1. 生涯
島田直也の個人的な人生の歩みは、幼少期からの野球との出会い、そして特に学生時代の野球活動が深く関わっている。
1.1. 学生時代
島田直也は1970年3月17日に千葉県柏市で生まれた。小学1年生から野球を始め、柏市立富勢中学校時代はエースピッチャーとして活躍した。常総学院高校に進学後は、捕手、内野手、外野手と様々なポジションを経験した後、再び投手へと転向した。
1987年には、春の選抜高等学校野球大会と夏の全国高等学校野球選手権大会に連続で出場した。春の選抜では常総学院にとって初の甲子園出場を果たしたが、1回戦で敗退した。夏の選手権では決勝まで進出し、PL学園高校と対戦したが、惜しくも敗れて準優勝投手となった。この決勝戦で投げ合ったPL学園の野村弘樹とは、後に横浜大洋ホエールズでチームメートとなる運命的な出会いがあった。
2. 選手としてのキャリア
島田直也は、1987年に北海道日本ハムファイターズにドラフト外で入団してプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた。その後、横浜大洋ホエールズ、東京ヤクルトスワローズ、大阪近鉄バファローズと渡り歩き、主に中継ぎ投手として活躍した。
2.1. プロ入りと初期
1987年オフ、島田はドラフト外で日本ハムファイターズに入団した。同期入団の芝草宇宙と共に「SSコンビ」として売り出され、将来を嘱望された。
1989年10月8日の対近鉄バファローズ戦で一軍初登板を果たした。
しかし、1991年には二軍(イースタン・リーグ)で0勝10敗という不本意な成績に終わり、シーズン終了後に石川賢とのトレードで横浜大洋ホエールズへ移籍することになった。
2.2. 横浜時代
横浜大洋ホエールズへ移籍した島田は、1992年8月23日の対中日ドラゴンズ戦でプロ入り初勝利を記録した。
1993年にはプロ入り初の完封勝利を達成するなど、先発投手としても能力を示した。
1994年には中継ぎ投手として大きく飛躍し、シーズンで50試合に登板して9勝を挙げ、チーム最多勝タイの成績を残した。
1995年も2年連続でチーム最多勝となる自己最多の10勝を記録し、自身初の2桁勝利を達成した。リリーフ投手が2年続けてチーム最多勝となるのは極めて稀な事例であり、当時の横浜ベイスターズにおける彼の貢献度の高さを示している(1994年の先発投手最多勝は斎藤隆の9勝12敗、1995年の先発投手最多は斎藤隆が8勝9敗、三浦大輔が8勝8敗)。また、1994年5月13日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)でチームが達成した日本プロ野球公式戦タイ記録(当時)の9打席連続安打は、島田の内野安打から始まった。打者一巡を経て2回目の打席が回ってきた際、彼は故障を避けるため敢えてホームベースから遠く構え、振り遅れて三振を喫したという逸話が残っている。
1996年はチーム全体で風疹が流行し、先発投手が不足する事態に陥ったため、久々に先発として起用されたが、シーズンを通して不振に苦しんだ。
1997年には、前年のセットアッパーであった五十嵐英樹が怪我で開幕に間に合わなかったため、代わりにセットアッパーとして起用され、自身初となる最優秀中継ぎ投手のタイトルを受賞した。
1998年には中継ぎ投手のエース格として、横浜ベイスターズの38年ぶりのセ・リーグ優勝および日本一に大きく貢献した。
1999年にはオールスターゲームに初出場を果たした。このシーズンは不調であったが、1997年と1998年のチームを支えた功績が評価され、当時のオールスター監督であった権藤博の推薦により選出された。
2000年のシーズン終了後、自由契約となり、東京ヤクルトスワローズへ移籍した。
2.3. ヤクルト・近鉄時代
東京ヤクルトスワローズへ移籍した島田は、2001年に中継ぎ投手の一人としてヤクルトスワローズの優勝と日本一に貢献した。
2002年シーズン終了後に再び自由契約となり、大阪近鉄バファローズへ移籍した。
2003年、シーズンでは一軍での登板がわずか3試合に終わり、このシーズン限りで現役を引退した。
3. 指導者としてのキャリア
現役引退後、島田直也は野球指導者としての新たなキャリアをスタートさせた。独立リーグやNPB球団でのコーチ・監督経験を経て、現在は母校の常総学院中学校・高等学校で指導にあたっている。
3.1. 独立リーグでの指導
2004年から、かつて所属した北海道日本ハムファイターズに打撃投手として復帰した。
2007年から2010年にかけては、BCリーグの信濃グランセローズで投手コーチを務めた。
2011年には四国アイランドリーグplus(四国IL)の徳島インディゴソックスの投手コーチに就任。
2012年からは同球団の監督に就任し、2年目の2013年には後期優勝を経てチームを2年ぶりの年間総合優勝に導いた。NPBでの指導者経験がない監督が同リーグの年間総合優勝を達成したのは、前任の斉藤浩行に次いで2人目の快挙であった。
2014年には、リーグ史上2チーム目となる前後期優勝を果たし、3連覇を達成した。これは2年連続の年間総合優勝であり、リーグで2チーム目の前後期完全優勝でもあった。さらに、BCリーグを制した群馬ダイヤモンドペガサスとのグランドチャンピオンシップでも勝利を収めた。また、「ソフトバンク杯」(四国ILの公式戦の一環として実施されているソフトバンク三軍との交流戦)でも2連覇を達成した。リーグの前後期および年間総合優勝、グランドチャンピオンシップを制した球団が、ソフトバンク杯でも優勝した事例はこれが初めてであった。
3.2. NPBおよび高校での指導
2016年と2017年には、古巣である横浜DeNAベイスターズで二軍投手コーチを歴任した。コーチ退任後も、野球振興部・スクール事業部の契約職員として2019年シーズンまでDeNAに在籍し、同年のNPB12球団ジュニアトーナメントではDeNAジュニアチームのコーチを務めた。
2020年3月16日に日本学生野球協会から学生野球資格回復の適性を認定されたことで、同協会に加盟する高校・大学の野球部での指導が可能となった。これを受け、3月20日から母校である常総学院中学校・高等学校硬式野球部に投手コーチとして復帰し、4月1日付で同校の職員にも採用された。
チームが「2020年夏季茨城県高校野球大会」(新型コロナウイルスへの感染拡大の影響で中止された第102回全国高等学校野球選手権茨城大会の代替大会)の3回戦で敗れた翌日(7月26日)から監督へ昇格した。監督としての初陣は、かつての「SSコンビ」の相方である芝草宇宙が監督を務める帝京長岡高等学校硬式野球部との練習試合であり、8月9日に常総学院高校のグラウンドで開催された。
同年秋からの新チームは、秋季関東大会での準優勝を経て、翌2021年に開催された第93回選抜高等学校野球大会1回戦(3月24日)で敦賀気比高等学校と対戦した。先攻で臨みながらも延長12回裏までに決着が付かなかったため、選抜大会史上初めて13回の攻撃からタイブレークが適用され、9対5というスコアで甲子園球場における初陣を飾った。
