1. 概要
松本零士(松本 零士まつもと れいじ日本語、1938年1月25日 - 2023年2月13日)は、日本の漫画家、アニメーション作家である。本名は松本 晟まつもと あきら日本語。SF漫画の巨匠として知られ、『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』、『宇宙海賊キャプテンハーロック』など、数々の不朽の名作を生み出した。彼の作品は、深い哲学、独特の美学、そして広大な宇宙を舞台にした壮大な物語が特徴であり、日本のアニメ・漫画文化に計り知れない影響を与えた。
松本零士の作品世界は、単なるSFに留まらず、少女漫画、戦争漫画、動物漫画など多岐にわたるジャンルを手がけた。特に1970年代半ばから1980年代にかけては、『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』の劇場版アニメが大ヒットし、社会現象を巻き起こす「松本アニメブーム」を牽引した。彼の作品は、登場人物が複数の作品に登場する「スター・システム」を採用しており、それらの作品群は総称して「レイジバース」と呼ばれる。
漫画家としての活動に加え、長年にわたり宝塚大学特任教授、京都産業大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授などを歴任し、次世代のクリエイター育成にも貢献した。また、旭日小綬章、紫綬褒章、フランス芸術文化勲章シュヴァリエなど、数多くの栄誉に輝いた。晩年には健康問題を抱えながらも創作意欲は衰えず、2023年に85歳で死去。彼の遺した作品群は、現在も多くの人々に愛され、その影響は国内外のクリエイティブ分野に広く及んでいる。
2. 生涯と背景
松本零士の人生は、戦時中の幼少期の経験や家族との関係が深く影響しており、それが彼の作品世界を形成する重要な要素となった。
2.1. 出生と幼少期
松本零士は1938年1月25日、福岡県久留米市に生まれた。7人兄弟の真ん中であった。幼少期の一時期、父親がテストパイロットを務めていた関係で、1940年頃に岐阜県各務原市に住み、4歳から6歳までは兵庫県明石市の川崎航空機の社宅で過ごした。
第二次世界大戦中、母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)へ疎開した。この時期に、アメリカ軍の戦闘機や、松山市へ空襲に向かうB-29などの軍用機を多数目撃した。この戦時中の体験は、後の彼の作品における戦争描写やメカニックデザインに大きな影響を与えたと語っている。当時10人家族で、バラックのような長屋で貧しい暮らしをしていたが、松本は6歳頃から絵を描くことを好み、自宅で漫画を描き始めた。
2.2. 教育
終戦後、小学校3年生の時に福岡県小倉市(現在の北九州市)に移り住んだ。小倉市立米町小学校(現在の北九州市立小倉中央小学校)に通っていた頃から熱心な漫画少年であり、後に漫画家となる高井研一郎らと共に同人グループ「九州漫画研究会」を結成し、同人誌「九州漫画展」を主宰した。
松本が漫画家を志すきっかけとなったのは、小学校2、3年生の頃に学級文庫で出会った手塚治虫の漫画『新宝島』、『キングコング』、『火星博士』、『月世界紳士』であった。これらの作品に大きな衝撃を受け、3年後には自身も漫画を描き始めた。小倉市立菊陵中学校(現在の北九州市立菊陵中学校)に進学した後も、漫画への情熱は変わらなかった。
2.3. 家族関係
松本零士は、同じく漫画家である牧美也子まき みやこ日本語と1962年(昭和37年)に結婚した。翌年、夫婦で練馬区に移り住んだ。牧美也子は、着せ替え人形「リカちゃん」の生みの親としても知られている。
彼の弟である松本將まつもと すすむ日本語は、早稲田大学大学院名誉教授であり、元三菱重工業長崎研究所主管を務めた。
3. 経歴
松本零士の漫画家としてのキャリアは、初期の貧困と苦悩を経て、アニメーションとの出会いによって大きく開花し、日本中に一大ブームを巻き起こした。
3.1. デビューと初期の活動
1954年(昭和29年)、福岡県立小倉南高等学校1年生(15歳)の時、投稿作『蜜蜂の冒険』が『漫画少年』(昭和29年2月号)に掲載され、漫画家としてデビューした。この際、副賞の置時計はすぐに贈られたものの、賞金の5,000円は学童社の資金問題からか送られてこず、修学旅行で上京した際に学童社を訪れてその場で手渡されたというエピソードがある。
この頃から松本は中央でも知られる存在となり、手塚治虫が九州で原稿を描く際に、高井研一郎ら九州漫画研究会のメンバーにアシスタントを依頼したという逸話も残っている。1957年まで『毎日小学生新聞』に多数の漫画が掲載され、昆虫を主人公とした短編などが連載された。
高校卒業後の1957年(昭和32年)、毎日新聞西部本社版での連載が急遽立ち消えになったものの、月刊少女雑誌『少女』での連載が決定し、上京した。本郷三丁目の四畳半の下宿で仕事を始め、しばらくは貧しい暮らしが続いたが、この飢餓感が漫画を描く上でのエネルギーになったと語っている。『少女』と『少女クラブ』に不定期で少女漫画を描き、少女漫画でスランプに陥った頃にはライターとしてタレントの取材なども手がけた。その後、1960年前後から少年誌、青年誌にも進出し、活動の幅を広げた。
デビュー時は本名のひらがな表記である「松本あきら」名義を使用していたが、1965年以降「松本零士」名義を並行して使い始め、1968年に「松本零士」に一本化した。
3.2. 主要作品と業績
松本零士のキャリアにおける最も重要で影響力のある作品群は、彼の名を不朽のものとした。
3.2.1. 《男おいどん》と初期の成功
少年時代から海野十三やH・G・ウェルズのSF小説を愛読し、SF漫画を好んで描いていた松本だったが、初期は不人気で打ち切りも多かった。彼の出世作となったのは、1971年(昭和46年)から『週刊少年マガジン』に連載した『男おいどん』である。同作は、大学受験浪人生(浪人)の生活を描いた作品で、大ヒットを記録した。1972年には講談社出版文化賞を受賞し、松本ならではの「四畳半もの」という独自のジャンルを開拓した。このジャンルには、『元祖大四畳半大物語』や『聖凡人伝』も含まれる。
同時期に、成人向けダークコメディ西部劇『ガンフロンティア』を『プレイコミック』誌で1972年から1975年まで連載。また、第二次世界大戦を舞台にした短編シリーズ『戦場まんがシリーズ』も開始し、後に『ザ・コクピット』として人気を博した。
3.2.2. 《宇宙戦艦ヤマト》とアニメブーム
1974年(昭和49年)秋から放送されたテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』には、企画途中から参加した。当初はメカニックデザイナーとしての招聘だったが、かねてからアニメ制作を願望していた松本は、作品に全面的に携わった。本放送時の視聴率は低迷したものの、再放送によって人気が爆発し、1977年(昭和52年)の劇場版アニメ公開時には社会現象を巻き起こす大ヒットとなった。
