1. 生い立ちと背景
ジョナサン・エルリックは、アルゼンチンで生まれ、幼少期にイスラエルへ移住し、幼い頃からテニスに親しんだ。
1.1. 出生と幼少期
エルリックは、アルゼンチンのブエノスアイレスでユダヤ人の両親の長男として生まれた。1歳の時にイスラエルのハイファへ移住し、その後イスラエルに帰化した。テニスを始めたのは3歳の時で、7歳で初めてのトーナメントに出場した。少年時代はサッカーもプレーしていたが、12歳の時にテニスを職業として選択した。
1.2. ジュニア時代のキャリアと教育
ジュニア時代には、イスラエルのウィンゲート研究所でトレーニングを受け、ここで将来のダブルスパートナーとなるアンディ・ラムと出会った。ITFジュニアサーキットへの出場は多くなかったが、唯一グランドスラムジュニア大会に参加した1994年のウィンブルドン選手権男子ジュニアダブルスではベスト8の成績を残している。1996年に19歳でプロ転向した。
2. プロテニスキャリア
ジョナサン・エルリックのプロテニス選手としてのキャリアは、主にダブルスでの成功に焦点を当てて展開された。
2.1. 初期プロ活動 (1996年-2005年)
エルリックは1996年にプロに転向し、2000年にはデビスカップイスラエル代表選手として活動を始めた。2001年後半からアンディ・ラムとダブルスでペアを組み始め、2003年からは男子ツアーのダブルスで成績を伸ばし始めた。2003年のウィンブルドン選手権男子ダブルスでは、ヨナス・ビョルクマンとトッド・ウッドブリッジのペアに準決勝で敗れたものの、イスラエル人選手として初のグランドスラム準決勝進出という快挙を達成した。同年9月にはタイ・オープン、10月にはリヨン・グランプリで優勝を飾った。
2004年の全豪オープンでは、南アフリカのリーゼル・フーバーと組み、混合ダブルスで準決勝に進出したが、リーンダー・パエスとマルチナ・ナブラチロワのペアに敗れた。同年10月には再びリヨン・グランプリで優勝。2005年2月にはロッテルダム・オープンで優勝し、6月にはノッティンガム・オープンでもタイトルを獲得した。ラムの父親の死去により、2005年全仏オープンには出場できなかった。2005年末にはダブルスランキングで8位となり、年間最終戦のテニス・マスターズ・カップに補欠として出場した。シングルスでは、2002年のインディアナポリス大会で世界ランク64位のアドリアン・ボイネアを破るなどの実績もある。

2.2. アンディ・ラムとのパートナーシップ
エルリックとアンディ・ラムのペアは、イスラエルでは「アンディ・ヨニ」の愛称で知られ、長年にわたりATPツアーで活躍した。彼らは合計22のダブルスタイトルを獲得し、その半数以上を共に手にした。
2.2.1. グランドスラム優勝 (2008年全豪オープン)
2008年1月、エルリックとラムは全豪オープン男子ダブルスで第8シードとして出場し、初のグランドスラム決勝に進出した。決勝ではアルノー・クレマンとミカエル・ロドラのフランス人ペアを7-5, 7-6(7-4)のストレートで破り、見事優勝を飾った。これは彼らのキャリアの頂点であり、イスラエルテニス界にとっても歴史的な快挙となった。
2.2.2. オリンピックおよびデビスカップ出場
エルリックとラムは、2004年のアテネオリンピック、2008年の北京オリンピック、2012年のロンドンオリンピックと3度、オリンピックにイスラエル代表として出場した。アテネとロンドンではそれぞれ準々決勝に進出する活躍を見せた。特にロンドンオリンピックの2回戦では、前回金メダリストであるロジャー・フェデラーとスタニスラス・ワウリンカのスイスペアを1-6, 7-6(5), 6-3で破るという番狂わせを演じた。

デビスカップにおいては、2000年、そして2002年から2009年にかけてイスラエル代表として出場し、16試合中12勝を挙げた。2007年にはチリを破り、世界最上位16カ国からなるワールドグループへの昇格に貢献した。特に印象的だったのは、2009年7月にテルアビブのノキア・アリーナでロシアをホームに迎えたワールドグループ準々決勝での活躍である。当時の世界ランキングでロシアはトップランク国であり、マラト・サフィンやイーゴリ・アンドレーエフなどの強豪を擁していたのに対し、イスラエルは格下と見なされていた。しかし、イスラエルチームは最初の3試合を連勝し、準決勝進出を決めた。エルリックとラムは、1万人を超える熱狂的な観衆の前でサフィンとイーゴリ・クニツィンのペアを6-3, 6-4, 6-7, 4-6, 6-4のフルセットで破り、勝利を決定づけた。この勝利は、エルリックにとって「一生大切にするもの」となり、「誰もが夢を持つが、ロシアを3-0で破るような夢は許されないと思っていた。しかし、我々はそれを成し遂げた」と語った。この試合はイスラエルで行われたテニス史上で最多となる1万500人の観客を動員した。また、2012年9月のワールドグループ・プレーオフでは日本と対戦し、イスラエルは3勝2敗で勝利し、3年ぶりにワールドグループ復帰を果たした。
