1. 概要
横山雄哉は、山形県出身の左腕投手で、高校時代から注目され、社会人野球を経て阪神タイガースにドラフト1位で入団した。プロ入り後は度重なる怪我に苦しんだが、その度にリハビリを重ねて復帰を果たした。特に2020年には育成選手から支配下登録に復帰し、ウエスタン・リーグで最高勝率のタイトルを獲得するなど、その粘り強さを示した。引退後は阪神タイガースのアカデミーコーチを務めた後、アパレル事業に携わるなど、野球界内外で多岐にわたる活動を展開している。
2. プロ入り前の経歴
横山雄哉は、野球選手としてのキャリアを地元の山形県でスタートさせ、高校時代にはエースとして甲子園に出場。その後、社会人野球でその才能をさらに開花させ、国際大会でも活躍した。
2.1. 幼少期と高校時代
横山は山形県東村山郡中山町で生まれ育ち、中山町立長崎小学校2年時に軟式野球を始めた。中山町立中山中学校時代には「中山ベースボールクラブ」に所属した。山形県立山形中央高等学校に進学すると、その才能は「菊池雄星2世」(菊池雄星きくち ゆうせい日本語)と評されるほどであった。2年生の時にはエースとして、春の第82回選抜高等学校野球大会と夏の全国高等学校野球選手権大会に連続で甲子園球場の全国大会に出場したが、いずれも初戦で敗退した。特に春の選抜では、日大三高との対戦で18安打13得点の猛攻を受けた。高校時代の1学年後輩には、後に阪神タイガースでチームメイトとなる齋藤友貴哉(齋藤友貴哉さいとう ゆきや日本語)がいる。高校3年時の秋にはプロ志望届を提出したが、2011年のドラフト会議でどの球団からも指名を受けることはなかった。
2.2. 社会人野球と国際大会
高校卒業後、横山は新日鐵住金鹿島へ入社し、社会人野球に進んだ。入社1年目の2012年から公式戦に出場し、入社後のトレーニングによってストレートの最高球速が高校時代から10 km/h以上アップした。2年目の2013年からは、最速147 km/hの速球と切れ味鋭いスライダーを武器に、チームの主戦投手として活躍した。その投球スタイルから、同じく社会人野球(大阪ガス)出身の左腕投手である能見篤史(能見篤史のうみ あつし日本語)と比較されることもあった。3年目の2014年には、全足利クラブの補強選手として都市対抗野球大会に初出場。松山フェニックス戦の8回表一死から登板し、5者連続で三振を奪う活躍を見せた(チームは敗戦)。
また、2014年11月には台湾で開催された第1回21U野球ワールドカップに日本代表として出場。通算3試合(10イニング)の登板で20奪三振を記録するなど、代表チームの準優勝に貢献した。
3. プロ野球経歴
横山雄哉のプロ野球キャリアは、2014年のNPBドラフト会議での指名から始まり、度重なる怪我とリハビリを乗り越えながら、阪神タイガースの一員として奮闘した。
3.1. ドラフト指名と入団
横山は2014年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから1位で指名された。阪神は当初、有原航平や山﨑康晃を指名したが、抽選で交渉権を逃した末の単独指名であった。2014年11月26日、横山は阪神と仮契約を結び、契約金1.00 億 JPY、出来高分5000.00 万 JPY、年俸1500.00 万 JPYという条件で入団した。入団当初の背番号は15が与えられた。これにより、横山は青木重市(1978年ドラフト4位指名)以来36年ぶり2人目の山形県出身の阪神選手となり、投手としては球団史上初めての山形県出身選手となった。
このドラフト会議で、阪神は横山に続いて、新日鐵住金鹿島のチームメイトである石崎剛(石崎剛いしざき つよし日本語)を2巡目で指名した。同じチームに所属する2人の選手を、阪神が同一年度のドラフト会議で1位と2位に指名したことは、球団史上初の事例であった。また、NPBのドラフト会議史上、同一チームに所属する投手を同一球団が1位と2位で指名したのも初めてのことであった。石崎も指名後に阪神へ入団し、高校時代の後輩である齋藤友貴哉も、後に桐蔭横浜大学からHondaを経て2019年に入団している。
3.2. シーズン別成績と主な出来事
プロ入り後の横山は、怪我に悩まされながらも、限られた登板機会で印象的なパフォーマンスを見せた。
3.2.1. 2015年シーズン
2014年11月の21U野球ワールドカップ登板後、左腕に張りを感じ、年末まで投球練習を控えた。2015年1月8日、春季キャンプ前の新人合同自主トレーニング初日に病院で検査を受けた結果、左胸鎖関節の炎症と診断された。その後、患部は順調に回復し、2月上旬には二軍の春季キャンプで投球練習を再開した。
オープン戦以降も二軍での調整が続いたが、4月28日には「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」(6月29日に神宮球場で開催)のNPB選抜メンバーに選出された。5月21日には阪神甲子園球場での対読売ジャイアンツ戦で先発投手として一軍デビューを果たした。山形県出身選手としては阪神史上初の一軍公式戦出場となり、7回を投げて1失点に抑える好投を見せたが、「新人投手による巨人戦での一軍初登板初勝利」という球団初の快挙達成には至らなかった。この試合では、最速149 km/hを記録し、6回表にレスリー・アンダーソン(Leslie Andersonレスリー・アンダーソン英語)の二塁打で唯一の失点を喫したものの、7回1失点、6奪三振の好投を見せた。試合は8回に鳥谷敬の勝ち越し打で阪神が勝利した。