この『宇宙戦艦ヤマト』の成功が、日本におけるアニメブームのきっかけとなり、松本はアニメ制作会社の東映動画にイメージクリエイターとして起用された。彼はテレビアニメ『惑星ロボ ダンガードA』や『SF西遊記スタージンガー』にデザインを提供した。また、松本自身が長年温めていた企画である『銀河鉄道999』と『宇宙海賊キャプテンハーロック』も、『ヤマト』の人気に後押しされてアニメ化が決定した。特に『銀河鉄道999』は大ヒットし、日本中に「松本零士ブーム」が到来した。以降、数々の松本アニメが制作されたが、1982年(昭和57年)の映画『わが青春のアルカディア』やテレビアニメ『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』の頃にはブームは下火となり、1983年の劇場アニメ『クイーン・エメラルダス』の企画が頓挫したことで、ブームは終焉を迎えた。その後、約20年間、松本原作のテレビアニメは制作されなかった。
3.2.3. 主要SF作品シリーズ
松本零士は、彼の代名詞ともいえる壮大なSFシリーズを数多く生み出した。
- 『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1977年):自由と反逆の象徴である宇宙海賊ハーロックの活躍を描く。
- 『銀河鉄道999』(1977年):少年・星野鉄郎が謎の美女メーテルと共に宇宙を旅する物語。1978年には『銀河鉄道999』と『戦場まんがシリーズ』で小学館漫画賞少年部門を受賞。
- 『クイーン・エメラルダス』(1978年):宇宙を放浪する謎の女海賊エメラルダスを描く。
- 『新竹取物語 1000年女王』(1980年):地球を救うために現れた1000年女王の物語。
これらの作品は、しばしば同じ世界観を共有し、キャラクターがクロスオーバーする「レイジバース」の概念を確立した。
3.2.4. その他のジャンル作品
SF作品で特に知られる松本零士だが、その創作活動は多岐にわたる。
- 少女漫画**: デビュー当初は『少女』や『少女クラブ』で少女漫画を執筆。『銀の谷のマリア』(1958年)、妻・牧美也子との共作『わたしのエル』(1964年)などがある。
- 戦争漫画**: 自身の幼少期の体験を基にした『戦場まんがシリーズ』(1973年-1978年)や『HARD METALシリーズ』(1984年-1990年)など、数多くの戦記物を描いた。これらの作品では、兵器の描写にリアリティを追求し、戦争の悲惨さや人間の尊厳を描いている。
- 動物漫画**: 飼い猫をモデルにした『トラジマのミーめ』(1975年-1977年)など、動物を題材にした作品も手がけた。
- その他**: 『セクサロイド』(1968年-1970年)のような成人向けSF、『恐竜荘物語』(1976年-1977年)のような日常コメディなど、幅広いジャンルで才能を発揮した。
3.2.5. 映像メディアとの連携
松本零士は、漫画やアニメの創作活動に留まらず、多岐にわたる映像およびデザイン分野でその才能を発揮した。

- Daft Punkのミュージックビデオ制作**: 2003年、フランスの音楽デュオ、ダフト・パンクのアルバム『ディスカバリー』のミュージックビデオ制作を監修した。これらのビデオは、後に長編アニメーション映画『インターステラ5555』として一本化され、世界的な注目を集めた。ダフト・パンクのメンバーが幼い頃から『宇宙海賊キャプテンハーロック』のファンであったことが、松本零士に制作を依頼するきっかけとなった。
- 船舶デザイン**: 東京都観光汽船の水上バス『ヒミコ』(2004年運航開始)、『ホタルナ』(2012年運航開始)、『エメラルダス』(2018年運航開始)のデザインを手がけた。これらの船は全て宇宙船をモチーフとした独創的なデザインで、東京の新たな観光名物となっている。
- 鉄道車両デザイン**:
- 1997年、近鉄伊賀線(現・伊賀鉄道)の「忍者列車」のデザインを提供。2003年には車両更新に伴い、再度デザインを手がけた。
- 1999年、大阪府堺市の大阪府立大型児童館ビッグバンの館長を務め、マスコットキャラクター『ベアル』と『メロウ』をデザイン。これらのキャラクターは泉北高速鉄道線5000系車両1編成のペイント列車にも採用され、2017年からは7000系車両を用いた新ラッピング車両「フロンティア号」のデザインも手がけた。
- 2009年から2014年まで、西武池袋線所属の3000系にメーテル、星野鉄郎、車掌さんをあしらったデザイン電車が運行された。
- 2010年から2016年頃まで、北九州モノレールの開業25周年記念として、1000形にメーテル、星野鉄郎、車掌さんをデザインしたラッピング車両が運行。2017年には新しいデザインの「新・銀河鉄道999号」が運行を開始し、モノレール小倉駅の発車メロディーも「銀河鉄道999」に変更された。
- 2005年、ちほく高原鉄道CR75型車両にペインティング列車のデザインを提供。
- その他デザイン**:
- 1980年、東宝映画『モスラ対ゴジラ』のリバイバル上映の際、パンフレット表紙にゴジラのイラストを描いた。
- 2001年、北九州市八幡東区のスペースワールド駅前で開催された北九州博覧祭2001の公式ポスターをデザイン。
- 小倉競輪場のマスコットキャラクター「スペース騎士(ナイト)」のデザインも手がけている。
- 2002年、モンゴルと日本の「外交関係樹立30周年」の記念切手のうち、モンゴルが発行した2種類の1つをデザインした。
- 2011年、フジテレビの夢スペシャル番組内アニメ『はやぶさの奇跡』の監修・キャラクターデザインを担当。
- 2013年、ORANGE RANGEのHIROKIとNAOTOのユニット「NaotoHiroki&karatesystems」のアルバム『Travel Sounds』のジャケットを描画した。
- 2018年、北九州市下水道事業100周年記念として、メーテルなど松本キャラクターのデザインマンホールがJR小倉駅周辺や北九州空港に設置された。
3.3. 作品世界観とスタイル
松本零士の作品は、その独特な世界観、反復されるテーマ、そして美学によって特徴づけられる。
彼の作品には、ハーロック、トチロー、エメラルダス、メーテルといったキャラクターが複数の作品に登場する「スター・システム」が用いられている。これは、単に名称が同じである場合もあれば、作品自体がクロスオーバーしている場合もある。また、パラレルワールドのように、背景世界は異なりながらも、その世界における性格や役割が似たキャラクターとして登場することもある。松本自身はこれを「同じ俳優が演じている」と表現し、「(描いていると)自然とそうなる」と語っている。この作品群は総称して「レイジバース」と呼ばれ、広大な宇宙を舞台に、キャラクターたちが時空を超えて繋がり合う壮大な物語を形成している。
松本作品のテーマは多岐にわたるが、特に「命の尊さ」、「時間の流れと有限性」、「自由への希求」、「人間の尊厳」、「機械化文明への問いかけ」などが繰り返し描かれる。彼の作品には、しばしば死の影や夜の色彩といった不条理な要素が内包されており、単なる冒険活劇に留まらない深い哲学的な側面を持つ。
美学的特徴としては、細部にまでこだわったメカニックデザインが挙げられる。特に、円形や歯車形のガラスパネルの中に目盛りと複数の指針が書き込まれた計器類のデザインは「零士メーター」として知られ、彼の作品の象徴的な要素となっている。実在する兵器についてはデフォルメを行わず、設計図などを入手して正確に描くことを心がけていた。また、女性キャラクターは細身で長身、憂いを帯びた表情を持つことが多い。ドイツの女優マリアンネ・ホルトが、松本の主要な女性キャラクターの原型となっている。
動物キャラクターも頻繁に登場し、松本自身の飼い猫をモデルにした「ミーめ」あるいは「ミーくん」というトラジマの猫や、首長で奇声を発する怪鳥「トリさん」、そして猫の様に見えて正体不明な小動物「ナニカ」などが挙げられる。松本自身も、自身の監督したアニメ映画などでカメオ出演している。
