1. 概要
リチャード・ストーン卿(Sir John Richard Nicholas Stoneジョン・リチャード・ニコラス・ストーン卿英語)は、1913年にロンドンで生まれ、1991年にケンブリッジで死去したイギリスの著名な経済学者である。彼はケンブリッジ大学で法律から経済学へと転向し、ジョン・メイナード・ケインズやリチャード・カーンといった高名な経済学者たちの指導を受けた。特に、大恐慌時代の高い失業率を目の当たりにし、その原因と解決策を探求する中で経済学への深い関心を抱いた。
第二次世界大戦中には、ジェームズ・ミードと共に英国政府のために働き、国家経済活動を追跡するための初期の国民経済計算体系を開発した。この業績は、戦後の彼の学術キャリアの基礎となり、ケンブリッジ大学応用経済学科の初代学科長として、経済理論と統計的手法の研究を推進し、同部門を世界有数の定量経済研究センターへと発展させた。
ストーン卿の最も重要な貢献は、国民経済計算体系(SNA)の開発と、それを基盤とした経験主義的経済分析の基礎改良である。彼は複式簿記の原則を経済活動の追跡に応用し、国際的な経済活動の把握に大きく貢献したことから、「国民所得会計の父」と称される。この功績が認められ、1984年にノーベル経済学賞を受賞した。彼の研究は、経済統計、政策立案、および後世の経済学研究に長期的な影響を与え、経済の透明性と分析能力の向上に多大な貢献をした。
2. 生涯
リチャード・ストーン卿の生涯は、学問への深い探求心と、経済学を通じて社会に貢献しようとする情熱に満ちていた。
2.1. 幼少期と教育
リチャード・ストーンは1913年8月30日にロンドンで生まれた。幼少期はクリブデン・プレイスとウェストミンスター・スクールで教育を受け、イギリス上流中産階級の教育を享受した。しかし、中等学校までは数学や科学を学んでいなかった。17歳の時、マドラスで裁判官に任命された父に同行してインドへ渡り、その後マラヤ、シンガポール、インドネシアなど多くのアジア諸国を巡った。
1年間の旅行の後、ロンドンに戻り、1931年にケンブリッジ大学のゴンヴィル・アンド・カイウス・カレッジに入学し、2年間法律を学んだ。しかし、彼は「もし経済学者がもっといれば、世界はもっと良い場所になるだろう」という考えから、経済学への転向を決意した。1930年代の大恐慌(Great Slumpグレート・スランプ英語)による高い失業率は、彼にその原因と克服方法を知りたいという強い動機を与えた。両親は彼の選択に失望したが、ストーンは経済学者になることに非常に熱心で、経済学の学習を楽しんだ。新しい専攻では、リチャード・カーンやジェラルド・ショーヴの指導を受けた。特に、ケンブリッジの統計学の教師であったコリン・クラークは、彼の定量的な思考に大きな影響を与え、クラークが取り組んでいた国民所得測定プロジェクトに彼を紹介した。このプロジェクトが後にストーンにノーベル賞をもたらすことになり、彼らは親友となった。1935年に経済学の学位を取得した。
2.2. 初期キャリアと第二次世界大戦中の活動
ケンブリッジ大学を卒業後、1935年から第二次世界大戦が始まるまで、ストーンはロイズ・オブ・ロンドンで勤務した。この間、1936年にはケンブリッジ出身のウィニフレッド・メアリー・ジェンキンスと結婚し、共に月刊誌『インダストリー・イラストレーテッド』の付録として、イギリスの経済状況に関する記事を掲載する月刊紙『トレンド』(Trendsトレンズ英語)を創刊した。1939年には経済戦争省への参加を要請された。しかし、彼らの結婚は1940年に解消された。
1940年からは、第二次世界大戦中の戦時内閣官房として、戦時国民経済統計の作成に従事した。この活動の中で、彼はジェームズ・ミードと共に英国政府のために統計学者および経済学者として働き、戦時下の国家資源に関するイギリス経済の分析を行った。この時期に彼らは国民経済計算体系の初期バージョンを開発し、その成果として1941年にイギリス初の国民経済計算が発表された。
1941年以降、ストーンとミードの協力関係は終わり、彼らの部署は二つに分割された。ミードは経済部門を担当し、ストーンは国民所得を担当することになった。新しい部署である中央統計局では、ストーンはジョン・メイナード・ケインズの助手として働いた。1945年の終戦と共に、ストーンは政府での職を辞した。
2.3. 学術キャリア
第二次世界大戦後、ストーンは学術界へと転身し、ケンブリッジ大学で重要な役割を担った。
2.3.1. ケンブリッジ大学応用経済学科
1945年、戦後すぐにストーンはケンブリッジ大学に戻り、新設された応用経済学科の初代学科長(1945年-1955年)に就任した。学科長として、ストーンは経済理論と統計的手法に関する研究プログラムに重点を置いた。この戦略により、当時の多くの著名な経済学者たちがこの学科に集まった。例えば、ダービンとワトソンによる計量経済学における系列相関の検定や、アラン・プレストとデレク・ロウによる需要分析など、多くの注目すべき研究がこの学科で生まれた。これにより、応用経済学科は彼の時代において、世界有数の定量経済研究センターの一つとなった。ストーン自身も、アガサ・チャップマンを研究員として雇用した国民会計、消費者需要分析、社会人口統計会計システムなど、多くのプロジェクトをこの学科で推進した。
