1. 概要

オレクサンドル・ヴォロドミローヴィチ・ジンチェンコ(Олександр Володимирович Зінченкоオレクサンドル・ヴォロディームィロヴィチ・ズィーンチェンコウクライナ語、Oleksandr Volodymyrovych Zinchenko英語、1996年12月15日生まれ)は、ウクライナ・ラドミシュル出身のプロサッカー選手である。現在はプレミアリーグのアーセナルFCに所属し、左サイドバックまたはミッドフィールダーとしてプレーしている。ウクライナ代表では主将を務めることもある。
ジンチェンコは、ウクライナ東部で勃発したドンバス戦争(2014年-2022年)の影響で家族と共にロシアへ移住せざるを得なくなり、アマチュアリーグでのプレーを経て、FCウファでプロキャリアをスタートさせたという特異な経緯を持つ。その後、2016年にマンチェスター・シティFCに移籍し、ペップ・グアルディオラ監督の下で攻撃的ミッドフィールダーから左サイドバックへとポジションを転向し、4度のプレミアリーグ優勝、4度のEFLカップ優勝、1度のFAカップ優勝に貢献した。2022年7月にはアーセナルに移籍し、チームの中心選手として活躍している。
ウクライナ代表としては、2015年にA代表デビューを果たして以来、UEFA EURO 2016、2020、2024に出場。特にロシアのウクライナ侵攻勃発以降は、祖国への強い愛着と支援の姿勢を公に示しており、義勇兵として戦う意向や多額の寄付を行うなど、その公的な立場が注目を集めている。
2. 幼少期と初期のキャリア
オレクサンドル・ジンチェンコのサッカー選手としての礎は、彼の故郷であるウクライナのラドミシュルで築かれた。ドンバス戦争による家族のロシアへの移住は、彼のキャリア初期に大きな転換点をもたらした。
2.1. ユースサッカーキャリア
ジンチェンコはジトーミル州ラドミシュルで生まれ、地元のユーススポーツスクールであるカルパティアでサッカーを始めた。最初のコーチはセルヒー・ボレツキーであった。その後、FCモノリト・イリイチウスクを経て、FCシャフタール・ドネツクのユースアカデミーに入団し、同ユースチームのキャプテンを務めるまでに成長した。2013年12月9日には、2013-14 UEFAユースリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦でゴールを決め、1-1の引き分けに貢献している。
2.2. FCウファへの加入とロシアリーグでの活動

2014年から始まったドンバス戦争のため、ジンチェンコは両親とともにロシアへ移住した。シャフタール・ドネツクは彼を呼び戻そうとしたが、出場機会を約束しなかったため、安全上の理由からウクライナには戻らなかった。彼はモスクワのアマチュアリーグで5~6か月間プレーした後、FCルビン・カザンでトレーニングを積んだ。しかし、当時シャフタールとの契約がまだ残っていたため、ルビン・カザンがジンチェンコと契約した場合、移籍禁止処分を受けるリスクがあったことから、契約には至らなかった。
2015年2月12日、ジンチェンコはFCウファと契約を締結した。シャフタール・ドネツクとの契約を解除しウファと契約した後、FIFAの紛争解決室に提訴され、ジンチェンコは賠償金としておよそ8000 EURを支払うよう命じられた。2015年3月20日、彼はFCクラスノダールとの試合でロシア・プレミアリーグデビューを果たした。同年7月25日には、FCロストフとの試合でプロ初ゴールを記録したが、試合は1-2で敗れた。FCウファでは2015-16シーズンまでに公式戦33試合に出場し2ゴールを挙げ、ロシア・カップではチームの準々決勝進出に貢献した。
3. クラブキャリア
プロサッカー選手としてのジンチェンコは、FCウファでの初期の成功を経て、世界のトップクラブであるマンチェスター・シティFC、そして現在のアーセナルFCで輝かしいキャリアを築いてきた。
3.1. マンチェスター・シティ

2016年7月4日、ジンチェンコはプレミアリーグの強豪マンチェスター・シティFCに推定170.00 万 GBPの移籍金で加入した。この移籍は一部の人々を驚かせたが、ロシアのサッカー関係者からは「本物の才能」と評され、ドイツのブンデスリーガのクラブ、ボルシア・ドルトムントも彼に注目していた。
3.1.1. 2016年-2019年