3.4. ペンネーム「松本零士」
松本零士は、本名である「松本 晟(まつもと あきら)」から、現在のペンネームへと移行した。
デビューから1968年までは、本名のひらがな表記である「松本あきら」のペンネームを使用していた。1965年からは「松本零士」名義と並行して使い始め、1968年に「松本零士」に一本化した。
このペンネームの由来にはいくつかの説がある。
- 「零歳児の感性をいつまでも忘れずに」というモットーから。
- 夜半、午前零時を過ぎないとアイデアが浮かばないことが度々あったことから。
- 「毎日夜零時まで働く士(サムライ)」という意味を込めて。
2008年5月に北九州で行われた『毎日フォーラム』では、「零士の零は無限大の『れい』、士は『さむらい』、また本名である『あきら』とも読む」と語っている。
また、ローマ字で表記する場合、一般的には「Reiji」とするところを「Leiji」としている。これは、少年時代に愛読していた山川惣治の絵物語『少年王者』に登場する悪役ライオン「ライオンL」が強くて逞しかったことに由来するという。
4. 私生活
松本零士の私生活は、彼の創作活動と密接に結びついていた。
4.1. 結婚と家族
松本零士は、同じく漫画家である牧美也子まき みやこ日本語と出会い、1962年(昭和37年)に結婚した。翌年、夫婦で練馬区に移り住み、生涯を共にした。牧美也子は、着せ替え人形「リカちゃん」の生みの親としても知られる。
5. 死と遺産
松本零士は、晩年に健康問題を抱えながらも創作活動を続け、その死後も彼の作品と功績は高く評価され、多大な影響を与え続けている。
5.1. 健康問題と死
2019年11月15日、イベント出席のため訪問中だったイタリア・トリノで体調を崩して倒れ、現地の病院へ緊急搬送された。一時は重篤な状態と報じられたが、2日後には容体が安定し、命に別状はないとされた。同年12月4日に退院し、翌5日に帰国した。
松本零士は2023年2月13日、急性心不全のため東京都内の病院で死去した。85歳であった。彼の死去は、同年2月20日に東映によって発表された。葬儀は近親者のみで執り行われた。
彼の訃報に対し、漫画家の内藤泰弘、玉木望、そして妻の牧美也子など、多くの漫画家や関係者から追悼の言葉が寄せられた。『銀河鉄道999』でメーテル役を演じた声優の池田昌子や、翻訳家のザック・ダビソンも哀悼の意を表明した。
2023年6月2日、生前の功績が評価され、日本国政府から松本に対し死没日付をもって正六位に叙されたことが、零時社より発表された。同年6月3日には東京国際フォーラムでお別れの会が開かれ、多くのファンや関係者が参列し、彼の功績を偲んだ。同年7月10日発売の『ビッグコミック』2023年第14号の表紙には、追悼の言葉とともに松本の肖像イラストが掲載された。
5.2. 評価と影響
松本零士は、その生涯を通じて数々の功績を残し、日本の漫画・アニメ界に多大な影響を与えた。
5.2.1. 受賞歴と栄誉
松本零士は、その長年の功績に対し、国内外から数多くの賞や栄誉を授与された。
- 1954年 - 『漫画少年』第1回長編漫画新人賞
- 1972年 - 第3回講談社出版文化賞児童漫画部門賞(『男おいどん』にて)
- 1975年 - 第6回星雲賞映画演劇部門受賞(『宇宙戦艦ヤマト』にて)
- 1978年 - 第23回小学館漫画賞受賞(『銀河鉄道999』『戦場まんがシリーズ』にて)
- 1978年 - 第7回日本漫画家協会賞特別賞(一連のSFシリーズにて)
- 1979年 - 第24回映画の日特別功労賞
- 2001年 - 紫綬褒章受章
- 2003年 - 第8回アニメーション神戸特別賞受賞
- 2008年 - 練馬区名誉区民
- 2010年 - 旭日小綬章受章
- 2012年 - フランス芸術文化勲章シュヴァリエ受章
- 2024年 - 日本SF大賞功績賞を受賞(死没日付)
5.2.2. 芸術と文化への影響
松本零士の作品は、漫画、アニメ、デザインといった芸術分野だけでなく、大衆文化全般に広範な影響を与えた。
彼の作品に登場するキャラクターやメカニックは、多くのクリエイターにインスピレーションを与え、後のSF作品に多大な影響を与えた。特に、彼の作品に頻繁に登場する計器類のデザイン「零士メーター」は、SFメカデザインの俗称として定着し、1970年代後半から1980年代前半の日本のSFアニメやSF漫画に多用された。
また、松本零士の作品は、宇宙への憧れを多くの人々に抱かせた。宇宙飛行士の山崎直子が宇宙に興味を持つようになったのは、子供の頃に見た松本作品がきっかけであったと語っている。また、日本人初の宇宙飛行士となった秋山豊寛は、松本作品『ワダチ』の解説を執筆している。
彼は漫画古書のコレクターとしても知られ、特に手塚治虫の初期の希少な漫画本を多数保管していた。手塚本人も自作を探す必要がある際には、まず松本に問い合わせていたという。また、小松左京や阪本牙城の漫画復刻にも協力し、原本を提供することも多かった。『漫画大博物館』という漫画の古書を紹介するビジュアル百科事典も出版している。
古式銃のコレクターでもあり、合法的に100丁以上の銃を私有していた。ブライトリングなどの航空腕時計も愛好していた。これらの趣味は、彼の作品における緻密なメカニック描写や世界観構築に影響を与えた。
音楽の趣味はクラシック音楽、特にリヒャルト・ワーグナーを愛好する「ワグネリアン」であった。『音楽の革命児ワーグナー』という著書もあり、絵と文の双方を執筆している。ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』を漫画化するなど、その影響は作品の構造やキャラクター設定にも見られると指摘されている。
5.3. 著作権に関するスタンスと論争
松本零士は、日本漫画家協会著作権部責任者やコンピュータソフトウェア著作権協会理事などの役職も務め、著作権に対し非常に厳格な姿勢を持っていた。彼は「孫子の時代まで自分の著作権を守りたいというのが心情だ」と述べ、自らが過去に漫画の中で使用した台詞等の表現を「創作造語」と称し、それに似た表現を他者が無断で使うことに否定的な見解を示していた。
松本が著作権に強硬なのは、彼が『宇宙戦艦ヤマト』や戦争ものなどを描く際に、戦没者や民族感情に細心の注意を払って配慮しているため、自分のあずかり知らぬところで第三者によって自分の創作が意図に反した使われ方をされるのが我慢できないことが一因だと語っていた。
2002年には、自身が原作のテレビアニメ『SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK』がダビデの星を敵のデザインに使ったことから、ユダヤ人感情に配慮して一時製作中止にさせたこともあった。
一方で、権利関係にシビアな印象を持たれるが、作家に対する敬意があり、無断で使うのでなければ他の漫画家やミュージックビデオ、広告等に自作のキャラクターを使うことには寛容であった。自身が「面白い」と思えば、自作を笑いのネタにしたパロディ的な引用にも快く許諾する傾向にあった。しかし、「面白くない」と感じたパロディ的な引用には非常に厳しく、名指しで非難したり、担当編集者や漫画家自身を呼びつけて説教することもあるという。実際に、人気ヤンキー漫画『カメレオン』を連載していた加瀬あつしは、作中にメーテルのコスプレパロディネタを描いた際、松本に呼び出され夜通しで説教を受け、翌週の『週刊少年マガジン』誌上でお詫び文を掲載する羽目になった。このエピソードは単行本に収録される際、メーテルのコスプレが登場する部分の原稿は全て差し替えられ、オチも異なるものとなっている。
