1. 生い立ちとアマチュア時代
大田泰示は広島県福山市で生まれ育ち、幼少期から野球に親しんだ。プロ野球選手になる以前の彼の成長過程には、いくつかの重要なエピソードがある。
1.1. 幼少期と野球の始まり
大田は、元投手である父親の影響を受け、物心がついた頃からキャッチボールを始めた。小学校1年生の時にはソフトボールを始め、5年生からは軟式野球クラブ「鞆古城クラブ」でプレーした。中学時代は「松永ヤンキース」に所属し、2年生の時には秋の県大会で優勝を経験した。松永ヤンキースでは、後にプロ入りする上本崇司と共にプレーし、2年時には三遊間を、3年時には大田が投手を務めるバッテリーを組んでいた。
中学3年生の時に元プロ野球選手が指導する野球教室に参加し、当時読売ジャイアンツの監督を務めていた原辰徳からスイングを高く評価された。この出会いがきっかけとなり、原の母校である東海大学付属相模高等学校への進学を決意した。
1.2. 高校野球時代
東海大学付属相模高等学校では、1年生の春から三塁手としてベンチ入りし、秋には早くも4番打者を務めた。2年生の秋からは主将を任され、チームを牽引。3年生の春には遊撃手に転向し、その守備範囲の広さと強肩で注目を集めた。高校時代は「タツノリ2世」や「神奈川のジーター」という愛称で呼ばれるなど、そのスケールから将来を期待された。
しかし、チームは3年連続で神奈川大会決勝で敗退し、甲子園大会への出場は叶わなかった。それでも、3年夏の第90回全国高等学校野球選手権北神奈川大会決勝では、大会新記録となる5本目の本塁打を放った。高校通算では65本塁打(うち満塁本塁打5本)を記録し、推定飛距離140 mの本塁打を打つ長打力を見せつけた。また、投手としても最速147 km/hの地肩の強さを持ち、デレク・ジーターを彷彿とさせる大型遊撃手として、プロのスカウトからドラフト上位候補として注目された。高校の同期には角晃多、1学年先輩には後にチームメイトとなる菅野智之、田中広輔らがいた。
当初は東海大学への進学を表明していたが、広島でプロ野球の試合を観戦したことをきっかけに「華やかなプロの世界に挑戦したい」という思いを強くし、提出期限日にプロ志望届を提出した。2008年度ドラフト会議では、読売ジャイアンツと福岡ソフトバンクホークスの2球団から1位指名を受け、抽選の結果、ジャイアンツが交渉権を獲得した。契約金1.00 億 JPY、年俸1200.00 万 JPY(推定)で仮契約を結び、松井秀喜のメジャーリーグ移籍以来空き番号となっていた背番号「55」を継承。選手寮では、松井や坂本勇人らが使用した部屋に入居するなど、大きな期待を背負ってプロ入りした。
2. プロフェッショナルキャリア
大田泰示のプロフェッショナルキャリアは、読売ジャイアンツでの育成期間、北海道日本ハムファイターズでの飛躍、そして横浜DeNAベイスターズでの晩年という三つの時期に分けられる。各チームでの挑戦と成長の軌跡は、彼の野球人生を象徴している。
2.1. 読売ジャイアンツ時代
大田泰示は、ドラフト1位という大きな期待を背負い、2009年から2016年まで読売ジャイアンツに在籍した。

- 2009年:キャンプから注目を集め、新人ながら原辰徳監督から直接打撃指導を受けた。3月20日のイースタン・リーグ開幕戦に「3番・三塁手」として先発出場し、フェンス直撃の適時二塁打で公式戦初打点を記録。4月24日の湘南シーレックス戦で公式戦初本塁打を放った。6月17日にプロ入り後初の一軍昇格を果たし、6月21日の千葉ロッテマリーンズ戦で代打として初打席に立ったが、空振り三振に倒れた。その後は再び二軍でプレーし、8月4日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦ではダレル・ラズナーから11号同点ソロ、吉崎勝から12号2ランを放ち、プロ入り初の1試合2本塁打を記録した。ファームでは101試合に出場し、打率.238、17本塁打、56打点、16盗塁の成績を残した。
- 2010年:一軍での出場はわずか2試合(6打数無安打)に終わった。しかし、イースタン・リーグでは101試合に出場し、打率.265、21本塁打、70打点を記録し、本塁打と打点でリーグ2位の成績を収めた。10月23日から台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選出された。
- 2011年:開幕を二軍で迎えたが、5月16日に一軍昇格。5月18日の楽天戦で延長10回一死満塁の場面でプロ初安打となる決勝2点適時打を放った。しかし、守備面の不安と打撃の不振(28打席4安打9三振)により一軍定着はならなかった。打撃に専念するため、6月以降は二軍で外野手としてプレー。一軍では12試合の出場に終わったが、イースタン・リーグでは105試合に出場し、打率.254、6本塁打と本塁打数は減少したものの、盗塁数はリーグ2位の28個を記録した(盗塁死はリーグ最多の15)。秋季キャンプで外野手へのコンバートが正式に決定した。
