1. 経歴
村上宗隆の野球キャリアは、プロ入り前とプロ入り後の二つの期間に分けて詳細に述べられる。
1.1. プロ入り前
村上はプロ野球選手になる以前から、野球に対する深い情熱と卓越した才能を見せていた。
1.1.1. 幼少期と学生時代
村上は2000年2月2日、熊本県熊本市東区に生まれた。クラブチームで野球をしていた兄の影響を受け、4歳頃からキャッチボールを始め、父親によれば幼稚園の年中時にはすでに「プロ野球選手になりたい」と語っていたという。熊本市立託麻南小学校(熊本市東区)に入学すると、兄と同じクラブチームに入団し、本格的に野球を始める。小学3年生の時には、元プロ野球選手の今井譲二や御船英之が指導し、井手らっきょが校長を務める「PBA野球塾」に入塾。ここでは、元プロの松永浩美からインコースの打ち方など、実践的な指導を受けた。小学4年生で軟式野球チーム「託麻南小野球クラブ」(「託麻南小野球部」とも呼ばれ、5学年下の弟・慶太も所属していた)に入団し、小学6年生で元プロの吉本亮の父が指導する硬式野球チーム「熊本東リトルシニア」に進んだ。2012年3月に託麻南小を卒業後、同年には熊本市立長嶺中学校へ進学。中学2年生の冬には、増田珠や西浦颯大らとともに九州選抜チームの一員として台湾遠征を経験した。
1.1.2. 高校時代とアマチュアでの活躍
九州学院高等学校に入学した村上は、1年生から一塁手のレギュラーに定着し、すぐにクリーンアップヒッターとしてチームの主軸を担った。2015年の夏の熊本大会では、4番打者として起用された初打席でいきなり満塁本塁打を放つ鮮烈なデビューを飾った。しかし、同年の夏の甲子園大会では、石川県の遊学館高等学校の投手小孫竜二相手に無安打に終わり、初戦で敗退した。1年生の秋からは捕手も務めたが、2年生と3年生の夏の熊本大会では、田浦文丸などを擁する秀岳館にそれぞれ敗れ、甲子園出場は1年生の夏の一度きりとなった。高校通算では52本塁打を記録し、その並外れた長打力から、一部からは「肥後のベーブ・ルース」と称された。九州学院高校での2学年上には伊勢大夢、1学年上には吉野光樹がおり、吉野とはバッテリーを組むこともあった。また、高校2年生の時には熊本地震を経験している。
1.2. プロ入り
村上は2017年10月26日に開催されたプロ野球ドラフト会議において、東京ヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツ(巨人)、東北楽天ゴールデンイーグルスの3球団から1位指名を受けた。当初、これらの球団は早稲田実業の清宮幸太郎を1位指名していたものの、抽選で北海道日本ハムファイターズに交渉権を奪われたため、外れ1位として村上を指名した。清宮との競合指名もあり、会議前は「東の清宮、西の村上」と評され注目を集めていた。抽選の結果、ヤクルトが村上の交渉権を獲得。熊本県関係選手のドラフト1位指名は、2013年の岩貞祐太(阪神タイガース)以来、高校生としては2007年の藤村大介(巨人)以来の快挙であった。
ヤクルトからの指名を受けた村上は、目標について「ホームランだけでなく、犠牲フライや進塁打など状況に応じたバッティングで、チームに貢献できる選手になりたい。そして、いつかは日の丸を背負いたい」と語った。同年11月12日、契約金8000.00 万 JPY、年俸720.00 万 JPY(いずれも推定)で仮契約を締結し、背番号は55に決定した。高校時代の守備位置は捕手と一塁手であったが、プロ入り後は三塁手にコンバートされ、内野手登録で入団。入団会見では「プロではスタートラインは同じ。強い意識で"村上世代"と言わせられるような選手になれるように」と抱負を述べている。さらに、12月22日には当時チームの主軸であった山田哲人とウラディミール・バレンティンに弟子入りを志願する意向を表明した。彼の担当スカウトは松田慎司であった。
興味深いエピソードとして、中日ドラゴンズの当時のスカウト部長であった中田宗男は、村上が九州学院高校に入学する以前から、同校野球部の監督であった後輩から村上の評判を聞き注目していたことを明かしている。しかし、ドラフト会議の時点では中日球団の補強ポイントが捕手であったため、肩の強さを重視する中田は村上の肩に懸念を抱き、別の捕手である中村奨成(広陵高校)を1位指名せざるを得なかったと語っている。中田は、この出来事が自身のスカウト能力の限界を感じさせたとし、村上を獲得したヤクルトが2021年・2022年とセ・リーグ連覇できた要因は、守備位置に関わらず打者としての素質がある選手を積極的に獲得していたためだと評価している。
1.3. 東京ヤクルトスワローズ時代
村上は東京ヤクルトスワローズに入団後、急速にその才能を開花させ、球界を代表するスラッガーへと成長していった。
1.3.1. 2018年
プロ入り1年目の2018年は、シーズンを通して二軍(イースタン・リーグ)での出場が主となった。4月末時点で28試合に「4番・三塁手」として先発出場し、打率.311、3本塁打、20打点という高卒新人としては破格の成績を残した。6月には打率.315、6本塁打、14打点、7盗塁を記録し、ファーム月間MVPを受賞。これはヤクルトの高卒新人としては2011年の山田哲人以来の快挙であった。7月12日のフレッシュオールスターゲーム(はるか夢球場)では「4番・一塁手」で先発出場し、1安打1盗塁を記録した。
9月16日、一軍昇格を果たし、同日の広島東洋カープ戦(神宮球場)に「6番・三塁手」で先発出場。2回に岡田明丈からプロ初打席初本塁打を記録した。これはNPB史上64人目、ヤクルトでは8人目、高卒新人としては7人目(ヤクルトでは廣岡大志に次ぐ2人目)という記録であった。また、2000年代生まれの選手が一軍公式戦で放った日本プロ野球史上初の本塁打としても歴史に名を刻んだ。村上自身は「初回のエラーを取り返そうと思って打席に入りました。プロ初打席がホームランになってよかったです」とコメントしている。しかし、この初打席以降は13打席で無安打2四球に終わり、一軍での安打はこの本塁打のみに留まった。二軍では打率.288、17本塁打、70打点、16盗塁と抜きん出た成績を残し、10月のみやざきフェニックス・リーグではシーズン歴代最多となる10本塁打を記録した。11月27日にはイースタン・リーグで優秀選手賞、新人賞、努力賞に選出された。さらに、12月に閉幕したアジアウインターベースボールリーグでは4本塁打(塩見泰隆と同数1位)、15打点(単独1位)を記録する活躍を見せた。オフには80.00 万 JPY増の推定年俸800.00 万 JPYで契約を更改した。二軍時代から持ち前の長打力を活かすため、打撃フォームに大きな変更は加えなかったという。