松本は、『スター・ウォーズ』の企画書のレイア姫の初期設定が『宇宙海賊キャプテンハーロック』の有紀蛍と類似しており、同作品の初期企画に自作が影響を与えたと発言している。しかし、松本が「自身の作品の影響を受けた」とする作品の中には、実際に影響を受けたものかどうか不明なものも含まれている。例えば、『銀河鉄道999』劇場版第2作『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』に登場する星野鉄郎の父親・黒騎士ファウストと、『スター・ウォーズ』旧3部作に登場するダース・ベイダーにはいくつかの共通点が見られるが、時期的には『スター・ウォーズ』のほうが制作開始・公開いずれも早い。
5.3.1. 《宇宙戦艦ヤマト》著作権紛争
『宇宙戦艦ヤマト』の著作権を巡っては、松本零士とプロデューサーの西崎義展との間で長年にわたる法廷闘争が繰り広げられた。
松本零士は1976年頃には、『宇宙戦艦ヤマト』の原作について、企画・原案はプロデューサーの西崎義展であり、自分は基本ストーリーやアイデアのほとんどを出したが共同作品でもあり、原作については判断できず曖昧であると述べていた。また、『宇宙戦艦ヤマト』のタイトルも西崎がつけたものと認めていた。
しかし、西崎が破産した1997年頃から、松本は自らが『宇宙戦艦ヤマト』の著作権者であり、西崎はアニメ化の使用許諾権を得たプロデューサーに過ぎず、その使用許諾権も失効したと主張し始めた。さらに、西崎が逮捕された1998年には、西崎は『ヤマト』とは無関係で、『ヤマト』の全ての権利は自分が持っていると述べるようになった。松本は、そもそも『宇宙戦艦ヤマト』は自作『電光オズマ』の「宇宙戦艦大和の巻」が原型であると説明していた。
1999年、松本は『宇宙戦艦ヤマト』の著作者が自分であることを確認するため、西崎を提訴した。しかし、東京地方裁判所は、松本側が原作と主張した『電光オズマ』『光速エスパー』、『ヤマト』の「創作ノート」、そして『冒険王』連載の漫画『宇宙戦艦ヤマト』のいずれも原作ではないと否定し、松本はアニメの製作過程においても部分的にしか関わっていないとして、西崎を著作者と認定し、松本側の全面敗訴となった。
控訴審中の2003年、両者は法廷外で和解した。この和解では、松本と西崎の両者ともが著作者であるという合意が交わされたが、西崎が筆頭著作者であり代表して著作者人格権を有することになった。これにより、松本は西崎の同意なしに『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの新作を作ることができず、また、西崎側が許諾した『ヤマト』新作については松本は自分の権利を行使できないことになった。松本はこの和解書で、西崎側の『ヤマト』新作で自分の名前がクレジットされる際は、従来主張してきた「原作」ではなく「設定・デザイン」であることを認めた。
この裁判で西崎に敗訴した際、松本は一部マスコミに「私がいなかったら、作品の1コマも存在しない」とコメントしたと報じられた。
裁判終結後、シリーズ続編である『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』には松本はスタッフとして参加せず、名前もクレジットされなかった。実写映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』や、第1作のリメイクである『宇宙戦艦ヤマト2199』『宇宙戦艦ヤマト2202』『宇宙戦艦ヤマト2205』でも、西崎が原作者としてクレジットされ、松本の名は表示されなかった。
製作スタッフの中では、SF設定を担当した豊田有恒は、著書で松本零士を全面的に支持し、西崎義展を批判した。一方で、作詞家として1作目から関わっていた阿久悠は、松本が『ヤマト』の著作権者を名乗れるのなら、他のスタッフや自分も名乗れるとし、「西崎さんの熱意と情熱無しに『宇宙戦艦ヤマト』は存在しなかった」と書き残している。劇場版を監督した舛田利雄は実質的な原作者は西崎であるとの見解を持っていた。企画段階から携わった藤川桂介と山本暎一、松本を補佐した石黒昇も、松本の原作者だとの主張に対して、本作はオリジナル企画であるとして松本による原著作物は存在しないとの立場であった。メカデザインのスタジオぬえのメンバーでも、松本を原作者と認識するのは少数だという。絵コンテで参加した安彦良和によれば、ヤマトをめぐる訴訟の際は大方の人が西崎の肩を持ったという。安彦本人は中立を宣言し、松本の弁護士にもヤマトは松本のものでなく松本と西崎両者のものだと伝え、松本敗訴の一審判決は当然のこととした。絵コンテで参加した富野由悠季は、松本零士と山本暎一が並列で、その上に西崎義展がいて全ての主導権を西崎が握った、西崎が主導する西崎の作品だったとインタビューで語っている。
5.3.2. 《銀河鉄道999》歌詞盗用論争
2006年、槇原敬之がCHEMISTRYに提供した楽曲『約束の場所』の歌詞の一部が、1996年から再開された新展開編『銀河鉄道999』の作中のセリフの盗用であると、松本零士は同年10月19日発売の『女性セブン』で槇原敬之を非難した。翌日20日の日本テレビ系『スッキリ!!』にも生出演し、同様に槇原を盗作したと非難した。松本は、問題のセリフは自身の「座右の銘」であり、「長く使い、媒体でも講演会でも発表している」「偶然としても、あそこまで似てるのはありえない」と主張した。また、槇原に電話した際に「すまん」と言ってくれれば問題にしないつもりだったと述べた。
これに対して槇原は記者会見で否定し、同年11月7日付の公式ホームページにて「『銀河鉄道999』は個人的趣味で読んだことが無く、歌詞は全くのオリジナルであり、本当に盗作だと疑っているのなら(自分を告訴して)裁判で決着していただきたい」旨のコメントを発表した。槇原は「盗作していないものに謝罪すれば、罪を認める行為になる」と拒否した。
2007年3月22日、『スッキリ!!』における松本の発言をめぐり、槇原が松本に対して、盗作だと言っている部分に対して証拠を示して欲しいと著作権侵害不存在確認等請求を東京地方裁判所に起こした。裁判で松本側が盗作だという証拠が示せなかった場合は、CMソングの中止などにより、2200.00 万 JPYの損害賠償請求も行った。松本は3月26日のトークショーで「男たるもの、負けると判っていても戦わなければならない時がある、一連の訴訟について口頭弁論などに立つ気はない」とも語った。
2008年7月7日、東京地裁で口頭弁論のため、事件以降、両者が初めて顔を合わせた。槇原はニュースやマスコミなどで取り上げられ、「泥棒扱いされてもしていないものはしてない」「(問題の歌詞の部分は)仏教の因果応報の教えから」と弁論し、直後に松本の反論を聴くことなく退廷した。松本は「このセリフは私の座右の銘」で「長く使い、媒体でも講演会でも発表している」「一言、公の場で『すまん』と言ってほしかった」「偶然としても、あそこまで似てるのはありえない」と反論した。
同年12月26日、東京地裁は「原告表現が被告表現に依拠したものと断定することはできない」「2人の表現が酷似しているとは言えない」と依拠性と類似性という著作権侵害となる2つの構成要件を認めず、槇原に対する名誉毀損を認め、松本に220.00 万 JPYの損害賠償支払いを命じる判決を下した。その後双方とも控訴した。