- 2012年:年始には阿部慎之助や長野久義らと共にグアムで自主トレーニングを行い、春季キャンプから一軍に帯同。オープン戦では21打席連続無安打と絶不調ながら外野の一角として起用され、自身初の開幕一軍入りを果たした。しかし、開幕後も調子は上がらず、4月10日に二軍降格。9月1日に再昇格し、同日のDeNA戦に「7番・一塁手」で先発出場。先制適時打を含む3打点、自身初の猛打賞を記録し、お立ち台に上がった。9月23日の東京ヤクルトスワローズ戦(東京ドーム)で山本哲哉からプロ第1号本塁打を放つと、9月25日の広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でも2試合連続となる本塁打を放った。リーグ終盤戦では中堅手などで17試合に先発出場し、最終的に21試合に出場した。しかし、クライマックスシリーズや日本シリーズではベンチからも外れた。11月からはアジア・ウィンター・リーグに参加し、3本塁打、OPS.980を記録した。
- 2013年:2年連続で開幕一軍入りを果たしたが、橋本到や亀井善行といった他の外野手が優先的に起用され、5月2日に登録抹消されて以降はほぼ二軍でシーズンを終えた。2年続けて一軍出場は21試合にとどまり、本塁打も打てなかった。10月5日には自転車で転倒して負傷し、教育リーグの遠征メンバーからも外された。この年も二軍での三振数が圧倒的に多く、4年連続で二軍の三振王となった。11月26日には、背番号が「55」から「44」へ変更された。「55」を剥奪された時の心境や、「55を返せ・付けるな」と言われたことがあると後にテレビ番組で告白している。
- 2014年:開幕を二軍で迎え、5月9日に一軍昇格するも結果を残せず5月18日には登録を抹消された。その後しばらく一軍昇格はなかったが、レスリー・アンダーソン、松本哲也、亀井善行が次々と怪我で離脱したため、8月8日に再び一軍へ昇格した。主に松本に代わる守備固めや代走要員として起用されていたが、9月17日の広島東洋カープとの首位攻防戦でシーズン第1号となる代打逆転2点本塁打を放つと、スタメン起用される機会も増加。リーグ優勝翌日の9月27日には「4番・中堅手」で先発出場し、プロ入り後初めての4番起用となった。これにより、大田は巨人軍第81代目、そして平成生まれとしてはチーム史上初の4番打者となった。この年は44試合に出場し、打率.246、2本塁打、12打点を記録した。オフの10月21日には、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出された。
- 2015年:4月30日の中日ドラゴンズ戦で負傷した坂本勇人に代わり4番打者を務め、3安打猛打賞でお立ち台に上がった。5月13日の広島戦では、大瀬良大地から自身初の第1号本塁打を放つなど、ほぼ一軍に定着し、7年目にして出場機会が増加した。最終的に60試合に出場、138打席、36安打はいずれも自己最多を記録したが、本塁打は1本、打点は3に留まり、打率.277だった。
- 2016年:6月3日の試合から「1番・中堅手」として先発出場し、6月5日の北海道日本ハムファイターズ戦では大谷翔平から自身初の先頭打者本塁打を放った。しかし、その後は2打席連続空振り三振に倒れ、チームも敗戦した。1番打者でのスタメンも多かったが打撃好調を維持できず、二軍へ降格。62試合の出場で打率.202、4本塁打に終わった。
2.2. 北海道日本ハムファイターズ時代
2016年11月2日、吉川光夫・石川慎吾との交換トレードで公文克彦と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍した。11月23日のファンフェスティバルで背番号が「33」に決定したと発表された。陽岱鋼の抜けた外野の補強ポイントとして、その活躍が大きく期待された。

- 2017年:怪我の影響で開幕に出遅れたが、4月23日に一軍に昇格。4月29日の楽天戦で美馬学から移籍後初となる本塁打を放った。5月3日のロッテ戦では、益田直也からプロ入り後初のサヨナラ打となる適時打を放ち、劇的勝利に貢献した。5月12日のロッテ戦では、涌井秀章から移籍後初の1試合2本塁打を記録した。年間を通して左翼手のレギュラーとして起用され、10月3日のオリックス・バファローズ戦でプロ入り9年目にして初の規定打席に到達。左翼手として118試合に出場し、打率.258、15本塁打、46打点、出塁率.302を記録した。
