてその才能を開花させ、1970年のヨーロッパジュニア選手権で2位となるなど、早くから国際舞台での活躍が期待された。1973年のユニバーシアードではモスクワ大会でソビエト連邦のワレンティン・ディミトリチェンコに次ぐ2位となり、同年のソビエト選手権でもアナトリー・ボンダルチュクに続いて2位の成績を収めた。
2.2. 主要国際大会出場と実績
選手生活を通じて、スピリドノフは数々の主要国際大会に出場し、輝かしい実績を残した。
2.2.1. ヨーロッパ選手権と世界記録樹立
1974年のソビエト選手権では再びワレンティン・ディミトリチェンコに次ぐ2位となったが、同年のローマで開催されたヨーロッパ選手権では、74.2 mを投げて優勝を果たした。これは、2位の東ドイツ選手、ヨッヘン・ザフゼに0.2 mの差をつける勝利であり、スピリドノフにとって初の主要国際タイトル獲得となった。
このヨーロッパチャンピオンの座を獲得したわずか4日後の1974年9月11日、スピリドノフはミュンヘンにおいて76.66 mという驚異的な記録で世界新記録を樹立した。これは、当時東ドイツのラインハルト・タイマーが保持していた記録を0.06 m更新するものであった。しかし、この世界記録は翌年1975年5月19日に西ドイツのカール=ハンス・リームによって更新された。
2.2.2. モントリオールオリンピック銀メダル
1976年、スピリドノフは自己ベスト記録を78.62 mまで伸ばしたが、この時点で既にソビエト連邦の同僚であるユーリ・セディフは78.86 mというさらに高い記録を樹立していた。同年のソビエト選手権では、セディフがアナトリー・ボンダルチュクやスピリドノフを抑えて優勝し、スピリドノフは1976年モントリオールオリンピックへの出場資格を得た。
モントリオールオリンピックのハンマー投競技において、スピリドノフは1投目で75.74 mのオリンピック記録を樹立し、一時的にトップに立った。しかし、2投目でユーリ・セディフが77.52 mを投げ、スピリドノフは2位に転落した。最終投てきでスピリドノフは76.08 mと記録を更新したものの、セディフの記録には及ばず、銀メダルに終わった。この大会では、ユーリ・セディフが金メダル、アナトリー・ボンダルチュクが銅メダルを獲得し、ソビエト連邦が表彰台を独占する形となった。また、4位から8位までの入賞者は全て東ドイツまたは西ドイツの選手が占めた。
2.2.3. その他の大会成績
スピリドノフは、ユニバーシアードやソビエト選手権など、その他の重要な大会でも活躍した。
1975年のローマで開催されたユニバーシアードでは、73.82 mを投げて金メダルを獲得した。この大会では、西ドイツのヴァルター・シュミットや後に大スローワーとなるユーリ・セディフを抑えての優勝であった。
1978年には再びソビエト選手権で3位となったが、同年のヨーロッパ選手権には出場しなかった。
3. 世界記録の詳細
アレクセイ・スピリドノフは、ハンマー投で以下の世界記録を樹立した。
- 記録:76.66 m
- 樹立日:1974年9月11日
- 樹立場所:ミュンヘン(西ドイツ、当時)
- 保持期間:1974年9月11日から1975年5月19日まで
4. 受賞と栄誉
スピリドノフの輝かしい選手キャリアは、数々のメダルと名誉ある称号によって称えられた。
- オリンピック: 1976年モントリオールオリンピック 銀メダル
- ヨーロッパ選手権: 1974年ローマ 金メダル
- ユニバーシアード: 1975年ローマ 金メダル
これらの競技成績に加え、スピリドノフはソビエト連邦から「ソ連名誉功労体育人」の称号を授与された。これは、ソビエト連邦のスポーツ界における傑出した功績を持つ人物に与えられる最高の名誉の一つである。

5. 死去
アレクセイ・スピリドノフは1998年4月9日に死去した。享年46歳であった。