1. 生涯と教育
関口久雄は1954年10月29日、埼玉県浦和市(現:さいたま市)で生まれた。学生時代は浦和市立南高等学校(現:さいたま市立浦和南高等学校)でサッカーに打ち込み、同校を卒業した。
2. クラブ経歴
関口久雄は、高校卒業後、地元の強豪クラブである三菱重工業サッカー部に加入し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。現役期間を通じて、彼は一貫してこのクラブに所属し、多くのタイトル獲得に貢献した。
2.1. 三菱重工
関口久雄は1973年に三菱重工業サッカー部に入団し、1988年に引退するまで、その全キャリアを三菱重工で過ごした。彼はクラブが日本のトップリーグで数々の栄光を掴む上で重要な役割を担った。
入団初年度の1973年には、クラブは日本サッカーリーグと天皇杯の二冠を達成した。続く1978年には、日本サッカーリーグ、JSLカップ、そして天皇杯の三大主要タイトルすべてを獲得し、クラブ史上初の国内三冠を達成した。その後も、1980年に天皇杯、1981年にJSLカップ、1982年に日本サッカーリーグで優勝を果たした。
リーグ戦では、通算153試合に出場し、36得点を記録した。
2.2. 所属クラブ
- 1970年 - 1972年 浦和市立南高等学校
- 1973年 - 1988年 三菱重工業サッカー部
3. 日本代表経歴
関口久雄は日本代表としても活躍し、国際舞台でその実力を示した。
3.1. 国際Aマッチ出場記録と得点
関口久雄は1978年5月23日のタイ戦で日本代表デビューを果たした。彼はこの年に国際Aマッチ3試合に出場し、1得点を記録している。
彼が出場した国際Aマッチは以下の通りである。
4. 引退後の活動
プロサッカー選手引退後、関口久雄は古巣の三菱重工サッカー部の改組により誕生した浦和レッズの育成部および強化部に所属し、サッカー界に貢献し続けた。スカウトとしては、後にクラブの主力選手となる山田暢久や永井雄一郎などの才能を発掘・獲得する上で尽力した。
また、テレビ番組にも出演し、日本テレビ系列の『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』では、木梨憲武、田口光久、川添孝一らとともに「FC・のりの」の一員として活躍した。
5. プレースタイルと特徴
関口久雄は、主にフォワードとしてプレーし、攻撃の要を担った。彼の利き足は左足であり、その技術と得点能力でチームに貢献した。身長は176 cm、体重は67 kgであった。
6. 年度別成績
関口久雄の現役時代のクラブおよび日本代表における成績を以下に示す。
6.1. クラブ成績
関口久雄のクラブにおける年度別成績は以下の通りである。
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | 所属クラブ | リーグ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
1973 | 三菱 | JSL1部 | 0 | 0 | ||||||||
1974 | 1 | 0 | - | |||||||||
1975 | 2 | 0 | - | |||||||||
1976 | 15 | 8 | ||||||||||
1977 | 16 | 5 | ||||||||||
1978 | 18 | 4 | ||||||||||
1979 | 16 | 3 | 4 | 3 | 4 | 2 | 24 | 8 | ||||
1980 | 13 | 5 | 1 | 0 | 4 | 1 | 18 | 6 | ||||
1981 | 11 | 4 | 5 | 2 | 1 | 0 | 17 | 6 | ||||
1982 | 12 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 15 | 2 | ||||
1983 | 9 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 11 | 1 | ||||
1984 | 13 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | 16 | 3 | ||||
1985 | 6 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | ||||
1986-87 | 13 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 15 | 1 | ||||
1987-88 | 8 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 11 | 0 | ||||
総通算 | 153 | 36 |
6.2. 日本代表成績
関口久雄の日本代表における年度別成績は以下の通りである。
日本代表 | ||
---|---|---|
年度 | 出場 | 得点 |
1978 | 3 | 1 |
総計 | 3 | 1 |
6.3. 国際Aマッチ詳細
関口久雄が日本代表として出場した国際Aマッチの詳細は以下の通りである。
7. 評価と影響
関口久雄は、選手として三菱重工業サッカー部の黄金期を支え、数々のタイトル獲得に貢献した。その献身的なプレーと得点力は、クラブの歴史に深く刻まれている。
引退後も、彼は浦和レッズの育成・強化部門でスカウトとして活動し、山田暢久や永井雄一郎といった将来の日本サッカーを担う選手たちの発掘に尽力した。これにより、彼はクラブの長期的な成功と、日本サッカー全体の発展に多大な影響を与えた。また、テレビ番組への出演を通じて、サッカーの魅力を一般に広めることにも貢献し、選手引退後もその影響力は広範に及んだ。彼の功績は、ピッチ内外で日本のサッカー界に永続的な足跡を残していると言える。