1. 概要
宇佐美貴史は、京都府長岡京市出身のプロサッカー選手である。Jリーグのガンバ大阪に所属し、主にフォワードやサイドハーフのポジションでプレーする。ガンバ大阪のJリーグにおける通算最多得点記録保持者であり、そのキャリアを通じて数々の記録を打ち立ててきた。幼少期から「天才少年」と称され、ガンバ大阪の下部組織で育ち、高校2年次でトップチームに昇格。その後、ドイツのFCバイエルン・ミュンヘンやTSG1899ホッフェンハイム、FCアウクスブルク、フォルトゥナ・デュッセルドルフなど海外クラブでの経験も積んだ。サッカー日本代表としても活躍し、2018 FIFAワールドカップにも出場した。
2. 幼少期とユース時代
宇佐美貴史は、京都府長岡京市に生まれた。両親ともに熱心なガンバ大阪サポーターであり、特に松波正信のファンであったことから、幼い頃から自然とサッカーに親しみ、ボールに触れ始めたのは1歳半の頃であった。3歳頃には一人で公園に出かけ、ボールを蹴っていたという。
1997年、5歳で地元の長岡京サッカースポーツ少年団(長岡京SS)に入団。小学校1年生の時には4年生のチームに、2年生の時には5年生のチームに飛び級で参加した。小学校4年生から卒業まで毎年200点前後の得点を挙げ、合計600点以上を記録。地元では「小学生レベルの天才少年」としてその名を知られていた。
2005年、長岡京SSからガンバ大阪ジュニアユースに加入。同年6月、韓国で開催されたMBC国際ユース大会にU-13日本ユース選抜として出場し、決勝戦では5人抜きドリブルを披露するなど、高木善朗の2得点をアシストする圧巻の活躍を見せた。2006年の高円宮杯第18回全日本ユース選手権では、大会得点王となる10得点を挙げ、ガンバ大阪ジュニアユースの高円宮杯ユース選手権初優勝に貢献した。このジュニアユース時代の同期には、後にプロで活躍する大森晃太郎や昌子源らがいた。
2007年には中学3年生ながらガンバ大阪ユース(高校生年代)に飛び級で昇格。唯一の中学3年生としてレギュラーに定着し、同年の第31回日本クラブユースサッカー選手権優勝に貢献した。2008年には高校1年生で背番号「10」を背負い、同年12月の第16回Jユースカップ決勝のセレッソ大阪U-18戦では、2点ビハインドからPKを獲得し、逆転後には4点目のダメ押しとなるミドルシュートを決めるなど、2得点に絡む活躍でガンバ大阪ユースの6年ぶり4度目のJユースカップ優勝に貢献した。これらの数々の活躍から、ガンバ大阪下部組織の「史上最高傑作」と称された。この時点で、シュートやパスといったアタッキング能力全般に高い評価を得ていた。
宇佐美は、宮吉拓実、高木善朗、宮市亮、柴崎岳らと共に「プラチナ世代」と称される才能豊かな世代の一員であり、各年代の日本代表チームにおいて常にその世代の中心選手として活躍した。2007年の豊田国際ユースサッカー大会や2009年のコパ・チーバスなど、数多くの国際大会で得点王や最優秀選手を獲得している。
3. プロキャリア
宇佐美貴史は、プロサッカー選手としてのキャリアをガンバ大阪でスタートさせ、その後ドイツのクラブでの挑戦を経て、再びガンバ大阪で活躍を続けている。
3.1. ガンバ大阪(第1期)
2009年、宇佐美はガンバ大阪のトップチームに、クラブ史上初となる高校2年次での飛び級で昇格した。同期昇格には2学年上の大塚翔平と菅沼駿哉がいた。
2009年5月20日、AFCチャンピオンズリーググループリーグ第6節のFCソウル戦で、先発メンバーに名を連ねた。この試合で、稲本潤一が1997年に記録した17歳171日のガンバ大阪史上最年少デビュー記録を更新する17歳14日での公式戦初出場を果たし、さらに後半19分には公式戦初得点も記録し、クラブ史上最年少での得点記録も樹立した。5月24日にはJ1リーグ第13節の鹿島アントラーズ戦でJリーグ初出場を果たした。しかし、その後は調子が振るわず、シーズンを通して控えメンバーにすらほとんど入ることができず、2009年の公式戦出場はわずか4試合に留まった。
