1. 概要
アメリカの円盤投選手、リチャード・オールドリッチ・"リンク"・バブカ(Richard Aldrich "Rink" Babkaリチャード・オールドリッチ・リンク・バブカ英語、1936年9月23日 - 2022年1月15日)は、元世界記録保持者であり、1960年ローマオリンピックで銀メダルを獲得した著名な陸上競技選手である。身長は1.96 m、体重は121.1 kgと恵まれた体格を持っていた。バブカは高校時代からアメリカンフットボール、バスケットボール、野球、そして陸上競技で卓越した才能を発揮し、特に膝の負傷をきっかけに円盤投に専念することで世界のトップアスリートへと成長した。現役引退後は多岐にわたるビジネス活動に従事するとともに、芸術家としての側面も持ち、「Art of the Olympiansアート・オブ・ジ・オリンピアンズ英語」(オリンピック選手による芸術団体)で作品を展示するなど、スポーツ以外の分野でもその才能を発揮した。
2. 幼少期と背景
リンク・バブカの幼少期は、家族の歴史と移住によって形成され、彼の多様なスポーツの才能が開花した時期でもある。特に膝の負傷が、彼が円盤投に専念する決定的なきっかけとなった。
2.1. 出生と家族
リチャード・オールドリッチ・バブカは1936年9月23日にワイオミング州シャイアンで生まれた。彼の両親は現在のチェコスロバキアの一部であったボヘミア地方の出身である。バブカが12歳の時、家族とともにワイオミング州からカリフォルニア州サンフランシスコ郊外のパロアルトへと移住した。
2.2. 教育と初期のスポーツ活動
バブカはパロアルト・ハイスクールに進学し、アメリカンフットボール、バスケットボール、野球、そして陸上競技といった複数のスポーツで学校のスター選手として活躍した。1954年に高校を卒業した後、自宅に近いメンロカレッジに進んだ。メンロカレッジでの活躍が注目され、複数のスポーツで南カリフォルニア大学(USC)から勧誘を受け、進学を決めた。しかし、USC在学中に膝を負傷したため、アメリカンフットボールとバスケットボールを断念せざるを得なくなった。この怪我をきっかけに、バブカは陸上競技の円盤投に集中するようになり、世界のトップ選手へと成長していく道を進んだ。
3. 選手としてのキャリア
バブカの選手としてのキャリアは、円盤投における彼の類まれな才能と、オリンピックという大舞台での活躍、そして引退に至るまでの軌跡によって特徴づけられる。
3.1. 円盤投選手としての台頭
USCでの膝の負傷を乗り越え、円盤投に専念したバブカは、その才能を急速に開花させた。彼は短期間のうちに世界のトップランキングに名を連ねるようになり、その競技力は目覚ましい成長を遂げた。
3.2. 1960年ローマオリンピックと世界記録
1960年ローマオリンピックの直前、1960年8月12日、バブカはポーランドのエドムンド・ピオントコフスキが保持していた世界記録である59.91 mに並ぶ世界タイ記録を樹立し、その名を世界に知らしめた。ローマオリンピック本番の円盤投決勝では、バブカは最初の試技で58.02 mを投げ、一時的に首位に立った。しかし、5投目で同じアメリカのチームメイトであるアル・オーターが59.18 mを記録し、バブカを逆転した。結果として、バブカは銀メダルを獲得し、惜しくも金メダルには届かなかったものの、その実力を世界の舞台で証明した。
3.3. 後期のキャリアと引退
ローマオリンピック後も、バブカは世界のトップ円盤投選手としての地位を維持し続けた。1967年パンアメリカン競技大会では再び銀メダルを獲得(記録は56.88 m)するなど、国際舞台での実績を重ねた。しかし、その後、再びオリンピックに出場することは叶わず、1969年に現役を引退することを決断した。この引退は、彼がビジネスの世界へと転身し、新たな挑戦に専念するためであった。対照的に、チームメイトであったアル・オーターは、1968年メキシコシティーオリンピックまで、オリンピック円盤投で4大会連続の金メダルを獲得するという偉業を成し遂げている。
4. 引退後の活動
選手としての輝かしいキャリアを終えた後、リンク・バブカはビジネスと芸術という全く異なる分野でその才能と情熱を注いだ。
4.1. ビジネス活動
1969年に現役を引退したバブカは、その後、多岐にわたる事業活動に専念した。彼のビジネスへの移行は、スポーツ界での成功に続く新たな挑戦であり、引退後の人生において経済的な自立と自己実現を追求する道を選んだことを示している。カリフォルニア州に居住し、様々な事業活動に取り組んだ。
4.2. 芸術活動
バブカはビジネスパーソンとしての一面だけでなく、芸術家としての才能も持ち合わせていた。彼の作品は、かつてのオリンピックチームメイトであり、彼と同様に円盤投選手であったアル・オーターによって設立された芸術団体「Art of the Olympiansアート・オブ・ジ・オリンピアンズ英語」(オリンピック選手たちの芸術)で展示された。この団体は、オリンピック選手の芸術的な才能を支援・紹介することを目的としており、バブカの芸術への深い関心と貢献を物語っている。
5. 主な実績
リンク・バブカが選手として達成した主要な業績を以下にまとめる。彼は元世界記録保持者であり、二度の国際大会で銀メダルを獲得した。
バブカは1960年8月12日に円盤投で59.91 mの世界タイ記録を樹立し、1961年8月11日までその記録を保持した。彼の自己ベストは63.93 mである。
6. 死去
リンク・バブカは、2022年1月15日に85歳で死去した。彼の死去は、陸上競技界に大きな影響を与え、多くの人々がその功績を偲んだ。彼は生涯を通じてスポーツに情熱を注ぎ、引退後も多才な活動で人々に影響を与え続けた。
7. 外部リンク
- [https://www.rinkbabka.com/ www.rinkbabka.com]