2009年11月26日、東京高裁で控訴審が開かれ、松本が「槇原さんの社会的な評価に相当な影響を与えた」と陳謝する内容を和解条項として、和解が成立した(金銭支払なし)。しかし、松本は2011年に『SPA!』誌上で「ひと言『ごめん』と言ってくれたら、それでよかったんです」と、依然として槇原側が謝罪すべきだったとの主張を再び行った。槇原はその後、2022年3月2日にリリースしたアルバム『Bespoke』で「約束の場所」をセルフカバーしている。
6. 作品リスト
松本零士の広範な作品世界は、漫画、映像、その他の創作活動にわたる。
6.1. 漫画作品
松本零士が創作した漫画作品を、発表順やジャンル別に分類して列挙する。
6.1.1. 初期作品
松本零士がデビュー初期に発表した作品は、主に「松本あきら」名義で発表された。
- 『銀の谷のマリア』(『少女クラブ』1958年4月号付録)
- 『黄金の騎士』(『女学生の友』1959年1月号 - 3月号)
- 『ララミー牧場』(『日の丸』1960年12月号 - 1962年10月号付録) - 海外ドラマの漫画化。
- 『電光オズマ』(『ぼくら』1961年2月号 - 1962年12月号) - 謎の戦闘機部隊を駆る男、電光オズマが世界征服を企む新国家ノバ帝国のガンモス首相や古代の巨大円盤、怪遊星で地球へ迫り来る異星人と闘う。ロケット戦艦「宇宙戦艦大和」も登場する。
- 『燃えろ南十字星』(『日の丸』1963年1月号 - 2月号、『少年ブック』1963年3月号 - 5月号付録) - ラバウルの零戦乗り土浦曹長が主人公の戦記漫画。
- 『ブラック0』(『冒険王』1964年1月15日お正月大増刊号) - 戦記物。黒い零戦隊の夜間戦闘。
- 『忍法十番勝負 三番勝負』(『冒険王』1964年3月号)
- 『わたしのエル』(『週刊マーガレット』1964年9月6日号 - 11月15日号) - 妻である漫画家・牧美也子との共作。
- 『スーパー99』(『冒険王』1964年11月号 - 1965年12月号) - 超潜水艦スーバー99とヘルメット党の戦いを描く。
- 『ダイナモ7』(『まんが王』1966年11月号) - カーレーサー物。
- 『心よ海をゆけ』(『別冊少女フレンド』1967年5月号) - 牧美也子との合作。少女マンガではあるが海賊物。
6.1.2. 連載作品
松本零士が主要雑誌に連載した長編および中編漫画を列挙する。
- 『セクサロイド』(『漫画ゴラクdokuhon』1968年4月9日号 - 1970年11月3日号)
- 『動物シリーズ(絵物語)』(『なかよし』1968年4月号 - 1969年2月号)
- 『光速エスパー』(『少年ブック』1968年6月号 - 1969年4月号、および『少年ジャンプ』1969年5月8日号 - 1970年2月16日号)
- 『漂流三千万光年』(『少年少女新聞』1969年3月7日 - ) - 世界観的に『潜水艦スーパー99』の続編的作品。
- 『四次元世界シリーズ』(『COM』1969年4月号 - 12月号)
- 『マシンナー・シリーズ』(『別冊漫画アクション』1969年11月15日号 - 1970年6月13日号)
- 『無限世界シリーズ』(『COM』1970年1月号 - 9月号)
- 『大四畳半シリーズ』(『別冊漫画アクション』1970年6月27日号 - 1974年2月9日号) - いわゆる四畳半ものの元祖的作品。
- 『聖サルマタ伝』(『少年マガジン』1970年11月15日号 - 11月22日号)
- 『ミステリー・イヴ』(『漫画ゴラクdokuhon』1970年11月17日号 - 1971年8月5日号) - 惑星イタスから飛来した女性イヴと邂逅した主人公とヘド族との戦いを描くSF漫画。
- 『パニックワールド』(『少年キング』1971年2月28日号 - 3月21日号) - 「第三次世界大戦が東京で...」パニック状態の東京を描いた近未来サスペンス。
- 『男おいどん』(『少年マガジン』1971年5月9日号 - 1973年8月5日号) - 四畳半ものの一つ。松本にとって少年誌では初めての大ヒット作。
- 『聖凡人伝』(『漫画ゴラク』1971年8月19日号 - 1973年11月15日号) - 首吊り頻発の曰く付アパートが舞台の四畳半もの。
- 『思春期100万年』(『高一時代』1972年4月号 - 1973年3月号)
- 『大不倫伝』(『平凡パンチ』1972年5月15日号 - 7月17日号) - 不倫請負人の流浪物語。
- 『秘本絵師 無芸』(『ビッグコミック』1972年8月25日号 - 9月10日号)
- 『ガンフロンティア』(『プレイコミック』1972年11月11日号 - 1974年12月14日号)
- 『ひるあんどん』(『別冊マンガストーリー』1973年4月14日号 - 『マンガストーリー』12月1日号)
- 『スペース開拓者 ワダチ』(『少年マガジン』1973年11月4日号 - 1974年4月14日号) - 四畳半もの+SF。
- 『出戻社員伝』(『週刊大衆』1974年1月3日号 - 3月28日号) - 冴えないサラリーマン生活を描いた人生哲学的作品。
- 『螢の宿シリーズ』(『別冊漫画アクション』1974年2月23日号 - 12月28日号) - 大四畳半ものの一つ。時代設定は明治維新前後。
- 『宇宙戦艦ヤマト』(『冒険王』1974年11月号 - 1975年4月号)
- 『宇宙戦艦ヤマト2』(『冒険王』1978年7月号 - 1980年1月号)
- 『新宇宙戦艦ヤマト』(『月刊コミックGOTTA』2000年4月号 - 2001年7月号)
- 『インセクト』(『ビッグコミックオリジナル』1975年1月5日号 - 6月5日号)
- 『帰らざる時の物語』(『プレイコミック』1975年1月11日号 - 1976年12月9日号)
- 『ザ・コクピット・シリーズ』(『ビッグコミックオリジナル』1975年6月20日号 - 不定期連載)
- 『ダイバー0』(『少年サンデー』1975年9月5日増刊号 - 1976年9月10日増刊号)
- 『トラジマのミーめ』(『プリンセス』1975年9月号 - 1977年12月号)
- 『ペットファーザー』(『少年アクション』1975年10月6日号 - 1976年1月26日号)
- 『親不知讃歌』(『毎日中学生新聞』1976年4月3日付 - 1977年3月26日付)
- 『恐竜荘物語』(『漫画ゴラク』1976年9月2日号 - 1977年5月12日号)
- 『時間旅行少年 ミライザーバン』(『月刊マンガ少年』1976年9月号 - 1978年10月号)
- 『ちいさなマキ』(『読売新聞』日曜版 1977年1月9日付 - 7月31日付)
- 『宇宙海賊キャプテンハーロック』(『プレイコミック』1977年1月13日号 - 1979年6月14日号)
- 『銀河鉄道999』(『少年キング』1977年1月24・31日合併号 - 1981年11月6日号)
- 『漂流幹線000』(『少年キング』1983年1月14日号 - 11月25日号)
- 『新銀河鉄道999』(『ビッグゴールド』1996年9月号 - 1999年3月号、および『銀河鉄道999Web』1999年3月15日 - 、『ビッグコミック』2003年5月25日号 - )
- 『大純情くん』(『少年マガジン』1977年2月27日号 - 10月9日号)
- 『惑星ロボ ダンガードA』(『冒険王』1977年4月号 - 1978年4月号)
- 『大草原の小さな四畳半』(『Apache』1977年7月23日号 - 1978年1月8日号)
- 『昆虫皇帝』(『奇想天外』1978年1月号 - 1979年12月号)
- 『魔女天使』(『月刊少年マガジン』1978年1月号 - 4月号、1978年9月 - 1979年7月号)