- 2018年:開幕を「7番・左翼手」で迎えたが、怪我から復帰した近藤健介が左翼を守ることもあったため、右翼手のレギュラーとして出場する機会が増えた。4月24日のオリックス戦から「2番・右翼手」として出場し、金子千尋から2打席連続本塁打を放った。7月8日のロッテ戦で田中靖洋から死球を受け左手第5中手骨を骨折し、9日に登録抹消。8月25日に出場登録され復帰した。怪我での離脱があったものの104試合に出場し、打率.274、14本塁打、59打点、出塁率.350を記録した。オフの12月26日には、背番号を「5」へ変更した。
- 2019年:前年に引き続き右翼手のレギュラーに定着。自身の誕生日である6月9日の阪神タイガース戦で、史上35人目となる全球団から本塁打を達成した。これは通算49本目の本塁打であり、50本塁打未満での達成は2015年の大引啓次に次いで2人目という珍しい記録だった。自己最多となる132試合に出場し、打率.289、自身初の20本塁打、77打点、出塁率.325と数多くの部門でキャリアハイを記録した。一方で、併殺打22本はリーグワーストとなった。オフの契約更改では、3500.00 万 JPYアップの1.00 億 JPYでサインし、プロ11年目にして初の1億円プレイヤーとなった。
- 2020年:右翼手のレギュラーとして120試合中115試合に出場。打率.275、14本塁打、68打点、出塁率.314と安定した成績を残した。また、守備においてもリーグ2位となる補殺7回を記録するなど活躍し、自身初となるゴールデングラブ賞を受賞した。
- 2021年:右翼手で開幕スタメン入りを果たしたが、打撃不振に苦しみ、59試合出場で打率.212、3本塁打、17打点に終わり、6月25日に登録抹消。8月13日の後半戦開幕と共に一軍登録されたものの、再昇格後も不振が続き、9月6日に再び登録抹消となった。11月16日に球団から保留手続きを行わないことが発表され(ノンテンダーFA)、12月2日に西川遥輝、秋吉亮と共に自由契約となった。
2.3. 横浜DeNAベイスターズ時代
自由契約となった後、複数の球団からオファーを受けていた大田泰示は、2021年12月14日に横浜DeNAベイスターズと契約を交わした。推定年俸は5000.00 万 JPYで、前年の1.30 億 JPYから大幅な減額となった。背番号は、巨人時代の先輩である中井大介が前年まで着用していた「0」を引き継いだ。

- 2022年:熾烈な外野争いの中で控えに回ることも多かったが、スタメン出場時には主に2番を任され、打棒を発揮した。4月17日のヤクルト戦では高橋奎二から移籍後初となる本塁打を放った。しかし、5月8日の広島戦で守備の際に右太腿裏の肉離れを起こし、一軍登録を抹消された。6月3日に一軍に復帰し、様子を見ながら出場を続けていたが、足の張りや体調面を考慮し、7月8日に再び登録抹消となった。8月5日に再び一軍に合流すると、8月9日の阪神戦では同点の9回二死の場面で加治屋蓮から移籍後初となるサヨナラ適時打を放ち、チームを勝利に導いた。8月11日には発熱や頭痛の症状があり、新型コロナウイルス陽性判定を受け離脱。8月28日に一軍復帰を果たし、8月30日の中日ドラゴンズ戦では自身2度目となる1試合5安打を記録し、チームの勝利に貢献した。最終的に62試合の出場にとどまったものの、打率.278、5本塁打、18打点、OPS.774と前年の不振からは脱却し、成績以上に印象的な活躍や、ベンチでの「盛り上げ役」としてもチームを鼓舞し、3年ぶりのクライマックスシリーズ進出に貢献した。
- 2023年:前半戦は打率.127と打撃不振に苦しみ、7月10日に二軍調整のために登録抹消された。7月22日に再び一軍に合流すると、同日のヤクルト戦で3か月ぶりの適時打を放った。9月17日の阪神戦では、0対0で迎えた9回表に代打起用され、コルテン・ブルワーの初球を捉え、球団史上初の代打本塁打による1対0の勝利を決めた。0対0の9回に代打のソロ本塁打で試合を決めたのは、NPBでは1949年の藤本英雄(巨人)以来74年ぶりで、2リーグ制になってからは初の記録という歴史的な一打だった。シーズン終盤に佐野恵太が怪我で離脱したため、佐野に代わって3番に入り、クライマックスシリーズ1stステージの広島戦でも「3番・右翼手」を任された。前半戦の不調が影響し、75試合に出場し、打率.217、4本塁打、15打点だったが、オフシーズンにはメキシコ・ウインターリーグのヤキス・デ・オブレゴンに派遣され、自己成長のための武者修行を積んだ。しかし、10月下旬から7試合に出場し、1安打も打てないまま11月28日に帰国した。
