1. 幼少期と背景
アスナウィ・マンクアラム・バハールは、1999年10月4日にインドネシアの南スラウェシ州マカッサルで誕生した。彼の家族はサッカーと深いつながりを持っている。父親のバハール・ムハラムは元プロサッカー選手であり、PSMマカッサルで2017年から2021年まで選手としてプレーした後、現在は同クラブのアシスタントコーチを務めている。また、いとこのスルタン・ザキもサッカー選手であり、PSMマカッサルに所属している。アスナウィは、このようなサッカーに根ざした家庭環境の中で育ち、幼少期からサッカーの才能を育んでいった。
2. ユースキャリア
アスナウィは、地元のPSMマカッサルアカデミーで数年間を過ごし、初期のサッカー教育を受けた。その後、SSBハサヌディンFCなどのユースクラブ大会にも参加し、その才能を開花させた。2010年には全国大会アクア-ダノンネイションズカップで3位に入賞し、2011年には同大会で優勝を飾っている。さらに、2011年にはスペインで開催された世界大会アクア-ダノンネイションズカップにも出場し、33位という成績を収めた。これらの経験は、彼の選手としての基盤を築き、将来のプロキャリアに向けた重要なステップとなった。
また、2015年から2016年にはPONスルセル(南スラウェシ州の州立ユースチーム)にも所属していた。
3. クラブキャリア
アスナウィのプロサッカーキャリアは、インドネシアのクラブから始まり、韓国のKリーグを経てタイリーグへと進出した。それぞれのクラブで彼は多岐にわたるポジションをこなし、重要な貢献を果たしてきた。
3.1. ペルシバ・バリクパパン
PSMマカッサルのユースチームで長年を過ごした後、アスナウィは2016年にペルシバ・バリクパパンに加入し、プロとしてのキャリアをスタートさせた。同年、インドネシア・サッカーチャンピオンシップA(ISC A)でプロデビューを果たす。ISC Aは、インドネシアサッカー協会(PSSI)の分裂とFIFAによるインドネシアへの資格停止処分(2015年)によって廃止されたインドネシア・スーパーリーグの代替として一時的に開催された大会であった。
アスナウィはすぐにこの大会で最年少得点記録を樹立した。2016年10月9日にカプテン・イ・ワヤン・ディプタ・スタジアムで行われたアウェーのバリ・ユナイテッドFC戦で、試合開始わずか2分で先制ゴールを決めたのである。この時、彼は17歳5日であり、ISC Aにおける最年少得点記録として名を残した。このシーズン、彼はリーグ戦で8試合に出場し、2ゴールを記録した。
3.2. PSMマカッサル
リーガ1がインドネシアにおける安定したサッカーリーグとして確立された2017年、アスナウィは古巣であるPSMマカッサルに復帰した。彼はプレシーズン大会であるインドネシア・プレジデンツカップ2017のペルセラ・ラモンガン戦でPSMでのデビューを飾った。同年4月16日には、再びペルセラ・ラモンガン戦でリーガ1デビューを果たし、フル出場して3-1の勝利に貢献した。最初のシーズンはリーグ戦9試合の出場に留まった。
しかし、その若さにもかかわらず、アスナウィは多才さと高い技術スキルによって、クラブの最も有望な選手の一人として急速に地位を確立した。2018年シーズンにはリーグ戦14試合に出場し、前シーズンを上回る活躍を見せた。
2019年には、PSMマカッサルで国際大会デビューも飾っている。2019 AFCカップのグループステージで、4月17日にフィリピン・フットボールリーグのカヤ-イロイロFC戦で途中出場し、1-2の勝利に貢献した。同年5月3日には、2018-19 ピアラ・インドネシア準々決勝の第2戦、バヤンカラFC戦でムハンマド・ラフマトのアシストを記録し、2-0の引き分けに貢献した。この結果、合計スコア4-4で、PSMはアウェーゴールでバヤンカラに勝利し、ピアラ・インドネシアの準決勝に史上初めて進出した。
2019年8月には、ピアラ・インドネシア2018-19の決勝第2戦でペルシジャ・ジャカルタを相手にフル出場し、クラブでの初タイトルを獲得した。さらに、この大会の最優秀若手選手賞も受賞している。同じ月には、2019 リーガ1で自身のリーグ初ゴールを記録。PSバリト・プテラ戦で先制点を挙げ、2-1のホーム勝利に貢献した。2019年シーズン全体では、リーグ戦18試合に出場し、1ゴールを挙げた。
2020年2月26日、2020 AFCカップのグループステージでミャンマー・ナショナルリーグのシャン・ユナイテッドFCを相手に、ジャンカルロのアシストを記録し、3-1のホーム勝利に貢献した。同年同月には、2020 リーガ1で自身のシーズン初ゴールを記録。タピランのスタディオン・ベントン・タルーナで行われたペルシタ・タンゲラン戦で先制点を挙げ、1-1の引き分けに終わった。
