1. Early Life and Background
ジョン・ハイデンライクは1969年6月28日にアメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズで生まれた。プロレスラーとしてのキャリアを築く以前は、アメリカンフットボール選手として活動していた。
1.1. Childhood and Education
ハイデンライクはノースイースト・ルイジアナ大学(現在のルイジアナ大学モンロー校)でフットボールを経験した。彼の幼少期については、後にWWEでのギミック「リトル・ジョニー」の着想源となる、慈善病院で生まれたことへの怒りを抱える「内なる子供」として、人形と話していた経験が語られている。
2. American Football Career
ハイデンライクはプロレスラーに転向する以前、アメリカンフットボール選手として活動した。
1992年シーズン前には、当時のスーパーボウル王者であるワシントン・レッドスキンズ(現ワシントン・コマンダース)のトレーニングキャンプに、ドラフト外のルーキーオフェンシブタックルとして招待されたが、同年7月27日にヘッドコーチのジョー・ギブスによる最初のロースターカットで放出された。
1993年7月、トレーニングキャンプ開始の1週間前にはニューオーリンズ・セインツと契約。キャンプ初日にはチームメイトのリック・ドリーと乱闘騒ぎを起こし、午後にはレナルド・ターンブルを背後から掴んで地面に投げ倒すなど、複数の小競り合いに関与した。同年8月24日、最終ロースターカットでセインツからも放出された。
1994年7月には、アトランタ・ファルコンズのトレーニングキャンプに招待された。この時期、彼は後にWWEで活躍するビル・ゴールドバーグ(当時ファルコンズのディフェンシブタックル)と練習で対峙することが多かった。しかし、同年8月23日の最終ロースターカットでファルコンズからも放出され、NFLの最終ロースターに残ることはできなかった。
NFLでのキャリアが叶わなかった後、ハイデンライクはカナディアン・フットボール・リーグ(CFL)のシュリーブポート・パイレーツで、1994年から1995年の2シーズンにわたりオフェンスラインマンとしてプレイした。その後、1996年にはアリーナフットボールリーグ(AFL)のテキサス・テラー、1997年にはNFLヨーロッパのフランクフルト・ギャラクシーに在籍した。
3. Professional Wrestling Career
ハイデンライクはアメリカンフットボール選手としてのキャリアを終えた後、プロレスラーへと転身し、様々な団体で活動した。
3.1. Early Career and Training
プロレスラーとしてのトレーニングは、カリフォルニア州を拠点とするアルティメット・プロ・レスリング(UPW)で開始された。トム・ハワード、ナイトメア・ダニー・デイビス、ニック・ディンスモアらから指導を受けた。2001年には、その才能がブルース・プリチャードの目に留まり、ワールド・レスリング・フェデレーション(WWF、現WWE)と最初の育成契約を結んだ。同年12月18日の『Sunday Night Heat』のダークマッチではペリー・サターンに敗れている。しかし、この契約期間中にはWWEのテレビ番組に登場することはなく、オハイオ・バレー・レスリング(OVW)などの育成団体で活動した後にWWFから一度解雇された。
WWFを離れた後、ハイデンライクは日本に活動拠点を移し、プロレスリングZERO-ONEに参戦した。この時期のリングネームは「ジョン・ヘンデンリッチ」と表記された。ZERO-ONEではネイサン・ジョーンズとタッグチームを結成し、NWAインターコンチネンタルタッグ王座を獲得するなど活躍。日本での活動がWWEのスカウト陣に再び注目され、2003年にWWEと再契約することとなった。
3.2. WWE Career

ハイデンライクは2003年にWWEと再契約し、同年から2006年にかけてWWEの主要な番組で活動した。
3.2.1. Debut and Gimmick Changes