2.3.2. ケンブリッジ成長プロジェクト
1955年、ストーンは応用経済学科の学科長を辞任し、ケンブリッジ大学のP.D.リーク金融・会計学教授に任命された(1980年からは名誉教授)。彼はJ.A.C.ブラウンと共にケンブリッジ成長プロジェクトを開始し、英国経済のケンブリッジ多部門動的モデル(Cambridge Multisectoral Dynamic Model, MDMケンブリッジ多部門動的モデル英語)を開発した。ケンブリッジ成長プロジェクトの構築において、彼らは社会会計マトリックス(Social Accounting Matrices, SAM社会会計マトリックス英語)を用いた。これは後に世界銀行で開発された計算可能な均衡モデルの基礎ともなった。プロジェクトのリーダーは後にテリー・バーカーに引き継がれた。1978年には、応用経済学科のメンバーによって設立された企業ケンブリッジ・エコノメトリクス(Cambridge Econometricsケンブリッジ・エコノメトリクス英語)が設立され、ストーンが初代名誉会長を務めた。この会社は現在もMDMの開発を継続し、モデルを用いて経済予測を行っている。
2.3.3. その他の学術・社会活動
ケンブリッジ大学教授としての活動のほか、ストーンは学術界および社会において多岐にわたる重要な役割を担った。1970年には2年間、経済・政治学部会の議長を務めた。1978年から1980年まで王立経済学会の会長を務め、1955年には計量経済学会の会長も務めた。また、彼はイギリスの国民経済計算の整備に尽力し、各国の統計の調整を図った。さらに、国際連合の統計委員会の中心メンバーとして、1968年に発表された国民経済計算体系(いわゆる68SNA)の開発にも深く携わった。1980年にケンブリッジ大学を退職し、名誉教授となった。
2.3.4. 学会活動
リチャード・ストーンは、計量経済学会の会長を務めるなど、様々な学会活動にも積極的に参加した。以下に、計量経済学会の歴代会長の一部を示す。
| 期間 | 氏名 | 備考 |
|---|---|---|
| 1931-34年 | アーヴィング・フィッシャー | 第1代 |
| 1935年 | フランソワ・ディヴィシア | 第2代 |
| 1936-37年 | ハロルド・ホテリング | 第3代 |
| 1938-39年 | アーサー・ライオン・ボウリー | 第4代 |
| 1940-41年 | ヨーゼフ・シュンペーター | 第5代 |
| 1942-43年 | ウェスリー・クレア・ミッチェル | 第6代 |
| 1944-45年 | ジョン・メイナード・ケインズ | 第7代 |
| 1946年 | ヤコブ・マルシャック | 第8代 |
| 1947年 | ヤン・ティンバーゲン | 第9代 |
| 1948年 | Charles Roos | 第10代 |
| 1949年 | ラグナル・フリッシュ | 第11代 |
| 1950年 | チャリング・クープマンス | 第12代 |
| 1951年 | R. G. D. アレン | 第13代 |
| 1952年 | ポール・サミュエルソン | 第14代 |
| 1953年 | ルネ・ロワ | 第15代 |
| 1954年 | ワシリー・レオンチェフ | 第16代 |
| 1955年 | リチャード・ストーン | 第17代 |
| 1956年 | ケネス・アロー | 第18代 |
| 1957年 | トリグヴェ・ホーヴェルモ | 第19代 |
| 1958年 | ジェームズ・トービン | 第20代 |
| 1959年 | Marcel Boiteux | 第21代 |
| 1960年 | ローレンス・クライン | 第22代 |
| 1961年 | アンリ・タイル | 第23代 |
| 1962年 | フランコ・モディリアーニ | 第24代 |
| 1963年 | エドモン・マランヴォー | 第25代 |
| 1964年 | ロバート・ソロー | 第26代 |
| 1965年 | 森嶋通夫 | 第27代 |
| 1966年 | ハーマン・ウォルド | 第28代 |
| 1967年 | ヘンドリック・ハウタッカー | 第29代 |
| 1968年 | フランク・ハーン | 第30代 |
| 1969年 | レオニード・ハーヴィッツ | 第31代 |
| 1970年 | ジャック・ドレーズ | 第32代 |
| 1971年 | ジェラール・ドブルー | 第33代 |
| 1972年 | W. M. ゴーマン | 第34代 |
| 1973年 | ロイ・ラドナー | 第35代 |
