1. 概要
リッチ・ピアーナ(Rich Piana英語)は、1970年にアメリカ合衆国のカリフォルニア州グレンデールで生まれ、2017年に46歳で亡くなったアメリカ合衆国のボディービルダー、実業家、そしてYouTuberである。彼は特にアナボリック・ステロイドの使用を公に認めていたことで知られ、その開放的な姿勢と派手な人柄でウェイトトレーニングコミュニティで人気を博した。ピアーナは1989年に全米体格委員会(National Physique CommitteeNPC英語)の「Mr. Teen California」タイトルを、1998年には「Mr. California」タイトルを獲得するなど、ボディービルダーとして数々の実績を残した。
彼はYouTubeチャンネルを通じてモチベーション向上を促すスピーチや自身の人生経験、トレーニング動画、日々の生活の様子などを発信し、数十万人のチャンネル登録者と120万人以上のInstagramフォロワーを抱えるソーシャルメディアインフルエンサーとしても大きな影響力を持った。彼のブランド「5%ニュートリション」は、「夢や目標を達成するために必要なことを何でもいとわない人々」という自身の哲学を体現している。
ピアーナは18歳からステロイドやホルモン剤の使用を開始したことを公言し、その影響として脱毛、女性化乳房、肝毒性といった副作用を経験したと語っている。彼はステロイドの使用を推奨しないと述べつつも、プロのボディービルダーとして勝ち残るためには不可欠な要素であると自身の選択を説明した。
2017年8月、ピアーナは自宅で倒れ、2週間の昏睡状態の後に46歳で死亡した。彼の死因は、心臓と肝臓が成人男性の平均の2倍以上の重さに肥大していたことなど、健康状態の悪化が示唆されたものの、検視報告書は最終的に結論を出すに至らなかった。これは病院が毒性分析用の検体を廃棄したためであり、彼の死を巡る陰謀論や論争を引き起こした。本記事では、彼の生涯と業績を包括的に記述しつつ、ステロイド使用を巡る論争や、現代社会におけるボディービルディングの倫理的な側面、および公人が健康に与える影響について、中道左派的な視点から考察する。

2. 生い立ち
リッチ・ピアーナの幼少期は、彼の後のボディービルディングへの情熱に大きな影響を与えた。
2.1. 出生と成長期
リチャード・ユージーン・ピアーナは、1970年9月26日にアメリカ合衆国カリフォルニア州グレンデールで生まれた。彼の母親はアルメニア系の血筋であり、父親はイタリア系の血筋を引いている。ピアーナはカリフォルニア州サクラメントで母親に育てられた。彼がボディービルに魅了されたのは6歳の時であった。彼はよく母親がボディービル大会に向けてトレーニングする姿を見るためにジムに同行していた。
2.2. ボディビルディングへの入門と初期活動
母親の他に、ベテランのボディービルダーであるビル・キャンブラ(Bill Cambra英語)からも大きな影響を受けた。11歳でウェイトトレーニングを開始し、その4年後にはボディービル大会に出場するようになった。高校の最終学年時には、父親と共にカリフォルニア州ラ・クレセンタに住んでいた。この頃から、全米体格委員会(NPC)が主催するボディービル大会で頭角を現し始めた。18歳の時に、彼はテストステロンとデカ・デュラボリン(Deca-Durabolin英語)を組み合わせたステロイドサイクルを開始した。ピアーナ自身、ステロイドによって劇的な結果が得られたため、「やみつきになった」と2014年に語っている。
3. ボディビルディング経歴とメディア活動
リッチ・ピアーナはボディービルダーとして数々の成果を収め、その名声を背景に様々なメディア活動も展開した。
3.1. 主要大会での成果
ピアーナは、1989年に全米体格委員会(NPC)の「Mr. Teen California」で優勝し、プロのキャリアをスタートさせた。さらに1998年には「Mr. California」の栄冠を手にした。彼は2011年まで不定期に大会に出場し続け、2003年のロサンゼルス・スーパーヘビー級部門、2009年のサクラメント・スーパーヘビー級部門、そして2009年のボーダー・ステイツ・クラシック・スーパーヘビー級部門および総合選手権で優勝を飾った。