2003年9月29日の『Raw』で、本名であるジョン・ハイデンライク名義で正式にデビューした。当初は「リトル・ジョニー」という、彼を「コントロールする」存在がいるというギミックで登場し、10月27日の『Raw』ではザ・ハリケーンと組んでラ・レジスタンスを破り、11月3日にはトリッシュ・ストラタスと組んでビクトリアとスティービー・リチャーズを破るなど、デビュー当初は無敗を誇った。しかし、12月14日の『Sunday Night Heat』でリコに敗れ、連勝記録は途絶えた。2004年2月8日の『Heat』ではロブ・ヴァン・ダムにも敗れ、同年5月頃にはWWEのテレビ番組から姿を消した。
後にハイデンライクは、この「リトル・ジョニー」が、慈善病院で生まれたことへの怒りを抱える彼自身の「内なる子供」を象徴する小さな人形であったと明かしている。このギミックは、彼が幼少期に人形と話していた実体験に基づいて考案されたものであった。
2004年には、元WWEライターのダン・マディガンが、ハイデンライクをナチス・ドイツの突撃隊員「バロン・フォン・バーバ」として復帰させるという衝撃的なアイデアをビンス・マクマホンに直接提案していたことが明らかになった。このギミックでは、ハイデンライクが鉤十字の腕章を着用し、ポール・ヘイマン(ホロコースト生存者の息子であるユダヤ人)が彼を管理するという内容で、マクマホンが言葉を失い、その日の会議室に戻らなかったほどであったという。この提案は、マディガンが同年後半にWWEを去るきっかけとなった。

2004年8月26日の『SmackDown!』で、ハイデンライクはポール・ヘイマンをマネージャーに従え、狂人ヒールの「ハイデンライク」として再デビューした。この新しいギミックでは、試合中に乱入して観客を襲撃したり、「ディザスターピース」と称する憎悪に満ちた詩を朗読したりするサイコパスとして描かれた。9月16日の『SmackDown!』では、解説者のマイケル・コールを襲撃し、無理やり詩を読み聞かせた。ハイデンライクは2008年のインタビューで、このコールを脅かすアングルはマクマホンのアイデアであり、『パルプ・フィクション』から着想を得たと語っている。
3.2.2. Major Feuds and Storylines
ハイデンライクの最初の抗争はジ・アンダーテイカーとの間で始まった。これは、2004年の『ノー・マーシー』で、JBLとアンダーテイカーのWWE王座戦にハイデンライクが乱入したことがきっかけであった。アンダーテイカーは翌月の『サバイバー・シリーズ』でハイデンライクを破ったが、12月の『アルマゲドン』では、メインイベントのフェイタル・フォー・ウェイ・マッチに2度も介入し、アンダーテイカーのWWE王座獲得を阻止した。12月23日の『WWEトリビュート・トゥ・ザ・トゥループス』では、アンダーテイカーにカウントアウトで敗れた。2005年1月6日の『SmackDown!』では、ハイデンライクとヘイマンがアンダーテイカーとの2対1のハンディキャップマッチで敗れ、ヘイマンはアンダーテイカーによって棺桶に入れられ、テレビから姿を消した。
1月30日の『ロイヤルランブル』では、アンダーテイカーとキャスケット・マッチ(棺桶デスマッチ)で対戦。試合中盤、Rawブランドのジーン・スニツキーがハイデンライクを援護するために介入したが、棺桶の中にはケインが隠れており、ケインはスニツキーとハイデンライクの両方を襲撃した。彼らは観客席で乱闘を続け、その間にハイデンライクは試合に敗れた。この出来事は、当初『レッスルマニア21』でアンダーテイカーとケインが組んでスニツキーとハイデンライクと対戦するという計画に繋がるはずであったが、このアイデアは後に中止され、アンダーテイカーはランディ・オートンと対戦し、ケインはマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに組み込まれた。この4人による抗争は、2月6日のハウス・ショーでアンダーテイカーとケインが勝利を収める形で終結した。
『ノー・ウェイ・アウト』では、ブッカー・Tにスチール・チェアで攻撃したため反則負けとなった。3月3日の『SmackDown!』でのブッカー・Tとの再戦では、ブッカー・TがチェアにDDTを仕掛けたため、ハイデンライクの反則勝ちとなった。3月10日の『SmackDown!』では、ノーDQマッチで再びブッカー・Tと対戦し、ブッカー・Tがハイデンライクを決定的に破った。3月17日の『SmackDown!』で、ハイデンライクはブッカー・Tに詩を読み上げ、彼が「本当の」ハイデンライクを見せるきっかけを与えてくれたことに感謝を述べ、この過程でベビーフェイスに転向した。ハイデンライクは『レッスルマニア21』の30人バトルロイヤルにも参加したが、これはブッカー・Tが勝利した。