| 1974年 | ドン・パティンキン | 第36代 |
| 1975年 | ツヴィ・グリリカス | 第37代 |
| 1976年 | 宇沢弘文 | 第38代 |
| 1977年 | ライオネル・W・マッケンジー | 第39代 |
| 1978年 | コルナイ・ヤーノシュ | 第40代 |
| 1979年 | フランクリン・M. フィッシャー | 第41代 |
| 1980年 | デニス・サーガン | 第42代 |
| 1981年 | マーク・ナーロヴ | 第43代 |
| 1982年 | ジェームズ・マーリーズ | 第44代 |
| 1983年 | ハーバート・スカーフ | 第45代 |
| 1984年 | アマルティア・セン | 第46代 |
| 1985年 | ダニエル・マクファデン | 第47代 |
| 1986年 | マイケル・ブルーノ | 第48代 |
| 1987年 | デール・ジョルゲンソン | 第49代 |
| 1988年 | アンソニー・アトキンソン | 第50代 |
| 1989年 | ヒューゴ・F・ゾンネンシャイン | 第51代 |
| 1990年 | Jean-Michel Grandmont | 第52代 |
| 1991年 | ピーター・ダイアモンド | 第53代 |
| 1992年 | ジャン=ジャック・ラフォン | 第54代 |
| 1993年 | アンドリュー・マス=コレル | 第55代 |
| 1994年 | 根岸隆 | 第56代 |
| 1995年 | クリストファー・シムズ | 第57代 |
| 1996年 | ロジャー・ゲスネリー | 第58代 |
| 1997年 | ロバート・ルーカス | 第59代 |
| 1998年 | ジャン・ティロール | 第60代 |
| 1999年 | ロバート・バトラー・ウィルソン | 第61代 |
| 2000年 | エルハナン・ヘルプマン | 第62代 |
| 2001年 | アビナッシュ・ディキシット | 第63代 |
| 2002年 | Guy Laroque | 第64代 |
| 2003年 | エリック・マスキン | 第65代 |
| 2004年 | アリエル・ルービンシュタイン | 第66代 |
| 2005年 | トーマス・サージェント | 第67代 |
| 2006年 | リチャード・ブランデル | 第68代 |
| 2007年 | ラース・ハンセン | 第69代 |
| 2008年 | トルステン・パーソン | 第70代 |
| 2009年 | ロジャー・マイヤーソン | 第71代 |
| 2010年 | ジョン・ハードマン・ムーア | 第72代 |
| 2011年 | ベント・ホルムストローム | 第73代 |
| 2012年 | Jean Charles Rochet | 第74代 |
| 2013年 | ジェームズ・ヘックマン | 第75代 |
| 2014年 | マヌエル・アレリャーノ | 第76代 |
| 2015年 | Robert Porter | 第77代 |
| 2016年 | Eddie Dekel | 第78代 |
3. 主な業績と貢献
ストーン卿の業績は、経済学、特に国民経済計算の分野において画期的なものであり、現代の経済分析の基礎を築いた。
3.1. 国民経済計算体系(SNA)の開発
ストーン卿は、国家経済活動を追跡するための画期的な会計モデルを開発した。彼はこの分野で最初の研究者ではなかったが、複式簿記システムを応用した最初の人物であった。複式簿記は、貸借対照表の一方の側のすべての収入項目が、反対側の支出項目によって対応付けられることで、バランスの取れたシステムを構築するという原則に基づいている。この複式記入システムは、今日のほとんどすべての現代会計の基礎となっている。これにより、彼は国家規模、そして後に国際規模での貿易と富の移転を信頼性高く追跡する方法を確立した。
この功績により、彼は「国民所得会計の父」として知られている。彼の研究は、消費者需要統計とモデリング、経済成長、そして産業連関分析に及んだ。彼はまた、フランソワ・ケネーの『経済表』(Tableau économiqueタブロ・エコノミックフランス語)を、経済学における最初期の、様々な部門が地球規模でどのように相互接続されているかを検証した著作の一つとして評価している。
ストーン卿が開発に携わった国民経済計算体系は、国民経済をモノとカネ、フローとストックの両側面から把握するものであり、産業連関表、国民所得勘定、資金循環勘定、国際収支表、国民貸借対照表という5つの主要な経済指標を統合・接続することで、国民経済を体系的に記録するシステムである。この体系は、国際的な経済活動の把握に大きく貢献した。
3.2. 経済分析手法
