作曲家 劇作家 フランス人 13世紀
アダン・ド・ラ・アル
13世紀フランスのトルヴェール、アダン・ド・ラ・アルは、モノフォニーとポリフォニー音楽を手がけ、現存最古の世俗音楽劇『ロバンとマリオンの劇』を作曲した重要な詩人・作曲家。
アダン・ド・ラ・アルの生涯は、彼の作品や同時代の記録から推測される部分が多いが、彼の出生から晩年までの主要な出来事、家族関係、そして彼が仕えた後援者との旅路は、彼の音楽的・文学的発展に大きな影響を与えた。
アダン・ド・ラ・アル アダンは、毛織物工業と貿易で栄えたフランス北部アルトワ地方(現在のパ=ド=カレー県)の町アラスで生まれた。彼の父親はアンリ・ド・ラ・アルという名の、アラスでよく知られた市民であり役人であった。アダンの別名として、「アラスのアダン」(Adam d'Arras アダン・ダラス フランス語 )の他、「せむしのアダン」(Adam le Bossu アダン・ル・ボシュ フランス語 )あるいは「アラスのせむし」(Bossu d'Arras ボシュ・ダラス フランス語 )という渾名が知られている。この「せむし」という渾名は、おそらく家族名に由来するものと考えられているが、アダン自身は自身の作品『シチリアの王』の献辞の中で「見ての通り、そのようなことはない」と述べ、身体的なハンディキャップがあったことを否定している。アラスでは、父子共に市民間の争いに巻き込まれ、一時的にドゥエーに避難した時期もあった。
アダンは高度な教育を受ける機会に恵まれた。彼はカンブレー近郊にあるシトー会のヴォーセル修道院で、文法、神学、そして音楽を学んだ。当初、彼は聖職者になることを志していたが、後にその意図を放棄したとされている。また、1262年頃にはパリ大学で学んだという説もあり、もしこの説が正しければ、この大学を中心に広まっていたアルス・アンティクアの複雑なポリフォニー音楽に直接触れる機会を得て、彼の音楽的発展に大きな影響を与えた可能性がある。
教育を終えた後、アダンはアラスに戻ったと考えられている。アラスでは裕福な市民階級が多く、大きな歌謡組合(ピュイ)が存在しており、アダンもそこに属して音楽の研鑽を積んだとされている。彼の多くの作品は、そのテキストに使われている言葉の訛りから、このアラスで作られたと推測されている。 1270年代からは、アラスの領主であるアルトワ伯ロベール2世にミンストレルとして仕え、その後、フランス王ルイ9世の弟であるアンジュー公シャルル(後のナポリ王シャルル1世)の家臣となった。彼はシャルルの運命に従い、エジプト 、シリア 、パレスチナ、そしてイタリア へと旅を共にした。シャルルがナポリ王となった後、アダンは彼の宮廷で最も有名な作品である『ロバンとマリオンの劇』を執筆した。
アダンの私生活についてはあまり多くが知られていないが、彼はマリーという女性と結婚した。彼女は彼の多くのシャンソン、ロンドー、モテット、そしてジュー・パルティといった作品に登場しており、アダンの創作活動において重要な存在であったことが示唆されている。
アダンの死去については複数の説があり、正確な年代と場所は確定していない。最も有力な説では、彼は1287年または1288年頃にナポリで亡くなったとされている。しかし、他の説では1285年から1288年の間、あるいは1306年以降に亡くなったとするものや、1304年頃にアラスで亡くなったとするものも存在する。
アダン・ド・ラ・アルは、その短い生涯の中で多様な音楽ジャンルと形式の作品を残しており、特に彼の劇作品は後世の音楽劇の発展に大きな影響を与えた。
アダン・ド・ラ・アルの現存する作品には、以下の多様な音楽ジャンルと形式が含まれており、彼の多才さを示している。
シャンソン: 36曲 ロンデ・ド・カロール(Rondets de carole): 46曲 ジュー・パルティ(Jeux-partis): 18曲 ロンドー(Rondeaux): 14曲 モテット(Motets): 5曲 ロンドー・ヴィルレー(Rondeau-virelai): 1曲 バレッタ(Ballette): 1曲 ディ・ダムール(Dit d'amour): 1曲 コンジェ(Congé): 1曲 彼はまた、3声部のロンドーなど多声音楽の作曲にも手腕を発揮した。彼の短い作品には音楽が付随しており、エドモン・ド・クーセマケールによる版では、原譜と共に現代記譜法による転写が提供されている。
