1. 概要
碓井博行(碓井 博行うすい ひろゆき日本語、1953年8月4日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手であり、サッカー指導者です。選手としてはFWとして活躍し、特にJSLで2度の得点王に輝くなど、強力なキック力と高い得点能力で知られました。日立製作所本社サッカー部(現柏レイソル)で長きにわたりプレーし、クラブの主要なタイトル獲得に貢献しました。また、サッカー日本代表としても国際Aマッチ38試合に出場し、15得点を記録しています。引退後は監督として日立製作所サッカー部を務め、その後は柏レイソルのフロントスタッフやサッカースクールのスクールマスターとして、日本サッカー界に貢献を続けています。サッカー選手の碓井健平は実子にあたります。
2. 生涯と初期キャリア
碓井博行は、自身のプロフェッショナルなサッカーキャリアを開始する以前から、静岡県および大学サッカー界でその才能を発揮していました。
2.1. 幼少期と教育
1953年8月4日に静岡県藤枝市で生まれました。幼少期よりサッカーに親しみ、その才能を育みました。静岡県立藤枝東高等学校に進学し、高校サッカー界で活躍。卒業後は早稲田大学へと進み、大学サッカーリーグでも重要な選手として名を馳せました。これらの教育期間中に、その後のプロキャリアの基盤となる技術と戦術眼を培いました。
3. 選手キャリア
碓井博行は、クラブチームである日立製作所において、そして日本代表チームの一員として、顕著な足跡を残しました。その強力なキック力と得点能力は、当時の日本サッカーリーグにおいて特筆すべきものでした。
3.1. クラブキャリア
早稲田大学を卒業後、1976年にJSLの日立製作所(現柏レイソル)に入部しました。彼は「強力なキック力」を持ち、「得意とした右斜め45度エリアからのシュート」で多くのゴールを挙げたストライカーとして知られています。
日立製作所では、クラブの主要な成功に大きく貢献しました。
- 第55回天皇杯全日本サッカー選手権大会で優勝を経験しました。
- 第1回JSLカップの優勝にも貢献しました。
- 個人としては、1980年と1982年の2度にわたりJSL得点王に輝きました。
- 1980年と1982年にはJSLベストイレブンにも選出されています。
1988年に現役を引退するまで、JSL1部通算200試合に出場し85得点、28アシストの記録を残しました。
3.2. 日本代表キャリア
1974年2月12日のシンガポール代表との国際親善試合で日本代表デビューを果たしました。
主要な国際大会予選や国際大会にも出場しています。
- 1978 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選
- 1978年アジア競技大会
- 1980年モスクワオリンピック予選
- 1984年ロサンゼルスオリンピック予選
1980年以降は一時的に代表から外れる期間がありましたが、1984年に代表に復帰し、ロサンゼルスオリンピック予選に出場しました。この予選が彼の日本代表としての最後の試合となりました。
1974年から1984年までの間、日本代表として国際Aマッチ38試合に出場し、15得点を記録しました。
4. 指導者キャリア
現役引退後、碓井博行はサッカー指導者の道に進みました。1989年から1992年まで、古巣である日立製作所の監督を務めました。
彼の監督在任中、日立製作所は以下のような成績を収めました。
- 1989-90シーズンはJSL1部で最下位(12位)となり、JSL2部への降格を経験しました。
- しかし、翌1990-91シーズンにはJSL2部で優勝を果たし、1部への昇格を達成しました。
- 1991-92シーズンはJSL1部で9位の成績を収めました。
- 1992年には、当時の旧JFL1部で準優勝という好成績を残しています。
1992年に日立製作所の監督を退任しました。
5. 引退後の活動
監督職を退任した後も、碓井博行は日本サッカー界において多岐にわたる役割を担い続けています。彼は、その長年の経験と知識を活かし、様々な形でサッカーの普及と発展に貢献しています。
- 監督業の後は、柏レイソルのフロントスタッフとして、クラブの運営に携わりました。
- 現在はピュアネス・サッカースクールのスクールマスターを務めており、次世代のサッカー選手の育成に尽力しています。
6. 評価と栄誉
碓井博行のサッカー選手としてのキャリアは、日本サッカー界において高く評価されており、数々の栄誉に輝いています。
6.1. 個人タイトル
選手時代に獲得した主な個人タイトルは以下の通りです。
- JSL1部 得点王: 1980年、1982年
- JSLベストイレブン: 1980年、1982年
6.2. 遺産と歴史的評価
碓井博行は、その強力なキック力と得点能力で多くのゴールを挙げたストライカーとして、当時の日本サッカー界に大きな影響を与えました。彼のプレースタイルは、後進の選手たちにも影響を与えたとされています。
2017年度の「日本サッカー殿堂」の候補者にノミネートされましたが、この時は掲額には至りませんでした。しかし、その候補に選ばれたこと自体が、彼の日本サッカー史における貢献と功績が高く評価されている証拠と言えます。
7. 私生活
碓井博行の私生活については、公にされている情報は限られています。彼の息子である碓井健平もまたサッカー選手であり、彼のサッカーキャリアを継承しています。
8. キャリア統計
碓井博行の選手および監督としての詳細な統計を以下に示します。
8.1. クラブ統計
年度 | 所属 | クラブ | リーグ | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1976 | 日立 | JSL1部 | 18 | 13 | |||||||
1977 | JSL1部 | 18 | 8 | ||||||||