4. 詳細情報
島田直也のプロ野球選手としての詳細な記録、成績、受賞歴、および背番号の変遷を以下に示す。
4.1. 年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 与死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | 日本ハム | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 1 | 0.1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 | |
1990 | 20 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 190 | 39.2 | 50 | 6 | 23 | 3 | 4 | 23 | 1 | 0 | 34 | 25 | 5.67 | 1.84 | |
1992 | 大洋 横浜 | 14 | 2 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .500 | 202 | 46.0 | 45 | 4 | 23 | 4 | 1 | 28 | 1 | 0 | 25 | 23 | 4.50 | 1.48 |
1993 | 16 | 3 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | .429 | 270 | 60.2 | 67 | 1 | 25 | 1 | 1 | 40 | 4 | 0 | 27 | 18 | 2.67 | 1.52 | |
1994 | 50 | 9 | 9 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | 491 | 116.2 | 122 | 9 | 31 | 2 | 4 | 68 | 4 | 1 | 53 | 50 | 3.86 | 1.31 | |
1995 | 46 | 10 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .714 | 322 | 75.2 | 82 | 10 | 23 | 3 | 2 | 51 | 3 | 0 | 34 | 30 | 3.57 | 1.39 | |
1996 | 38 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | 300 | 65.1 | 82 | 6 | 32 | 3 | 2 | 48 | 3 | 0 | 34 | 28 | 3.86 | 1.74 | |
1997 | 60 | 5 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .417 | 350 | 84.2 | 83 | 5 | 23 | 2 | 2 | 55 | 1 | 0 | 26 | 24 | 2.55 | 1.25 | |
1998 | 54 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .750 | 262 | 61.0 | 59 | 5 | 24 | 2 | 5 | 33 | 0 | 0 | 18 | 16 | 2.36 | 1.36 | |
1999 | 39 | 0 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 198 | 42.0 | 55 | 7 | 15 | 3 | 1 | 32 | 5 | 0 | 29 | 25 | 5.36 | 1.67 | |
2000 | 21 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 96 | 23.0 | 23 | 3 | 9 | 0 | 1 | 10 | 1 | 1 | 12 | 12 | 4.70 | 1.39 | |
2001 | ヤクルト | 53 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 198 | 46.1 | 45 | 5 | 18 | 2 | 4 | 26 | 0 | 0 | 18 | 15 | 2.91 | 1.36 |
2002 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 13 | 2.2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 3 | 10.13 | 1.88 | |
2003 | 近鉄 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 13 | 1.2 | 6 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 21.6 | 4.80 |
通算:14年 | 419 | 39 | 38 | 9 | 0 | 2 | 1 | 0 | .506 | 2906 | 665.2 | 723 | 63 | 249 | 25 | 27 | 417 | 23 | 2 | 317 | 273 | 3.69 | 1.46 |
- 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更
4.2. タイトル・表彰
- 最優秀中継ぎ投手:1回 (1997年)
4.3. 記録
; 初記録
- 初登板:1989年10月8日、対近鉄バファローズ26回戦(藤井寺球場)、8回裏2死に3番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏にハーマン・リベラから
- 初先発:1990年4月28日、対福岡ダイエーホークス4回戦(東京ドーム)、5回2失点
- 初勝利・初先発勝利:1992年8月23日、対中日ドラゴンズ20回戦(横浜スタジアム)、7回2失点
- 初完投勝利:1992年9月23日、対中日ドラゴンズ25回戦(ナゴヤ球場)、9回4失点
- 初完封勝利:1993年6月5日、対中日ドラゴンズ8回戦(ナゴヤ球場)
- 初セーブ:1994年5月25日、対ヤクルトスワローズ8回戦(明治神宮野球場)、6回裏に2番手で救援登板・完了、4回無失点
; その他
- オールスターゲーム出場:1回 (1999年)
4.4. 背番号
- 47 (1988年 - 1991年)
- 48 (1992年 - 2000年)
- 12 (2001年 - 2002年)
- 30 (2003年)
- 68 (2004年 - 2005年)
- 91 (2006年)
- 19 (2007年 - 2010年)
- 77 (2011年 - 2014年)
- 81 (2015年)
- 84 (2016年 - 2017年)