1. 生涯
ウーゴ・ファノの生涯は、ヨーロッパでの学術的基礎の確立から、第二次世界大戦を機としたアメリカへの移住、そしてその地での輝かしいキャリア形成へと展開した。彼の研究は、量子力学の初期の発展から、原子・分子物理学の現代的理解に至るまで、広範な分野に影響を与え続けた。
1.1. 出生と家族背景
ウーゴ・ファノは1912年7月28日、イタリア・トリノの裕福なユダヤ人の家庭に生まれた。彼の父は著名な数学者であるジーノ・ファノであった。
1.2. 学歴
ファノは1934年にトリノ大学で数学の博士号を取得した。彼の指導教員はエンリコ・ペルシコであり、博士論文のタイトルは『Sul Calcolo dei Termini Spettrali e in Particolare dei Potenziali di Ionizzazione Nella Meccanica Quantistica量子力学的計算スペクトル項とそのイオン化への拡張についてイタリア語』であった。博士号取得のための試験の一環として、彼はさらに2つの口頭発表を行った。それらは『Sulle Funzioni di Due o Più Variabili Complesse2つ以上の複素変数の関数についてイタリア語』と、『Le Onde Elettromagnetiche di Maggi: Le Connessioni Asimmetriche Nella Geometria Non Riemannianaマギーの電磁波:非リーマン幾何学における非対称接続イタリア語』と題された。ここで言及されるマギーとは、イタリアの数理物理学者ジャン・アントニオ・マギー(1856年 - 1937年)のことである。
1.3. ヨーロッパでの活動
博士号取得後、ファノはローマでエンリコ・フェルミとともに研究を行った。彼は、フェルミが率いた著名な研究グループ「ラガッツィ・ディ・ヴィア・パニスペルナ」のシニアメンバーの一員であった。この時期に、フェルミの強い勧めを受けて、ファノは共鳴配置間相互作用の独創的な理論を開発した。この理論は、後に「ファノ共鳴プロファイル」として知られることとなり、1935年と1961年に発表された2つの論文によってその基礎が築かれた。特に1961年の論文『Effects of Configuration Interaction on Intensities and Phase Shifts配置間相互作用が強度と位相シフトに与える影響英語』は、物理学の主要な学術誌である『フィジカル・レビュー』に掲載された論文の中でも最も引用されたものの一つとして評価されている。
その後、ファノは1936年から1937年にかけて、ドイツのライプツィヒで著名な物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクのもとで研究活動を行った。
2. アメリカでの経歴
ウーゴ・ファノのアメリカでのキャリアは、イタリアでの反ユダヤ主義政策からの避難を背景に始まった。彼はアメリカ合衆国で放射線物理学の先駆的な研究に従事し、その後、国立標準局(現国立標準技術研究所)の初代理論物理学者として、またシカゴ大学の教授として、多くの後進を育成した。
2.1. 移住と初期の研究
1939年、ファノはカミーラ・ラッテス(愛称リラ)と結婚した。彼女は教師であり、後にファノと共著で原子・分子物理学に関する著名な書籍『Physics of Atoms and Molecules原子と分子の物理学英語』(1959年)を執筆することになる。この本の付録IIIでは、2つの荷電粒子の衝突に関する基礎的な説明がなされており、リチャード・ファインマンが自身の講義でこの内容を使用し、その講義は後に『ファインマンさん、力学を語る』(原題:Feynman's Lost Lecture: Motion of Planets Around the Sunファインマンの失われた講義:太陽の周りの惑星の運動英語)として出版された。この書籍は後に内容が拡張され、『Basic Physics of Atoms and Molecules原子と分子の基礎物理学英語』(1972年)として再版された。
同年後半、イタリアでイタリア人種法が施行され、反ユダヤ主義的な措置が強化されたため、ファノはアメリカ合衆国への移住を余儀なくされた。アメリカでの彼の初期の研究は、バクテリオファージに関するものと、放射線物理学における先駆的な研究、特にX線と中性子の生物学的効果の違いに関するものであった。
2.2. 国立標準局(NBS)およびシカゴ大学