1978 | JSL1部 | 14 | 7 | ||||||||
1979 | JSL1部 | 18 | 11 | 2 | 0 | 4 | 3 | 24 | 14 | ||
1980 | JSL1部 | 18 | 14 | 4 | 2 | 4 | 4 | 26 | 20 | ||
1981 | JSL1部 | 18 | 8 | 2 | 0 | 2 | 2 | 22 | 10 | ||
1982 | JSL1部 | 18 | 13 | 1 | 0 | 3 | 1 | 22 | 14 | ||
1983 | JSL1部 | 17 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 17 | 3 | ||
1984 | JSL1部 | 17 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 19 | 2 | ||
1985 | JSL1部 | 22 | 5 | 0 | 0 | 2 | 1 | 24 | 6 | ||
1986-87 | JSL1部 | 22 | 2 | 1 | 0 | 1 | 1 | 24 | 3 | ||
1987-88 | JSL2部 | ||||||||||
総通算 | 200 | 85 | | | | | | | |
JSL東西対抗戦には2回出場し、通算2得点(1980年、1982年)を挙げています。
8.2. 日本代表統計
碓井博行の日本代表としての国際Aマッチおよびその他の国際試合の統計です。
8.2.1. 国際Aマッチ出場・得点
日本代表 | ||
---|---|---|
年 | 試合数 | 得点 |
1974 | 2 | 0 |
1975 | 0 | 0 |
1976 | 1 | 0 |
1977 | 4 | 0 |
1978 | 14 | 7 |
1979 | 9 | 3 |
1980 | 5 | 3 |
1981 | 0 | 0 |
1982 | 0 | 0 |
1983 | 0 | 0 |
1984 | 3 | 2 |
総計 | 38 | 15 |
8.2.2. 国際Aマッチ以外の試合を含む通算成績
年 | 国際Aマッチ | その他 | 総通算 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
試合数 | 得点 | 試合数 | 得点 | 試合数 | 得点 | |
1974 | 2 | 0 | 3 | 1 | 5 | 1 |
1975 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1976 | 1 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 |
1977 | 4 | 0 | 14 | 11 | 18 | 11 |
1978 | 14 | 7 | 7 | 3 | 21 | 10 |
1979 | 9 | 3 | 10 | 2 | 19 | 5 |
1980 | 5 | 3 | 6 | 1 | 11 | 4 |
1981 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1982 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1983 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1984 | 3 | 2 | 4 | 1 | 7 | 3 |
通算 | 38 | 15 | 46 | 19 | 84 | 34 |
8.2.3. 国際Aマッチ出場試合一覧
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1974年2月12日 | シンガポール | シンガポール | ○1-0 | 長沼健 | 国際親善試合 | |
2. | 1974年2月20日 | 香港 | 香港 | △0-0 | 国際親善試合 | ||
3. | 1976年12月4日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●1-2 | 二宮寛 | 日韓定期戦 |
4. | 1977年3月6日 | テルアビブ | イスラエル | ●0-2 | ワールドカップ予選 | ||
5. | 1977年3月10日 | テルアビブ | イスラエル | ●0-2 | ワールドカップ予選 | ||
6. | 1977年3月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | △0-0 | ワールドカップ予選 | |
7. | 1977年4月3日 | ソウル | 韓国 | ●0-1 | ワールドカップ予選 | ||
8. | 1978年5月23日 | 愛知県 | 名古屋市瑞穂公園ラグビー場 | タイ | ○3-1 | ジャパンカップ | |
9. | 1978年7月13日 | クアラルンプール | イラク | △0-0 | ムルデカ大会 | ||
10. | 1978年7月15日 | クアラルンプール | インドネシア | ●1-2 | ムルデカ大会 | ||
11. | 1978年7月17日 | クアラルンプール | シリア | ○3-2 | ムルデカ大会 | ||
12. | 1978年7月19日 | クアラルンプール | 韓国 | ●0-4 | ムルデカ大会 | ||
13. | 1978年7月21日 | クアラルンプール | マレーシア | ●1-4 | ムルデカ大会 | ||
14. | 1978年7月23日 | クアラルンプール | シンガポール | ●1-2 | ムルデカ大会 | ||
15. | 1978年7月26日 | クアラルンプール | タイ | ○4-0 | ムルデカ大会 | ||
