1. 概要
ルスタム・シャリポフ (Рустам Халімджанович Шаріповルスターム・ハリムジャーノヴィチ・シャリーポウウクライナ語、Рустам Халімджанович Шариповルスターム・ハリムジャーノヴィチ・シャリーポフロシア語) は、ウクライナの体操選手および指導者であり、オリンピックで複数回メダルを獲得した功績を持つ。1971年6月2日、タジク・ソビエト社会主義共和国のドゥシャンベで生まれ、幼少期にウクライナのハルキウへ移住し、体操を始めた。彼は1992年のバルセロナオリンピックでは統一チームの一員として団体総合で金メダルを獲得し、1996年のアトランタオリンピックではウクライナ代表として平行棒で金メダル、団体総合で銅メダルを獲得した。競技引退後はアメリカ合衆国で体操指導者として活動し、オクラホマ大学やオハイオ州立大学でコーチおよび監督を務めている。その功績が認められ、2024年には国際体操殿堂に殿堂入りした。
2. 幼少期と背景
ルスタム・シャリポフは1971年6月2日に、当時ソビエト連邦のタジク・ソビエト社会主義共和国の首都であったドゥシャンベで誕生した。幼少期に体操を始めるにあたり、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のハルキウ(当時ハルコフ)へ移住し、現地のスポーツクラブであるディナモ・ハルキウに入団して初期の訓練を受けた。
3. 競技体操選手としてのキャリア
ルスタム・シャリポフは、ソビエト連邦時代からウクライナ代表時代にかけて、数々の国際大会で輝かしい成績を収めた。
3.1. 初期キャリアとソビエト連邦代表時代
シャリポフは1988年にソビエト連邦のジュニア国家代表に選出され、その後1990年にはシニア国家代表に昇格した。1990年1月にはアメリカ合衆国のソルトレイクシティで開催されたUSオリンピックカップで個人総合優勝を果たした。翌1991年にはドイツのシュトゥットガルトで行われたDTBカップで個人総合2位に入賞している。
3.2. 独立国家共同体(統一チーム)時代 (1992)
ソビエト連邦の解体後、シャリポフは自身が居住していたウクライナの国籍を選択した。1992年には、ソビエト連邦を構成していた国々出身の選手たちと共に統一チームの一員として国際大会に参加した。同年5月にハンガリーのブダペストで開催された1992年ヨーロッパ体操競技選手権では、平行棒で銀メダルを獲得し、さらに鉄棒ではドイツのアンドレアス・ベッカーと並んで金メダルに輝いた。また、同年8月にスペインのバルセロナで開催された1992年バルセロナオリンピックに統一チームの一員として出場し、団体総合で金メダルを獲得する栄誉に浴した。同年11月には日本の東京で開催された東京体操カップで優勝した。
3.3. ウクライナ代表時代 (1993-1996)
1993年からはウクライナの正式な国家代表選手として活動を開始した。同年6月にベルギーのブリュッセルで開催されたヨーロッパカップでは、ロシアのドミトリー・カルバネンコとドミトリー・バシレンコに次いで個人総合で銅メダルを獲得した。同年11月にはオーストラリアのシドニーで開催されたニコン国際体操大会で個人総合優勝を果たした。
1994年4月、オーストラリアのブリスベンで開催された1994年世界体操競技選手権の平行棒種目で、中国の黄力平に次ぐ銀メダルを獲得した。同年7月にはチェコのプラハで開催された1994年ヨーロッパ体操競技選手権の平行棒で、ロシアのアレクセイ・ネモフと並んで共同優勝を果たした。同年11月、ドイツのドルトムントで開催されたヨーロッパ選手権の団体総合では、中国とロシアのチームに次いでウクライナチームの銅メダル獲得に貢献した。
1995年3月にはドイツのコットブスで開催されたコットブスカップと、フランスのパリで開催されたフランス国際体操大会の平行棒部門で優勝を飾った。同年6月にはイタリアのローマで開催されたヨーロッパカップで平行棒と鉄棒の両方で金メダルを獲得した。同年10月に日本の鯖江で開催された1995年世界体操競技選手権では、平行棒種目でベラルーシのビタリー・シェルボ、中国の黄力平、そして日本の田中光に惜敗し4位となった。また、団体総合では5位、個人総合では17位を記録した。
1996年3月、フランスのパリで開催されたフランス国際体操大会で平行棒の銀メダルを獲得した。その後、同年5月にデンマークのコペンハーゲンで開催された1996年ヨーロッパ体操競技選手権では、ロシアチームに次いで団体総合で銀メダルを獲得し、平行棒ではベラルーシのシェルボと並んで共同金メダルに輝いた。
3.4. 1996年アトランタオリンピック
1996年7月、アメリカ合衆国のアトランタで開催された1996年アトランタオリンピックにおいて、ルスタム・シャリポフはキャリアの頂点を極めた。平行棒種目では9.837点を獲得し、アメリカ合衆国のジェイアー・リンチやベラルーシのビタリー・シェルボを抑えて金メダルを獲得した。また、団体総合ではイホール・コロブチンスキー、オレフ・コシャク、フリホリー・ミシュティン、ウォロディミル・シャメンコ、オレクサンドル・スヴィトリーチヌイ、ユーリー・イェルマコウらとともに、ロシアと中国のチームに次いで銅メダルを獲得し、2大会連続でのオリンピックメダル獲得を果たした。

4. コーチとしてのキャリア
競技選手を引退後、ルスタム・シャリポフは2000年にアメリカ合衆国へ渡り、体操指導者としてのキャリアをスタートさせた。2005年にはオクラホマ大学の男子体操チームのアシスタントコーチに就任した。その後、2011年5月にはオハイオ州立大学の体操チームのヘッドコーチ(監督)に就任し、現在に至るまで同大学のチームを率いている。
5. 功績と評価
ルスタム・シャリポフの体操界への貢献と彼の偉業は高く評価されている。2024年には、カーリー・パターソン、ジュリアンヌ・マクナマラ、ヨーゼフ・シュタルダーと共に国際体操殿堂に殿堂入りを果たした。これは彼の選手としての輝かしいキャリアと、体操競技への長期にわたる貢献が認められたものである。
6. 外部リンク
- (英語) [https://www.gymnastics.sport/site/athletes/bio_detail.php?id=153&type=licence ルスタム・シャリポフ] - 国際体操連盟
- (英語) [https://www.olympedia.org/athletes/31233 ルスタム・シャリポフ] - Olympedia
- (英語) [https://web.archive.org/web/20171101000000/http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/sh/rustam-sharipov-1.html ルスタム・シャリポフ] - Sports Reference
- (英語) [https://web.archive.org/web/20081226013216/http://www.gymnastike.org/videos/coverage/view_video/234156/78021-rustam-sharipov-double-olympic-gold-medalist Rustam Sharipov videos on Gymnastike.org]