- 『Queenエメラルダス』(『少年マガジン』1978年1月8日号 - 10月8日号)
- 『無限海漂流記』(『ビッグゴールド』1978年6月8日号 - 1985年12月号 不定期連載)
- 『漂流3000万光年』(『月刊マンガ少年』1978年12月号 - 1979年7月号 未完)
- 『ステテコンドル』(『サンデー毎日』1979年11月11日 - 1980年12月21日号)
- 『新竹取物語 1000年女王』(『サンケイ新聞』朝刊 1980年1月28日付 - 1983年5月11日付)
- 『ナスカ』(『月刊マンガ少年』1980年6月号 - 1981年5月号)
- 『大四畳半大物語 無偉人伝説』(『漫画ゴラク』1980年7月17日号 - 8月)
- 『重弾道シリーズ』(『ビッグコミック』1981年8月25日号 - 1983年2月10日号)
- 『蜃気楼フェリーアイランダー0』(『少年キング』1982年1月22日号 - )
- 『伯爵伝説』(『漫画ゴラク』1984年8月3日号 - 1985年2月1日号)
- 『HARD METALシリーズ』(『ビッグコミック』1984年9月10日号 - 1990年1月25日号)
- 『どんトラ』(『少年キング』1985年7月12日号 - 10月25日号)
- 『コスモロードα 眠れる宇宙の王女』(『yacニュース』1986年9月22日号 - 1988年4月1日号、『L5』1988年5月号-1991年11月号)
- 『グスコーブドリの伝記』(『月刊コミックトム』1986年10月号 - 12月号) - 宮沢賢治原作。
- 『V2パンツァー』(『少年キング』1987年9月24日増刊ヤングキング創刊号 - 1988年10月17日号)
- 『無の黒船 クライシスⅢ』(『夕刊フジ』1988年 - 1989年)
- 『蜃気楼綺譚』(『ビッグコミック』1990年5月25日号 - 1991年3月25日号)
- 『ニーベルングの指環①ラインの黄金』(『中古車ファン』1990年10月10日号 - 1991年11月25日号)
- 『夢奥(王)の細道』(『ビッグコミック』1991年4月25日号 - 8月25日号)
- 『ケースハードシリーズ』(『ビッグゴールド』1993年1月号 - 1996年8月号)
- 『天使の時空船』(『コミックトム』1993年5月号 - 1997年7月号) - レオナルド・ダ・ヴィンチ伝。
- 『火聖旅団ダナサイト999.9』(『少年王』1994年10月号 - 1997年4月号)
- 『ニーベルングの指環②ワルキューレ』(『新潮社Webコミック』1997年4月1日号 - 1998年2月13日号)
- 『コクピット・レジェンド』(『ビッグコミックオリジナル』1997年9月増刊号 - 1999年9月増刊号 不定期連載)
- 『ニーベルングの指環③ジークフリート』(『新潮社Webコミック』1998年3月11日号 - 1999年6月10日号)
- 『児女英雄伝』(『コミックトムプラス』1998年5月号 - 2000年5月号)
- 『ニーベルングの指環④神々の黄昏』(『新潮社Webコミック』1999年8月4日号 - )
- 『Captain Harlock: Dimensional Voyage』(『チャンピオンRED』2014年10月号) - 『宇宙海賊キャプテンハーロック』のリメイク。
6.1.3. 読み切り・その他
松本零士が手がけた短編漫画、未分類作品、および特別に制作された作品を含む。
- 『母と子の名作絵話 ばらのおうじ』(『幼稚園』1968年3月号)
- 『杜子春』(『小学四年生』1968年3月号)
- 『赤毛のひとつ』(『りぼん』1968年4月号付録)
- 『世界名作物語 アリババと四十人のとうぞく』(『小学四年生』1968年5月号)
- 『ながぐつをはいたねこ』(『小学一年生』1968年6月号)
- 『世界名作特集 日本昔話 かぐやひめ』(『たのしい幼稚園』1968年6月号)
- 『ダイナソア・ゾーン 恐竜帯』(『漫画ゴラクdokuhon』1968年9月1日増刊号)
- 『冬眠惑星』(『プレイコミック』1968年9月10日号)
- 『コスモレディSS』(『漫画ゴラクdokuhon』1969年1月7日増刊号)
- 『ネアンデルタール』(『プレイコミック』1969年1月25日号)
- 『パイロット262』(『コミックMagazine』1969年2月25日号) - ハーロックが初めて主人公となった作品。
- 『インパルスドーム』(『別冊漫画アクション』1969年3月号)
- 『ゼスラス第3紀』(『別冊漫画アクション』1969年6月号)
- 『ミユから来た女』(『漫画ゴラクdokuhon』1969年6月9日増刊号)
- 『太陽系狙撃兵』(『別冊漫画アクション』1969年7月号)
- 『天地創造第二番』(『別冊漫画アクション』1969年8月号)
- 『機械人間マシンナーバン』(『少年サンデー』1969年8月15日夏休み増刊号) - ミライザーバンのプロトタイプ的作品。
- 『オルバース』(『別冊漫画アクション』1969年9月号)
- 『魔境惑星の恋人』(『漫画ゴラクdokuhon』1969年9月3日増刊号)
- 『火星令嬢』(『別冊漫画アクション』1969年10月11日号)
- 『幽霊夫人』(『別冊漫画アクション』1969年10月号)
- 『ダフィン』(『SFマガジン臨時増刊』1969年10月号)
- 『シティD60001年 愛するレイ』(『別冊漫画アクション』1969年10月18日号)
- 『大魔女境』(『漫画ゴラクdokuhon』1969年11月12日増刊号)
- 『幽霊軍団』(『プレイコミック』1969年11月22日号)
- 『グレート・ウェスタン』(『漫画ゴラクdokuhon』1969年12月10日号)
- 『L夫人漂流記』(『話のタネ本』1970年3月11日増刊号)
- 『未来盗賊アリババ』(『話のタネ本』1970年4月8日増刊号)
- 『妖女セレスト』(『漫画ゴラクdokuhon』1970年6月10日増刊号)
- 『大宇宙番外地』(『漫画ゴラク増刊』1970年9月2日号)
- 『大野蛮人帯』(『マントップ』1970年12月号)
- 『化石女』(『漫画ゴラクdokuhon』1970年11月25日号)
- 『赤い霧のローレライ』(『SFマガジン臨時増刊号』1970年11月)
- 『下宿荘偉人伝』(『COM』1971年1月号)
- 『模型の時代』(『少年マガジン』1971年2月28日号) - 小松左京原作。
- 『銀河鉄道の夜』(『希望の友』1971年4月号)
- 『夜光都市のミライ』(『COM』1971年4月号)
- 『ヤマビコ13号』(『少年マガジン』1971年4月4日号)
- 『空間機甲団』(『COM』1971年8月号)
- 『つるすべき多くの女』(『ビッグコミック』1971年11月)
- 『空白地帯のひとりむすこ』(『少年チャンピオン』1972年6月26日号)
- 『西部長屋人別帖』(『少年サンデー』1972年8月27日号)
- 『雨月物語』(『ビッグコミック』1972年7月10日号)
- 『近眼人類詩集』(『高3コース』1973年4月号 - 10月号)
- 『黒死鳥(デスバード)4444』(『少年マガジン』1973年7月8日号)
- 『聖女に白い血』(『ビッグコミック』1973年8月25日号)
- 『皮の影159』(『ビッグコミック』1973年11月25日号)
- 『螢の泣く島』(『ビッグコミックオリジナル』1974年1月20日号)
- 『昆虫国漂流記』(『別冊少年ジャンプ』1974年2月号) - 自身の終戦から小学生時代を描く、松本の自伝漫画。
