1. 生い立ちとアマチュア時代
嘉弥真新也は、プロ野球選手となる以前から野球に親しみ、社会人野球でその才能を開花させた。
1.1. 幼少期と教育
嘉弥真新也は沖縄県石垣市白保で生まれた。小学4年時から野球を始め、中学までは軟式野球でプレーした。高校は、地元石垣島には八重山商工高校のような強豪校もあったが、嘉弥真は受験に落ちたくなかったことや、好選手が集まっていた八重山商工を避けたいという理由、そして幼馴染みの好選手である長間翔悟が八重山農林高校への進学を決めたことから、同校へと進んだ。八重山農林高校では硬式野球部に入部し、2年夏の県大会からベンチ入り。長間がいたこともあり、嘉弥真は主に外野手と2番手投手としてプレーした。3年夏の県大会では初戦で5打数4安打と打撃で活躍したが、投手としては2点リードの8回二死満塁から登板し、9回二死で同点に追いつかれ、延長11回には勝ち越しを許して1回戦敗退となった。
1.2. アマチュア野球キャリア
高校卒業後の2008年、嘉弥真は不動産管理会社のビッグ開発に入社し、同年創部されたばかりの硬式野球部「ビッグ開発ベースボールクラブ」の1期生となった。2年目には2名の投手が加入し、嘉弥真の投手としての序列は4番手から5番手へと一時的に下がったが、同期の捕手である宮里伊吹木が主将となり、投手陣に厳しい練習が課されると、嘉弥真のストレートの球速はコンスタントに130 km/hを超えるようになり、チームのエース格へと成長した。
2010年3月(在籍3年目)、嘉弥真は交流戦のために亜細亜大学の東風平キャンプに参加し、同大学の生田勉監督の目に留まった。生田監督がJX-ENEOSの大久保秀昭監督に連絡を入れたことで、同年8月にJX-ENEOSの本拠地である川崎市での練習に参加する機会を得た。同年5月の都市対抗野球沖縄県1次予選では、敗者復活代表決定戦で前年度本大会出場の沖縄電力を相手に9回2失点で完投勝利を収めた。同年10月の西日本クラブカップでは優勝を果たし、MVPを獲得した。これらの活躍とJX-ENEOSでの練習での高評価を受け、同年12月にJX-ENEOSへ移籍した。JX-ENEOSでは正社員ではなく契約社員待遇で、野球部の寮に入寮することはできなかったが、嘉弥真自身はむしろ気楽に生活できると感じていた。
2011年、東日本大震災の影響で多くの公式戦が中止となる中、同年9月の秋季神奈川県企業大会の東芝戦で1安打完封の快投を披露し、福岡ソフトバンクホークススカウトの田口昌徳から高い評価を受けた。同年10月の第82回都市対抗野球大会では、王子製紙との初戦に2番手として登板したが、チームは1回戦で敗退した。
同年10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議で、嘉弥真はソフトバンクから5位指名を受けた。同年11月25日には契約金3000.00 万 JPY、年俸1000.00 万 JPY(金額はいずれも推定)で入団に合意。背番号は57に決定した。
2. プロフェッショナルキャリア
嘉弥真新也のプロ野球選手としてのキャリアは、福岡ソフトバンクホークスでの長きにわたる活躍と、東京ヤクルトスワローズでの挑戦、そして現役引退という節目で構成されている。
2.1. ドラフトと初期シーズン (2012-2015)

2012年は二軍で開幕を迎えたが、金澤健人の離脱を受けて5月2日に一軍に昇格した。同4日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、8回二死一・三塁の場面からプロ初登板を果たし、1回1/3を無失点に抑えた。しかし、その後は2試合連続で1失点を喫し、5月16日の東京ヤクルトスワローズ戦では2回4安打3四球6失点(自責点4)と大きく崩れ、翌17日に登録を抹消された。その後は一軍に再昇格することなくシーズンを終え、ルーキーイヤーの一軍登板は4試合にとどまった。オフにはプエルトリコのウィンターリーグへ派遣され、7試合に先発登板した。
2013年も二軍で開幕を迎えたが、ウエスタン・リーグでは5月度のファーム月間MVPを受賞するなど、14試合の登板で6勝1敗・防御率0.71という好成績を残し、5月31日に一軍に昇格した。7月15日の千葉ロッテマリーンズ戦では、4回裏二死満塁のピンチから登板し、無失点投球を続けたところ、チームが6回表に5点を奪って逆転したため、2回1/3を無失点の好投でプロ初勝利を挙げた。8月2日の埼玉西武ライオンズ戦では同点の延長11回表に登板し、二死一・二塁で降板したが、後続が断たれたためプロ初ホールドが記録された。中継ぎとして好投を続け、先発ローテーションの再編に伴い、8月23日の西武戦でプロ初先発が予定されたが、雨天中止となり流れてしまった。その後は中継ぎに戻り、9月19日の楽天戦でプロ初先発登板。5回4安打2失点の内容で勝敗は付かなかった。一軍昇格後は一度も登録抹消されることなくシーズンを完走し、この年は40試合(1先発)の登板で3勝1敗4ホールド・防御率2.32を記録した。秋季キャンプ中には当時の秋山幸二監督から先発転向を通達された。
2014年1月15日、自主トレーニング先のグアムから電話で加藤伸一投手コーチに「自信のある中継ぎで勝負したい」と希望を伝えた。中継ぎとして自身初の開幕一軍入りを果たし、ブルペンの一角を担っていたが、8月に入ると2試合連続で3安打を打たれて失点を喫し、8月15日に登録を抹消された。9月25日に再登録されるも、同30日に再度登録抹消となり、この年は32試合の登板で0勝2敗1ホールド・防御率3.19という成績であった。
