1. Overview
東克樹は、日本のプロ野球界で活躍する左投左打の投手であり、横浜DeNAベイスターズに所属しています。彼は小柄ながらも力強い投球と多様な球種を操り、特にチェンジアップは高い評価を受けています。2018年には新人王を獲得してその才能を開花させましたが、その後の肘の故障や手術、そして不調の時期を経て、2023年には最多勝利と最高勝率のタイトルを獲得し、ベストナインとゴールデングラブ賞も受賞する劇的な復活を遂げました。彼のキャリアは、プロ入り前のアマチュア野球での輝かしい実績から、プロでの苦難とそれを乗り越えた復活劇、そして直近の日本シリーズでの活躍に至るまで、光と影のコントラストが際立っています。また、彼の人間性や私生活の一端も垣間見ることができ、公に報じられた論争についても客観的に記述します。
2. 生涯・経歴
東克樹の野球人生は、三重県で軟式野球を始めた幼少期から、アマチュアでの輝かしい実績、そしてプロ野球選手としての波瀾万丈なキャリアに至るまで、様々な経験に彩られています。
2.1. プロ入り前
プロ野球選手となるまでのアマチュア時代、東克樹は各年代でその才能を発揮し、多くの経験を積みました。
2.1.1. 小・中学時代
東克樹は、三重県四日市市に生まれ育ち、四日市市立三重北小学校1年生の時に軟式野球チーム「三重クラブ野球少年団」で野球を始めました。四日市市立大池中学校時代には「四日市トップエースボーイズ」に所属し、野茂英雄が総監督を務める「JUNIOR ALL JAPAN(NOMOジャパン)」の一員として、アメリカ遠征を経験しました。幼少期には地元三重県に中日ドラゴンズファンが多い中で、巨人を応援しており、特に高橋由伸に憧れてその打撃フォームを真似していました。
2.1.2. 高校時代
愛知県名古屋市の愛工大名電高校に進学後、1年夏の全国高等学校野球選手権愛知大会で2試合に先発登板しました。2年生の時にはチームが春夏連続で甲子園球場の全国大会に出場しましたが、1学年先輩で自身と同じ左投手の濱田達郎がエースだったため、いずれの大会でも登板機会はありませんでした。2年秋に濱田からエースの座を引き継ぎ、3年夏の選手権本大会にも出場。聖光学院高校との初戦で先発投手として初めて甲子園のマウンドに上がりましたが、5回まで被安打2と好投するも逆転負けを喫しました。
2.1.3. 大学時代
立命館大学文学部心理学専攻に入学し、硬式野球部に入部しました。1年生の秋から救援投手として関西学生野球のリーグ戦に登板。2年生の時に左肘痛を発症したため、秋のリーグ戦には登板せず、左肘の治療と下半身の強化に専念しました。2学年先輩の桜井俊貴からエースの座を引き継いだ3年生の春季リーグ戦では、京都大学との1回戦でノーヒットノーランを達成するなどの活躍を見せ、リーグのMVP、最優秀投手、ベストナインを受賞し、チームを3季連続のリーグ優勝に導き全日本大学野球選手権大会にも出場しました。4年生の春季リーグ戦では、関西大学との1回戦で再びノーヒットノーランを達成し、同じ投手による複数回の達成は関西学生野球リーグ戦史上初の快挙となりました。在学中にはリーグ戦で通算41試合に登板し、総投球回数231回2/3、19勝9敗、防御率1.05、235奪三振という優れた成績を残しました。
大学4年時の2017年には、第41回日米大学野球選手権と第29回ユニバーシアードの日本代表に選出されました。日米大学野球では先発投手として2試合に登板し、通算11イニングを無失点に抑える好成績で最優秀投手賞を受賞しました。ユニバーシアードでは、予選ラウンドのメキシコ戦と準決勝の韓国戦に先発登板し、いずれも8回を無失点に抑えて白星を挙げ、チームの優勝に貢献しました。
2017年10月26日のドラフト会議では、横浜DeNAベイスターズから単独1位指名を受け、契約金1.00 億 JPY、推定年俸1500.00 万 JPYという条件で入団しました。背番号は11。担当スカウトは八馬幹典でした。NPB全12球団の中で、この会議で唯一の単独1位指名となりました。プロ入り後も、卒論のテーマは「球場によってマウンドからホームベースを見た時の角度と距離における視覚的心理の変化」と、野球に関する学術的な探究心を持っていました。
2.2. プロ入り後
横浜DeNAベイスターズに入団してからの東克樹は、新人王を獲得した華々しいデビューから、度重なる故障とそれに伴う長いリハビリ、そしてそれを乗り越えての復活劇と、まさに波瀾万丈のプロ野球人生を歩んでいます。