3.2. メディア出演
ピアーナは、ボディービルディングのキャリアを通じて、雑誌の表紙を飾るなどメディアにも頻繁に登場した。1998年11月号の『アイアンマン』誌、2015年夏号の『Muscle Sport magazine英語』の表紙を飾った。
テレビシリーズにも出演しており、テレビドラマシリーズ『Scrubs』では、「超人ハルク」役でカメオ出演を果たし、2004年の『マルコム in the Middle』のエピソードでは、セリフのないマーカスという筋肉質の男性を演じた。また、1999年の『The Parkers』のエピソード「The Boomerang Effect英語」にも登場している。2017年に公開されたボディービルディングのドキュメンタリー映画『Generation Iron 2英語』では、主要な登場人物の一人として集中的に取り上げられた。

4. ステロイド使用と論争
リッチ・ピアーナは、自身のアナボリック・ステロイドおよびホルモン剤の使用について公に語り、その背景と副作用、そしてそれが引き起こした論争は、彼のキャリアと遺産において不可欠な部分となった。
4.1. ステロイド使用の背景と経緯
ピアーナは18歳の時、テストステロンとデカ・デュラボリンを組み合わせた「テスト・アンド・デカ」として知られる一般的なステロイドサイクルを開始した。彼はステロイドの使用によって得られる劇的な身体の変化に「のめり込んだ」と2014年に述べている。彼はトレンボロン(Trenbolone英語)、合成ヒト成長ホルモン(セロスティム、Serostim英語)、そしてインスリンを含む様々な薬物を長年にわたり使用してきた。彼は特に、セロスティムを1日あたり20 IU使用しており、通常の処方価格では月額およそ8000 USDかかったが、HIV感染症治療のための処方箋を持つ人々との繋がりを通じて、時には2000 USD程度で入手したり、無料で手に入れたりすることもあったと語っている。
4.2. ステロイドに関する公開発言と副作用
ピアーナは2014年のYouTube動画で、18歳から25年間にわたりアナボリック・ステロイドを服用し続けてきたこと、そしてその服用が身体に害をもたらす危険性を認識していたことを明かした。彼は脱毛、女性化乳房(薬物で治療)、および肝毒性の兆候といった副作用を経験したと述べているが、にきびは発生せず、その時点では重大な問題は見られないとも語った。彼は「自分のやっていることが身体を傷つける行為であることは間違いなく認識している」「私は自分の責任で選択し、問題に対処するつもりだ...一種の賭けに出ている」と語った。
2016年の別の動画では、自身のステロイド使用の決断を擁護しつつも、視聴者に対しては使用を控えるよう助言した。「ステロイドを使うか、ナチュラルでいるかという選択肢があるなら、ナチュラルでいるべきだ。ステロイドを使う理由はどこにもない。自分の身体を傷つけるだけだ」と述べた。しかし、その上で、プロのボディービルダーは薬物なしには最高レベルで勝つことができないため、そのような選択肢はないと主張した。「舞台で競争していた時、使わなければ吹き飛ばされる段階に達していた。だから、私はその一歩を踏み出した。それが私の選んだ道であり、今ここにいる」と述べ、ボディービルに人生を賭けたと語った。
それでも薬物の使用を考えている視聴者に対しては、「適切に」使用する方法について助言を提供した。彼のこのような二面性のある発言は、彼のファンや医療専門家、一般社会から様々な評価を受けることとなった。
5. 事業とオンライン活動
ボディービル大会の出場から離れた後、リッチ・ピアーナは自身の事業を立ち上げ、特にYouTuberやソーシャルメディアインフルエンサーとして大きな影響力を持つようになった。