- 2024年:3月10日の埼玉西武ライオンズとのオープン戦で走塁の際に足を痛めて途中交代。左ハムストリングの肉離れと診断され、開幕前に離脱した。二軍戦70試合の出場で、打率.264、1本塁打、15打点の成績にとどまり、一軍出場機会がないまま、10月1日に戦力外通告を受けた。その後10月5日に開催されたファーム日本選手権には「4番・左翼手」で先発出場し、4打数2安打を記録した。ファーム日本一決定後に行われた胴上げは、現役続行を見据えて固辞するなど、当初は現役続行を希望していたが、他球団からのオファーはなく、11月15日に現役を引退することが発表された。
2.4. 引退と引退後の活動
2024年11月15日、大田泰示は現役引退を発表した。引退後は、古巣である読売ジャイアンツのジャイアンツアカデミーのコーチに就任し、次世代の野球選手の育成に携わることとなった。
3. 選手としての特徴
大田泰示は「走攻守」の三拍子が揃った躍動感に溢れる外野手として知られている。打撃面では、豪快なフルスイングが信条であり、類い稀な長打力を誇る。高校時代に投手として最速147 km/hを記録した強肩は、外野手に転向後もその守備範囲の広さと共に大きな武器となった。2018年には、両リーグの右翼手で2位となるUZR13.3を記録するなど、守備指標においても高い評価を得ている。脚力も持ち合わせており、高校時代には50 m走で6.1秒を記録する俊足ぶりだった。
北海道日本ハムファイターズ時代には、2018年から3年間、チームの「二番打者」として抜擢された。彼の役割は、従来の「繋ぐ」二番打者ではなく、「攻撃」の二番打者として機能することだった。大田自身も、自身の打撃スタイルについて、「勝つためにはチームバッティングも考えないといけないんですけど、そうした奥深さであったり、新たな野球観にも出会えたと思っています。2番だからバントや右打ちをしてくれとかそういうのは一切ないですし、2番だからこうしなくちゃいけないとか、そういう固定観念とかは考えないようにしています。きっと栗山監督もそれを望んで僕を2番に置いていると思うので」と語っており、固定観念にとらわれない独自のスタイルを確立していた。
4. 人物
大田泰示は、プロ野球選手としての顔の他に、人間味溢れる一面も持ち合わせている。
2014年12月24日、当時25歳の岐阜県出身の一般女性(元OL)と結婚したことを発表した。娘が一人いる。
2015年の春季キャンプ中、ある記者が大田の打撃不振について質問した際、大田は「そんなのじゃない!そんなことにおびえていたら野球にならないから!」と遮り、自身の野球への姿勢を示した。後日、その記者が謝罪に訪れると、大田は笑って「あれは違う聞き方があるだろ」と許したというエピソードがあり、その寛大な人柄がうかがえる。
趣味は釣りを挙げている。オフシーズンにはチームメイトを誘って釣りを楽しむこともあり、チーム内の親睦を深める一助となっていた。
5. 詳細記録と業績
5.1. 年度別成績
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | 巨人 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2010 | 2 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2011 | 12 | 28 | 26 | 4 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | .154 | .148 | .192 | .340 | |
2012 | 21 | 70 | 63 | 9 | 16 | 4 | 1 | 2 | 28 | 7 | 3 | 2 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 15 | 3 | .254 | .329 | .444 | .773 | |
2013 | 21 | 38 | 31 | 3 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 1 | 0 | 2 | 1 | 4 | 1 | 0 | 9 | 0 | .161 | .250 | .161 | .411 | |
2014 | 44 | 74 | 65 | 14 | 16 | 6 | 0 | 2 | 28 | 12 | 4 | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 | 1 | 20 | 2 | .246 | .338 | .431 | .769 | |
2015 | 60 | 138 | 130 | 13 | 36 | 7 | 0 | 1 | 46 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 7 | 0 | 1 | 39 | 0 | .277 | .319 | .354 | .673 | |
