1. 概要
本間 勲(ほんま いさお日本語、1981年4月19日 - )は、新潟県北蒲原郡中条町(現・胎内市)出身の元サッカー選手であり、現在はサッカー指導者として活動している。身長173 cm、体重67 kg。現役時代のポジションは主に守備的ミッドフィールダーであった。
2000年にアルビレックス新潟でプロデビューして以来、2014年までの15年間にわたり同クラブでプレーし、その忠誠心と貢献から「ミスターアルビレックス」の愛称で親しまれ、チームの象徴的存在となった。2014年シーズン途中から栃木SCへ移籍し、3シーズンを過ごした後、2017年にアルビレックス新潟に復帰し、同年限りで現役を引退した。プロキャリア全体で公式戦通算460試合に出場し、18得点を記録した。
引退後は、アルビレックス新潟のサッカースクールコーチやアカデミー部門スカウトを歴任し、現在は強化部スカウト担当を務めている。
2. 初期生い立ちと背景
本間勲は1981年4月19日に新潟県北蒲原郡中条町(現在の胎内市)で生まれた。
2.1. 幼少期と教育
8歳の時に地元の中条サッカースポーツ少年団に入団し、サッカーを始めた。その後、胎内市立中条中学校を経て、千葉県の習志野市立習志野高等学校に進学した。習志野高校サッカー部では、1998年に千葉県大会で優勝し、第77回全国高等学校サッカー選手権大会に出場する経験をした。この県大会では、後にチームメイトとなる船橋市立船橋高等学校の黒河貴矢にPKを止められたこともあった。
3. 選手経歴
本間勲は高校卒業後、2000年にアルビレックス新潟に加入し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。

3.1. デビューと初期のキャリア
アルビレックス新潟加入当初、本間は主に右サイドを主戦場とする攻撃的ミッドフィールダーとしてプレーした。プロデビュー戦は2000年5月2日のJ2リーグ、水戸ホーリーホック戦であった。その3日後の2000年5月5日に行われた湘南ベルマーレ戦では、アウェイでの2対1の勝利に貢献するプロ初得点を記録した。ルーキーイヤーである2000年シーズンは、リーグ戦29試合に出場し3得点を挙げ、公式戦全体で31試合に出場し3得点を記録した。
しかし、2年目からは徐々に出場機会が減少し、当時の反町康治監督のチーム編成方針などもあり、より守備的なポジションであるボランチにコンバートされた。2002年には、2002 FIFAワールドカップの開催時期と重なる3カ月間の短期ブラジル留学を経験したが、本人はあまり乗り気ではなかったという。
3.2. アルビレックス新潟時代(第1期)
アルビレックス新潟は2004年にJ1リーグへ昇格し、本間は2005年シーズンにレギュラーポジションを獲得した。当時は全国的にはまだ無名な存在であったが、2006年のシーズン途中に鹿島アントラーズから新潟に移籍してきた内田潤は、鹿島時代の監督であったトニーニョ・セレーゾが新潟戦前のミーティングで「とにかくこいつを止めろ」と本間を強調していたため、移籍前から本間のことを知っていたと後に語っている。
2007年からはゲームキャプテンを務めるようになり、2008年には中盤の要、司令塔と呼ばれる存在に成長した。同年7月には第一子が誕生している。2009年シーズンには、当時の鈴木淳監督が構築した4-3-3システムにおいて、1ボランチとして中盤の底でその存在感を示した。当時の京都サンガF.C.監督であった加藤久は、攻撃的なチームの中にあって「ディフェンダーの前で上手くスペースを消している」と、本間の守備面を高く評価した。
翌2010年からは正式にチームキャプテンに就任し、北野貴之の移籍に伴い、J2時代を経験したメンバーは本間ただ一人となった。新潟出身の生え抜き選手であるという経歴もあり、メディアでは「ミスター・アルビレックス」と紹介されるようになった。本間はその後、監督が黒崎久志、柳下正明に変わった後もレギュラーポジションを守り続け、2011年にはJ1リーグ戦全試合に出場した。2011年9月24日のJ1第27節ジュビロ磐田戦にスタメン出場し、J1通算200試合出場を達成。2012年にはJリーグ通算300試合出場に到達した。しかし、2013年以降は新加入のレオ・シルバや小林裕紀にポジションを奪われる形となり、出場機会が減少。2014年には全く試合に出場できないシーズンとなった。
3.3. 栃木SC時代
出場機会を求めて、2014年8月より半年間の期限付き移籍でJ2の栃木SCへ移籍した。栃木SCでは守備的ミッドフィールダーとしてレギュラーとしてプレーした。シーズン終了後の2015年1月5日には栃木への完全移籍が発表され、本間は高校卒業後の15年間を過ごしたアルビレックス新潟を離れることとなった。
2015年シーズン、栃木SCはJ2で最下位となり、J3リーグへ降格した。2016年シーズンもレギュラーとしてプレーし、チームはJ3リーグで準優勝を飾ったものの、J2昇格プレーオフで敗れ、J2への昇格は叶わなかった。
3.4. アルビレックス新潟復帰と現役引退
2017年シーズンより、親クラブであるアルビレックス新潟へ復帰した。しかし、同年11月25日に現役引退が発表された。2017年12月2日、シーズン最後のリーグ戦である第34節のセレッソ大阪戦に途中交代で出場し、Jリーグでの現役生活に終止符を打った。引退に際し、本間は「1年でJ1に」という新潟のJ1復帰への願いを語った。
4. 個人通算成績
本間勲のプロキャリアにおけるリーグ戦、カップ戦、その他の公式戦の出場および得点記録は以下の通りである。
クラブ | シーズン | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
新潟 | 2000 | J2 | 29 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 31 | 3 | |
2001 | J2 | 11 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 13 | 1 | ||
2002 | J2 | 6 | 0 | - | 1 | 1 | 7 | 1 | |||