彼の「ディザスターピース」はより陽気な内容になり、観客から喝采を浴びるようになった。その後、ハイデンライクは『SmackDown!』で、観客と「友達になる」セグメントを与えられ、彼らに詩を読み聞かせ、試合中に自分のコーナーに立ってもらうようになった。また、オーランド・ジョーダンとの短い抗争も行い、『ジャッジメント・デイ』でWWEユナイテッドステイツ王座に挑戦したが、獲得には至らなかった。
3.2.3. Tag Team Activities and Championship
2005年6月16日の『SmackDown!』で、MNM(メリーナ、ジョニー・ナイトロ、ジョーイ・マーキュリー)に襲撃されたことから、彼らとの抗争が始まった。7月14日の『SmackDown!』では、ロード・ウォリアー・アニマルがハイデンライクを助けに現れた。アニマルとハイデンライクは『ザ・グレート・アメリカン・バッシュ』でMNMに挑戦し、WWEタッグチーム王座を獲得した。
7月28日の『SmackDown!』では、アニマルの要請により、ハイデンライクはしぶしぶ髪をモヒカン刈りにした。アニマルが「ロード・ウォリアー・ホークの代わり」を探しているのではなく、単に才能あるパートナーを求めていると説得した後、アニマルはハイデンライクにフェイスペイントを施すよう促し、8月18日の『SmackDown!』で、彼はリージョン・オブ・ドゥームの「正式な」メンバーとなり、ロード・ウォリアーのスパイクが贈呈された。10月28日の『SmackDown!』では、ザ・メキシクールズ、ウィリアム・リーガル、ポール・バーチルも加わった試合で、ロード・ウォリアーズはWWEタッグチーム王座をMNMに奪還された。ハイデンライクのWWEでの最後の試合は、12月30日の『Velocity』で、アニマルと組んでヌンジオとビトーを破った試合であった。
3.2.4. Departure from WWE
2005年末から病気欠場していたハイデンライクに対し、WWEは2006年1月17日に契約解除を発表した。これは、WWE側からの復帰日程提案が物別れに終わったためであるとされている。
3.3. Post-WWE and Independent Circuit Activities
WWEを退団した後、ハイデンライクはプエルトリコの団体であるワールド・レスリング・カウンシル(WWC)に参戦した。2006年10月28日にはアバッドを破り、WWCの最高タイトルであるWWCユニバーサルヘビー級王座を獲得した。2ヶ月後の12月16日にはカリートにタイトルを奪われたが、カリートがWWEとの契約上の都合でタイトルを返上したため、同日中に再び王座がハイデンライクに戻された。しかし、2007年1月6日にカリートの弟であるエディ・コロンに敗れ、2度目の王座を明け渡した。
その後、ハイデンライクはルイジアナ州を拠点とするオール・アメリカン・レスリング(AAW)に参戦し、2007年5月19日にJ.T.ラモッタを破ってデビューした。2008年5月18日にはロドニー・マックと組んでAAWタッグチーム王座を獲得したが、元のタイトルマッチでの介入のためすぐに王座は空位となった。12月14日には、当時の王者であったジ・エンジェル・オブ・シンとハニエルを含むスリーウェイマッチ形式の「ルーザー・リーブスAAWマッチ」でAAWヘビー級王座を獲得した。
このAAWヘビー級王座獲得後、ハイデンライクは一時的にプロレスから引退した。しかし、2016年にはいくつかの試合に出場し、6月11日にはニューヨークを拠点とするウォリアーズ・オブ・レスリングでジュバと対戦し、両者反則に終わった。また、2016年5月にはゴールデン・コーラルの駐車場で行われたイベントでドインク・ザ・クラウンの物真似師と対戦するという奇妙な出来事も報じられた。
2017年11月12日には、302レスリング・ヘビー級王座を獲得したが、このタイトルは彼の勝利後すぐに廃止された。この他にも、Nu-wrestling Evolution(NWE)やAmerican Wrestling Rampage(AWR)などのインディー団体に参戦し、短期間で多くのタイトルを獲得した。
2009年11月には、ハルク・ホーガンがオーストラリアで開催した「ハルカマニア」イベントに参戦し、21日にブルータス・ビーフケーキ、26日にピンプ・ファーザーと対戦したが、いずれも敗れた。