- 『さらばロマンの時よ』(『ビッグコミック』1974年4月25日)
- 『サケザン』(『ビッグオリジナル』1974年5月20日号)
- 『大魔女王第3紀』(『週刊プレイボーイ』1974年11月12日号)
- 『四つの瞳』(『ビッグコミック』1974年11月25日号)
- 『先天性充血魔』(『平凡パンチ夏の増刊号』1975年8月30日号)
- 『猿人1470号』(『漫画ゴラク』1975年10月30日号)
- 『3000年の春』(『漫画ゴラク』1976年1月15日・22日合併号) - 後に『四次元時計』のタイトルで文庫化。
- 『幽霊聖女』(『漫画ゴラク』1976年3月18日号)
- 『第三仮面帝国』(『漫画ゴラク』1976年4月15日号)
- 『セレンの沼』(『漫画ゴラク』1976年5月13日号)
- 『スラストワールド』(『漫画ゴラク』1976年6月10日号)
- 『妄想圏消滅』(『奇想天外』1976年7月号)
- 『ブラックホール帝国』(『漫画ゴラク』1976年7月8日号)
- 『ギャラクサークイーン』(『ヤングコミック』1976年7月14日号)
- 『四次元時計』(『漫画アクション』1976年9月9日号)
- 『シンバ』(『少年サンデー』1976年12月5日号)
- 『魔女天使』(『月刊少年マガジン』1977年1月号)
- 『大サルマタ博物史』(『週刊プレイボーイ』1977年1月18日・25日合併号)
- 『大純情くん』(『少年マガジン』1977年1月30日・2月6日合併号)
- 『地底潜水艦』(『少年サンデー』1977年2月20日号)
- 『大個人戦争』(『SFファンタジア』1977年3月25日発行)
- 『冷血第3生物帯』(『漫画ゴラク』1977年11月3日号)
- 『海底機械帝国零号』(『少年ジャンプ』1978年4月15日増刊号 SFアドベンチャー特集号)
- 『サンタクルーズの橋』(『ビッグコミックオリジナル』1979年1月5日号)
- 『番外鉄道 大番外編』(『漫画ゴラク』1979年1月18日号)
- 『エロビンフッドの冒険』(『週刊プレイボーイ』1979年1月16日・23日合併号)
- 『妖精氷河帯』(『ビッグコミックオリジナル』1979年3月5日号)
- 『ザ・トチロー』(『少年ジャンプ』1979年4月16日号)
- 『サケザン雷帝』(『少年マガジン』1980年1月25日増刊号)
- 『ザ・トチローII わが青春のハーロック』(『少年ジャンプ』1980年3月10日号)
- 『夜あるき猫』(『マンガ奇想天外』1980年11月)
- 『ふるさとや』(『カスタムコミック』1980年12月号)
- 『やけ坂のやけ酒屋』(『カスタムコミック』1981年4月号)
- 『闇夜の鴉の物語』(『漫画ゴラク』1981年5月)
- 『DKカンパニー』(『漫画ゴラク』1981年12月18日号)
- 『1000年大王』(『少年マガジン』1982年5月5日号)
- 『妖界魔女サイナグリス』(『少年キング』1983年1月15日増刊号)
- 『バッターユーラアウチ 赤バット青バットの時代の物語』(『Number』1984年10月5日)
- 『澪』(『ビッグコミック』1985年5月23日増刊号)
- 『偉大なる時間バカ』(『NEWパンチザウルス』 1989年4月26日号)
- 『天使の徹甲弾』(『ヤング・シュート』1989年11月号)
- 『歯車城の興亡』(『monoマガジン』1991年5月2日・16日合併号)
- 『帰還 影の老兵』(『ビッグコミック増刊』1995年8月号)
- 『超時空戦艦まほろば』(『ビッグゴールド』1998年4月号)
- 『わたしはミーくん ミーくんのかく語りき』(『ビッグコミックスペリオール』2003年11月30日増刊号)
- 『一つの大地』(『月刊IKKI』2004年2月号付録)
- 『動物絵物語 わたしはミーくん』(『ビッグコミックスペリオール』2005年2月15日増刊号)
- 『日本国落城記 地獄のトンネル』(『ビッグコミック』2005年8月25日号)
- 『宇宙海賊キャプテンハーロック 銀河聖女ルナーラ』(『チャンピオンRED』2014年10月号)
- 『明日から来た影 GENNAI』(1989年 書き下ろし) - SFテイストの加味された平賀源内の伝記的漫画。
- 『ホタルナ妖』(2006年)
- 『Out of Galaxy 銀のコーシカ』(2009年)
- 『銀河2000光年 宇宙戦艦ノーチラスの伝説』(2004年『リーグ・オブ・レジェンド 時空を超えた戦い アルティメット・ガイド』DVD「リーグ・オブ・レジェンド 時空を超えた戦い アルティメット・エディション」付属)
- 『ガンフロンティア ~ハーロック&トチロー青春の旅~』(原作・総設定・デザイン/松本零士、漫画/島崎譲)『チャンピオンRED』2016年12月号 - 2017年5月号
- 『銀河鉄道999 ANOTHER STORY アルティメットジャーニー』(原作・総設定・デザイン/松本零士、漫画/島崎譲)『チャンピオンRED』2018年5月号 -
6.2. 映像化された作品
松本零士の漫画がアニメ、映画などの映像媒体に翻案された作品を分類して提示する。
6.2.1. テレビアニメ
- 『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)
- 『宇宙戦艦ヤマト2』(1978年)
- 『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』(1979年)
- 『宇宙戦艦ヤマトIII』(1980年)
- 『惑星ロボ ダンガードA』(1977年)
- 『SF西遊記スタージンガー』(1978年)
- 『SF西遊記スタージンガーII』(1979年)
- 『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1978年)
- 『SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK』(2003年)
- 『銀河鉄道999』(1978年)
- 『銀河鉄道物語』(2003年) - 画業50周年記念作品
- 『銀河鉄道物語 ~永遠への分岐点~』(2006年)
- 『宇宙交響詩メーテル 銀河鉄道999外伝』(2004年)
- 『マリンスノーの伝説』(1980年)
- 『メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行』(1980年)
- 『新竹取物語 1000年女王』(1981年)
- 『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』(1982年)
- 『コスモウォーリアー零』(2001年)
- 『ガンフロンティア』(2002年)
- 『SUBMARINE SUPER 99』(2003年)
- 『松本零士「オズマ」』(2012年)
6.2.2. 映画
- 『宇宙戦艦ヤマト』(1977年)
- 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)
- 『ヤマトよ永遠に』(1980年)
- 『宇宙戦艦ヤマト 完結編』(1983年)
- 『惑星ロボ ダンガードA対昆虫ロボット軍団』(1977年)
- 『惑星ロボ ダンガードA 宇宙大海戦』(1978年)
- 『宇宙海賊キャプテンハーロック アルカディア号の謎』(1978年)
- 『銀河鉄道999』(1979年)
- 『銀河鉄道999 ガラスのクレア』(1980年)
