1. 生涯と背景
ルスタム・オルジョフは、柔道選手としてのキャリアを築く前に、その個人的な背景と柔道との出会いを通じて、競技への情熱を育んだ。
1.1. 幼少期と柔道との出会い

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オルジョフは1991年10月4日に、かつてソビエト連邦の一部であったロシアイルクーツク州のウスチ=イリムスクで、アゼルバイジャン人の父とロシア人の母の間に生まれた。彼は幼少期の7歳の時にチェスを始めたものの、自分には合わないと感じ、8歳で柔道の世界に足を踏み入れた。
彼は16歳までイルクーツク州で青春時代を過ごし、その間に様々なユース柔道大会に出場して競技者としての基礎を築いた。その後、家族と共にアゼルバイジャンの首都バクーへ移住し、そこにある有名な格闘技スポーツクラブ「アッティラ」で本格的なトレーニングを開始した。ユースレベルではユーラシア選手権で優勝を飾るなどの実績を挙げたが、大陸選手権での優勝には至らなかった。シニアレベルに移行した当初は66kg級で競技していたが、後に73kg級に階級を変更し、この階級で国際的な成功を収めることとなった。
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2. 競技経歴
ルスタム・オルジョフの成人国際大会における競技経歴は、その着実な成長と輝かしい実績で特徴づけられる。彼は数々の主要大会でメダルを獲得し、世界トップレベルの柔道選手としての地位を確立した。
2.1. 初期から台頭期 (2011年-2015年)
ルスタム・オルジョフは2011年6月にスロベニアのツェリェで開催されたヨーロッパカップで2位に入り、同年10月には地元アゼルバイジャンのバクーで開催されたワールドカップで、73kg級での国際大会初出場ながら3位という成績を収めた。2012年2月のデュッセルドルフでのグランプリでは5位となり、この大会で得たポイントがオリンピック出場資格を得るための重要な足がかりとなった。最終的にはヨーロッパ柔道連盟の大陸別割り当て枠を通じて2012年ロンドンオリンピックへの出場権を獲得した。同年5月にはグランプリ・バクーで優勝を飾った。
2012年ロンドンオリンピックでは、1/16決勝で南アフリカ共和国のギデオン・ファン・ザイルに勝利したが、3回戦で後にこの大会の金メダリストとなるロシアのマンスール・イサエフに谷落で敗れ、メダル獲得はならなかった。
2013年、兵役を終えて競技に復帰したオルジョフは、グランプリ・サムスンで適切な準備不足のために敗れたが、同年5月にはバクーで開催されたグランドスラムで優勝し、見事に復調した。2014年のグランプリ・サムスンでは銀メダルを獲得。同年開催された世界柔道選手権大会では準々決勝で日本の中矢力に指導3で敗れ、7位に終わった。
2015年に入ると、オルジョフは勢いを増し、グランプリ・トビリシ、グランプリ・サムスン、グランドスラム・バクーで立て続けに優勝を飾り、さらにワールドマスターズでも3位に入賞した。これらの好成績により、2015年5月25日付けの世界ランキングで1位に浮上した。なお、彼は2015年の世界選手権には出場しなかった。
2.2. オリンピックと世界選手権での成功 (2016年-2019年)
2016年、ルスタム・オルジョフはヨーロッパ柔道選手権大会で優勝を飾り、欧州王者となった。同年、2016年リオデジャネイロオリンピックでは73kg級のアゼルバイジャン代表として出場し、決勝まで進出した。決勝では日本の大野将平と対戦し、内股で技ありを奪われた後に小内刈で一本負けを喫したが、見事な銀メダルを獲得した。この功績が評価され、同年9月1日にはアゼルバイジャン大統領令により「祖国への奉仕勲章」3級を授与された。
2017年の世界柔道選手権大会では、準決勝で韓国の安昌林に対し、払巻込で逆転の一本勝ちを収める劇的な勝利を飾った。しかし、決勝では日本の橋本壮市と対戦し、試合開始早々に指導1を先取してリードを奪ったものの、ゴールデンスコア方式の延長戦に入ってから体落で技ありを奪われ、惜しくも銀メダルに終わった。
2018年にはグランドスラム・デュッセルドルフの決勝で再び大野将平と対戦したが、内股で敗れて2位に終わった。同年、地元バクーで開催された世界柔道選手権大会では4回戦で敗退したが、ワールドマスターズでは優勝を果たした。2019年の世界柔道選手権大会では、準決勝で同胞のヒダヤト・ヘイダロフに技ありで勝利したが、決勝では三度、大野将平と対戦し、内股で敗れて銀メダルを獲得した。なお、この試合で一本負けした際、オルジョフは大野が柔道着の袖口を不当に掴んでいたとしてアピールしたが、審判には認められなかった。