1.3.2. 2019年
2019年は村上にとって飛躍のシーズンとなった。オープン戦から好成績を残し、「6番・三塁手」で自身初の開幕戦先発出場を果たした。19歳1か月での開幕戦先発出場は、1959年の西岡清吉(21歳10か月)の球団記録を塗り替える最年少記録であった。
5月11日の巨人戦で、両リーグ制導入後では史上18人目となる高卒2年目以内での二桁本塁打となる10号本塁打を放った。チーム38試合目での到達は、高卒2年目以内では史上最速であった。5月12日の巨人戦ではプロ入り初の4番打者に座った。6月以降は、守備面の課題や坂口智隆の離脱もあり、主に一塁手として出場した。オールスターゲームには三塁手部門でファン投票1位で選出され、ホームランダービーにも出場した。8月12日の横浜DeNAベイスターズ戦では山﨑康晃から25号逆転サヨナラ2点本塁打を放ち、サヨナラ本塁打の史上最年少記録を更新した。8月22日には、高卒2年目の選手としてはセ・リーグ史上初となるシーズン30本塁打を達成。これは10代の選手による月間10本塁打の初記録でもあった。9月4日の広島戦での適時打で87打点に到達し、中西太が持つ高卒2年目以内におけるシーズン最多打点日本記録を更新した。また9月21日に36号本塁打を放ち、中西の持つ高卒2年目以内におけるシーズン最多本塁打日本記録に並んだ。
村上は最終的にチーム唯一となる全143試合に出場し、36本塁打、96打点(いずれもリーグ3位)を記録。一方で、打率は規定打席到達者としてリーグ最低の.231、三振数に至っては2004年に岩村明憲が記録した173を上回る184を記録し、セ・リーグ記録および日本人選手最多記録を更新した(日本プロ野球史上4位の記録で、1~3位は全てラルフ・ブライアント)。オフの契約更改では、年俸4500.00 万 JPY(前年から3700.00 万 JPY増)で契約を更改した。村上はこの実績が認められ、盗塁王を獲得した阪神の近本光司に39票差ながら接戦を制し、最優秀新人(新人王)を受賞した。
1.3.3. 2020年
2020年はプロ3年目にして開幕戦から「4番・三塁手」で起用された。6月・7月は打率.339、6本塁打、37打点と開幕から好成績を維持し、球団最年少の20歳で月間MVPに選ばれた。7月2日の広島戦(神宮球場)ではサヨナラ満塁本塁打を放つなど、31打点を挙げ、1991年6月に広沢克実が記録した球団の日本人月間打点記録(29打点)を更新した。20歳5か月でのサヨナラ満塁本塁打は、王貞治に次ぐ年少2位の記録であった。11月5日の阪神戦では、2回に安打で出塁すると二盗・三盗・本盗と1イニング3盗塁に成功した。これはサイクルスチールと呼ばれ、セ・リーグでは1953年の土屋伍郎以来67年ぶり3人目、NPB全体でも1979年の島田誠以来41年ぶり17人目の記録であった。
最終的に、短縮シーズンの全120試合に出場し、打率.307(リーグ5位)、28本塁打(同2位タイ)、86打点(同2位)、130安打(同5位)、30二塁打(同2位タイ)を記録した。また、出塁率.427、長打率.585、得点圏打率.352、OPS1.012、87四球はいずれもリーグトップであり、自身初の打撃タイトルとなる最高出塁率を獲得した。20歳シーズンでの最高出塁率獲得と全試合4番出場は共に史上最年少記録となり、2年連続の全試合出場も記録した。一方で、三振数はリーグトップの115、失策数はリーグ2位の14を記録し、課題も残した。オフの契約交渉では、年俸1.00 億 JPY(前年から5500.00 万 JPY増)で契約を更改した。プロ4年目での年俸1.00 億 JPY到達は、古田敦也、青木宣親、小川泰弘に並ぶ球団最速タイ記録であり、球団最年少記録であった。なお、高卒4年目での1.00 億 JPY到達は田中将大、ダルビッシュ有に並ぶ史上最速タイ記録となった。
1.3.4. 2021年
2021年も前年に引き続き全試合4番打者を務め、前半戦は26本塁打(リーグ2位)、61打点(リーグ3位)を記録した。後半戦は打率を大きく上げながら、ハイペースで打点を量産し、チームを首位に押し上げる原動力となった。9月19日には、史上最年少となる21歳7か月で通算100本塁打に到達し、1989年に清原和博が記録した21歳9か月での達成記録を32年ぶりに塗り替えた。10月には調子を落とした影響で本塁打は40号の大台に届かず、岡本和真に1打点及ばず打点王のタイトルを逃したものの、自身初となる本塁打王のタイトルを岡本と共に獲得した。四球数は2年連続リーグトップとなる106を記録し、出塁率も前年に引き続き4割をクリア。OPSはリーグ2位の.974を記録するなど、自身初のリーグ優勝に大きく貢献した。全試合4番出場で打点と四球で3桁記録を達成した選手は、落合博満、松井秀喜に次いで史上3人目という快挙であった。
課題とされていた守備力も向上を見せ、三塁手としてはリーグ最多の13失策を記録したものの、シーズンを通して主に三塁を守り続けた。オリックス・バファローズとの日本シリーズも全6試合に4番でフルイニング出場。第1戦と第5戦で本塁打を放ち、チームは4勝2敗でシリーズを制し、リーグ優勝に加えて日本一も同時に経験した。日本一が決まった瞬間、村上は涙を流した。
シーズン終了後のNPB表彰では、セ・リーグのMVPを受賞した。21歳でのセ・リーグMVPは、1996年の松井秀喜(巨人、当時22歳)を抜いて史上最年少での受賞となった。また、左打者のMVP受賞はヤクルト球団史上ロベルト・ペタジーニ以来20年ぶり、日本人左打者としては若松勉以来43年ぶり2人目であり、打率2割台でのMVP受賞は投捕手以外ではセ・リーグ史上初であった。12月20日、1.20 億 JPY増の年俸2.20 億 JPY+出来高払いで契約を更改。高卒5年目野手としては史上最高額での契約となった。シーズンオフには2度目の新型コロナウイルス感染に見舞われた。
1.3.5. 2022年
2022年シーズン、村上は歴史的な活躍を見せた。4月2日のDeNA戦でサヨナラ打を放った。5月6日・5月7日の巨人戦(いずれも東京ドーム)では2試合連続満塁本塁打を放ち、NPBでは2018年の杉本裕太郎以来史上9人目、セ・リーグでは2006年のタイロン・ウッズ以来史上3人目の快挙を達成した。交流戦に入ると、5月24日の北海道日本ハムファイターズ戦(神宮球場)では北山亘基からサヨナラ本塁打を放ち、6月12日の福岡ソフトバンクホークス戦では嘉弥真新也から決勝点となる逆転満塁本塁打を放つなど、全18試合で打率.351、6本塁打、13打点の活躍により、交流戦MVPに輝いた。