2010年シーズンは、開幕当初は前年同様なかなか出場機会を得られなかったが、主力選手に負傷者が続出したことで、4月10日のJ1第6節の大宮アルディージャ戦でこの年初めてスタメンで起用された。J1第8節のFC東京戦でリーグ戦初得点を挙げ、AFCチャンピオンズリーググループリーグ第5節の水原三星戦では、ロスタイムに決勝点を挙げてチームの逆転勝利に貢献した。シーズン中盤からは高校3年生ながら、遠藤保仁、二川孝広、橋本英郎、明神智和といった日本代表経験者で構成されたガンバ大阪の「黄金の中盤」に割って入り、主に左サイドハーフや2トップの一角として起用された。このシーズンでは、2004年に森本貴幸が記録した高校生Jリーガーのシーズン最多得点(4得点)を更新する7得点を挙げる活躍を見せ、ガンバ大阪では初となるJリーグベストヤングプレーヤー賞(新人王)を受賞した。また、ガンバ大阪の公式応援番組『GAMBA TV~青と黒~』の年末特別企画『GAMBA TV アウォーズ』では、選手とサポーターが選ぶシーズンMVPに選出された。2010年のJ1リーグで放ったシュート数は日本人選手トップを記録している。
2011年シーズンでは、背番号をかつて松波正信や播戸竜二が付けていた「11」に変更し、ポジションは左MFやトップ下などの中盤を担当することになった。しかし、中盤でのゲームメイクに徹するあまり、本来の持ち味である突破力や決定力を発揮できず、開幕から公式戦8試合連続無得点が続き、スタメンを外されることもあった。サッカー日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督が視察に訪れた5月15日のJ1第11節のアビスパ福岡戦で、2011年のリーグ戦初得点を挙げ、代表入りへアピールした。6月27日、ドイツ・ブンデスリーガの名門バイエルン・ミュンヘンへの完全移籍のオプション付きとなる1年間の期限付き移籍が決定した。7月13日、移籍前のラストゲームとなったJ1第4節のヴィッセル神戸戦では、有終の美を飾る1得点1アシストの活躍を見せた。
3.2. バイエルン・ミュンヘン(期限付き移籍)
2011年7月18日、宇佐美は現地ミュンヘンで加入会見に臨んだ。背番号は「14」。彼はメディアに対し、このようなチャンスは毎日来るものではなく、この大きな挑戦を楽しみにしていると語った。バイエルンの現役トップチーム選手について問われると、「彼らのポジションを奪えるほど、自分のスキルを向上させたい」と意気込みを語った。
8月13日、リーグ戦第2節のVfLヴォルフスブルク戦でブンデスリーガ初出場を果たした。10月26日、ヴォルフスブルク戦以来の公式戦出場となったDFBポカール2回戦のFCインゴルシュタット04戦で、後半73分に途中出場し、移籍後初得点を記録した。12月7日のUEFAチャンピオンズリーググループリーグ最終戦のマンチェスター・シティ戦では、日本人最年少となるチャンピオンズリーグ初出場を果たした。2012年4月21日、第32節のブレーメン戦では、移籍後初のスタメンフル出場を飾った。
5月19日のチャンピオンズリーグ決勝のチェルシー戦では、日本人初のチャンピオンズリーグ決勝ベンチ入りを果たしたが、出場機会は訪れず、チームもPK戦の末に敗れた。最終的に2011-12シーズンの公式戦出場はわずか5試合に留まり、バイエルンのハイレベルなポジション争いに割って入ることはできなかった。バイエルンが完全移籍のオプションを行使しなかったため、1シーズン限りでの退団が決定した。
3.3. 1899ホッフェンハイム(期限付き移籍)
2012年5月23日、宇佐美はブンデスリーガのTSG1899ホッフェンハイムへの完全移籍オプション付きとなる1年間の期限付き移籍が発表された。背番号は「33」。9月16日、移籍後初先発となったリーグ戦第3節のSCフライブルク戦でブンデスリーガ初得点を記録した。
クラブではシーズン当初こそレギュラーとして起用されたものの、クラブは極度の成績不振に陥り、監督交代が相次いだことで、シーズン終盤は出場機会が減少していった。ホッフェンハイムでは21試合に出場し2得点を記録した。2013年4月24日、2012-13シーズン限りでホッフェンハイムを退団することが発表された。
3.4. FCアウクスブルクおよびフォルトゥナ・デュッセルドルフ(期限付き移籍)
2016年の夏、宇佐美はFCアウクスブルクへ完全移籍した。4年契約で、移籍金は推定2.00 億 JPYであった。8月27日、開幕戦のVfLヴォルフスブルク戦に途中出場し、移籍後初出場を果たした。12月15日の第15節、ボルシア・メンヒェングラートバッハ戦で移籍後初の先発出場を果たし、2017年2月17日の第21節、バイエル・レヴァークーゼン戦では初のフル出場を記録した。しかし、移籍1年目となった2016-17シーズンは、思うような活躍ができず、11試合無得点でシーズンを終え、地元紙からは「期待を下回った」と評された。