16. | 1978年11月19日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ソビエト連邦 | ●1-4 | 国際親善試合 | |
17. | 1978年11月23日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ソビエト連邦 | ●1-4 | 国際親善試合 | |
18. | 1978年11月26日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | ソビエト連邦 | ●0-3 | 国際親善試合 | |
19. | 1978年12月11日 | バンコク | クウェート | ●0-2 | アジア大会 | ||
20. | 1978年12月13日 | バンコク | バーレーン | ○4-0 | アジア大会 | ||
21. | 1978年12月15日 | バンコク | 韓国 | ●1-3 | アジア大会 | ||
22. | 1979年3月4日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ○2-1 | 下村幸男 | 日韓定期戦 |
23. | 1979年5月31日 | 東京都 | 国立西が丘サッカー場 | インドネシア | ○4-0 | ジャパンカップ | |
24. | 1979年6月16日 | ソウル | 韓国 | ●1-4 | 日韓定期戦 | ||
25. | 1979年6月27日 | クアラルンプール | マレーシア | △1-1 | ムルデカ大会 | ||
26. | 1979年6月29日 | クアラルンプール | タイ | ○2-1 | ムルデカ大会 | ||
27. | 1979年7月1日 | クアラルンプール | ビルマ | ○1-0 | ムルデカ大会 | ||
28. | 1979年7月11日 | クアラルンプール | インドネシア | △0-0 | ムルデカ大会 | ||
29. | 1979年7月13日 | クアラルンプール | シンガポール | ○3-1 | ムルデカ大会 | ||
30. | 1979年8月23日 | 平壌 | 北朝鮮 | △0-0 | 国際親善試合 | ||
31. | 1980年3月22日 | クアラルンプール | 韓国 | ●1-3 | オリンピック予選 | ||
32. | 1980年3月24日 | クアラルンプール | フィリピン | ○10-0 | オリンピック予選 | ||
33. | 1980年3月28日 | クアラルンプール | インドネシア | ○2-0 | オリンピック予選 | ||
34. | 1980年3月30日 | クアラルンプール | マレーシア | △1-1 | オリンピック予選 | ||
35. | 1980年4月2日 | クアラルンプール | ブルネイ | ○2-1 | オリンピック予選 | ||
36. | 1984年3月6日 | バンダルスリブガワン | ブルネイ | ○7-1 | 森孝慈 | 国際親善試合 | |
37. | 1984年4月15日 | シンガポール | タイ | ●2-5 | オリンピック予選 | ||
38. | 1984年4月26日 | シンガポール | カタール | ●1-2 | オリンピック予選 |
8.2.4. 国際Aマッチ得点数一覧
# | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1978年5月23日 | 日本、名古屋市 | タイ | 3-0 | 勝利 | ジャパンカップ |
2 | 1978年7月17日 | マレーシア、クアラルンプール | シリア | 3-2 | 勝利 | ムルデカ大会 |
3 | 1978年7月17日 | 3-2 | 勝利 | |||
4 | 1978年7月23日 | シンガポール | 1-2 | 敗戦 | ||
5 | 1978年7月26日 | タイ | 4-0 | 勝利 | ||
6 | 1978年12月13日 | タイ、バンコク | バーレーン | 4-0 | 勝利 | アジア競技大会 |
7 | 1978年12月13日 | 4-0 | 勝利 | |||
8 | 1979年3月4日 | 日本、東京 | 韓国 | 2-1 | 勝利 | 日韓定期戦 |
9 | 1979年6月29日 | マレーシア、クアラルンプール | タイ | 2-1 | 勝利 | ムルデカ大会 |
10 | 1979年7月13日 | シンガポール | 3-1 | 勝利 | ||
11 | 1980年3月24日 | フィリピン | 10-0 | 勝利 | モスクワ五輪予選 | |
12 | 1980年3月30日 | 10-0 | 勝利 | |||
13 | 1980年4月2日 | マレーシア | 2-1 | 勝利 | ||
14 | 1984年3月6日 | ブルネイ、バンダルスリブガワン | ブルネイ | 7-1 | 勝利 | 親善試合 |
15 | 1984年3月6日 | 7-1 | 勝利 | 親善試合 |
8.3. 監督統計
年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | JSL杯 | 天皇杯 | |||
1989-90 | JSL1部 | 日立 | 12位 | 22 | 13 | 3 | 4 | 15 | 1回戦 | 2回戦 |
1990-91 | JSL2部 | 優勝 | 30 | 82 | 27 | 1 | 2 | 1回戦 | 1回戦 | |
1991-92 | JSL1部 | 9位 | 22 | 25 | 6 | 7 | 9 | ベスト8 | ベスト4 | |
1992 | 旧JFL1部 | 準優勝 | 18 | 40 | 12 | 4 | 2 | - | 予選敗退 |