マンチェスター・シティに加入後、ジンチェンコはすぐにエールディヴィジのPSVアイントホーフェンに2016年8月26日から2016-17シーズン終了までの期限付き移籍をすることになった。PSVでのデビューは10月1日のSCヘーレンフェーン戦で、1-1の引き分けに終わった試合に途中出場した。また、同時期にPSVのリザーブチームであるヨングPSVでもエールステ・ディヴィジで7試合に出場している。
2017-18シーズンにはマンチェスター・シティに復帰し、2017年10月24日のEFLカップ、ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ戦でマンチェスター・シティでの公式戦デビューを果たした。この試合は0-0の引き分けに終わり、彼は延長戦を含めフル出場した。同年12月13日、スウォンジー・シティに4-0で勝利したアウェイゲームで途中出場し、念願のプレミアリーグデビューを飾った。
2017年12月18日、EFLカップのレスター・シティFC戦では、1-1の拮抗した試合のPK戦で勝利に貢献し、マンチェスター・シティを準決勝に導いた。この時期、左サイドバックのバンジャマン・メンディやファビアン・デルフの負傷が相次いだことで、ジンチェンコはこのポジションで継続的に起用され、安定したパフォーマンスを発揮した。グアルディオラ監督の采配により、当初の攻撃的ミッドフィールダーから左サイドバックへとポジションを転向したことが、彼のキャリアにおいて重要な転機となった。
2018-19シーズンもEFLカップのオックスフォード・ユナイテッドFC戦でシーズン初出場。同週のブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC戦では、メンディとデルフの負傷により、今季初のプレミアリーグ先発出場を果たした。2019年1月9日、EFLカップ準決勝のバートン・アルビオンFC戦で、9-0と大勝したホームゲームにおいて、マンチェスター・シティでの初ゴールを記録した。
3.1.2. 2019年-2022年
2019年6月、ジンチェンコはマンチェスター・シティと2024年までの新契約を結び、クラブとの長期的な関係を確固たるものとした。このシーズンから、彼は背番号を35番から11番に変更した。
2019年10月25日、彼はバルセロナで膝の手術を受け、グアルディオラ監督は回復に5~6週間かかるとの見通しを示した。しかし、ジンチェンコは2019年12月初旬には全体練習に復帰し、同年12月11日にはNKディナモ・ザグレブ戦で負傷からの復帰戦を飾った。2020年1月4日には、FAカップのポート・ヴェイル戦でマンチェスター・シティでの2ゴール目を挙げ、チームは4-1で勝利した。
2021年5月4日、ジンチェンコはマンチェスター・シティがクラブ史上初のUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出を決めたパリ・サンジェルマンFC戦(2-0、合計4-1)で先発出場した。同年5月29日の決勝ではチェルシーFCに0-1で敗れたが、この大舞台で先発メンバーとしてプレーした。
2021-22シーズンの最終節では、途中出場ながらアストン・ヴィラFC戦でアシストを記録し、2点差をひっくり返して3-2で勝利。この劇的な逆転優勝により、彼は自身4度目のプレミアリーグ優勝メダルを獲得した。
3.2. アーセナル

2022年7月22日、ジンチェンコはプレミアリーグのアーセナルFCと長期契約を結び、推定3000.00 万 GBP(追加オプションで最大3200.00 万 GBP)の移籍金で移籍した。アーセナルでは当初、背番号35番を着用した。
2022年8月5日、彼はクリスタル・パレスFC戦での2-0のアウェイゲームでアーセナルデビューを果たし、初アシストを記録した。2023年2月18日、アストン・ヴィラとのアウェイゲームで、アーセナルの2点目となる自身のプレミアリーグ初ゴールを決め、チームの4-2の勝利に貢献した。このゴールは彼にとってアーセナルでの初ゴールでもあり、プレミアリーグでの通算92試合目の初ゴールでもあった。首位争いの重要な局面であったため、ゴールパフォーマンスは控えめに、すぐに守備に戻るプロフェッショナルな姿勢を見せた。この勝利により、アーセナルはプレミアリーグ首位でのリードを広げた。
しかし、2022-23シーズンは、シーズンを通じて首位を走り続けたものの、最終的には古巣マンチェスター・シティに次ぐ2位でリーグを終えた。2023年2月25日には、ロシアのウクライナ侵攻から1年が経過したことを受け、リーグ戦でウクライナに敬意を表す特別な腕章をキャプテンが着用することを知ったアーセナルの主将マルティン・ウーデゴールの発案により、レスター・シティFC戦でジンチェンコが特別にキャプテンマークを巻いて出場した。