2017年8月30日、宇佐美はドイツ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフへ期限付き移籍することが発表された。9月10日に行われた第5節の1.FCウニオン・ベルリン戦に途中出場し、移籍後初ゴールを挙げた。前半戦は前シーズンの試合感不足からコンディション不良となり調子が上がらなかったが、後半戦になると調子を上げ、2018年3月11日の第26節、MSVデュースブルク戦で4試合連続得点を記録して勝利に貢献した。5月13日の第34節、優勝がかかった首位1.FCニュルンベルクとの直接対決では、2点ビハインドの状況からヘディングでシーズン8得点目となるゴールを決め、チームの逆転勝利を呼び込み、2部リーグ優勝と1部昇格に貢献した。2017-18シーズンは28試合に出場し8得点を記録した。
シーズン終了後は一度アウクスブルク所属に戻ったものの、8月4日にアウクスブルクとの契約を2021年まで延長し、再びフォルトゥナ・デュッセルドルフへ期限付き移籍することが発表された。11月10日の第10節、ヘルタ・ベルリン戦で今季初得点を記録した。2018-19シーズンは19試合に出場し1得点であった。
3.5. ガンバ大阪(第2期・第3期)
2013年6月18日、宇佐美は古巣のガンバ大阪に復帰した。復帰初戦となった7月20日のJ2第25節のヴィッセル神戸戦で、いきなり2得点を挙げる活躍で首位攻防戦の勝利に貢献した。以後、同じくこの年に加入したブラジル人フォワードのロチャと2トップを組みゴールを量産し、8月には5試合5得点の活躍を見せ、Jリーグ月間MVPを受賞した。遠藤保仁とツートップを組んだシーズン終盤もペースを落とすことなく得点を重ね、J2第38節の徳島ヴォルティス戦では、プロ入り初のハットトリックとなる4得点を達成した。J2優勝に王手をかけた第41節のモンテディオ山形戦でも2得点の活躍を見せるなど、11月は4試合4得点を挙げ、2度目の月間MVPを受賞した。最終的に、リーグ全42試合の半分以下の18試合で試合数を上回る19得点を記録。途中加入ながら得点ランキング2位につける得点力を発揮し、ガンバ大阪のJ2優勝と1年でのJ1復帰に大きく貢献した。
2014年、ポジション登録をフォワードに変更した。開幕前の2月中旬、練習中に左足を負傷し、左腓骨筋腱脱臼で全治8週間と診断され、プロ入り初の長期離脱となりシーズン前半戦の欠場を余儀なくされた。4月26日のJ1第9節の川崎フロンターレ戦で復帰し、初先発となったJ1第12節の徳島戦で復帰後初得点を決めた。自身が離脱中、チームは一時期降格圏内に沈むほど低迷していたが、2014 FIFAワールドカップによる中断明け以降は新加入のブラジル人フォワードのパトリックとの2トップでコンスタントに得点を重ね、後半戦躍進の中心的存在となり、9月には月間MVPを受賞した。ナビスコカップでは決勝までの6試合でチーム最多の5得点を決め、ガンバ大阪では安田理大以来となるナビスコカップニューヒーロー賞を受賞した。決勝のサンフレッチェ広島戦では、パトリックの同点ゴールをアシストし、ガンバ大阪の7年ぶり、自身にとっては初の優勝に貢献した。10月以降、好調なチームとは対照的に相手からの徹底マークにあったことで、公式戦8試合連続無得点と不振に陥ったが、シーズン終盤は復調し、天皇杯準決勝の清水エスパルス戦、J1第33節のヴィッセル神戸戦ではそれぞれ2得点を挙げた。天皇杯決勝の山形戦では2ゴール1アシストと全得点に絡む活躍を見せた。最終的に2014年の公式戦全得点は21点を記録(J1・10得点、ナビスコカップ・5得点、天皇杯・6得点)。これはJ1全体でトップの数字であり、天皇杯では永井謙佑と並び大会得点王となった。さらに、Jリーグベストイレブンを初受賞するなど、ガンバ大阪のリーグ優勝、さらには国内三冠の立役者となる1年であった。