アダン・ド・ラ・アルは2つの主要な劇作品を残しており、特に『ロバンとマリオンの劇』は音楽史において重要な位置を占めている。
『ロバンとマリオンの劇』は、現存する最古の世俗フランス音楽劇として知られている。創作時期については、1275年頃にアラスで制作されたとする説や、1284年頃にナポリで制作されたとする説などがあり、正確な時期は確定していないが、アンジュー公シャルルの宮廷で上演されたことが確認されている。 この作品は、当時のフランスで普遍的だったパストラル(田園詩)を題材としている。物語は、羊飼いの娘マリオンに一目惚れした騎士が、彼女の恋人である農夫ロバンからマリオンを奪おうとするが、マリオンは騎士になびかず、頑なに拒否するという素朴な内容である。最終的にマリオンは解放され、仲間たちがパーティーを開いて祝福する。この劇は、古いシャンソン「ロバンは私を愛し、ロバンは私を連れ去った」(Robin m'aime, Robin m'a フランス語 )に基づいており、台詞と、すでに民衆の間で流行していたリフレイン(繰り返し歌われる部分)が組み合わされている。これらのリフレインに付けられた旋律は民謡的な性格を持ち、アダンの他のシャンソンやモテットの複雑な音楽よりも自発的で旋律的である。フランソワ=ジョゼフ・フェティスは、『ロバンとマリオンの劇』をオペラ・コミックの先駆者と見なしている。 現代でも時折上演されることがあるが、第7場から第9場まではほとんど筋がなく、音楽や舞踏、コミカルな会話を主体とする冗長的な部分であるため、しばしばカットされる。
構成 出演 第1場 牧場 マリオンと騎士 第2場 牧場 マリオンとロバン 第3場 小さな村 ロバンと仲間達 第4場 牧場 恋人達と騎士、マリオンの拉致 第5場 牧場 ロバンとゴーティエ 第6場 田園 マリオンと騎士、マリオンの解放 第7場 田園 恋人達と仲間達との遊び 第8場 田園 ご馳走 第9場 フィナーレ ご馳走と踊り >
ロバン(男声) :農夫、マリオンの恋人 マリオン(女声) :羊飼い、ロバンの恋人 騎士(男声) ゴーティエ(男声):農夫、ロバンの従兄弟 ボードン(男声) :農夫、ロバンの従兄弟 ペロネール(女声):羊飼い、マリオンの友人 ユアール(男声) :農夫、ロバンの友人 器楽合奏 |}
『葉隠れの劇』は、アラスの町の祭りで上演するために書かれたと考えられている。いくつかの資料の推測によれば、初演は1276年6月3日と見られるが、1262年頃に制作されたとする説もある。この作品は風刺劇であり、アダン自身や彼の父親、友人、知人など、彼の周辺に実際にいたと思われるアラスの人々が登場し、彼らの個性を描写している。アダンの経歴の多くは、この戯曲の内容から推察されている。 『葉隠れの劇』という題名が定着しているが、実際には冒頭に「アダンの劇」(Li Jus Adan リ・ジュ・アダン フランス語 )と記述されているのみで、彼自身がこれに特別な題名を付けた形跡は残されていない。登場人物の構成や会話内容から、全体で4場面程度に大きく分けることができるが、写本には明確な場分けは見当たらない。また、残された写本のいずれにも音楽は残されておらず、元々音楽なしの劇であった可能性もある。しかし、音楽の素養が深いアダンの作品であることや、登場人物に多くのジョングルールが含まれることなどから、即興演奏された可能性が大きいとされている。
アダン・ド・ラ・アルには、上記の劇作品の他に、以下の重要な作品が帰属されるか、彼が作曲したとされている。
