1. 経歴
アントリン・アルカラスの選手としてのキャリアは、母国パラグアイでの初期の歩みから、ポルトガル、ベルギー、イングランド、スペインの主要リーグでの活躍、そして母国への復帰に至るまで多岐にわたる。彼は各クラブで守備の要として貢献し、特にウィガン・アスレティックFCではFAカップ優勝という歴史的快挙を達成した。
1.1. ユース・初期
アントリン・アルカラスは1982年7月30日にパラグアイのパラグアリ県、サン・ロケ・ゴンサレス・デ・サンタ・クルスで生まれた。彼は質素な家庭に育ち、10代の頃は地元の建設作業員の助手として働いていた。サッカー選手としての最初のキャリアは、ニェンビ市のクルブ・テニエンテ・ファリーニャで始まったが、当時はプロサッカー選手になることを目指していなかった。18歳で建設作業員として働いている時に、スカウトでありサッカーエージェントのカルロス・ブルーニと出会い、アルゼンチンのラシン・クルブへと連れて行かれた。しかし、ラシン・クルブでの在籍期間中、彼の出場機会は限られていた。
2002年にはイタリアのACFフィオレンティーナへローン移籍したが、クラブがすぐに破産し、レガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネ(事実上の4部)に再編成されたため、短期間で移籍することになった。その後、USチッタ・ディ・パレルモでのトライアウトも受けたが、契約には至らなかった。
1.2. SCベイラ・マル
2003年1月、アントリン・アルカラスはポルトガルのSCベイラ・マルと契約を結んだ。2002-03シーズンの後半戦で7試合に出場した後、彼はアヴェイロを本拠地とする同クラブの守備の要となり、2005-06シーズンにはキャプテンを務め、31試合に出場してチームをプリメイラ・リーガへの昇格に導いた。
1.3. クラブ・ブルッヘ
2007年4月30日、アルカラスはベルギーのクラブ・ブルッヘへ移籍することが発表され、契約は同年7月から有効となった。2007-08シーズンは出場機会が限られたものの、最終的にはレギュラーの座を獲得し、チームがリーグ戦で2度の3位と1度の2位に入るのに貢献した。また、UEFAヨーロッパリーグでも決勝トーナメントに進出するなど、チームの重要な一員として活躍した。
1.4. ウィガン・アスレティック

2010年5月14日、アントリン・アルカラスはプレミアリーグのウィガン・アスレティックFCへフリー移籍で加入することが発表された。当時の監督ロベルト・マルティネスは、アルカラスがキャリアで「最高の状態にある」と評した。2010年9月11日のサンダーランド戦で移籍後初ゴールを決め、試合は1-1の引き分けに終わった。
しかし、ウィガンでの最初の半年は不安定なパフォーマンスを見せ、最初の2試合でチームが失点した10ゴールのうち4つは彼のミスによるものであった。また、マンチェスター・ユナイテッド戦ではキャプテンを務めながら退場処分を受けるなど、苦しい時期を過ごした。
2011年11月6日、モリニュー・スタジアムで行われたウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ戦での3-1の敗戦中、相手ディフェンダーのリチャード・スティアマンに唾吐き行為を行ったとして、広範な論争を巻き起こした。この行為により、彼は3試合の出場停止処分を受け、後に本人が謝罪した。
2012年5月7日、ブラックバーン・ローヴァーズ戦で決勝点を挙げ、チームをトップリーグ残留に導き、ブラックバーンをフットボールリーグ・チャンピオンシップへと降格させた。2013年FAカップ決勝では、マンチェスター・シティを1-0で破る番狂わせを演じた試合で、フル出場を果たし、FAカップ優勝に貢献した。しかし、そのわずか3日後、アーセナルに1-4で敗れ、ウィガンはトップリーグから降格した。
1.5. エヴァートン

2013年7月9日、ウィガンとの契約満了によりフリーエージェントとなったアントリン・アルカラスは、恩師ロベルト・マルティネス監督とジョエル・ロブレスに続き、エヴァートンFCと2年契約を結んだ。負傷によりシーズン序盤は出遅れたものの、12月29日のサウサンプトン戦でプレミアリーグデビューを果たし、2-1の勝利に貢献した。
2014年4月26日、サウサンプトン戦では開始1分でオウンゴールを記録し、チームは0-2で敗れた。翌年の2015年1月1日のハル・シティ戦では、2枚のイエローカードを受けてエヴァートンでの初の退場処分となった。この敗戦は、ホリデー期間中のチームにとって4連敗目にあたるものだった。2015年6月10日、アルカラスはエヴァートンを退団した。
1.6. UDラス・パルマス
2015年8月2日、33歳を目前に控えたアルカラスは、ラ・リーガに昇格したばかりのUDラス・パルマスと1年契約(延長オプション付き)で合意した。9月23日のセビージャ戦で移籍後初ゴールを挙げ、ホームでの2-0の勝利に貢献した。
しかし、エスタディオ・グラン・カナリアでの在籍期間中、アルカラスは負傷によりわずか7試合の公式戦出場にとどまった。そして2016年1月29日、彼は双方の合意によりクラブを退団した。
1.7. 母国復帰
2016年2月、アントリン・アルカラスは母国パラグアイのクルブ・リベルタへの移籍に合意した。同年3月、33歳でパラグアイ・プリメーラ・ディビシオンデビューを果たし、セロ・ポルテーニョ戦で2-1の勝利に貢献した。
2019年1月2日には、同じく国内リーグのオリンピアと契約を結んだ。移籍初年度の2019シーズンには、チームの一員として国内リーグのアペルトゥーラとクラウスーラの両方を制覇し、優勝に貢献した。
2. 代表経歴
アントリン・アルカラスはパラグアイ代表として、FIFAワールドカップやコパ・アメリカといった主要な国際大会で活躍し、チームの守備の要として貢献した。
2.1. 2010 FIFAワールドカップ
2008年11月、26歳で初めてパラグアイ代表に招集され、11月18日のオマーンとの親善試合で代表デビューを飾った。
2010 FIFAワールドカップの代表メンバーに選出され、6月14日に行われたグループリーグ初戦のイタリア戦では、代表でのわずか7試合目の出場ながら、ケープタウンでセットプレーから強力なヘディングシュートで先制点を記録した。試合は1-1の引き分けに終わり、強豪相手の貴重な勝ち点獲得に貢献。アルカラス自身は大会選定のマンオブザマッチに選出された。彼はサスペンションによる1試合を除く全試合に出場し、パラグアイ代表のベスト8進出に大きく貢献した。チームは準々決勝でスペインに敗れた。