2016 | 62 | 119 | 114 | 12 | 23 | 6 | 1 | 4 | 43 | 13 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | 45 | 3 | .202 | .227 | .377 | .604 | |
2017 | 日本ハム | 118 | 457 | 427 | 41 | 110 | 21 | 1 | 15 | 178 | 46 | 5 | 2 | 0 | 2 | 28 | 0 | 0 | 88 | 14 | .258 | .302 | .417 | .719 |
2018 | 104 | 429 | 383 | 56 | 105 | 22 | 4 | 14 | 177 | 59 | 3 | 4 | 0 | 1 | 38 | 0 | 7 | 103 | 11 | .274 | .350 | .462 | .812 | |
2019 | 132 | 594 | 557 | 79 | 161 | 28 | 1 | 20 | 251 | 77 | 6 | 2 | 0 | 5 | 27 | 4 | 5 | 111 | 22 | .289 | .325 | .451 | .776 | |
2020 | 115 | 481 | 455 | 57 | 125 | 16 | 1 | 14 | 185 | 68 | 3 | 3 | 0 | 0 | 25 | 1 | 1 | 105 | 11 | .275 | .314 | .407 | .721 | |
2021 | 76 | 206 | 191 | 11 | 39 | 5 | 2 | 3 | 57 | 20 | 1 | 1 | 0 | 1 | 14 | 3 | 0 | 50 | 10 | .204 | .257 | .298 | .556 | |
2022 | DeNA | 62 | 153 | 144 | 17 | 40 | 10 | 1 | 5 | 67 | 18 | 0 | 1 | 1 | 1 | 6 | 0 | 1 | 33 | 4 | .278 | .309 | .465 | .774 |
2023 | 75 | 186 | 175 | 18 | 38 | 12 | 0 | 4 | 62 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | 2 | 49 | 2 | .217 | .263 | .354 | .618 | |
通算:15年 | 907 | 2980 | 2768 | 334 | 718 | 138 | 12 | 84 | 1132 | 343 | 29 | 19 | 4 | 13 | 177 | 10 | 18 | 678 | 82 | .259 | .307 | .409 | .716 |
; 内野守備成績
年度 | 球団 | 一塁 | 三塁 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | ||
2009 | 巨人 | - | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
2010 | 2 | 15 | 2 | 1 | 0 | .944 | - | ||||||
2011 | 9 | 52 | 3 | 1 | 2 | .982 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2012 | 12 | 83 | 5 | 2 | 8 | .978 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2014 | 3 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||
2015 | 8 | 15 | 0 | 1 | 2 | .938 | - | ||||||
通算 | 34 | 173 | 10 | 5 | 12 | .973 | 6 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1.000 |
; 外野守備成績
年度 | 球団 | 外野 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | ||
2012 | 巨人 | 15 | 21 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2013 | 16 | 17 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2014 | 37 | 34 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2015 | 44 | 53 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 43 | 49 | 0 | 1 | 0 | .980 | |
