1. 初期生い立ちと軍歴
1.1. 幼少期と教育
スナイは1899年、オスマン帝国のトラブゾン県チャイカラ近郊のアタキョイ村で生まれた。エルズルムとエディルネで小学校と中学校に通った後、イスタンブールのクレリ陸軍士官学校を卒業した。1927年に軍事教育を修了し、1930年には陸軍大学を卒業して参謀将校となった。
1.2. 軍務経歴
スナイは軍人として、まず第一次世界大戦に1917年から尉官として従軍し、パレスチナ戦線で戦った。1918年にはイギリス軍の捕虜となり、エジプトの捕虜収容所に収容された。釈放後、トルコ独立戦争に身を投じ、当初は南部戦線でフランス軍と、次いで西部戦線でギリシア軍と戦った。
戦後は順調に昇進を重ね、1949年に将官、1959年には四つ星将軍(大将)に昇り詰めた。彼はトルコ陸軍総司令官や参謀総長など、トルコ軍の重要な要職を歴任した。1960年には陸軍総司令官に就任し、その後、参謀総長を務めた。
2. 政治経歴
2.1. 上院議員
1966年3月14日、当時の大統領ジェマル・ギュルセルの指名により、ジェヴデト・スナイは上院議員に任命された。これは、彼の政治的キャリアへの大きな転換点となった。
2.2. 大統領在任
ジェマル・ギュルセル大統領が健康上の理由で職務遂行不能となり任期が終了すると、ジェヴデト・スナイはトルコ大国民議会により1966年3月28日、トルコ共和国第5代大統領に選出された。

彼の大統領在任期間は、トルコ国内の政治的不安定化が顕著な時代であった。左右の政治対立が激化し、労働運動や学生運動、政治テロが頻発した。このような混乱の中、彼は増大するテロ活動、学生暴動、そしてクーデターの脅威にもかかわらず、その職務を維持した。
1971年には、軍部が政治に介入し、当時の公正党(Adalet Partisi, AP)のスュレイマン・デミレル政権が退陣に追い込まれる事態が発生するなど、政情は極めて不安定であった。この時期、スュレイマン・デミレル、ニハト・エリム、フェリト・メレンらがスナイ政権の主要な閣僚を務めた。
スナイは憲法で定められた7年間の任期を全うし、1973年3月28日に大統領を退任した。退任後、彼は永世上院議員となった。
3. 私生活
スナイは1929年にアトゥフェットと結婚した。夫妻の間には、アティッラ、アイセル、アルグンの3人の息子がいた。

4. 死去
ジェヴデト・スナイは1982年5月22日、イスタンブールで心臓発作により死去した。彼の遺体は1988年8月、新たに建設されたトルコ国家墓地があるアンカラの永眠の地に改葬された。
5. 勲章・栄典
ジェヴデト・スナイには、国内外から多くの勲章や栄典が授与された。
- 国内勲章
- 赤リボン付独立勲章受章者
- 国外勲章
- イラン帝国 2500年建国記念章(1971年10月14日)
- フィンランド白薔薇勲章頸飾付大十字章(1971年)
- バス勲章ナイトコマンダー章 [KCB]