しかし、インドネシアにおけるCOVID-19パンデミックの影響でリーグが中断され、最終的にリーグは打ち切られたため、アスナウィはリーグ戦3試合出場1ゴールでシーズンを終えた。PSMマカッサルは、アスナウィの契約が1シーズン残っていたにもかかわらず、彼の海外挑戦の意向を受け入れ、移籍を許可した。これは、リーガ1の再開時期が不透明であったことも理由の一つであった。
3.3. 安山グリナースFC

2021年1月、アスナウィはKリーグ2の安山グリナースFCに完全移籍で加入した。この移籍により、安山グリナースはKリーグ史上初めてASEAN枠の選手を登録したチームとなり、アスナウィ自身も韓国リーグでプレーする初のインドネシア人サッカー選手となった。Kリーグでの登録名は「アスナウィ」(아스나위韓国語)である。
安山グリナースへの移籍にあたり、アスナウィはインドネシア代表監督である申台龍が海外での機会を追求するよう説得したことを明かしている。この移籍は、安山市のインドネシア人コミュニティだけでなく、地元のファンからも大きな注目を集め、クラブの公式ソーシャルメディアアカウントのフォロワー数が大幅に増加した。韓国放送公社(KBS)の報道直後から安山グリナースのInstagramアカウントのフォロワー数が急激に増加し、1月23日時点でKリーグ2のクラブで最多となった。
COVID-19の自己隔離規定によりシーズン最初の数試合は出場できなかったが、アスナウィは2021年3月28日の韓国FAカップでK4リーグの楊平FCとの試合で安山でのデビューを果たした。この試合で彼はフル出場し、チームは1-0で勝利を収めた。
同年4月3日には、釜山アイパーク戦でリーグデビューを飾り、61分間プレーして1-1の引き分けに貢献した。続く5試合でも連続出場を果たし、4月24日の大田ハナシチズン戦では、チームの1-0の勝利に貢献するリーグ初アシストを記録した。2021年5月、アスナウィは4月のKリーグ2月間最優秀選手に選ばれている。最初のシーズンはリーグ戦14試合に出場し、合計1,004分間プレーした。
2022年7月23日、アスナウィは金浦FC戦で待望の韓国リーグ初ゴールを記録し、チームは3-1でホーム勝利を収めた。その8日後には、全南ドラゴンズ戦で再びゴールを決め、3-0のリーグ勝利に貢献した。この試合の相手が、後に彼が移籍することになるチームである。2年目のシーズンではさらに成績を向上させ、2つの大会で27試合に出場し、1,646分間プレーしたほか、2ゴール3アシストを記録した。
3.4. 全南ドラゴンズ
2023年1月27日、アスナウィはKリーグ2の別のクラブである全南ドラゴンズに完全移籍で加入した。同年3月1日、彼はFC安養との試合で全南ドラゴンズでのデビューを果たし、右ミッドフィールダーとしてフル出場したが、チームは劇的な敗戦を喫した。その4日後には、慶南FC戦で0-5と大敗し、クラブで初のレッドカードを受け退場処分となった。
しかし、アスナウィはすぐに主力として復帰し、4月8日には城南FC戦で82分間プレー。この試合ではイ・ジャングァン監督の下、初めて左サイドバックとしてプレーし、2アシストを記録して2-2の引き分けに貢献した。全南ドラゴンズ移籍後、2023年シーズンは公式戦27試合に出場し、チームの順位を前シーズンの11位から4位に引き上げることに大きく貢献した。シーズン終了後、彼は全南との契約を解除し、3年間の韓国でのキャリアに終止符を打った。
3.5. ポートFC
2024年1月26日、タイ・リーグ1のポートFCはアスナウィの獲得を発表した。彼はAFCアジアカップ2023終了後すぐにチームに合流する予定とされた。同年2月14日、アスナウィはムアントン・ユナイテッドFC戦で途中出場し、ポートFCでのデビューを飾った。チームは4-3で勝利した。
2024年10月19日、アスナウィはナコーンラーチャシーマーFC戦でクラブでの初ゴールを記録し、このゴールが3-2の勝利の決定打となった。
4. 代表キャリア
アスナウィはインドネシアの各年代別代表で主要な役割を担い、その後A代表のキャプテンとして歴史的な功績を残した。
4.1. ユース代表
アスナウィは、インドネシアのU-16、U-19、U-23各年代別代表チームで重要な選手として活躍した。
U-16代表としては、2013年AFF U-16ユース選手権で準優勝に貢献。
U-19代表としては、2017年と2018年のAFF U-19ユース選手権で3位入賞に貢献した。
U-23代表では、2017年の東南アジア競技大会で銅メダルを、2019年の同大会では銀メダルを獲得した。また、2019年のAFF U-22ユース選手権では優勝を果たし、チームの主要タイトル獲得に大きく貢献した。2021年の東南アジア競技大会でも銅メダルを獲得し、チームの3大会連続メダル獲得に貢献した。