また、6月は打率.410、14本塁打、35打点という驚異的な成績を記録し、ウラディミール・バレンティンと並んで球団最多タイとなる月間35打点を達成した。この活躍により、2か月連続で月間MVPに選出された(ヤクルトでの2か月連続月間MVPは2001年4月・5月のロベルト・ペタジーニ以来2人目)。7月13日の中日戦(バンテリンドーム ナゴヤ)では両リーグ最速となる30号本塁打を記録し、2年連続での両リーグ最速30号達成は日本人左打者では1997年と1998年に松井秀喜が達成して以来24年ぶりの快挙であった。前半戦を打率.312(リーグ5位)、33本塁打、89打点(本塁打、打点はリーグトップ)の成績で終え、89打点は2003年のアレックス・ラミレスが保持していた前半戦での打点の球団記録を更新した。
7月31日の阪神タイガース戦(甲子園球場)から8月2日の対中日戦(神宮球場)にかけて、NPB史上初となる5打席連続本塁打を記録した。7月は8本塁打、17打点、長打率.742、出塁率.471の成績で3か月連続月間MVPに選ばれた。これはアレックス・ラミレス、山田哲人に並び史上最多タイ記録である。その後も好調は続き、8月5日の巨人戦(神宮球場)を終えた時点で39本塁打、98打点はいずれもリーグ1位、打率.320はリーグ3位であった。しかし、同年8月6日、倦怠感を訴え「特例2022」により登録抹消。PCR検査で陰性判定を受け翌7日には再登録されたものの、これにより2020年6月19日から継続していた球団最多記録の連続4番出場が360試合(日本プロ野球歴代7位)、併せて2019年5月26日から継続していた連続先発出場が454試合、同年開幕戦から続いていた連続試合出場が503試合でいずれも途切れた。8月11日の広島戦(マツダスタジアム)で自身初かつ両リーグ最速の40号本塁打を記録。22歳のシーズンでの40号到達はNPB史上初の最年少記録であった。8月20日の対中日戦(バンテリンドーム ナゴヤ)では2本塁打を放ち、球団の日本人選手最多本塁打記録(2004年に岩村明憲が記録した44本)に並んだ。8月23日の対広島戦(神宮球場)では、岩村の球団記録を塗り替える45号本塁打を放ち、逆転勝利に貢献した。8月26日の対DeNA戦(横浜スタジアム)では46号本塁打を放ち、1986年に清原和博(当時西武ライオンズ)が記録した最年少記録(22歳11か月)を更新する22歳6か月で通算150本塁打を達成した。
9月2日の対中日戦(神宮球場)で3回裏に大野雄大から本塁打を放ち、2013年のバレンティン以来9年ぶり10人目(15度目)、日本国籍の選手としては2002年の松井秀喜(巨人)以来20年ぶり6人目となるシーズン50号に到達した。22歳での50本塁打は1964年の王貞治(当時24歳)を下回り史上最年少での達成となり、平成生まれとしては初の50号ともなった。9月9日の対広島戦(神宮球場)で大瀬良大地から53号を放ち、1963年の野村克也と1985年の落合博満(52本)を抜き日本国籍選手の最多本塁打記録を更新した(王貞治は日本で生まれ育った日本人登録扱いだが、父が旧中華民国浙江省出身の在日華僑であったため、中華民国国籍を有していた)。9月13日の対巨人戦(神宮球場)で3回裏に菅野智之から1985年のランディ・バースに並ぶ54号を放った。そして9回裏に大勢からこの日2本目となる3点本塁打を左翼席へ叩き込み、王貞治が持つ日本人登録選手のプロ野球シーズン最多タイ記録(55号)に58年ぶりに並んだ。シーズン55号本塁打は2013年のバレンティン以来9年ぶり5人目である。9月24日、対DeNA戦でシーズン24個目の申告敬遠を受け、これは1995年のトーマス・オマリーを超え球団新記録となった。
55号を放った後は13試合で5安打・20三振と一時的な不振に陥り、首位打者争いを繰り広げていた大島洋平(中日)に一時的に毛単位の僅差まで詰め寄られた。しかし、村上が打率を.317として迎えていた同年10月2日、大島はシーズン最終戦となった対広島戦で村上の打率を上回ることができず(.3142)、仮に村上が翌3日のシーズン最終戦を3打数無安打で終えた場合でも打率は.3148となるため、この時点で村上の首位打者は決定的となった。村上は翌10月3日に神宮球場で開かれたシーズン最終戦となる対DeNA戦で、第1打席では凡退したものの第2打席で適時打を放ち、この段階で村上の三冠王が確定した。そしてシーズン公式戦最終打席となったこの試合の第4打席(7回裏、シーズン612打席目)で入江大生の初球(直球、球速151 km/h)を右翼席中段に運び、日本人登録選手および左打者によるシーズン最多新記録の56号本塁打を達成した。このシーズン56本塁打は、2003年に李承燁(大韓民国・KBOリーグ:サムスン・ライオンズ)が樹立したアジア人最多本塁打記録に並ぶものでもある。この本塁打は、先述の55号から14試合・61打席ぶりのものであった。打撃三部門の最終成績は、いずれもリーグトップの打率.318(首位打者)、56本塁打(本塁打王)、134打点(打点王)で、1982年の落合博満(当時28歳)を抜きNPB史上最年少となる22歳で令和初の三冠王を達成した。NPBにおける三冠王は2004年の松中信彦(当時福岡ダイエーホークス)以来18年ぶり8人目(通算12度目)で、セ・リーグでは1986年のランディ・バース(当時阪神タイガース)以来36年ぶりの達成である。終盤は不振に喘いだものの、シーズンを通しては3度の月間MVPを獲得し、球団史上29年ぶり2度目のセ・リーグ連覇に大きく貢献した。
ヤクルト球団のスポンサーであるオープンハウスグループは、村上の56号本塁打と三冠王を記念し、当初予定していた1.00 億 JPYから3.00 億 JPYに増額する形で家を贈呈することを決定した。

同年11月には強化試合「侍ジャパンシリーズ」に出場し、出場した3試合全てで本塁打を放った。11月25日、NPB表彰にて2年連続となるセ・リーグのMVPを受賞。NPB歴代7人目(9度目)、セ・リーグでは1977年の王貞治以来となる1位票満票での受賞となった。12月9日には、3年総額18.00 億 JPY(年俸6.00 億 JPY)で契約延長に合意。また、3年契約の終了する2025年シーズン終了後にポスティングシステムを利用してのMLB挑戦を認められた(25歳ルールの期間が変更された場合は、2024年シーズン終了後のMLB挑戦も認められた)。
1.3.6. 2023年