しかし、6月14日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)では、4回裏に先頭打者・中島宏之(中島宏之なかじま ひろゆき日本語)への死球から無死満塁のピンチを招き、ストライクが1球も入らないまま2者連続で押し出し四球を記録し、同日の試合後に出場選手登録を抹消された。6月25日には、「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」への出場を辞退することが発表された。また、フレッシュオールスターゲームではウエスタン・リーグ選抜の先発投手を務める予定だったが、荒天により中止となった。このシーズンの一軍公式戦では、通算4試合(うち救援1試合)に登板し、0勝2敗、防御率6.75の成績に終わった。シーズン終了後の秋季キャンプ中には右足の第5中足骨を骨折し、11月26日に患部の修復手術を受けた。
3.2.2. 2016年シーズン
前述の右足手術の影響でシーズン序盤は出遅れたが、5月4日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で先発投手としてこのシーズン初の一軍公式戦登板を果たした。この試合では打線の大量援護を背景に、7回無失点の好投でプロ初勝利を挙げた。次に先発した5月18日の同カード(甲子園)では、6回表の途中から救援を仰ぎながらも、野球人生で初めて甲子園球場での試合に勝利した。しかし、セ・パ交流戦での先発登板に向けた5月下旬の仙台遠征中に左肩の痛みを訴え、5月31日に出場選手登録を抹消された。
3.2.3. 2017年シーズン
一軍の先発候補としてオープン戦まで好調を維持していたが、公式戦の開幕は二軍で迎えた。4月23日の対巨人戦(東京ドーム)で先発投手としてシーズン初の一軍公式戦登板を果たし、5回を1失点に抑える好投でシーズン初勝利を挙げた。これは、当初先発を予定していた藤浪晋太郎(藤浪晋太郎ふじなみ しんたろう日本語)がインフルエンザの罹患で登板を回避したことによる緊急の起用であったため、翌4月24日に出場選手登録を抹消された。抹消後も一軍公式戦での先発登板に向けて二軍で調整していたが、登板予定日の直前にぎっくり腰を発症。さらに、復帰後の投球練習中に左肩を痛めたため、一軍へ戻れないままシーズンを終えた。結局、一軍公式戦ではこの1試合のみ、ウエスタン・リーグ公式戦でも5試合の登板にとどまった。
3.2.4. 2018年シーズン
前年に痛めた左肩の状態が思わしくなく、シーズン中の8月19日に左肩のクリーニング手術を受けた。手術後もリハビリに専念したため、一軍・二軍を通じて公式戦への登板機会はなかった。同年11月15日には育成選手として契約を更改し、背番号も115に変更された。
3.2.5. 2019年シーズン
2019年7月4日、石崎剛が球団から千葉ロッテマリーンズへのトレードを通告された日に、オリックスとのウエスタン・リーグ公式戦で自身2年ぶりの公式戦登板を果たした。以降も、同リーグ公式戦7試合に登板し、通算で1勝1敗、防御率2.86という成績を残したが、支配下登録選手への復帰までには至らなかった。
3.2.6. 2020年シーズン
2020年は契約上は育成選手であったが、春季キャンプのスタートを一軍で迎えた。育成選手が一軍の春季キャンプに最初から参加する事例は、阪神球団史上初めてのことであった。オープン戦にも1試合に登板したが、レギュラーシーズン開幕までの支配下再登録は見送られた。
開幕後は、ウエスタン・リーグ公式戦で9月下旬までに13試合に登板し、2勝2敗、防御率3.26を記録した。9月30日(シーズン特例による新規支配下登録期限日)に、支配下選手契約を再び締結し、背番号は91に変更された。10月4日には、甲子園球場での対巨人戦9回表に、一軍公式戦1260日ぶりの登板を果たした。しかし、一軍での登板はこの1試合のみで、1イニングだけの投球で自責点2を記録したため、防御率は18.00に達した。
その一方で、ウエスタン・リーグ公式戦では16試合に登板。チームの投手でただ1人リーグの最終規定投球回に到達したほか、大竹耕太郎(大竹耕太郎おおたけ こうたろう日本語、福岡ソフトバンクホークス)と同率ながら、勝率.667(4勝2敗)でリーグ最高勝率のタイトルを獲得した。さらに、防御率はリーグ2位の2.54で、1位の大竹(2.53)と僅差であった。入団後初めて故障と無縁のシーズンを送っていたが、レギュラーシーズン最終盤の11月4日に戦力外通告を受けた。これを受けて、横山は「野球に取り組む過程に悔いは一切ない」として、シーズン終了後の同年11月27日に現役引退を表明した。12月2日付で、自由契約選手としてNPBから公示された。
3.3. 怪我とリハビリ
横山雄哉のプロ野球生活は、度重なる怪我との戦いでもあった。
- 左胸鎖関節の炎症**: 2015年1月、プロ入り直後の新人合同自主トレーニング中に診断された。
- 右足第5中足骨骨折**: 2015年シーズン終了後の秋季キャンプ中に負傷し、11月26日に修復手術を受けた。この影響で2016年シーズンは出遅れた。
- 左肩の痛み**: 2016年5月下旬、交流戦遠征中に訴え、出場選手登録を抹消された。
- ぎっくり腰**: 2017年、一軍復帰を目指す中で発症。
- 左肩の痛み(再発)**: 2017年、ぎっくり腰からの復帰後の投球練習中に再び痛め、シーズン中の復帰は叶わなかった。
- 左肩クリーニング手術**: 2018年8月19日、前年からの左肩の状態が思わしくないため手術を受けた。このシーズンは一・二軍を通じて登板機会がなかった。
これらの怪我に対し、横山は粘り強くリハビリに取り組み、特に2020年には故障なくシーズンを終え、育成選手から支配下登録への復帰を果たすなど、その回復力と精神的な強さを示した。
3.4. 現役引退
2020年11月4日に阪神タイガースから戦力外通告を受けた横山雄哉は、同年11月27日に現役引退を表明した。引退表明に際し、「野球に取り組む過程に悔いは一切ありません」と語り、プロ野球選手としてのキャリアに区切りをつけた。