『シチリアの王』(Le roi de Sicile ル・ロワ・ド・シシール フランス語 ): アンジュー公シャルルを称えるための未完の武勲詩(chanson de geste シャンソン・ド・ジェスト フランス語 )で、1282年に着手された。 『巡礼の劇』(Le jeu du pelerin ル・ジュ・デュ・ペルラン フランス語 ): 時折、彼に帰属される短い作品。 『コンジェ』(Congé コンジェ フランス語 ): アラス市への風刺的な別れの歌。 『ディ・ダムール』(Dit d'amour ディ・ダムール フランス語 ): 愛を歌った詩。 アダン・ド・ラ・アルの音楽スタイルは、彼が中世音楽史における過渡期に位置していたことを明確に示している。彼は古いトルヴェールの伝統を受け継ぎつつも、新しいポリフォニー音楽の発展へと向かう重要な役割を果たした。 彼は、単旋律のシャンソンやジュー・パルティといった伝統的なトルヴェール様式を尊重し、その優れた作品を生み出した。一方で、ポリフォニックなロンドーやモテットの作曲にも積極的に取り組み、初期の典礼ポリフォニーのスタイルを世俗音楽に応用する試みを行った。この点で、彼は保守的な側面と革新的な側面を併せ持つ稀有な作曲家であった。 特に注目すべきは、彼の作品における民謡的要素の活用である。『ロバンとマリオンの劇』に見られるように、彼は民衆の間で歌われていた流行歌のリフレインを劇中に取り入れ、その旋律に民謡的な性格を与えることで、より自発的で親しみやすい音楽を創造した。これは、当時の複雑な芸術音楽とは一線を画すものであり、世俗音楽の発展に新たな道を開いたと言える。 アダンは、音楽劇の分野においても革新的な役割を果たした。彼の『ロバンとマリオンの劇』は、現存する最古の世俗フランス音楽劇であり、台詞と音楽が有機的に結びついた初期の形態を示している。この作品は、後のオペラ・コミックやボードヴィルの先駆けと見なされており、音楽と演劇の融合という点で、中世における重要な実験であった。彼の作品は、単なる詩と音楽の組み合わせに留まらず、物語性を持った劇として音楽を機能させるという点で、その後の音楽劇の進化に多大な影響を与えた。
アダン・ド・ラ・アルの作品は、中世音楽研究において重要な位置を占めており、多くの歴史的および現代の版が出版され、彼の生涯と音楽に関する学術研究が活発に行われてきた。
1278年のアラス歌謡集に描かれたアダン・ド・ラ・アル 彼の作品のほとんどを含む主要な手稿は、13世紀後半に作成されたパリのフランス国立図書館所蔵のラ・ヴァリエール手稿(No. 25,566)である。また、オックスフォード大学のボドリアン図書館所蔵のドゥース手稿308にも、彼の多くの作品が収められている。 主要な作品の版としては以下のものがある。
エドモン・ド・クーセマケール編『全集』(Oeuvres completes 、1872年) エルネスト・ラングロワ編『ロバンとマリオンの劇』(Le jeu de Robin et Marion 、1896年) - 現代フランス語訳付き ルドルフ・ベルガー編『アダンのシャンソンとパルティ』(Canchons et Partures des... Adan delle Hale 、1900年) - 批判版 ピエール=イヴ・バデル編『全集』(Oeuvres completes 、1995年) - フランス語版 彼の生涯と音楽に関する学術研究も多岐にわたる。
ポール・パランによる『フランス文学史』中の論文(第20巻、638-675頁) ルイ・モンメルケとミシェルによる『中世フランス演劇』中のアダンの二つの劇の版(1842年) A・ゲスノン『13世紀アラスの風刺』(La Satire a Arras au XIIIe, siecle 、1900年) ナイジェル・ウィルキンス編『アダン・ド・ラ・アルの抒情作品』(The Lyric Works of Adam de la Halle 、1967年) シルヴィア・ユオ「アダン・ド・ラ・アルの歌、モテット、劇における抒情の声の変容」(1987年) ジャン・マイヤール『アダン・ド・ラ・アル:音楽的視点』(Adam de La Halle: Perspective Musicale 、1982年) ジェニファー・ソルツスタイン『中世北フランスにおける歌、風景、アイデンティティ:環境史に向けて』(Song, Landscape, and Identity in Medieval Northern France: Toward an Environmental History 、2023年) サマンサ・パイアス「死」(アダン・ド・ラ・アルの「死の歌」の翻訳、2021年) ジェニファー・ソルツスタイン編『アダン・ド・ラ・アルの世界における音楽文化』(Musical Culture in the World of Adam de la Halle 、2019年) ジョン・スティーブンス「『偉大な宮廷シャンソン』:アダン・ド・ラ・アルのシャンソン」(1974-1975年) ハンス・ティシュラー「トルヴェール歌曲:その詩的および音楽的様式の進化」(1986年) アダン・ド・ラ・アルの音楽作品は、その歴史的重要性から現代においても録音が行われ、その音楽が広く聴かれている。