2015年、国内でのシーズン開幕戦であるゼロックススーパーカップでは決勝ゴールを決め、ガンバの8年ぶりとなるスーパーカップ制覇に貢献した。リーグ戦は開幕戦から好調をキープして得点を重ね、J1第3節のヴァンフォーレ甲府戦から第8節の松本山雅FC戦にかけてクラブタイ記録となる6試合連続ゴールを決め、4月の月間MVPを受賞した。6月27日の1stステージ最終節のモンテディオ山形戦では後半5分から12分間でハットトリックを達成し、これが自身にとってJ1初のハットトリックとなった。1stステージは17試合13得点で得点ランキングのトップに立ったが、後半戦は日本代表との掛け持ちで大きくコンディションを落としたことで、2ndステージは17試合6得点と得点ペースが激減した。リーグ戦合計19得点はJ1での自己最多記録となったが、目標としていた20得点には届かず得点王を逃し、チャンピオンシップでも3試合無得点と結果を出せなかった。中断明けの天皇杯準々決勝のサガン鳥栖戦では公式戦約3カ月ぶりとなる得点を含む2得点の活躍で、万博記念競技場での最後の試合を勝利で飾った。続く準決勝ではチャンピオンシップで敗れた広島から2得点を挙げる活躍でリーグでの雪辱を果たした。2015年の公式戦出場数(代表含む)はJ1全選手中最多の66試合にのぼった。

2019年6月24日、宇佐美は完全移籍で3年ぶりにガンバ大阪へ復帰することが発表された。ドイツでの再挑戦について「2度目もダメだったというのが、清々しいぐらい自分の中である」と移籍会見で述べた。背番号はプロ一年目と同様の33番となった。Jリーグ復帰初戦となったJ1第20節の名古屋グランパス戦で1点ビハインドの状況から試合終了間際に同点弾となるゴールを記録すると、第30節の湘南ベルマーレ戦から第32節のベガルタ仙台戦にかけて3試合連続ゴールを記録するなど、14試合の出場で7得点をマークし、チームのJ1残留に貢献した。
2022年より、副キャプテンに就任。3月6日の川崎戦で負傷し、その後右アキレス腱断裂と診断され、長期離脱を余儀なくされた。その後27試合を欠場したが、10月1日の柏レイソル戦で先発復帰した。なお、その試合で自身はプロ初のキャプテンマークを巻き、選手入場した。
2023年より、チームキャプテンに就任。遠藤保仁が使用していた背番号7を継承した。
2024年もチームキャプテンに就任。2月24日、開幕戦のFC町田ゼルビア戦で試合終盤に直接FKを決めると、そこから3試合連続ゴールを記録した。自身の誕生日の5月6日にホームで行われたセレッソ大阪との大阪ダービーでは、前半に相手のパスミスからボールを奪ってミドルシュートを決めて先制。これが決勝点となり、チームをJ1での大阪ダービー5年ぶりの勝利に導き、自身の誕生日に花を添える活躍をした。6月と10月にはJ1月間MVPを受賞し、またクラブ史上初の在籍中通算100得点達成者となった。さらに10月の月間MVPの大きな要因ともなった、J1第33節の北海道コンサドーレ札幌戦での後半アディショナルタイムでの逆転ゴールをもって、最優秀ゴール賞を初受賞した。
4. 代表経歴
宇佐美貴史は、日本の各年代別代表で常に中心選手として活躍し、その後はA代表でもプレーした。
4.1. 各年代別代表
宇佐美は、U-13、U-14、U-15日本代表に選出された。2007年にはAFC U-16選手権・予選で4試合2得点を記録した。U-16日本代表としては、2007年に3試合3得点、2008年のAFC U-16選手権ではベスト4に進出し、4試合2得点を記録した。
2009年11月、U-17日本代表として出場したFIFA U-17ワールドカップでは、3試合で無得点に終わり、日本代表もグループリーグ3連敗のグループ最下位で敗退した。
U-18日本代表を経て、2010年10月にはU-19日本代表としてAFC U-19選手権に出場。グループリーグ第2戦のベトナム戦でハットトリックを達成する活躍を見せたが、日本代表は準々決勝で敗退した。
U-20日本代表、U-22日本代表としても活動し、2011年にはロンドンオリンピックアジア2次予選と最終予選に参加した。2012年にはU-23日本代表としてトゥーロン国際大会に出場し、グループリーグ敗退ながら2試合2得点を記録した。同年8月にはロンドンオリンピックに出場し、4試合に出場したが無得点に終わり、チームはメダル獲得を逃し4位で大会を終えた。
4.2. トップチーム
2011年6月、宇佐美はキリンカップに出場する日本代表に初選出された。キリンカップでA代表初出場とはならなかったが、本人は初めての代表合宿で大きな経験を得られたと語っている。2012年11月には1年半ぶりにA代表に選出されたが、出場機会はなかった。
