1. 概要
アンリ・ゴイエ(Henri Gouhierフランス語、1898年 - 1994年)は、フランスの哲学者、哲学史家、そして文芸評論家である。彼の学術活動は、特にデカルト、マルブランシュ、コント、メーヌ・ド・ビランといったフランス哲学の主要な思想家たちの研究に深く根ざしている。ゴイエは、高等師範学校で哲学を修め、1941年から1968年までソルボンヌ大学で17世紀フランス宗教思想史の教授を務めた。彼の著作は、哲学史における形而上学、人間主義、実存的諸問題といったテーマを探求し、特にイエズス会の神学者アンリ・ド・リュバックに大きな影響を与えた。また、ピエール・ブルデューやミシェル・フーコーといった著名な学者たちの指導者としても知られ、彼らの学術的形成に貢献した。1979年にはアカデミー・フランセーズの会員に選出されるなど、その学術的功績は広く認められている。
2. 生涯
アンリ・ゴイエの生涯は、フランスの学術界における彼の重要な地位を築き上げた、教育と研究に捧げられたものであった。
2.1. 出生と初期の生涯
アンリ・ゴイエは1898年12月5日、フランスのオーセールで一般的な家庭に生まれた。幼少期から学問への関心を示し、軍事系人文科学グランゼコール準備課程で学んだ。
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2.2. 教育
1919年、第一次世界大戦の「休戦」競争試験を経て高等師範学校に入学した。これは、軍務から解放された特別入学生として、一般入学生の欠員を補充する形での入学であった。高等師範学校在学中、ゴイエは当時の学長ギュスターヴ・ランソンの名を冠した新聞『Le Monde où Lanson nuitフランス語』(「ランソンが夜を明かす世界」の意、エドゥアール・パイロンの戯曲『Le Monde où l'on s'ennuieフランス語』「退屈な世界」から影響)を創刊したが、これはすぐに廃刊となった。彼は1921年に哲学のアグレガシオンで首席合格を果たし、1923年には高等研究実習院の宗教学部を卒業、同年には文学博士号を取得し、その後の学術的基盤を確立した。
2.3. 初期キャリア
学術的な基礎を築いた後、ゴイエは教育者としてのキャリアを開始した。1925年から1928年までトロワのリセで哲学教師を務めた。
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その後、1929年から1940年までリール大学文学部で哲学を教えた。この期間は彼の学術的基盤をさらに固める重要な時期となった。
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短期間の政治活動への関心を挟み、1940年から1941年にはボルドー大学で哲学教師を務めた。ボルドーでの教職は、彼のソルボンヌ大学への移行に先立つ最後の地方大学での経験となった。
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2.4. ソルボンヌ大学教授職
1941年、ゴイエはソルボンヌ大学の教授に就任し、1968年までの27年間、17世紀フランス宗教思想史の教授職を務めた。この期間に彼は数多くの重要な研究と著作を発表し、フランス哲学史研究の中心人物の一人となった。また、1975年にはジュネーヴ大学から、またローマ大学からも名誉博士号を授与された。
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2.5. 私生活
ゴイエは二度結婚している。1928年にマリアン・ムアズ(1903年 - 1948年)と結婚したが、彼女と死別した後、1950年にマリー=ルイーズ・デュフール(1920年 - 2014年)と再婚した。
2.6. 死没
アンリ・ゴイエは1994年3月31日、パリで95歳でその生涯を閉じた。
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3. 学術活動と著作
アンリ・ゴイエの学術活動は、フランス哲学史の広範な領域を網羅し、特に特定の哲学者や思想的テーマに焦点を当てた深い研究によって特徴づけられる。
3.1. 哲学的関心
ゴイエの哲学的関心は、本質的にデカルトからベルクソンに至るフランス哲学に集中していた。彼は特にデカルト主義、形而上学、そしてフランス観念論に関心を抱いた。1920年11月7日付の書簡で、彼の師であるエティエンヌ・ジルソンは彼に「デカルトと聖トマスの間を埋める」ことを提案したが、ゴイエはこの指示には従わず、むしろ近代哲学の研究に自身の関心を向けた。彼の研究は、単なる歴史的記述に留まらず、人間主義や実存的諸問題といった、より広範な社会的および哲学的な言説と結びつく側面を含んでいた。彼の著作『Le Drame de l'humanisme athéeフランス語』(「無神論的人文主義のドラマ」、1944年)は、イエズス会の神学者アンリ・ド・リュバックに大きな影響を与えた。