5.1. 5%ニュートリション
ピアーナは自身の栄養製品ブランド「リッチ・ピアーナ:5%ニュートリション」(Rich Piana: 5% Nutrition英語)を設立した。このブランド名にある「5%」は、彼の哲学を象徴している。彼は「5%とは、実際に自分の夢を叶え、目標を達成し、望む人生を生きるために必要なことを何でもいとわない人々の割合を意味するんだ」と説明している。
5.2. YouTubeおよびソーシャルメディア活動
ピアーナは自身のYouTubeチャンネルを通じて、自身のキャリア、トレーニング動画、日々の生活、特別ゲストの登場などを中心としたVlogを公開した。彼の動画は、モチベーション向上を促すスピーチや個人的な人生の物語、エクササイズモンタージュ、日々の生活への洞察を特徴としていた。彼のYouTubeチャンネルは数十万人の登録者を抱え、Instagramのフォロワーは120万人を超え、フィットネス業界において絶大な影響力を持つソーシャルメディアの著名人となった。
彼は自身のブランドを宣伝し、ステロイドやホルモン剤の服用、およびそれに伴う重大な影響について頻繁に語った。また、フィットネス博覧会にも姿を見せ、食事療法やフィットネスルーティンに関する助言をYouTubeで公開していた。
ピアーナの死後となる2020年、彼の元妻であるアイスランド人ボディービルダーのサラ・ハイミスドッティ(Sara Heimisdottir英語)は、ピアーナがステロイドの製造に何らかの形で関与し、アイスランドのポッドキャストを利用してステロイドの販売と流通に全面的に関与していたと主張した。これは、彼の事業活動の倫理的な側面に対する新たな批判と論争の的となった。
6. 私生活
リッチ・ピアーナの私生活は、彼の公のイメージと同様に波乱に満ちたものであった。
6.1. 結婚と人間関係
ピアーナは生涯で二度結婚している。最初の結婚は、彼自身の不倫が原因で離婚に至った。その後、アメリカ人フィットネスモデルのシャネル・ヤンセン(Chanel Jansen英語)と長期間にわたる「くっついたり離れたり」の関係を続けていた。
2015年には、アイスランド人ボディービルダーのサラ・ハイミスドッティ(Sara Heimisdottir英語)と結婚したが、2016年には別居した。ピアーナは後に、サラがアメリカのグリーンカード取得のために彼を利用し、彼から金を盗んだと告発した。この結婚は「虚偽の前提」に基づいていたとして取り消しとなった。その後、彼はヤンセンとの関係を再開し、彼女が彼の死の際のパートナーであった。
6.2. その他の個人的な困難
ヤンセンによると、ピアーナは人生のある時期にオピオイド(opiate英語)中毒との闘いも経験していたという。彼の複雑な人間関係と個人的な闘いは、彼が公に見せていた強靭なイメージとは異なる側面を浮き彫りにしている。
7. 死
リッチ・ピアーナの死は、彼の健康状態やライフスタイル、そしてステロイド使用の長期的影響について、広く議論を巻き起こした。
7.1. 死亡までの経緯
2017年8月7日午後1時30分、ピアーナはフロリダ州クリアウォーターの自宅で、パートナーであるシャネル・ヤンセンに散髪してもらっている最中に突然倒れた。彼は立っていた状態から倒れ、頭を打った。ヤンセンは911に緊急通報し、オペレーターの指示に従って心肺蘇生法(CPR英語)を試みた。通報から約10分後に救急隊員が到着し、ピアーナの心臓が正常に拍動していないことを確認した。心拍は最終的に回復したが、酸素欠乏によりすでに脳損傷が発生しており、ヤンセンはピアーナの脳が30分以上酸素不足に陥っていたと後に述べている。