2.2.1. 2018年
2018年、東は石田健大、今永昇太、濵口遥大に続く左腕の先発要員として、春季キャンプを一軍で過ごしました。オープン戦で3試合全てを無失点に抑え、レギュラーシーズンの開幕から一軍のローテーション入りを果たします。4月5日の阪神タイガース戦(横浜スタジアム)で先発投手として公式戦デビューし、黒星を喫したものの7回1失点、9奪三振という好投を見せました。
q=横浜スタジアム|position=right
次に先発した4月12日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)でプロ初勝利を挙げると、4月19日の巨人戦(横浜)で2勝目を記録しました。これはDeNAにおいて左腕の新人投手が巨人戦で初登板から2戦2勝を記録した初めての快挙です。
5月16日の阪神戦(阪神甲子園球場)では、シーズン3勝目をプロ入り後初の完封で記録し、この年のNPB全12球団の新人投手で初の完封勝利一番乗りとなりました。
q=阪神甲子園球場|position=left
その後も一軍の先発ローテーションに定着し、6月末までにチームトップの6勝を挙げ、オールスターゲームにはセントラル・リーグの監督推薦選手として、NPB全球団の新人選手からただ一人選出されました。巨人戦には非常に強く、プロ初勝利からシーズン11勝目を挙げた9月19日(東京ドーム)まで、登板した5試合全てで勝利投手になりました。これはセ・リーグ球団に所属する新人投手が巨人との公式戦で初登板から5戦5勝を記録した史上初の快挙です。9月19日の対戦では、7回裏二死でケーシー・マギーからソロ本塁打を打たれるまで、一人の走者も出しませんでした。ただし、シーズン最後に対戦した9月28日の試合(東京ドーム)では、7回無失点で降板するもチームがサヨナラ負けを喫しました。
レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦24試合に登板し、新人投手で唯一リーグの最終規定投球回に到達。リーグ2位(左投手ではトップ)の防御率2.45、チームトップの11勝(5敗)を記録しました。DeNAの新人左腕投手が一軍公式戦11勝でレギュラーシーズンを終えたのは、大洋ホエールズ時代の1958年に鈴木隆が記録して以来60年ぶりの快挙です。これらの成績を背景に、セ・リーグの新人王に選ばれ、選出の基準となる記者投票では得票率が99%に達しました。11月開催の2018日米野球で日本代表に選ばれていましたが、シーズン終了後に左肘の炎症が判明し、出場辞退を余儀なくされました。オフには4050.00 万 JPY増となる推定年俸5550.00 万 JPYで契約を更改しました。

2.2.2. 2019年
2019年は、1月の自主トレーニング期間中に左肘の炎症が再発したため、途中からノースローで調整を強いられました。春季キャンプ以降も二軍での調整に専念し、5月6日の巨人戦(横浜スタジアム)に先発投手としてシーズン初の一軍マウンドを経験しましたが、プロ入り後自己ワーストの内容(3回8失点)で黒星を喫し、前年から続いていた巨人戦での連勝が5で止まりました。5月15日の中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)で6回1失点に抑えてシーズン初勝利を挙げたものの、その後も左肘の状態が芳しくなく、一軍と二軍を往復しました。8月23日の巨人戦(東京ドーム)の登板を最後に戦列を離れ、シーズン全体では一軍公式戦7試合の登板で4勝2敗にとどまりました。オフには1150.00 万 JPY減となる推定年俸4400.00 万 JPYで契約を更改しました。
2.2.3. 2020年
2020年は、苗字が同音異字(あづま)である東妻純平が入団したことに伴い、ユニフォームの背ネームが「K.AZUMA」に変更されました。この年も左肘痛が完治しないまま春季キャンプを二軍で迎え、キャンプ中の2月8日に左肘の内側側副靱帯を損傷していることが判明したため、同月20日にトミー・ジョン手術を受けました。実戦への復帰に1年半ほどの期間を要することが見込まれましたが、球団は東を育成選手契約へ移行させず、左肘が完治するまで支配下選手登録を続ける意向を示しました。実際には、シーズンを通じてリハビリに専念し、全力でのキャッチボールが可能な状態にまで左肘が回復しました。シーズン終了後の12月2日には、NPBの野球協約で定められた年俸の減額制限(25%)に近い1080.00 万 JPY減となる推定年俸3320.00 万 JPYで支配下選手契約を更改しました。