2015年も中継ぎとして開幕を一軍で迎えたが、4月17日に登録を抹消された。5月26日に再登録されるも、7月12日に再び登録抹消。その後も再登録と抹消を2度繰り返し、この年は16試合の登板で0勝0敗1ホールド・防御率4.20という成績にとどまった。オフの契約更改では200.00 万 JPY減の推定年俸でサインした。
2.2. 左腕スペシャリストとしての台頭 (2016-2020)
2016年は3年連続となる開幕一軍入りを果たしたが、4月14日に登録を抹消された。7月31日に再登録されるも、8月7日に再度登録抹消となり、この年は5試合の登板で防御率8.59という成績に終わった。オフの秋季キャンプでは投球フォームをスリークォーターからサイドスローに変更し、スローカーブも習得した。契約更改では500.00 万 JPY減となる推定年俸2000.00 万 JPYでサインした。
2017年、前年オフに森福允彦がFAで読売ジャイアンツへ移籍し、空いた左の中継ぎ枠を飯田優也と争い、開幕一軍入りを果たした。開幕から16試合で防御率0.71を記録していたが、5月に入り4試合連続で左打者に安打を打たれ、5月18日に登録を抹消された。6月13日に再登録されると、同28日・29日の北海道日本ハムファイターズ戦では2日連続で満塁のピンチを抑え、7月5日のオリックス・バファローズ戦では4年ぶりの一軍勝利を挙げるなど、ブルペンの一角を担った。先発陣が振るわず登板過多な状況が続いていたこともあり、8月以降は成績を落としたものの、この年は58試合の登板で2勝0敗14ホールド・防御率2.76を記録し、リーグ優勝に貢献した。その後は楽天とのCSファイナルステージでポストシーズン初登板を果たし、横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズにも登板し、チームの日本シリーズ優勝に貢献した。12月8日の契約更改交渉では一旦保留し、予定された記者会見も拒否したが、同20日の2度目の交渉では倍増となる推定年俸4000.00 万 JPYでサインした。
2018年は5年連続で開幕一軍入りし、6月24日のオリックス戦から9月24日の日本ハム戦にかけて31試合連続無失点(球団タイ記録)を、さらに自責点に限れば5月24日の西武戦から42試合連続無失点を記録した。しかし、優勝を争う西武との直接対決となった9月27日の試合では秋山翔吾に逆転3点本塁打を許し、無失点記録が途切れた。その後は調子を落とし防御率は悪化したものの、この年はキャリアハイとなる67試合に登板し、2勝1敗25ホールド・防御率2.45を記録した。ポストシーズンでは復調し、日本ハム・西武とのクライマックスシリーズでは計3試合、広島東洋カープとの日本シリーズでは5試合に登板し、いずれも無失点に抑え、チームの2年連続日本一に貢献した。オフには倍増となる推定年俸8000.00 万 JPYで契約を更改した。
2019年は春季キャンプ第1クールに股関節の違和感を訴えて調整が遅れ、開幕一軍入りを果たしたものの、初の凱旋登板となった5月21日の沖縄セルラースタジアム那覇での西武戦では1/3回を投げて2失点を喫し、これが5試合連続の失点となった。開幕から15試合で防御率7.71と振るわず、同23日に登録を抹消された。6月12日に再登録されると、同18日のヤクルト戦ではプロ初セーブを挙げた。再登録後は復調し、この年は54試合の登板で2勝2敗19ホールド1セーブ・防御率2.61を記録。楽天・西武とのクライマックスシリーズ、巨人との日本シリーズとポストシーズンでも左打者への役割を全うし、チームの3年連続日本一に貢献した。オフには3000.00 万 JPY増となる推定年俸1.10 億 JPYで契約を更改した。
2020年は新型コロナウイルスの影響で開幕延期・試合数減となったが、球団左腕投手史上初となる「4年連続50試合登板&防御率2点台以下」を目標にシーズンインした。開幕から一度も登録抹消されることなくブルペンを支え、複数失点を喫したのは10月30日の西武戦のみとシーズンを通して安定した投球を披露した。この年は50試合の登板で3勝1敗18ホールド・防御率2.10と好成績を収め、目標としていた球団左腕史上初の記録を達成し、チームの3年ぶりリーグ優勝に大きく貢献した。ロッテとのクライマックスシリーズ、巨人との日本シリーズでも左打者キラーとしてチームの4年連続日本一に貢献した。オフには3000.00 万 JPY増となる推定年俸1.40 億 JPYで契約を更改した。
2.3. 後期シーズンとFA権 (2021-2023)
2021年は8年連続で開幕一軍入りし、4月23日に国内FA権を取得した。開幕からフル回転の働きを見せていたが、6月に入ると調子を落とし、前半戦はリーグ最多の42試合に登板するも防御率4.18と不調だった。8月29日のオリックス戦で5年連続50試合登板を達成したが、後半戦9試合の登板で防御率15.43と不調が続き、9月3日に登録を抹消された。同19日に再登録となり、10月5日の楽天戦では通算100ホールドを達成。これはNPB史上40人目の記録である。しかし、出塁を多く許す不安定なピッチングが続き、同15日に再び登録抹消となり、この年は58試合の登板で1勝0敗19ホールド・防御率4.71という成績に終わった。オフの動向が注目されていたが、12月3日に国内FA権を行使せずに2年契約で残留することを表明。同20日の契約更改交渉で2000.00 万 JPY増となる推定年俸1.60 億 JPYプラス出来高の2年契約にサインした。