2015年3月19日、ヴァイッド・ハリルホジッチ新体制となった日本代表メンバーに約2年半ぶりに選出された。3月27日のキリンチャレンジカップ・チュニジア戦で初招集から約4年越しで代表デビューを果たした。3月31日のウズベキスタン戦では見事なドリブル突破から代表初ゴールを決めた。6月11日のイラク戦では代表初先発を飾った。
2018年6月、ロシアワールドカップのメンバーに選出された。グループステージ第2戦のセネガル戦で左MFとして途中出場し、ワールドカップ初出場を果たした。第3戦のポーランド戦では、スタメンとして左MFで出場した。大会を通してチームが戦った4試合のうち2試合に出場したが、目立った活躍はなかった。
2019年3月、ロシアワールドカップ以来となる、森保一体制では初の選出を果たしたが、3月26日のボリビア戦の出場を最後に、代表からは遠ざかっている。国際Aマッチでは27試合に出場し、3得点を記録した。
5. キャリア統計
5.1. クラブ
クラブ | シーズン | リーグ | 国内カップ | リーグカップ | 大陸大会 | その他 | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ガンバ大阪 | 2009 | J1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | - | 4 | 1 | |
2010 | 26 | 7 | 4 | 2 | 2 | 0 | 4 | 2 | 1 | 0 | 37 | 10 | ||
2011 | 14 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 | - | 21 | 5 | |||
2013 | J2 | 18 | 19 | 2 | 1 | 0 | 0 | - | - | 20 | 20 | |||
2014 | J1 | 26 | 10 | 4 | 6 | 7 | 5 | - | - | 37 | 21 | |||
2015 | J1 | 34 | 19 | 3 | 4 | 1 | 0 | 11 | 4 | 4 | 1 | 53 | 28 | |
2016 | 17 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 1 | 23 | 6 | ||
合計 | 138 | 64 | 13 | 13 | 10 | 5 | 28 | 8 | 6 | 2 | 195 | 92 | ||
バイエルン・ミュンヘンII (期限付き移籍) | 2011-12 | レギオナルリーガ・ズート | 18 | 6 | - | - | - | - | 18 | 6 | ||||
バイエルン・ミュンヘン (期限付き移籍) | 2011-12 | ブンデスリーガ | 3 | 0 | 1 | 1 | - | 1 | 0 | - | 5 | 1 | ||
1899ホッフェンハイム (期限付き移籍) | 2012-13 | ブンデスリーガ | 20 | 2 | 1 | 0 | - | - | - | 21 | 2 | |||
FCアウクスブルク | 2016-17 | ブンデスリーガ | 11 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 11 | 0 | |||
フォルトゥナ・デュッセルドルフ (期限付き移籍) | 2017-18 | 2. ブンデスリーガ | 28 | 8 | 1 | 0 | - | - | - | 29 | 8 | |||
フォルトゥナ・デュッセルドルフ | 2018-19 | ブンデスリーガ | 19 | 1 | 2 | 0 | - | - | - | 21 | 1 | |||
ガンバ大阪 | 2019 | J1 | 14 | 7 | 1 | 0 | 4 | 1 | - | - | 19 | 8 | ||
2020 | 30 | 6 | 2 | 0 | 2 | 0 | - | - | 34 | 6 | ||||
2021 | 38 | 6 | 4 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | - | 49 | 6 | |||
2022 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | - | 8 | 0 | ||||
2023 | 29 | 5 | 6 | 0 | 0 | 0 | - | - | 35 | 5 | ||||