2.2.4. 2021年
2021年は、順調にリハビリを重ね、7月11日のイースタン・リーグ、千葉ロッテマリーンズ戦で688日ぶりに実戦復帰を果たしました。イースタン・リーグでは防御率1.95の成績を残し、シーズン終盤の9月28日東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で767日ぶりに一軍での先発登板を果たしました。この試合では黒星を喫したものの、球威を取り戻し最速148 km/hを記録し、6奪三振を奪うなど復調の兆しを見せました。復帰3戦目となった10月23日の中日戦(横浜スタジアム)で8回無失点の好投を見せ、2019年シーズン以来729日ぶりの白星を挙げました。シーズン終了後は810.00 万 JPY減の推定年俸2510.00 万 JPYで契約を更改しました。
2.2.5. 2022年
2022年は、開幕戦となった3月25日の対広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)で自身初の開幕投手を任されましたが、6回途中に左手指のアクシデントがありそのまま降板し敗戦投手となりました。その後も以前のような球の走りが戻らず敗戦を重ね、5月15日の阪神戦(横浜スタジアム)で5敗目を喫し登録抹消となりました。体力や技術を見直すため1か月間、二軍での再調整を続けた後に一軍に合流し、6月23日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で6回3失点に抑え、シーズン初勝利を挙げました。7月7日の中日戦(横浜)では8回を3安打無失点に抑えるなど、調子を戻しつつありましたが、7月13日に発熱症状を訴え、新型コロナウィルスの陽性判定を受け、再び登録抹消されました。結局、同年も1勝6敗に終わりましたが、11月24日には100.00 万 JPY増の年俸2610.00 万 JPYで契約を更改しました。
2.2.6. 2023年
2023年は、開幕から先発ローテーション入りを果たし、初登板の4月6日の巨人戦(横浜スタジアム)で7回無失点に抑え1勝目を挙げました。4月30日の中日戦(バンテリンドーム)で2018年以来となる自身2度目の完封勝利、97球でマダックス(100球以下の完封勝利)を達成しました。この完封勝利によって、チームとしては1960年以来となる月間7完封と、4月としては月間最多となる16勝を記録しました。6月24日の対阪神戦(横浜スタジアム)ではシーズン2度目の完封勝利を挙げ、前半戦までに8勝を積み重ねました。7月には5年ぶり2度目のオールスター出場を果たしました。
9月20日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では7回を投げて4被安打1失点で勝利投手となり、この勝利で6月1日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦以来の連勝を11まで伸ばしました。これは球団では1983年の遠藤一彦以来40年ぶり2人目で、左投手としては初の快挙です。同時に、ベイスターズの投手としては1999年の川村丈夫以来24年ぶりとなるシーズン15勝を達成しました。さらに連勝記録を遠藤が持つ球団記録タイの12まで伸ばしましたが、勝てばリーグ逆転2位となるシーズン最終戦に先発し、巨人・山﨑伊織と互いに完投まで投げあうも0-1で敗戦となり連勝はストップしました。
最終的には新人王となった2018年以来5年ぶりとなる規定投球回に到達し、16勝3敗・勝率.842を挙げ、球団では1993年の野村弘樹以来、30年ぶりとなる最多勝利のタイトルを獲得しました。なお、このシーズンで喫した3敗は全て巨人戦でした(4勝3敗)。11月10日には前身となる大洋・横浜時代を通じて投手では球団史上初となるゴールデングラブ賞を受賞しました。左投手の受賞は珍しく、セ・リーグでは石川雅規以来15年ぶり5人目の受賞となりました。また、この年はベストナインも受賞しており、セ・リーグMVPを受賞した投手(この年は村上頌樹)を差し置いてのベストナイン受賞は吉見一起以来12年ぶり、MVPを受賞した先発投手を差し置いてのベストナイン受賞は上原浩治・松坂大輔以来24年ぶりとなりました。
