1. Personal Life
アレクサンドル・ウラジーミラヴィチ・ファデーエフは、1964年1月4日にソビエト連邦のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、カザンで生まれた。
彼はカナダ人フィギュアスケート選手のシデル・ファデーエワ(Cydèle Fadeeva)と結婚しており、現在は米国のイリノイ州に居住している。
2. Career
ファデーエフは、ジュニア時代からその才能を発揮し、シニアに移行後も主要な国際大会で数多くのタイトルを獲得した。
2.1. Junior Career and Early Achievements
ファデーエフはジュニア時代から頭角を現し、1979年の世界ジュニアフィギュアスケート選手権で銅メダルを獲得した。そして、その翌年の1980年には同大会で金メダルを獲得し、ジュニアカテゴリーでの頂点に立った。この初期の成功は、彼のその後のシニアキャリアの基盤を築くこととなった。
2.2. Major International Competition Achievements
シニアの国際大会において、ファデーエフは世界選手権、ヨーロッパ選手権、そしてオリンピックで目覚ましい成績を収めた。
2.2.1. World Championships

ファデーエフは、世界フィギュアスケート選手権において計1度の金メダルと3度の銅メダルを獲得した。
1984年の世界選手権では、自身初となる銅メダルを獲得し、世界トップレベルの仲間入りを果たした。
1985年の世界選手権では、東京で開催され、コンパルソリーフィギュア、ショートプログラム、フリープログラムの全3セグメントで1位となり、圧倒的な演技で金メダルに輝いた。この大会では、ブライアン・オーサー(銀メダル)とブライアン・ボイタノ(銅メダル)を抑えての優勝であった。
翌1986年の世界選手権では、ショートプログラムまでは首位に立っており、フリープログラムで3位以内に入れば連覇が確実視されていた。しかし、フリープログラムで5つの大きなミスを犯し、このセグメントで5位に順位を落とした結果、総合で3位となり銅メダルを獲得した。この大会では、ブライアン・ボイタノが金メダル、ブライアン・オーサーが銀メダルであった。
1987年の世界選手権では、シンシナティで開催され、前年に続き再び銅メダルを獲得。この年もブライアン・オーサーとブライアン・ボイタノに次ぐ3位であった。
1989年の世界選手権では、コンパルソリーフィギュアで首位に立ったものの、ショートプログラムとフリープログラムでの不振により、総合4位に終わった。
なお、1988年の世界選手権は棄権したが、ショートプログラムを棄権するまではコンパルソリーフィギュアで1位であった。
2.2.2. European Championships
ファデーエフはヨーロッパフィギュアスケート選手権において、計4度の金メダルと2度の銅メダルを獲得している。
1983年のヨーロッパ選手権では銅メダルを獲得。
1984年のヨーロッパ選手権では、ハンガリーのブダペストで開催され、自身初のヨーロッパタイトルを獲得した。
1986年のヨーロッパ選手権では銅メダルを獲得。
1987年のヨーロッパ選手権では、サラエボで開催され、複数の6.0点(満点)を獲得し、再び金メダルに輝いた。
1988年のヨーロッパ選手権では、プラハで開催され、3度目のヨーロッパタイトルを獲得した。
1989年のヨーロッパ選手権では、バーミンガムで開催され、4つの完璧な6.0点を記録し、4度目のヨーロッパチャンピオンとなった。
2.2.3. Olympic Participation
ファデーエフは、冬季オリンピックのフィギュアスケート競技に2度出場している。
1984年のサラエボオリンピックでは、男子シングルで7位に入賞した。
1988年のカルガリーオリンピックでは、コンパルソリーフィギュアで最高の成績を収めたものの、ショートプログラムで9位、フリープログラムで4位に順位を落とし、惜しくもメダルには届かず、総合4位で大会を終えた。また、この大会の後に出場予定だった1988年の世界選手権は棄権している。
2.3. Professional Activities and Post-Retirement
ファデーエフは1990年にアマチュア競技から引退した。引退後はプロスケーターとして活動し、1990年代には北米でディズニー・オン・アイスなどのアイスショーに出演した。
また、1998年の映画『The Christmas Angel: A Story on Ice』ではキャストを務めたほか、ティファニー・チンと共にシアターショー『Gershwin on Ice』にも出演した。現在は米国のシカゴ地域でコーチとして活動している。
3. Competition Records
アレクサンドル・ファデーエフの主要大会での成績は以下の通りである。
国際大会 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
大会/年 | 1978-79 | 1979-80 | 1980-81 | 1981-82 | 1982-83 | 1983-84 | 1984-85 | 1985-86 | 1986-87 | 1987-88 | 1988-89 | 1989-90 |
オリンピック | 7位 | 4位 | ||||||||||
世界選手権 | 14位 | 10位 | 4位 | 3位 | 1位 | 3位 | 3位 | WD | 4位 | |||
欧州選手権 | 9位 | 5位 | 3位 | 1位 | 3位 | 1位 | 1位 | 1位 | ||||
NHK杯 | 9位 | 2位 | 1位 | WD | 1位 | 2位 | ||||||
モスクワ国際 | 5位 | 1位 | 3位 | 1位 | 1位 | 1位 | 3位 | |||||
国際大会: ジュニア | ||||||||||||
世界Jr.選手権 | 3位 | 1位 | ||||||||||
国内大会 | ||||||||||||
ソビエト選手権 | 4位 | 2位 | 3位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 |
WD = 棄権
4. Assessment and Impact
アレクサンドル・ファデーエフは、1980年代の男子フィギュアスケート界において、その卓越したスケーティングスキルと特にコンパルソリーフィギュアにおける技術の高さで知られていた。彼は、厳格なフィギュア時代から、より芸術性や運動能力が求められるフリープログラムへと移行する過渡期に活躍した選手であり、その両方の要素を高いレベルでこなすことができた。
1985年の世界選手権での完全優勝は、彼のキャリアのハイライトであり、その実力を世界に示した決定的な瞬間であった。ヨーロッパ選手権での4度の優勝やソビエト選手権での6連覇は、当時のソビエト連邦における彼の圧倒的な支配力を物語っている。
一方で、彼のキャリアには、フリープログラムでのミスや、オリンピックでのメダルを逃すなど、安定性に課題が見られることもあった。特に1988年のカルガリーオリンピックでは、コンパルソリーフィギュアでの圧倒的な優位にもかかわらず、メダル獲得を逃したことは、多くのファンの印象に残っている。
引退後も、プロスケーターとしての活動や、現在コーチとして若手選手の育成に携わっていることは、彼がフィギュアスケート界に継続的に貢献していることを示している。ファデーエフは、その才能と競技実績を通じて、フィギュアスケートの歴史にその名を刻んだ選手として記憶されている。