1. 概要
玉乃淳は、日本の元プロサッカー選手であり、引退後はサッカー解説者、スポーツマネジメント、そしてJリーグクラブのゼネラルマネージャー・強化部長として多岐にわたる活動を展開した人物である。幼少期からサッカーに親しみ、スペインの名門アトレティコ・マドリードのユースチームで研鑽を積んだ後、日本のプロサッカーリーグで活躍。現役引退後は、その豊富な経験と知見を活かし、メディアでの解説活動や、スポーツビジネス、クラブ運営といった分野でセカンドキャリアを築いた。
2. 個人情報と背景
玉乃淳(Jun Tamanoたまの じゅん英語)は、1984年6月19日に東京都新宿区で生まれた。身長は172 cm、体重は59 kgで、利き足は右足である。幼少期からサッカーに親しみ、東京ヴェルディの下部組織で育った。
3. プレイングキャリア
玉乃淳のサッカー選手としてのキャリアは、国内外のユースチームでの育成期間から始まり、日本のプロリーグでの活躍、そして現役引退に至るまで、様々な経験を積んだ。
3.1. ユースキャリア
玉乃は小学生の頃から東京ヴェルディの下部組織でサッカーを始め、ヴェルディ川崎(現: 東京ヴェルディ)のジュニアユースに所属した。15歳だった1999年、ヴェルディジュニアユースが出場したナイキプレミアカップでのプレーが認められ、スペインの強豪アトレティコ・マドリードのユースチームに加入。1999年から2002年までの3シーズンをアトレティコ・マドリードで過ごし、この時期には後にスペイン代表のスター選手となるフェルナンド・トーレス(Fernando Torresフェルナンド・トーレススペイン語)とも共にプレーした。アトレティコ・マドリードのBチームへの昇格の機会もあったが、スペインのパスポートを所持していなかったため、そのオファーを辞退せざるを得なかった。
2002年には日本に帰国し、再び東京ヴェルディのユースチームに復帰。ユース所属ながら、東京ヴェルディ1969(現: 東京ヴェルディ)のトップチームに2種登録選手として登録されることとなった。
3.2. プロフェッショナルキャリア
2002年5月、Jリーグカップでトップチームデビューを果たし、同年9月18日の東京ダービーでは途中出場でJリーグデビューを飾った。東京ヴェルディでは、攻撃的ミッドフィールダーとして毎シーズン数試合に出場した。特に2005年には、天皇杯優勝に貢献したものの、シーズンを通して途中交代での出場が多く、レギュラーポジションを確保するには至らなかった。同年シーズン終了後、東京ヴェルディはJ2リーグへ降格した。
2006年シーズンには、J2リーグの徳島ヴォルティスへレンタル移籍。徳島では定位置を確保し、多くの試合に出場した。しかし、シーズン終了後に所属元の東京ヴェルディから戦力外通告を受け、2007年にJ1リーグへ初昇格した横浜FCへ完全移籍した。横浜FCでは出場機会に恵まれず、チームは2007年のJ1リーグで最下位に終わり、わずか1年でJ2リーグへ再降格した。
2008年には、2年前に所属した徳島ヴォルティスへ復帰し、再び主力選手として起用された。2009年にはザスパクサツ群馬(当時のチーム名はザスパ草津)へ移籍したが、ここでも出場機会を多く得ることができなかった。
3.3. 引退
2009年シーズン終了後、玉乃淳は2009年12月24日に現役引退を表明した。
4. 引退後の活動
現役引退後、玉乃淳はサッカー界に留まらず、多岐にわたる分野でその経験と知識を活かした活動を展開している。
4.1. サッカー解説およびメディア活動
2011年にはカナダへ渡り、語学の勉強に励んだ。帰国後にはJ SPORTSのサッカー情報番組『Foot!』に出演し、自身が2年半を過ごしたアトレティコ・マドリードのユース時代や、熱狂的なファンであるレアル・マドリードについて紹介した。
2012年からは、主にJ SPORTSでJリーグのサッカー解説者として活動を開始した。また、週刊サッカーダイジェストでは『玉乃淳の「セカンドキャリアに幸あれ!!」』というコラムを担当し、元プロサッカー選手のセカンドキャリアに関するインタビューを行った。J SPORTSやスカパー!でのJリーグ中継における解説は、実況担当の下田恒幸をして「解説というより感覚的な感想が多い」「その試合や1つのプレーや、サッカーそのものをものすごく楽しんで、乗っかっちゃっている感じの波長が(自分と)近い」と言わしめるほど特徴的なもので、話題を集めた。この独特のコメンタリースタイルは、2014年12月3日放送のテレビ番組『マツコ&有吉の怒り新党』で、下田とのコンビが「新3大・試合より気になる放送席」の一つとして取り上げられるなど、広く認知された。
4.2. スポーツ行政およびビジネス
2014年12月4日、玉乃は株式会社バランスマネジメントとマネジメント契約を締結し、自身のキャリアの幅を広げた。2016年5月23日には、プロスポーツ選手のセカンドキャリア支援を目的とした自身のウェブサイト『TAMAJUN JOURNAL』を開設した。
2017年2月1日には独立し、自身が運営する株式会社JAPAN TRENDYにてマネジメント活動を開始した。しかし、同年8月末日をもってサッカー解説やテレビ出演などのメディア活動を全て降板することを発表。これは、次の目標のためにビジネス分野での「基礎練」を積むためであるとし、早稲田大学人間科学部へ入学した。これに伴い、『TAMAJUN JOURNAL』の更新も同日付で終了した(サイト自体は残されている)。
2017年からは、大手広告代理店である博報堂DYメディアパートナーズのスポーツビジネス局で勤務を開始し、ビジネスの知見を深めた。
2019年12月18日付で、Jリーグクラブのアルビレックス新潟のゼネラルマネージャー(GM)に就任。さらに、翌2020年3月28日付で、前任者の退任に伴いアルビレックス新潟の強化部長を兼務することとなった。しかし、2020年11月18日に同日付で強化部長を退任し、ゼネラルマネージャーからも同年12月31日をもって退任することが発表された。
5. 統計記録
玉乃淳のプロキャリアにおけるリーグ戦、カップ戦の出場および得点記録は以下の通りである。
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 通算 | |||||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 通算 | |||||||
2002 | 東京ヴェルディ | J1 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | |
2003 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | |||
2004 | 2 | 0 | 2 | 1 | 2 | 0 | 6 | 1 | |||
2005 | 16 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 21 | 0 | |||
2006 | 徳島ヴォルティス | J2 | 34 | 2 | - | 2 | 1 | 36 | 3 | ||
2007 | 横浜FC | J1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | |
2008 | 徳島ヴォルティス | J2 | 37 | 2 | - | 0 | 0 | 37 | 2 | ||
2009 | 草津 | 9 | 0 | - | 0 | 0 | 9 | 0 | |||
J1通算 | 32 | 2 | 10 | 1 | 2 | 0 | 44 | 3 | |||
J2通算 | 80 | 4 | - | 2 | 1 | 82 | 5 | ||||
総通算 | 112 | 6 | 10 | 1 | 4 | 1 | 126 | 8 |
- 2002年はヴェルディユース所属