1. 生涯と教育
デビッド・ロスは、野球選手として成功を収める前に、ジョージア州ベインブリッジで生まれ、フロリダ州タラハシーで育ちました。彼の家族はスポーツに深く関わっており、彼自身の野球への情熱を育む土壌となりました。
1.1. 幼少期と学業
ロスは1977年にジョージア州ベインブリッジで生まれましたが、フロリダ州タラハシーで育ちました。彼の父親であるデビッド・ロス・シニアは男子ソフトボールリーグでプレーし、母親のジャッキーはバスケットボール選手でした。また、彼には大学でフットボール選手だった2人の叔父がおり、5人兄弟の1人でした。
彼はタラハシーにあるフロリダ州立大学の付属学校であるフロリダ・ハイ・スクールに通い、フロリダ・ハイ・スクール・デーモンズで高校野球をプレーしました。この時期に、彼は将来のプロ野球選手としての基礎を築きました。
1.2. 大学野球キャリア
高校卒業後、ロスはオーバーン大学からスポーツ奨学金を得て、1996年から1997年までオーバーン・タイガース野球チームでプレーしました。1996年にはケープコッド野球リーグのブリュースター・ホワイトキャップスで大学夏季野球に参加しました。彼の大学キャリアにおける決定的な瞬間は、1997年のNCAAディビジョンI野球トーナメントの東地区準決勝で訪れました。彼はフロリダ州立大学を相手にサヨナラ3点本塁打を放ち、地区決勝に進出しました。オーバーン・タイガースはカレッジ・ワールドシリーズに進みましたが、2回戦でスタンフォード大学に敗れました。
1997年シーズン後、彼はフロリダ大学に編入し、1998年にはフロリダ・ゲイターズ野球チームでさらに1シーズンプレーしました。この年、彼は63試合に出場し、打率.332、19本塁打、69打点を記録し、チームのカレッジ・ワールドシリーズ進出に貢献しました。この時のチームメイトにはジョシュ・フォッグ、ブラッド・ウィルカーソン、マーク・エリスらがいました。ロスは、1997年にタイガース、1998年にゲイターズでカレッジ・ワールドシリーズに出場した数少ない選手の一人です。フロリダ大学でのジュニアシーズン後、ロサンゼルス・ドジャースからドラフト指名を受けたため、NCAAでの最終シーズンの出場資格を放棄しました。
2. 選手経歴
デビッド・ロスは、1995年のMLBドラフトでロサンゼルス・ドジャースから指名された後、大学での経験を経て、1998年に再びドジャースから指名され、プロとしてのキャリアを開始しました。彼は15シーズンにわたりメジャーリーグでプレーし、複数の球団を渡り歩きながら、その堅実な守備と勝負強い打撃でチームに貢献しました。
2.1. ドラフトとマイナーリーグ
ロスは高校卒業時の1995年のMLBドラフト19巡目(全体527位)でロサンゼルス・ドジャースから指名されましたが、契約せずにオーバーン大学へ進学しました。大学での活躍後、1998年のMLBドラフト7巡目(全体216位)で再びドジャースから指名され、契約を結びプロとしてのキャリアをスタートさせました。
プロ入り後、彼はドジャース傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレーし、計92試合に出場して打率.297、15本塁打、68打点を記録するなど、打撃面で好成績を残しました。
2.2. ロサンゼルス・ドジャース
ロスは2002年6月29日にメジャーデビューを果たし、ピンチヒッターとして出場しましたが三振に終わりました。その後、わずか3試合の出場にとどまり、控え捕手のチャド・クルーターが故障者リストから復帰したのと同時に、AAA級ラスベガスへ降格となりました。しかし、9月1日のセプテンバー・コールアップで再昇格を果たします。
2002年9月2日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦では、ドジャースが18対0と大量リードした9回に、敗戦処理として登板した一塁手マーク・グレースからメジャー初本塁打を放ち、19対1の勝利に貢献しました。これは野手からの本塁打という珍しい記録となりました。彼のドジャースでのキャリアは、ポール・ロデューカが正捕手だったことや、ブレント・メイン、コイ・ヒル、トッド・ハンドリーといった他の捕手との競争により、出場機会が限られました。彼は2004年までドジャースに在籍しました。
2.3. ピッツバーグ・パイレーツ / サンディエゴ・パドレス
2005年3月30日、ドジャースはロスの契約をピッツバーグ・パイレーツに売却しました。パイレーツでは40試合に出場しましたが、ウンベルト・コタやライアン・ドゥーミットに次ぐ3番手捕手であり、出場機会は限られていました。