2.3. 後期キャリアと引退 (2020年-2023年)
2020年、ルスタム・オルジョフはヨーロッパ柔道選手権大会で銅メダルを獲得した。しかし、2021年の同大会はCOVID-19の影響で欠場せざるを得なかった。
同年7月、日本武道館で開催された2020年東京オリンピックでは、準々決勝で再び大野将平と対戦し、内股で技ありを奪われた後に小内刈で一本負けを喫した。この試合中、オルジョフは大野に投げられた際に「ヘッドダイビング」(頭から畳に突っ込む危険行為)があったと主張したが、これも審判に認められなかった。その後、敗者復活戦を勝ち上がり3位決定戦に進出したが、安昌林に技ありで敗れ、惜しくも5位に終わりメダル獲得はならなかった。
2022年には再びヨーロッパ柔道選手権大会で銅メダルを獲得するなど、引き続き世界のトップレベルで活躍を続けた。同年にはグランドスラム・ブダペストで3位に入賞している。しかし、2023年8月、彼は惜しまれつつも現役引退を表明し、長きにわたる輝かしい競技生活に幕を閉じた。
3. 主要な成績と受賞
ルスタム・オルジョフは選手生活中に数多くのメダルを獲得し、また国家からの栄誉も授与された。
大会 | 年 | 階級 | メダル |
---|---|---|---|
ヨーロッパカップ | 2011 | -73kg | 銀 |
ワールドカップ | 2011 | -73kg | 銅 |
IJFグランプリ (デュッセルドルフ) | 2012 | -73kg | 5位 |
IJFグランプリ (バクー) | 2012 | -73kg | 金 |
グランドスラム (バクー) | 2013 | -73kg | 金 |
IJFグランプリ (サムスン) | 2014 | -73kg | 銀 |
ヨーロッパ柔道選手権大会 | 2014 | -73kg | 5位 |
グランドスラム (バクー) | 2014 | -73kg | 銅 |
世界柔道選手権大会 | 2014 | -73kg | 7位 |
グランドスラム (アブダビ) | 2014 | -73kg | 銅 |
IJFグランプリ (チェジュ) | 2014 | -73kg | 銅 |
グランドスラム (東京) | 2014 | -73kg | 5位 |
IJFグランプリ (トビリシ) | 2015 | -73kg | 金 |
IJFグランプリ (サムスン) | 2015 | -73kg | 金 |
グランドスラム (バクー) | 2015 | -73kg | 金 |
ワールドマスターズ (ラバト) | 2015 | -73kg | 銅 |
グランドスラム (パリ) | 2015 | -73kg | 銀 |
IJFグランプリ (青島) | 2015 | -73kg | 銀 |
IJFグランプリ (チェジュ) | 2015 | -73kg | 銅 |
IJFグランプリ (ハバナ) | 2016 | -73kg | 金 |
IJFグランプリ (デュッセルドルフ) | 2016 | -73kg | 銀 |
ヨーロッパ柔道選手権大会 (カザン) | 2016 | -73kg | 金 |
ヨーロッパ柔道選手権大会 (カザン) | 2016 | 男子団体 | 銅 |
グランドスラム (バクー) | 2016 | -73kg | 銅 |
ワールドマスターズ (グアダラハラ) | 2016 | -73kg | 銅 |
2016年リオデジャネイロオリンピック | 2016 | -73kg | 銀 |
グランドスラム (アブダビ) | 2016 | -73kg | 銀 |
グランドスラム (バクー) | 2017 | -73kg | 銅 |
ヨーロッパ柔道選手権大会 (ワルシャワ) | 2017 | -73kg | 銅 |
イスラム諸国連帯競技大会 (バクー) | 2017 | 男子団体 | 金 |
イスラム諸国連帯競技大会 (バクー) | 2017 | -73kg | 銀 |
世界柔道選手権大会 (ブダペスト) | 2017 | -73kg | 銀 |
IJFグランプリ (ザグレブ) | 2017 | -73kg | 金 |
グランドスラム (アブダビ) | 2017 | -73kg | 銅 |
