1. 概要
徐奉洙(서봉수ソ・ボンス韓国語、1953年2月1日 - )は、大韓民国の囲碁棋士である。大田広域市出身。韓国棋院所属、九段。特定の師を持たない独学で囲碁を学び、その異端の経歴から「野武士」、あるいはその戦闘的な棋風から「野戦司令官」と称される。若くして名人位を獲得したことから「徐名人」とも呼ばれた。
1970年代以降、曺薫鉉九段と熾烈なライバル関係を築き、長きにわたり韓国囲碁界の二強時代を牽引した。特に1980年代には350局を超える公式戦で対局し、これは世界記録とされる。1990年代には曺薫鉉、李昌鎬、劉昌赫と共に「四人組」の一角を担い、韓国囲碁界の黄金期を支えた。
主な業績としては、1993年の第2回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦での優勝や、1997年の真露杯SBS世界囲碁最強戦における驚異的な9連勝で韓国チームの優勝に貢献したことなどが挙げられる。国内棋戦では数多くのタイトルを獲得し、通算1000勝達成や、2023年には曺薫鉉を抜いてプロ通算最多対局記録を更新するなど、数々の金字塔を打ち立てた。その型破りなスタイルと不屈の精神は、多くの囲碁ファンに愛され、韓国囲碁史に多大な影響を与えた棋士である。
2. 生涯とプロデビュー
徐奉洙は、独学で囲碁の道を切り開き、異色の経歴を持つプロ棋士として知られている。
2.1. 出生と家族
徐奉洙は、1953年2月1日に大韓民国の忠清南道大徳郡有千面(現在の大田広域市西区)で生まれた。父は徐勝達(後に故郷の大田で囲碁道場を運営)、母は庾必礼(1992年死去)である。
私生活では、1976年に李英華と結婚し、一男(徐相鉉)一女(徐真)をもうけたが、2003年5月に李英華と離婚した。その後、2004年10月にベトナム農村出身のラム・ティー・ヒウ・ムアと再婚した。
2.2. 囲碁との出会いとプロ入段
徐奉洙は、特定の師を持たず、地元の囲碁道場で独学で囲碁を学んだ。この自らの力で道を切り開いた経験が、彼の個性的な棋風の礎となった。
ソウル特別市龍山区の培文高等学校在学中、1970年に満17歳でプロ棋士として韓国棋院に入段。翌年の1971年には、二段昇段直後に趙南哲九段を3勝1敗で破り、当時最年少の満18歳で名人のタイトルを獲得した。この名人位を以後5期連続で保持するなど、早くからその才能を発揮した。
3. 棋風
徐奉洙の棋風は、その独特な経歴と同様に非常に個性的で戦闘的である。相手を攻め続ける「剛碁」を特徴とし、しばしば「野武士」「野戦司令官」と形容される。
彼は、正規の師匠に学ばず、自らの感覚と実戦で培った力強い碁を打つことから、このような異名が定着した。局面全体を見据え、徹底的に相手を追いつめるような戦い方は、あたかも戦場で陣頭指揮を執る司令官のようであると評価された。また、若くして名人位を獲得した経緯から、囲碁ファンからは敬意を込めて「徐名人」とも称されている。彼の碁は、常に変化と創造性を追求し、どんな劣勢からも逆転を狙う不屈の精神が宿っている。
4. 主な棋歴と業績
徐奉洙は、そのキャリアを通じて数々のタイトルを獲得し、特にライバルとの激戦や国際舞台での活躍が際立っている。
4.1. 曺薫鉉とのライバル関係
曺薫鉉九段と徐奉洙九段は、1980年代の韓国囲碁界を代表する最大のライバルとして知られる。曺薫鉉が海外から帰国して以降、二人は国内主要タイトルのほぼ全てを独占し、常にタイトルを争う二強時代を築いた。
特に両者の対戦は熾烈を極め、公式戦での対局数は通算350局以上に及び、これは囲碁史上最多の対戦記録として世界中に知られている。1984年の第3期KBS杯バドゥク王戦では徐奉洙が曺薫鉉に2勝1敗で勝利し優勝を飾ったが、翌1985年の第4期では1勝2敗で敗れ準優勝となった。また、国手戦では一時的に徐奉洙が1987年から2年間タイトルを獲得したものの、多くの場合曺薫鉉に阻まれ、長らく「第二人者」としての地位に甘んじることもあった。しかし、この二人の切磋琢磨は、韓国囲碁界全体のレベルを飛躍的に向上させる原動力となった。
1990年代には、曺薫鉉、李昌鎬、劉昌赫と共に「四人組」と呼ばれ、韓国囲碁界の頂点を極めた。
4.2. 国際棋戦での活躍
徐奉洙は、国内だけでなく国際棋戦でもその実力を遺憾なく発揮し、特に世界タイトル獲得と団体戦での活躍が目立つ。
4.2.1. 応昌期杯優勝

1993年、第2回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦において、徐奉洙は世界の強豪を次々と破り優勝を成し遂げた。この大会では、1回戦で鄭銘瑝、2回戦で藤沢秀行、3回戦で武宮正樹といった実力者を打ち破り、1992年11月に行われた準決勝では趙治勲を2勝1敗で下して決勝に進出した。