2019年6月9日にはシンガポールのジャラン・ブサール・スタジアムで開催された2019 マーライオンカップのフィリピンサッカー代表戦でU-23代表での初ゴールを記録し、5-0の勝利に貢献した。また、2019年11月28日にはフィリピンのリサール記念スタジアムで行われた2019年東南アジア競技大会のシンガポールサッカー代表戦でU-23代表での2ゴール目を記録し、2-0の勝利に貢献した。
4.2. A代表
アスナウィは2017年3月21日、インドネシアA代表としての国際デビューを果たした。ミャンマーとの親善試合で途中出場し、この時17歳167日という若さでインドネシアのA代表最年少出場記録を樹立したが、この記録は2022年1月27日にロナルド・クワテ(17歳104日)によって破られた。
2021年11月、インドネシア代表監督の申台龍は、トルコで行われるアフガニスタンとミャンマーとの親善試合に向けて、アスナウィをA代表に招集した。同年12月には、シンガポールで開催された2020 AFF選手権のインドネシア代表チームに選出された。
同年12月12日、2020 AFF選手権グループBのラオスサッカー代表戦で、アスナウィはペナルティキックから国際試合での初ゴールを記録し、1-5の勝利に貢献した。この試合では、イルファン・ジャヤの2点目のゴールもアシストしている。
2024年1月19日、AFCアジアカップ2023のグループステージ、サッカーベトナム代表戦でペナルティキックにより決勝点となる唯一のゴールを決め、1-0の勝利を収めた。このゴールはインドネシアのAFCアジアカップ2023決勝トーナメント進出にとって決定的なものとなり、3位通過チームの上位4チームに入るために必要な3ポイントを獲得し、史上初の快挙を成し遂げた。
さらに、2026年FIFAワールドカップ・アジア2次予選では全6試合に先発出場し、ベトナムやフィリピンといった東南アジアのライバルチームを抑え、インドネシアサッカー史上初のワールドカップ最終予選進出、そして2大会連続となる通算6回目のアジアカップ本大会出場という偉業に貢献した。
また、アルゼンチンとの親善試合では、アレハンドロ・ガルナチョに対して執拗なタックルを繰り返し、注目を集めた。
4.2.1. 主な試合と功績
アスナウィはインドネシアA代表チームにおいて、数々の重要な試合で功績を残してきた。2020 AFF選手権では、ラオス戦で国際初ゴールをペナルティキックから記録し、チームの5-1勝利に貢献した。さらに、イルファン・ジャヤのゴールをアシストし、攻撃面での貢献も示した。
AFCアジアカップ2023では、ベトナム戦での決勝ゴール(ペナルティキック)が特に重要であった。この1-0の勝利により、インドネシアはグループDを3位で通過し、史上初めてアジアカップの決勝トーナメント(ベスト16)に進出するという歴史的快挙を成し遂げた。この功績は、インドネシア国内で大きな注目を集め、国民的誇りを高めた。
FIFAワールドカップ予選においても、アスナウィは重要な役割を担った。2026年FIFAワールドカップアジア2次予選では、全6試合に先発出場し、インドネシア代表の史上初のワールドカップ最終予選進出に貢献。これは、アジアカップ本大会への2大会連続(通算6回目)の出場権獲得も同時に意味するものであった。特に、クウェートやネパールといった相手との試合での活躍は、チームの予選突破に不可欠なものであった。
4.2.2. キャプテンシーと関連事象
アスナウィはインドネシア代表チームのキャプテンとして、チームを牽引する重要な役割を担った。彼は2023年までキャプテンを務め、チームの戦術的リーダーシップと精神的支柱として貢献した。
しかし、AFCアジアカップ2023終了後、オランダ出身選手のジェイ・イツェスの帰化政策が影響し、キャプテンの座は彼に引き継がれた。これは、インドネシア代表が国際競争力を高めるために積極的に海外にルーツを持つ選手を招集する方針の一環であった。アスナウィはキャプテンの役割を終えた後も、チームの主要選手として貢献を続けている。
4.2.3. 論争
2021年12月25日のシンガポール戦では、アスナウィが相手のファリス・ラムリが試合終盤のペナルティキックを外した際、彼を嘲笑するような行動を見せたことで、両陣営から批判を浴びた。この行為に対し、インドネシア代表の申台龍監督はアスナウィを厳しく戒告し、「もし二度と同じことがあれば、代表チームから外す」と警告した。この出来事は、アスナウィがスポーツマンシップの重要性を再認識し、プロ選手としての倫理観を深めるきっかけとなった。申台龍監督の指導は、彼の将来の成長において重要な役割を果たした。
5. 私生活
アスナウィ・マンクアラム・バハールは、その私生活をあまり公にしていないが、家族との強い絆が知られている。父親は元プロサッカー選手であり、彼自身も幼い頃からサッカーに打ち込む環境で育った。いとこもプロサッカー選手であることから、家族全体がサッカーというスポーツに深く関わっていることがうかがえる。公の場での彼の趣味や結婚に関する詳細な情報は、今のところ報じられていない。
6. タイトル・表彰