2.3. 後期キャリアと記録 (2006年-2021年)
2006年には、ラムとのダブルスで年間4勝を挙げた。2007年8月にはシンシナティ・マスターズでブライアン兄弟を破って優勝し、同年11月にはテニス・マスターズ・カップでもブライアン兄弟に勝利した。2008年9月には右肘の手術のためツアーを離脱し、一時ランキングを落としたが、2009年5月のATPチャレンジャーツアーで復帰した。
2021年5月には、アンドレイ・バシレフスキーと組んでベオグラード・オープンで22回目のダブルス優勝を果たし、キャリア通算400勝にあと1勝と迫った。
2.4. その他の主要なパートナーシップ
エルリックは、アンディ・ラム以外のパートナーとも成功を収めている。2010年6月にはノバク・ジョコビッチと組み、クイーンズ・クラブ選手権でタイトルを獲得した。この優勝はジョコビッチにとってキャリア唯一のダブルスタイトルとなった。また、2015年にはコリン・フレミング、2017年にはアイサム=ウル=ハク・クレシ、2018年、2019年にはアルテム・シタック、そして2021年にはアンドレイ・バシレフスキーなど、様々な選手とペアを組み、ATPツアーで優勝を果たした。
3. 引退と引退後の活動
プロテニス選手としてのキャリアを終えた後も、エルリックはイスラエルテニス界に貢献している。
3.1. プロテニスからの引退
2022年9月、エルリックはテルアビブ・オープンでの出場をもって現役引退を発表した。この大会ではノバク・ジョコビッチとペアを組む予定だったが、直前で負傷により棄権を余儀なくされ、プロキャリアに終止符を打った。
3.2. 引退後の役割
引退後、エルリックは非営利団体であるイスラエルテニス教育センター(ITEC)の高性能プログラムディレクターに就任した。この新しい役職において、彼はイスラエル全土のあらゆるバックグラウンドを持つ競争力のあるテニス選手の育成を担当している。特に、資源が不足している地域や遠隔地の才能ある選手を発掘し、育成に力を入れている。これは、社会的な公平性と機会の提供という観点から、彼のスポーツ界における新たな貢献として評価されている。
4. キャリア統計と記録
ジョナサン・エルリックのプロテニスキャリアにおける主要な成果と統計を以下に示す。
4.1. シングルスおよびダブルス成績概要
エルリックは主にダブルスのスペシャリストとして活動した。キャリア通算でシングルスにはほとんど出場しておらず、通算6勝6敗に留まっている。シングルスでの最高ランキングは1999年10月4日付の292位である。一方、ダブルスではプロ通算413勝346敗を記録し、22のタイトルを獲得。2008年7月7日には自己最高のダブルスランキング5位を達成した。生涯獲得賞金は281.00 万 USDに上る。
4.2. ATPツアー決勝戦
エルリックはATPツアー決勝に45回進出し、22回優勝、23回準優勝という成績を残している。グランドスラム優勝は1回。
結果 | W-L | 日付 | トーナメント | ティア | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 1-0 | 2000年7月 | テニス殿堂選手権、アメリカ合衆国 | インターナショナル | 芝 | ハレル・レビ | カイル・スペンサー | 7-6(7-2), 7-5 |
優勝 | 2-0 | 2003年9月 | タイ・オープン、タイ | インターナショナル | ハード (室内) | アンディ・ラム | アンドリュー・クラッツマン | 6-3, 7-6(7-4) |
優勝 | 3-0 | 2003年10月 | リヨン・グランプリ、フランス | インターナショナル | カーペット (室内) | アンディ・ラム | ジュリアン・ベネトー | 6-1, 6-3 |
準優勝 | 3-1 | 2004年1月 | チェンナイ・オープン、インド | インターナショナル | ハード | アンディ・ラム | ラファエル・ナダル | 6-7(3-7), 6-4, 3-6 |