決勝五番勝負は、日本の大竹英雄九段との対決となった。第1局は白番の大竹が序盤から優勢を保ち先勝。第2局は先番の大竹が序盤で有利な展開だったものの、中盤に徐奉洙が逆転し、白番で勝利を収めて1勝1敗のタイに戻した。第3局(図)では、序盤に白番の大竹が右辺に消しに来た手が疑問手となり、上辺の黒に迫るべき局面で機会を逸した。その後、黒番の徐奉洙が絶妙な手で左辺を攻め立て、一方的に攻勢に回り、119手まで中押し勝ちを収めて連勝した。
第4局は大竹が序盤からの優勢を守り切り、2勝2敗と再びタイに持ち込んだ。しかし、最終第5局は1993年5月20日に行われ、序盤は白番の大竹が好調であったが、疑問手により逆転を許した。結果、219手まで先番の徐奉洙が中押し勝ちを収め、総合スコア3勝2敗で応昌期杯のタイトルを獲得した。これにより、韓国は第1回の曺薫鉉に続き、応昌期杯で2連覇を達成した。
4.2.2. 真露杯SBS世界囲碁最強戦9連勝
1997年の第5回真露杯SBS世界囲碁最強戦において、徐奉洙は韓国代表として驚異的な活躍を見せた。彼は韓国チームの四番手として出場し、中国チームの全選手と、日本チームの残りの選手を一人で打ち破るという、前代未聞の9連勝を達成した。
この9連勝は、兪斌、彦坂直人、常昊、山田規三生、曹大元、王立誠、陳臨新、依田紀基、馬暁春といった日中両国のトップ棋士を次々と撃破したものであり、これにより韓国チームは大会5連覇を果たすことができた。この偉業は、徐奉洙の不屈の闘志と驚異的な勝負強さを象徴する出来事として、今も語り継がれている。
4.3. 国内棋戦での活躍
徐奉洙は、国内棋戦においても数多くのタイトルを獲得し、そのキャリアを通じて輝かしい成績を収めた。
- 名人戦: 1971-1974年、1976年、1978年、1982年
- MBC杯国棋戦: 1974年
- 王位戦: 1975年、1980年
- 最高位戦: 1980年
- 国棋戦: 1980年、1988年、1992年
- 棋王戦: 1983年、1988年
- 帝王戦: 1983年、1987年
- KBS杯バドゥク王戦: 1983年
- 国手戦: 1986年、1987年
- 七八九段戦: 1988年
- 東洋証券杯: 1991年
- LG精油杯プロ棋戦: 1999年
- 石種杯プロシニア棋戦: 2000年、2002年、2003年
- 電子ランド杯王中王戦玄武部: 2006年、2008年
- シニア囲碁クラシック シニア王位戦: 2014年
- 大舟杯プロシニア最強者戦: 2021年、2024年
4.4. 記録とマイルストーン
徐奉洙は、囲碁史に残る数々の記録を打ち立ててきた。1994年には、通算1000勝を達成した。これは当時、張秀英九段に勝利して記録したものである。
さらに、2023年8月には、曺薫鉉九段が保持していたプロ通算最多対局記録(2811局)を更新し、新たな記録を樹立した。これは、彼の長年にわたる現役生活と、その比類ない活動量を示すものである。
4.5. シニア棋士としての活動
ベテラン棋士となった後も、徐奉洙は活発に活動を続けている。2005年には韓国囲碁リーグのハンゲームチームで出場し、2008年と2009年にはTブロードチームの監督を務めた。
2016年からは韓国棋院総裁杯シニア囲碁リーグに参戦し、2017年、2018年、2021年には最多勝を記録するなど、シニア棋士として第一線で活躍している。また、2020年には仲邑菫三段との非公式対局企画「すみれオロチャレンジ」で3連勝を飾った。2022年には、韓国トップ棋士5人との五番勝負「ソパルコサノル徐奉洙の熱血挑戦」に臨み、1勝4敗の成績を残した。
5. 国際棋戦成績一覧
棋戦 | 1988 | 1989 | 1990 | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 |
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応昌期杯 | × | 優勝 | 16強 | 24強 | × | × | |||||||||||||||
富士通杯 | 16強 | ベスト4 | 16強 | 8強 | 16強 | 16強 | 16強 | 24強 | 24強 | 16強 | 24強 | 24強 | × | × | × | × | × | × | × | × | × |
東洋証券杯 | 8強 | 優勝 | 16強 | ||||||||||||||||||
16強 | 16強 | 32強 | × | ||||||||||||||||||
32強 | 32強 | 中断 | |||||||||||||||||||
三星火災杯 | 8強 | 32強 | 32強 | × | ベスト4 | 32強 | 32強 | × | × | × | ベスト4 | 32強 | × | ||||||||
LG杯 | × | 8強 | × | × | × | 16強 | × | × | × | × | × | × | × | ||||||||
春蘭杯 | × | 16強 | 24強 | ||||||||||||||||||