2.2.7. 2024年
2024年は、自身2度目の開幕投手に指名され、3月29日の広島戦(横浜)に先発登板しました。途中5連打を浴びて3点を先制されながらも7回まで粘投し、自身に勝ち星はつかなかったもののチームの5年ぶり開幕戦勝利に貢献しました。その後も前年から続くクオリティ・スタート(QS)の連続記録を伸ばすなど、安定した投球でローテーションを守りました。5月17日の中日戦(横浜)で無傷の4連勝目を挙げ、前年から横浜スタジアムでの連勝記録を10連勝まで伸ばし、球団では1989年の斉藤明夫以来の記録となりました。6月14日の埼玉西武ライオンズ戦(ベルーナドーム)では、ブルペンからかなり状態が悪かったにも関わらず、この年初の完封勝利を挙げました。この勝利で開幕5連勝となり、開幕投手の無傷の5連勝は球団記録を更新しました。22日の阪神戦(甲子園)でも勝利を挙げ、球団では1999年の福盛和男以来となる開幕6連勝とし、全て先発勝利での開幕6連勝は球団史上初の記録となりました。
8月28日の阪神戦で11勝目を挙げると台風10号の影響で29日の阪神戦と30日からの中日3連戦が中止となり、9月3日、移動日を挟んだ中5日での広島戦を球団では41年ぶりの2試合連続先発での勝利を挙げました。同一投手の2戦連続先発勝利は1983年9月23日巨人戦、同29日阪神戦の遠藤一彦以来で、2戦連続先発登板は2021年7月14日阪神戦、8月15日ヤクルト戦と今永が東京オリンピックの中断期間を挟んで記録して以来です。また、QSも32試合連続に伸ばしました。9月10日の阪神戦で6回途中5失点を喫してシーズン3敗目を喫し、連続QS記録が途絶えました。前年から毎試合バッテリーを組んでいた山本祐大が、9月15日の試合で死球を受けて骨折により離脱したため、翌16日は約2年ぶりに伊藤光とバッテリーを組み、シーズン13勝目を挙げました。
2.2.8. ポストシーズン
2024年10月12日、阪神とのクライマックスシリーズ・ファーストステージ初戦で先発を任されましたが、4回表に安打を放った際の走塁で左脚を負傷しました。その回の裏も続投して三者凡退で切り抜けたものの、左太腿裏の違和感のために4回無失点、50球で降板しました。翌日に出場選手登録抹消となり、日程からファイナルステージでの登板は叶いませんでした。10月16日に球団より左ハムストリングの肉離れとの診断結果が発表されましたが、日本シリーズ進出時の登板も視野にチームの練習には同行しました。
その後、チームはCS優勝を果たし、祝勝会のビールかけに東も参加しました。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズ出場40人枠に入り、チーム2連敗後の10月29日の第3戦で先発登板しました。山本、伊藤両名が離脱していたため、この年初めて戸柱恭孝とバッテリーを組みました。後の検査で肉離れが完治していないと判明する状態だったにも関わらず、毎回安打を許す被安打10ながら先頭打者の出塁は許さず、7回、105球を投げ、4奪三振、1失点にまとめあげて、チームにシリーズ初勝利をもたらしました。DeNAはこの勝利から4連勝を挙げ、26年ぶりの日本シリーズ優勝を達成しました。
3. 選手としての特徴
東克樹は、身長170 cmと小柄ながら、最高球速152 km/h(プロ入り後の最速は151 km/h)のストレート、チェンジアップ、スライダー、カットボール、ツーシーム、カーブを投げ分けます。特にチェンジアップへの評価は高く、ストライク率75.3%を誇ります。
投球時に上体を三塁側へ仰向け気味に倒しながら腕を振るため、リリースポイントが高く、角度のついた球をストライクゾーンのコーナーへ投げ込めることが特徴です。目標とする選手には、自身と同じ左投手の石川雅規や田口麗斗を挙げています。
2023年、キャンプ中の練習試合で打ち込まれたことをきっかけに、リリースポイントのアングルを下げ、オーバースロー気味からスリークォーター気味のフォームへと変更しました。体の使い方などは同じ左投手でサイドスロー気味のフォームで投げる宮城大弥を参考にしているといいます。このフォーム変更によってストレートの球速は140 km/h台半ばになったものの、制球が格段に安定したほか、変化球も含め強いボールを投げられるようになり、この年以降の飛躍へとつながりました。