準優勝 | 3-2 | 2004年2月 | ロッテルダム・オープン、オランダ | インターナショナル・ゴールド | ハード (室内) | アンディ・ラム | ポール・ハンリー | 7-5, 6-7(5-7), 5-7 |
優勝 | 4-2 | 2004年10月 | リヨン・グランプリ、フランス (2) | インターナショナル | カーペット (室内) | アンディ・ラム | ヨナス・ビョルクマン | 7-6(7-2), 6-2 |
優勝 | 5-2 | 2005年2月 | ロッテルダム・オープン、オランダ (2) | インターナショナル・ゴールド | ハード (室内) | アンディ・ラム | シリル・スーク | 6-4, 4-6, 6-3 |
優勝 | 6-2 | 2005年6月 | ノッティンガム・オープン、イギリス | インターナショナル | 芝 | アンディ・ラム | シーモン・アスペリン | 4-6, 6-3, 7-5 |
準優勝 | 6-3 | 2005年7月 | ロサンゼルス・オープン、アメリカ合衆国 | インターナショナル | ハード | アンディ・ラム | リック・リーチ | 3-6, 4-6 |
準優勝 | 6-4 | 2005年8月 | カナダ・オープン、カナダ | マスターズシリーズ | ハード | アンディ・ラム | ウェイン・ブラック | 7-6(7-5), 3-6, 0-6 |
準優勝 | 6-5 | 2005年10月 | タイ・オープン、タイ (2) | インターナショナル | ハード (室内) | アンディ・ラム | ポール・ハンリー | 6-5(7-5), 1-6, 2-6 |
準優勝 | 6-6 | 2005年10月 | ウィーン・オープン、オーストリア | インターナショナル・ゴールド | ハード (室内) | アンディ・ラム | マーク・ノールズ | 3-5, 4-5(4-7) |
優勝 | 7-6 | 2006年1月 | ブリスベン国際、オーストラリア | インターナショナル | ハード | アンディ・ラム | ポール・ハンリー | 7-6(7-4), 7-6(12-10) |
準優勝 | 7-7 | 2006年2月 | ロッテルダム・オープン、オランダ (3) | インターナショナル・ゴールド | ハード (室内) | アンディ・ラム | ポール・ハンリー | 6-7(4-7), 6-7(2-7) |
準優勝 | 7-8 | 2006年5月 | イタリアン・オープン、イタリア | マスターズシリーズ | クレー | アンディ・ラム | マーク・ノールズ | 4-6, 7-5, [11-13] |
優勝 | 8-8 | 2006年6月 | ノッティンガム・オープン、イギリス (2) | インターナショナル | 芝 | アンディ・ラム | イーゴリ・クニツィン | 6-3, 6-2 |
優勝 | 9-8 | 2006年8月 | コネチカット・オープン、アメリカ合衆国 | インターナショナル | ハード | アンディ・ラム | マリウシュ・フィルステンベルク | 6-3, 6-3 |
優勝 | 10-8 | 2006年10月 | タイ・オープン、タイ (3) | インターナショナル | ハード (室内) | アンディ・ラム | アンディ・マリー | 6-2, 2-6, [10-4] |
準優勝 | 10-9 | 2007年3月 | ラスベガス・オープン、アメリカ合衆国 | インターナショナル | ハード | アンディ・ラム | ボブ・ブライアン | 6-7(6-8), 2-6 |
準優勝 | 10-10 | 2007年3月 | インディアンウェルズ・マスターズ、アメリカ合衆国 | マスターズシリーズ | ハード | アンディ・ラム | マルティン・ダム | 4-6, 4-6 |
準優勝 | 10-11 | 2007年8月 | ワシントン・オープン、アメリカ合衆国 | インターナショナル | ハード | アンディ・ラム | ボブ・ブライアン | 6-7(5-7), 6-3, [7-10] |
優勝 | 11-11 | 2007年8月 | シンシナティ・マスターズ、アメリカ合衆国 | マスターズシリーズ | ハード | アンディ・ラム | ボブ・ブライアン | 4-6, 6-3, [13-11] |
優勝 | 12-11 | 2008年1月 | 全豪オープン、オーストラリア | グランドスラム | ハード | アンディ・ラム | アルノー・クレマン | 7-5, 7-6(7-4) |
優勝 | 13-11 | 2008年3月 | インディアンウェルズ・マスターズ、アメリカ合衆国 | マスターズシリーズ | ハード | アンディ・ラム | ダニエル・ネスター | 6-4, 6-4 |