2017 | 日本ハム | 102 | 196 | 3 | 1 | 0 | .995 |
2018 | 101 | 170 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2019 | 130 | 253 | 5 | 3 | 1 | .989 | |
2020 | 113 | 185 | 7 | 1 | 2 | .995 | |
2021 | 58 | 60 | 4 | 1 | 0 | .985 | |
2022 | DeNA | 40 | 39 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2023 | 39 | 61 | 0 | 1 | 0 | .984 | |
通算 | 738 | 1138 | 24 | 8 | 3 | .993 |
5.2. 表彰
- ゴールデングラブ賞:1回(外野手部門:2020年)
5.3. 主要記録
- 初記録
- 初出場:2009年6月21日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(東京ドーム)、9回裏二死二塁で松本哲也の代打で出場
- 初打席:同上、9回裏にブライアン・シコースキーの前に空振り三振
- 初先発出場:2010年6月12日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、「8番・一塁手」で先発出場
- 初安打・初打点:2011年5月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、10回表にロムロ・サンチェスから中前決勝2点適時打
- 初盗塁:2012年9月4日、対阪神タイガース19回戦(阪神甲子園球場)、9回表に二盗(投手:福原忍、捕手:藤井彰人)
- 初本塁打:2012年9月23日、対東京ヤクルトスワローズ23回戦(東京ドーム)、8回裏に山本哲哉から左越ソロ
- その他の記録
- 全球団から本塁打:2019年6月9日、対阪神タイガース3回戦(阪神甲子園球場)、6回表に島本浩也から左越2ラン ※史上35人目
- 9回0-0から代打決勝ソロ本塁打:2023年9月17日、対阪神タイガース23回戦(阪神甲子園球場)※1949年6月18日の南海戦、代打サヨナラ弾の藤本英雄(巨人)以来74年ぶり、2リーグ制後初
5.4. 背番号
- 55(2009年 - 2013年)
- 44(2014年 - 2016年)
- 33(2017年 - 2018年)
- 5(2019年 - 2021年)
- 0(2022年 - 2024年)
5.5. 登場曲
- 「Closer」Ne-Yo(2009年)
- 「GEE (Korean ver.)」少女時代(2011年)
- 「ベイビー・アイラブユー」TEE(2011年)
- 「銀河鉄道999」ゴダイゴ(2012年)
- 「やってもないのに」RAY(2013年)
- 「Empire State of Mind (feat. Alicia Keys)」Jay Z(2014年)
- 「Here It Is」Flo Rida ft. Chris Brown(2015年 - 2016年)
- 「Boom Clap」Charli XCX(2015年)
- 「Street Dreams」Zeebra(2016年)
- 「You Give Love a Bad Name」Bon Jovi(2017年 - )横浜移籍後奇数打席
- 「It's My Life」Bon Jovi(2017年 - )横浜移籍後偶数打席
- 「裏庭独走最前線」TERRY THE AKI-06(2022年 - )第1打席
- 「AREA AREA」OZROSAURUS(2023年)
- 「韻波句徒」CHEHON(2023年)チャンス時
5.6. 代表歴
- 2010 IBAFインターコンチネンタルカップ 日本代表
6. 外部リンク
- [https://web.archive.org/web/20241123091038/https://www.baystars.co.jp/players/detail/900011 大田泰示] - 横浜DeNAベイスターズオフィシャルサイト - Internet Archive
- [https://sp.baseball.findfriends.jp/player/19900037/ 選手情報] - 週刊ベースボールONLINE