2.2. コパ・アメリカ2011
アルゼンチンで開催されたコパ・アメリカ2011でも、アントリン・アルカラスはパラグアイ代表の主力として活躍した。7月13日、グループリーグのベネズエラ戦で1-1の同点ゴールを挙げ、試合は最終的に3-3の引き分けに終わった。その4日後のブラジルとの準々決勝では、ルーカス・レイバとの小競り合いの末に退場処分を受け、この試合には出場停止となった。パラグアイ代表は決勝まで進出し、準優勝という成績を収めた。
3. 人物
アントリン・アルカラスは、ピッチ上での活躍だけでなく、私生活においても家庭を大切にする一面を見せた。身長は187 cm、体重は82 kg。
3.1. 結婚・家族
アントリン・アルカラスは2007年7月30日にアルゼンチン人のエバンヘリナと結婚した。同年11月10日には長男バレンティーノが誕生している。
4. プレー統計
アントリン・アルカラスのプロキャリアにおけるクラブおよび代表チームでの出場記録と得点記録を以下に示す。
4.1. クラブ
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 欧州 | その他 | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ベイラ・マル | 2002-03 | プリメイラ・リーガ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2003-04 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | ||
2004-05 | 24 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 24 | 1 | ||
2005-06 | セグンダ・リーガ | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 29 | 0 | |
2006-07 | プリメイラ・リーガ | 26 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 26 | 3 | |
合計 | 81 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 81 | 4 | ||
クラブ・ブルッヘ | 2007-08 | ベルギー・ファースト・ディビジョンA | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 |
2008-09 | 29 | 3 | 3 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 38 | 3 | ||
2009-10 | 29 | 1 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 0 | 40 | 1 | ||
合計 | 68 | 5 | 3 | 0 | 17 | 1 | 0 | 0 | 88 | 4 | ||
ウィガン・アスレティック | 2010-11 | プレミアリーグ | 34 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 38 | 1 |
2011-12 | 25 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 25 | 2 | ||
2012-13 | 10 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | ||
合計 | 69 | 3 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 77 | 3 | ||
エヴァートン | 2013-14 | プレミアリーグ | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 |
2014-15 | 8 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | ||
合計 | 14 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 21 | 0 | ||
キャリア通算 | 231 | 12 | 13 | 0 | 22 | 1 | 0 | 0 | 256 | 13 |
4.2. 代表出場数・得点
アントリン・アルカラスは、2008年から2012年にかけてパラグアイ代表として国際Aマッチ23試合に出場し、2得点を挙げている。
5. 獲得タイトル
アントリン・アルカラスが選手として獲得した主要なタイトルおよび功績を以下に示す。
5.1. クラブ
- ベイラ・マル
- セグンダ・リーガ:2005-06
- ウィガン・アスレティック
- FAカップ:2012-13
- リベルタ
- パラグアイ・プリメーラ・ディビシオン:2016 アペルトゥーラ、2017 アペルトゥーラ
- オリンピア
- パラグアイ・プリメーラ・ディビシオン:2019
5.2. 代表
- パラグアイ
- コパ・アメリカ準優勝:2011
6. 評価・議論
アントリン・アルカラスのキャリアにおいては、彼のプレーに関する評価だけでなく、いくつかの行動や決断が公衆の議論を呼んだ事例も存在する。
6.1. 批判と論争
2011年11月6日、ウィガン・アスレティックFCに所属していたアルカラスは、ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズとの試合中に相手ディフェンダーのリチャード・スティアマンに対し唾吐き行為を行った。この行為はリプレイ映像で確認され、広範な論争を巻き起こした。この結果、アルカラスはイングランドサッカー協会(FA)から3試合の出場停止処分を科された。アルカラスはその後、自身の行為について謝罪を行った。