4. 人物
東克樹の愛称は「ハマのペンギン」または「ハマの東MAX(アズマックス)」です。
地元である三重県は中日ドラゴンズのファンが多いことで知られていますが、東本人は幼少期には巨人を応援していました。特に高橋由伸に憧れ、その打撃フォームを真似ていたといいます。大学4年秋のNPBドラフト会議では、どの球団からの指名も歓迎する姿勢を示していましたが、DeNAによる1巡目での単独指名までは想定していなかったといいます。
立命館大学時代に生活していた硬式野球部の寮では一時、後にDeNAでもチームメイトとなる2学年後輩の坂本裕哉と同じ部屋で過ごしていました。坂本がDeNAに入団した2020年には、左投手の先輩として、技術面だけでなくメンタルの保ち方などの助言を送っていたといいます。
座右の銘は「不動心」です。
DeNAへの入団後から使用しているグラブには、「金運と白星をつかむ」という意味で金色のうんこマーク(💩)と白色の星マーク(☆)の刺繍を掌の部分に施しています。これは大学日本代表で一緒だった栗林良吏のグラブを見て導入したものです。
2020年に結婚し、第一子となる女児も誕生しています。
5. 論争
2025年1月には、週刊文春によって東克樹の自主トレーニング先である名古屋での末広純との不倫が報じられました。後日、1月23日には自身のInstagramでこの報道に関して謝罪し、「妻にも謝罪し、叱責を受けました」「頭が上がりません」とコメントしました。
6. 詳細情報
東克樹のプロ野球選手としての詳細な統計データと記録をまとめます。
6.1. 年度別成績
レギュラーシーズンにおける年度ごとの投球成績および守備成績をデータとして提示します。
6.1.1. 投手成績
レギュラーシーズンにおける年ごとの登板数、勝敗、防御率、奪三振数などの詳細な投球統計を提示します。
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 4 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ | ブ | ホ | ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ | ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2018 | DeNA | 24 | 24 | 1 | 1 | 0 | 11 | 5 | 0 | 0 | .688 | 626 | 154.0 | 130 | 13 | 42 | 2 | 2 | 155 | 1 | 0 | 45 | 42 | 2.45 | 1.12 |
2019 | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 0 | .667 | 161 | 38.1 | 38 | 4 | 10 | 1 | 1 | 31 | 1 | 0 | 17 | 16 | 3.76 | 1.25 | |
2021 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 75 | 19.2 | 10 | 1 | 4 | 0 | 0 | 20 | 0 | 0 | 5 | 5 | 2.29 | 0.71 | |
2022 | 12 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | .143 | 229 | 50.2 | 67 | 5 | 10 | 0 | 2 | 41 | 1 | 0 | 30 | 26 | 4.62 | 1.52 | |
2023 | 24 | 24 | 4 | 2 | 4 | 16 | 3 | 0 | 0 | .842 | 665 | 172.1 | 149 | 14 | 15 | 2 | 1 | 133 | 1 | 0 | 40 | 38 | 1.98 | 0.95 | |
2024 | 26 | 26 | 2 | 2 | 1 | 13 | 4 | 0 | 0 | .765 | 731 | 183.0 | 166 | 11 | 27 | 2 | 6 | 140 | 0 | 0 | 45 | 44 | 2.16 | 1.05 | |
