1. 個人情報
小澤竜己は1988年2月6日に愛知県名古屋市で生まれた。身長は170 cm、体重は69 kgで、利き足は右足である。愛称は「コザ」や、ポーランドでのプレー中に呼ばれた「Koziniコズィーニポーランド語」がある。
彼の次姉は女優の小澤真利奈である。
2. ユースキャリア
小澤竜己は3歳でサッカーを始め、小学4年生からは地元のクラブである名古屋FCに所属した。名古屋FCでは名古屋市立上野小学校と名古屋市立振甫中学校の期間を通じてプレーした。
2003年に青森山田高校に進学。1年生の時から背番号10を背負い、エースストライカーとしてチームを牽引した。3年生時には主将を務め、同期のFW伊東俊とのコンビでインターハイ(全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会)を制覇する快挙を成し遂げた。また、第84回全国高等学校サッカー選手権大会では、同期の松本怜と共に優秀選手賞を受賞した。
代表チームでの経験も豊富で、2004年にはU-16日本代表としてモンテギュー国際大会に出場。この大会の決勝イタリア戦ではハットトリックを記録し、チームを優勝に導くとともに自身も得点王を獲得した。その他、U-16代表としてミルクカップ、豊田国際ユースサッカー大会、北海道国際ユースサッカー大会、AFC U-17選手権2004に参加した。
3. プロフェッショナルキャリア
小澤竜己は2006年にFC東京とプロ契約を結び、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。その後、日本国内のクラブだけでなく、タイ、ラトビア、ポーランド、インド、フィリピンといったアジアとヨーロッパの様々な国のリーグでプレーし、国際的な経験を積んだ。
3.1. 日本国内でのクラブキャリア
小澤竜己はプロキャリアの初期を日本国内のクラブで過ごした。

- FC東京**
2006年にJリーグのFC東京とプロ契約を締結。同年4月22日のG大阪戦でデビューを果たした。同年のヤマザキナビスコカップ・浦和戦では初の先発出場を経験。MFとして起用され、豊富な運動量で中盤を活性化させるプレーを見せた。
2007年5月にはU-20日本代表候補トレーニングキャンプに参加し、同年のU-20ワールドカップ参加メンバーの最終選考に臨んだが、この頃から股関節痛を発症。練習を続ける中で症状が悪化し、後にグロインペイン症候群と診断され戦線離脱。これによりU-20ワールドカップ出場を逃した。
2008年、試合経験を積むためガイナーレ鳥取へ期限付き移籍した。FC東京からは2008年シーズン終了後に契約非更新を通知され、Jリーグ合同トライアウトに参加した。
- ガイナーレ鳥取**
2008年にJFL所属のガイナーレ鳥取へ期限付き移籍。このシーズンはチーム最多となる11得点を挙げた。2009年からは鳥取へ完全移籍したが、徐々に出場機会を減らし、2010年シーズン終了後に契約非更新となった。
- ブラウブリッツ秋田**
2011年よりブラウブリッツ秋田へ完全移籍。チームが採用していた3トップの布陣において、サイドでのプレーに取り組んだ。クラブからは契約延長を打診されたものの、これを固辞し、同年限りで退団した。
- トヨタ蹴球団**
2017年7月から12月まで、東海社会人サッカーリーグ1部に所属するトヨタ蹴球団でプレーした。
3.2. 東アジア・東南アジアでのクラブキャリア
日本を離れた小澤は、東アジアや東南アジアのリーグで新たな挑戦を続けた。
- パタヤ・ユナイテッドFC(タイ)**
2012年3月から7月まで、タイ・プレミアリーグ(当時1部相当)のパタヤ・ユナイテッドFCに加入した。同年6月に中足骨を骨折し、その後、外国籍枠の関係でパタヤから契約解除の申し出を受け退団した。
- ムンバイFC(インド)**
2016年1月から6月まで、インドのIリーグに所属するムンバイFCでプレーした。
- ランパーンFC(タイ)**
2016年6月から2017年4月まで、タイ・ディヴィジョン1リーグ(当時2部相当)およびタイ・リーグ2に所属するランパーンFCでプレーした。
- JPVマリキナFC(フィリピン)**
2018年にはフィリピンのJPVマリキナFCに所属した。
3.3. ヨーロッパでのクラブキャリア
小澤はキャリアを通じてヨーロッパのリーグでもプレーした。
- FBグルベネ(ラトビア)**
2012年9月から11月まで、ラトビアのヴィルスリーガ(1部)に所属するFBグルベネへ移籍した。