準優勝 | 13-12 | 2008年8月 | シンシナティ・マスターズ、アメリカ合衆国 | マスターズシリーズ | ハード | アンディ・ラム | ボブ・ブライアン | 6-4, 6-7(2-7), [7-10] |
優勝 | 14-12 | 2010年6月 | クイーンズ・クラブ選手権、イギリス | 250シリーズ | 芝 | ノバク・ジョコビッチ | カロル・ベック | 7-6(8-6), 2-6, [10-3] |
準優勝 | 14-13 | 2010年10月 | タイ・オープン、タイ (4) | 250シリーズ | ハード (室内) | ユルゲン・メルツァー | クリストファー・カス | 4-6, 4-6 |
優勝 | 15-13 | 2011年6月 | イーストボーン国際、イギリス | 250シリーズ | 芝 | アンディ・ラム | グリゴル・ディミトロフ | 6-3, 6-3 |
優勝 | 16-13 | 2011年8月 | ウィンストン・セーラム・オープン、アメリカ合衆国 | 250シリーズ | ハード | アンディ・ラム | クリストファー・カス | 7-6(7-2), 6-4 |
準優勝 | 16-14 | 2012年1月 | チェンナイ・オープン、インド | 250シリーズ | ハード | アンディ・ラム | リーンダー・パエス | 4-6, 4-6 |
優勝 | 17-14 | 2012年5月 | セルビア・オープン、セルビア | 250シリーズ | クレー | アンディ・ラム | マルティン・エメリッヒ | 4-6, 6-2, [10-6] |
準優勝 | 17-15 | 2013年6月 | ハレ・オープン、ドイツ | 250シリーズ | 芝 | ダニエレ・ブラッチアリ | サンティアゴ・ゴンサレス | 2-6, 6-7(3-7) |
準優勝 | 17-16 | 2014年7月 | テニス殿堂選手権、アメリカ合衆国 (2) | 250シリーズ | 芝 | ラジーブ・ラム | クリス・グッチョーネ | 5-7, 4-6 |
優勝 | 18-16 | 2015年10月 | 深圳オープン、中国 | 250シリーズ | ハード | コリン・フレミング | クリス・グッチョーネ | 6-1, 6-7(3-7), [10-6] |
準優勝 | 18-17 | 2016年2月 | オープン13、フランス | 250シリーズ | ハード (室内) | コリン・フレミング | マテ・パビッチ | 2-6, 3-6 |
準優勝 | 18-18 | 2016年8月 | ロス・カボス・オープン、メキシコ | 250シリーズ | ハード | ケン・スクプスキ | プラブ・ラジャ | 6-7(4-7), 6-7(3-7) |
準優勝 | 18-19 | 2017年1月 | ASBクラシック、ニュージーランド | 250シリーズ | ハード | スコット・リプスキー | マルチン・マトコフスキ | 6-1, 2-6, [3-10] |
優勝 | 19-19 | 2017年10月 | 成都オープン、中国 | 250シリーズ | ハード | アイサム=ウル=ハク・クレシ | マーカス・ダニエル | 6-3, 7-6(7-3) |
優勝 | 20-19 | 2018年7月 | テニス殿堂選手権、アメリカ合衆国 (3) | 250シリーズ | 芝 | アルテム・シタック | マルセロ・アレバロ | 6-1, 6-2 |
優勝 | 21-19 | 2019年6月 | アンタルヤ・オープン、トルコ | 250シリーズ | 芝 | アルテム・シタック | イワン・ドディグ | 6-3, 6-4 |
準優勝 | 21-20 | 2019年10月 | 成都オープン、中国 (2) | 250シリーズ | ハード | ファブリス・マルティン | ニコラ・チャチッチ | 6-7(9-11), 6-3, [3-10] |
準優勝 | 21-21 | 2020年2月 | マハラシュトラ・オープン、インド | 250シリーズ | ハード | アンドレイ・バシレフスキー | アンドレ・ヨーランソン | 2-6, 6-3, [8-10] |
準優勝 | 21-22 | 2021年2月 | オープン・スッド・ド・フランス、フランス | 250シリーズ | ハード (室内) | アンドレイ・バシレフスキー | ヘンリ・コンティネン | 2-6, 5-7 |
優勝 | 22-22 | 2021年5月 | ベオグラード・オープン、セルビア | 250シリーズ | クレー | アンドレイ・バシレフスキー | アンドレ・ヨーランソン | 6-4, 6-1 |