2023年シーズンは、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での大谷翔平など、メジャーリーグトップレベルの打撃を目の当たりにしたことにより、彼らに追いつきたい焦りからトレーニング方法や打撃フォーム、バットの変更などを試した結果、何が正解か分からなくなるというスランプに陥った。3月31日の広島との開幕戦(神宮球場)では1回二死二塁の打席で大瀬良大地から自身初の開幕戦初打席本塁打となる2点本塁打を放つ幸先の良いスタートを切ったものの、4月の月間打率は.152、1本塁打、38三振(月間ワースト)と絶不調に喘いだ。しかし、トレーニング方法を元に戻したことにより5月中旬から絶不調を脱した。
6月30日の対広島戦では4回の守備で邪飛を追う際にフェンスに左膝を強打し、翌7月1日の対広島戦(神宮球場)では先発出場から外れた。この日は8回一死の場面で代打として出場し、右翼線へ二塁打を放ち、これがプロ入り初の代打安打となった。7月の月間打率は.312、7本塁打(月間トップ)、17打点(月間トップ)と好調を取り戻した。8月8日の対広島戦(神宮球場)で3回無死無走者の打席で九里亜蓮から本塁打を放ち、ヤクルトの左打者で初の5年連続20本塁打を達成した(ヤクルトで5年連続20本塁打を放った選手は池山隆寛、広沢克実、アレックス・ラミレス、山田哲人に次いで5人目だが、左打者では村上が初めて)。8月16日の対DeNA戦(神宮球場)では2回に今永昇太から史上7球団目となる球団通算8500本塁打を放ったが、8月18日に体調不良のため、「特例2023」で出場選手登録を抹消された。8月22日に出場選手登録されると、9月16日の対DeNA戦(神宮球場)では4回に石田健大から本塁打を放ち、3年連続4度目のシーズン30本塁打を記録した。プロ入り6年目までにシーズン30本塁打を4度記録した選手は原辰徳、清原和博に次いで3人目で、左打者では村上が最多となった。
シーズンは無冠に終わったものの、31本塁打(リーグ2位)、84打点(リーグ4位)と4番打者らしい成績を残した。一方で、最多三振168と最多失策22という課題も残してシーズンを終えた。3年契約の1年目を終え、現状維持となる推定年俸6.00 億 JPYで契約を更改。「全然ダメ。全て僕の責任です」とチーム低迷の責任を背負い、来季への決意を語った。
1.3.7. 2024年
2024年は開幕から不振が続き、4月12日には自己ワーストを更新する開幕49打席本塁打0本、打点も0という状況であったが、四球は13個で両リーグトップを記録した。4月13日、プロ入り後初めて2番で先発出場し、2019年9月28日の巨人戦以来4番を外れたが、この試合で同年初の打点を記録。4月14日には同じく2番で出場し、開幕から13試合、54打席目で同年1号本塁打を放った。4月17日には再び4番に戻り、5月3日には史上7人目となる本拠地神宮球場での通算100本塁打を24歳3か月で達成し、2019年に山田哲人が樹立した史上最年少記録(26歳10か月)を更新した。また、同一球場での通算100本塁打も1965年に王貞治が後楽園球場で記録した24歳10か月を更新する最年少記録となった。5月15日、24歳3か月でNPB通算200号本塁打を達成。これは1992年に清原和博が記録した最年少記録(24歳10か月)を更新する快挙であった。730試合での到達は日本人選手では山川穂高の697試合、田淵幸一と秋山幸二の714試合に次ぐ4番目のスピード記録となった。
10月5日、シーズン最終戦となった広島戦で自打球を当てて6回の守備からベンチに退き、広島市内の病院で検査を受けた結果、全治2~3か月を要する右母趾末節骨骨折が判明した。同年は33本塁打・86打点で本塁打王(2年ぶり3度目)と打点王(2年ぶり2度目)の二冠王に輝いた。3年契約の2年目を終え、現状維持となる推定年俸6.00 億 JPY+出来高払いで契約を更改し、改めて「(2025年が)日本でやる最後のシーズンになると思う」とMLB挑戦を明言した。12月5日には右肘関節鏡視下クリーニング手術を受け、復帰まで2~3か月を要する見込みである。
2. 代表経歴
村上宗隆は、そのプロキャリアの中で、日本の野球界を代表する国際大会にも複数回出場し、その才能を発揮してきた。
2.1. オリンピック
2021年6月16日、東京オリンピックの野球日本代表「侍ジャパン」に選出された。同大会では全5試合に「8番・三塁手」として先発出場し、チームは金メダルを獲得した。村上自身は決勝のアメリカ戦でニック・マルティネスから先制ソロ本塁打を放つなど、打率.333(15打数5安打)・1本塁打・3打点を記録し、チームの勝利に貢献した。
2.2. ワールド・ベースボール・クラシック (WBC)

2023年1月26日、第5回WBC日本代表に選出された。本戦前の壮行試合・強化試合では「4番・三塁手」として先発出場していたが、打撃の状態が上がらず、本戦前最後の強化試合となる3月7日のオリックスとの強化試合では6番に打順を下げられた。この試合で3つの空振り三振を喫しながらも、第1打席では本塁打を放ち、復調の兆しを見せた。
3月9日からの本戦1次ラウンド4連戦では、「4番・三塁手」として先発出場したが、打率.167(12打数2安打)・0本塁打・1打点と、結局調子は上向かないままだった。3月16日の準々決勝・イタリア戦からは「5番・三塁手」で先発出場し、この試合では二塁打2本を放ち3打数2安打1打点と結果を残した。
3月21日の準決勝・メキシコ戦では3打席連続三振を含む4打数無安打であったが、4-5と1点を追う9回裏無死一・二塁で第5打席が回るとジオバニー・ガジェゴスから中越え2点二塁打を放ち、逆転サヨナラ勝ちを収め、チームの決勝進出に貢献した。3月22日の決勝・アメリカ戦では、1点先制された直後の第1打席でメリル・ケリーから同点に追いつく右越えソロ本塁打を放った。今大会通算では打率.231(26打数6安打)・1本塁打・6打点を記録した。なお、チームは14年ぶり3度目の優勝を収めている。
不振を極めた1次ラウンド終了時には、周囲からの心配のされ方について「(周りから気を遣われて)すごく嫌でしたね。」「逆に打てよ、とかそういう言葉をかけられた方が僕自身、楽になる部分もあったと思うんですけど」と振り返っている。そうした悩みの最中に、負傷で代表を辞退していた鈴木誠也から村上へのいじりを含んだ激励動画が送られたことには「すごく元気出ました」と反応してその動画を自身のInstagramに投稿し、話題を呼んだ。優勝のメダル授与の際には鈴木のユニフォームを手にしながら金メダルを受け取ると、そのメダルを鈴木のユニフォームにかけて記念撮影に臨み、激励に応えていた。