2022年も開幕一軍入りし、6月4日の中日ドラゴンズ戦で1失点を喫するまで、開幕から21試合連続無失点を記録した。しかし、続く同11日のヤクルト戦で村上宗隆のワンポイントとして登板するも、逆転満塁本塁打を打たれてしまった。6月27日には新型コロナウイルス陽性判定を受けて登録を抹消された。7月17日の二軍戦で実戦復帰し、同29日に一軍復帰を果たし、離脱前を含めて28試合連続無失点を記録した。シーズン終盤は役割を果たせない登板が目立ったものの、この年はチーム最多の56試合に登板し、0勝0敗28ホールド・防御率0.99というキャリアベストの成績を記録した。
2023年は10年連続となる開幕一軍入りを果たし、4月28日には海外FA権を取得した。しかし、シーズン初登板では1安打1四球で一死も奪えずに降板するなど、役割を果たせない登板が目立ち、13登板で防御率6.43という成績で5月21日に登録を抹消された。抹消後は二軍でも苦しみ、6月1日に再登録されたが、同3日の広島戦では2点ビハインドの7回裏から登板し、1回1安打2四球2失点を喫した。6月6日に登録を抹消されると、左肩の違和感によりリハビリ組で調整する期間があった。7月15日に再登録されるも、1試合に登板したのみで同25日に登録抹消。9月9日に再登録されると、体調不良で離脱した期間がありながらも、ポストシーズンまで一軍に帯同した。しかし、CSファーストステージ第1戦では5回裏のイニング途中から登板し、2点差まで追い上げた直後の6回裏も続投したが、3連打を打たれチームは致命的な3失点を失った。レギュラーシーズン成績も23試合の登板で1勝0敗7ホールド・防御率5.25に終わった。10月22日、ソフトバンクから戦力外通告を受けた。
2.4. 東京ヤクルトスワローズ時代 (2024)
2023年11月17日、東京ヤクルトスワローズが嘉弥真新也の獲得について基本的合意に至ったと発表した。同28日には入団会見に臨み、背番号は49に決まった。推定年俸は前年の8分の1となる2000.00 万 JPYであった。
2024年はわずか9試合の登板にとどまり、4.1イニングを投げて防御率14.54と全く振るわなかった。二軍では29試合に登板したが、嘉弥真自身は「自分が納得いく抑え方が出来なかった。体は元気だが、つかんだ感覚がなく、何が(不調の)原因だったのか気づけずに終わってしまった」と語っている。同年限りで2年連続となる戦力外通告を受けた。
2.5. 現役引退と引退後のキャリア
東京ヤクルトスワローズから戦力外通告を受けた嘉弥真新也は、2024年11月15日に現役引退を表明した。
引退後は、単身赴任していた東京から家族のいる福岡へ戻り、福岡ソフトバンクホークスのアカデミーコーチに就任した。
3. 国際キャリア
嘉弥真新也は、野球日本代表チームの一員として国際大会に参加し、世界一に貢献した。
2019年10月24日、2019 WBSCプレミア12の日本代表に選出された。同大会では左打者キラーのワンポイントリリーフとして役割を全うし、日本代表の世界一に貢献した。特に、地元沖縄県那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇で開催されたカナダ戦で、投手交代で自身の名前がコールされた際に大歓声が上がったことは、嘉弥真自身も引退に際して「印象に残っているシーン」として挙げている。
4. 選手としての特徴
嘉弥真新也の投球スタイルは、左打者キラーとして長年活躍を支えた独特のフォームと、特徴的な球種によって確立された。
4.1. 投球スタイルと持ち球
嘉弥真は左サイドスローの投球フォームから、最速146 km/hのストレートと、スライダー、シュートなど複数の変化球を投げる。特に左打者に対しては、サイドスローから繰り出される球の軌道が打ちづらく、ワンポイントリリーフとしてその真価を発揮した。
4.2. 特筆すべき球種
サイドスロー転向前、嘉弥真はナックルボールのように不規則な軌道で沈む独自の球種を嘉弥真ボールと称して決め球としていた。この球は右打者へのインコース攻めに有効で、人差し指と中指を内側に折り曲げ、親指、薬指、小指の3本で支えるという独特の握りから投げられていた。嘉弥真自身もこの球の変化は予測できないと語っていた。
また、2001年の第73回選抜高等学校野球大会で宜野座高校が使用し、話題となった宜野座カーブの使い手でもあった。この球種は、ビッグ開発ベースボールクラブ時代に嘉弥真自身が宜野座高校まで足を運び、伝授してもらったものである。
さらに、2012年オフに派遣されたプエルトリコウィンターリーグでは、チェンジアップを習得し、投球の幅を広げた。
5. 人物
嘉弥真新也は沖縄県石垣島出身で、野球を通じて故郷との繋がりを大切にしてきた。
嘉弥真の父方の兄弟は12人おり、親戚は200名以上という大家族である。10歳年下の弟も、年の離れた兄である新也の影響で小学4年生から野球を始め、兄が石垣島に帰省した際にはよく2人でキャッチボールをしていたという。
2016年11月3日、同年7月に同郷の沖縄県出身の一般女性と入籍していたことが報じられ、翌2017年1月14日には第1子となる長男が誕生した。