グランドスラム (デュッセルドルフ) | 2018 | -73kg | 銀 |
IJFグランプリ (ザグレブ) | 2018 | -73kg | 銅 |
ワールドマスターズ (広州) | 2018 | -73kg | 金 |
グランドスラム (デュッセルドルフ) | 2019 | -73kg | 銅 |
IJFグランプリ (アンタルヤ) | 2019 | -73kg | 銀 |
グランドスラム (バクー) | 2019 | -73kg | 銅 |
ヨーロッパ競技大会 (ミンスク) | 2019 | -73kg | 銀 |
世界柔道選手権大会 (東京) | 2019 | -73kg | 銀 |
グランドスラム (アブダビ) | 2019 | -73kg | 5位 |
ワールドマスターズ (青島) | 2019 | -73kg | 銅 |
グランドスラム (デュッセルドルフ) | 2020 | -73kg | 銅 |
グランドスラム (ブダペスト) | 2020 | -73kg | 金 |
ヨーロッパ柔道選手権大会 (プラハ) | 2020 | -73kg | 銅 |
グランドスラム (タシュケント) | 2021 | -73kg | 銅 |
2020年東京オリンピック | 2021 | -73kg | 5位 |
ヨーロッパ柔道選手権大会 (ソフィア) | 2022 | -73kg | 銅 |
グランドスラム (ブダペスト) | 2022 | -73kg | 銅 |
- 2016年 - アゼルバイジャン大統領令により「祖国への奉仕勲章」3級受章
4. プレースタイルと特徴
柔道五段(5th dan)の資格を持つルスタム・オルジョフの柔道スタイルは、その力強い組手と相手の体勢を崩す巧みな動きに特徴がある。得意技としては、相手のバランスを崩してからの払巻込や、足技の連携を見せることが多かった。特に、日本の大野将平との試合では、大野の内股や小内刈といった力強い投げ技に苦しめられることが多かったが、それにもかかわらず、彼の粘り強い寝技や、劣勢から逆転を狙う高い競争心は多くの試合で見られた。また、長年にわたり世界のトップレベルで活躍し続けたことは、彼の高い技術力と戦術的な適応能力、そして厳しいトレーニングに耐え抜く精神力の証である。
5. 旗手としての役割
ルスタム・オルジョフは、競技者としての功績だけでなく、アゼルバイジャンの国家代表としての象徴的な役割も果たした。2020年東京オリンピックの開会式では、柔道のファリダ・アジゾワと共に、アゼルバイジャン選手団の旗手を務めた。これは、彼が国民から広く尊敬と信頼を集める存在であったことを示している。
6. 遺産と引退
ルスタム・オルジョフの選手生活は、柔道界に大きな足跡を残し、その引退は一つの時代の節目となった。
6.1. 歴史的評価
ルスタム・オルジョフは、2010年代から2020年代にかけての柔道界において、73kg級のトップ選手の一人として確固たる地位を築いた。彼のキャリアは、オリンピック銀メダル、世界選手権での複数回の銀メダル、ヨーロッパ選手権優勝など、輝かしい成績で彩られている。彼は、アゼルバイジャン柔道界に国際的な注目を集め、後進の選手たちに大きな影響を与えた。特に、日本のトップ選手である大野将平や橋本壮市、韓国の安昌林といった強豪としのぎを削る中で、自身の柔道スタイルを磨き上げ、多くの名勝負を繰り広げた。彼の粘り強さ、そして決して諦めない姿勢は、柔道という競技の精神を体現するものであったと評価されている。彼の引退は一つの時代の終わりを告げるものであるが、彼が残した功績と精神は、今後もアゼルバイジャン柔道界、ひいては世界の柔道界に長く記憶されることとなるだろう。
6.2. 試合中の論争
ルスタム・オルジョフの競技キャリアにおいては、重要な試合で審判の判定を巡る論争が複数回発生している。
特に、2019年世界柔道選手権大会の73kg級決勝で大野将平に敗れた際には、オルジョフは一本負けの判定後、大野が自身の柔道着の袖口を不当に掴んでいたと抗議したが、これは認められなかった。
また、2020年東京オリンピックの準々決勝で再び大野将平と対戦し、内股で投げられた際にも、相手のヘッドダイビング(頭から畳に突っ込む危険行為)があったと主張したが、これも審判に認められなかった。これらの場面は、オルジョフの試合に対する強い執念と、競技の公平性を求める彼の姿勢を示している。
7. 外部リンク
- [http://www.rustamorujov.com 公式サイト]