準優勝 | 22-23 | 2021年9月 | アスタナ・オープン、カザフスタン | 250シリーズ | ハード (室内) | アンドレイ・バシレフスキー | サンティアゴ・ゴンサレス | 1-6, 2-6 |
4.3. チャレンジャーおよびフューチャーズトーナメント
エルリックは、ATPチャレンジャーおよびITFフューチャーズツアーでも数多くのタイトルを獲得している。
シングルス決勝:1回(0勝1敗)
結果 | W-L | 日付 | トーナメント | ティア | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|---|
準優勝 | 0-1 | 1999年1月 | インドF1、チャンディーガル | フューチャーズ | ハード | アミル・ハダド | 3-6, 4-6 |
ダブルス決勝:48回(32勝16敗)
結果 | W-L | 日付 | トーナメント | ティア | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 1-0 | 1998年1月 | インドF1、ニューデリー | フューチャーズ | ハード | ノアム・オクン | ジェイミー・デルガド | 6-7, 7-6, 7-6 |
準優勝 | 1-1 | 1998年1月 | インドF3、インドール | フューチャーズ | ハード | ノアム・オクン | アリ・ハマデ | 6-7, 4-6 |
準優勝 | 1-2 | 1998年3月 | イスラエルF1、ヤッファ | フューチャーズ | ハード | アミル・ハダド | タピオ・ヌルミネン | 2-6, 5-7 |
優勝 | 2-2 | 1999年1月 | インドF1、チャンディーガル (2) | フューチャーズ | ハード | アミル・ハダド | セドリック・コフマン | 5-7, 7-5, 6-4 |
優勝 | 3-2 | 1999年2月 | クロアチアF1、ザグレブ | フューチャーズ | ハード | ニール・ウェルグリーン | イワン・チンクシュ | 6-2, 6-1 |
優勝 | 4-2 | 1999年3月 | イスラエルF1、アシュケロン | フューチャーズ | ハード | エイアル・エルリック | アミル・ハダド | 6-4, 6-2 |
準優勝 | 4-3 | 1999年6月 | アイルランドF1、ダブリン | フューチャーズ | カーペット | アミル・ハダド | ダニエレ・ブラッチアリ | 4-6, 6-3, 3-6 |
優勝 | 5-3 | 2000年1月 | アメリカ合衆国F2、アルタモンテ・スプリングス | フューチャーズ | ハード | ハレル・レビ | オスカー・オルティス | 6-3, 6-4 |
優勝 | 6-3 | 2000年4月 | ウズベキスタンF1、アンディジャン | フューチャーズ | ハード | リオル・モール | アイサム=ウル=ハク・クレシ | 7-6(7-4), 6-4 |
優勝 | 7-3 | 2000年5月 | ウズベキスタンF2、ナマンガン | フューチャーズ | ハード | リオル・モール | 石井弥起 | 6-2, 4-6, 6-4 |
優勝 | 1-0 | 2000年5月 | フェルガナ・チャレンジャー、ウズベキスタン | チャレンジャー | ハード | リオル・モール | ダニエル・メロ | 6-4, 6-0 |
優勝 | 2-0 | 2000年6月 | デンバー、アメリカ合衆国 | チャレンジャー | ハード | リオル・モール | ノアム・ベーア | 6-4, 5-7, 6-2 |
準優勝 | 2-1 | 2000年10月 | スロバキア・オープン、スロバキア | チャレンジャー | ハード (室内) | アレクサンダー・キティノフ | ポール・ハンリー | 4-6, 4-6 |
準優勝 | 2-2 | 2001年3月 | アンドレジュー、フランス | チャレンジャー | ハード (室内) | ノアム・ベーア | ジュリアン・ベネトー | 3-6, 3-6 |
準優勝 | 2-3 | 2001年3月 | マクデブルク、ドイツ | チャレンジャー | カーペット (室内) | ロブロ・ゾフコ | フレデリック・ニーマイヤー | 6-7(2-7), 6-7(3-7) |
優勝 | 3-3 | 2001年5月 | エルサレム、イスラエル | チャレンジャー | ハード | ミカエル・ロドラ | ノアム・ベーア | 7-5, 4-6, 7-6(7-2) |
