1. 初期経歴とアマチュア時代
エリック・シュールストロムは、プロ入り前に高校、大学で優れた野球の才能を発揮し、早くからその潜在能力を評価されていた。
1.1. 幼少期と教育
シュールストロムは1969年3月25日にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴで生まれた。アラメダ高等学校(Alameda High School英語)時代には、1987年にオークランド・トリビューン紙の北部カリフォルニア年間最優秀投手に選出されるなど、高校野球界で頭角を現した。高校卒業後、カリフォルニア州立大学フレズノ校(Fresno State University英語)に進学。1988年にはNCAAのフレッシュマン・オールアメリカンに選ばれるなど、大学野球でも目覚ましい活躍を見せた。この年、彼は14勝2敗、11完投という驚異的な成績を収め、所属するFresno State Bulldogs英語は一時全米ランキング1位に上り詰め、32連勝を達成した。同年はカレッジ・ワールドシリーズで7位に入賞している。
また、1989年には第18回日米大学野球選手権大会にアメリカ合衆国代表として出場。この時のチームメイトには、後に日本プロ野球入りするクリス・ヘイニーやダグ・クリークらがいた。
1.2. MLBドラフト
シュールストロムは高校在学中の1987年にMLBドラフトで初めて指名を受けた。トロント・ブルージェイズから24巡目(全体620位)で指名されたが、この時は契約せずに大学へ進学する道を選んだ。その後、カリフォルニア州立大学フレズノ校での活躍が評価され、1990年のMLBドラフトでボルチモア・オリオールズから2巡目(全体51位)で指名され、プロ入りを果たした。
2. プロ経歴
シュールストロムはメジャーリーグと日本プロ野球でプレーし、引退後はスカウトとして長きにわたり野球界に貢献している。
2.1. マイナーリーグ時代
プロ入り後、シュールストロムはボルチモア・オリオールズ傘下でマイナーリーグでのキャリアをスタートさせた。マイナーリーグでは先発投手とリリーフ投手の両方を経験した。先発投手としては、1991年シーズンにフレデリック・キーズ(A+級)で5勝6敗、防御率3.05、85回と3分の1投球回で93奪三振を記録するなど、好成績を残した。このシーズン中の7月3日には、キンストン・インディアンス相手に2対0でノーヒットノーランを達成している。リリーフ投手としては、1994年にナッシュビルで26試合に登板し、防御率2.63、41投球回で43奪三振という好成績を挙げた。
オリオールズ時代には短期間に2度のトレードを経験している。まず1992年8月31日にサンディエゴ・パドレスへクレイグ・レファーツとのトレードで移籍し、4日後の9月4日にはリッキー・グティエレスが追加でパドレスに移籍することでトレードが完了した。その後、1993年4月2日にオリオールズにウェイバー経由で復帰したが、その4ヶ月半後の8月16日にはミネソタ・ツインズへ移籍。これは前日のマイク・パグリアルーロのオリオールズ移籍に伴う交換要員であった。
2.2. メジャーリーグ(MLB)時代
1994年7月18日、25歳の若さでミネソタ・ツインズでMLBデビューを果たした。1994年シーズンは9試合に登板し、防御率2.77、13投球回で13奪三振を記録した。しかし、翌1995年シーズンは37試合に登板したものの、防御率6.89と前年の成功を維持することはできなかった。メジャーリーグでのキャリアを通じて、彼はわずか1失策、守備率8割8分9厘を記録した。
メジャーリーグにおける最後の試合は1995年9月27日であった。彼のメジャーリーグでの通算記録には、60投球回で勝敗記録(勝ち星または負け星)が付かないという、MLBにおける特筆すべき記録が含まれている。
2.3. 日本プロ野球(NPB)時代
メジャーリーグでのキャリアを終えた後、シュールストロムは日本のプロ野球で4シーズンにわたりプレーした。メジャーリーグ時代とNPBの間には、ボストン・レッドソックス傘下のマイナーリーグや、メキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズ、モンクローバ・スティーラーズでもプレーしている。
1998年に北海道日本ハムファイターズに入団。主に抑えを務め、初年度は7勝を挙げる活躍を見せた。1999年もシーズン序盤は抑えとして活躍したが、シーズン途中に右肩を故障し、そのまま同年で退団した。
1年間のリハビリを経て、テストに合格し2001年に広島東洋カープに入団した。日本ハム時代ほどの球速は出なかったものの、緩急をつけた投球で再び抑え投手を任された。しかし、シーズン後半には再び故障で戦線を離脱。2002年も故障に苦しみ、シーズン終了後に現役を引退した。
2.4. 引退後の経歴:スカウト
2003年からは、選手引退後も日本のプロ野球界に貢献し続けている。広島東洋カープの駐米スカウトとして、主にアメリカ大陸の西部を担当している。東部地域のスカウトはスコット・マクレーンが担当している。
一時期、AAA級バッファロー・バイソンズからの選手獲得が多かったが、これはシュールストロムが広島に入団する以前に同球団の監督を務めていたマーティ・ブラウンとのパイプを活かしたものであった。グレッグ・ラロッカやケニー・レイボーンは、ブラウンがシュールストロムに推薦した選手として知られている。
3. 投球スタイルと記録
シュールストロムは、その投球スタイルと、メジャーリーグおよび日本プロ野球で残した特筆すべき記録で知られている。
3.1. 投球スタイル
シュールストロムの投球スタイルは、140km/h台後半のストレートと、落差の大きいカーブが主な武器であった。これに加え、フォークボールも投げるなど、変化球を効果的に織り交ぜて打者を打ち取るタイプであった。
3.2. 主な記録と業績
- ノーヒットノーラン:1991年7月3日(マイナーリーグ時代)
- MLBでの特筆すべき記録:60投球回で勝敗記録(勝ち星または負け星)が付かないMLB記録。
- NPBでの初記録:
