1. 概要
塩田仁史は、茨城県日立市出身の日本の元プロサッカー選手であり、ゴールキーパーとして活躍しました。彼は小学2年生でサッカーを始め、中学校でゴールキーパーに転向。流通経済大学時代には全日本大学選抜としてユニバーシアード大会で金メダル獲得に貢献しました。2004年にFC東京でプロキャリアをスタートさせ、長年にわたりチームの守護神として活躍。特に2004年のJリーグカップ決勝進出や、2006年のリーグ戦デビューでの完封勝利など、重要な局面でチームを支えました。その後、大宮アルディージャ、栃木SCを経て、2021年には浦和レッドダイヤモンズに加入し、同年現役を引退しました。引退後は浦和レッズのGKコーチとして、若手選手の育成に尽力しています。
2. 人物・生い立ち
塩田仁史は、茨城県日立市で生まれ育ち、幼少期からサッカーに親しんできました。
2.1. 幼少期・学生時代
塩田仁史は1981年5月28日に茨城県日立市で生まれました。身長は185 cm、体重は78 kgでした。小学2年生(8歳)の時にサッカーを始め、中学校でゴールキーパーに転向しました。学生時代には、日高田尻サッカースポーツ少年団、日立市立滑川中学校、水戸短期大学附属高等学校でプレーし、2度の国体に出場しています。
2000年に流通経済大学に進学し、サッカー部に入部しました。当時の監督である中野雄二からは「今まで指導した中でNo.1のGK」と評価され、1年次から関東大学選抜に選出されました。大学4年次の2003年には、全日本大学選抜としてユニバーシアード大会に出場。橋田聡司や杉山哲といった選手を抑え、正ゴールキーパーとしてチームの連覇に貢献し、金メダルを獲得しました。同年には横浜F・マリノスの特別指定選手としても登録されています。
3. プロキャリア
塩田仁史は、複数のクラブでプロサッカー選手としてのキャリアを築き、各チームで重要な役割を果たしました。
3.1. FC東京
大学卒業後の2004年、複数のクラブから注目を集める中、FC東京に加入しました。同年は正GKの土肥洋一が日本代表遠征で不在の際に、ナビスコカップ(現Jリーグカップ)で準決勝までの8試合に起用され、チームの決勝進出に大きく貢献しました。しかし、決勝戦では土肥が先発し、MVPも獲得しました。
2005年8月22日には右肩関節外傷性脱臼により全治約半年の重傷を負い、手術を受けました。この時期、チームメイトの宮沢正史から、出場機会を求める気持ちとチームのために尽くす気持ちを両立させながら努力を続けることの大切さを説かれ、それが自身の指針となりました。
2006年11月26日、J1第33節の浦和戦(味の素スタジアム)でリーグ戦デビューを果たしました。この試合は浦和の優勝がかかっていたことや、功労者である三浦文丈の引退セレモニーが行われること、そして土肥のリーグ戦連続出場記録を阻んでの出場であったことから、非常に緊張感の高い一戦となりましたが、勇敢なセービングで完封勝利を収め、浦和の優勝決定を阻止しました。
2007年には土肥から正GKの座を奪取し、チームにとって大きな収穫となりました。土肥が退団した2008年からは、正GKとして背番号を「1」に変更し、リーグ戦全試合にフル出場しました。
2009年1月下旬のグアムキャンプ中に体調不良を訴え、帰国。当初は熱中症と診断されましたが、後に壊死性虫垂炎と判明し、手術を受けました。術後には合併症の麻痺性腸閉塞を併発し、1ヶ月半の入院治療を余儀なくされました。これにより、開幕スタメンの座を20歳の権田修一に譲ることになりました。3月19日に退院し、リハビリを経て4月からチーム練習に合流。7月29日のナビスコカップ準決勝第2戦名古屋戦で先発出場を果たしましたが、権田からレギュラーを奪い返すまでには至りませんでした。
2010年も引き続き権田の控えを務めましたが、チームはJ2に降格。同年限りで契約が切れることもあり、複数のJ1クラブからオファーを受けましたが、チームに残留することを決断しました。2011年は序盤こそ権田の控えでしたが、権田がロンドンオリンピック予選に招集されたことを機に、3年ぶりに先発に定着しました。「負けたら(権田と)代えられる」という状況下で、この年のリーグで最小の防御率を記録し、シーズンを通して激しい正GK争いを繰り広げました。また、2005年から2011年までFC東京の選手会長および日本プロサッカー選手会の支部代表を務めました。
2012年からは再び第2GKに戻りましたが、戦術眼とコーチングへの評価は高く、カップ戦では権田や他の選手を差し置いてスタメン起用されることが多かったとされます。2013年には日本人最年長選手としてチームを支えました。2014年限りで11年間在籍したFC東京を退団しました。
3.2. 大宮アルディージャ
2014年11月30日、J2の大宮アルディージャへ完全移籍しました。加入当初から加藤順大と激しいポジション争いを続けましたが、正GKには加藤が定着しました。シーズン終盤にはチームの連敗を止めるべく一時起用され、好セーブで停滞を断ち切る活躍を見せました。出場試合数では不本意な結果となりましたが、その存在感は絶大で、様々な形でチーム強化やJ1昇格に貢献しました。ベテランとしてのプレーを続ける中で精神・肉体共に最適なバランスを見出し、2016年の開幕節では加藤に代わって先発に抜擢。古巣FC東京との対戦に複雑な思いを抱えつつも、この試合を完封勝利で飾りました。
その後は再び加藤にポジションを譲りましたが、加藤の怪我もありレギュラーに定着しました。しかし、続く2017年は加藤が怪我から復帰したこともあり第2GKに降格。シーズン中盤には松井謙弥に追いやられベンチ外となる試合もあり、チームもJ2に降格しました。2018年は加藤が第3GKに降格し、松井と入れ替わりで加入した笠原昂史が正GKに抜擢されましたが、塩田は常に第2GKとしてベンチ入りし10試合に出場しました。2019年は笠原や加藤有輝の台頭もあり、5試合の出場に留まりました。
3.3. 栃木SC
2020年、栃木SCへ完全移籍しました。加入後は開幕スタメンこそ川田修平に譲るも、すぐにレギュラーに定着しました。その後は怪我やオビ・パウエル・オビンナの加入もあって出場機会が遠ざかる時期もありましたが、怪我から復帰後は再びレギュラーに定着しました。
3.4. 浦和レッズ
2020年12月28日、栃木SCのチームメイトである明本考浩と共に浦和レッズに完全移籍で加入しました。加入後は西川周作と鈴木彩艶の控え(第3GK)を務め、主にカップ戦での控えがメインとなりました。
2021年12月22日、現役引退を発表しました。
4. 代表歴
塩田仁史は、学生時代に日本代表として国際大会や選抜チームで活動しました。
4.1. ユニバーシアード日本代表
2003年、大学4年次に全日本大学選抜としてユニバーシアード大会に選出されました。この大会では、共に選出された橋田聡司や杉山哲を抑えて正ゴールキーパーを務め、チームの連覇達成に大きく貢献し、金メダルを獲得しました。