2003 | J2 | 15 | 0 | - | 0 | 0 | 15 | 0 | |||
2004 | J1 | 12 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 15 | 0 | ||
2005 | 28 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 33 | 0 | |||
2006 | 14 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 15 | 1 | |||
2007 | 30 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 35 | 2 | |||
2008 | 25 | 1 | 5 | 0 | 2 | 0 | 32 | 1 | |||
2009 | 32 | 0 | 6 | 0 | 4 | 0 | 42 | 0 | |||
2010 | 32 | 3 | 6 | 0 | 3 | 0 | 41 | 3 | |||
2011 | 34 | 2 | 3 | 1 | 1 | 0 | 38 | 3 | |||
2012 | 33 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 | |||
2013 | 11 | 0 | 4 | 0 | 2 | 1 | 17 | 1 | |||
2014 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | |||
栃木 | 2014 | J2 | 13 | 0 | - | - | 13 | 0 | |||
2015 | J2 | 34 | 2 | - | 1 | 0 | 35 | 2 | |||
2016 | J3 | 29 | 0 | - | - | 29 | 0 | ||||
2017 | 新潟 | J1 | 5 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 12 | 0 | |
キャリア通算 | 393 | 15 | 43 | 1 | 24 | 2 | 460 | 18 |
その他の公式戦
- 2016年: J2・J3入れ替え戦 2試合0得点
5. 獲得タイトル
本間勲が選手として獲得した主要なチームタイトルは以下の通りである。
5.1. クラブ
- J2リーグ:
- 優勝: 2003年(アルビレックス新潟)
- 4位: 2001年(アルビレックス新潟)
- J3リーグ:
- 準優勝: 2016年(栃木SC)
- 天皇杯:
- ベスト8: 2009年(アルビレックス新潟)
- Jリーグカップ:
- ベスト8: 2011年(アルビレックス新潟)
- J1リーグ:
- 最高位6位: 2007年(アルビレックス新潟) - アルビレックス新潟のJ1におけるクラブ史上最高成績
6. 現役引退後の経歴
現役引退後の本間勲は、サッカー指導者およびスカウトとして活動している。
- 2018年 - アルビレックス新潟
- 2018年 - 2020年11月: サッカースクールコーチ
- 2020年7月 - 2020年11月: アカデミー部門スカウト(兼任)
- 2020年11月 - : 強化部スカウト担当
7. 引退試合
本間勲の現役引退を記念して、以下の通り引退試合が開催された。
- 開催日**: 2018年7月1日
- 時間**: 15:00 キックオフ
- イベント名**: 本間勲 引退試合
- 会場**: デンカビッグスワンスタジアム
- 観客数**: 15,229人
- 試合結果**: ISAO FRIENDS 5 - 5 HONMA FRIENDS
- ISAO FRIENDS 得点者**: ファビーニョ(8分)、深井正樹(42分)、川又堅碁(46分)、本間勲(49分、80+1分)
- HONMA FRIENDS 得点者**: 氏原良二(19分)、本間勲(26分)、大井健太郎(31分)、田中亜土夢(66分)、本間響(76分)
- 本間響は本間勲の長男で、当時小学4年生で新潟の下部組織に所属していた。
- 参加者**: アルビレックス新潟および栃木SCのOB選手、現役Jリーガーら約50名が参加した。
;ISAO FRIENDS 参加選手
- 選手兼監督: 山口素弘
- GKコーチ: ジェルソン
- コーチ: 渡邉基治
- 選手: 渡辺泰広、三田光、鈴木大輔、千代反田充、桑原裕義、ファビーニョ、加藤大、鳴尾直軌、宮沢克行、新井健二、高橋直樹、本間勲、寺川能人、安英学、鈴木慎吾、矢野貴章、川又堅碁、野澤洋輔、小林高道、片渕浩一郎、早川史哉、深井正樹、田中達也、神田勝夫
;HONMA FRIENDS 参加選手
8. 評価と影響
本間勲は、プロデビューから引退まで長きにわたりアルビレックス新潟に在籍し、そのキャリアの大部分を新潟で過ごしたことで、クラブの歴史と文化を体現する存在となった。特に、新潟出身の生え抜き選手として、メディアやファンからは「ミスターアルビレックス」という愛称で呼ばれ、単なる一選手以上の象徴的な意味合いを持っていた。
彼のプレースタイルは、守備的ミッドフィールダーとして中盤の底でチームのバランスを保ち、献身的な守備と的確なパスで攻撃の起点となるものであった。監督や対戦相手の監督からも、その戦術理解度と守備能力が高く評価された。長年にわたる安定したパフォーマンスと、チームキャプテンとしてのリーダーシップは、ファンからの厚い信頼と尊敬を集めた。彼は、アルビレックス新潟がJ1に昇格し、定着する過程において、常にチームの中心選手として重要な役割を果たし、クラブの成長に大きく貢献した。
9. 関連項目
- アルビレックス新潟の選手一覧
- 栃木SCの選手一覧
- 掛布雅之
10. 外部リンク
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=6167 Jリーグ選手名鑑]
- [https://web.gekisaka.jp/player/?33662-9127-jp ゲキサカ選手プロフィール]