3. 選手としての特徴
村上宗隆は、その卓越した打撃能力、着実な守備・走塁、そして驚異的な身体能力によって、プロ野球選手として特異な存在感を放っている。
3.1. 打撃スタイルと強み
村上は、その速いスイングスピードと桁外れの飛距離が最大の特徴である。中日の柳裕也は、村上の2019年の成長ぶりを「インコースに落としておけばよかったのに、シーズン途中から肘を畳んで内角を打てるようになった」と評価している。桁外れの飛距離を誇るだけでなく、逆方向への高い長打力も備えており、プロ入り2年目以降の全ての年で左方向への本塁打が二桁を超えている。三冠王を獲得した2022年シーズンには、松井裕樹が「マジでヤバイですよね。左バッターの左中間(への本塁打)で打った瞬間、外野手が誰も動かないのは記憶に無い」と、その逆方向への打球を絶賛した。
高卒2年目での36本塁打は中西太と並ぶ歴代1位タイであり、同時期の松井秀喜の本塁打ペースを上回る。張本勲からは「クラッチヒッターになれるかもしれない」と評価されるなど、チャンスに強い打撃も持ち合わせる。NPB最長の5打席連続本塁打や、同最多12度の1試合複数本塁打を記録するなど、固め打ちの傾向も強いと言われている。2022年には、連続出塁記録の達成も期待されるほど、その打撃には安定感が増した。広角打法も得意で、流し打ちでも本塁打を打つ技術が認められており、王貞治からも「60本も夢ではない」とお墨付きをもらっている。プロ2年目の2019年シーズンには両リーグワーストとなる184三振を喫し、以降も4年連続で100三振以上を喫しているが、四球数も年々増やしており、強打者として警戒されると同時に高い選球眼も評価されている。
三冠王を獲得した2022年シーズンは特に中日戦に強く、中日戦では25試合で32安打、打率.364(リーグトップ)、13本塁打(広島戦と並び、12球団を通じて1位)を記録した。また、同球団の本拠地であるバンテリンドーム ナゴヤ(フィールドが広大で外野フェンスも高く、投手有利な球場とされている)でもシーズン7本塁打を記録しており、これは最後の7本目を打った8月20日時点でリーグ最多であった。
3.1.1. 5打席連続本塁打記録
2022年7月31日の阪神タイガース戦(甲子園球場)では、7回表、9回表、延長11回表と3打席連続本塁打を放ち、0-2の劣勢から4-2の逆転勝利に導いた。その翌々日(8月2日)の中日ドラゴンズ戦(神宮球場)では1回裏の第1打席で右越えに38号ソロ本塁打を放ち、NPB史上タイ記録となる4打席連続本塁打を記録。さらに、3回裏の第2打席では左中間に2打席連続となる39号2点本塁打を放ち、NPB史上初、MLBでも公式記録のない5打席連続本塁打を達成した。6回裏の第3打席の結果は左翼線二塁打であった。
日付 | 対戦相手 | 球場 | 回 | 打席 | 対戦投手 | カウント | 打席結果 | 打点 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 7月31日 | 阪神 | 甲子園球場 | 7 | 3 | 渡邉雄大 | 1-2 | 左越本塁打 | 1 |
2 | 9 | 4 | 岩崎優 | 0-0 | 右越本塁打 | 1 | |||
3 | 11 | 5 | 石井大智 | 2-0 | 左越本塁打 | 2 | |||
4 | 8月2日 | 中日 | 神宮球場 | 1 | 1 | 柳裕也 | 2-1 | 右越本塁打 | 1 |
5 | 3 | 2 | 3-2 | 左中間越本塁打 | 2 |
3.2. 守備・走塁
高校時代には50メートル走6.1 s、捕手での二塁送球タイムは最速1.84秒を記録している。プロ入り後は主に一塁と三塁を守るが、内野手として守備力が課題とされることもある。しかし、2022年シーズンは三塁手に徹し、守備力の向上も見せた。2023年シーズンには一時的に一塁を守る機会もあった。
3.3. 身体能力
村上は卓越した身体能力の持ち主である。2017年11月時点で、デッドリフト200 kg、ベンチプレス110 kg、右手握力72 kg、左手握力71 kgという驚異的な数値を記録している。これらの数値は、彼の打撃における長打力の源泉となっている。
4. 評価と栄誉
村上宗隆は、プロキャリアを通じて数多くのタイトルと表彰を獲得し、その活躍は野球界のみならず社会全体に大きな影響を与えている。
4.1. タイトル
- 首位打者:1回(2022年)
- 22歳シーズンでの獲得はセ・リーグ史上最年少。
- 本塁打王:3回(2021年、2022年、2024年)
- 21歳シーズンでの獲得はセ・リーグ史上最年少タイ(2021年)。
- 2022年の2位との26本差は史上最多。
- 打点王:2回(2022年、2024年)
- 22歳シーズンでの獲得はセ・リーグ史上最年少タイ(2022年)。長嶋茂雄(1958年)、王貞治(1962年)と並び史上最年少タイ。
- 2022年の2位との47打点差は史上最多。
- 最高出塁率:2回(2020年、2022年)
4.2. 主要表彰
- 最優秀選手:2回(2021年、2022年)
- 21歳シーズンでの受賞はセ・リーグ最年少(2021年)。
- 2022年の満票受賞は史上7人目9度目、22歳シーズンでの満票受賞は杉浦忠(1959年)を抜いて史上最年少。
- 新人王(2019年)
- ベストナイン:4回(一塁手部門:2020年、三塁手部門:2021年、2022年、2024年)
- 正力松太郎賞:1回(特別賞:2022年)
- コミッショナー特別表彰:1回(特別賞:2022年、三冠王の獲得、5打席連続本塁打、歴代2位となるシーズン56本塁打を讃えて)。
- 月間MVP:4回(打者部門:2020年6・7月、2022年6月、7月、8月)
- セ・パ交流戦 最優秀選手賞(MVP):1回(2022年)
- 日本シリーズ SMBCみんなの声援賞:1回(2022年)
- オールスターゲーム 敢闘選手賞:2回(2022年第2戦、2024年第1戦)
- オールスターゲーム マイナビドリーム賞:2回(2022年第2戦、2024年第1戦)
- ホームランダービー 日産リーフ賞:1回(2021年)
- 報知プロスポーツ大賞 フレッシュ賞(2019年)
- 東鉄工業 presents 燕の下の力持ち賞(2021年3-5月度)
- オープンハウス 特別本塁打賞(2022年)
4.3. その他の栄誉と社会的影響
村上宗隆の活躍は、野球界を超えて社会全体に大きな影響を与えている。