2023年9月20日、古巣PSVとのUEFAチャンピオンズリーグの試合でアーセナルでのチャンピオンズリーグ初出場を果たし、チームは4-0で勝利した。2024年8月6日、彼は背番号を17番に変更すると公式に発表した。17番は彼が若手時代に着用し、代表チームでも常に希望していた特別な数字であり、セドリック・ソアレスの退団によって空き番号となったことで、クラブに依頼したと語った。
4. 代表キャリア
ジンチェンコはウクライナ代表として、複数の主要な国際大会に出場し、重要な役割を担ってきた。
2015年10月12日、UEFA EURO 2016予選のスペイン代表戦でウクライナ代表としてのA代表デビューを飾った。翌2016年5月29日に行われたルーマニア代表との親善試合では、トリノで初ゴールを記録し、試合は4-3でウクライナが勝利した。このゴールにより、彼は19歳165日でウクライナ代表の最年少得点記録を更新し、それまでのアンドリー・シェフチェンコの記録を塗り替えた。その後、UEFA EURO 2016のメンバーに選出され、ドイツ代表戦と北アイルランド代表戦に途中出場したが、ウクライナはグループステージで敗退した。
2021年のUEFA EURO 2020では、決勝トーナメント1回戦のスウェーデン代表戦で先制ゴールを決め、さらに延長後半にアルテム・ドフビクの決勝ゴールをアシストし、チームを2-1の勝利に導いた。この活躍により、彼はマン・オブ・ザ・マッチに選出され、ウクライナが2006 FIFAワールドカップ以来15年ぶりの主要大会ベスト8進出、そしてUEFA EURO史上初の準々決勝進出という歴史的快挙に大きく貢献した。2021年3月24日のフランス代表戦では、24歳98日でウクライナ代表史上最年少のキャプテンとなった。
ロシアのウクライナ侵攻の影響により延期された2022 FIFAワールドカップ欧州予選プレーオフでは、2022年6月に開催された1回戦でスコットランド代表を破ったが、2回戦ではギャレス・ベイルを擁するウェールズ代表に敗れ、16年ぶりのワールドカップ本大会出場を逃した。
UEFA EURO 2024にも代表の一員として出場。チームはグループステージで4ポイントを獲得したものの、UEFA EUROが24チーム制に拡大されて以降、グループステージで4ポイントを獲得しながらも敗退した初のチームとなった。2024年11月19日、UEFAネーションズリーグのアルバニア代表戦で自身10番目の国際試合ゴールを記録し、2-1の勝利に貢献した。
5. 私生活と公的な立場
ジンチェンコの私生活は、彼の家族への愛情と強い宗教的信念に支えられている。また、ウクライナ情勢に対する彼の積極的な発言と行動は、国際社会で広く注目を集めている。
2020年8月、ジンチェンコはジャーナリストのヴラダ・セダンと結婚した。2021年8月には長女が、2023年8月には次女が誕生し、二児の父親となった。彼は東方正教会のキリスト教徒であると公言している。
2022年ロシアのウクライナ侵攻に対しては、彼は最も強い反対の意を表明している人物の一人である。2022年2月24日、彼は自身のInstagramにロシアのウラジーミル・プーチン大統領に対して「最も苦痛な死を遂げることを願う」と投稿したが、この投稿は後に削除された。ジンチェンコは、自身が削除したのではなく、Instagram側が削除したと主張している。2024年4月のBBCのインタビューでは、もし招集されれば祖国ウクライナのために戦う意欲があることを表明し、戦争で苦しむ人々を助けるために約100.00 万 GBPを寄付したことも明らかにした。
また、2023年10月には、イスラエル・ハマス紛争においてイスラエルへの支持を表明するInstagramのストーリーを投稿したが、ファンからの反発を受け削除する一幕もあった。
サッカー以外の活動としては、2023年にeスポーツ組織「Passion UA」を設立した。この組織は現在、『カウンターストライク2』、『Apex Legends』、『Dota 2』の競技シーンで活動している。2024年2月8日には、ヤラ・コンパス・スプリング2024コンテンダーズのブリード・eスポーツ戦で、自身のカウンターストライクチームのスタンドインとして出場したが、試合は1-2で敗れた。さらに、2024年11月24日には、Passion UAがアストラルリスを破り、パーフェクトワールド上海メジャー2024への出場権を獲得するという快挙を成し遂げた。