以下に注目すべき録音の一部を概説する。
1955年 - アダン・ド・ラ・アル:『ロバンとマリオンの劇』; 13のロンドー。プロ・ムジカ・アンティクア・ブリュッセル、サフォード・ケープ指揮。1953年6月23日ブリュッセルのアカデミー宮殿で録音。アルヒーフ・プロダクション。LPレコード。 1991年 - アダン・ド・ラ・アル:『ロバンとマリオンの劇』。アンサンブル・ペルセヴァル、ギー・ロベール指揮。1980年録音。アリオン ARN 68162。CD。 1991年 - アダン・ド・ラ・アル:『ロバンとマリオンの劇』。バーゼル・スコラ・カントルム、トーマス・ビンクレー指揮。1987年5月スイス、バーゼル、バルヒューザー教会で録音。フォーカス 913。CD。 1998年 - 「ロビン・ラブズ・ミー」。ガレス・コッホによるソロ・ギター編曲および演奏。2006年ABCクラシックスからリリースされたアルバム『カルミナ・ブラーナ』の最終トラックに収録。 2004年 - ゾディアック:『低地諸国とヨーロッパにおけるアルス・ノヴァとアルス・スブティリオル』。カピラ・フラメンカ。ユーフォダ 1360。 2006年 - アダン・ド・ラ・アル:『愛の心で歌いたい』(D'amoureus cuer voel chanter)。アンヌ・ドラフォス=カンタン、レ・ジャルダン・ド・クルトワジー。ジグザグ・テリトワール(ZZT070401)。 2019年 - ノエル・アクショテ:『アダン・ド・ラ・アル - 我が淑女の甘い眼差し』(Adam de La Halle - Le Doux Regard de ma Dame)。自主制作。 アダン・ド・ラ・アルは、13世紀ヨーロッパにおける最も重要な音楽家および文学者の一人として、その遺産は後世に多大な影響を与えた。彼はトルヴェール伝統の最終世代を代表する存在であり、その作品は中世音楽の発展において過渡期的な役割を果たした。 彼の最も顕著な貢献は、世俗音楽劇の発展における先駆的な役割である。『ロバンとマリオンの劇』は、現存する最古の世俗フランス音楽劇として、後のオペラ・コミックやボードヴィルといったジャンルの基礎を築いた。この作品における民謡的要素の活用や、台詞と音楽の統合は、音楽が物語を語る上での可能性を広げ、演劇と音楽の融合という新たな芸術形式の発展に道を拓いた。 批評家や学者たちは、アダンを保守的な側面(伝統的なトルヴェール様式を継承した点)と革新的な側面(ポリフォニー音楽や新しい劇作品を試みた点)を併せ持つ作曲家として評価している。彼の作品は、当時の社会や文化を反映しており、『葉隠れの劇』のような風刺劇は、アラスの市民生活や彼自身の周囲の人々を生き生きと描き出し、中世の世俗演劇の貴重な例となっている。 アダン・ド・ラ・アルの音楽は、その旋律の美しさ、詩的な表現、そして劇的な構成によって、後世の作曲家や文学者にも影響を与え続けた。彼の業績は、中世の音楽が単なる典礼や宮廷の娯楽に留まらず、より広範な人々の生活や感情に寄り添う世俗的な表現手段として発展していく上での重要な一歩を示したのである。
トルヴェール ミンストレル アルス・アンティクア シャンソン モテット ロンドー ヴィルレー オペラ・コミック 中世西洋音楽 パストラル 風刺 ジョングルール ロベール2世 (アルトワ伯) シャルル1世 (ナポリ王) アラス カンブレー ヴォーセル修道院 パリ大学
アダン・ド・ラ・アル
職業: トルヴェール 作曲家 詩人
活動分野: 音楽 詩
劇: ロバンとマリオンの劇 (1283年)
劇: 葉隠れの劇 (1262年)