第二次世界大戦中、ファノはアバディーン性能試験場で兵役に就いた。その後、彼は国立標準局(NBS、現在のアメリカ国立標準技術研究所(NIST))の職員となり、NBSのスタッフとして初の理論物理学者として採用された。彼は1966年までNBSに勤務し、同年、シカゴ大学の物理学教授に就任した。シカゴ大学では、1990年代初頭まで約30人の大学院生やポスドク研究員を指導した。彼の指導を受けた多くの研究者は、現在、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本の理論原子物理学および分子物理学の分野で主導的な地位を占めている。
3. 科学的業績と遺産
ウーゴ・ファノは、その60年以上にわたる研究活動を通じて、原子物理学、分子物理学、そして初期の放射線物理学の分野に計り知れない影響を与えた。彼の基礎的な貢献は、これらの主題における現在の研究のほとんどすべての領域に反映されている。
3.1. 主要な理論と概念
ファノの名を冠する物理学上の概念や理論は数多く存在する。
- ファノ共鳴プロファイル:共鳴配置間相互作用の理論に基づいて、共鳴現象における非対称な線形を記述する。
- ファノ因子:放射線検出器における信号の統計的ゆらぎを記述する。
- ファノ効果:特定の条件下での原子や分子の励起状態における電子の挙動に関連する。
- Lu-Fanoプロット:原子の電子配置とスペクトル線に関するデータ解析に用いられる。
- ファノ=リヒテン機構:重イオン衝突における内殻電子の励起や電離を説明する。
- ファノ定理:放射線線量測定において、荷電粒子の平衡状態が確立された場合のエネルギー吸収に関する重要な定理である。
これらの概念は、彼の深い洞察力と理論構築能力の証であり、現代物理学の基盤の一部となっている。
3.2. 影響分野
ファノの研究は、特に以下の分野において顕著な進歩をもたらし、その重要性は現在も変わらない。
- 原子物理学:原子の電子構造、励起、電離に関する理解を深めた。
- 分子物理学:分子の構造、結合、反応における電子の役割を解明した。
- 放射線物理学:放射線が物質や生物に与える影響の基礎理論を確立し、放射線防護や医療応用への道を開いた。
彼の研究は、これらの分野における数多くの発見と技術革新の基礎となり、後世の研究者たちに多大な影響を与え続けている。
3.3. 著作活動
ファノは数多くの学術論文を発表するだけでなく、教育的な著作活動にも力を入れた。
- 『Physics of Atoms and Molecules原子と分子の物理学英語』(1959年):妻カミーラ・ラッテスとの共著。この書籍は、原子と分子の物理学に関する包括的な入門書として広く利用された。
- 『Basic Physics of Atoms and Molecules原子と分子の基礎物理学英語』(1972年):上記の『原子と分子の物理学』の拡張版。
- 『Irreducible Tensorial Sets既約テンソル集合英語』(1959年):いとこのジュリオ・ラカーとの共著。角運動量の量子論に関する簡潔なモノグラフであり、ラカー代数としても知られる分野に貢献した。
2000年7月から9月にかけて刊行された『Physics Essaysフィジックス・エッセイズ英語』誌は、ウーゴ・ファノに献呈され、彼の死後発表された論文も掲載された。
4. 家族と親族
ウーゴ・ファノの家族には、科学界で著名な貢献をした親族が複数いる。
- ロベルト・ファノ:彼の弟であり、MITの電気工学名誉教授として知られる。
- ジュリオ・ラカー:彼のいとこであり、角運動量の量子論(「ラカー代数」としても知られる)に多大な貢献をした。ラカーはファノと共同で、この主題に関する簡潔なモノグラフ『Irreducible Tensorial Sets既約テンソル集合英語』(1959年)を執筆している。
5. 受賞と栄誉
ウーゴ・ファノは、その卓越した科学的業績に対して数々の栄誉と賞を授与された。
- 会員資格
- 米国科学アカデミー会員
- アメリカ芸術科学アカデミーフェロー
- アメリカ物理学会フェロー
- 王立協会外国人フェロー
- 受賞歴
- ウィリアム・F・メガー賞(1989年):アメリカ光学会より授与。
- エンリコ・フェルミ賞(1995年):アメリカ合衆国エネルギー省より授与。
彼の最も引用された論文は、1961年に発表された『Effects of Configuration Interaction on Intensities and Phase Shifts配置間相互作用が強度と位相シフトに与える影響英語』である。
6. 死去
ウーゴ・ファノは2001年2月13日に88歳で死去した。