4. 選手としての特徴
横山雄哉は、長身から繰り出される左腕からのオーバースロー投球が特徴であった。
4.1. 投球スタイルと球種
横山は、最速151 km/hのストレートを武器とし、その他にスライダー、カーブ、チェンジアップ、フォークを投げ分けた。右足を高く上げた後に左腕を早く振る投球メカニズムを持ち、高めのストレートで打者の空振りを誘うことが持ち味であった。
5. 引退後の活動
プロ野球選手としてのキャリアを終えた後、横山雄哉は野球指導者としての道に進み、その後はアパレル事業を立ち上げるなど、新たな分野で活動している。
5.1. 指導者としての活動
2021年1月1日付で、横山は阪神タイガース球団の職員に転身した。球団本部の振興部が運営する「タイガースアカデミー ベースボールスクール」の専属コーチとして、子どもたちへの野球指導に携わった。コーチとして活動する傍ら、大阪府内の草野球チーム『RAT´S』では投手兼外野手として野球を続けていた。しかし、アカデミーのコーチを1年間務めただけで、2021年12月31日付で阪神を退団した。
5.2. 事業活動
阪神退団後の2022年1月からは、草野球チームにアパレル関係のメンバーが多かった縁もあり、奈良県に本社を置くTシャツ制作会社である株式会社SIRに勤務している。同年5月には、元チームメイトの山本翔也(山本翔也やまもと しょうや日本語)とともに同社内でアパレルブランド「GAUCHER」(GAUCHERゴーシェ英語)を立ち上げた。「街に野球という楽しみを」をコンセプトに、同社の業務と自身のブランドの作業を並行して行っている。
6. 記録
6.1. 年度別成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ ー ブ | ホ ー ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 故 意 四 球 | 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ ー ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2015 | 阪神 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 66 | 13.1 | 15 | 2 | 11 | 0 | 1 | 12 | 1 | 0 | 10 | 10 | 6.75 | 1.95 |
2016 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 63 | 15.1 | 11 | 2 | 8 | 1 | 0 | 16 | 1 | 0 | 7 | 5 | 2.93 | 1.24 | |
2017 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 22 | 5.0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1.80 | 1.60 | |
2020 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 6 | 1.0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 18.00 | 3.00 | |
NPB:4年 | 9 | 7 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | .600 | 157 | 34.2 | 34 | 5 | 22 | 1 | 1 | 33 | 2 | 0 | 20 | 18 | 4.67 | 1.62 |
- 2020年度シーズン終了時
年 度 | 球 団 | 投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2015 | 阪神 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2016 | 3 | 2 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2017 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2020 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |
通算 | 9 | 3 | 5 | 0 | 0 | 1.000 |
- 2020年度シーズン終了時
6.2. 主な記録
- 投手記録**
- 初登板・初先発登板:2015年5月21日、対読売ジャイアンツ11回戦(阪神甲子園球場)、7回1失点で勝敗つかず
- 初奪三振:同上、1回表に亀井善行から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2016年5月4日、対中日ドラゴンズ8回戦(ナゴヤドーム)、7回無失点
- 打撃記録**
- 初安打:2016年5月25日、対東京ヤクルトスワローズ10回戦(明治神宮野球場)、3回表にカイル・デイビーズから中越二塁打
6.3. 背番号の変遷
- 15(2015年 - 2018年)
- 115(2019年 - 2020年9月29日)
- 91(2020年9月30日 - 同年終了)
6.4. 登場曲
- 「NUMBER1」BIGBANG(2015年 - 2017年)
- 「キリキリマイ」ORANGE RANGE(2018年 - 2019年)
- 「キン肉マンGo Fight!」串田アキラ(2020年)