通算:6年 | 96 | 93 | 7 | 5 | 5 | 46 | 22 | 0 | 0 | .676 | 2487 | 618.0 | 560 | 48 | 108 | 7 | 12 | 520 | 4 | 0 | 182 | 171 | 2.49 | 1.08 |
- 2024年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
6.1.2. 守備成績
投手としての年ごとの守備機会、刺殺、補殺、失策、併殺数などの詳細な守備統計を提示します。
年 度 | 球 団 | 投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2018 | DeNA | 24 | 8 | 24 | 1 | 0 | .970 |
2019 | 7 | 1 | 9 | 0 | 1 | 1.000 | |
2021 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2022 | 12 | 5 | 7 | 0 | 0 | 1.000 | |
2023 | 24 | 11 | 15 | 0 | 1 | 1.000 | |
2024 | 26 | 12 | 34 | 1 | 1 | .979 | |
通算 | 96 | 37 | 91 | 2 | 2 | .985 |
- 2024年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 太字年はゴールデングラブ賞受賞年
6.2. タイトル・表彰
プロ野球選手として獲得したタイトルや個人表彰を一覧で示します。
6.2.1. タイトル
- 最多勝利:1回(2023年)
- 最高勝率:1回(2023年)
6.2.2. 表彰
- 新人王(2018年)
- ベストナイン:1回(投手部門:2023年)
- ゴールデングラブ賞:1回(投手部門:2023年)
- 月間MVP:2回(投手部門:2023年9・10月、2024年8月)
- 最優秀バッテリー賞:1回(2023年 捕手:山本祐大)
- JERAセ・リーグAWARD年間大賞:2回(2023年、2024年)
- 日本プロスポーツ大賞最高新人賞(2018年)
6.3. 記録
彼のプロキャリアにおける特筆すべき記録を初記録とその他の記録に分けて提示します。
6.3.1. 初記録
プロ初登板、初奪三振、初勝利、初完封勝利など、キャリアにおける最初の特筆すべき記録を記載します。
- 投手記録
- 初登板・初先発登板:2018年4月5日、対阪神タイガース2回戦(横浜スタジアム)、7回1失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回表に髙山俊から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2018年4月12日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、5回1/3を3失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2018年5月16日、対阪神タイガース7回戦(阪神甲子園球場)
- 打撃記録
- 初打席:2018年4月5日、対阪神タイガース2回戦(横浜スタジアム)、3回裏にランディ・メッセンジャーから空振り三振
- 初安打・初打点:2018年4月12日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、1回表に大竹寛から中前適時打
6.3.2. その他の記録
開幕投手やオールスターゲームへの出場回数、連続クオリティスタート記録など、特筆すべきその他の記録を記載します。
- 開幕投手:2回(2022年、2024年)
- オールスターゲーム出場:3回(2018年、2023年、2024年)
7. 国際大会代表歴
日本代表として出場した国際大会での経歴と成績を記述します。
- 2017年 第41回日米大学野球選手権 日本代表
- 2017年 第29回夏季ユニバーシアードにおける野球競技 日本代表
8. 背番号
プロ野球生活で使用した背番号とその期間について記載します。
- 11(2018年 - )
9. 登場曲
彼の試合入場時に使用された登場曲について記載します。
- 「Don't Stop Me Now」Queen(2018年 - 2021年)
- 「I wanna be my self」三浦風雅(2022年 - )