6. 獲得タイトル
ジンチェンコがクラブおよび個人で達成した主な優勝記録と受賞歴を以下に示す。
マンチェスター・シティFC
- プレミアリーグ: 4回
- 2017-18, 2018-19, 2020-21, 2021-22
- FAカップ: 1回
- 2018-19
- EFLカップ: 4回
- 2017-18, 2018-19, 2019-20, 2020-21
- FAコミュニティ・シールド: 1回
- 2019
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝: 1回
- 2020-21
アーセナルFC
- FAコミュニティ・シールド: 1回
- 2023
個人
- ウクライナ年間最優秀選手賞: 1回
- 2019
- United24 アンバサダー
7. キャリア統計
ジンチェンコのクラブおよび代表チームでの試合出場記録と得点記録を以下に詳細に提示する。
7.1. クラブ統計
クラブ | シーズン | リーグ戦 | 国内カップ (FAカップ, ロシア・カップ, KNVBカップを含む) | リーグカップ (EFLカップを含む) | 国際大会 (UEFAチャンピオンズリーグ, UEFAヨーロッパリーグを含む) | その他 (FAコミュニティ・シールドを含む) | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
ウファ | 2014-15 | 7 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 7 | 0 | ||||
2015-16 | 24 | 2 | 2 | 0 | - | - | - | 26 | 2 | |||||
通算 | 31 | 2 | 2 | 0 | - | - | - | 33 | 2 | |||||
マンチェスター・シティ | 2016-17 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||
2017-18 | 8 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | - | 14 | 0 | |||
2018-19 | 14 | 0 | 4 | 0 | 6 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 29 | 1 | ||
2019-20 | 19 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 25 | 1 | ||
2020-21 | 20 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 9 | 0 | - | 32 | 0 | |||
2021-22 | 15 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 28 | 0 | ||
通算 | 76 | 0 | 11 | 1 | 15 | 1 | 25 | 0 | 1 | 0 | 128 | 2 | ||
PSV (ローン) | 2016-17 | 12 | 0 | 1 | 0 | - | 4 | 0 | - | 17 | 0 | |||
ヨングPSV (ローン) | 2016-17 | 7 | 0 | - | - | - | - | 7 | 0 | |||||
アーセナル | 2022-23 | 27 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | - | 33 | 1 | ||
2023-24 | 27 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 35 | 1 | ||
2024-25 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | - | 15 | 0 | |||
通算 | 64 | 2 | 2 | 0 | 5 | 0 | 12 | 0 | 0 | 0 | 83 | 2 | ||
キャリア通算 | 190 | 4 | 16 | 1 | 20 | 1 | 41 | 0 | 1 | 0 | 268 | 6 |
7.2. 代表統計