優勝 | 4-3 | 2001年9月 | イスタンブール・チャレンジャー、トルコ | チャレンジャー | ハード | ミカエル・ロドラ | サンダー・グルーン | w/o |
優勝 | 5-3 | 2001年10月 | グルノーブル・チャレンジャー、フランス | チャレンジャー | ハード (室内) | アンディ・ラム | ポール・ロスナー | 6-4, 3-6, 7-6(7-4) |
優勝 | 6-3 | 2001年11月 | プエブラ、メキシコ | チャレンジャー | ハード | アンディ・ラム | マルコ・チウディネリ | 6-4, 6-7(5-7), 6-1 |
優勝 | 7-3 | 2001年12月 | サンホセ、コスタリカ | チャレンジャー | ハード | アンディ・ラム | ダニエル・メロ | 6-3, 6-3 |
準優勝 | 7-4 | 2002年2月 | ブレスト、フランス | チャレンジャー | ハード (室内) | アンディ・ラム | ベン・エルウッド | 1-6, 4-6 |
優勝 | 8-4 | 2002年3月 | シェルブール・チャレンジャー、フランス | チャレンジャー | ハード (室内) | ノアム・ベーア | ジュリアン・ベネトー | w/o |
優勝 | 9-4 | 2002年11月 | レユニオン島、レユニオン | チャレンジャー | ハード | フェデリコ・ブラウン | マルコ・チウディネリ | 6-1, 4-6, 6-3 |
準優勝 | 9-5 | 2002年12月 | ミラノ、イタリア | チャレンジャー | カーペット (室内) | アレクサンダー・キティノフ | マッシモ・ベルトリーニ | 6-7(4-7), 6-2, 6-7(4-7) |
準優勝 | 7-4 | 2003年2月 | イギリスF2、ノッティンガム | フューチャーズ | カーペット (室内) | ハレル・レビ | マーク・ヒルトン | 6-7(7-9), 2-6 |
優勝 | 10-5 | 2003年3月 | ブザンソン・チャレンジャー、フランス | チャレンジャー | ハード (室内) | ユリアン・ノール | リシャール・ガスケ | 6-3, 6-4 |
優勝 | 8-4 | 2003年4月 | ギリシャF1、シロス | フューチャーズ | ハード | アンディ・ラム | マルコ・チウディネリ | 6-3, 3-6, 6-3 |
準優勝 | 10-6 | 2003年5月 | ニューデリー・チャレンジャー、インド | チャレンジャー | ハード | アンディ・ラム | ラドスラフ・ルカエフ | 6-7(6-8), 6-4, 2-6 |
優勝 | 11-6 | 2003年7月 | レキシントン・チャレンジャー、アメリカ合衆国 | チャレンジャー | ハード | 鈴木貴男 | マティアス・ボーカー | 6-4, 6-1 |
優勝 | 12-6 | 2003年8月 | ビンガムトン・チャレンジャー、アメリカ合衆国 | チャレンジャー | ハード | アンディ・ラム | スティーブン・ハス | 6-4, 6-3 |
優勝 | 13-6 | 2003年9月 | イスタンブール・チャレンジャー、トルコ (2) | チャレンジャー | ハード | アンディ・ラム | アミル・ハダド | 7-6(7-5), 7-6(8-6) |
優勝 | 14-6 | 2003年11月 | スロバキア・オープン、スロバキア (2) | チャレンジャー | ハード (室内) | ハレル・レビ | マリオ・アンチッチ | 7-6(9-7), 6-3 |
優勝 | 15-6 | 2003年11月 | ドニプロペトロウシク・チャレンジャー、ウクライナ | チャレンジャー | ハード (室内) | ハレル・レビ | シーモン・アスペリン | 6-4, 6-3 |
準優勝 | 15-7 | 2004年11月 | スロバキア・オープン、スロバキア (3) | チャレンジャー | ハード (室内) | ノアム・オクン | シーモン・アスペリン | 6-7(5-7), 3-6 |
優勝 | 16-7 | 2008年7月 | イスラエル・オープン、イスラエル | チャレンジャー | ハード | アンディ・ラム | セルゲイ・ブブカ | 6-3, 7-6(7-3) |
準優勝 | 16-8 | 2009年5月 | イスラエル・オープン、イスラエル (2) | チャレンジャー | ハード | アンディ・ラム | ジョージ・バストル | 5-7, 6-7(6-8) |