4. Wrestling Style and Moves
ジョン・ハイデンライクがプロレスラーとして使用した代表的な技を以下に示す。
- フィニッシュ・ムーブ
- スクラップバスター(Swinging side slam英語)
- リバース・ショルダーバスター(Inverted shoulderbreaker英語)
- カナディアン・バックブリーカーの要領で相手を抱え上げ、一歩前に踏み出すようにして立てた膝の上に相手の肩を叩きつける技。
- コブラクラッチ
- シグネチャー・ムーブ
- ドゥームズデイ・デバイス
- 新生リージョン・オブ・ドゥーム時代にロード・ウォリアー・アニマルとの合体技として使用。
- ビッグブーツ
- ボディスラム
- カタパルト・バックブリーカー
- チョークスラム
- クローズライン
- エレクトリック・チェア・ドロップ
- ミリタリープレスからのスラム
- ランニング・パワースラム
- スピニング・バック・スープレックス
- マネージャー
- クリスティ・ヘミー
- ミシェル・マクール
- ポール・ヘイマン
- 入場曲
- 「Dangerous Politics」(ジム・ジョンストン作曲、WWEでの2003年 - 2005年)
- 「LOD 2000」(ジム・ジョンストン作曲、WWEでの2005年 - 2006年、リージョン・オブ・ドゥームの一員として使用)
- ドゥームズデイ・デバイス
5. Personal Life
ハイデンライクはマリッサ・ハイデンライクと結婚しており、2人の間には1人の息子がいる。
2005年には、彼の自宅がハリケーン・カトリーナによって被害を受けた。2017年には、額から嚢胞を除去する手術を受けた。
2016年7月、ハイデンライクはWWEに対して提起された集団訴訟の一員として名を連ねた。この訴訟は、レスラーがWWE在籍中に外傷性脳損傷を負ったこと、そして会社がその負傷のリスクを隠蔽したと主張するものであった。この訴訟はコンスタンティン・カイロス弁護士によって提起されたが、2018年9月にアメリカ地方裁判所のヴァネッサ・リン・ブライアント判事によって棄却された。
6. Other Media Appearances
プロレスリング以外の分野では、ハイデンライクはレスリングを題材とした映画『Bloodstained Memoirs英語』に出演した。また、ビデオゲーム『WWE Day of Reckoning 2』および『WWE SmackDown! vs. Raw 2006』ではプレイアブルキャラクターとして登場している。
7. Championships and Accomplishments
ジョン・ハイデンライクはプロレスラーとしてのキャリアを通じて、以下のチャンピオンシップおよびその他の主要な業績を獲得した。
団体名 | 獲得タイトル | 獲得回数 | 備考 |
---|---|---|---|
302 Wrestling | 302ヘビー級王座 | 1回 | 獲得後すぐに王座廃止 |
All American Wrestling (Louisiana) | AAWヘビー級王座 | 1回 | |
All American Wrestling (Louisiana) | AAWタッグ王座 | 1回 | パートナーはロドニー・マック |
American Wrestling Rampage | AWRノーリミット王座 | 1回 | |
Bluegrass Championship Wrestling | BCW世界ヘビー級王座 | 1回 | |
No Limit Wrestling | NLWヘビー級王座 | 1回 | |
Over The Top Wrestling | OTTノーリミット王座 | 1回 | |
Pro Wrestling ZERO1-MAX | NWAインターコンチネンタルタッグ王座 | 1回 | パートナーはネイサン・ジョーンズ |
NWA | NWA中部フロリダヘビー級王座 | 1回 | |
Texas Wrestling Alliance | TWAタッグ王座 | 1回 | パートナーはバスタ |
World Wrestling Council | WWCユニバーサルヘビー級王座 | 2回 | |
World Wrestling Entertainment | WWEタッグチーム王座 | 1回 | パートナーはロード・ウォリアー・アニマル |