同年7月28日にはJ.J.ファーマニアックとのトレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍しました。しかし、パドレスにはラモン・ヘルナンデスらがいたため、さらに出場機会が減り、11試合の出場にとどまりました。
2.4. シンシナティ・レッズ

2006年3月21日、パドレスはロスをシンシナティ・レッズにトレードし、彼はレッズの正捕手となりました。2006年1月15日には、レッズと2年総額454.00 万 USDの契約を結びました。
レッズでは、主に右腕ブロンソン・アローヨの「専属捕手」として起用されました。レッズファンからは、彼の優れた打撃成績から、正捕手にふさわしいとの声も上がりました。2006年は開幕から好調で、8月上旬までは打率3割を超え、本拠地である打者有利のグレート・アメリカン・ボール・パークを活かし、わずか247打席で21本塁打を放つなど、持ち前のパンチ力を発揮しました。
2006年11月20日、レッズはジェイソン・ラリューをカンザスシティ・ロイヤルズにトレードし、ロスはさらに重要な役割を担うことになりました。しかし、2007年は開幕から不調に陥り、シーズンを通して打率2割前後を推移しました。同年8月13日のパドレス戦では、本塁でのクロスプレーでマイク・キャメロンと衝突し、脳震盪を起こして故障者リスト入りしましたが、最短の15日で復帰しました。このシーズンは打率.203、17本塁打で終えました。2008年も打率.231、3本塁打と不振が続き、同年8月10日にDFAとなり、18日に放出されました。
2.5. ボストン・レッドソックス(第1期)
シンシナティ・レッズを放出された後、ロスは2008年8月22日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結びました。その後、8月29日にメジャー昇格を果たしました。このシーズン終了後の10月30日にはフリーエージェントとなりました。
2.6. アトランタ・ブレーブス

2008年12月5日、ロスはアトランタ・ブレーブスと2年総額300.00 万 USDの契約(出来高最大330.00 万 USD)で合意しました。
ブレーブスでは、主にブライアン・マッキャンの控え捕手として4シーズンを過ごしました。2009年には54試合に出場し打率.273を記録しました。2010年7月27日には2012年シーズンまでの2年間の契約延長に合意しました。2010年には59試合で打率.289を記録し、キャリアハイの打撃成績を残しました。
2011年シーズンは、開幕から7試合の先発出場で打率.333、3本塁打と好調なスタートを切りました。ロスは以前から守備力の高い捕手として知られており、2009年には52試合でわずか1失策しか記録していません。2012年には、新しく導入されたワイルドカードゲームで史上初の本塁打を放ちました。彼は2012年10月29日にフリーエージェントとなりました。
2.7. ボストン・レッドソックス(第2期)

2012年11月10日、ロスはボストン・レッドソックスと2年総額620.00 万 USDで契約に合意し、ジャロッド・サルタラマッキアの「控え以上、正捕手未満」の役割でレッドソックスに復帰しました。
2013年シーズン中、ロスは2度の脳震盪に見舞われ、合計2ヶ月以上を故障者リストで過ごしました。5月11日のトロント・ブルージェイズ戦で負傷し、翌12日に7日間の故障者リスト入りしました。6月25日には60日間の故障者リストに異動となり、8月19日に復帰しました。このシーズンは36試合に出場し、打率.216、4本塁打、10打点、1盗塁を記録しました。しかし、健康を取り戻した彼は、セントルイス・カージナルスとの2013年のワールドシリーズで重要な役割を果たしました。彼はシリーズ中に4試合で先発出場し、第5戦では決勝点となる適時二塁打を放ちました。また、第6戦では上原浩治がマット・カーペンターを三振に打ち取り、シリーズ優勝を決めた際に捕手を務めていました。
2014年には、ジョン・レスターの専属捕手としてプレーしました。この年は50試合に出場しましたが、打率.184と自身10年ぶりに2割を切るなど、打撃面では低調な成績に終わりました。また、盗塁阻止率もキャリア最低の22%に終わり、守備面での衰えも見られました。シーズン終了後、彼はフリーエージェントとなりました。
2.8. シカゴ・カブス

2014年12月23日、シカゴ・カブスはロスと2年総額500.00 万 USDの契約を結んだと発表しました。この契約は各年225.00 万 USDと契約金50.00 万 USDで構成されていました。