石垣島の実家には2023年にショーケースが新設され、プロ初勝利のウイニングボールなどの記念ボールやチャンピオンリング、侍ジャパンの活動時の写真などが飾られている。また、沖縄セルラースタジアム那覇で毎年開催されるソフトバンクのシーズン公式戦では、家族や親戚約30人が「新也大応援団」を結成して応援していた。
6. 経歴・成績
嘉弥真新也のプロ野球における年度別成績、国際大会での成績、守備成績、背番号、そして特筆すべき記録は以下の通りである。
6.1. 年度別投手成績 (NPB)
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ | ブ | ホ | ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 故 意 四 球 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ | ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | WHIP | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | ソフトバンク | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 23 | 4.1 | 6 | 0 | 5 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 8 | 6 | 12.46 | 2.54 | |
2013 | 40 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 4 | .750 | 215 | 54.1 | 38 | 0 | 16 | 0 | 2 | 50 | 3 | 0 | 17 | 14 | 2.32 | 0.99 | ||
2014 | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | .000 | 164 | 36.2 | 44 | 3 | 9 | 1 | 1 | 40 | 2 | 1 | 14 | 13 | 3.19 | 1.45 | ||
2015 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 63 | 15.0 | 14 | 2 | 5 | 0 | 1 | 14 | 0 | 0 | 7 | 7 | 4.20 | 1.27 | ||
2016 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 36 | 7.1 | 9 | 4 | 4 | 0 | 1 | 8 | 1 | 0 | 7 | 7 | 8.59 | 1.77 | ||
2017 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 14 | 1.000 | 143 | 32.2 | 31 | 1 | 11 | 0 | 5 | 47 | 1 | 0 | 11 | 10 | 2.76 | 1.29 | ||
2018 | 67 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 25 | .667 | 129 | 33.0 | 17 | 3 | 11 | 1 | 2 | 28 | 0 | 0 | 11 | 9 | 2.45 | 0.85 | ||
2019 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1 | 19 | .500 | 128 | 31.0 | 29 | 1 | 5 | 0 | 4 | 26 | 0 | 0 | 13 | 9 | 2.61 | 1.10 | ||
2020 | 50 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 18 | .750 | 117 | 30.0 | 18 | 1 | 10 | 0 | 2 | 33 | 0 | 0 | 7 | 7 | 2.10 | 0.93 | ||
2021 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 19 | 1.000 | 121 | 28.2 | 22 | 2 | 13 | 1 | 1 | 27 | 0 | 0 | 16 | 15 | 4.71 | 1.22 | ||
2022 | 56 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 28 | ---- | 109 | 27.1 | 18 | 1 | 11 | 1 | 1 | 22 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0.99 | 1.06 | ||
2023 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1.000 | 56 | 12.0 | 16 | 1 | 6 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | 7 | 7 | 5.25 | 1.83 | ||