優勝 | 17-8 | 2009年5月 | イズミル・カップ、トルコ | チャレンジャー | ハード | ハレル・レビ | プラカシュ・アムリトラジ | 6-3, 6-3 |
優勝 | 18-8 | 2010年5月 | イスラエル・オープン、イスラエル (3) | チャレンジャー | ハード | アンディ・ラム | アレクサンダー・ペヤ | 6-4, 6-3 |
優勝 | 19-8 | 2013年8月 | バンクーバー・オープン、カナダ | チャレンジャー | ハード | アンディ・ラム | ジェームズ・セレターニ | 6-1, 6-4 |
優勝 | 20-8 | 2013年8月 | アプトス・チャレンジャー、アメリカ合衆国 | チャレンジャー | ハード | アンディ・ラム | クリス・グッチョーネ | 6-3, 6-7(6-8), [10-2] |
準優勝 | 20-9 | 2014年10月 | レンヌ・オープン、フランス | チャレンジャー | ハード (室内) | フランティシェク・チェルマク | トビアス・カムケ | 6-3, 2-6, [3-10] |
準優勝 | 20-10 | 2016年4月 | イスラエル・オープン、イスラエル (4) | チャレンジャー | ハード | フィリプ・オズワルド | コンスタンティン・クラフチュク | 6-4, 6-7(1-7), [4-10] |
優勝 | 21-10 | 2017年8月 | アプトス・チャレンジャー、アメリカ合衆国 (2) | チャレンジャー | ハード | ニール・スクプスキ | アレックス・ボルト | 6-3, 2-6, [10-8] |
準優勝 | 21-11 | 2017年10月 | 高雄チャレンジャー、チャイニーズタイペイ | チャレンジャー | ハード | アレクサンダー・ペヤ | サンチャイ・ラティワタナ | 4-6, 6-1, [6-10] |
優勝 | 22-11 | 2018年1月 | キャンベラ・チャレンジャー、オーストラリア | チャレンジャー | ハード | ディビジ・シャラン | ハンス・ポドリプニク=カスティーヨ | 7-6(7-1), 6-2 |
準優勝 | 22-12 | 2019年3月 | リール・チャレンジャー、フランス | チャレンジャー | ハード | ファブリス・マルティン | ロマン・アルネオド | 5-7, 7-5, [8-10] |
優勝 | 23-12 | 2019年3月 | サン=ブリユー・チャレンジャー、フランス | チャレンジャー | ハード (室内) | ファブリス・マルティン | ジョナタン・エイセリック | 7-6(7-2), 7-6(7-2) |
優勝 | 24-12 | 2019年4月 | サンタイジ・チャレンジャー、チャイニーズタイペイ | チャレンジャー | ハード (室内) | スリラム・バラジ | サンダー・アレンツ | 6-3, 6-2 |
4.4. グランドスラムおよびマスターズ成績年表
トーナメント | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 | 2019 | 2020 | 2021 | 2022 | SR | W-L |
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グランドスラム大会 | |||||||||||||||||||||||||
全豪オープン | A | 1R | 1R | A | 2R | 3R | 2R | 3R | W | A | QF | 2R | 1R | 3R | 1R | 3R | 1R | 1R | 1R | A | A | A | 1R | 1 / 17 | 20-16 |
全仏オープン | A | A | 1R | A | 3R | A | 2R | 3R | 3R | 1R | 2R | 1R | 2R | 2R | 3R | A | 2R | 2R | A | A | A | 2R | 1R | 0 / 15 | 15-15 |
ウィンブルドン選手権 | A | 2R | 1R | SF | 1R | 3R | 3R | 2R | QF | 1R | 1R | 1R | 2R | 1R | 1R | SF | 1R | 1R | 3R | 1R | NH | 1R | 0 / 20 | 20-20 | |
全米オープン | 1R | A | A | 1R | 1R | QF | 3R | 3R | 2R | 1R | 2R | 2R | 2R | 2R | 1R | 1R | 2R | A | 1R | A | A | 2R | 0 / 16 | 14-16 | |
