1. 概要
バザール・ブダジャポヴィッチ・バザルグルエフ(Базар Будажапович Базаргуруевバザール・ブダジャポヴィッチ・バザルグルエフロシア語、1985年1月9日生まれ)は、キルギスのフリースタイルレスリング選手である。ロシアでブリヤート人の子孫として生まれたが、後にキルギス国籍を取得し、同国代表として活躍した。特に、2007年のアジア選手権で金メダル、世界選手権で銅メダルを獲得するなど、国際舞台で顕著な成績を収めた。2008年の北京オリンピックでは当初5位であったが、2017年に銅メダリストのドーピング違反が発覚したことにより、銅メダルが繰り上げ授与された。
2. 生涯
バザール・バザルグルエフは、幼少期からレスリングに打ち込み、ロシアでの初期トレーニングを経て、キルギスの代表選手として国際大会で数々の功績を残した。
2.1. 出生と背景
バザール・ブダジャポヴィッチ・バザルグルエフは、1985年1月9日にソビエト連邦ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国チタ州アギン・ブリヤート自治管区アギンスコエ地区チェルタイで生まれた。彼はブリヤート人の血を引いており、その出自は彼のレスリングキャリアの背景の一部となっている。
2.2. ユース時代とトレーニング
バザルグルエフは1998年からレスリングを始め、幼い頃からその才能を発揮した。彼はアギンスコエとウラン・ウデで集中的なレスリング訓練を受け、基礎技術と体力を培った。この初期の訓練が、後の彼の競技人生の基盤となった。
2.3. 初期キャリアと国籍変更
2004年、バザルグルエフはロシアのユース代表に選出された。同年8月にはリトアニアのヴィリニュスで開催された2004年ヨーロッパユースレスリング選手権大会に出場し、4位に入賞した。しかし、ロシアのナショナルチームには選ばれなかったため、彼はキルギスへの帰化を決断し、キルギス国家代表として活動することになった。
3. 主要な活動と功績
バザール・バザルグルエフは、国際大会で数多くの重要な功績を挙げ、特にアジア選手権と世界選手権、そしてオリンピックでの活躍が彼のキャリアを象徴している。
3.1. アジア選手権
バザルグルエフはキルギス代表となってから、すぐに頭角を現した。2007年5月にキルギスのビシュケクで開催された2007年アジア選手権では、フリースタイル60kg級で決勝に進出。日本の小幡真弥を破り、金メダルを獲得した。この勝利は、彼がキルギス代表として手にした最初の大きな国際タイトルとなった。
また、彼は2009年にもタイのパタヤで開催された2009年アジア選手権に出場し、銅メダルを獲得している。
3.2. 世界選手権
アジア選手権での成功に続き、バザルグルエフは同年の世界舞台でも実力を示した。2007年にアゼルバイジャンのバクーで開催された2007年世界選手権のフリースタイル60kg級に出場し、激戦の末に銅メダルを獲得した。この成果により、彼は世界トップレベルの選手としての地位を確立した。
3.3. オリンピック参加とメダル繰り上げ
バザルグルエフは、2008年8月に中国北京で開催された2008年北京オリンピックに、フリースタイル60kg級でキルギス代表として出場した。彼はこの大会で健闘し、最終的に5位に入賞した。3位決定戦では日本の湯元健一と対戦し、惜敗した。
しかし、2017年4月5日、IOCの決定により、この種目で銀メダルを獲得していたウクライナの選手バシル・フェドリシンがドーピング規定違反を犯していたことが発覚し、銀メダルを剥奪された。この結果を受け、バザルグルエフは2008年北京オリンピックの銅メダルを繰り上げで獲得することが決定した。これにより、彼はオリンピックメダリストという栄誉を手にすることになった。
4. 私生活
バザール・バザルグルエフの私生活に関する公開された情報は、提供された資料からは限定的である。
5. 評価
バザール・バザルグルエフは、レスリング選手として国際舞台で顕著な業績を挙げ、特にその粘り強い競技姿勢と、後にオリンピックメダル獲得へとつながったキャリアは、スポーツ界において高く評価されている。
5.1. 肯定的評価
バザルグルエフのキャリアは、その努力と献身によって築かれたものである。彼は、ロシアでの初期の育成段階を経て、キルギス代表として国際大会で成功を収めた。2007年のアジア選手権での金メダル獲得は、彼の卓越した技術と精神力の証であり、キルギスにおけるレスリングの地位向上に貢献した。同年の世界選手権での銅メダル、そして何よりも2008年北京オリンピックでの銅メダル繰り上げは、彼がその階級で世界トップクラスの選手であったことを明確に示している。彼の功績は、キルギス国内のみならず、国際的なレスリングコミュニティにおいても高く評価されている。
5.2. 批判と論争
提供された資料には、バザール・バザルグルエフのキャリアや行動に関する具体的な批判や論争についての記述は含まれていない。