ストーン卿は、国民経済計算体系の開発に加えて、様々な経済分析手法にも貢献した。彼の研究は、消費者需要統計とモデリング、経済成長理論、そして産業連関分析に焦点を当てた。特に、産業連関表における副産物処理の基本的なルールである「ストーン方式」を考案したことでも高く評価されている。1954年に発表された彼の著書『英国における消費支出と行動の測定』(The Measurement of Consumer Expenditure and Behavior in the United Kingdomザ・メジャーメント・オブ・コンシューマー・エクスペンディチャー・アンド・ビヘイビア・イン・ザ・ユナイテッド・キングダム英語)は、応用経済学の古典として現在も読み継がれている。
3.3. ノーベル経済学賞受賞
1984年、リチャード・ストーン卿は、国民経済計算体系の開発と、それに基づく経験主義的経済分析の基礎改良に対する功績が評価され、ノーベル経済学賞を受賞した。この受賞は、彼の長年にわたる経済統計学への貢献と、経済学が現実世界の政策立案に与える影響の重要性を国際的に認めるものであった。彼の研究は、各国の経済状況を比較可能にし、国際的な経済協力の基盤を築く上で不可欠なツールを提供した。
4. 私生活
リチャード・ストーンは生涯に3度結婚した。
1936年にケンブリッジ出身のウィニフレッド・メアリー・ジェンキンスと最初の結婚をした。彼らは共に経済学への情熱を共有し、月刊紙『トレンド』(Trendsトレンズ英語)を創刊し、イギリスの経済状況に関する記事を掲載した。しかし、この結婚は1940年に解消された。
その後、1941年に2番目の妻フェオドラ・レオンティノフと結婚したが、フェオドラは1956年に死去した。
1960年には、イタリアの愛国者アウレリオ・サッフィの曾孫であるジョヴァンナ・サッフィ(1919-2009)と3度目の結婚をした。ジョヴァンナは彼の多くの研究において共同研究者となり、例えば、1961年には彼の有名な著書『国民所得と支出』(National Income and Expenditureナショナル・インカム・アンド・エクスペンディチャー英語)の改訂版を共著で執筆した。彼らはまた、『社会会計と経済モデル』(Social Accounting and Economic Modelsソーシャル・アカウンティング・アンド・エコノミック・モデルズ英語)も共著で発表している。
5. 死去
リチャード・ストーン卿は1991年12月6日にケンブリッジで死去した。享年78歳であった。彼の死後も、3番目の妻ジョヴァンナと娘のキャロラインが遺された。
6. 主な著作
- リチャード・ストーン、ジョヴァンナ・サッフィ・ストーン共著『社会会計と経済モデル』(Social Accounting and Economic Modelsソーシャル・アカウンティング・アンド・エコノミック・モデルズ英語) (1959年)
- リチャード・ストーン、ジョヴァンナ・サッフィ・ストーン共著『国民所得と支出』(National Income and Expenditureナショナル・インカム・アンド・エクスペンディチャー英語) (1961年)
- リチャード・ストーン『ケンブリッジ成長プロジェクト』(The Cambridge Growth Projectザ・ケンブリッジ・グロース・プロジェクト英語)、『ケンブリッジ・リサーチ』(Cambridge Researchケンブリッジ・リサーチ英語)1965年10月号(9-15ページ)
- リチャード・ストーン『英国における消費支出と行動の測定』(The Measurement of Consumer Expenditure and Behavior in the United Kingdomザ・メジャーメント・オブ・コンシューマー・エクスペンディチャー・アンド・ビヘイビア・イン・ザ・ユナイテッド・キングダム英語) (1954年)
7. 栄誉
リチャード・ストーン卿は、その学術的・社会的な功績に対して数多くの栄誉と表彰を受けた。
- 1978年:ナイト・バチェラーに叙され、「サー」の称号を授与された。
- 大英帝国勲章コマンダー(CBE)
- 英国学士院フェロー(FBA)
- 1980年:ケンブリッジ大学名誉教授。
- 1984年:ノーベル経済学賞受賞。
8. 評価と影響
リチャード・ストーン卿の業績は、経済統計学、政策立案、および後世の経済学研究に計り知れない長期的な影響を与えた。彼が開発した国民経済計算体系は、各国の経済活動を包括的かつ体系的に把握するための国際的な標準となり、経済の透明性を飛躍的に向上させた。この体系は、現代のマクロ経済学研究や政府の経済政策策定の基礎として不可欠なツールとなっている。
彼の研究は、経済データ収集の標準化と、それに基づく経験主義的経済分析の精度向上に大きく貢献した。これにより、経済学者はより信頼性の高いデータに基づいて経済現象を分析し、政策担当者はより効果的な経済政策を立案できるようになった。ストーン卿の遺産は、現代経済学の発展において極めて重要な位置を占めており、彼の貢献は今後も長く評価され続けるだろう。