1. 幼少期と初期キャリア
李鎬鎮はソウル特別市で生まれ育ち、ソウル中和小学校、漢陽中学校、江陵農業高等学校(現江陵中央高等学校)で学んだ。その後、成均館大学校に進学するも、海外移籍を巡る大学との意見の相違から中退の道を選んだ。
プロ選手としてデビューする前には、海外でのプレーを強く志し、複数のヨーロッパクラブで入団テストを受けた。ベルギーの強豪RSCアンデルレヒト、オランダのPSVアイントホーフェン、フランスのASナンシーといった名門クラブの門を叩いたが、いずれも契約には至らなかった。これらの困難な経験は、彼の選手としての粘り強さと、国際舞台への強い意志を形成する上で重要な背景となった。
2. クラブ経歴
李鎬鎮のクラブキャリアは、スペインでの異例のスタートから始まり、アジアとヨーロッパを股にかけたものとなった。怪我に苦しみながらも、国内外の複数のクラブでプレーを続けた。
2.1. ラシン・サンタンデール時代
数々の入団テストを経て、李鎬鎮は2006年2月1日、移籍期限が締め切られるわずか20分前という劇的な形で、スペインのプリメーラ・ディビシオンに所属するラシン・サンタンデールと契約を結んだ。これにより、彼は李天秀に次ぐ2人目のラ・リーガ進出韓国人選手となった。
しかし、入団後は立て続けに負傷に見舞われ、なかなか試合に出場できない日々が続いた。特に太ももの怪我は彼を苦しめた。それでも、2005-06シーズン最終節のビジャレアルCF戦でついにラ・リーガデビューを果たし、フル出場で印象的な活躍を見せた。この試合でのパフォーマンスは高く評価されたものの、怪我が再発したことで出場機会は再び限られ、結局ラシン・サンタンデールとの再契約には至らず、2シーズンでクラブを離れることになった。
2.2. Kリーグとその他海外リーグ
ラシン・サンタンデール退団後、李鎬鎮は韓国に戻り、2008年のKリーグ新人選手ドラフトに参加した。仁川ユナイテッドFCに3巡目で指名され入団したが、ここでも度重なる負傷に悩まされ、Kリーグでの公式戦出場は一度もなかった。
仁川での不運なシーズンを経て、彼は再び海外でのプレーを模索した。2009年にはフィンランドのヴェイッカウスリーガに所属するJJKイィヴァスキュラへ移籍。同年8月にはFCイィヴァスキュラ・ブラックバードへ期限付き移籍し、フィンランドの地で新たな活路を見出した。2010年には活躍の場をタイ・プレミアリーグに移し、ポリス・ユナイテッドFCと契約を結んだ。
そして2011年、再び韓国に戻り、高陽KB国民銀行サッカー団でプレー。このクラブが高陽での最後の所属チームとなり、翌2012年に現役引退を宣言した。
3. 国家代表チーム経歴
李鎬鎮は、青少年サッカー国家代表チームの常連メンバーとしてその才能を高く評価されていた。特に印象的なのは、アラブ首長国連邦で開催された2003 FIFAワールドユース選手権での活躍である。
この大会のグループリーグ初戦、彼はドイツとの試合で重要なゴールを決め、韓国の2対0の勝利に大きく貢献した。このドイツ代表チームは、後に韓国代表監督となるウリ・シュティーリケがユース代表監督を務めていたチームであった。しかし、得点時に相手ゴールキーパーと激しく衝突し、不幸にも膝を負傷。この怪我により、彼は6ヶ月もの間、試合から離れることを余儀なくされた。この怪我は彼のキャリアにおける大きな転換点となったが、それでも彼はユース代表の主力として、韓国サッカーの未来を担う一人と目されていた。
4. キャリア統計
李鎬鎮選手のプロサッカー選手としてのキャリア統計は以下の通りである。
クラブ成績 | リーグ戦 | 国内カップ戦 | リーグカップ | 大陸選手権 | 合計 | |||||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
スペイン | リーグ | コパ・デル・レイ | スーペルコパ・デ・エスパーニャ | 欧州 | 合計 | |||||||
2005-06 | ラシン・サンタンデール | ラ・リーガ | 1 | 0 | - | 1 | 0 | |||||
2006-07 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |||||||
韓国 | リーグ | KFAカップ | リーグカップ | アジア | 合計 | |||||||
2008 | 仁川ユナイテッドFC | Kリーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |
フィンランド | リーグ | フィンランドカップ | リーグカップ | 欧州 | 合計 | |||||||
2009 | JJKイィヴァスキュラ | ヴェイッカウスリーガ | 1 | 0 | - | 1 | 0 | |||||
タイ | リーグ | タイFAカップ | リーグカップ | アジア | 合計 | |||||||
2010 | ポリス・ユナイテッドFC | タイ・プレミアリーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |
総通算 | スペイン | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
韓国 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
フィンランド | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
タイ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
キャリア合計 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
5. 引退と引退後の活動
李鎬鎮は2011年に高陽KB国民銀行サッカー団でプレーした後、翌2012年に現役引退を表明し、兵役に就くことを発表した。彼は大韓民国陸軍第3師団に現役兵として入隊し、2014年に満期除隊した。
軍での兵役を終えた後、李鎬鎮はサッカー界での活動を継続している。現在は、サッカーエージェントとして選手のキャリアをサポートする一方で、若手選手の育成にも力を入れ、ユース指導者としても活躍している。現役時代の経験と知識を活かし、韓国サッカーの発展に貢献する彼の姿は、多くの後進にとって良い手本となっている。