- KSグバルディア・コシャリン(ポーランド)**
2013年3月、ポーランドの3.リガに所属するKSグバルディア・コシャリンへ移籍。右のサイドアタッカーとして出場を続け、2014年5月にはリーグ戦でハットトリックを達成した。
- MKSドラヴァ・ドラフスコ・ポモルスキエ(ポーランド)**
2015年7月から12月まで、ポーランドの3.リガに所属するMKSドラヴァ・ドラフスコ・ポモルスキエでプレーした。
- MKSイランカ・ジェピン(ポーランド)**
2019年から2022年にかけて、ポーランドのMKSイランカ・ジェピンに所属した。
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | |||||||
2006 | FC東京 | J1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 6 | 0 | |
2007 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2008 | 鳥取 | JFL | 29 | 11 | 1 | 0 | - | 30 | 11 | ||
2009 | 19 | 6 | 0 | 0 | - | 19 | 6 | ||||
2010 | 8 | 1 | 0 | 0 | - | 8 | 1 | ||||
2011 | 秋田 | 20 | 2 | 2 | 1 | - | 22 | 3 | |||
タイ | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | |||||||
2012 | パタヤU | TPL | |||||||||
2016 | ラムパーン | Div1 | 8 | 1 | |||||||
2017 | T2 | 3 | 0 | ||||||||
ラトビア | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | |||||||
2012 | グルベネ | ヴィルス | 9 | 0 | - | - | 9 | 0 | |||
ポーランド | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | |||||||
2012-13 | コシャリン | 3.リガ | 8 | 0 | |||||||
2013-14 | 29 | 6 | |||||||||
2014-15 | 28 | 7 | |||||||||
2015-16 | D.ポモルスキエ | 15 | 4 | ||||||||
インド | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | |||||||
2015-16 | ムンバイ | Iリーグ | 14 | 3 | |||||||
日本 | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | |||||||
2017 | トヨタ | 東海1部 | 3 | 0 | - | - | 3 | 0 | |||
総通算 | 196 | 41 | 3 | 0 | 3 | 1 | 202 | 42 |
4. 代表チームでのキャリア
小澤竜己は、各年代の日本代表チームに招集され、国際大会での経験を積んだ。
- U-16日本代表**
- 2003年
- 2004年: モンテギュー国際大会、ミルクカップ、豊田国際ユースサッカー大会、北海道国際ユースサッカー大会、AFC U-17選手権2004
- U-17日本代表**
- 2005年: サニックス杯国際ユースサッカー大会
- U-17東北代表**
- 2005年: 第3回仙台カップ国際ユースサッカー大会
- U-18日本代表**
- 2005年
- U-19日本代表**
- 2006年: 第30回SBSカップ・国際ユースサッカートーナメント
- U-20日本代表**
- 2007年: ポルトガル遠征・Campos VerdesトーナメントU-20(この後、負傷によりU-20ワールドカップ出場を逃す)
5. 個人タイトル・受賞歴
小澤竜己はユース時代に顕著な個人タイトルを獲得している。
- 2004年 モンテギュー国際大会 得点王
- 2005年 第84回全国高等学校サッカー選手権大会 優秀選手賞
6. 引退
小澤竜己は2022年3月5日に自身のTwitterアカウントを通じて、プロサッカー選手としての現役引退を正式に発表した。