通算勝敗 | 0-1 | 1-2 | 0-3 | 4-2 | 3-4 | 7-3 | 6-4 | 7-4 | 12-3 | 0-3 | 5-4 | 2-4 | 3-4 | 4-4 | 2-3 | 6-3 | 2-4 | 1-3 | 2-3 | 0-1 | 0-0 | 2-3 | 0-1 | 1 / 67 | 69-66 |
ATPファイナルズ | |||||||||||||||||||||||||
ATPファイナルズ | 予選落ち | RR | RR | 予選落ち | 0 / 2 | 2-4 | |||||||||||||||||||
ATPマスターズシリーズ | |||||||||||||||||||||||||
インディアンウェルズ・マスターズ | 不参加 | 2R | 2R | 1R | F | W | A | A | 2R | A | 1R | 2R | 不参加 | 1 / 8 | 13-7 | ||||||||||
マイアミ・マスターズ | 不参加 | 2R | QF | SF | 1R | 1R | A | A | QF | 不参加 | 0 / 6 | 8-6 | |||||||||||||
モンテカルロ・マスターズ | 不参加 | 2R | A | 2R | 2R | QF | 不参加 | 0 / 4 | 1-4 | ||||||||||||||||
イタリアン・オープン | 不参加 | 1R | 1R | F | 2R | 2R | 不参加 | 1R | A | 0 / 6 | 3-6 | ||||||||||||||
マドリード・オープン | 不参加 | 1R | 1R | QF | 1R | 不参加 | 1R | 不参加 | 0 / 5 | 1-5 | |||||||||||||||
カナダ・オープン | 不参加 | QF | F | 2R | SF | 2R | 不参加 | 0 / 5 | 7-5 | ||||||||||||||||
シンシナティ・マスターズ | 不参加 | QF | 1R | SF | W | F | 1R | 不参加 | 1 / 6 | 11-5 | |||||||||||||||
上海マスターズ | マスターズシリーズではない | A | 2R | 不参加 | 0 / 1 | 1-1 | |||||||||||||||||||
パリ・マスターズ | 不参加 | QF | 1R | 1R | A | 1R | 2R | 不参加 | 0 / 5 | 2-5 | |||||||||||||||
ハンブルク・マスターズ | 不参加 | 1R | 1R | QF | SF | 2R | マスターズシリーズではない | 0 / 5 | 3-5 | ||||||||||||||||
通算勝敗 | 0-0 | 0-0 | 0-0 | 0-0 | 6-8 | 8-8 | 10-9 | 11-8 | 9-6 | 0-2 | 2-2 | 3-2 | 0-0 | 0-1 | 1-2 | 0-0 | 0-0 | 0-0 | 0-0 | 0-0 | 0-1 | 0-0 | 0-0 | 2 / 51 | 50-49 |
年末ランキング | 110 | 107 | 119 | 33 | 28 | 15 | 13 | 18 | 11 | 191 | 45 | 50 | 49 | 62 | 87 | 49 | 51 | 78 | 101 | 73 | 70 | 63 |
5. 遺産と評価
ジョナサン・エルリックは、イスラエルテニス界において重要な遺産を残した。
5.1. イスラエルテニスへの貢献
エルリックは、アンディ・ラムと共に「アンディ・ヨニ」としてイスラエルテニスを象徴する存在となり、多くの国民にテニスの魅力を伝えた。2008年の全豪オープンでのグランドスラム優勝は、イスラエルテニス界にとって初の快挙であり、その功績は国のスポーツ史に深く刻まれている。また、デビスカップでの度重なる活躍は、イスラエルの国際的なテニスにおける地位向上に大きく貢献した。
引退後、彼がイスラエルテニス教育センター(ITEC)の高性能プログラムディレクターとして、恵まれない地域や遠隔地の若手選手の育成に尽力していることは、テニスを通じた社会貢献という彼の姿勢を明確に示している。これは、単なるスポーツの才能開発に留まらず、社会的な機会の平等や青少年の健全な成長を支援するという、より広範な意味での貢献として評価されている。彼の活動は、ユダヤ人コミュニティにおけるスポーツの推進にも寄与しており、次世代のイスラエルテニス選手にとってのロールモデルであり続けている。