2015年4月5日のセントルイス・カージナルスとの開幕戦では、レッドソックス時代からバッテリーを組んでいたジョン・レスターとの相性を買われ、先発出場しました。同年5月9日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では、プロ野球キャリアで初めて投手として登板し、8回裏を完璧に抑えました。7月26日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では2度目の登板を果たし、完璧な9回表を投げた後、次のイニングの先頭打者としてヘクター・ネリスから本塁打を放ちました。
2016年4月21日、彼は元所属チームであるシンシナティ・レッズを相手に、先発投手ジェイク・アリエータのノーヒットノーランを捕手として初めて達成しました。同年5月27日には、フィラデルフィア・フィリーズのアダム・モーガンからキャリア通算100本目の本塁打を放ちました。
ロスは2016年シーズンをもって、15年間のメジャーリーグでの選手キャリアを引退する意向を表明しました。2016年のワールドシリーズ第7戦、クリーブランド・インディアンスとの試合で、ロスは本塁打を放ち、39歳でワールドシリーズ史上最年長本塁打記録を樹立しました。カブスは延長10回に8対7で第7戦に勝利し、ロスは自身2度目のワールドシリーズリングを獲得し、有終の美を飾りました。
引退後、2017年1月14日、カブスはロスを2017年シーズンの野球運営部門特別補佐に任命しました。また、MLB引退後には、元MLBスター選手で構成される独立野球チーム「カンザス・スターズ」に参加し、数週間のトーナメントでプレーしました。
2.9. プレースタイルと主な記録
デビッド・ロスは、そのキャリアを通じて、特に晩年にはジョン・レスターの専属捕手として知られました。
打撃面では、パンチ力があり、変化球を苦にしない一方で、積極的すぎる打撃スタイルから三振が多い傾向にありました。2006年には、打者有利のグレート・アメリカン・ボール・パークを本拠地とするシンシナティ・レッズで、わずか247打席で21本塁打を放つなど、その長打力を発揮しました。
守備面では、強肩で知られ、キャリア通算の盗塁阻止率は34.7%を誇りました(同時期のメジャーリーグ平均は約28%)。しかし、変化球の捕球には若干の難があるとも評されました。
投手としては、2015年に2度登板し、計2.0イニングを無安打、無失点に抑える完璧な投球を見せました。
彼の主な通算記録は以下の通りです。
項目 | 記録 | |
---|---|---|
打率 | .229 | |
本塁打 | 106本 | |
打点 | 314打点 | |
盗塁阻止率 | .347 | |
投手登板 | 2試合 | |
投手成績(防御率) | 0.00 |
3. 引退後の経歴
デビッド・ロスは選手引退後も野球界に留まり、様々な役割で活躍しました。
3.1. 放送・解説者活動
2017年1月、ロスはESPNの野球アナリストおよび解説者として雇われ、放送業界でのキャリアをスタートさせました。彼は、その選手時代の経験と深い野球知識を活かし、テレビを通じて試合の解説を行いました。
3.2. シカゴ・カブス特別補佐
2017年シーズン、ロスは引退後すぐにシカゴ・カブスの野球運営部門特別補佐に任命されました。この役割では、球団の運営面でサポートを行い、選手としての経験を活かしてチームの発展に貢献しました。
4. 監督経歴
デビッド・ロスは、長年の選手経験と引退後の野球運営での経験を経て、シカゴ・カブスの監督として新たなキャリアをスタートさせました。
4.1. シカゴ・カブス監督
2019年10月24日、シカゴ・カブスはジョー・マドンの後任としてロスを監督に招聘し、3年契約を結びました。彼は2020年7月24日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で監督としての初陣を飾り、3対0で勝利を収めました。
2022年3月11日、カブスはロスとの契約を2024年シーズンまで延長し、さらに2025年シーズンの球団オプションも含まれることを発表しました。しかし、2023年シーズン終了後の11月6日、ロスは監督を解任され、後任としてクレイグ・カウンセルが就任しました。
4.2. 監督成績
デビッド・ロスがシカゴ・カブスの監督として指揮を執ったレギュラーシーズンおよびポストシーズンの通算成績は以下の通りです。
チーム | 年 | レギュラーシーズン | ポストシーズン | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 順位 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 結果 | |||
CHC | 2020 | 60 | 34 | 26 | .567 | ナショナルリーグ中地区1位 | 0 | 2 | .000 | NLWC敗退(マイアミ・マーリンズ) | |