3.2. 主要著作
アンリ・ゴイエは、その長い学術キャリアを通じて、多岐にわたるテーマで膨大な数の著作を発表した。以下に彼の主要な著作を分類して紹介する。
3.2.1. デカルト関連著作
ゴイエはデカルトの哲学、特にその宗教的思惟、形而上学、そして方法論について深く研究した。
- 1924年 『La Pensée religieuse de Descartesフランス語』(デカルトの宗教的思惟)
- 1937年 『Essais sur Descartesフランス語』(デカルトに関するエッセイ)
- 1958年 『Les Premières Pensées de Descartes, Contribution à l'histoire de l'Anti-Renaissanceフランス語』(デカルトの初期思想、反ルネサンス史への貢献)
- 1961年 『La Pensée métaphysique de Descartesフランス語』(デカルトの形而上学的思惟)
- 1973年 『Descartes, Essais sur le Discours de la Méthode, la Morale et la Métaphysiqueフランス語』(デカルト、方法序説、道徳、形而上学に関するエッセイ)
- 1978年 『Cartésianisme et Augustinisme au XVIIe siècleフランス語』(17世紀におけるデカルト主義とアウグスティヌス主義)
3.2.2. マルブランシュ関連著作
マルブランシュの宗教的経験と哲学体系に関するゴイエの研究は、彼の初期の重要な業績の一つである。
- 1926年 『Malebranche et son expérience religieuseフランス語』(マルブランシュとその宗教的経験)
- 1926年 『Malebrancheフランス語』(マルブランシュ)
- 1929年 『Malebranche, Méditations chrétiennesフランス語』(マルブランシュ、キリスト教的瞑想)
- 1929年 『Malebranche, Textes et Commentairesフランス語』(マルブランシュ、テクストと注釈)
- 1959年 『Œuvres de Malebranche, en collaboration avec A. Robinetフランス語』(マルブランシュ著作集、A.ロビネ共著)
3.2.3. オーギュスト・コント関連著作
ゴイエはオーギュスト・コントの生涯と実証主義思想の形成過程について広範な研究を行った。
- 1931年 『La Vie d'Auguste Comteフランス語』(オーギュスト・コントの生涯)
- 1933年 『La Jeunesse d'Auguste Comte et la formation du positivisme. Tome 1 : Sous le signe de la libertéフランス語』(オーギュスト・コントの青年期と実証主義の形成。第1巻:自由のしるしのもとで)
- 1936年 『La Jeunesse d'Auguste Comte et la formation du positivisme. Tome 2 : Saint-Simon jusqu'à la Restaurationフランス語』(オーギュスト・コントの青年期と実証主義の形成。第2巻:復古王政期までのサン=シモン)
- 1941年 『La Jeunesse d'Auguste Comte et la formation du positivisme. Tome 3 : Auguste Comte et Saint-Simonフランス語』(オーギュスト・コントの青年期と実証主義の形成。第3巻:オーギュスト・コントとサン=シモン)
- 1943年 『Auguste Comte, Œuvres choisies, avec introduction et notesフランス語』(オーギュスト・コント、精選著作集、序論と注釈付き)
- 1987年 『La Philosophie d'Auguste Comte, esquissesフランス語』(オーギュスト・コントの哲学、素描)
3.2.4. メーヌ・ド・ビラン関連著作
メーヌ・ド・ビランの思想、日記、そして宗教的体験に関するゴイエの研究と編集作業は、彼の学術的貢献の重要な部分を占める。
