1. 概要
クリストバル・パラーロ・アギレラ(Cristóbal Parralo Aguileraスペイン語)は、スペイン・アンダルシア州プリエゴ・デ・コルドバ出身の元サッカー選手であり、現在はサッカー監督を務めている。現役時代は主に右サイドバックとしてプレーしたが、センターバックもこなすことができた。選手としては「クリストバル」(Cristóbalスペイン語)の愛称で知られていた。
FCバルセロナのカンテラ出身で、1987年にトップチームデビュー。その後、レアル・オビエド、CDログロニェス、RCDエスパニョール、パリ・サンジェルマンFCなどで活躍し、数々の国内タイトルや国際タイトルを獲得した。ラ・リーガでは通算454試合に出場した。また、サッカースペイン代表としても6キャップを記録している。
指導者としては、古巣RCDエスパニョールでのディレクター職やSLベンフィカでのアシスタントコーチを経て、2009年にSCRペーニャ・デポルティーバで監督としてのキャリアをスタートさせた。その後、ジローナFC、デポルティーボ・ラ・コルーニャなどスペインの様々なクラブで指揮を執り、特にラシン・フェロルでは2023年に15年ぶりのプロリーグ昇格を達成するなど、監督としてクラブに多大な貢献をした。
2. 選手経歴
クリストバル・パラーロ・アギレラは、キャリアを通じて主に右サイドバックとしてプレーし、堅実な守備と攻撃参加を特徴とした。彼はスペインの主要リーグで長年にわたり活躍し、多くのタイトルを獲得した。
2.1. 幼少期とユース時代
クリストバル・パラーロは1967年8月21日、スペインのアンダルシア州プリエゴ・デ・コルドバに生まれた。幼少期にCFダムのユースチームでサッカーを始め、その後、FCバルセロナのカンテラであるラ・マシアに加入し、サッカー教育を受けた。
2.2. クラブキャリア
クリストバルはFCバルセロナのユース出身で、1986年から1987年にかけてFCバルセロナBで41試合に出場した。
1987年にFCバルセロナのトップチームに昇格し、1987-88シーズンにプロデビューを果たした。デビューシーズンからレギュラーとして起用され、リーグ戦20試合に出場して2得点を記録。このシーズンにはコパ・デル・レイ優勝を果たし、プロキャリア初のタイトルを獲得した。
1988年にはレアル・オビエドに期限付き移籍し、28試合に出場して3得点を挙げた。1989年にはFCバルセロナを退団し、CDログロニェスへ移籍。ログロニェスでは2シーズンを過ごし、堅実なプレーを見せて72試合出場5得点を記録した。これらの活躍により、1991年にはFCバルセロナへ復帰することになった。
FCバルセロナでの2度目の在籍となった1991-92シーズンは、ヨハン・クライフ監督のもとでチームが黄金期を迎え、ラ・リーガ、UEFAチャンピオンズカップ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ、UEFAカップウィナーズカップの4冠を達成したが、クリストバルの出場機会はリーグ戦11試合にとどまった。
わずか1シーズンで再びFCバルセロナを退団すると、1992年からはレアル・オビエドに再加入し、1995年までの3シーズンで109試合に出場し2得点を記録した。
1995年、クリストバルはRCDエスパニョールへ移籍。エスパニョールでは2001年までの6シーズンにわたりプレーし、チームの中心選手として活躍した。この期間、彼はほとんどの試合に出場し、公式戦257試合に出場して4得点を挙げた。特にラ・リーガでは通算454試合に出場し、1999-2000シーズンには再びコパ・デル・レイの優勝を経験した。
2001年、34歳でフランスのパリ・サンジェルマンFCへ移籍。リーグ・アンで2シーズンにわたり安定したプレーを見せ、63試合に出場した。2001年にはUEFAインタートトカップで優勝、2002-03シーズンのクープ・ド・フランスでは準優勝を果たした。そして、2003年に現役を引退した。プロ選手としての通算出場試合数は558試合、総得点は14得点であった。
2.3. 代表キャリア
クリストバルは、スペインの世代別代表としても活躍した。1985年から1986年にかけてU-18スペイン代表で5試合に出場し、1985年から1990年までU-21スペイン代表で8試合に出場した。
1991年9月4日、オビエドで行われたウルグアイ代表との親善試合でスペインA代表としての初キャップを記録した。さらに、1993年2月24日に行われたリトアニア代表との1994 FIFAワールドカップ予選では、A代表初得点を挙げ、チームの5-0の勝利に貢献した。スペイン代表としては通算6キャップを記録している。
2.4. 選手統計
クリストバルのスペイン代表での得点記録は以下の通り。
# | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1993年2月24日 | スペイン セビリア エスタディオ・ベニート・ビジャマリン | リトアニア | 1-0 | 5-0 | 1994 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
3. 指導者経歴
クリストバル・パラーロは、現役引退後すぐに指導者の道に進み、スペインおよびポルトガルの複数のクラブで経験を積んだ。
3.1. コーチおよび初期の役割
現役引退後、クリストバルは古巣RCDエスパニョールで一時的にフットボールディレクターを務めた。その後、2008年にはキケ・サンチェス・フローレスのアシスタントコーチとしてポルトガルのSLベンフィカのコーチングスタッフに加わり、2008-09シーズンを過ごした。