× | |||||||||||||||||||||
× | |||||||||||||||||||||
× | |||||||||||||||||||||
× | |||||||||||||||||||||
テレビ囲碁アジア選手権 | |||||||||||||||||||||
× | × | × | × | 準優勝 | × | × | 1回戦 | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | ||
農心杯 | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × | × |
その他の国際棋戦成績
- 紳士杯世界優勝戦: 1995年 優勝
- 樟樹・中国葯都杯中日韓囲碁大師戦: 2017年 優勝
- テレビ囲碁アジア選手権: 1993年 準優勝
- 三星火災杯世界オープン戦: 2000年、2006年 ベスト4
- 真露杯SBS世界囲碁最強戦
- 1993年: 2勝1敗(林海峰九段、馬暁春九段に勝利、武宮正樹九段に敗北)
- 1994年: 4勝1敗(山城宏九段、兪斌九段、石田芳夫九段、劉小光九段に勝利、依田紀基九段に敗北)
- 1995年: 0勝1敗(宮沢吾朗九段に敗北)
- 1997年: 9勝0敗(兪斌九段、彦坂直人九段、常昊九段、山田規三生九段、曹大元九段、王立誠九段、陳臨新九段、依田紀基九段、馬暁春九段に勝利)
- ロッテ杯中韓囲碁対抗戦: 1994年 0勝2敗(常昊九段、馬暁春九段に敗北)
- 塩城東方集団杯中韓囲棋団体名人選手権戦: 2016年 1勝2敗(常昊九段、馬暁春九段に敗北、聶衛平九段に勝利)
- 扁康杯中韓囲棋国手友誼戦: 2019年 1勝1敗(常昊九段に敗北、聶衛平九段に勝利)
- 1004島新安国際シニア囲碁大会団体戦: 2019年 1勝2敗(芮廼偉九段、小林光一九段に敗北、王立誠九段に勝利)
- 農心白山水杯世界囲碁シニア最強戦: 2023-24年 0勝1敗(劉小光九段に敗北)
6. 代表局
第2回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦 決勝五番勝負第3局、大竹英雄 - 徐奉洙(先番)。
1993年の第2回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦決勝で、徐奉洙は日本の大竹英雄九段と激突した。第3局は徐奉洙の黒番であった。序盤、白番の大竹が右辺の黒陣を消しに来た手が、後に疑問手となる。上辺の黒に対してさらに迫るべき局面であったが、大竹はその機会を逸した。これに対し、黒1(41手目)が絶妙な着点となり、続いて黒11、黒13と徐奉洙が一方的に白を攻め続ける展開となった。この猛攻により、119手で白番の大竹が中押し負けを喫し、徐奉洙がこの局を完勝した。
この勝利により、徐奉洙は決勝戦を2勝1敗とリードし、最終的に3勝2敗で大竹を破り優勝を果たした。この対局は、彼の独創的で攻撃的な棋風を象徴する一局として、囲碁史に深く刻まれている。
7. 私生活
徐奉洙は、囲碁界での輝かしいキャリアの傍ら、私生活においても変化を経験している。2003年5月に李英華夫人と離婚。その後、2004年10月にベトナム人女性のラム・ティー・ヒウ・ムアと再婚した。
また、趣味はビリヤードであると公言している。
8. 受賞歴
徐奉洙は、その長年の功績に対して数々の賞を受賞している。
- 棋道文化賞
- 最多勝: 1979年、1981-1983年
- 連勝賞: 1979年
- 優秀棋士賞: 1980-1982年
- 囲碁文化賞
- 優秀棋士賞: 1993年、1997年、1999年
- 囲碁大賞
- 敢闘賞: 2006年
- シニア棋士賞: 2021年
9. 評価と影響

徐奉洙は、韓国囲碁界において非常に特別な存在である。正規の師匠を持たず独学でプロ棋士となり、その型破りな経歴と戦闘的な棋風は、既存の囲碁界の枠組みに挑戦する「野武士」として、多くの人々に強烈な印象を与えた。特に、同世代の天才棋士である曺薫鉉との長年にわたるライバル関係は、韓国囲碁の黄金期を牽引し、両者の熾烈な競争は囲碁ファンの熱狂を呼び、囲碁の普及に大きく貢献した。
彼は、国際舞台での成功、特に応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦優勝や真露杯SBS世界囲碁最強戦での驚異的な9連勝を通じて、韓国囲碁の実力を世界に知らしめた立役者の一人である。また、プロ通算最多対局記録の更新や1000勝達成といった記録は、彼の絶え間ない努力と囲碁に対する情熱の証である。
徐奉洙の存在は、単なるタイトルホルダーに留まらず、独学で頂点を目指す不屈の精神と、どんな相手にも臆することなく戦い抜く姿勢を体現しており、後進の棋士やファンに多大な影響を与え続けている。彼の功績は、韓国囲碁史において永遠に輝き続けるだろう。