- くまもと夢づくり賞(2021年):東京オリンピックでの金メダル獲得を称えて贈呈された。
- スーツ・オブ・ザ・イヤー2022(スポーツ部門):プロ野球選手として初めて受賞。日本経済新聞社とBeginの共催で、情熱を持って挑戦し時代を変えていく才能や志を持つ人に贈られる賞である。
- 新語・流行語大賞 年間大賞『村神様』(2022年):2022年の彼の神がかり的な活躍を評して、インターネット上で使われ始め、球団公認の愛称となり、オリジナルグッズも販売された。
- 2022年日本の10大ニュース:読売新聞東京本社が発表した「2022年日本の10大ニュース」の読者投票で、「ヤクルト村上が56号本塁打、三冠王」が全有効投票の過半数である14,085票(得票率52.9%)を獲得し、総合5位に選出された。
- 熊本県民栄誉賞(2022年):彼の地元である熊本県は、2022年11月24日に村上へ史上11人目となる県民栄誉賞を贈呈することを決定し、12月28日に蒲島郁夫県知事から贈呈式が行われた。2024年3月12日には、村上を含む歴代受賞者11人の手形・レリーフが熊本県庁舎本館1階ロビーに設置された。彼の地元紙である『熊本日日新聞』は、同新聞社と共同通信社などが選んだ「2022 スポーツ十大ニュース」および編集局による「県内十大ニュース」の双方で、村上の活躍を1位に選出している。
- 第35回小学館DIMEトレンド大賞 話題の人物賞(2022年)
- 熊本市市民栄誉賞(2023年)
- ゴールドポストプロジェクト:東京オリンピック野球日本代表として金メダルを獲得した栄誉をたたえ、2022年1月7日、熊本市中央区の母校・九州学院高等学校東門近くの九学通り沿いに記念のゴールドポスト(第45号)が設置された。
5. 個人記録と節目
村上宗隆は、プロ入り以来、数々の史上最年少記録や歴史的な節目となる記録を樹立し、そのキャリアに輝かしい足跡を残している。
5.1. プロ入り初記録および主要な節目
- 初出場・初先発出場:2018年9月16日、対広島東洋カープ22回戦(明治神宮野球場)、6番・三塁手で先発出場
- 初打席・初安打・初本塁打・初打点:同上、2回裏に岡田明丈から右越2ラン
- 初盗塁:2019年5月8日、対阪神タイガース9回戦(明治神宮野球場)、12回裏に二盗(投手:島本浩也、捕手:梅野隆太郎)
- 100本塁打:2021年9月19日、対広島東洋カープ18回戦(明治神宮野球場)、1回裏に高橋昂也から右越ソロ ※史上303人目、21歳7か月での達成は史上最年少
- 150本塁打:2022年8月26日、対横浜DeNAベイスターズ17回戦(横浜スタジアム)、6回表に大貫晋一から右越ソロ ※史上179人目、22歳6か月での達成は史上最年少、プロ5年目での達成は清原和博以来史上2人目
- 200本塁打:2024年5月15日、対広島東洋カープ6回戦(坊っちゃんスタジアム)、8回裏に矢崎拓也から右中間越ソロ ※史上115人目、24歳3か月での達成は史上最年少
5.2. その他の注目すべき記録
- 三冠王:1回(2022年)※2004年の松中信彦以来18年ぶり、史上8人目12度目
- 令和初、平成生まれ初。
- 22歳シーズンでの達成は史上最年少。
- 56本塁打は三冠王最多記録。
- 二桁盗塁は三冠王史上初。
- 初打席本塁打:2018年9月16日、対広島東洋カープ22回戦(明治神宮野球場)、2回裏に岡田明丈から ※史上64人目
- 19歳6か月でのサヨナラ本塁打:2019年8月12日、対横浜DeNAベイスターズ19回戦(明治神宮野球場)、9回裏に山﨑康晃から中越逆転サヨナラ2ラン ※史上最年少
- 高卒2年目以内シーズン36本塁打:2019年 ※中西太と並び史上最多タイ
- 高卒2年目以内シーズン96打点:2019年 ※史上最多
- シーズン184三振:2019年 ※セ・リーグ最多および日本人最多
- 1イニング3盗塁(サイクルスチール):2020年11月5日、対阪神タイガース24回戦(阪神甲子園球場)、2回表に記録(投手:西勇輝、捕手:梅野隆太郎)※史上17人目
- 初回4番打者の満塁本塁打:2021年9月21日、対横浜DeNAベイスターズ18回戦(横浜スタジアム)、1回表に坂本裕哉から ※セ・リーグでは史上10人目11度目
- 2度目の初回4番打者の満塁本塁打:2022年6月23日、対中日ドラゴンズ11回戦(バンテリンドーム ナゴヤ)、1回表に岡野祐一郎から ※初回4番打者の満塁本塁打としてはセ・リーグ史上13度目、複数回の達成はセ・リーグ史上2人目
- 21歳シーズンでの100打点:2021年 ※史上最年少
- 21歳シーズンでの100四球:2021年 ※史上最年少
- 5年連続左方向へ二桁本塁打:2019年 - 2023年 ※左打者史上初
- 2試合連続満塁本塁打:2022年5月6日 - 7日、対読売ジャイアンツ7回戦、3回表に堀田賢慎から。対読売ジャイアンツ8回戦、3回表にマット・シューメーカーから(東京ドーム)※史上9人目
- 月間9度の勝利打点:2022年6月 ※2リーグ制以降最多
- 月間5度の1試合複数本塁打:2022年6月 ※史上3人目
- 5打席連続本塁打:2022年7月31日 - 8月2日、対阪神タイガース16回戦(阪神甲子園球場)、7回表に渡邉雄大、9回表に岩崎優、11回表に石井大智から、対中日ドラゴンズ14回戦(明治神宮野球場)、1回裏と3回裏に柳裕也から ※NPB記録
- 14打席連続出塁:2022年8月26日 - 28日 ※史上5人目、歴代2位タイ、球団記録
- シーズン50本塁打:2022年 ※史上10人目15度目、日本人選手では2002年の松井秀喜以来史上6人目、119試合目での到達は史上3番目の早さ
- シーズン56本塁打:2022年 ※歴代2位、日本人最多
- シーズン134打点:2022年 ※歴代11位タイ、NPB左打者最多タイ(1985年のランディ・バースに並ぶ。日本人左打者では1949年の川上哲治の129打点を更新)。
- シーズン1試合複数本塁打 12回:2022年 ※史上最多
- シーズン満塁本塁打 4本:2022年 ※史上8人目9度目、歴代2位タイ
- 3か月連続月間MVP(打者):2022年 ※アレックス・ラミレス、山田哲人に並び史上最多タイ
- 3年連続最多四球:2020年 - 2022年 ※王貞治、落合博満に次ぐセ・リーグ歴代3位タイ
- オールスターゲーム出場:4回(2019年、2021年、2022年、2024年)
- 神宮での100本塁打:2024年5月3日 ※史上7人目、史上最年少(24歳3か月)