5. 指導歴
現役引退後、塩田仁史は指導者としての道を歩み始めました。
5.1. 引退後の活動
2021年に現役を引退した後、2022年からは浦和レッズのGKコーチを務めています。
- 2022年 - 2023年:トップチーム アシスタントGKコーチ
- 2024年:ユース GKコーチ
- 2025年 - :トップチーム GKコーチ
6. エピソード
塩田仁史のプロキャリア中には、彼の人間性やチームとの関わりを示すいくつかの印象的な出来事がありました。
6.1. 主なエピソード
- 2004年のナビスコカップ初優勝直後の優勝祝賀会で、「おいしいところだけをもっていった土肥さんに何かおごってもらいます」と発言し、会場の笑いを誘いました。
- 2004年8月のスペイン遠征でデポルティーボ・ラ・コルーニャとのプレシーズンマッチにフル出場した際、デポルティーボサポーターからクレヨンしんちゃんのパパをもじって「ひろしー、みさえー」とからかわれました(背中の選手名が「HITOSHI」と表記されていたため)。
7. タイトル
塩田仁史が選手として所属クラブや代表チームで獲得した主要なタイトルや表彰を以下に示します。
7.1. クラブでのタイトル
- 流通経済大学
- 関東大学サッカーリーグ戦2部: 2003年
- FC東京
- Jリーグカップ: 2004年、2009年
- スルガ銀行チャンピオンシップ: 2010年
- J2リーグ: 2011年
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会: 2011年
- 大宮アルディージャ
- J2リーグ: 2015年
- 浦和レッドダイヤモンズ
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会: 2021年
7.2. 代表でのタイトル
- ユニバーシアード日本代表
- ユニバーシアードサッカー競技: 2003年
7.3. 個人でのタイトル
- デンソーチャレンジカップ 優秀選手: 2002年
- 関東大学サッカーリーグ戦2部 ベストイレブン: 2003年
8. 個人成績
塩田仁史のプロキャリア全体および各クラブでの出場試合数、得点数などの詳細な記録を以下にまとめます。

8.1. 選手キャリア記録
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 大陸選手権 | その他 | 合計 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | AFC | その他 | 合計 | |||||||||
2001 | 流経大 | - | - | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | |||||
2004 | FC東京 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | - | - | - | - | 8 | 0 | |
2005 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | - | - | - | - | 6 | 0 | |||
2006 | 2 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | - | - | - | - | 8 | 0 | |||
2007 | 20 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | - | - | - | - | 27 | 0 | |||
2008 | 34 | 0 | 4 | 0 | 7 | 0 | - | - | - | - | 45 | 0 | |||
2009 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | - | 3 | 0 | |||
2010 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | - | 5 | 0 | |||
2011 | J2 | 18 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | - | - | - | 19 | 0 | ||
2012 | J1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 12 | 0 | ||
2013 | 1 | 0 | 4 | 0 | 5 | 0 | - | - | - | - | 10 | 0 | |||
2014 | 2 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | - | - | - | - | 8 | 0 | |||
2015 | 大宮 | J2 | 5 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | - | - | - | 6 | 0 | |
2016 | J1 | 15 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | - | - | - | - | 23 | 0 | ||
2017 | 9 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | - | 12 | 0 | |||
2018 | J2 | 10 | 0 | - | - | 2 | 0 | - | - | 1 | 0 | 13 | 0 | ||
2019 | 5 | 0 | - | - | 1 | 0 | - | - | - | - | 6 | 0 | |||
2020 | 栃木 | J2 | 12 | 0 | - | - | - | - | - | - | - | - | 12 | 0 | |
2021 | 浦和 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
総通算 | 141 | 0 | 23 | 0 | 55 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 223 | 0 |
その他の公式戦
- 2012年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2018年
- J1参入プレーオフ 1試合0得点
9. 関連項目
- 茨城県出身の人物一覧
- 流通経済大学の人物一覧
- 特別指定選手としてJリーグクラブに登録された選手一覧
- FC東京の選手一覧
- 大宮アルディージャの選手一覧
- 栃木SCの選手一覧
- 浦和レッドダイヤモンズの選手一覧