CHC | 2021 | 162 | 71 | 91 | .438 | ナショナルリーグ中地区4位 | |||||
CHC | 2022 | 162 | 74 | 88 | .457 | ナショナルリーグ中地区3位 | |||||
CHC | 2023 | 162 | 83 | 79 | .512 | ナショナルリーグ中地区2位 | |||||
通算 | 546 | 262 | 284 | .480 | 0 | 2 | .000 |
5. その他の活動と受賞
デビッド・ロスは野球選手および監督としてのキャリア以外にも、様々な分野でその才能と人気を発揮しました。
5.1. ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ出演
2017年3月1日、ロスはアメリカの人気テレビ番組「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」シーズン24の出場者の一人として発表され、プロダンサーのリンジー・アーノルドとペアを組みました。彼はこの番組にプロ野球選手として初めて出場しました。
彼は番組内で6番目に高い平均スコアしか持っていなかったにもかかわらず、より高得点のペアを打ち破り、最終的に優勝者のラシャド・ジェニングスとパートナーのエマ・スレーターに次ぐ準優勝を果たしました。
6. 私生活
デビッド・ロスは2020年にハイラ・ロスと離婚しました。彼らには3人の子供がおり、2016年時点ではフロリダ州タラハシーに住んでいました。
ロスはキリスト教徒です。彼はシカゴの恵まれない若者を支援する「クレードルズ・トゥ・クレヨンズ」など、いくつかの慈善団体と協力して活動してきました。
彼は著述家ドン・イェーガーと共同で執筆した『Teammate: My Life in Baseball』というタイトルの本を2017年5月に出版しました。この本は彼の野球人生と2016年のワールドシリーズ第7戦について書かれています。
ロスはシカゴ・カブスの優勝を祝うために、チームメイトと共にサタデー・ナイト・ライブに出演しました。また、彼はクリス・ブライアントとアンソニー・リゾーが出演するコマーシャル「ザ・ブライゾ・スーベニア・カンパニー」にもインターン役で出演し、上司の期待に応えようと奮闘する姿が描かれました。
2021年5月8日、テレビドラマ「シカゴ・メッド」のスターであるトーリー・デヴィートがInstagramを通じてロスと交際していることを発表しました。しかし、2023年3月8日にアンナ・ファリスのポッドキャスト「Unqualified」に出演した際、デヴィートは最近二人が破局したことを明かしました。
7. 評価と功績
デビッド・ロスは、その選手および監督としてのキャリアを通じて、野球界内外から高い評価を受けました。彼のリーダーシップ、勝負強さ、そして若手選手への影響力は、チームの成功に不可欠な要素でした。
7.1. 肯定的評価
ロスは、そのキャリアを通じて、特にベテラン選手としてチームに多大な貢献をしました。彼は優れたリーダーシップを発揮し、チームメイト、特に若手選手にとってのメンター的存在でした。彼の存在は、チームの士気を高め、結束力を強める上で重要な役割を果たしました。
特にワールドシリーズのような大舞台での勝負強さは特筆すべきものでした。2013年のワールドシリーズ第5戦での決勝打や、2016年のワールドシリーズ第7戦での本塁打は、彼のクラッチ能力を象徴する出来事です。また、ジョン・レスターとのバッテリーは、長年にわたる信頼関係と相性の良さで知られ、投手陣の安定に大きく貢献しました。
7.2. 批判と論争
デビッド・ロスの選手または監督としてのキャリアにおいて、特筆すべき大きな批判や論争は見当たりません。彼は一般的に、チームの勝利に貢献する献身的な選手であり、誠実なリーダーとして評価されていました。
7.3. 影響力
ロスは、チームメイトや若手選手に対するメンターシップを通じて、大きな影響力を持ちました。彼の経験と知識は、多くの選手にとって貴重な学びの源となり、彼らの成長を促しました。
選手としては、2013年と2016年の2度のワールドシリーズ制覇において中心的な役割を果たしました。特に2016年のシカゴ・カブスの108年ぶりのワールドシリーズ優勝では、彼のベテランとしての存在感と勝負強い打撃が、チームの歴史的快挙に不可欠でした。
監督としては、2020年から2023年までカブスを率い、チームの再建期においてリーダーシップを発揮しました。彼は選手との良好な関係を築き、チームの文化形成に貢献しました。彼の野球界全体への影響は、単なる選手や監督にとどまらず、その人間性とリーダーシップを通じて広範囲に及びました。