- 『銀河鉄道999 エターナルファンタジー』(1998年)
- 『元祖大四畳半大物語』(1980年) - 実写作品。
- 『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』(1981年)
- 『1000年女王』(1982年)
- 『わが青春のアルカディア』(1982年)
- 『インターステラ5555』(2003年)
- 『キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK-』(2013年)
6.2.3. OVA
- 『YAMATO2520』(1995年)
- 『大ヤマト零号』(2004年)
- 『ザ・コクピット』(1994年)
- 『クイーン・エメラルダス』(1998年)
- 『火聖旅団 ダナサイト999.9』(1998年)
- 『ハーロック・サーガ ニーベルングの指環 ラインの黄金』(1999年)
- 『メーテルレジェンド』(2000年)
- 『ヤングハーロックを追え! コスモウォーリアー零外伝』(2001年)
- 『銀河鉄道物語 ~忘れられた時の惑星~』(2007年)
6.3. その他の仕事
漫画・映像作品以外の創作活動を紹介する。
6.3.1. デザイン・イラスト
松本零士が手がけた船舶、車両、キャラクター、パッケージなどのデザインやイラストの仕事を紹介する。
- 1971年、C・L・ムーアのスペースオペラ小説『ノースウェスト・スミス』シリーズの日本語版の表紙イラストと挿絵を担当(ハヤカワ文庫『大宇宙の魔女』他)。
- 1980年、東宝映画『モスラ対ゴジラ』のリバイバル上映の際、パンフレット表紙にゴジラのイラストを描いた。
- 1997年、近鉄伊賀線(現・伊賀鉄道)に忍者列車のデザインを提供。

- 1999年、大阪府堺市にある大阪府立大型児童館ビッグバンの館長を務め、マスコットキャラクター『ベアル』と『メロウ』をデザイン。


- 1999年、福井県敦賀市の駅前通りに『銀河鉄道999』、『宇宙戦艦ヤマト』を題材とした28体のブロンズ製モニュメントが建立された。
- 2001年、北九州市八幡東区のスペースワールド駅前で開催された、北九州博覧祭2001公式ポスターのイラストを手がけた。
- 2001年10月にオープンした福島県郡山市にある郡山市ふれあい科学館「スペースパーク」の名誉館長を務め、マスコットキャラクター『エンゼルナ』と『みーにゃん』をデザイン。
- 2001年、フランスの音楽デュオ、ダフト・パンクのアルバム『ディスカバリー』のミュージック・ビデオを制作。
- 小倉市(現在の北九州市)に縁があることから、小倉競輪場のマスコットキャラクター「スペース騎士(ナイト)」のデザインを行った。
- 2002年、フライトシミュレーターPCソフト『Microsoft Combat Flight Simulator3』(日本発売版)CD-ROM収納ケースに挿入されているラベル絵を担当。
- 2002年、モンゴルと日本の「外交関係樹立30周年」の記念切手のうち、モンゴルが発行した2種類の1つをデザインした。
- 2003年、伊賀鉄道の車両更新に伴い、忍者列車のデザインを再提供。
- 2003年2月、愛媛県の伊予観光大使(いよかん大使)に就任。
- 東京都観光汽船の水上バス『ヒミコ』『ホタルナ』『エメラルダス』のデザイン。全て宇宙船をモチーフとしたデザインで、『ヒミコ』は2004年3月26日から運航を開始した。

- 2004年6月、福島県のしゃくなげ大使に就任。
- 2005年、ちほく高原鉄道CR75型車両にペインティング列車のデザインを提供(廃線後、足寄郡陸別町のふるさと銀河線りくべつ鉄道にて動態保存)。
- NHK「探検ロマン世界遺産」進行役CGキャラクターのデザイン。
- 2006年、湧永製薬の水虫・たむし治療薬『マセトローションT』のパッケージデザイン。
- 2008年3月16日、東京都練馬区のねりたんアニメプロジェクトin大泉の一環として西武鉄道大泉学園駅にて『銀河鉄道999』のキャラクター「車掌さん」と一日駅長を務めた。
- 2008年、トヨタ自動車TV-CM「あしたのハーモニー」に出演。
- 東京都北区滝野川の商店街「滝野川馬場商店会」のシンボルキャラクターおよび看板のデザイン。
- 西武池袋線所属の3000系にメーテル、星野鉄郎、車掌さんをあしらったデザイン電車のデザイン提供。2009年5月から2014年12月まで運行された。
- 北九州モノレールの開業25周年記念として、1000形にメーテル、星野鉄郎、車掌さんをデザインしたラッピング車両のデザイン提供。2010年3月から運行を開始し、好評のため2016年12月頃まで延長された。2017年4月22日には、新しいデザインの「新・銀河鉄道999号」が運行を開始した。
- 2010年4月、福島県の猪苗代湖・裏磐梯水環境保全のイメージキャラクターを発表。
- 2011年4月3日、『フジテレビ夢スペシャル「タモリ×SMAP僕らは未来を信じよう!~宇宙への挑戦と奇跡の物語~」』内アニメ作品『はやぶさの奇跡』の監修・キャラクターデザインを担当。
- 2011年11月13日、愛媛県東温市の坊っちゃん劇場ミュージカル「幕末ガール-ドクトル☆おイネ物語-」のポスター原画の制作を発表。
- 2013年9月4日、ORANGE RANGEのボーカル・HIROKIとギタリスト兼リーダー・NAOTOのユニット「NaotoHiroki&karatesystems」が発売したアルバム『Travel Sounds』のジャケット描画を担当。
- 2017年10月2日、大阪府の泉北高速鉄道線のペイント列車が運行を終了し、それに替わって7000系車両1編成を用いた新ラッピング車両「フロンティア号」に、大阪府立大型児童館「ビッグバン」のマスコットキャラクター『ベアル』と『メロウ』のデザインを提供。

- 2018年6月、「北九州市下水道事業100周年」を記念し、メーテルをはじめとした松本キャラクターのデザインマンホール9種類をJR小倉駅周辺に設置(9箇所)。北九州空港にメーテルのデザインマンホールを設置(1箇所)。
6.3.2. 書籍・エッセイ
松本零士自身が執筆したエッセイ集、画集、批評書など、および彼に関する書籍を収録する。
- 『零士のメカゾーン』(1979年、毎日新聞社) - メカ中心のイラスト集。松本自身の手による戦車や航空機の試乗リポートも掲載。
- 『零次元宇宙年代記』(1983年、大和書房) - 松本零士の手による小説・エッセイ集。『銀河鉄道999・未発表オリジナル・シナリオ』の掲載された書。
- 『時の歯車-機械幻想スイス紀行-』(1999年、日本放送出版協会)
- 『遠く時の輪の接する処』(2002年、東京書籍) - 松本の自叙伝。
- 『松本零士画集-星の海、美の遺伝子』(2004年、愛育社)
- 『松本零士未来へ翔び立つ名言集-ヤマト・999の言葉たち-』(2010年、竹書房)橋富政彦編著
- 『未来創造-夢の発想法-』(2010年、角川書店)
- 『漫画歴史大博物館』(ブロンズ社、1980年)松本零士/編 日高 敏/編
- 『少年小説大系 別巻3 少年漫画傑作集1』(三一書房、1993年)
- 『少年小説大系 別巻4 少年漫画傑作集2』(三一書房、1993年)
- 『漫画大博物館-1924 - 1959-』(小学館クリエイティブ、2004年)松本零士編・著 日高敏編・著
7. 関連項目
- 零士 (小惑星)
- 大阪府都市開発5000系電車
- 千之ナイフ
- 新谷かおる
- 板橋克己
- 赤名修
- 零士メーター