- 1942年 『Maine de Biran, Œuvres choisies, avec introduction et notesフランス語』(メーヌ・ド・ビラン、精選著作集、序論と注釈付き)
- 1947年 『Les Conversions de Maine de Biranフランス語』(メーヌ・ド・ビランの回心)
- 1954年 『Maine de Biran, journal, édition intégraleフランス語』(メーヌ・ド・ビラン、日記、完全版)
- 1966年 『Maine de Biran, De l'existence, Textes inéditsフランス語』(メーヌ・ド・ビラン、存在について、未発表テクスト)
- 1970年 『Maine de Biran par lui-mêmeフランス語』(メーヌ・ド・ビラン自身による)
3.2.5. 演劇および批評関連著作
ゴイエは哲学史研究の傍ら、演劇の本質、劇作家の役割、そして文学批評に関する著作も発表した。
- 1943年 『L'Essence du théâtreフランス語』(演劇の本質)
- 1952年 『Le Théâtre et l'Existenceフランス語』(演劇と存在)
- 1958年 『L'Œuvre théâtraleフランス語』(演劇作品)
- 1974年 『Antonin Artaud et l'essence du théâtreフランス語』(アントナン・アルトーと演劇の本質)
- 1989年 『Le Théâtre et les arts à deux tempsフランス語』(演劇と二拍子の芸術)
3.2.6. その他の哲学研究
上記の主要な哲学者以外にも、ゴイエはパスカル、ルソー、コンスタン、ルナンなど、様々なフランスの哲学者や思想家に関する研究や批評的著作を幅広く手掛けた。
- 1928年 『Notre ami Maurice Barrèsフランス語』(我らの友モーリス・バレス)
- 1943年 『La Philosophie et son histoireフランス語』(哲学とその歴史)
- 1952年 『L'Histoire et sa philosophieフランス語』(歴史とその哲学)
- 1961年 『Bergson et le Christ des Évangilesフランス語』(ベルクソンと福音書のキリスト)
- 1966年 『Les Grandes Avenues de la pensée philosophique en France depuis Descartesフランス語』(デカルト以降のフランス哲学思想の主要な道筋)
- 1966年 『Pascal, les Provinciales, préface : La Tragédie des Provincialesフランス語』(パスカル、『プロヴァンシアル』、序文:『プロヴァンシアル』の悲劇)
- 1966年 『Pascal, Commentairesフランス語』(パスカル、注釈)
- 1967年 『Benjamin Constant, Les Écrivains devant Dieuフランス語』(バンジャマン・コンスタン、神の前の著述家たち)
- 1968年 『Jean-Jacques Rousseau, Lettre à Voltaire, Lettres morales, Lettre à Christophe de Beaumont, archevêque de paris, Lettre à M. de Franquières dans œuvres complètes de Jean-Jacques Rousseau, tome IVフランス語』(ジャン=ジャック・ルソー、ヴォルテールへの手紙、道徳書簡、パリ大司教クリストフ・ド・ボーモンへの手紙、M.ド・フランキエールへの手紙、ジャン=ジャック・ルソー全集第4巻所収)
- 1970年 『Les Méditations métaphysiques de Jean-Jacques Rousseauフランス語』(ジャン=ジャック・ルソーの形而上学的瞑想)
- 1971年 『Le Combat de Marie Noëlフランス語』(マリー・ノエルの闘い)
- 1972年 『Renan auteur dramatiqueフランス語』(劇作家ルナン)
- 1974年 『Pascal et les humanistes chrétiens. L'affaire Saint-Angeフランス語』(パスカルとキリスト教ヒューマニストたち。サン=アンジュ事件)
