1. 概要
ギジェルモ・レオン・バレンシア・ムニョス(Guillermo León Valencia Muñozギジェルモ・レオン・バレンシア・ムニョススペイン語、1909年4月27日 - 1971年11月4日)は、コロンビアの政治家、弁護士、外交官である。1962年から1966年まで、第21代コロンビア大統領を務めた。
彼はコロンビア保守党に所属し、その政治キャリアを通じて地方議会議員、国際連合外交官、スペイン駐在大使、そして外務大臣といった要職を歴任した。大統領在任中には、経済の安定と成長を目的とした通貨委員会の設立、電力生産の倍増、石油開発と原油輸出の促進といった経済政策を推進した。また、教育予算の増額や低所得者層向けの住宅建設プロジェクト「ケネディ市」の立ち上げなど、社会改革にも注力した。これらの政策は、コロンビアの社会発展と国民の生活改善に寄与した。彼の政権は、前任のアルベルト・ジェラス・カマルゴから引き継ぎ、後任のカルロス・ジェラス・レストレポへと引き継がれた。
2. 個人史
ギジェルモ・レオン・バレンシア・ムニョスは、コロンビアの著名な詩人であり政治家であったギジェルモ・バレンシアと、その妻ホセフィーナ・ムニョスの間に生まれた。
2.1. 出生と家族
バレンシアは1909年4月27日にカウカ県ポパヤンで生まれた。1931年1月31日に20歳の秘書であったスサナ・ロペス・ナビアと結婚し、ペドロ・フェリペ、アルマ、イグナシオ、ディアナの4人の子供をもうけた。
2.2. 学歴
彼はボゴタにあるコレヒオ・シャンパニャットで高校教育を受け、1946年12月に卒業した。
3. 政治経歴
バレンシアは、大統領就任以前に地方議会での活動から国際的な外交官としての役割、そして国内の要職である外務大臣に至るまで、多岐にわたる政治経験を積んだ。
3.1. 初期政治活動
バレンシアは、故郷であるポパヤンの市議会議員に選出され、その後カウカ県議会の議員も務めた。さらに、ボゴタ市議会議員にも選出され、地方政治において重要な役割を果たした。
3.2. 外交活動
彼はコロンビアの外交官として国際連合で活動し、その後ラウレアーノ・ゴメス・カストロ大統領によってスペイン駐在大使に任命され、1950年から1953年までその職を務めた。
3.3. 外務大臣
1949年、マリアーノ・オスピナ・ペレス大統領から外務大臣への就任を打診されたが、この時は辞退した。しかし、その4年後の1953年5月25日、彼は外務大臣の職を受諾し、ロベルト・ウルダネタ・アルベラエス政権の残りの期間、グスタボ・ロハス・ピニージャ将軍が政権を掌握するまでその職を務めた。
3.4. 1962年大統領選挙
グスタボ・ロハス・ピニージャ将軍を失脚させたクーデター後に権力を握った軍事評議会の暫定政府期間中、バレンシアは評議会の後継者として検討された。しかし、当時の政治勢力間の合意(独裁政権から民主的プロセスへの移行を目指すもの)により、コロンビア自由党のメンバーが軍事評議会の後継者となることが規定されていたため、バレンシアは次の選挙まで待たなければならなかった。
1962年、バレンシアはコロンビア保守党から大統領候補として指名され、コロンビア自由党のアルフォンソ・ロペス・ミチェルセンと対決した。この選挙でバレンシアは勝利を収め、大統領に就任した。選挙結果は以下の通りである。
選挙名 | 職責名 | 大数 | 政党 | 득표율 (得票率) | 득표수 (得票数) | 結果 | 当落 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1962年コロンビア大統領選挙 | コロンビア大統領 | 第21代 | コロンビア保守党 | 84.09% | 1,636,081票 | 1位 |
4. 大統領任期 (1962-1966)
バレンシア政権は、コロンビアの経済と社会構造に変革をもたらすための重要な政策を推進した。彼の施策は、経済の近代化と国民生活の質の向上を両立させることを目指していた。
4.1. 経済政策
経済面では、バレンシア政権は「通貨委員会」(Junta Monetaria)を設立し、国の金融政策を管理する上で重要な役割を担わせた。また、電力生産を倍増させることに成功し、国の産業基盤を強化した。さらに、石油開発と原油輸出を積極的に促進し、コロンビアの主要な輸出産業の一つとしての地位を確立した。これらの政策は、国の経済成長と国際競争力の向上に貢献した。
4.2. 社会政策
社会改革においては、教育分野への投資を大幅に増やし、国家予算における教育費を20%増額した。これは、国民の教育機会を拡大し、将来の社会発展の基盤を築くことを目的とした。また、アメリカ合衆国政府の支援のもと、低所得者層向けの住宅建設プロジェクト「ケネディ市」(Ciudad Kennedyシウダ・ケネディスペイン語)を立ち上げた。このプロジェクトでは、20万戸の低価格住宅が建設され、多くの市民に住居を提供し、社会的不平等の解消に貢献した。
5. 死去
ギジェルモ・レオン・バレンシア・ムニョスは、1971年11月4日にアメリカ合衆国ニューヨークで死去した。
6. 評価
ギジェルモ・レオン・バレンシア・ムニョスの生涯と業績は、コロンビアの政治と社会に多大な影響を与えたと評価されている。特に、彼の社会政策は、国民の生活向上と社会正義の実現に貢献した点で高く評価されている。
6.1. 業績と貢献
バレンシア大統領の最も顕著な業績の一つは、経済と社会の両面における改革へのコミットメントであった。経済政策では、通貨委員会の設立を通じて金融の安定を図り、電力生産の倍増や石油産業の振興によって国の経済基盤を強化した。これにより、コロンビアの経済成長に貢献し、国の近代化を推進した。
社会政策においては、教育予算の大幅な増額が特筆される。これは、国民全体の識字率向上と教育機会の均等化を目指すものであり、長期的な社会発展に不可欠な基盤を築いた。また、ケネディ市の建設は、低所得者層に住居を提供する画期的なプロジェクトであり、多くの人々の生活の質を向上させ、社会的不平等の緩和に貢献した。これらの社会改革は、コロンビアの社会福祉の向上に寄与した。