1. 幼少期と教育
ダルトンはネバダ州リノで生まれ育ち、スパニッシュ・スプリングス高校を卒業後、オクラホマ大学で体操競技に取り組み、NCAA奨学金を得てオールアメリカンに選ばれた。
1.1. 幼少期と家族
ジェイコブ・ウィリアム・ダルトンは、1991年8月19日にネバダ州リノでティムとデニス・ダルトンの間に生まれた。彼はネバダ州スパークスで育ち、スパニッシュ・スプリングス高校を卒業した。
1.2. 学歴と初期の訓練
ダルトンはジム・ネバダでワンダ・フレデリックスとアンドリュー・ピレッギの指導のもとで訓練を受けた。高校卒業後、2009年にオクラホマ大学からNCAA奨学金を得て、同大学の体操チームで競技に参加した。大学在学中、彼はオールアメリカンの栄誉に輝き、2011年にはNCAA男子体操競技のゆかと跳馬で優勝を果たした。オクラホマ大学では、ヘッドコーチのマーク・ウィリアムズ、アシスタントコーチのルスタム・シャリポフ、ダニエル・ファーニーの指導を受けた。ダルトンは身長1.68 mである。
2. 体操競技キャリア
ダルトンは国内選手権や世界選手権で数々のメダルを獲得し、2度のオリンピックに出場した後、競技生活から引退した。
2.1. 国内外の大会
ダルトンは2009年と2011年に全米選手権の跳馬で優勝し、2011年にはゆかでも優勝した。また、2011年のウィンターカップ・チャレンジでは個人総合で金メダルを獲得した。
2011年には日本東京で開催された世界体操競技選手権で、アメリカチームの一員として団体銅メダルを獲得した。2013年2月にはウィンターカップに出場し、ゆか、つり輪、個人総合で金メダルを獲得した。同年8月のP&G全米選手権では個人総合で銅メダルを獲得し、世界選手権のチームに選出された。その後の2013年世界体操競技選手権(アントワープ)では、日本の白井健三に次いでゆかで銀メダルを獲得した。2014年の世界体操競技選手権(南寧)では、団体と跳馬でそれぞれ銅メダルを獲得した。
太平洋選手権では、2012年エベレット大会で団体とゆかで金メダルを獲得し、2016年エベレット大会でも団体とゆかで金メダルを獲得した。パンアメリカン体操競技選手権では、2010年グアダラハラ大会で団体金メダルとゆか銅メダルを獲得した。
2015年には、小さな肩関節唇断裂からの回復中であったため、P&G全米選手権には出場しなかった。
2.2. オリンピック出場

2012年7月1日、ダルトンがロンドンオリンピックのアメリカ代表チームのメンバーになることが発表された。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、このチームが「1984年ロサンゼリンピック以来初めて金メダルを獲得しうるほど優れている」と報じた。ダルトンはアメリカ体操チームの一員として、ロンドンオリンピックの団体競技で5位に入賞した。

2016年6月25日、ダルトンは再びリオデジャネイロオリンピックのアメリカ男子体操チーム5名に選出された。彼はサム・ミクラック、ジョン・オロスコ(後に負傷によりダネル・レイバと交代)、アレックス・ナドア、クリス・ブルックスとともにアメリカ代表として出場した。ダルトンは、2016年のオリンピックテストイベントの跳馬で2位に入った。
2.3. 引退
2017年8月9日、ダルトンは競技体操からの引退を発表した。
3. 私生活とその他の活動
ダルトンはアディダスとのスポンサー契約や自身のアパレルブランド設立など、体操以外の活動も行った。
3.1. 私生活
2013年、ダルトンはアディダス・体操部門と複数年契約のスポンサー契約を結んだ。また、2012年にはスターズ・アンド・ストライプス・シカゴが運営する自身のアパレルブランド「メソモルフィック」を設立した。
4. 命名された技
ダルトンには平行棒に彼の名を冠した「ダルトン」という技が一つある。
4.1. 平行棒の技「ダルトン」
ダルトンには平行棒に彼の名を冠した技が一つある。
種目 | 名称 | 説明 | 難度 | 採点規定への追加時期 |
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平行棒 | ダルトン | 「後方転回1/2ひねり、屈身して宙づりになる」 | E, 0.5 | 2016年ニュースレター第30号。2015年FIG体操ワールドチャレンジカップドーハ大会で実施。 |