アスナウィ・マンクアラムは、そのキャリアを通じて数々のタイトルと個人表彰を獲得してきた。
6.1. クラブ
- SSBハサヌディンFC
- アクア-ダノンネイションズカップ全国大会 3位: 2010年
- アクア-ダノンネイションズカップ全国大会 優勝: 2011年
- アクア-ダノンネイションズカップ世界大会 33位: 2011年(スペイン)
- PSMマカッサル
- ピアラ・インドネシア: 2018-19シーズン 優勝
- リーガ1: 2018シーズン 準優勝, 2017シーズン 3位
6.2. 代表
- インドネシアU-16代表
- AFF U-16ユース選手権: 2013年 準優勝
- インドネシアU-19代表
- AFF U-19ユース選手権: 2017年 3位, 2018年 3位
- インドネシアU-23代表
- SEA Games: 2017年 銅メダル, 2019年 銀メダル, 2021年 銅メダル
- AFF U-22ユース選手権: 2019年 優勝
- インドネシア代表
- AFF選手権: 2020年 準優勝, 2022年 4強
6.3. 個人
- ピアラ・インドネシア最優秀若手選手: 2018-19シーズン
- リーガ1年間ベストイレブン: 2019年
- インドネシア・サッカーアワード 最も好きな若手選手: 2019年
- Kリーグ2 月間最優秀選手: 2021年4月
7. キャリア統計
7.1. クラブ成績
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 大陸大会 | その他 | 通算 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ペルシバ・バリクパパン | 2016 | ISC A | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 2 |
PSMマカッサル | 2017 | リーガ1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 11 | 0 |
2018 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 16 | 0 | ||
2019 | 18 | 1 | 5 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 28 | 1 | ||
2020 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 | ||
合計 | 44 | 2 | 5 | 0 | 9 | 0 | 4 | 0 | 62 | 2 | ||
安山グリナースFC | 2021 | Kリーグ2 | 14 | 0 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 15 | 0 | |
2022 | 26 | 2 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 27 | 2 | |||
合計 | 40 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 42 | 2 | ||
全南ドラゴンズ | 2023 | Kリーグ2 | 26 | 0 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 27 | 0 | |
ポートFC | 2023-24 | タイ・リーグ1 | 12 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 12 | 0 | |
2024-25 | 21 | 1 | 1 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 29 | 1 | ||
合計 | 33 | 1 | 1 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 41 | 1 | ||
キャリア通算 | 151 | 7 | 9 | 0 | 15 | 0 | 5 | 0 | 180 | 7 |
7.2. 代表成績
代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
インドネシア | 2017 | 1 | 0 |
2021 | 15 | 1 | |
2022 | 8 | 0 | |
2023 | 12 | 0 | |
2024 | 14 | 1 | |
通算 | 50 | 2 |
7.2.1. ユース代表での得点
7.2.2. A代表での得点
:スコアと結果はインドネシアのゴール数を先に表示しており、スコアの列はアスナウィの各ゴール後のスコアを示しています。