代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
ウクライナ | 2015 | 1 | 0 |
2016 | 10 | 1 | |
2017 | 2 | 0 | |
2018 | 10 | 1 | |
2019 | 8 | 2 | |
2020 | 4 | 1 | |
2021 | 13 | 3 | |
2022 | 4 | 0 | |
2023 | 6 | 1 | |
2024 | 11 | 1 | |
通算 | 69 | 10 |
7.2.1. 代表チームでの得点記録
ウクライナの得点が最初に表示され、スコア欄はジンチェンコの各ゴール後のスコアを示す。
# | 日付 | 場所 | キャップ数 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2016年5月29日 | スタディオ・オリンピコ・グランデ・トリノ、トリノ、イタリア | 2 | ルーマニア | 2-1 | 4-3 | 親善試合 |
2 | 2018年9月6日 | ミェストスキー・フォトバロヴィー・スタディオン、ウヘルスケー・フラジシュチェ、チェコ | 18 | チェコ | 2-1 | 2-1 | UEFAネーションズリーグ2018-19 |
3 | 2019年9月7日 | LFFスタディオナス、ヴィリニュス、リトアニア | 28 | リトアニア | 1-0 | 3-0 | UEFA EURO 2020予選 |
4 | 2019年9月10日 | ドニプロ・アリーナ、ドニプロ、ウクライナ | 29 | ナイジェリア | 1-2 | 2-2 | 親善試合 |
5 | 2020年9月3日 | アリーナ・リヴィウ、リヴィウ、ウクライナ | 32 | スイス | 2-1 | 2-1 | UEFAネーションズリーグ2020-21 |
6 | 2021年6月7日 | メタリスト・スタジアム、ハルキウ、ウクライナ | 39 | キプロス | 2-0 | 4-0 | 親善試合 |
7 | 2021年6月29日 | ハムデン・パーク、グラスゴー、スコットランド | 43 | スウェーデン | 1-0 | 2-1 | UEFA EURO 2020 |
8 | 2021年11月16日 | ビリノ・ポリェ、ゼニツァ、ボスニア・ヘルツェゴビナ | 48 | ボスニア・ヘルツェゴビナ | 1-0 | 2-0 | 2022 FIFAワールドカップ予選 |
9 | 2023年9月9日 | ヴロツワフ市立競技場、ヴロツワフ、ポーランド | 54 | イングランド | 1-0 | 1-1 | UEFA EURO 2024予選 |
10 | 2024年11月19日 | アレーナ・コンベタレ、ティラナ、アルバニア | 69 | アルバニア | 1-0 | 2-1 | UEFAネーションズリーグ2024-25 |
8. エピソード
- 2017-18シーズンにマンチェスター・シティがプレミアリーグで優勝した際のセレモニー中、喜びのあまりトロフィーを落としてしまうハプニングがあった。この出来事は映像にも記録されており、彼の茶目っ気のある一面として知られている。
- マンチェスター・シティでのデビュー以降、ジンチェンコが出場したリーグ戦は23試合連続で勝利を収めていた。しかし、2019年8月17日のトッテナム・ホットスパー戦で初めて引き分けに終わり、デビューからの連勝記録は23で止まった。
- 2022年8月28日のフラムFC戦で、負傷によりベンチ外だったにもかかわらず、チームの劇的な逆転ゴールが決まった際、興奮のあまりユニフォーム姿でピッチに乱入して喜ぶ様子が目撃された。当初は部外者の乱入と見なされ警備員が止めようとしたが、ジンチェンコであることに気づくと困惑しながら見守るしかなかったという逸話がある。
- ジンチェンコは左利きであり、その左足から繰り出されるパスやシュートは彼の大きな武器となっている。
- 彼は若手時代からその才能を高く評価されており、PSVアイントホーフェンへのレンタル移籍時にも、当時テクニカルディレクターだったジョン・デ・ヨングは彼の獲得を強く推進していた。
- 2024年8月にアーセナルの背番号を35番から17番に変更した際、彼は17番が自身の若手時代に着用していた番号であり、代表チームでも常に希望していた特別な数字であると語った。この変更は、前任の17番であったセドリック・ソアレスの退団により空き番号となったことで、クラブに依頼して実現したものである。このエピソードは、彼が自身のルーツや縁を大切にする性格を示している。