自宅のテーブルには、砕かれた白い粉末とストロー、クレジットカードが発見されたため、救急隊員はオピオイド過剰摂取の可能性を考慮し、ナロキソンを投与した。この出来事を受けて、ピアーナの死にはレクリエーションドラッグの使用や何らかの犯罪行為が関与しているのではないかという憶測が飛び交った。しかし、ヤンセンはコカインやヘロインといった薬物の使用を否定し、ピアーナが時折、高カフェインの「プレワークアウトサプリメント」を鼻から吸引していたと説明した。また、自宅からはテストステロンのボトルが20本発見されたと報じられている。ヤンセンは、ピアーナが倒れる数日前から息切れや吐き気など異常な症状を示しており、これらが差し迫った心停止の警告サインであった可能性があったと後に知らされたと述べている。
脳の腫れを軽減させるため、ピアーナは2週間にわたり誘発性昏睡状態に置かれたが、意識が戻ることなく、2017年8月25日に46歳で死去した。
7.2. 検視結果と死因を巡る論争
ピアーナの死後に行われた検視では、彼の心臓と肝臓が成人男性の平均の2倍以上の重さに肥大しており、「重篤な心臓病」を患っていたことが判明した。また、「軽度のアテローム性動脈硬化症」も確認された。ヤンセンは、ピアーナが自身の臓器肥大を認識しており、それがステロイドとホルモン剤の既知の副作用であることを知っていたが、それが突然の心停止のリスクを高めることまでは認識していなかったと述べた。
しかし、検視報告書はピアーナの死因について最終的な結論を出すことができなかった。これは、病院が毒性分析のために必要な検体を、保管を求める具体的な要請があったにもかかわらず廃棄してしまったためである。この事態は、ピアーナの真の死因が隠蔽されたのではないかという陰謀論へとつながった。検視報告書は、最近の怪我の証拠はないと結論付けており、物理的外傷が彼の死の重要な要因であった可能性を排除している。
彼の遺体はカリフォルニア州ハリウッド・ヒルズにあるフォレスト・ローン記念公園に埋葬された。
8. 評価と遺産
リッチ・ピアーナの人生は、彼が残した遺産と同様に、肯定と否定の両面で評価されている。彼のオープンな態度とビジネスの成功は称賛される一方で、ステロイド使用の公言とそれに関連する論争は批判の対象となっている。
8.1. 肯定的評価と影響
ピアーナは、その並外れた体格と飾らない人柄、そして自身のステロイド使用について公に語るオープンな姿勢で、ボディービルディングコミュニティ内外で絶大な人気を博した。彼は、従来のボディービル雑誌やメディアではあまり語られなかったタブーな話題に光を当てることで、多くのファンやフォロワーとの間に独自の信頼関係を築いた。彼のYouTubeチャンネルやソーシャルメディアを通じて発信された、モチベーション向上を促すメッセージや「5%」という哲学は、多くの人々に夢や目標達成への「何でもいとわない」姿勢を鼓舞した。彼は単なるボディービルダーに留まらず、インフルエンサーとしてフィットネス業界に新たなコミュニケーションの形をもたらし、トレーニングやライフスタイルに関する具体的な助言を提供することで、多くの人々の健康とフィットネスへの関心を高めた。
8.2. 批判と論争
一方で、ピアーナは生涯にわたって強い批判と論争の対象となった。彼の最も大きな批判は、アナボリック・ステロイドの使用を公言し、その使用方法について助言を与えていた点である。彼自身はステロイド使用を推奨しないと述べつつも、プロの競技レベルでの必要性を強調し、さらに使用を考えている者には「適切に」使用する方法を指南したことは、若年層や影響を受けやすい人々に対して、薬物使用を助長する危険性があると指摘された。彼の健康への影響、特に死後の検視で明らかになった心臓と肝臓の著しい肥大は、ステロイドの長期使用がもたらす深刻なリスクを浮き彫りにした。彼の死因が特定されなかったこと、そして病院が毒性分析用の検体を廃棄した経緯は、彼の死を巡る陰謀論や、医療機関の透明性に関する懸念を引き起こした。
さらに、彼の元妻であるサラ・ハイミスドッティが、ピアーナがステロイドの製造と販売に関与していたと主張したことは、彼の事業活動の倫理的側面に対する批判をさらに強めることとなった。彼の人生は、ボディービルディングにおける成功と、薬物使用、倫理的な課題、そして健康の代償といった複雑な問題を内包していた。