- 同一球場での史上最年少100本塁打:2024年5月3日 ※24歳3か月
6. 人物・エピソード
村上宗隆は、その野球での活躍だけでなく、多方面にわたる人間的な魅力や興味深いエピソードでも知られている。
- 吉本興業とマネジメント契約を結んでいる。
- 愛称は「ムネ」(家族やチームメイトから呼ばれる)、「村神様」(ヤクルト入団後の神がかり的な活躍から、インターネット上で使われ始め、球団公認の愛称となり、オリジナルグッズも販売されている)。
- 少年時代は書道を習っていた。母親は書道教師である。ヤクルトからドラフト指名を受けた後の2017年12月8日には、第39回読売学生書展で入賞(特選)したことが発表されている。
- 2021年には、『文藝春秋』の企画で競泳選手の池江璃花子と対談した。村上は、池江の白血病からの完全復活を目指して戦う姿に感銘を受け、「自分も負けていられないですね。どの世界においても気持ちが強くないとダメなんだと感じました」と語っている。
- ヤクルトの先輩である山田哲人と非常に仲が良く、2021年の東京オリンピックで金メダルを獲得した際には、マウンド付近で山田をお姫様だっこしながら喜び、話題となった。これは事前に山田と「優勝したら思い出に何かしよう」と約束しており、村上も「哲人さんに『お姫さま抱っこしてよ』と言われたのでやりました」と語っている。
- 元オリックス・バファローズの西浦颯大とは、小学校時代からの親友でありライバル関係にあった。小・中学校では何度も対戦し、当時から「一緒にプロにいこう」と話していたという。プロ入り後の2021年シーズン中に両側特発性大腿骨頭壊死症の影響で現役引退を決意した西浦から報告を受け、その際に「絶対、優勝しろよ」とメッセージを受け取った。村上は、このメッセージに「目頭が熱くなりました。颯大が一番つらいはずなので、応援してくれる。野球を続けたくても出来ない人がいる。颯大の思いも背負って、プレーしようと強く思った瞬間でした。颯大は限界まで挑戦した。自分も後悔の無いようにやっていきたいと胸に刻みました」と手記に綴っている。
- 兄と弟がいる3人兄弟の末弟で、全員が野球経験者である。兄・友幸はテイ・エス テックの硬式野球部に投手として所属していた社会人野球選手で、東海大学時代には明治神宮野球大会での登板経験もある。宗隆がプロ入りした2017年末時点では東海大学2年生で、最高球速148 km/hを記録する身長193 cmの大型右腕として注目され、宗隆と同じくヤクルトが2019年以降のドラフト指名候補として注目していると報じられていた。しかしドラフト指名されることはなく、2020年からテイ・エス テックでプレーし、故障の影響などを理由に2022年限りで現役を引退している。弟・慶太は宗隆と同じく九州学院高校で「4番・一塁手」としてプレーし、3年生だった2022年には夏の甲子園へ出場し8強入りを果たした。同年にはプロ志望届を出したがドラフト会議では指名漏れし、2026年のドラフト会議でのプロ入りを目指して2023年春には日本大学へ進学し同大学野球部へ入部した。なお、3兄弟の中で、身長は宗隆が一番低い。
- 九州学院高等学校時代、野球部内の先輩後輩に上下関係が無くのびのびした環境で過ごしたため、高校の2学年先輩である伊勢大夢とは普段からタメ口で会話をしている。その影響か、プロ入りしてからも、大先輩の選手たちに囲まれた日本代表チームでも臆せず自分からコミュニケーションを取り、可愛がられるムードメーカー的存在である。
- 2021年シーズン後半、入団1年目当時二軍打撃コーチであった松元ユウイチは、これから試合というタイミングで米や麺類などの炭水化物を大量に摂取する点を懸念していた。
- 朝に弱く、自身のTwitterでも早起きのコツを尋ねるツイートをしていた。
- 当時巨人の二岡智宏が日本プロ野球史上初めて2打席連続満塁本塁打を放った2006年4月30日の巨人対中日戦(東京ドーム)を現地で観戦したことが、プロ野球選手を目指すようになったきっかけである。
7. キャリア統計
村上宗隆のプロ野球キャリアにおける年度別の打撃および守備成績、ならびに国際大会での成績を以下にまとめる。
7.1. 年度別打撃成績
年度 | 所属 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 敬遠 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2018 | ヤクルト | 6 | 14 | 12 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | .083 | .214 | .333 | .548 |
2019 | 143 | 593 | 511 | 76 | 118 | 20 | 0 | 36 | 246 | 96 | 5 | 4 | 0 | 3 | 74 | 5 | 5 | 184 | 9 | .231 | .332 | .481 | .814 | |
2020 | 120 | 515 | 424 | 70 | 130 | 30 | 2 | 28 | 248 | 86 | 11 | 5 | 0 | 1 | 87 | 12 | 3 | 115 | 8 | .307 | .427 | .585 | 1.012 | |
2021 | 143 | 615 | 500 | 82 | 139 | 27 | 0 | 39 | 283 | 112 | 12 | 7 | 0 | 3 | 106 | 6 | 6 | 133 | 12 | .278 | .408 | .566 | .974 | |
2022 | 141 | 612 | 487 | 114 | 155 | 21 | 1 | 56 | 346 | 134 | 12 | 7 | 0 | 0 | 118 | 25 | 7 | 128 | 7 | .318 | .458 | .710 | 1.168 | |
2023 | 140 | 597 | 496 | 76 | 127 | 28 | 0 | 31 | 248 | 84 | 5 | 3 | 0 | 4 | 90 | 4 | 7 | 168 | 6 | .256 | .375 | .500 | .875 | |
2024 | 143 | 610 | 500 | 82 | 122 | 13 | 1 | 33 | 236 | 86 | 10 | 5 | 0 | 1 | 105 | 9 | 4 | 180 | 6 | .244 | .379 | .472 | .851 | |