2024 | J1 | 35 | 12 | 0 | 0 | 4 | 1 | - | - | 39 | 13 | |||
キャリア通算 | 372 | 111 | 25 | 6 | 29 | 15 | 34 | 8 | 6 | 2 | 466 | 142 |
5.2. 日本代表
日本代表 | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
日本 | 2015 | 13 | 2 |
2016 | 5 | 1 | |
2017 | 1 | 0 | |
2018 | 7 | 0 | |
2019 | 1 | 0 | |
合計 | 27 | 3 |
No. | 開催年月日 | 開催地 | 出場 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2015年3月31日 | 調布、日本 | 2 | ウズベキスタン | 4-1 | 5-1 | 国際親善試合 |
2 | 2015年10月8日 | マスカット、オマーン | 10 | シリア | 3-0 | 3-0 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
3 | 2016年6月3日 | 豊田、日本 | 15 | ブルガリア | 6-0 | 7-2 | 2016 キリンカップ |
6. 受賞歴
宇佐美貴史が獲得した主な個人賞とチームとしての受賞歴は以下の通りである。
- クラブ(ユース)**
- ガンバ大阪ジュニアユース**
- 高円宮杯全日本ユース選手権U-15:1回(2006年)
- ガンバ大阪ユース**
- 日本クラブユース選手権U-18:1回(2007年)
- Jユースカップ:1回(2008年)
- クラブ(シニア)**
- ガンバ大阪**
- Jリーグ ディビジョン1:1回(2014年)
- Jリーグ ディビジョン2:1回(2013年)
- 天皇杯:3回(2009年、2014年、2015年)
- Jリーグカップ:1回(2014年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2015年)
- バイエルン・ミュンヘン**
- DFBポカール準優勝:1回(2011-12)
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝:1回(2011-12)
- フォルトゥナ・デュッセルドルフ**
- 2. ブンデスリーガ:1回(2017-18)
- 代表**
- 日本代表**
- キリンカップサッカー:1回(2011年)
- 個人**
- ユース時代**
- 高円宮杯全日本ユース選手権U-15 得点王(2006年)
- 日本クラブユース選手権U-15 得点王(2006年)
- メニコンカップ(クラブユース東西対抗戦) 敢闘賞(2006年)
- 豊田国際ユースサッカー大会 最優秀選手賞、得点王(2007年)
- 第9回 Franco Gallini 記念国際サッカー大会 最優秀選手賞(2007年)
- プリンスリーグU-18(関西) 得点王(2008年)
- コパ・チーバス2009 得点王(2009年)
- 第10回ビジャレアル国際ユースサッカー大会 得点王(2009年)
- 第10回 Manel Fornè Pons ユースサッカー大会 最優秀選手賞(2009年)
- プロ時代**
- Jリーグベストイレブン:3回(2014年、2015年、2024年)
- Jリーグ優秀選手賞:3回(2014年、2015年、2024年)
- Jリーグベストヤングプレーヤー賞(2010年)
- Jリーグカップ ニューヒーロー賞(2014年)
- Jリーグ月間MVP:6回(J2:2013年8月、2013年11月、J1:2014年9月、2015年4月、2019年11月・12月、2024年6月・10月)
- J1リーグ 最優秀ゴール賞(2024年)
- 天皇杯得点王:(2014年)
- 日本プロスポーツ大賞 新人賞(2010年)
- ユース時代**
- 日本代表**
- ガンバ大阪**
- ガンバ大阪ジュニアユース**
7. 人物・エピソード
- 宇佐美の両親は、Jリーグ発足時からの熱狂的なガンバ大阪サポーターであり、特に松波正信のファンであった。その影響もあり、宇佐美自身も物心つく前からガンバ大阪サポーターであり、実家には子供の頃にガンバ大阪の選手と一緒に撮った写真が飾られている。