3.2. クラブ監督キャリア
2009年2月、クリストバルはスペインに戻り、セグンダ・ディビシオンBに所属するSCRペーニャ・デポルティーバの監督に就任した。しかし、このシーズンはチームが降格するなど、厳しい結果に終わった。
2009年6月には、セグンダ・ディビシオンのジローナFCと1年契約を締結。しかし、9試合でわずか7ポイントしか獲得できず、チームが降格圏の19位に低迷したため、2009年10月26日に解任された。
2012年から2016年まで、彼は古巣のCFダムの監督を務めた。
2016年6月、デポルティーボ・ラ・コルーニャのBチームであるデポルティーボ・ファブリルの監督に就任。そして2017年10月24日、トップチームの監督だったペペ・メルが成績不振で解任されたことを受け、クリストバルはファブリルから暫定的にデポルティーボ・ラ・コルーニャのトップチーム監督に昇格した。しかし、指揮を執ったわずか3ヶ月後、直近3試合で14失点(レアル・マドリード戦での1-7敗戦やレアル・ソシエダ戦での0-5敗戦を含む)を喫するなど成績が低迷したため、2018年2月4日に解任された。
2018年6月19日、クリストバルは再びセグンダ・ディビシオンのADアルコルコンの監督に就任した。同年10月には契約を2019-20シーズン終了まで延長したが、2019年7月1日、契約満了の1年を待たずに解任され、フラン・フェルナンデスが後任に就いた。
2019年11月11日には、成績不振で解任されたイバン・アニアの後任として、セグンダ・ディビシオンのラシン・サンタンデールの監督に就任した。しかし、就任後11試合でわずか1勝しか挙げられず、チームはリーグ最下位に沈んだため、2020年2月4日に双方合意のもとで退任した。
2021年2月10日、クリストバルはラシン・フェロルの監督に就任した。彼はチームを率いて2022-23シーズンに15年ぶりのプロリーグ昇格を達成し、クラブに歴史的な成功をもたらした。2023-24シーズンではチームを10位に導き、契約を更新したが、2025年1月20日にチームがリーグ下位3位に沈んだことを受けて解任された。ラシン・フェロルでは通算164試合で指揮を執り、これはルイス・セサル・サンペドロの176試合に次ぐクラブ史上2番目の記録である。
3.3. 監督統計
クリストバル・パラーロの監督としての統計は以下の通り。
クラブ | 試合数 | 成績 | 得失点 | 勝率 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
勝利 | 引き分け | 敗北 | 得点 | 失点 | 得失点差 | ||||
SCRペーニャ・デポルティーバ | 14 | 3 | 3 | 8 | 12 | 22 | -10 | 21.43% | |
ジローナFC | 11 | 2 | 4 | 5 | 10 | 17 | -7 | 18.18% | |
CFダム | 118 | 68 | 23 | 27 | 217 | 117 | +100 | 57.63% | |
デポルティーボ・ファブリル | 50 | 34 | 8 | 8 | 98 | 36 | +62 | 68.00% | |
デポルティーボ・ラ・コルーニャ | 15 | 3 | 3 | 9 | 18 | 39 | -21 | 20.00% | |
ADアルコルコン | 44 | 15 | 10 | 19 | 37 | 43 | -6 | 34.09% | |
ラシン・サンタンデール | 12 | 1 | 6 | 5 | 10 | 14 | -4 | 8.33% | |
ラシン・フェロル | 164 | 73 | 45 | 46 | 198 | 163 | +35 | 44.51% | |
キャリア通算 | 428 | 199 | 102 | 127 | 600 | 451 | +149 | 46.49% |
4. タイトル
クリストバル・パラーロは選手キャリアにおいて、以下のタイトルを獲得している。
; FCバルセロナ
- ラ・リーガ : 1991-92
- コパ・デル・レイ : 1987-88
- ヨーロピアンカップ : 1991-92
- UEFAカップウィナーズカップ : 1988-89
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 1991
; RCDエスパニョール
- コパ・デル・レイ : 1999-2000
; パリ・サンジェルマンFC
- UEFAインタートトカップ : 2001
- クープ・ド・フランス準優勝 : 2002-03
5. 評価とレガシー
クリストバル・パラーロは、選手としては右サイドバックとして安定したパフォーマンスを長年にわたり維持し、スペインのトップリーグで通算454試合に出場するなど、そのキャリアは堅実そのものであった。FCバルセロナやRCDエスパニョールといった名門クラブで主要タイトル獲得に貢献し、その豊富な経験はチームにとって貴重なものであった。
指導者としては、キャリア初期は短期間での解任が続くなど苦しい時期も経験したが、ラシン・フェロルを率いて2023年に15年ぶりのプロリーグ昇格を達成したことは、彼の指導者としての能力とレガシーを示す最大の功績と言える。この昇格は、ラシン・フェロルのクラブ史においても重要な出来事であり、クリストバルはその「昇格の設計者」として高く評価されている。彼が残した試合数もクラブ史上2位を記録するなど、ラシン・フェロルでの実績は特に際立っている。指導者として、選手の育成からトップチームの指揮まで幅広い経験を持ち、チームを立て直す手腕を示した。