通算:7年 | 836 | 3556 | 2930 | 501 | 792 | 139 | 4 | 224 | 1611 | 600 | 55 | 31 | 0 | 12 | 582 | 61 | 32 | 913 | 48 | .270 | .395 | .550 | .945 |
- 2024年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度 | 年齢 | リ|グ | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2018 | 18 | セ・リーグ | - | - | - | - | - | - |
2019 | 19 | - | 3位 | 3位 | - | - | - | |
2020 | 20 | 5位 | 5位 | 2位 | 2位 | 8位 | 1位 | |
2021 | 21 | - | 8位 | 1位 | 2位 | 7位 | 2位 | |
2022 | 22 | 1位 | 4位 | 1位 | 1位 | 8位 | 1位 | |
2023 | 23 | - | - | 2位 | 4位 | - | 4位 | |
2024 | 24 | - | - | 1位 | 1位 | - | 3位 |
- 太字年度は規定打席到達年度、背景色金色は最優秀選手賞(MVP)受賞年度、太字年齢は三冠王達成年齢
- - は10位未満(打率、出塁率は規定打席未到達の場合も-と表記)
- NPBにおける打撃タイトルは、首位打者、最多本塁打、最多打点、最多盗塁、最多安打、最高出塁率
7.2. 年度別守備成績
年度 | 球団 | 一塁 | 三塁 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | ||
2018 | ヤクルト | - | 3 | 0 | 7 | 1 | 2 | .875 | |||||
2019 | 124 | 949 | 60 | 5 | 92 | .995 | 28 | 18 | 42 | 10 | 3 | .857 | |
2020 | 94 | 640 | 51 | 6 | 49 | .991 | 54 | 30 | 84 | 8 | 7 | .934 | |
2021 | 19 | 75 | 8 | 0 | 7 | 1.000 | 137 | 96 | 196 | 13 | 17 | .957 | |
2022 | - | 141 | 93 | 232 | 15 | 19 | .956 | ||||||
2023 | 3 | 4 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 139 | 115 | 213 | 22 | 22 | .937 | |
2024 | 15 | 24 | 1 | 0 | 4 | 1.000 | 141 | 83 | 212 | 15 | 20 | .952 | |
通算 | 255 | 1692 | 121 | 11 | 152 | .994 | 643 | 435 | 996 | 84 | 90 | .945 |
- 2024年度シーズン終了時
- 各年度の太字は同一ポジションでのリーグ最多
7.3. 国際大会成績
年度 | 代表 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 敬遠 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2021 | 日本 | 5 | 19 | 15 | 6 | 5 | 0 | 0 | 1 | 8 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 6 | 0 | .333 | .474 | .533 | 1.007 |
年度 | 代表 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 敬遠 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2023 | 日本 | 7 | 33 | 26 | 6 | 6 | 3 | 0 | 1 | 12 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 1 | 0 | 13 | 1 | .231 | .364 | .462 | .825 |
- 太字は大会最高
8. 背番号と登場曲
村上宗隆のキャリアを象徴する背番号と、試合登場時に球場を盛り上げる登場曲について記述する。
8.1. 背番号
- 55(2018年 - )
- 村上の背番号55は、入団時に巨人の松井秀喜に憧れて希望したものであると報じられている。この背番号は、彼の長打力と将来のスラッガーとしての期待を象徴するものとして定着している。
8.2. 登場曲
村上宗隆が試合登場時に使用する楽曲は多岐にわたり、彼のキャラクターやその時々の心境を反映している。
- 「ともに」WANIMA(2018年 - 2019年)
- 「I CAN」EXPRESS(2019年)※偶数打席
- 「夢」GReeeeN(2019年)※奇数打席→第2打席(2019年途中から)
- 「Hapiness」嵐(2019年)※第1打席
- 「ロッカールーム」AK-69(2019年)※第3打席
- 「虹」福山雅治(2020年)※偶数打席
- 「My Time」Fabolous ft.Jeremih(2020年 - 2023年)※奇数打席→第1打席(2021年途中から)
- 「U R not alone」GReeeeN(2021年)※偶数打席
- 「グランドエスケープ - Movie edit」RADWIMPS(2021年)※第3打席
- 「群青」YOASOBI(2021年 - )※第2打席
- 「声」遥海(2021年途中 - )※第3打席→第5打席(2022年から)
- 「旅立ちの前に」WANIMA(2021年)※第4打席
- 「Battle Scars」Lupe Fiasco & Guy Sebastian(2021年11月24日)
- 「りんどう」WANIMA(2022年)※第3打席
- 「愛を知るまでは」あいみょん(2022年 - )※第4打席
- 「Chasing The Rainbow」WANIMA(2023年 - )※第3打席、村上の依頼による制作曲。
- 「Remember the Name英語」フォート・マイナー(2024年)※第1打席