2024 | ヤクルト | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 24 | 4.1 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 7 | 7 | 14.54 | 2.77 | |
通算:13年 | 472 | 1 | 0 | 0 | 0 | 14 | 7 | 1 | 137 | .667 | 1328 | 316.2 | 274 | 19 | 106 | 4 | 21 | 308 | 7 | 1 | 128 | 114 | 3.24 | 1.20 |
- 2024年度シーズン終了時
6.2. WBSCプレミア12での投手成績
年 度 | 代 表 | 登 板 | 先 発 | 勝 利 | 敗 戦 | セ | ブ | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ | ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2019 | 日本 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1.0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 |
6.3. 年度別守備成績
年 度 | 球 団 | 投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2012 | ソフトバンク | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2013 | 40 | 0 | 10 | 0 | 2 | 1.000 | |
2014 | 32 | 2 | 13 | 0 | 0 | 1.000 | |
2015 | 16 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 5 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2017 | 58 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1.000 | |
2018 | 67 | 1 | 12 | 0 | 0 | 1.000 | |
2019 | 54 | 1 | 9 | 0 | 1 | 1.000 | |
2020 | 50 | 1 | 4 | 1 | 0 | .833 | |
2021 | 58 | 3 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | |
2022 | 56 | 1 | 8 | 1 | 1 | .900 | |
2023 | 23 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | |
2024 | ヤクルト | 9 | 0 | 3 | 0 | 1 | 1.000 |
通算 | 472 | 15 | 76 | 2 | 5 | .978 |
- 2024年度シーズン終了時
6.4. 背番号
- 57(2012年 - 2023年)
- 49(2024年)
6.5. 初記録・節目の記録
嘉弥真新也選手のプロ野球キャリアにおける主要な「初記録」と「節目の記録」は以下の通りである。
; 初記録
- 初登板:2012年5月4日、対東北楽天ゴールデンイーグルス6回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表二死に4番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
- 初奪三振:2012年5月10日、対オリックス・バファローズ9回戦(ほっともっとフィールド神戸)、7回裏に後藤光尊から空振り三振
- 初勝利:2013年7月15日、対千葉ロッテマリーンズ13回戦(QVCマリンフィールド)、4回裏に2番手で救援登板、2回1/3を無失点
- 初ホールド:2013年8月2日、対埼玉西武ライオンズ11回戦(福岡ヤフオク!ドーム)、10回表に6番手で救援登板、2/3回を無失点
- 初先発:2013年9月19日、対東北楽天ゴールデンイーグルス23回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、5回2失点6奪三振、勝敗つかず
- 初セーブ:2019年6月18日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(神宮球場)、9回裏に5番手で救援登板・完了、1/3回を無失点
; 節目の記録
- 100ホールド:2021年10月5日、対東北楽天ゴールデンイーグルス20回戦(福岡PayPayドーム)、6回表二死から4番手で救援登板、2/3回無失点 ※史上40人目
7. 登場曲
嘉弥真新也が試合出場時に使用した登場曲は以下の通りである。
- 「五穀豊穣」パーシャクラブ(2012年)
- 「Hands Up!」BIGBANG(2013年 - 2016年)
- 「ハブとマングース」きいやま商店(2017年 - 2018年)
- 「頑張れよ!」きいやま商店(2017年 - )
- 「시작シジャク韓国語」Gaho(2021年 - )