- 初登板:1998年4月11日、対オリックス・ブルーウェーブ2回戦(東京ドーム)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表に五十嵐章人から
- 初勝利:1998年4月26日、対西武ライオンズ5回戦(東京ドーム)、9回表に2番手で救援登板・完了、1回2失点
- 初セーブ:1998年4月29日、対福岡ダイエーホークス4回戦(東京ドーム)、8回表1死に4番手で救援登板・完了、1回2/3を1失点
3.3. 経歴統計
シュールストロムのメジャーリーグと日本プロ野球における年度別投手成績は以下の通りである。
年 度 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994 | MIN | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | ---- | 57 | 13.0 | 13 | 0 | 5 | 0 | 1 | 13 | 0 | 0 | 7 | 4 | 2.77 | 1.38 |
1995 | 37 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 225 | 47.0 | 66 | 8 | 22 | 1 | 1 | 21 | 5 | 0 | 36 | 36 | 6.89 | 1.87 | |
1998 | 日本ハム | 38 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 3 | 8 | -- | .700 | 187 | 45.0 | 31 | 1 | 22 | 3 | 3 | 52 | 0 | 0 | 15 | 15 | 3.00 | 1.18 |
1999 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 7 | -- | .667 | 65 | 16.0 | 15 | 0 | 2 | 0 | 0 | 21 | 0 | 0 | 3 | 3 | 1.69 | 1.06 | |
2001 | 広島 | 22 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 11 | -- | .000 | 93 | 22.0 | 21 | 2 | 8 | 0 | 1 | 14 | 0 | 0 | 9 | 8 | 3.27 | 1.32 |
2002 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 18 | 4.2 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.64 | |
MLB:2年 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | ---- | 282 | 60.0 | 79 | 8 | 27 | 1 | 2 | 34 | 5 | 0 | 43 | 40 | 6.00 | 1.77 | |
NPB:4年 | 79 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 5 | 26 | -- | .643 | 363 | 87.2 | 68 | 3 | 34 | 4 | 4 | 93 | 0 | 0 | 27 | 26 | 2.67 | 1.16 |
4. 私生活とその他情報
シュールストロムの選手キャリア以外の個人的な側面や、その他公開されている情報について説明する。
4.1. 居住地とその他の詳細
シュールストロムは現在、選手時代の身長約196 cm、体重約100 kgという体格で知られている。カリフォルニア州アラメダに居住している。メジャーリーグ時代の年俸は、1994年に10.90 万 USD、1995年には11.30 万 USDであった。
また、現役時代はいくつかの背番号を着用しており、ミネソタ・ツインズ時代は「58」を、日本ハムファイターズでは「23」を、広島東洋カープでは「45」を使用していた。メジャーリーグや日本プロ野球のオフシーズンには、ベネズエラ・プロフェッショナル野球リーグのティブロネス・デ・ラ・グアイラや、メキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズ、モンテレイ・サルタンズなどのウィンターリーグの球団でもプレーしていた[https://www.pelotabinaria.com.ve/beisbol/mostrar.php?ID=schueri001 (ベネズエラ・ウィンターリーグでの記録)]。
4.2. 人物像と性格
シュールストロムは非常に明るい性格で知られている。スカウトに就任してからは、自身のスキンヘッドや大きく太った体型をネタにしたジョークを巧みに使いこなし、マイナーリーグの選手やコーチとの円滑なコミュニケーションを築いている。このようなユーモアと親しみやすい性格が、彼のスカウト活動における人間関係の構築に大きく貢献している。
5. 遺産と評価
シュールストロムは、特に広島東洋カープのスカウトとして、その野球界への貢献において高い評価を受けている。
5.1. スカウトとしての貢献と評価
広島東洋カープの駐米スカウトとして、シュールストロムは数多くの外国人選手の獲得に深く関与し、その功績は球団内外から高く評価されている。彼が獲得に貢献した選手の中には、グレッグ・ラロッカをはじめ、コルビー・ルイス、ブライアン・バリントン、デニス・サファテ、キャム・ミコライオ、クリス・ジョンソンなど、チームの主力として大成功を収めた「当たり助っ人」が多数含まれる。これらの選手たちは、広島東洋カープの近年のリーグ優勝やクライマックスシリーズでの活躍に不可欠な存在であった。
彼の的確なスカウト眼と、選手との良好な関係を築く明るい人柄は、広島ファンから「安心のシュール便」という愛称で呼ばれるほどの厚い信頼を得ている。彼の活動は、単に選手を獲得するだけでなく、異文化間で活躍する選手の適応を助け、球団の国際的な競争力向上に大きく貢献している。シュールストロムのスカウトとしての手腕は、広島東洋カープの成功戦略の重要な柱の一つとして、今後も高く評価され続けるだろう。