- 小学生の時、スピードはあるがボールタッチの大きいドリブルが特徴の選手がいたため、それを見て反面教師とし、自らはタッチの細かいドリブルを意識して行うようになったという。
- 宇佐美はガンバ大阪のジュニアユースに2年間、ユースに2年間在籍し、いずれも飛び級で昇格している。当時のガンバ大阪育成普及部長であった上野山信行は「いい選手にはいい環境を与える。これは当然のことです」と語っている。
- ガンバ大阪でユースチーム在籍中にトップ昇格した選手としては、稲本潤一、新井場徹、家長昭博に次いで4人目である。高校2年生進級時での正式なトップチーム昇格(プロ契約)はガンバ大阪では初めてのことであった。
- ガンバ大阪時代の2010年には2度、通勤用に乗っていた自転車の盗難被害に遭った。1度目は4月上旬に盗まれ、約2か月後に発見されたが、11月には再び盗難に遭ってしまった。しかし、その直後の年末に自動車の運転免許を取得したことから、以後はマイカー通勤となった。
- ジュニアユース時代から過ごしたガンバ大阪への想いは強く、2011年7月12日の移籍前最後の練習では、練習場に集まったサポーターからの激励に感極まり涙した。
- 長岡京市立長岡中学校時代の同級生には、競泳ロンドンオリンピック日本代表の高橋美帆がいる。中学校1年次のクラスの水泳の授業では、水泳が苦手な宇佐美に高橋がアドバイスしたこともあったという。
- 長兄は宇佐美のサッカー経歴と同じく長岡京SSからガンバ大阪下部組織に入っており、家長昭博と元チームメイトであった。同じくガンバ大阪下部組織出身の本田圭佑とも中学からの知り合いであり、宇佐美もその頃から本田と面識がある。
- 世代別代表では常に日本代表に選出されており、その頃は同学年の柴崎岳が「使われる側」で宇佐美が「使う側」だったが、A代表で同時にプレーするようになるとそのプレー関係は逆となり、柴崎が出すパスに宇佐美が反応する側となった。なお、柴崎とは同学年であり、生まれ月も同じ5月である。
- 2011年6月27日、バイエルン・ミュンヘンへの移籍と同時に、1歳年上の幼なじみであるタレントの宇佐美蘭(旧姓・田井中蘭)との入籍を発表した。また、これにより妻が所属している芸能事務所セント・フォースと、スポーツ選手ではバドミントン日本代表の潮田玲子に次いで2人目、男性としては全分野を通して初となるマネジメント契約を締結した。2014年12月20日には、入籍から3年越しで結婚披露宴を行った。2015年12月24日には、第1子の長女が誕生した。その2日後に行われた天皇杯のサガン鳥栖戦でゴールを決め、長女誕生を祝うゆりかごパフォーマンスを行った。
- バイエルン時代、チームメイトのフランク・リベリーから、サッカー選手としての心構えに対する多くのアドバイスを貰ったことを、自身のコラム『宇佐美日記』で度々取り上げていた。また、移籍前にはリベリーから「才能に恵まれた選手だが、経験が少なすぎる。成長するために出場機会を増やすべきだ」とアドバイスを送られた。
- バイエルンのキャプテンであるフィリップ・ラームからは「彼(宇佐美)はあまりに若く、経験が少ないままバイエルンに加入してしまった。でも、間違いなくものすごい才能の持ち主だったよ」と2015年に評されている。
- 同学年の女子サッカー選手岩渕真奈とは、一時同じチーム(ホッフェンハイム)に在籍していた上、2013年2月に岩渕が靭帯を痛めた際には、リハビリの手助けとして2ヶ月ほど同居していた(岩渕が宇佐美家に居候する形)など、深い交流がある。当時は宇佐美家の飼い犬が宇佐美ではなく岩渕の方に懐いてしまったというエピソードがある。
- 食べ物ではスイカが苦手であり、本人曰く「瓜系の食べ物全般が苦手」で、メロンやキュウリも大嫌いだという。
- 2016年にインスタグラムを始めたが、その後、閉鎖した。その理由については「試合後に『死ね』などというコメントが来ると、苛立つし、スタジアムで応援してくる人達のなかにもああいう悪いコメントを送ってくる人がいるのかなと思いたくない。本当に応援してくれるひとは温かいメッセージを送ってくれるだろう」と、メンタル面への影響も考慮してのことである。

7.1. 出演
- CM**
- アディダス(2011年)
- MV**
- lecca「My measure」(2016年)