- 1976年 『Filosofia e Religione in Jean-Jacques Rousseau, traduction par Maria Garinフランス語』(ジャン=ジャック・ルソーにおける哲学と宗教、マリア・ガリン訳)
- 1976年 『Études d'histoire de la philosophie françaiseフランス語』(フランス哲学史研究)
- 1977年 『Fénelon philosopheフランス語』(哲学者フェヌロン)
- 1978年 『Cartésianisme et Augustinisme au XVIIe siècleフランス語』(17世紀におけるデカルト主義とアウグスティヌス主義)
- 1980年 『Études sur l'histoire des idées en France depuis le XVIIe siècleフランス語』(17世紀以降のフランスにおける思想史研究)
- 1983年 『Rousseau et Voltaire, portraits dans deux miroirsフランス語』(ルソーとヴォルテール、二つの鏡の中の肖像)
- 1986年 『Blaise Pascal, conversion et apologétiqueフランス語』(ブレーズ・パスカル、回心と弁証学)
- 1987年 『La Philosophie d'Auguste Comte, esquissesフランス語』(オーギュスト・コントの哲学、素描)
- 1987年 『L'Anti-Humanisme au XVIIe siècleフランス語』(17世紀における反人間主義)
- 1989年 『Le Théâtre et les arts à deux tempsフランス語』(演劇と二拍子の芸術)
- 1989年 『Bergson dans l'histoire de la pensée occidentaleフランス語』(西洋思想史におけるベルクソン)
- 1989年 『Benjamin Constant devant la religionフランス語』(宗教の前のバンジャマン・コンスタン)
- 1992年 『Trois essais sur Étienne Gilsonフランス語』(エティエンヌ・ジルソンに関する三つのエッセイ)
4. 影響力と評価
アンリ・ゴイエは、その深い学識と教育者としての情熱を通じて、後世の学者たちに多大な影響を与え、数々の栄誉に輝いた。
4.1. 弟子への影響
ゴイエは多くの著名な学者の指導者として、彼らの学術的キャリアの形成に貢献した。彼は著名な社会学者ピエール・ブルデューの学部卒業論文(ライプニッツの『Animadversionesラテン語』の翻訳と解説)を指導した。また、ミシェル・フーコーの博士論文審査委員長も務めるなど、彼らの学術的発展に重要な役割を果たした。
4.2. 学術的影響
ゴイエの著作、特に1944年に発表された『Le Drame de l'humanisme athéeフランス語』(「無神論的人文主義のドラマ」)は、イエズス会の神学者アンリ・ド・リュバックに大きな影響を与えた。彼の哲学史研究は、フランス哲学の特定の分野、特に17世紀の宗教思想や形而上学の理解に深い波及効果をもたらし、後世の研究に多大な貢献をした。
4.3. 受賞歴と会員活動
ゴイエは、その卓越した学術的功績に対し、数多くの栄誉と社会的認知を受けた。
- レジオンドヌール勲章コマンドゥール
- 国家功労勲章グラン・オフィシエ
- 芸術文化勲章コマンドゥール
- 1924年 アカデミー・フランセーズ モーリス・トルベール賞
- 1961年 倫理・政治学アカデミー会員に選出
- 1970年 ベルギー王立アカデミー協力会員に選出
- 1979年 アカデミー・フランセーズ会員に選出(彼の師であるエティエンヌ・ジルソンの席を継承)
- 1981年 リンチェイ国立アカデミー外国人会員に選出
- 1988年 チーノ・デル・ドゥーカ世界賞を受賞
- 1989年 マドリード王立倫理・政治学アカデミー通信会員に選出
5. 後世の評価
アンリ・ゴイエは、20世紀フランス哲学史研究において、その詳細な文献学的アプローチと深い思想的洞察力によって、極めて重要な位置を占めている。彼の研究は、特にデカルト、マルブランシュ、コント、メーヌ・ド・ビランといったフランスの主要な哲学者たちの思想を、歴史的文脈と哲学的な深さの両面から再評価する上で不可欠なものとされている。ゴイエは、単に過去の思想を記述するだけでなく、それらの思想が現代の人間主義や実存主義的問いとどのように関連するかを探求した。彼の著作は、後続の哲学史家や思想家たちに多大な影響を与え、フランス哲学研究の基盤を形成した学術的遺産として高く評価されている。